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パニック

2013.06.24 (月)


出発の2日前、長男を連れて入院中の次男に会いに行った。

最悪の訪問になった。

次男がやると約束した英語の宿題を何度もほったらかしていて、そのために英語の先生はもちろん、ガイダンスも巻き込み、今度こそちゃんとやると言っておきながら、やっぱりやっていなかった。病院内の学校は、私が当初期待していたほどきちんと見てくれない。他の科目はともかく、11年生の英語だけは今年中になんとかしなければ、ハイスクール最終学年である来年度にひびく。

私だけでなく、長男もその話をしたために、次男が「お母さんも長男くんも、ぼくを責めに来たの?」と怒り、長男が話をすればするほど、次男は不機嫌になり、興奮して悪態をついた。

私は何度も「これじゃしょうがないから、もう帰ろう」と長男に言ったが、長男には別の考えがあったらしい。このままでは問題が解決しないと主張し、それから30分もそこにいた。

しかし、話し合いどころではない。

次男は泣き喚き、私はそんな次男を見ていられなくなって、私まで泣いてしまった。このあと3週間は病院に来られないのに、どうして勉強の話を持ち出してしまったのかと自分を責めた。

看護婦がやってきて、私と長男は部屋を出た。次男が落ち着くまで誰かをつけてくれるとのことだった。

病室から駐車場に出るまで、私はずっと泣いていた。まだ本当の免許が取れていないし、一度もそのあたりを運転したことのない長男が「お母さん、ぼくが運転しようか?」と言った。

その優しさにまた目が潤んだが、事故でも起こしたらそれこそ泣くに泣けない。私は家まで1時間黙って運転した。何か話せば、また涙が出そうな気がした。


         *


「きょうはどうだった?」と夫に聞かれると、私はまた涙がぽろぽろ出て、首を横に振ることしかできなかった。

「そんなにだめだったのか。何があったのか、あとで長男に聞くよ」と夫は言った。

ずっと冷静だった長男も相当ストレスがたまっていたらしく、その夜、まったく別の話をしていた夫が長男になにかきついことを言い、今度は長男を泣かせてしまった。私は夫に怒る気力もなく、いったいどうしてこんなことになってしまったのだろうかとぼんやり考えた。

そして、のろのろと荷造りをした。ホテルの予約メールを印刷したり、現金を用意したり、夫のためにメモを書いたり、ふだんなら前もって片付けているはずのことがほとんどできていなかった。

出発は翌日の午後なので、時間の余裕はあった。なかったのは、精神的余裕だった。

面会時の次男のこと、実家には内緒にしている次男の病気のこと。やぱり今年は日本に行くべきではなかったのではないか。母にはなんとでも言い訳をして、アメリカに来てもらっては困る理由を作ればよかったのではないか。

そう考え始めると、あらゆることが計画ミスに思えてきた。

深夜着で早朝発の羽田にしたのを悔やむ。日本の航空会社でなくてアメリカンにしたのを悔やむ。ホテルに無事たどり着かなかったらどうしよう。成田にすれば、ホテル代も要らなかったのではないか。夫が空港までの送り迎えをするにもよくない。3週間弱なのに、実質は2週間半くらいの気がする。もったいない。


          *


夫の部屋に行き、「私、日本に行きたくない。この計画はまちがってたと思う」と宣言した。

「きみは旅行の前はいつもそうだよ。今回に限ったことじゃない。ホテルだって空港だってプロだよ。なんとかなるよ。きみは日本語ができるじゃないか。それに、長男だってもう小さい子どもじゃない。荷造りができたんなら、もう休んだほうがいい」と夫は妙に落ち着いていて、よけいに私をいらいらさせる。

長男の部屋に行き、「ちょっと聞いて。お母さん、日本に行きたくないのよ。ぜんぜん行きたくない。真剣にキャンセルしたいのよ」と訴えた。

「お母さん、いつもそう言うよ」と長男も私の気持ちをわかってくれない。

「でも、今度はいつもと違うのよ。いつもよりひどいのよ。飛行機のせいだけじゃないの。旅行そのものがまちがいだと思うのよ」と説明したが、「でも、ぼくは行きたいよ」とピンとはずれの答えが返ってくる。

機内で飲む薬を飲みたいが、そうすると一両日くらいぼんやりしてしまって危ない。いつもの抗不安薬を飲む。パニックには効き目がない。疲れているのに、なかなか寝付けなかった。

夫が長男を呼ぶ声がした。「なんだかわからないが、お母さんはかなり参ってるらしい。頼むぞ。おまえが頼りだからな」という夫の小さい声が聞こえた。


         *


出発当日の目覚めも悪かった。しかも、本格的なパニック症状が出ていた。

心臓がドキドキしてじっとしていられない。何も手につかない。考えようと思っても、グルグルするだけでぜんぜんまとまらない。過呼吸で苦しい。手足が震えて、冷や汗が出る。

夫はまだ寝ていた。私は夫の部屋にふらふら入って、夫の横にすべりこんだ。そして、前日と同じように、いかにこの旅行が間違いであるかを夫に再び訴えた。

夫はいきなり私がベッドに入ってきて驚いたようだったが、私の背中をさすりながら聞いた。

「またいつものパニックかな。特に今回がひどいようには見えないけどなあ。それに、旅行に行けば、これまでもそれなりに楽しかったんじゃないのかな。今回もきっとそうなるよ。お姉さんも実家のお母さんも待ってるし。うーん。もし、お金や他の人の気持ちや義理立ての問題が何もないとしたら、きみはどうしたい?」

「ぜんぶキャンセルよ!飛行機もホテルも。それで、行かないって姉に電話する。」

「そうか。じゃあ、キャンセルするか?」と夫は簡単に言う。

「でも、できないのよ!飛行機はノン・リファンダブルだし、ホテルは払ったし、姉は京都のホテルも手配済みだし、姉も母も待ってるし」と私は自分に言い聞かせるように、一つ一つ理由を挙げていった。そして、「こんなことしてても無駄だわ。キャンセルできないんだから。予定通り、行くしかないわ」と、夫のベッドから下りた。

しばらくして姉から電話があった。「いよいよ今日ね~。したく、できた?」

「したくはできてるんだけど、行きたくないのよ。」

「あー、また始まった。いつもじゃない。」

「いつもよりだいぶひどいのよ。パニック症状そのものなのよ。でも、キャンセルできないから、行くわ。横浜のホテルについたら電話する。」


        *


時間が経つにつれて、諦めがパニックに取って代わり、家を出るころには運転できる程度には落ち着きを取り戻した。

今思い出しても、出発日の心理状態は普通ではなかった。

これまで自覚しなかっただけで、私は旅行の前にいつもそんな風だったのだろうか。夫も長男も姉も、「いつものこと」と受け止めていたようだ。私はいつもより明らかに重症だったという気がするのだが、パニック真っ最中の人間に正常な判断力はない。

確かに、荷造りがめんどうだとか、家や猫の心配があるとか、空港までのハイウェイがいやだとか、夫の親戚に会うと気疲れするとか、うれしくない理由はいつも同じなのだ。そして、夫が言うとおり、出かけてしまえば、どうにかやり過ごすことができる。それどころか、楽しいことやいいこともあり、帰宅してから「カリフォルニアの果物はおいしかったわ」などと思い返すのだ。

やっぱり次男のことが影響していたのかもしれない。それが不安を増幅して、パニックを引き起こしたのかもしれない。

一瞬、本当にキャンセルしようと思った。飛行機やホテルで無駄になるお金はあとから稼げばいい。とにかく旅行計画そのものを白紙にしたい。それしか頭になかった。
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4年ぶりの日本 その1

2013.06.25 (火)


JFKに向かう車中で、私は長男に言った。

「お母さんは飛行機に乗ったらすぐ薬を飲むからね。飲んだらどうなるかわかってるでしょ。あとはよろしくね。」

平日の午後早い時間だったのに、料金所や空港付近は大渋滞だった。夫が運転していたらかんしゃくを起こす。夫が帰るころはちょうど夕方のラッシュアワーかもしれない。私はこんな時間のフライトを選んだことを改めて悔やみ、夫に謝った。

夫は「このへんはいつだって混むんだよ。しょうがない」と珍しく寛容だった。しかし、私には帰り道、夫が怒り狂っている様子が目に浮かんだ。

空港に着いて、荷物をトランクから出し、夫が運転席に座った。律儀な長男はわざわざ夫のところに回り、夫もいったん車から下りて長男をハグした。そばに立っていた私は「今朝はありがとう。本当に深刻なパニックだったのよ」と夫にハグした。運転をしながら、夫にお礼を言いたいと考えてはいたが、ハグはごく自然な動作だった。

夫はまた驚いたふうだった。

私が自分からそんなことをするなんて、15年ぶりかもしれない。いや、長男の年を考えたら、もっと前か。

「今朝もハグしようと思ったけど、きみがいやがるかと思ってね。あれでよかったのかな」と背中を撫でさすっただけだったことを弁解した。

私は頷いた。

もう十数年も別の部屋で寝起きしている私たちには、身体的接触がほとんどない。いくらパニック状態でも、夫がそれ以上のことをしたら、私は反感を持っただろう。いてもたってもいられず、自分でベッドにもぐりこんでおきながら、私はどこまでも自分勝手である。


         *


チェックインをしたら、もう後戻りできない。さすがに覚悟ができた。

夫が言い聞かせるまでもなく、長男はたいそう頼りになった。誰でもわかるはずの空港内でも方向感覚が狂う私は、案内図を見てさらに混乱する。考えるのもめんどうで、ずっと長男の後をついていくことにした。

空港のフードコートでまずくて高いものを食べて、また文句を言い、ゲートから機体へ向かう通路の匂いがどうにもいやで、 屠殺場へ引っ張られる家畜みたいな気分になり、「お母さんはね、この通路を歩くとき『まだ間に合う。今ならUターンできる』っていつも考えるのよ。頭では、そんなことできないのはわかってるの。でも、どうしても考えるのよ」と言うと、「お母さんは、まったく、もう」と長男はため息をついた。

チェックインの際に、窓際の二人掛けに変更してもらったのはいいが、背もたれがあまり動かせないところだった。

「なによ、あのグランドホステスは!ちゃんとリクラインできるところでしょうね?って私が聞いたでしょ。一番後ろから3列目ですから大丈夫ですって、自信たっぷりに言ったじゃない? でも、この後ろは席じゃなくて、壁じゃないの! 信じられない! 13時間もこんなとこに座れって言うの?」

まくしたてる私に、長男は落ち着いていた。

今思うと、ああやって文句を言えたのはパニック症状を脱した証拠である。

「お母さん、少しは後ろにできるよ。他のところと同じだよ。どこだって同じだってば。二人の席でいいじゃん。窓と通路とどっちがいい? ぼくはどっちでもいいよ」と言ったので、ずっと寝るつもりの私は窓際に陣取った。

二人で並んで座るのは不思議だった。

長男と二人だけで飛行機に乗ったのはいつだったか、次男が生まれる前、長男が1歳のときに里帰りして以来だと思い出し、次男を置いてきたことをひしひしと感じた。


          *


そして、薬を飲み、まもなくうとうとして、5時間ほどして目が覚め、また薬を飲んで、着陸の少し前までずっと寝ていた。

例によって薬の効き目は強く、目が開いて体が緩慢に動いても、頭の中は霞がかかったようで、パスポート・コントロールや税関はもちろん、ホテル行きのシャトルバスやホテルのフロントなどの記憶はほとんどない。

預け入れ荷物が出てくるのを待っていたとき、「お母さん、ここから動かないで。ぼくがスーツケースを持ってくるまで、ここに立ってて」と長男に命じられたのは覚えている。

あの薬を飲むなら、一人で旅行してはいけない。誰かが同行するか、せめて空港に迎えに来てくれないと危ない。

パニック・アタックのための薬は、これまでカリフォルニアに行ったときしか飲んだことがない。今回、初めて日本への往復で使ってみて、体の疲れが格段に少ないのに驚いた。高度が下がり始めて着陸するまでの不快感を解消するために処方してもらったのだが、疲労や腰痛などいつもの症状は非常に軽かった。前後不覚になるほど深く眠るせいだろうか。

この薬がますます手放せなくなった。Controlled substances(規制物質)の一つで、処方箋が必要なのはもちろん、ファクスや電話では受け付けてもらえない。

何が入っているのか知らないが、私には恐ろしいほど効く。


          *


翌朝の記憶もおぼろげである。

ホテルのビュッフェで朝食を取り、9時半にはホテルを出て、シャトルで再び羽田に戻った。計画性ゼロだが、横浜のホテルに行くには羽田からのバスが一番簡単だと姉が言うので、それに従った。

その前に羽田で携帯を借りねばならない。

事前に予約したので、受け取るだけなのだが、場所がわからない。出発前にネットで調べたのに、いつもの方向音痴に加えて薬のせいでまったく思い出せなかった。

私は人に尋ねることに抵抗がない。どこに行っても、やたらと人に聞く。40過ぎたら、そんなこと恥ずかしいともなんとも思わない。無駄足を運ぶよりはずっと効率がいい。案内図を見ても混乱する人間には、具体的に教えてもらわねばならない。

すぐそこにインフォメーション・デスクが見え、「聞かなくたってわかるよ」としぶる長男を無視して、「ソフトバンクのお店はどこですか」と聞いた。

私が近づくと、制服を着た小奇麗な娘さんがにっこり笑って立ち上がり、「おはようございます」とお辞儀をした。「こちら左手にお進みになって、まっすぐ、つきあたりにございます」と指を揃えた手で私が行くべき方向を指し示し、またにっこりした。

私は感激した。

なんて愛想のいい、親切な人! きれいにお化粧をして、清潔な制服で、なんとも可愛らしい! 高めの声も相まって、まるで小鳥だ!

アメリカにも親切な人はいるが、この日本の丁寧な口調と物腰は独特なものである。

案内は彼女の仕事であって、にっこりしようがしまいが、お客に正しい場所を教えさえすればいいのに、100点満点の作法である。


       *


お礼を言って、教えてもらった方向へ進むと、すぐにわかった。空港の規模が小さいのだろうか。

ソフトバンクのカウンターで名前を告げると、こちらでも丁重にてきぱき対応してくれた。

最初は普通の携帯を予約したものの、姉と合流するまではスマートフォンがないとさすがに長男も迷うだろうと出発直前に変更したのだが、「承っております」と何の問題もない。宅急便で返却するにはどうすればいいかと聞くと、これまた丁寧に教えてくれる。

そして、小さい布のバッグにはiPhone 4Sと充電器と書類がきれいに収まり、もっと大きな箱を想像していた私は「これだけでいいんですか」と頓珍漢な質問をした。

お店の人は私の質問の意図がわからないようでちょっと首を傾げたが、「はい、それだけで大丈夫です」とおのぼりさん丸出しの私に「心配いりませんよ」と言いたげににっこりした。

それからバスの切符売り場を探し、切符を買って、乗り場を探し、しばらくするとバスがやってきた。そして、運転手の丁寧な挨拶(お辞儀付き)と案内を聞きつつ、清潔なバスは時刻表ぴったりに出発した。


         *


こうやって、空港を出る前から私は感動しっぱなしだった。

「さすが、日本ね!親切で礼儀正しくて時間通りで!インフォメーション・デスクの女の子、可愛かったじゃない?細かったわねー。あんなに愛想のいい案内係なんて、ほんっと久しぶりだわ!確か二人いたと思うけど、区別できないくらいそっくりな髪型とお化粧だったじゃない?あれが今の流行なのかしら。このバスだってきれいよねえ。あちこちの表示も親切でわかりやすいし。気配りがいいのよ。っていうか、アメリカが適当すぎるんじゃない?」と、さっそく携帯を試していた長男に延々としゃべり続けたらしい。

あとになって、私は薬が効いていると、ぼんやりしているわりにペラペラしゃべると長男に言われた。話は脈絡がなく、たまに支離滅裂なことも口走るらしい。

長男はそんな私を見慣れているので、好きにしゃべらせておくのだそうだ。

パニックで追い詰められて悲愴な顔をしている私より、薬で舞い上がっている私のほうがまだしもマシなのかもしれない。



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4年ぶりの日本 その2

2013.06.27 (木)


横浜のホテルで、チェックインまで荷物を預かってもらうことにした。

空港付近のホテルよりはるかに高級だけあって、ホテル側の対応はさらによかった。

姉は3時にホテルに来る予定だったので、それまで長男と横浜でうろうろした。といっても、ホテルから歩ける程度のところだ。なにしろ、機内で飲んだ薬がまだ抜け切っていないのである。

なぜかスマートフォンはあまり役に立たなかった。

長男はともかく、私にはiPhone4Sが使いこなせなかった。「これのどこが直感でできるのよ?スティーブ・ジョブズがそんなこと言ってなかった?ぜんぜんできないじゃない。あーやだやだ、アップルのイメージ、がた落ちだわ。これで1日1500円よ?横浜出るときに返すわよ」とけなしまくった。

長男はマックを使っているし、ウィンドウズだがスマートフォンだし、なぜ私が苦労するのかわからないようだった。返す頃になってやっと要領がつかめるようになった。

後日姉に効いたところでは、わざわざスマートフォンでなくても、「がらケー」というので事は足りたらしい。簡単な検索やメールならできるそうだ。私がアメリカで使っている、旧石器時代の携帯とはレベルが違うらしい。

それにしても、どの携帯でも世界中で自由に(特別料金や手続きなしに)使えるようになるのはいつなのか。

横浜には4年前にも来たが、また開発が進んだらしく、見覚えのない建物が多かった。お店の名前はなぜかほとんど横文字で、英語風だったりフランス語風だったり無国籍風だったり。いったい何のお店なのか、入るまで見当もつかないし、店名がまったく覚えられない。日本人はこういうお店の名前に抵抗がないのだろうか。

ところどころに、英語の表示があったり、売っているシャツにも英語のメッセージが印刷してあったりする。

私が見ても、妙な英語が目に付き、ネイティブスピーカーの長男は最初は苦笑いしていたが、そのうち見ていられなくなって目をそむけた。そういうのを読むと疲れるのだそうだ。

飛行機の中ではほとんど寝ていて、ホテルでも寝て、日中出歩いたせいもあるのか、恐れていた時差ぼけは軽かった。今までで一番楽だったかもしれない。


       *


ホテルに戻って、チェックインする。

フロントには案内係もいて、私を空いたデスクににこやかに連れて行ってくれる。数時間前に預けておいたスーツケース2つが、いつの間にか金色のカートに乗って私のすぐ横に現れた。フロントも愛想よく、てきぱきと手続きをし、丁寧に説明してくれる。

そして、クラシックな鍵を渡された。ちょっと重い、装飾品みたいな趣向の金属の鍵である。いまどき珍しく、カード形式のドアではないのだ。

失くしたらどうしようと不安になる。出かけるときは必ずフロントに預けよう。他の宿泊客はどうするのかわからない。

部屋に入ってやっと落ち着く。

私は外の景色はどうでもよい。そんなものにお金を払うつもりはない。第一、高所恐怖症である。この部屋もごく普通なのだが、賢いレイアウトのせいで狭さを感じさせない。

バスルームも快適。

久しぶりのウォッシュレットに慣れず、ついトイレットパーパーをたくさん出してしまう。おそらく4年前よりさらに高性能になったトイレなのだろう。珍しくて、ボタンや表示をじっくり見てあれこれ試してみる。

出発直前のパニックアタックはどこへやら、通常料金の半額で泊まっていることもあって、私はすっかり機嫌がよくなった。

それに姉が来れば、なんでも教えてもらえる、助けてもらえるという安心感。おいしいところへ連れて行ってもらえるという期待。


       *


3時過ぎにホテルの部屋にやってきた姉を見て驚いた。

4年前に会ったときより、ひどく老けていた。特に頬の線が下がっている。キャリアウーマンなのに化粧っ気がないのは相変わらずだが、予想よりはるかに年を取っていた。職場でストレスにさらされているからだろうか。閉経するとどっと老けるというのは本当だ。

しかし、私と姉は1つ違い。私は自分も4年分老けたとはすぐに考えなかった。姉だって、私と同じ事を思ったかもしれない。でも、私たちはお互いに何も言わなかった。

その後、鏡を見るたびに自分の顔が気になってしょうがなかった。

私の頬だって、明らかに重力との戦いに負けている。意識して、頬を上に引っ張り揚げる表情を作らねばならない。そういえば、アメリカにいるときに、「お母さん、このごろすごく年取ったみたいだよ。髪も白いし」と長男に言われたのを思い出した。次男の病気のせいだけではなく、そういう年齢なのだ。

もっとも、姉の老け顔にもすぐに慣れた。

あちらはあちらで、長男の成長ぶりに驚いていた。最後に会ったのが14歳の頃で、私は写真などもまったく送らないから、無理もない。

長男も交えて、話は尽きない。子どもに日本語を教えてよかったと思う瞬間である。

夕食は姉のおごりで立派な中華レストランに行った。

アメリカナイズされたチャイニーズではない。あまりのおいしさにまた感激し、チップが要らないのでうれしくなり、それなのにこのサービスかと、また感動する。「お母さんはね、こういうチャイニーズが好きなの。だから、アメリカのチャイニーズ・レストランには行かないのよ。わかるでしょ?」と長男に言いつつ飲むお茶もまた格別。

姉は注文の多い私をどこに連れて行くか、ずいぶん前から計画していたらしい。食いしん坊の姉の選ぶところでハズレはない。

私はアメリカに骨をうずめるつもりでいるが、今回初めて、老後は日本で姉と暮らすのもいいな、おいしいものがある横浜がいいなとふと思った。長男と次男のことや、姉の都合や、日本の景気や年金や高齢化などは考えず、ともかく死ぬまでにもっとおいしいものを食べたい一心でそう思った。


          *


翌朝はホテルでビュッフェ式の朝食を取り、長男も私もおいしさと種類の豊富さに目を丸くし、ダイエットなんて考えはどこかにすっ飛んだ。

ただし、4年前のホテルは今回のよりさらに豪華な朝食を供した。次男も長男もいまだに「あのホテルの朝ごはん」の話をするくらいである。

その日、姉は仕事を終日抜けられず、私と長男だけで出かけた。もちろん前の日に電車の乗り継ぎなど姉に詳しく教えてもらい、長男がスマートフォンを持ち、なんとか無事にホテルに戻って来られるだろうと自信が持てた。

出かけたのは秋葉原。

本当は、アニメ好きな長男のためにジブリ美術館に行きたかったのだが、5月後半は改装かなにかでずっと休館だった。しかも、前売り券を特定のコンビニで買わねばならないという。そんな美術館は初耳であった。帰国前に寄ろうと思ったら、週末はすべて売り切れだった。

そんなことも出発直前に気がつき、「なんでもっと早くちゃんと調べなかったのよ?」と長男に怒ってもどうにもならない。

杉並アニメミュージアムというのも見つけたが、あまりいいレビューがなく、そもそもジブリも杉並も駅からバスを乗り継がねばならない。横浜からそんなところまで行く元気はなく、あきらめた。

その代わりに、東京アニメセンターが秋葉原にあることがわかった。横浜からも1本で、駅のすぐ近くだという。

長男はゲームも好きなので、秋葉原なら他にもなにかあるかもしれない。こんなに何度も日本に来ていながら、(私にいたっては10年も東京に住んでいたのに)、秋葉原に一度も行ったことがなかった。


        *


アニメセンターは11時オープンだったので、のんびり出かけた。

秋葉原の駅を降りると、思ったより地味なところで、昔からあるようなごちゃごちゃした小売店と、それと対照的にモダンなビルが並んでいた。

アニメセンターは、会議場などがいくつも入っているらしいピカピカのビルの中にあり、外の長いエスカレーターを上っていく。

せっかく機嫌よく日本滞在が始まったのに、ここは最悪だった。

教室2つ分くらいの大きさで、テレビモニターがいくつかと、アニメのパネルが壁にかかり、奥にギフトショップがあったが、大仰な名前が恥ずかしいくらい、なんにも見るものがないのだ。展示物も販売品も貧弱で、非常にがっかりした。足を踏み入れたとたん、私は長男に「もう行くわよ」としつこく言い、長男も口には出さずに、一通り見てはいたが、30分もしないで出た。

旅行前に読んだレビューは賛否両論だったが(特別な展示があるときはまだましらしい)、私なら星1つもつけたくない。

日本政府はアニメやマンガを世界にアピールしているのではなかったか? いったいこのチャチなアニメセンターは誰が何の目的で作ったのか。狭ければ狭いなりに、いくらでも工夫できるだろうに、あのやる気の無さはなんだろう。

日本にいる間に唯一がっかりさせられた場所である。


         *


ニューヨークを出たのが5月21日で、戻ったのが6月9日。

時差1時間につき、時差ぼけ回復に1日ずつかかるというのが私の持論である。2週間で完全にニューヨーク時間に戻り、所用を片付けてやっとブログを書く気になったのだが、この調子では秋になっても日本滞在記が終わらない。

しかし、書いておかねば忘れてしまう。

次回の日本行きの際に参照できるように、なるべく詳しく記録しておきたい。何が大事なのか後になってみないとわからないので、ついどうでもいいことも全部書き残そうとするのがいけないのだ。

仕事もまだ続いているし、ウィンブルドンもあるし、週末には久々に次男が外泊許可をもらって帰宅する。なんだか慌しい。



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