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その後のパヴェル 2

2013.07.16 (火)


その1ヶ月前、彼はドイツでの仕事を辞めて、ベラルーシに帰っていた。

「トラブルが起きるたびに、ぼくがスケープゴートにされた。しかも、残業代も払ってくれなくなって、もう耐えられなくなった。未払いの残業代については係争中で、どうなるかわからない。」

そして、彼は実家に戻り、そこにユリアもいっしょに住んでいるらしかった。彼の友人たちが、仕事もお金もないのに若く結婚して両親と同居せざるを得ないのを見て、ああはなりたくないと言っていたのに。

私が案じていた軍隊からの呼び出しはなく、彼はもう一度ドイツで仕事を見つけようとしていた。

「いい仕事について、人生を立て直さなくちゃ。ユリアとアメリカに遊びに行きたいし。もちろん結婚してから。結婚もまだ具体的にはなにも決めてない。すべては仕事が決まってからだからね。夏の終りにプロポーズするよ。」


       *


それから、また連絡が途絶えた。

秋になり、私の誕生日に届いたメールには、もうすぐ仕事が決まりそうだとあった。そして、結婚はとりあえず役所で手続きだけ済ませたとのことだった。

「ユリアとぼくの家族で小さいお祝いをしただけだけど、2013年の夏にはちゃんとした式をあげようと思ってる。短いけど、二人のビデオを送ります」とリンクが張ってあった。

ユリアは小柄で、おとなしそうな娘だった。アンナやカーチャのような美人ではないのを見て、なぜかほっとした。今度の結婚はうまくいきそうな気がした。

その頃、私は次男の状態が気がかりで、たいしたことはないと自分に言い聞かせながらも、もしかしたらこれは深刻なのかもしれないという懸念を拭い切れないでいた。

「おめでとう。ユリアと幸せにね。仕事がきまったら教えて。いい知らせを待っています。私のほうは長男が大学に行って、やれやれなんだけど、ちょっと次男のことで気にかかることがあって。ティーンエージャーだからいろいろあるのよ。あの子の大学進学も心配で、落ち着きません」と、病気の具体的な話はうやむやにしてしまった。


         *


パヴェルの仕事が決まったのは、年が明けてからだった。

「やっといいニュースが届けられるよ。これですべてうまくいくといいな。いつか、あなたに電話していい?ずっとメールだったけど、あなたさえよければスカイプで連絡するのはどう?」

私はすぐに返事を書かなかった。

次男はすでに3回も入退院を繰り返し、学校は長期欠席、パヴェルのメールが届いた翌週には別の病院に転院することが決まっていた。

先が見えない日々に私は憔悴してしまい、パヴェルとスカイプでチャットする気力はなかった。やつれて老けた顔を見られるのもいやだった。

私は、パヴェルにはほとんど何でも打ち明けてきたが、仕事も見つかって新しい奥さんもできて幸せそうな彼に悪いニュースを伝えるのがためらわれた。

でも、これ以上隠しておけない。私は次男の病名を告げた。

「次男の状態があまりよくないの。今日、州立の専門病院に移ることになって、私も本人もかなりショックを受けてるのよ。あの子はどうだかわからないけど、私はいまだにあの子の病気が受け入れられなくって。悪いけど、スカイプはもう少し落ち着いてからでいいかしら。またメールします。」


         *


それから1ヶ月、パヴェルから何の連絡もなかった。

やっと短い返事があったのは、2月の半ばだった。私と同じく、彼も次男の病気は信じがたいらしく、医者の見立て違いではないかと遠慮がちに書いてあった。

「ぼくが知っている次男くんはまだ子どもだったし、今は大きくなってるから変わったかもしれない。でも、とてもそんな病気になるようには思えない。ぼくにできることは何もないかもしれないけど、せめてあなたといっしょにいてあげられたら。そして次男くんにサマーキャンプでの楽しかった思い出を話して元気づけてあげられたら。あなたのメールから1ヶ月経ってるから、よくなっているといいんだけど。」

次男はよくなっていなかった。

私には症状が落ち着いて見えたが、医療チームからは退院の見込みどころか外泊の話も出なかった。

私はパヴェルに返事をしなかった。


         *


4月の初めに、またメールが届いた。

「あれから連絡がなくて、心配しています。次男くんの病状はどう? それに、あなたはだいじょうぶ? ぼくにできることがあれば、なんでもするから言って。ぼくのほうは、まあまあ。ユリアのビザが下りるのを待ってるところ。3か月分の給料明細を出さなくちゃいけないから、ちょっと時間がかかった。」

私は今度はすぐに返信した。

「次男はまだ入院してるの。2~3ヶ月で出られると思ってたのに、そうじゃなかったわ。でも、病院は新しいし、医療チームも前の病院よりずっとよくやってくれてるみたいで、それだけが救いかしら。」

そうして、次男は良くなったり悪くなったりを繰り返し、私は病状よりも学校の勉強や大学進学のことが気になり始めた。一方で、最終試験を終えた長男をボストンまで迎えに行き、日本へ行く支度もせねばならなかった。出発直前のゴタゴタから、戻ってから時差ぼけが取れるまで、パヴェルのことを考える余裕はなかった。

7月になって、私は近況を書き送り、彼からの返事を待った。


        *


数日後、パヴェルから長いメールが来た。

次男の病気がまだ信じられないと言って、彼なりの見解を長々と述べた。

それを読みながら、私はとてももどかしく思った。見当違いなことも書いてあったし、なによりも議論の段階はとうに過ぎていた。でも、彼にそんなことがわかるはずもない。

ユリアにビザが下りたのは6月。二人はアパートでいっしょに暮らしていた。「小さな問題はいろいろあるけど、ぼくは心から信頼できて愛する女の子に会えて、やっと幸せをつかめた。それは本当によかったと思う。」 

パヴェルの仕事は、とある会社のセールス部門で、「昇給も望めず、昇進の機会もなく、一生続ける仕事じゃない。」 でも、ユリアはまだ仕事がないし、彼には選択の余地がなさそうだった。

今は、愛があれば幸せなのだろう。小さな問題というのは、お金がらみのことか。それが大きな問題にならなければいいが。

彼は、私の夫のように大きな家を建てて、奥さんと子どもと余裕のある暮らしをしたいとよく言っていた。もしそれが実現できないとわかったとき、彼はどうするだろう。


         *


「仕事のせいで今年の夏はベラルーシに帰れない。来年の夏にはあっちで結婚式をしたいけど、まずお金を貯めないとね。そうだ、10年落ちのニッサンを買ったよ。古いけど、調子はいいし、満足してる。秋になったら、ユリアの24回目の誕生日をかねて、どこかあったかいところに遊びに行きたい。今のところ、それが一番の夢かな。」

「ぼくのもう一つの夢は、あなたの家族とぼくとユリアでどこかで楽しく過ごすこと。いつかきっとそういう機会があると思う。もう10年前だけど、あなたと会ったときのことやぼくが大学に行く手助けをしてくれたことを今でもよく考えるよ。アメリカであなたといっしょに過ごした時間をもう一度やれと言われたら、もちろん喜んでそうする。でも、そんな時間は二度と戻ってこないこともよくわかってる。」

まるでこれが最後のメールみたいに、昔のことを思い出話のように書いてあった。

私が空港まで迎えに行ったのに他の知り合いの車に乗ったことを今さら持ち出して、私に詫びた。そして、子どもたちとトーマスと一緒にカヌー乗りに出かけ、私とパヴェルのカヌーがひっくり返ってずぶぬれになったことや、それを見た子どもたちがはしゃいだこと。

10年前、彼は21歳だった。

希望に満ちた、世間知らずの若者は、もういない。



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 |  わたし  |  コメント(1)

Comment

kometto3 
パヴェル、大学もバイトもすごくがんばってましたよね。
なんで実家に住んでるんでしょうか?

若くて世間知らずだった頃のパヴェル
今とは何が違うのでしょうか?

努力が足りなかったのでしょうか?

なんだかとても悲しくなりました。

けれど、彼がkometto3を救った(ある意味でですが)事には変わりなく、彼もkometto3に救われたことも間違いないことです。

いつも意味不明なコメントでごめんなさい。
lumama |  2013.07.18(木) 23:02 | URL |  【編集】

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