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夫と義母の仲たがい

2013.08.05 (月)


日本に行く1ヶ月前に、義父とスカイプをした。

どういう状況だったのか、もはや覚えていない。

スカイプはG氏以外には市外への電話に使うだけだ。たまたまログインしていたときに、義父から呼びかけがあったのかもしれない。補聴器をつけても耳がよく聞こえない義父と会話するのは、だんだん難しくなってきた。

義父は私にはとても礼儀正しく接してくれる。本当は血の気が多い人なのに、私に怒ったことは一度もない。からかうことはあっても、私を傷つけないように気を使っているのがわかる。

義父母が予告もなしにカリフォルニアを引き払って、義母の娘の住むユタ州に引っ越してから、もう1年近くになるのか。


        *


夫は、父親の後妻であるリンに失礼な態度を取ることがあった。

馬鹿にしたり、適当にあしらったりして、私がいい年をした夫をたしなめねばならなかったことも1度や2度ではない。

リンは根に持たないタイプだし、生さぬ仲の継子とは距離があるのも納得しているようで、表向きはふつうの大人の付き合いをしていた。

夫の生母が病死したのは彼が大学を卒業した頃で、もうママを追い求める年ではなかった。義父が再婚したのはそれから10年も経ってからだった。

義母は学術的な知識は足らないかもしれないが、有能なセールスウーマンだったし、世間知においては夫など太刀打ちできない。夫もその点は認めていて、特に義父が年を取って弱くなるにつれて、世話をする義母に感謝するようになっていた。

ところが、去年の秋の終りにハリケーン・サンディがやってきてから、ややこしいことになった。

うちは丸4日以上も停電したのだが、2日目くらいに義母から電話がかかってきた。最初は次男が出て、夫に代わった。私は真っ暗な部屋でベッドに横たわり、漏れ聞こえる会話をウトウトしながら聞いていた。

「こっちは停電してるんだ!電話してもらったって、そっちにできることはないよ。だいたい、時差も考えずに、こんなに夜遅く電話してくるっていうのは、どういうつもりなんだ?」と夫は大声で義母にまくしたてた。

カリフォルニアに住んでいたころも、彼らはたまにニューヨークとの3時間の時差を忘れて電話することがあった。でも、夜行性の夫は夜中だって起きているのだ。たいした問題ではない。

今回も私が起きていたのだから、それほど遅くないはずだった。せいぜい11時頃だろう。

「あら、そりゃ悪かったわね。バーイ」と義母はすぐに電話を切った。

私は夫が半ば冗談であんなことを言い、義母は軽く受け流したのだろうと思った。機嫌の悪い夫と話をするのは無駄だと、賢い義母はよくわかっている。


       *


「昨日、リンにあんな言い方することなかったんじゃない?」と翌朝、私は夫を諭した。「きっとニュースを見て、心配して電話くれたのよ。ちょっと遅かったかもしれないけど、次男もあなたも起きてたんでしょ。」

「そりゃそうだけど、ちょっと考えればイースト・コーストが何時かなんて、わかるもんだよ。父もリンも考えないんだよ。思いつくとすぐに受話器に手を伸ばす。こっちの都合はおかまいなしだ」と夫は続けた。

「あの人たちは老人じゃないの。リンは電話を切っちゃったし、きっと傷ついたわよ。あなたから電話したら?」

しかし、夫は電話するつもりはなさそうだった。もともと義父にもアリゾナの弟にもめったに電話しない人なので、私はそれ以上しつこくしなかった。

2、3日して電気が戻り、私は義母に電話した。

「やっと停電が直りました。この間、夫が失礼な言い方をして、ごめんなさい」と私は夫の代わりに謝罪した。

「本当に失礼だったわ」と明るい義母が珍しく憤った。

「私は冗談で言ってるのかなと思ったんですけど。」

「冗談なんかじゃなかったわよ。本気でそう言ってたわ、あなたの夫は」

「すみません。停電でパソコンが使えなくて、機嫌が悪かったんだと思います。それでも心配して連絡してくれたあなたに、あんな態度は許されないことですけど」と私は言い訳をした。

もともと夫はかんしゃく持ちだし、義母も夫の性格は承知しているはずだが、なぜか今回の義母はいつもと違った。


      *


それから何ヶ月かして、義父とスカイプをしていた夫がやってきた。

「お父さんが秋にイギリスに旅行するんだそうだ。オックスフォードで何かのセレモニーがあるらしい。それで、ぼくも一緒に来ないかと誘われたよ。Gの仕事のほうが忙しいし、次男のこともあるし、タイミングが悪いけど、お父さんの年齢を考えると、旅行できるのはこれが最後かもしれない。」

「じゃあ一緒に行ってあげたら? あなたが付き添わないと危ないわよ」と私は賛成した。

ロンドンで落ち合い、イギリスでの用事が済んだら、いっしょにニューヨークに来て、それからユタに帰るという計画らしい。

「問題が一つある。ぼくが謝罪しなければ、いっしょに旅行しないとリンが言ってるんだそうだ。それどころか、ぼくがユタの家に泊まるのも拒否しているらしい。彼女にメールできちんと謝れとお父さんに言われたよ。」

停電の夜の電話がまだ尾を引いているのを知って、私は驚いた。

あの、さっぱりしたリンがそんな条件を出すとは、かなり根に持っているのだろう。

「じゃあ、メール書いたら? あれは確かに失礼だったわよ」と私は簡単に片付けようとした。

「いや、ぼくは書かないよ。これは一種の脅迫だ。ぼくのほうから自主的に謝るならともかく、お父さんを通じて脅しをかけてるのと同じだよ。そういう要求には答えられないね」と夫は真面目な顔をした。

「そんな大げさな問題なの? だって、お父さんと旅行なんて何年ぶりなのよ。これで本当に最後かもよ。お父さんにしたって、息子と妻が仲たがいするなんて悲しいじゃないの。だいたい、リンがお父さんのことすべて見てくれてるのよ。私は本当にありがたいと思ってるのに。」

「それはわかってる。その点はぼくも感謝しているし、何度も彼女に伝えたよ。でも、それとこれは違う」と夫は譲らなかった。


          *


私が義父とスカイプしたのは、それから何日かしてからだった。

「イギリスに遊びに行きたいかね? 秋に私たちといっしょにどうかね? それで東海岸に戻って、孫たち全員の顔を順に見ていこうと思ってるんだよ」と突然のお誘いだった。

カリフォルニアやアリゾナの孫たちは、就職や大学進学でニューヨーク・シティやロードアイランドに移っていた。何年も前からオムツが手放せなくて、車椅子にも頼るようになった義父の、これが最後の遠出になりそうだった。

マンハッタンから離れているここにも来るんだろうか。あちこち片付けないと。それに階段が上れない義父のベッドやシャワーはどうする。義母の猫アレルギーはどうしよう。ご飯はどうしたら。

来客の苦手な私は不安になった。

「あの、今年は4年ぶりに日本に行くことになっていて、次男の病気のこともあるし、私はちょっとイギリスは難しいんですけど。でも、夫にはぜひ行くように勧めているんですよ」と私は答えた。

イギリスには夫と結婚した直後に一度だけ行ったことがある。

朝食がおいしくて、でも物価は高く、夕食の野菜は繊維になるまでくたくたに煮てあって、方向音痴の私がなぜか一人で地下鉄に乗って観光名所に出かけたりして、でも郊外に住む義父の友達の家に向かう電車を乗り間違えて夫が怒って私が泣いて、そこの晩御飯はステーキで私は食べられなくて、翌朝ゆで卵を作ろうとしたら、そこの奥さんに水を入れすぎだと指摘されてと、そういう断片的な記憶しかない。

「わたしも息子といっしょに旅行できたらうれしいね。ただ、リンがちょっとこだわっていてねえ」と義父は言葉をにごした。

「わかりますよ。あんな失礼な電話したんですから。夫には謝りなさいって言ったんですけど、なんだかすごく頑固で。ちょっと作戦を立てて、説得してみます」と私はあてもないのに約束した。

「そうしてもらえるかね。もうすぐ日本に行くんだね。楽しみだろう。お母さんは元気かね」と義父はいつものようにたずねてくれる。


       *


その後、私は夫にそれとなくイギリス旅行の話をし、高齢な義父の願いであることを思い出させた。でも、夫は謝る気はなさそうだった。

私は長男と次男に事情を話し、「なにかいい方法ない?」と相談した。

「ダディって馬鹿じゃない?グランパのために、ちょっと謝ればいいのにさぁ。ほんとに困るよね」と長男は呆れて、どっちが親だかわからない。

次男は「ぼく知らないよ。ぼくどうでもいい」と関わりたくないらしい。

「そうよねえ。グランパは88歳で、ダディが61でしょ。グランマは73歳かな。そんな年でよく喧嘩が続くわねえ。私がそんな年だったら、とてもそんな気力ないと思うわ」と、私にも名案は浮かばなかった。


         *


私と長男は日本に向かい、2、3日を横浜で過ごして実家に向かった。

母のパソコンで久々にメールをチェックすると、夫からメールが来ていた。次男に何かあったのかとドキッとした。

「ユタから電話があった。お父さんが入院したそうだ。胆石らしい。リンは、重態じゃないからぼくが来る必要はないと言ってる。心臓のこともあるし、年が年だから、なにがあってもおかしくない。きみたちが日本に行くたびにお父さんが病気になるのはジンクスかな。もちろんきみたちは予定通り、日本に居ていい。次男は特に問題ない。猫もちゃんと生きてる。」

絶交していたはずのリンが電話をくれたのか。

夫はまだ謝ってなかったはずだ。しかし、緊急時ではそうも言っていられなかったのだろう。

私は、夫が行きたければいつでもユタに行くべきだということや、リムジンの会社の番号やペットシッターの連絡先を改めて教えた。

幸い、義父は持ち直し、1週間ほど入院して、その後はリハビリに移った。心臓の薬のせいで、すぐには手術ができない、早くても9月まで待たねばならないという医者の見立てだった。

夫はユタに行かなかった。リンに謝罪する件も、そのままになっている。


       *


秋のイギリス旅行はどうなったのか。9月に手術なら、おそらく中止せざるを得ないだろうが、夫はその件については義父と話していないから知らないと言う。

私は日本から戻って、一度だけリンに電話した。義父の容態や次男の病状などを話したが、夫の謝罪についてもイギリスへの旅行についても触れなかった。

義父の急病のおかげで、絶交は免れたが、夫と義母の冷戦状態は続く。

夫が謝罪メールを書けば解決すると思うのだが、ここにきてリンは義理の息子に対する積もり積もった悪感情が一挙に噴出したのかもしれない。

夫と私は、それぞれの家族の問題には基本的に関与しないという方針でやってきた。

でも、今回は、なかなか治らない指先のささくれみたいに、ずっと気にかかっている。


<今日の英語>

I would say one.
まあ、1だと思います。


検眼中に、レンズを入れ替えた医者から1と2のどちらが見えやすいかと聞かれたときの長男の返事。どっちがいいとも言いがたいが、強いて言えば1かなという婉曲表現。
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退院

2013.08.18 (日)


先週、次男が退院した。

約7ヶ月間の長期入院だった。ここ数週間の状況で、新年度が始まる9月までには出られるだろうと予想していたが、医療チームが決断を下すと、あっという間に手続きが進んだ。

お迎えの日にはミーティングもなく、私は退院同意書らしき1枚の紙に署名しただけだった。7月後半から長い外泊許可を何度かもらっていたにしろ、あっさりしたものだ。

医者とソーシャル・ワーカーに握手して、病院を出た。

いつもの外泊と同じような錯覚にとらわれたが、次男が大きなボストンバッグを提げているのを見て、確かにもうここには戻らないのだと思った。

その後は、前にお世話になったところに通院している。

いろいろなプログラムがあって、次男は平日の朝9時から午後3時までそこで過ごす。いわばリハビリである。病棟からいきなりハイスクールに戻らないほうがいいと医療チームに言われたので、従うほかない。

長期入院していたところは車で1時間かかり、私は疲労困憊した。今度は片道25分だが、2往復すれば運転で1日2時間がつぶれる。

次男は朝の車中ではあまりしゃべらない。寝不足なのか、ぐっすり寝ることもある。午後は、その日にあったことをわりとよく話す。

もともと長男より日本語が下手だったのに、長い入院で私と話す機会が極端に減ったせいか、たどたどしい。それでも、せっかく日本語で話してくれるので、私にしては辛抱強く相手をする。


       *


次男は2種類の薬を飲んでいる。

病院を出るときに向こう3週間分の処方箋をもらい、近所のドラッグストアで出してもらったのだが、片方の薬の用量が半分だった。次男が気が付いてくれてよかった。私はラベルも見なかったし、手書きの処方箋は読めたもんじゃない。

どこで間違いが起きたのかわからない。今の病院の医者に電話して、正しい処方箋を出してもらった。

薬のボトルに書いてあった医者の名前は、医療チームのメンバーではなかった。それにしてもカルテを見ればわかるだろうに、誰かが再確認しないのだろうか。

私は、ディーラーで車検をしてもらうとき、フロントガラスに確かに新しいラベルが貼ってあるかを駐車場を出る前に必ず確かめる。

20年以上前、一度だけ古いラベルのままだったことがあったせいだ。家に戻ってディーラーに電話したら、「ああ、そうでしたか。新しいのを張るので、また車を持ってきてください」と平気で言う。

もちろん謝罪の言葉はなかった。日本なら、ディーラーがすぐに私の家にやってきて、その場でラベルを張替え、申し訳ないと謝り、粗品の一つも持参するところなのにとショックを受けた(私は日本では車の免許がないので、日本のディーラーが実際そこまでするのか知らない。いや、まず張り替え忘れるなんていうヘマはしないのか)。

今では、間違っているという前提で物事に対処する癖がついた。まさか、あれだけ長くいた病院で最後にこうなるとは、私もまだまだ甘い。


          *


ともかく、これで次男が9月からハイスクールに復帰できるめどが立った。

すでにアドバンスのコースをいくつか履修していたので、最終学年であるシニアには卒業に必要な科目だけを取ればよい。

ガイダンス・カウンセラーは、いつまた入院するかわからないし、院内学校でも学べるように、なるべく簡単なコースにしろと言う。次男が取らなくてもいい理科を一つスケジュールに入れたいと伝えると、それはやめてほしいとほのめかされた。というわけで、体育以外は、英語を2つと社会を2つだけである。

大学に志願する際、こういう科目の取り方は不利だ。いい大学に行こうと思えば、大学レベルのAPプログラムをいくつも取って、意欲と能力を示さなくてはならない。

次男の場合、当面の目標は来年6月の高校卒業。

同級生は、この秋から本格的に大学進学の準備を進める。次男は、今のままではおそらく願書も出せない。ジュニアに取るべき英語の単位がないのが一番のネックだが、長い入院生活のあとでハイスクールに適応できるかどうかも不安要素だ。

あまり先のことを心配してもしょうがないと思いつつ、ゲーム以外には興味を失ったような次男が歯がゆい。

発病前からゲームに熱中していた次男は、入院中に離れていたパソコン三昧となり、ゲームにフェイスブックにチャットに忙しい。昨夜は夜中の1時までゲームをしていて、夫と衝突した。

先が思いやられる。


         *


長男は長男で、あと2週間で大学に戻るのに、こちらもアニメを見たり、友だちとスカイプしたり、もちろんゲームもしたりして、まるっきり自覚がない。

アルバイトもしていないし、せいぜい自分の洗濯をして、皿洗い機から食器を出す(それも私に何度も命じられてやっとする)くらいの手伝いしかしていない。

それにしても、大学生がこんなに本を読まなくていいのだろうか。

アート専攻だって、大学生なら本を読め!と思う。

スマートフォンがあって、マックがあって、ネットがあって、そんな環境では読書は後回しになるのだろう。

私だって、パソコンがなければ、きっともっと本を読んでいる。少なくとも、よその犬や猫のビデオで時間をつぶすよりもう少しまともなことに頭を使っているだろう。

しかし、パソコンがあるからこそ、世界中のニュースが簡単に読めて、デイヴィッドのビデオをいくつでも見られるわけで、もし火事になったら自分のラップトップと猫2匹を抱えて逃げようと私は考えている。


          *


今度の木曜日、長男が2回目の路上試験を受ける。

1回目は散々だった。今度こそ合格してもらわないと、私がいつまでも運転せねばならない。長男は夏休み中は空手も再開したので、毎週何度かの送り迎えも私がやっている。

長男の友だち(同級生)は、なぜか誰も運転免許を持っていない。一つ下の学年、つまりこの6月に卒業した子たちのほうが免許保有率が高い。そちらのグループと出かけるときはいいのだが、同級生たちだと相変わらず私や他の親御さんが運転手をしている。

あいかわらずぼんやりしているし、ぎりぎりまでやらないし、私任せだし、大学生はこんなものなのだろうか。私が何でも先回りしてやり過ぎたせいだろうか。


         *


大きくなるって、いいね!」と長男がうれしそうに言った。

何週間か前に、外出許可をもらった次男を散髪に連れて行ったときのことである。練習のために、長男が運転した。

私は次男に付き添い、その間に長男にスーパーで買出しをさせ、途中で様子を見に行って私がレジで支払いをし、「これ、車のトランクに入れてからこっちに来て」と長男に車の鍵を渡した。

そうして、ヘアサロンに戻ってきた長男が開口一番、私に言ったのが先のセリフ。

それまではいつも私といっしょに行動していたのに、初めて一人で動けるようになり、しかもヘアサロンに来る前には隣のドラッグストアにも寄ってきたらしい長男は、楽しそうだった。車がないとどこにも行けないところで育った子が、ボストンの大学生活で自由の味を知った。ここに戻ってみて、改めてそう思ったのだろう。

「そうよ。大きくなるって、大人になるってことでしょ、いいでしょ?」と私。

「特に、お金の心配をしなくていいうちは、そりゃいいわよねえ。スーパーでもガソリンでもぜんぶお母さんが出してるしねえ」と当てこすりを言うと、「はい、それはわかってます」と長男はにやりとした。

猫は1年で大人になるが、人間の場合は20年。うちの息子たちの場合は、もっと先かもしれない。


<今日の英語>

It's just mind over matter.
単に気力の問題だ。


デイヴィッド・ギャレットのインタビューより。まだ子どもだったころ、両親に首の痛みを訴えたときの彼らの返事。文字通りには、matter(物体、肉体)に勝るmind(精神)で、肉体的な困難を精神力で乗り越えること。早い話が、「そんなもの、根性で治せ。」



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最後の旅行

2013.08.26 (月)


先週、義父とスカイプをしていた夫が私を呼んだ。

いつもなら耳の遠い義父と怒鳴るような大声で話すのに、そんな気配はまったくなく、夫の部屋に入ってパソコンの画面を見て、スカイプをしていたのだとわかった。それも、テキストでやり取りしていた。

なぜか義父はテキストが使えなかった。そういうことになっていた。いくら老人でも物理の博士号を持っている人がそんな馬鹿なと私は思っていたら、やれば当然できるのだ。

もっと前からやっていれば、夫との意思疎通も穏やかにできたのに、なぜ今頃になってと不思議に思った。

おそらく、義父にとっては肉声での会話が大事なのだろう。何度も聞き返される夫がかんしゃくを起こそうと、直接話すことにこだわっていたのはそのせいかと今頃気がついた。それをあきらめたということは、補聴器を使ってもほとんど耳が聞こえなくなったのかもしれない。

義母の父親に一度だけ会ったことがある。相当長生きした人で、パーティの席にもしっかりした様子で座っていたが、「何も聞こえてないのよ」と義母が私にささやいたのを思い出す。

無音の世界。

目が見えないよりマシかもしれないが、バイオリンが聞こえないのは寂しい。デイヴィッド・ギャレットとフリッツ・クライスラーの演奏を脳細胞にしっかり記憶させて、耳がだめになっても頭の中で再生できるようにしておかねばと思う。

運動もせず、持病も好き嫌いもあるのに、私はとんでもなく長生きしそうないや~な予感がするのだ。


      *


「9月22日にお父さんがこっちに来るんだそうだ。うちに泊まりたいって言ってるんだけど、いいかな?」と夫。

いいも悪いも、義父は89歳である。

私が日本にいた5月にまた入院して、秋のイギリス旅行をキャンセルしたはずだ。これまで心臓発作も起こしたし、足腰が弱くなって車椅子がないと出かけられないし、排尿をコントロールできなくてずっとオムツをしている。

「ニューヨーク?イギリスの帰りに?そりゃ、私はいいけど」と私。

来客が大の苦手ではあるが、断れる状況ではない。夫は律儀にいつも私の都合を聞く。結婚以来20数年、ずっとそうだ。しかし、私に拒否権はない。私は義父母にとてもよくしてもらっている。気を使って心身ともに疲れ果てるが、ノーとは言えない。

「イギリス旅行はやめたんじゃないかな。そのへんはよくわからん。とにかく、9月の終りにニューヨークに来るらしい」と、夫は義父にテキストを打ちながら言う。

「リンは来るの?」

「さあね。ユタからニューヨークまではいっしょだろうけど、彼女は孫娘たちに会うのが目的で、マンハッタンにずっといるんじゃないか。お父さんだけ電車でこっちに来るか、あるいはぼくたちがJFKまで迎えに行くか」と、あいかわらず夫側の家族の旅行は流動的で私を不安にさせる。

しかも、夫と継母にあたるリンは、去年の秋から絶交状態だ。素直に謝らない夫と珍しく折れない義母で冷戦が続いていたが、それも義父の病気で必要な会話だけはするようになったらしい。でも、義母は夫のいるこの家には意地でも泊まらないだろう。

潔癖な義母が来ないほうが私は楽だ。それでも、義父が来るとなると、さぼっていた掃除に真剣に取り組まねばならない。


        *


「次男はここにいるけど、長男はもうボストンに帰るからなあ。そうだ、ここから車でボストンに行くのはどうかな。お父さんもそれはいい考えだって」と、まだスカイプでテキストしている夫が言った。

「ちょっと!ここからボストンまで3時間半よ。私だってきついのに、あなたのお父さんがずっと車に座っていられると思う? 休憩所だって限られてるし。次男は学校があるし、私は付き合えないわよ。そしたら、あなたが行きも帰りも運転するってことよ。冷静に考えたら?」と、私はやたらに思いつきで決めてしまう夫を諌めた。

躁うつ病は薬で対処できていても、こういう場面に遭遇すると、もしや躁状態かと疑いたくなる。

「リンがマンハッタンにいるなら、彼女はアムトラックで行ってもいいとしても。長男の予定だってわからないし。ちゃんと計画しないと大変よ」と私が止めようとしても、「運転は大丈夫だよ。なんとかなる。お父さんはきっと長男に会いたいだろうし、ボストンも見たいと思うよ」と浮かれている。

夫につける特効薬はない。私は作戦を練った。


         *


次の日、リンから電話があった。

「元気?私たち、9月22日にニューヨークに行くの。グランパがあなたたちのところに泊めてもらいたいんだけど、いいかしら?」

「ええ、そのことは夫から聞いてます。もちろんかまいませんよ」と、いい嫁を演じる私。

「よかった。まだ切符は買ってないんだけど、ソルトレークシティからニューヨークに飛んで、最初の3日くらいはマンハッタンのホテルで、グランパはそのあとであなたのとこに向かわせるわ。電車に乗せるから、駅まで迎えに行ってね。それから、ボストンまでは車でしょ。」

「ちょっとボストンは大変じゃないでしょうか。車で3時間半だし、私は一緒に行けないし。ボストンやケンブリッジは、歩けない人には大変だと思います。あなたとグランパがぜひボストンを訪れたいなら別ですが、長男が週末だけマンハッタンに帰ってくるほうがいいですよ。ボストンからアムトラック一本ですし、若いからとんぼ返りも平気です」と私は長男の意向も確かめずに、勝手に話を進める。

「あらー、それ、いいわね。私たち、別にボストンに行かなくたっていいのよ。そんなつもりなかったし、あなたの夫が言い出しただけで。じゃあ、長男くんが来るなら、ホテルを予約するわ。」

よし、一つ片付いた。長男はおそらく承諾するだろう。

「それから、グランパが電車でこちらに来る話ですけど、夫にマンハッタンまで迎えに行かせます。グランパ一人だけで、1時間半以上も電車なんて危ないですよ。途中で何が起きるかわからないし、荷物もあるし。」

「そうね。そうしてもらうわ」と義母はあっさり同意した。

夫と義母(夫にとっては継母)の仲たがいは終わったのかどうか、私は聞かなかった。義父の病気でいったん話をしたとはいえ、もともと微妙な間柄である。一切関わらないに限る。


        *


次男は予定より早く通院が終わった。長男はもうすぐ大学に戻る。

やれやれ、これで多少は落ち着くと思っていたところへ、義父母がやってくる。1週間か10日程度のことだが、私は彼らがユタに戻るまでリラックスできまい。

しかし、義父にとってはこれがおそらく最後の旅行になる。直接会うのも、これが最後になる可能性だってある。

階段の苦手な義父だが、シャワーは2階にしかない。がんばってもらうしかない。

私は長男のベッドで寝て、義父には主寝室を使ってもらおう。私と夫はもう10年以上も別室で寝ている。今さら隠すつもりもないが、義父母はいまだに同じベッドだし、彼らの年代のアメリカ人夫婦にとっては別室はありえないかもしれず、私たち夫婦の仲を心配されては困る。

私たちはベッドも違うし、セックスどころかハグもキスもしないが、まるで悟りの境地にいるような、落ち着いた関係である。

会話は多く、率直で、言い争いもない。口論はしても、悪意がない。次男の発病と入院でそれどころではないし、20年以上も一緒に暮らして、私は50を夫は60を過ぎて、もう無駄なことにエネルギーは費やさないのだ。


         *


義父は私が作るものは何でもおいしいと食べてくれる。しかし、1日3食を出すのは私には大仕事。何回かテイクアウトをしなければ私が倒れる。

1階から2階へ上がるくらいの階段は大丈夫、バスルームにゴミ袋を置いておけばオムツの処理も自分でやるからと義母は言う。

しかし、うちの階段の手すりはこの頃ちょっとぐらつく。キッチンや窓際にあるマットもどかしたほうがいいだろう。老人はつまづいて転びやすい。主寝室のトイレは、なぜかタンクの中の水がずっとちょろちょろしてうるさいので、水を止めて使えないようにしてある。義父にはゲストバスルームを使ってもらわねばならない。

猫2匹は換毛期なのか抜け毛がすごい。窓ガラスも拭かねばならないし、庭木も伸びている。豆を挽くところからやっていたコーヒーをすっぱりやめて、その後は日本茶あるいは中国茶を飲むようになったらしい義父は、今はいったい何を飲むのか。

私には、もてなしの才能がまるでない。今からストレスをためている。それでも、私が飛行機を使って義父母のいるユタの親戚宅に滞在するよりはマシか。


        *


老体に故障を抱えながらも、飛行機で大陸横断し、マンハッタンはタクシーか車椅子で移動し、そしてこんな田舎まで電車でやってこようという、行動的で前向きな89歳の義父。

出不精どころか、ベッドで終日ゴロゴロしていたい私とは正反対。

開拓精神のかけらもない自分がアメリカに住んでいていいのか。

私が清教徒だったら、未だにマサチューセッツでうろうろしているだけで、200年経っても西海岸どころかミシシッピを越えることもなかっただろう。

しかし、そういう人は最初からメイフラワー号に乗って大西洋を越えようとはしないわけで、そういえば私は無神論者であって、清教徒とはこれっぽっちも縁がないのだった。

私はあまり深く考えずにアメリカ人と結婚してアメリカに来てみただけだなとつくづく思う。


<今日の英語>

It sure looks good on paper.
計画としてはよさそうに見える(でも実際はうまく行かないだろう)。


老人の安楽死に関するフォーラムに寄せられた、ある悲観的な投稿者の一言。「好きなだけ老後の計画を立てるといい。紙の上の理論だったら、そりゃよく見える。でも、どういう最後になるかは、お金でも遺伝子でもなくて、運命だ。」



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