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4年ぶりの日本 その4

2013.07.05 (金)


実家のある町の駅に降りると、土曜日の夕刻なのに、あたりは不気味なほど静まり返っていた。

帰国するたびに街が寂れていたのはわかっていたが、今回はゴーストタウンである。とにかく人も車も少ない。駅を中心にして栄えた昔とちがって、商店街ではシャッターを下ろしたままのお店がさらに増えた。

母の外見はあまり変わっていなかった。でも、動作は確実に遅くなった。高血圧の薬も飲むようになっていた。肩こりや腰痛とは縁がないのが自慢だったのに、私と長男の滞在中に珍しく腰が痛いと言い、でもお医者には行こうとしなかった。

80歳の母の一番上の姉は90才で、去年軽い脳溢血で倒れてからボケてしまって、「もう私のことはわからんだよ」と母は言う。息子夫婦とご主人が自宅で介護しているらしい。母の継母は何年も老人ホームにいて、こちらもボケているが、体は丈夫なので、まだまだ長生きしそうだという。

そんな話ばかりである。

母は料理や洗濯が好きなので、上げ膳据え膳はもちろん、前の日に着た服が翌日の昼ごろには乾いてちゃんとたたんであったりする。私が頼まれたのは掃除機だけ。昔の安物掃除機なのに、アメリカの重くて音が大きいだけのと違って、軽いしよく吸うし、コードはボタン一つで本体に収まる。なんと賢い。アメリカに連れて帰りたくなる。

「よう大きくなった」と母は長男に言ったが、本当はもっと背が高くなってほしいのだ。「お父さんより大きいだか?」と私にそっと聞いたり、「もっと食べにゃ」と何度も勧めたりした。長男が小柄なのは、私が一番気にしている。きっと顔に出ていただろう。母もあまり言わなくなった。

実家でも、長男は出される食べものはとりあえず口にした。アメリカではうなぎも食べないのに、戦々恐々としながらも皮以外ぜんぶ食べた(私だって皮は残す)。


        *

         
あいかわらず、母の友人たちが入れ替わり立ち代わりやって来た。

おちおち寝転がっていられない。私と長男に食べさせようと、おいしいものをあれこれ持ってきてくれる。私はやっぱり暑くて、タンクトップとショートパンツだが、もはや誰も何も言わない。

みんな80代で、癌をわずらったり、夫を亡くしたり、背が縮んだりしていた。それでも、畑仕事をして、自転車にも乗り、母の家が集会所のようになる。引きこもりでなまけものの私より、ずっと活動的である。

私は日本でも人付き合いは嫌いなので、同級生とも一切の連絡を取らない。それでも、母の同級が来れば、その娘である私の同級生もやってきて、「コメットちゃん、ぜんぜん変わっとらんねえ。去年、同窓会があっただよ。xxちゃんって、覚えとる?」と私に尋ねる。覚えてないし、思い出したくもない。母が「遠くにいるもんだい、同窓会の電話があっても行けんだよ」と口を挟んだ。

「私がいる間に同窓会があったって、私はそんなもの行かないわよっ」とあとで母に言い放ち、「あんたはおかしな子だやあ、せっかく呼んでくれとるだに」と社交的な母はぼやいた。

私は親戚とも積極的に交流しない。先方が実家に尋ねてくれば会うだけ。

日本でアジア人と結婚したいとこが子連れ離婚して日本人と再婚したとか、別のいとこ姉妹はそろって未婚だとか。別のいとこの娘は二人とも医大だとか、また別のいとこの娘たちは髪を染めてタバコを吸うとか。そのいとこの息子はエジプトで働いているとか。母の弟の息子の一人はドイツで研究者をしているとか、母が4年分の情報をくれる(私にはいとこが十数人いる)。私がアメリカに移住した当時とは比べものにならないほど、海外が身近になっていた。

ただし、外国人と結婚して外国に永住するなんて、後先考えないパーは私だけである。


        *


張り切る母に休養させ、かつ長男の見聞を広めるために、姉が長男を奈良と京都に連れて行ってくれた。すべて段取りしてあり、2泊3日の費用は姉が全部払ってくれた。心配する私に、姉は先々から電話をくれた。奈良ホテルとウェスティン都ホテル京都に泊まり、うまいと評判のお店で食事をし、たくさん買い物もしてきた。長男がこういう贅沢を普通だと思ってもらっては困るが、姉の心遣いがありがたい。

4年前と同じお店でメガネを作った。田舎なのに、ここでもサービスとハイテク設備に感動し、レンズの値段が4年前の半額(1万5千円から8千円へ)になったのに驚いた。「デフレのせいですか?」と店員に聞いたら、もっと複雑な背景があるらしかった。アメリカに戻って、ダメ元で保険会社にレシートを送ったら、75ドルだけ払ってくれた。

実家近くの唯一のショッピングセンターが改築されていた。フードコートのような広い場所があり、あちこちに休憩用のソファが並び、老人が目に付く。どのドラッグストアでも、介護用品のコーナーが大きかった。

ウォッシュレットは田舎でもますます普及していた。どのトイレにも使用前に使うらしい消毒液まで設置してあり、日本の抗菌対策はさらに進んでいた。ハンドドライヤーもふつうにあって(ただし、そよそよと優しすぎて永遠に乾きそうにないものもあった)、せっかく持参したハンカチの出番はなかった。

図書館に行き、借りられるだけ借りる。貸出システムもハイテクになっていて、新しくカードを作ってくれた。本をスキャンして、貸出カードを機械に入れると、本の情報が印刷される。返却して、また他の本を借りると、なぜかそのインクは消えて、新たに借りた本の情報が印刷されるというシロモノだった。

もっと驚いたのは実家のネット環境。

もはやダイアルアップではなく、ハイスピード・インターネットで使い放題。これは実家だけでなく、町じゅうがそうらしい。母のパソコンのスペックは、私のより数倍優れていて、それなのにたまにメールとソリテアしかやらないのだ。母は数独や漢字パズルが好きなので、「ネットで探してあげようか」と聞くと、紙と鉛筆がいいと言う。


        *


いつもそうだが、帰国直前の週はあっと言う間に過ぎる。

特に今回は3週間足らずと、これまでで一番短かったのに、最初の週を横浜で過ごしたために、実家にいたのは2週間だった。

長男と百円ショップや文房具屋に行っては、お互い「これ見て。すごーい!かしこーい!」を連発し、スーパーの品揃えがものめずらしく、買い物に時間がかかる。図書館で借りた本や新聞や週刊誌も読まねばならない。

来客があれば、少しはおしゃべりにつきあわねばならない。しかも、母のお客はそろいもそろっておしゃべりなのである。



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 |  わたし  |  コメント(1)

Comment

お姉さん、長男君
京都にいらしてたのですね。
案内して差し上げたかった!
lumama |  2013.07.06(土) 01:53 | URL |  【編集】

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