日本にいるんだなあと思うこと
2009.08.02 (日)
久しぶりに日本にいると、自分の国なのにいろいろなことに気付く。
道行く人が目を合わせない。うつむき加減というか、目をそらすというか、知らん顔をする。それでいて、タンクトップとショートパンツのわたしをちらっと観察しているように見える。
アメリカで全然知らない人とでも、たとえばスーパーの通路でかち合ったりすると、にこっとして、ごめんなさいねなどと言うのが普通である。
日本のスーパーでぶつかりそうになって、「すみません。」と謝ったが、相手はちょっと頭を下げ、無言でカートを動かした。もちろん私の顔を見ない。すみませんなどと言ってはいけなかったか。以心伝心で黙ってお互いに通りやすいようにカートを動かせばよかったのか。
アメリカで商品を手に取っていると、赤の他人から「それ、おいしいの?」などと聞かれることがあるが、ここではなさそうだ。
どちらがいいかではなく、違うのである。
このへんは田舎でグルメでもなんでもないが、3年ぶりのスーパーなので、商品のきれいさ(野菜がピカピカに洗ってある)や陳列の賢さ(わかりやすいし取りやすい)、お店全体の整理整頓のよさなどに感激する。それに、小柄な私でも一番上の棚に手が届くありがたさ。手ごろな大きさのカート。
店員に日焼け止めクリームがどこか尋ねたら、わざわざ売り場まで先導してくれた。アメリカで同じことをして、「それは、7番の通路。」で片付けられたり、せいぜい「7番通路の奥のほう。右の下のへんを見て。」と遠くを指し示されたりするのに慣れているので、店員のきめ細やかな対応、親切さが新鮮に映る。
そして、店員がてきぱき働いている。無駄口はたたかない。アメリカでもそういう店員はいるが、日本では全員がそうなのだ。隣のレジの人と、大きな声でおしゃべりする人なんかいない。棚に並べる人も魚売り場でも、非常に能率的で仕事が速い。しかも丁寧。
このスーパーをNYにそっくり移植したくなる。
でも、レジの人のあいさつが機械的なのに違和感を覚える。つい「こんにちは。」と言ってしまったが、返事はない。すごいスピードで処理していく。笑顔はないし、目が合わない。
アメリカでも無愛想なレジ係はいるが、ちょっとした会話をすることも多いので、それがまったくないのはなんだか寂しい。
* * *
アメリカではめったにTVを見ない私だが、日本ではわりと見る。
昔から出ている芸能人がすごく歳を取っている。若い人たちは区別がつかない。とくに女の子はそっくりな髪型や化粧、服装に見える。
TV画面の下に、出演者のせりふがかなり大きい文字で表示される。あれはいったいなんだろうか。
最初は耳の聞こえない人へのサービス(アメリカでいうClosed Captionsと呼ばれる字幕)かと思ったが、全部のせりふがそうなっているのではない。NHKでも民放でもやっている。画面が見にくくて邪魔である。だいたい、字幕にしてもらわなくても聞いていればわかる。放送局の意図がつかめない。
ニュース番組がたとえば正確に7時ピッタリに始まる。すごい。時計代わりになる。アメリカでは必ずしもそうではない。
そして、アナウンサーやキャスターが何度も何度もお辞儀する。出演者が声をそろえて、「えー!」などと反応する。奇抜な衣装も珍しい。
NHKはとってもまじめで、民放はすごくふざけている感じ。優等生か馬鹿騒ぎグループに二極化している感じ。
TVに出るいろんな人(キャスターやホスト、ゲスト、インタビューされる人など)が、なぜかうなずきながらしゃべる。自分に相槌を打ちながら話す感じ。聞いているほうもなんだかうなずくので、画面を見ているとクラクラする。
若田さんのヒューストンでの記者会見を見た。日本語で話したときは、彼もやはりうなずいていた。英語のときはそうではなかったと思う。
私も日本語を話すときは、自分の言うことにうなずきながら話しているのだろうか。なんだか気になる。
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私も同じように思っています。
違和感というのではなく、ただ、表現が違うだけなんですよね。アメリカで人と目が合ったとき、にこっとしたりするのは、大げさに言うと、相手に対し危害を加えない存在だということを示すためだと聞いたことがあります。逆に、日本では目が合ったとき何かリアクションすると、相手に対し興味を持っていると思われてしまうから、あえて視線をそらすのだとか。
アメリカでは、ドアから入るとき出るとき、後続の人がいたら開けておきますよね。日本人の多くは、自分だけ入ったら次の人にドアをリレーしたりしないし、開けておいてくれた人にお礼を言うことも少ないですし、また、開けておいたドアに触れもせずすりぬける人もいます。これはよくないですね。
違和感というのではなく、ただ、表現が違うだけなんですよね。アメリカで人と目が合ったとき、にこっとしたりするのは、大げさに言うと、相手に対し危害を加えない存在だということを示すためだと聞いたことがあります。逆に、日本では目が合ったとき何かリアクションすると、相手に対し興味を持っていると思われてしまうから、あえて視線をそらすのだとか。
アメリカでは、ドアから入るとき出るとき、後続の人がいたら開けておきますよね。日本人の多くは、自分だけ入ったら次の人にドアをリレーしたりしないし、開けておいてくれた人にお礼を言うことも少ないですし、また、開けておいたドアに触れもせずすりぬける人もいます。これはよくないですね。
私も海外生活が長くて、
数年に一度の短期帰国(訪日?)では
kommata3と全く同じ感想を抱きますよ!
あまりに同じだったので、
初コメさせていただきました。
それと日本語の乱れ(携帯言葉?)も気になりますよね?
また、おじゃまします。
数年に一度の短期帰国(訪日?)では
kommata3と全く同じ感想を抱きますよ!
あまりに同じだったので、
初コメさせていただきました。
それと日本語の乱れ(携帯言葉?)も気になりますよね?
また、おじゃまします。
太吉 |
2009.08.03(月) 20:50 | URL |
【編集】
はじめてお邪魔します。
私は大学卒業前に就活で初めて大阪から東京を訪れ(20年以上前の話)、道で誰とも目が合わないのにビックリしました。
大阪は、目が合うだけでなく、道を歩いていると知らないオバサン、オジサンがしゃべりかけてきます。扇子を振りながらオバサンが「ホンマ、暑いね~」とか。バス停なんかでバスを待っていると一緒に待っている人が「遅いな~」「今、何時?」なんて話しかけてくることなど珍しくもなく、バス停を通りすがりのオバアサンが「もう、これホンマかなわんな」とか言って話しかけてきます。「アンタ、誰~?何の話?」と思いながらもおつきあいしますが。
大阪のオッチャン、オバチャンはアメリカの空港(LAXとか)でも大阪弁で話しかけてきますよ~。
東京の知人らには「名古屋以西は日本じゃない!」とか言われますが、(関東人に暑苦しい・あつかましいと思われている)大阪人の私にとっては関東の方々とは、今でも異文化間コミュニケーションです。(多分、文化的に大阪人は中国人の方が近い。)
私は大学卒業前に就活で初めて大阪から東京を訪れ(20年以上前の話)、道で誰とも目が合わないのにビックリしました。
大阪は、目が合うだけでなく、道を歩いていると知らないオバサン、オジサンがしゃべりかけてきます。扇子を振りながらオバサンが「ホンマ、暑いね~」とか。バス停なんかでバスを待っていると一緒に待っている人が「遅いな~」「今、何時?」なんて話しかけてくることなど珍しくもなく、バス停を通りすがりのオバアサンが「もう、これホンマかなわんな」とか言って話しかけてきます。「アンタ、誰~?何の話?」と思いながらもおつきあいしますが。
大阪のオッチャン、オバチャンはアメリカの空港(LAXとか)でも大阪弁で話しかけてきますよ~。
東京の知人らには「名古屋以西は日本じゃない!」とか言われますが、(関東人に暑苦しい・あつかましいと思われている)大阪人の私にとっては関東の方々とは、今でも異文化間コミュニケーションです。(多分、文化的に大阪人は中国人の方が近い。)
ワタクシ、これでも?香港生活が長くて、常々香港人(広東人)って関西人とDNAを共有してるんちゃう?って思ったましたよ!
太吉 |
2009.08.31(月) 22:37 | URL |
【編集】
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(カッコつけだから)
飛行機に乗った瞬間から
外人モードに変われる。
なんでだろ?
義父さん大変そうだけど、
日本滞在を楽しんで下さい♪