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救世軍の赤い鍋

2010.11.25 (木)



1週間くらい前からスーパーの入り口に Salvation Army の人が毎日立つようになった。年末恒例の赤い社会鍋である。

赤いエプロンをした人が1人、三脚みたいなものにぶら下がった赤い鍋の横で、ベルをちりんちりんと鳴らし続ける。昨日よく見たら、鍋には蓋があって、鍵も付いていた。

昔はたぶん鍵どころか蓋もなかったんじゃないだろうか。世の中がせちがらくなるにつれて、お鍋の中にお金が見えたら盗む人がいてもおかしくない。

うちは田舎で犯罪らしき犯罪もなく(ローカル新聞の警察レポートは飲酒運転か万引き、ドラッグ所持がほとんど。たまに殺傷事件があると、もちきりになる)、治安は非常にいいのだが、現金をそのへんに出しっぱなしにするのはさすがにまずい。

アメリカは日本よりも寄付行為が一般的だと思う。

小さいときから親が教会や慈善団体やなんとかソサエティに寄付するのを目の当たりにしているからだろう。私の親はせいぜい町のお祭りに寄付したくらいだった(それもたぶん半強制的な徴収)。

しかも、私は小さいときから非常にケチだった。人に何かをあげるのがいやで、人から物をもらうのも苦手である。

修学旅行でもお土産を買わないタイプ。いろいろ買い込む友だちを見て、「あんな子供だましみたいなものにお金を使って、もったいない。お菓子は上げ底だし、土地の名前がついた飾り物なんてダサい。」と思った。

そういう性格は大人になっても変わらない。

義父母と何度かニューヨークの博物館などに付き合ったが、義母は必ずギフトショップに寄り、必ず何かを買う。私は見るだけでいい。義母が「これ、素敵ね!」と興奮して私に持ってくると、「そうですね。素敵ですね。」(棒読み)とお愛想で返事はするが、きっと全身から不買運動という雰囲気がにじみ出ていたはずだ。


         *


こういう私だが、アメリカに来て、地元のDV被害者救済や癌研究の団体へ小切手を送ったことがある。

何か思うところがあってやったのだが、それから2年ほど寄付のお願いが延々と届いて辟易してやめてしまった。

うちの兄妹猫をくれたアニマル・シェルターに猫の缶詰を届けたこともあった。

そのうちなぜか高級ブランド指定になってやめた。シェルターの猫がうちの猫よりいい缶詰を食べているのだ。そのほうが病気になりにくくて、結局安上がりなのだろうか。あるいは、そういう缶詰をもらってから、元野良猫がグルメになって他のメーカー品は拒否しているのだろうか。

それ以外は、ガールスカウトのクッキーやボーイスカウトのクリスマス・リース、高校生がスポーツクラブの資金集めに売っている近隣のお店の割引券セット(結局1度も使わない)、次男のシンフォニー・バンドの旅行資金集め企画である果物詰め合わせ(これはカタログ会社と提携していた。ああいうのは、マージンが大きそうだし、商品も高額。そのわりに品質はたいしたことがない)。

ご近所または学校付き合いの範囲である。

長男がキンダーガーテンに入ったときは、何も知らなかったので、PTA主催のクリスマス・ラッピング販売で律儀にいくつも注文した。しかし、2年も買うと、あと数年分は残る。しかも、近くのお店ではもっと安いのを売っている。近所のお母さんたちの話で全員が買うのではないと知ってからは止めた。

ラッピング以外に、ナッツやチョコレート、チーズやハムの詰め合わせ、半調理品、クリスマス・オーナメントなど、子どもたちはいろんなカタログを持ち帰ったが、何も買わなかった。

エレメンタリースクールでは、子どもたちが授業時間内に買い物をする Holiday Table という催しがあった。

アメリカの1ドルショップで売っているような、すぐ壊れるチャチなものをジムに並べ、子どもたちはあらかじめ配布された用紙に何をいくつと書いて持っていく。PTAのお母さんたちがそれを見て、現金と引き換えに渡してくれる。

用紙には、「お父さん、お母さん、兄弟姉妹だけじゃなくて、他の大切な人たちも忘れないでね。おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、いとこ。ゴッドマザー、ゴッドファーザー(名付け親)。ご近所の人たち、ファミリー・フレンド、学校の先生、習い事の先生、スポーツのコーチ。あなたのかわいいペットにもあげましょう!」と、ありとあらゆる受取人が想定してあった。

なんでそんなにプレゼントを買わなくちゃいけないのよ、とあほらしくなったが、狡賢くも授業中に行われる。子どもたちは当然楽しみにする。これも付き合いだと思って、5ドルの予算をあげた。

ああもったいない。ごみを増やしただけである。

あんな買い物ごっこをさせるより、その分のお金をそっくり集金したほうがまだしも使い出がある。しかし、そういうお達しが来て「はい、そうですか。」とすんなり現金を持たせる私ではない。


           *


こういう人間は、社会鍋を素通りする。

本物の救世軍だとわかっていても、現金をあの赤い鍋の中に入れる気はしない。私がお金の寄付をするときは、ちゃんとレシートがもらえて、税金控除できる場合だけである。

救世軍の人に強制されたり、嫌味を言われたりしたことはないが、なるべくそちらを見ないように、視線を合わせないようにする。

ターゲットだったか、商売の邪魔だからと救世軍お断りのポリシーを打ち出していたところがあった。かなり非難を浴びたが、私も寄付集めの人は入り口にいないほうがいい。

どこでもお店に入る人は、かならず財布を持っている。お買い物の帰りに、ぜひ恵まれない人たちへというわけだ。ホリデーシーズンにはふだんよりお客が多いし、クリスマスを前にして寛容な気持ちになる人も多い(らしい。私は年中安定した自分勝手なケチなので、季節によって変動する人のことはわからない)。

しかし、寄付の現場はめったに見ない。素通り派はあんがい多いと思われる。

これからクリスマスが近づくと、"Happy holidays!" などと声をかけられたりする。あれは困る。無視するのも悪いが、返事をしたらしたで、素通りしにくくなる。

しかも、自分のカートには食料品が山と積んであるのだ。それが買えるお金を持っているのだから、財布にだっていくらか余裕があるはずで、25セント硬貨1つ入れないのは、なんとも利己的ではないか。

素通りする人を観察すると、たいていうつむき加減で足早に立ち去る。あるいは、カートを押すのに集中していますという顔をする。なんとなく後ろめたい感じが漂う。


             *


今年は、去年よりはいくらか買い物客の財布の紐がゆるくなっているらしい。

私にはまったく縁のない Black Friday の話がニュースに出る。この寒いのに、日の出前から並んで開店を待ち、ドアが開くといっせいにお店になだれ込む。店員が踏み潰されて死んだ年もあった。

駐車スペースを求めてぐるぐる運転するのがきらいで、出かけるのと人ごみと列に並ぶのがきらいで、買いたいものもない私は、感謝祭の翌日もいつもと同じ。どこにも行かず、せいぜいネットショッピングで子どものズボンを買うくらい。

そして、売り上げに貢献し、アメリカ経済を牽引してくれそうな浪費者たちをニュースでありがたく眺める。私の分までたくさん買い物してください。


<今日の英語>

I'm not sure I entirely follow you.
おっしゃることがよくわからないんですが。


ラジオのインタビューで、学者が難しい説明をしたのを受けて、聞き役のアナウンサーが一言。ぜんぜんわからないわけではないが、どうも理解できない。



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