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「シェリ」

2012.03.04 (日)


私は小さいときからお話が好きだった。特に、女の子が主人公の「赤毛のアン」シリーズや「若草物語」「ジェーン・エア」の類は片っ端から読んだ。

一番好きだったのは、「あしながおじさん」。

少女マンガにも夢中だった私にとって、あの筋書きはまさに少女マンガの王道を行くものだった。冷めたおばさんとなった今は、ジュディに奨学金を出してやった大富豪の男は何歳だったのか、総資産はいくらで何に投資したのかなんてことが気になる。

中学・高校時代はロシア文学やフランス文学を手当たり次第に読んだが、今思うと、ただ活字を追っていただけである。

なぜか日本文学はあまり読まなかった。外国に憧れていたせいだろう。

大学時代に読み直した作品もあるが、そのときでさえ、たとえば「赤と黒」や「アンナ・カレーニナ」を理解できたとは思わない。小娘に人生の何がわかる。

社会人になると、文学を落ち着いて読む時間も体力もなくなった。

薄い文庫本だからと選んだのが、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」。

日本語の題名があざとくてずっと避けていたのを、どういう気の回しか買ってみた。なるほど、こういう話を書かせたらやっぱりフランス女性だと思った。おもしろくもないのにもてはやされたサガンを読んで以来、フランスものはもう結構と思っていたが、さすがに古典は違う。


           *


去年の夏、カリフォルニアに行ったとき、古本屋の棚にコレットの「シェリ」を見つけた。

コレットといえば「青い麦」だが、私は読んだことがない。「シェリ」は題名すら知らなかった。

表紙には「五十歳を迎えようとする元高級娼婦と、シェリ(いとしい人)と呼ばれる親子ほども年の違う若者との息づまるような恋」と書いてあった。フランスのお話には、やたら若い男と年上の女の組み合わせが出てくるが、五十歳とは思い切ったことをする。

さらに「ジッドが『一か所として軟弱なところ、冗漫な文章、陳腐な表現もない』と賛嘆した」、コレットの「最高傑作」。

これは聞き捨てならない。設定といい、作品の質といい、ぜひとも読まなくてはと思い、その場で買った。


         *


読んだのは秋も終わりになってからだった。

1回読んで、すぐまた最初から読み直した。原書で読んだらさぞかしと思ったが、私はフランス語がわからない。

冒頭、シェリのせりふがいやに粗野で、翻訳が気に入らなかった。でも、彼の生い立ちからしてそうあるべきだとわかった。高級娼婦だった母親に甘やかし放題で育てられ、まともな教育を受けていない放蕩息子である。しかし、美貌と若さと意地悪なのに甘えん坊の性格で、母親の友人であるレアを虜にする。

彼を子どもの頃から知っているレアも元高級娼婦。公称49歳。

2人が恋愛・肉体関係になったのは、シェリが19歳のとき。年齢差24歳という設定で、関係は6年間続いた。

もともとは1920年にフランスの大衆紙に連載された小説である。今ならともかく、当時で50歳の女性というのはほとんど老女ではなかっただろうか。

もちろんレアは魅力にあふれ、手練手管に長けていて、健康でおしゃれでスタイルもいい。シェリは自分からキスを迫っておきながら、あっさり参ってしまう。

しかも、彼女は高級住宅街に居を構え、召使を何人も抱えた贅沢な生活をするに十分な資産を蓄えた。だからこそ、シェリはジゴロみたいな生活ができたのである。こういう関係を続けるには、経済力がものをいう。

もっとも、彼も母親から財産を分けてもらっていて、学もないのになぜかお金の管理だけはできる。

貧乏ったらしい話は出てこない。

結婚だけでなく、恋愛においてもお金は大事である。


            *


当初、シェリの母親は、自分にはお手上げだった息子をレアになんとかしてもらおうと、わざと2人きりにしてけしかけたふしがある。レアもほんの短期間のお遊びのつもりだったのが、ずるずると関係を断ち切れない。

しかし、シェリが24歳になったとき、彼の母親は彼を知り合いの若い娘エドメと結婚させてしまう。

      【注:結末を知りたくない人は、ここから先を読まないように

レアは自分がどれだけシェリを愛していたかを自覚して苦しみながらも、身を引くことを決心する。そして、誰にも行き先を告げず、パリを離れる。

レアがいなくなって動揺したシェリは、18歳の新妻をほったらかしにして、友人の泊まっているホテルに転がり込み、放蕩生活を続ける。3ヶ月経って、やっと家に戻ったとき、そんな夫を愛するエドメはおとなしく待っていたのである。

そうこうするうちに、レアがパリに戻る。

でも、シェリには会いにいかない。本当は会いたいのだが、シェリの母親から息子夫婦がうまくやっていると聞いて、今度こそあきらめようとする。

ある夜更けに呼び鈴がなり、召使を押し切って、シェリがレアの寝室のドアを開けて入ってきた。その直前にレアは「白粉をはたきに走った」が、半年ぶりに会うのに、いつものめかした自分に仕立てる時間はなかった。

嫌味の応酬や抱擁や愛の告白のあと、ベッドを共にする。翌朝、レアはシェリが自分のところに戻ってきたと有頂天になり、2人でパリを離れようと時刻表を調べ始める。

しかし、シェリは1人で喋りまくるレアを黙ってぼんやりとみているだけ。

一言も意見を言わないシェリに、「あんたはいつまでたっても12歳みたいよ!」とレア。

われに返ったシェリは、「あんたと一緒にいれば半世紀でも12歳のままかもしれないよ」とぽろっと本音を口にしてしまう(なぜそこで年齢を話題にするのだ?)。

沈黙と弁解。同情と皮肉。

それでもまだレアはシェリへの執着を捨てきれない。

言い争いのなかで、シェリはレアがいなかった半年間、自分がどれだけ彼女に恋焦がれて捜し求めたかを切々と語り始める。それは本心だったのだろうが、終わってみれば幻想にすぎない。

「そんな生活が何ヶ月もあってさ、それでぼくはここへきたんだ、そしたら…」と言いかけて、押し黙ったのをレアは引き取る。

「それであんたはここにやってきて、ひとりの婆さんを見いだしたってわけよね。」

レアは真実をオブラートに包んだりしない。現実を突きつけられて、シェリが絶対に口にできないことをさらりと言ってしまう潔さ。

エドメがどれだけレアに及ばないかとけなしながらも、シェリは若妻になじんでいたのだ(「あんたは味をおぼえたのよね、若さの味を!」)。前夜の情事は嫉妬心にかられて、もう一度レアを征服し、快楽を得たいがためにやっただけで、よりを戻すことはできないと気づく。

一夜明けてみたら、あれだけ恋焦がれた愛人は1人の老女でしかなかった。

寝たふりをしていたシェリの目に入ったのは、「まだ白粉もつけず、うなじに貧相な巻き毛の房を垂らしたまま、二重顎と衰えた首筋をあらわにした」レア。

何より残酷なのは、シェリがレアに希望を持たせてしまったことである。

それでも、自分がどう振舞うべきかを悟ったレアは、シェリをかいがいしく身づくろいしてやり、家に帰らせる。2階の窓から見送っていたレアは、シェリが中庭で立ち止まるのを見て、「もどってくる!もどってくるんだわ!」と腕を振り上げて叫ぶ。まだ最後の望みを捨てきれない哀れさ。

しかし、「ひとりの老女が息をはずませながら、彼女と同じ身振りをして」いるのを鏡の中に見出し、「この気違い女とあたしはなんか関係があるのかしら」と思う。

コレットは容赦ない。


             *


コレットは、再婚相手の息子との仲が噂になり、離婚した。奔放な恋愛遍歴で有名な人なので、この作品にも自伝的要素があるらしい。

それにしては、冷静な筆致で、孤独な女性の老いを非情な目で追う。

いくらお金を貯めても、しょせんは裏世界の女たちである。

元娼婦仲間で集まっては、時間をつぶす。70歳近いのに未成年のジゴロをひきつれた老婆がいる。シェリの母親は「樽みたいに」太って、下品な甲高い声でわめく。まだ若くて魅力的なつもりのレアも、遠からずその中の1人になるのだろうかと不安を抱えている。

レアとシェリの母親のあいだには、「友達の顔に最初の皺と白髪があらわれるのをじりじりと待ちこがれるライヴァルどうしの苛立った友情」があった。表面上は親身にしていても、お互いに気を許さず、残酷な意図を探り合う。それでも、娼婦だった彼女たちには、この狭い世界で生きていくしかない。

解説によると、「シェリ」には「シェリの最後」という続編がある。

読みたいのだが、「レアは見る影もなく肥満して風情のない老婆になってしまっている」というキビシイ設定に、さすがコレットと恐れ入った。

本書でとても魅力的なレアを想像した私には、まだ続編を読む勇気がない。


          *


この小説は2009年に映画化された。

レアを演じるのは51歳のミシェル・ファイファー。本のイメージでは、もっとたくましい腕をした豊満な女性なのだが、あれくらい華奢でなければ映画になるまい。

シェリの母親はキャシー・ベイツ。これは想像とぴったり。脚本のせいでカリカチュアみたいなキャラクターになっているという批評があったが、本から受ける印象がまさにそうなのだ。

肝心のシェリは、ルパート・フレンドというイギリスの俳優。私は聞いたこともない。ちょっとナヨッとしていて、ジゴロの設定にはいいのだろうが、町を歩くと女が振り向くほどの美貌ではない。怠惰で意地悪な雰囲気もいまひとつで、もっと他に適役がいたのではないかと思う。

同じ監督による「危険な関係」とちがって、「シェリ」はヒットしなかった。ファイファーとフレンドの間にケミストリーがなかったらしく、それは致命的である。

私は映画の宣伝を見た記憶すらない。

しかし、予告編のビデオを見ると、ベル・エポックのコスチュームやセットは素晴らしい。ミシェル・ファイファーの衰えつつある美貌を拝むだけでも見る価値はあるかもしれない。



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 |  本と映画  |  コメント(2)

Comment

Komette3のエントリーと花豆さんのコメントをとても興味深く読ませていただきました。50代後半に入りました。まだ入学することなく人生を終えそうな私です。この本を読んだこともなく、映画もみたことがありません....。チャンスがあれば観てみたいとおもいますが、はたして直面する勇気があるか....です。
Yumi |  2012.03.04(日) 21:08 | URL |  【編集】

ブログ楽しみに読ませていただいてます。初コメントです。コレットの「シェリ」大好きです。「青い麦」も「シェリ」も大学時代に初めて読んで(いま30代です)、なんて意地悪な作家!と衝撃を受けました(笑)
同じ時期にサガンもたくさん読んだけど、記憶に残っているのはコレットのほうです。シェリが若い妻に「ぼくの目、ひらめみたいな形だろう」とか言って困らせる場面が好きです。「シェリの最後」は、あまりおすすめしません。映画化されていたとは知りませんでした。見てみたいな。
Neko |  2012.03.05(月) 14:27 | URL |  【編集】

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