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女3人のチーム

2013.11.04 (月)


10月は必死で仕事をした。

義父が滞在中も忙しかったが、その後は仕事量が増えて、レポートすべてに提出期限が設けられたこともあり、勤務時間を記録するのを忘れるほどとにかく働いた。

先週の金曜日、一番大きくて後回しにされていたレポート(私はエレファントというあだ名を付けた)が完成した。疲れが出て、昨日は寝たり起きたりしていた。

早朝、目が覚めた。ラジオをつけて、今日から冬時間に戻ったことを知った。アメリカ生活で切り替えに気が回らなかったのはこれが初めてである。それほど仕事に集中していたのだろう。

共同作業だったエレファント以外は、すべて個人でデータをまとめてレポートも一人で書いた。

相変わらず、QAは女3人だけ。新しいプロジェクトなので、上司のH氏も私たちも手探り状態が続いた。

1か月目の9月とは違って、ちょっとしたトラブルも起きた。私がエクセルのデータに手を加えたことを2人に事後報告したのが発端だった。先に確認しなかったのと私の説明が下手なせいで、誤解を招いてしまった。

その後、クリスとジャンは明らかに私を警戒し始めた。

私がなにかトラブルを起こすのではないか、データをめちゃくちゃにするのではないかと疑ったらしい。週明けに受信箱を開くと、「私たちはxとyを担当するから、あなたはzをやって。一番データのサイズが小さいから」と日曜日のうちにクリスからメールが入っていた。

私はうまくやりたかったし、誤解は私にも責任はあると思い、彼らの言う通りにした。

若いころだったら、仲間外れにされたとか、さっそく失敗してしまったとか、思い悩んだところだ。年を取るのはありがたい。ちょっとカチンときたが、自分の目標はこの仕事をきっちりやることだと考えて、彼女たちのやり方の是非は問わないことにしたのである。


             *


その時点では、まだそれぞれ個人レポート1つしかできていなかった。急ぎの依頼があったので、エレファントは中断し、3人が個人レポートに取り掛かるという寸法だった。

私はまだ自分が何をしているのか確信が持てなかったが、H氏がくれたメールや説明文書を何度も読んでは考えた。

最初はワードで作っていたレポートも、H氏の指示でパワーポイント(PPT)に変わった。

そういえば面接前にもらった仕事内容のメモにも、PPTと書いてあったか。でも、面接ではエクセルやPPTのレベルについては一切聞かれなかった。私は昔のバージョンで遊びで猫のスライドを作ったのが唯一の経験である。もともとアメリカ人二人に比べて私は仕事が遅いのに、またしても遅くなる。

最近のソフトウェアは、昔と比べて性能もいいし、格段に使いやすい。時間はかかったものの、だんだん慣れた。週40時間契約だが、そんなことよりも期限までに完成させることのほうが大事だった。

まずジャンが「レポートができました」とH氏にメールした。クリスと私はCcに入っている。

全員がアクセスできるので、私も参考までに見て驚いた。PPTなのに、スライドにぎっしり文章が並んでいる。それに、画面のキャプチャも文字が小さすぎてまったく見えない。数字が一致しない。なによりも、レポートに内容がない。

こんなものでいいんだろうか。

しばらくすると、H氏から厳しい返事があった。これでは使い物にならない。大幅な改良が必要だ。箇条書きでいくつも問題点が指摘してある。

その次に、クリスのレポートができた。彼女のPPTも、ジャンほど文字がぎっしりといった代物ではないにしろ、何が言いたいのかわからない。

H氏は、全体としてはまあいいが、こことここをやり直すようにと命じた。


               *


私はその間も無我夢中で自分のレポートに取り組んだ。

だいたいできたところで、突然H氏からIMで呼び出された。きっと私のレポートがなかなかできないので、心配したのだろう。

「レポートはどんな具合ですか。質問はありますか」

私はついさっきドラフトができたことを報告した。そして、気になっていた点を2つ相談すべきかどうか迷った。うまく質問できる自信はなかった。

さっそく私のPPTにアクセスしたH氏は、「ここは番号リストにする必要はない。ここにはハイパーリンクをつけて」と、IMで指示をくれた。そして、思いがけないメッセージ。

”Very good. Keep up the good work”
 
先の二人があれだけダメ出しをくらったので、覚悟していた私は拍子抜けした。それに勇気づけられて、データの疑問を相談しようと決めた。

ある数値がかなり大きく離れていたことを話すと、H氏は非常に興味を示した。そして、自分でもデータにアクセスしたらしく、これは一番重要な発見だ、よくやったと言った。そして、このデータをどう処理してどう分析するかを丁寧に教えてくれた。

それからがまた大変で、私は食事もそこそこに取り組んだ。工夫して表を作った。


           *


H氏はちょくちょく私たちの未完成レポートに目を通していたらしく、翌日、クリスとジャンに「コメットがとてもいい表を作ったから、参考にするように」とメールで2回も念を押した。

エレファントの誤解以来、メールでもIMでも音沙汰のなかったのに、ジャンからひっきりなしにメッセージが来るようになった。

あれはどうやったの、これはどうやったの。私はできるだけ答えたが、未完成だし、なにしろ提出期限が迫っているし、H氏は確かに私の表が気に入ったらしいが、”Keep up the good work" というのは決まり文句なので、レポート全体としてどれほどの出来なのか、私にはわからなかった。

そのうちジャンは「私にはメールでみんなに見えるように返事をしたのに、あなたにはIMなんてちょっと変じゃない? 私はずっとIMを開けてたのに」と言い始めた。

H氏はそれまでにも私に何度かIMを送ってきた。なにしろ私が最初のQAメンバーだし、最初の2週間は本当に私とH氏だけであれこれ試行錯誤していたのだ。そのせいもあって、ほかの二人よりも私とH氏は近しいところがある。

しかし、ジャンに不機嫌になってもらっては困る。とくに、H氏は台湾人で私は日本人。アジア人同士だから贔屓されているなどと思われては迷惑だ。

なんとかIMを打ち切って、私は自分のレポート完成を急いだ。


           *


できたことを知らせると、H氏からメールで私だけに返事が来た。

「とてもよくできている。あなたにはグループのリーダーになって、ほかの二人にQAレポートのなんたるかを教えてやってほしいと思う」

私は自分の努力が報われてうれしかった半面、これはやりにくいなと思った。女性3人という、ただでさえ微妙な集団だ。しかも、エレファントの誤解から、彼らは私が仕事ができないと決めただろうし、そうでなくても英語の問題から仕事の遅さや不自然な言い回しなどでダメな同僚だと思っただろう。それが、一転してH氏からお褒めの言葉である。

ジャンとは対照的に、H氏が私の表に言及したあともクリスは何の連絡もしてこなかった。彼女は大学院まで行った。仕事の遅い、英語も完璧ではない私がたった1枚の表とはいえ、ほめられたのはおもしろくなかろう。彼女は次の日も沈黙だった。それまではよくやり取りがあったのに。

H氏が全員でなく、私だけにメールをくれたことがありがたかった。私はクリスとジャンを敵に回したくなかった。


           *


次の週明け、2人はまた週末に話し合ったとみえて、その週の仕事を先に選んでいた。データサイズが小さく、H氏から特別な指示のない仕事を取ってしまった。残っている仕事は一つだけ。なんだかややこしそうで、データもほかに比べて大きかったが、それしかないのだからしょうがない。

私はまた「わかりました。先週は私に一番小さいデータのをくれたし、公平に行うためにも私はこれを受け持ちます」と二人に返信した。

足手まといになりそうな私に簡単な仕事をさせようとした先週とは裏腹に、今度は一番大きくてややこしそうな仕事を回してきた。やられた。

私がそれを担当すること自体はいい。早い者勝ちみたいなやり方がいやだった。

夫には仕事の内容は話さないことにしているが、この件を伝えると、

「そりゃ、そうするさ。これから先、難しい仕事はきみの担当ってことにさせられるよ、きっと」とあっさり言った。

日本でもアメリカでも働いたが、こういうグループでの仕事分担はしたことがなかった。しょうがない、これも勉強と思ってやるしかない。英語では彼女たちにかなわないし、スピードもどれくらい追いつけるかわからない。彼女たちの助けが必要なときはまだある。

今は、ともかく「うまくやる」ことが一番大事だと自分に言い聞かせた。


<今日の英語>

It took years off my life.
寿命が何年も縮んだよ。


ある俳優が「舞台は好きだよ。もっとも、あのトラブル続きですぐに打ち切られた舞台のあとでは、以前ほど好きじゃなくなったけど」と言った。対談相手が「そう? あの芝居はなかなかよかったと思ったけど」と応じたが、「あれはひどい経験だった。命が削られるようだった」と痛手の深さを語った。
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老いる

2013.11.10 (日)


義父は1週間滞在した。

駅までお迎えに行ったときには、血色もよく、声もしっかりしていると思った。ウォーカー(歩行補助器)につかまっていて、助手席に座るにも難儀そうだったが、89歳なのだから当然だ。

家に着くと、ドライブウェイから玄関までの煉瓦の道をウォーカーで進み、玄関の4段の階段は自分で上った。

うちにはLa-Z-Boyみたいな調節できる安楽椅子はない。義父が座るのは、ソファよりは立ち上がるのが楽な、猫が傷だらけにした安物の椅子と決まっている。起きている時間の7割は、義父はそこから動かなかった。

残り3割は、台所の横の食事用テーブルの椅子である。5歩も離れていないが、最初の日はウォーカーで移動した。転ぶのが怖いのか、それほど足元が覚束ないのか、わからなかった。


        *


トイレは春先に3つのうち2つを取り替えた。ADA承認という障碍者規格の、座高の高いもので、座るのも立ち上がるのも従来の型より楽だ。

でも、義父に使ってもらう主寝室にあるバスルームのトイレは替えなかった。いずれリモデルが必要なときに一緒にやろうと思った。しかも、トイレタンクから水音がするので、元栓を止めて長いこと使わないでいた。

しかし、義父が夜中にトイレに行くときに、ゲストバスルームまで歩かせるのは危険だ。途中には1階への階段もある。

夫は次男を連れて日曜大工のお店に行き、パイプやら何やらいろいろ買い込んできた。結局、出来合いのつかまり棒もちゃんと売っていたのだが、夫は自作したかったらしい。

義父はどれも使わなかった。

2~3日して、義父がシャワーを使っていないことに気づいた。夫をまた日曜大工のお店に向かわせ、滑り止めのマットやらシャワー用の椅子を買ってこさせた。

でも、義父は1週間一度もシャワーを使わなかった。

夫は1回くらい使っただろうと言ったが、その形跡はなかった。NYCに戻る日、駅でハグしたときに体臭があった。以前は、シャワーはもちろん毎日だし、夕食の前に着替えをする人だった。

私は夫にシャワーに付き添ってあげたらと提案したが、夫と義父はそういう関係ではないので、頼まれるまでしないと言い張った。

これが私の母と私だったらどうか。

私たちはたまにメールするくらいで、べったり母娘ではないし、同年代ではごく普通の、ハグなどしない関係である。それでも、もし高齢の母が慣れないシャワーに入ると言えば、少なくとも私はシャワーのすぐ外で立ち会うだろう。本人が大丈夫と言っても、なんだかんだと言い訳をして。


       *
   

義父が来る前に何を準備したらいいかと尋ねる私に、義母が言った。

「ゴミ袋をトイレに置いてくれる? おむつを捨てるのに要るの。替えるのは自分でやれるから大丈夫よ。私は毎晩おむつを外のゴミ箱に捨ててるから、あなたもそうして。」

「黒い大きいビニール袋ですか」と私。

「ううん、スーパーのレジでくれるやつ。あれをいくつか。1日に1回替えるから。」

取り出しやすいように紙袋にレジ袋を20枚も入れて、すぐ手の届くところに置いた。おむつは本当に1日持つのだろうか。最近のおむつは吸収性がいいのか。それにしても、気持ち悪くないだろうか。本当は何回か取り替えるんじゃないだろうか。

そういえば、カリフォルニアに遊びに行ったとき、潔癖症の義母がよくこぼしていたのを思い出した。

「おむつを替えないのよ。漏れるし、臭いし。バスルームを汚すし。もうたまらないわ。」

「どうして替えないんでしょうねえ。忘れてしまうとか? 濡れているのに気が付かないとか?」くらいしか私には思いつかない。

「めんどくさいだけでしょ。それにシャワーも入らないし。あなたたちがいるから、今週はちゃんとしてるだけよ。」


         *


主寝室にはなるべく入らないようにしていたが、義父が階下にいる間にバスルームに入ってみた。

トイレの横に、おむつとみられるビニール袋が置いてあった。ちゃんと縛ってある。持ち上げてみて、重さに驚いた。私は大人のおむつなんか見たこともなかった。まして、使用済みのおむつがどんなものかもわからなかった。

義父は早くても朝10時、下手すると11時に起きてくる。それから夜までずっとリビングルームとキッチン横のテーブルにいる。

仮に、日中おむつを替えたくても、階段を上り下りするのが難儀かもしれない。私は夫におむつの替えを1階のトイレにも置いたらどうかと提案した。夫は本人に聞いてみると言ったが、結局それはうやむやになった。

朝食時に新聞を読み(私は毎朝、NYタイムズを買いに出かけた)、そのあとはずっとリビングルームの椅子に座りっぱなし。字幕つきでテレビを見るか、本を読むか。たまに夫が話し相手をするものの、これでは何のためにわざわざうちまで来たのかわからないくらいだった。

義父の楽しみは、夜遅くまでテレビを見ることだった。ニュース番組や科学番組を見て、ちゃんと電気を消してから主寝室に上がる。

滞在4日目くらいのある夜、義父はなぜか9時前に引き上げた。物音に気付いた夫が自室から出てきて「今日はテレビは見ないの?」と聞いたが、そそくさと主寝室に入ってしまった。やり取りを耳にした私も出てきて、夫と顔を見合わせた。

「大きいほうのコントロールができなくなったんじゃないかな。なんか臭ったよ」と夫。

「そんな臭いしなかったわよ」と言いながら、それがもし本当だったら、老人ホームに行ってもらうと義母が言っていたラインを超えたことになる。でも、便の臭いは強烈だ。すぐわかる。夫の思い込みだ。


         *


猫の晩御飯をあげようとキッチンに行ったら、床が濡れていた。

誰かがコップの水をこぼしたのかなと思った。あるいは、猫が水の容器を蹴とばしたか(よくやってくれる)。パーパータオルを取ろうと数歩進むと、水が点々としている。こんな濡れ方は見たことがない。

ハッと思って、義父が座る椅子を見た。

座椅子のクッションは薄いグレー。それがぐっしょり濡れていた。周りの床も濡れている。慌てて夫を呼んだ。

「グランパはこれで早々に引き揚げたのよ。一言言ってくれたらよかったのに。」

「言えなかったんだろう。でも、言ってくれたらよかった。単なるアクシデントなんだから。」

そして、クッションを持ち上げると、椅子の本体まで染み込んでいた。とにかく、床を掃除しなくてはいけない。消毒も必要だ。私一人で片付けたほうが効率がいい。夫はありがとうと言った。

夫にクッションを地下室のシンクへ持って行かせた。あとで、椅子本体も地下室へ動かした。

ちょうど同じ型の椅子がもう一つあった。それを移動させて、いつもの場所に置いた。今度はタオルでも置くべきか。でも、そうしたら義父が気にするかもしれない。私はもともとこの椅子を捨てようと思っていたくらいだ。汚されてもどうってことはない。

仕事で疲れていたうえ、予定外の床掃除その他でさらに疲労したのに、なかなか寝つけなかった。

義父には相当ショックだっただろう。カリフォルニアの自宅ではやったことがあるだろうが、まさかよその家で、しかも椅子のクッションは洗えるが、相当汚れてしまった。

階段のカーペットはどうなのか。少しは自分で拭いたのだろうか。どうやってそれ以上汚さすに階段を上がったのか。

なぜ一言、自分の息子に言わないで、知らんぷりをしたのか。すぐに発見されてしまうのに。

おむつはもう何年も前からしている。それは諦めがついただろう。大きいほうのコントロールはまだできる。今回だって、せめて1日2回おむつを取り替えていれば防げたと思う。それができない、あるいはしたくないという思考なのか。おむつ代がもったいないからだろうか。


          *


翌朝、どんな顔をして義父に挨拶したらいいのかと悩んだが、義父はいつもより少し早く、台所へやってきた。

私はいつもと同じように、「おはようございます。新聞は買ってありますよ。またオムレツを作りましょうか」と尋ねた。義父もいつもと同じだった。

そして、粗相の話はしないまま、お茶を入れ、朝食の支度をしてから、私は2階で仕事を始めた。これでいい。お互い知らんぷりでいいのだ。

昼食に下りていくと、義父が言った。

「息子がなにかの薬が足らないと言っていたようだが、あなたにドラッグストアに行くように頼んだかね。」

「いえ、聞いてませんけど。それに彼の薬はオンラインで注文して、郵送してもらってるんです。だから、この辺のお店では扱ってないんですよ」とそこまで言って、もしかして義父は私にドラッグストアに行ってほしいのかもしれないと思った。

「なにかお薬が必要なら、近くのドラッグストアに行ってきましょうか。車で10分だし、すぐですよ」と私。

「じゃあ、タイレノールを頼む。Slow releaseというのがあるから。なるべく安いのでいいよ。」

痛み止めか。痛いのを我慢していたのだろうか。これも遠慮しないで言ってくれたら、夜でも買い物に行ったのに。私はすぐに出かけた。


       *


「いくらだったかね」と義父。

「ストアブランドだし、私はメンバーズカードで割引してもらえたし、5ドルもしませんよ。いいですよ」と断った。義母に頼まれて、到着早々に義父のズボンをドライクリーニングに持って行った。そちらは12ドルくらいだったか。そのことは忘れているのだろう。どっちみち、請求するつもりはなかった。

朝、階下に来てから、夜までは2階に行かない義父が、階段を上がっていく気配がした。

不思議に思っていると、夕食の支度をしている私のところにやってきて、20ドル札を1枚差し出した。それを持ちに行くために、わざわざ階段を上り下りしたのか。

「タイレノールの代金。」

「いえ、いいです。ほんとに」と続ける私に、義父が真面目な顔をして言った。

「それと、掃除をしてくれたことに」

義父は自分の粗相を忘れたり、無視したりしていたのではない。ずっと気に病んでいたのだ。私は涙が出そうになった。でも、泣きたいのは祖父のほうだろうと堪えた。

「そんな!ぜんぜん、なんでもなかったんですよ。気にしないでください」と断ったが、義父は20ドル札を引っ込めない。そうすることで義父の気が晴れるならと、私は受け取った。義父はサンキューというと、ゆっくりとリビングルームへ歩き始めた。

おそらく、痛み止めは口実だ。私にお金を渡すための取っ掛かりがほしかったのだろう。

食事の支度の目途がついてから、夫の部屋に行き、20ドルを見せた。

「これ、お義父さんから。掃除のお礼だって。私は要らないって言ったのよ。」

「こんなことしなくたって。ただのアクシデントなのに」と夫も言葉を失った。

「でもね、これで本人の気が済むなら、受け取ったほうがいいと思う。とりあえず、あなたに渡すわ。帰りの電車代を払ってあげたら?」

「切符は往復で買ってある。でも、そうだな。突き返すのもよくないか。ちょっと考えるよ」と夫は自分の財布に入れた。

その後、夫を通じて何度か洗濯を申し出たが、義父は断り続けた。汚した服はシンクで洗ったのか、ビニールにでもしまってホテルに持ち帰ったのか、わからない。

この件は、義母には伝えなかった。


        *


ふだん老人看護をしている人には見慣れた光景かもしれない。

夫も私も戸惑ってばかりだった。そして、老いるとはこういうことかと考えさせられた。

単に体の自由が利かなくなるのではない。自分でおむつが取り替えられても、それを捨てに行くことができない。もし粗相をしたら、誰かに片付けてもらわねばならない。粗相をしないように、何度かおむつを替えようとは思いつかない(あるいは、それだけの体力気力がない)。

これが小さいほうだからまだいい。大きいほうのコントロールができなくなったら、さらに深刻になる。

耳が聞こえなくなり、補聴器もうまく働かない(日本製ならもっといいものがあるのだろうか)。本人も周りも不便だが、排泄の問題に比べればどうということはないと思う。

生まれたばかりの赤ん坊が自分で何もできないように、老いるというのはそれを逆に辿っていくことだ。

ただし、赤ん坊には世話になっている負い目はない。それに、おむつも手助けもだんだん要らなくなる。成長する楽しみがある。老人は、ボケている人以外は、自分でできなくなったという意識があるはずで、しかもだんだんに頼ることが増えていく。

人間の尊厳の一つは、自分で排泄の始末ができるかどうかだ。

腰が痛いの、トイレが近いのと文句を言いながら、ちゃんと自分でトイレに行けることに感謝する日々である。


       *


老人介護の本のレビューに、こんな一説があった。

「奥野修司氏の本に、"人間には、仕事を辞める「社会死」、自分で何も出来なくなる「生活死」、そして肉体が滅ぶ「生物死」という3回の死がある"という記載があります。」

私は長男を産んでから仕事を辞め、3か月前からやっとフルタイムに戻ったので、社会的には19年も死んでいたことになる(お小遣い稼ぎのパートは勘定に入れない)。母親というのは仕事ではないし、専業主婦と威張れるほど家事能力はない。

生活死と生物死が同時に来るのがいい。自分で何もできなくなったら、それで人生終わりでいい。

私も夫も延命処置不要である旨、遺言にしてある。

私の理想は、雪の降る寒い日に裏の森で凍え死ぬことである。問題は、そうしたいと思ったとき、はたして裏庭まで歩いて行けるほど体の自由が利くかどうかである。


<今日の英語>

I'll leave soon. Please don't go to any trouble for me.
すぐにおいとまします。どうぞお構いなく


人付き合いの悪い私は使う機会はめったになさそうだが、コピーしておいたフレーズ。もてなす側の決まり文句は、It's no trouble at all.(ぜんぜん面倒なことではない)。



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