ERでMRI その2「忍耐」
2012.01.28 (土)
(前回その1の続き)
思ったより早く中へ呼ばれた。しかもテレビ付きの個室である。
ERといえば、ドアの代わりにカーテンがかかっている大部屋が主体だが、この病院は近年増改築を続けたせいか、救急病棟も立派になった。もちろん、カーテン仕切りのベッドにいる人もいて、症状によって使い分けているらしい。
長男は普通に歩き、しゃべり、痛みレベル6の割にはなぜERにいるのかわからないくらいだった。
うちの子供たちはちょっとした切り傷や鼻血で大騒ぎなので、長男も普通ならレベル3程度の痛みを6と答えたのではないかという気がしてきた。なんにしても、個室はありがたい。
若い看護婦がやってきて、IVをセットした。
私は15年以上前にMRIをやったが、IVをしたのか思い出せない。記憶力の衰えが著しい昨今、そのころブログをしていなかったのが悔やまれる。
「あの~、ほんとにIVが必要なんですか。この子はMRIをしてもらうだけなんですけど」と疑いの目を向ける私。
「ダイ(造影剤)を入れるのに必要なんですよ。それに脱水症状にならないように」と、うるさい客には慣れてますといった風情の明るいナース。そして、熱を計ったり、脈拍を取ったりと、一連の基礎検査が続いた。
しばらくすると、Nurse Practitioner (一定レベルの診断や治療を行う資格のある上級の看護職)がやってきて、問診をし、血液採取用のチューブを6本もバラバラッとシーツの上に置いた。
「こんなに血液サンプルが必要なんですか」と私はいちいち尋ねる。
「全部はいらないかもしれませんけど、またあとでやり直すと時間がかかりますから、いっぺんにやります。」
つまり何本かは無駄になるかもしれないということか。こういうところで医療費が増えるんだろう。
*
ときおりナースが様子を見に来たものの、それから2時間あまり、私と長男はERの個室でひたすら待った。長男はIVにつながれて寝たまま、私は椅子に座って本を読む。
ふだんテレビを見ないので、これといって見たいものはない。いい映画でもやっていないかとチャンネルを替えると、Food Networkが映り、Iron Chefから派生したらしいコンテストをしていた。
出演者は一応プロだが素人くさい。奇妙な組み合わせの材料が提示され、ゲテモノ趣味としか思えない。1回ごとに落伍者が出て、次のラウンドへ進む。採点するほうも、へたな芝居をしているようで、オリジナルの「料理の鉄人」とは天と地ほどの差がある。どの料理にも食指が動かない。なぜアメリカに輸入されると、えげつない番組になってしまうのか。
しかし、本は読んでしまったし、他の局はもっとくだらないものしかやっていないので、結局Food Networkで妥協した。
いつまでたっても、この奇妙な料理コンテストは終わらない。アメリカのテレビでよくある「○○マラソン」という、同じ番組のシリーズを半日でも1日でも再放送し続ける形式だった。
おかげで、脳みそが麻痺するほどヘンテコな料理を見る羽目になった。
*
ERに着いてから何時間経ったか。
ようやくMRIの係がやってきて、説明を始めた。長男はIVにつながれたまま、ベッドごと通路に押し出され、エレベーターに乗り、放射線科に向かった。
MRIってこんなに大きかったっけ。私の記憶とは違うが、15年も経てば医学も進歩する。これはOpen MRIと呼ばれるもので、大きな部屋の天井にまで届きそうな巨大な医療機器だった。
高いだろうなあと思った。いくら請求が来るのか、考えるのも空恐ろしい。
私は通路に出て、技師が機械を操作するガラス張りのところからのぞいた。パソコンの画面が見えるが、素人にはさっぱりわからない。長男は体の向きを変えさせられて、いくつものイメージを撮った。
通路の反対側にはNuclear Medicine(核医学 )という看板の部屋があり、息も絶え絶えの老人と苦痛を訴える中年の女性がベッドに乗せられたまま、入っていった。すでに夜の10時を回っている。
医者も看護婦も技師も、ほんとうに大変な仕事だ。たまたま長男が怪我をしてERに来たから目にしただけであって、この病院では毎晩こんなふうに病人の世話をしているのだ。
MRIはわりと早く終わった。別のナースが来て、長男のベッドをゴロゴロ押しながら、個室に戻った。
「MRIの結果は、ドクターがご説明します。ここでお待ちください。」
再びテレビをつけ、ひたすら待つ。ERは忍耐である。
その間にも廊下では新しい患者が到着する気配がした。私は退屈紛れに個室を出て、あたりを歩いた。
もし脾臓がやられていたらどうしよう。空手の先生は、生徒の体をもっとしっかり把握できないのだろうか。空手教室に参加するときに、「怪我の可能性は承知している。空手教室を訴えない」という契約書に署名した気がするので、訴訟はできないだろう。
MRIの結果によっては、もう空手は辞めさせようと思った。
*
看護婦が来てIVを外してくれた。
当直の医者が来たのは、11時。
かなり高齢の先生で、話が回りくどく、結局どこがどう悪いのかさっぱりわからない(あとで長男もよくわからないと言っていたので、私の英語能力の問題ではない)。
「うーん、なんと言えばいいかなあ。お腹には、まあ太い血管と細い血管がある、と。MRIで見ると、どうもその細い血管にbruise(打撲、あざ)が見えるんですな。空手ですね。パンチをくらったときに、細い血管が傷ついたということでしょう。でも、切れてるんじゃなくて、ほら、手足もぶつけると内出血して青くなるでしょう。まあー、それと同じようなもんですわ。」
どれくらい深刻なのか、これでは皆目わからない。
「血管にあざがあるだけですか。脾臓じゃないんですか。小児科でそう言われて、てっきり脾臓がやられたと思ってたんですけど」と私。
「脾臓じゃありませんな。臓器の周りの細い血管です。太い動脈だったら大事ですが。治療が必要な状況ではなさそうなので、まあしばらくは空手を休んで、あまりおなかに力を入れないように。」
「いつ治るんですか。」
「普通のbruiseとおなじですよ。ま、2週間といったところですかなあ」とのんびりした答えがくる。「念のために、専門家にMRIの結果を見てもらったほうがいいでしょう。vascular surgeon(血管外科医)です。」
ER+MRI+血管外科のスペシャリスト。 頭の中で、クレジットカードの残高が一挙に膨らむ。
*
実際の会話はこんなにスムーズではなかった。
私は話下手なお医者から答えを引きずり出すべく、あれこれと質問した。これまでERのお医者さんはテキパキして、さすがに忙しいERだと感心したが、こんな手間取るお医者で大丈夫だろうかと心配になった(医療者としての能力はあるのだろうが、いかんせん説明が不明瞭すぎる)。
やれやれ、やっと解放されると思いきや、「血液検査の1つがまだ結果が出てませんから、待ってください」とナース。
「いや、ただのbruiseだそうですから、血液検査は要りません」と言いたかったが、いったん発注した検査が終わるまで、退院させてはいけないのだろう。
再び、長男と待つ。もう服も着替えて、帰宅準備万端。
ナースが来たのは、それからさらに30分後。
私は書類のあちこちにサインし、コピーをもらい(血管外科医の名前と電話番号が書いてあった)、ナースにお礼を言って、ER病棟を出た。
患者はまだ何人もいた。お医者と看護婦の夜勤はいつ終わるのだろうか。付き添っただけで疲労困憊して、すぐにベッドにもぐりこみたい私にはとうてい勤まらない。
家に着いたのは、真夜中の12時である。
(次回その3に続く)
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