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新たな頭痛の種

2012.05.11 (金)


ハイスクール2年目の次男の成績が下がった。

学校は4半期ごとに点数を出すのだが、各期の途中で中間報告をしてくれる。そこで「課題が未提出あるいは遅延」「エクストラ・クレジット(任意の課題をすれば、加点してくれる)をやろうとしない」というコメントが書いてあり、夫も私も口をすっぱくして、真剣に取り組むように次男に申し渡した。

長男と私がボストンから戻った日の夜、夫がG氏のプロジェクトの資料作りを次男に手伝わせようとしたらしい。

次男はOKと返事したものの、2時間あまり友だちとチャットをしたりゲームをしたりしていて、まったく手をつけなかった。それを知った夫はカンカンに怒った。私は運転疲れでグッタリしていたので、「なんでこんな日にそんなことやってんのよ」と朦朧とした頭で聞いていた。

夫は次男ができなければそれでもいいと思っていたという。問題は、約束しながら知らん顔して時間を無駄にしたことなのだそうだ。

またか!と思った。

次男は返事はいい。しかし、「やる」あるいは「やった」と言いながら、やっていない。本人は嘘をついている感覚はないのだろうが、あまりにもしょっちゅうだと虚言癖かと疑いたくなる。

「牛乳は冷蔵庫にしまったの?」「うん、しまった」
「エクストラ・クレジットの課題はやってる?」「うん、やってるよ」
「洗濯物はカゴに入れた?」「うん、入れた」

もちろん、やってないのだ。

すぐバレルのに、なぜそんなことを言うのだろう。その場をやり過ごせばいいと思っているのか。5歳児のほうがもう少し頭を使う気がする。


         *


夫が頼んだのはかなり難しいスプレッドシートで、「ちょっとやってみて、無理だと思ったら言ってくれ」と指示したのに、一つもやっておらず、報告もしなかったのだそうだ。

期限が迫っていたこともあり、それまでの次男のいい加減さが目に余るようになっていたこともあり、夫は罰を決めた。

チャットなし、ゲームなし、カードなし、プレイデートなし。授業が終わったら、友だちと遊んでないですぐ帰宅。自分の部屋は常に整理整頓。おやつなし。宿題はダイニングルームで、就寝時間までそこから出ない。物理の授業で行くはずだったSix Flagsへの遠足はキャンセル。

その他長々としたリストを作った。

次男はメソメソしていたが、ゲンキンなもので二日もするといつもどおりになり、私にもニコニコ話しかけたりした。

私は嫌なことがあると、そうとう長い間落ち込むし、根に持つので、次男の立ち直りの早さに非常に驚いた。


          *


しかし、その後もやはり学校の課題を忘れたり、やらなかったり、テストの勉強をしなかったりが続き、3QTRの成績は前期と比べて相当落ちた。

もちろん落第ではないし、B相当の点数はある。微積分のクラスは95点だった。なぜかそのクラスは宿題がほとんどなく、テストさえできればよいらしい。

課題の多い英語や世界史、物理などは、未提出があるとすぐに平均に響く。

「なんでやらないの?」「知らない。忘れてた。」

なんどこのやり取りをしたことか。先生は黒板に毎日の宿題を書いてくれるし、ウェブサイトにも載せてくれる。そうでなくても、授業に出ていれば、なにをすればいいのかわかるはずである。

今は、成績もネットでみられるようになった。各科目のすべての課題につき、期限や点数やパーセンテージがずらりと並ぶ。科目によっては、年度末までの予定がびっしり埋まっている。

忘れたとか、知らないとかいういいわけは成り立たないのである。

夫はもう諦めて、「あのリストは忘れろ。もう勝手にしろ」と言い渡した。


              *

しかし、私はそうはいかない。

あらためて次男にいまの成績が大学願書にそのまま反映されることなどを話した。遠足のキャンセルを決めたとき、学科担当の先生6名にメールで連絡し、次男の学習態度についても相談した。

次男はアドバンスのコースもいくつか取っている。先生方も次男の宿題未提出については十分ご存知であり、テストの点数にくらべて提出物の点数が低すぎる(あるいは零点)のに呆れているようだった。

世界史の先生は、「お母さまのフラストレーションをお察しします。私も次男君のapathyに手こずっているので、お気持ちはよくわかります。次男くんは自分の能力を生かしていません」と返事をくれた。

無気力、無関心。

そうなのだろうか。

確かにやる気があれば、もっと一生懸命やるだろう。忘れただの知らないだの、怠けるようなことはしないだろう。

それにしても、9月からはジュニアなのだから、これから追いつこうにも1年半くらいしかない。シニアの1学期までの成績で決まってしまう。

長男の大学受験のプロセスを逐一見ているはずなのに、なぜこんなことをしているのか。

夫は「そんなことをしていると、ガソリンスタンドで働くしかないぞ」と言い、私も「大学に行きたくないなら、テクニカルスクールで自動車の整備士の資格を取るの?」と半ば本気で問うた。いまどき、大卒でなければ、お話にならないのだ。

次男は大学に行きたいと言う。じゃあ、どうして真剣にやらないのよ?

もしや学校でいじめられていて集中できないのかと思ったが、「ちがう」と即座に否定した。長男に聞いても、それはないと思うとのことだった。

今週、またしてもいくつか課題を全部やらなかったことが判明した。夫はまた厳しいルールを決めようとしたが、私はそれは期待できないので、言わせるだけ言わせておいた。夫はどんなルールを決めても、すぐに自分から甘くなるのだ。


               *


昨夜、次男と夫は台所で話をしていた。あとで次男の部屋をのぞくと、ベッドの上で泣いていた。

「ダディに怒られたの?」と聞くと、「違う」と言う。

「なんで泣いてるの?」と聞くと、こんなことを話してくれた。

いま自分が学校でやっていることに何の意味があるのかわからない。物理の課題を一つやれば、それで終わりで、僕自身にも周囲の誰にも影響がない。生きていくのに役に立つかどうかわからないのに、そんなことやったったなんにもならない。

「あんた、一つやればってそもそも課題をちゃんとやらないじゃない? そういうことはやるべきことをやってから言ってよ」と私。

次男はそのあともごちゃごちゃ言っていたので、「お母さんがむかし勉強したことは、いまも役に立ってるわよ。高校の勉強なんて、まだ基礎の基礎のレベルでしょ。もし研究者になりたいなら、微積分が必要になるじゃない?」と私も説得力がなくなる。

私がお菓子や料理を作るときに必要なのは、分数や足し算掛け算くらいだ。興味のない科目で習ったことはきれいさっぱり忘れているので、たとえば芝生の発芽の仕組みだってわからない。世界史の記憶もまだらである。

そういう私でも、子どもには「いまの勉強が大事。子どもの仕事は学校の勉強をちゃんとやること」などとしたり顔で言わねばならない。

夫は次男と台所でそんな話をしていたのだそうだ。

「あいつの気持ちはよくわかるよ。ぼくもそうだったから」と夫。

「えっ、そうなの? あんな哲学は大学に入ってからやってもらいたいわ。人生の意味なんて、私50歳になってもわからないわよ。とにかく宿題をやるのが一番大事じゃないの?」と女は現実的な生き物である。


            *


ハイスクールのガイダンスカウンセラーに、次男が来年取るコースについて質問し、やる気のなさについて相談した。

「次男君の行動は、この年頃の男の子にはよくあることです」というメールが来た。学校内のソーシャル・ワーカーと話し合ってみるとのことだった。

男の子はもっと単純な生き物じゃなかったの? 

女の子のほうが育ちが早いということは、女の子は中学くらいでもうそういう悩みは卒業するのか。 

かつて女の子だった自分のことを振り返ると、中学・高校と小難しいことをひねくり回し、いろいろ悩んではいたが、私は勉強はちゃんとやった。少なくとも、大学に合格できるくらいには真面目にやった。

次男はもうすぐ16歳にもなるのに、私は学校のサイトを毎日見て、宿題を出したか、テストの点数はどうだったかを確認している。点数がついてから載る科目も多く、後の祭りになるが、ほっておくと4QTRも悲惨なことになってしまう。

センシティブで泣き虫でぼんやりした長男がやっと大学が決まり、やれやれと思ったところで、長男よりは勉強ができる次男がこんなことになって、私は頭が痛い。


               *


どうして母親になんかなったんだろうかと悔やむ。やっぱり私の育て方が間違っていたと自責の念にかられる。どう考えても、私に適性はない。いっさい放棄したくなる。

「それがどうした、生きてりゃオッケー」と自分に言い聞かせても、どんよりしたまま。

健康で元気がよければ、それでいいのです」という実家の母はお気楽だが、厳しい競争社会アメリカで生きていくには、それだけじゃダメなのよと空しくなる。

しかし、私にできることは限られている。次男の好きな食事を作り、テニスの練習と試合へ送り迎えし、洗濯物をたたみ、次男に合いそうな大学を探す。

あとは、次男の覚醒を待つしかない。

それにしても、「哲学」していたせいで課題を出さないというのは、私の中ではありえない。どうしてもただの言い訳にしか思えない。

自分の義務や責任を果たさずに、なにを寝ぼけたことを言っているのだと呆れた。

それなのに、夫は「次男の気持ちはわかる」などと甘やかすのは、どういうわけだろう。次男に哲学専攻の夫と問答でもさせるか、禅道場へ送り込むか。

私には人類の壮大な命題よりもGPAのほうが大事なのである。



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 |  子ども  |  コメント(1)

Comment


次男君、すっごく割り切ったタイプの頭の良い子だと思っていましたが
ナイーブな頭の良い子だったのですね

・・・だんな様、
ルール作るなら自ら守らないと誰も言うこと守らなくなりますよ。

でも、kometto3には、ちゃんと心の中を打ち明けてくれるんですから、大丈夫ですよ。

子供の考えることって私にもさっぱりわかんないです。



それから、こういうのがありましたので・・・
年齢が違うので参考になるかは不明ですが良ければ。


~うちの子供もそうでした。
明らかにやってないのに「やった」と言うんですね。
私もそうだったかも、、、、。
子供にとって「やった」というのは
「うそ」の中でも 許してもらえる 低いレベルのものなのかも。

うちでは小学4年から1年半、毎日「やった?」と質問して実際に 確認しました。
できていないときは
「またやってないし、、、まあ、遊んでたんだからできないよね。
そんなうそ言わなくていいのに。やってなあいって 言えばいいよ、
あたしも子供のときは宿題より遊びのほうが好きだったからわかるもん。じゃあ 宿題やろう」
と声をかけました。
小学6年ぐらいからちゃんと自分でできるようになりましたよ。
宿題やらずに うっかり寝てしまっても あわてて起きて
必ず最後までやって学校に行けるようになったので 驚いています。
「やってない」のに「やった」はいわなくなりました。
今でも「宿題やりなよ」か「やった?」のこえかけはしています。

感想として しかられまいとして
子供はうそをつくのかもしれないですね。やらなかった、できなかったことも
事実として伝えられるような雰囲気を親が作れば子供は自然と正直に話すのではと感じています。
(親に怒られたことが一度も無い私の友人は うそをついたことが無いそうです。
親がとても厳しかった友人は 今でも親にうそをつくそうです。二人とも21歳のお嬢さんですが)



luma |  2012.05.14(月) 22:41 | URL |  【編集】

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