- バイオリンに酔う その1 2013/05/11
- バイオリンに酔う その2 2013/05/11
バイオリンに酔う その1
2013.05.11 (土)
先日、ボストンの地下鉄でバイオリンを弾く若者二人のビデオ(その記事はこちら)を見てから、すっかり彼らのファンになった。
しょっちゅう再生していたので、夫が「また、そいつらか?」と呆れていた。そして、「それはバイオリンというより、フィドルだな。スタイルはklezmerだな」と薀蓄をたれ、グーグルで検索しろとうるさい。
私はジャンルなんてどうでもいい。自分が気に入った音楽を好きに聞きたいだけである。
夫はハイスクールでクラリネットを吹いたし、私より知識はある。私はバイオリンとフィドルの違いもよくわからない。クレッツマーは、なるほど私好みの演奏スタイルだった。そして、一人は確かにフィドルで、楽譜でなく耳で聴いて演奏する人だった。もう一人はクラシックなバイオリニスト。
私と夫の音楽の好みはかなり違う。
夫は、マーチング・バンドやギルバート&サリバンが好きで、私は特に後者は虫唾が走るほど大きらい。私はクイーンやリュベ(ロシアのグループ)を聞く。
ビートルズやクラシックならまあいいのだが、それでも夫が選ぶ曲と私が聞きたいのとがどうも合わないので、長いドライブ中の選曲は重要な問題である。
本が好きでリベラルという以外、私と夫にはどれだけ共通点があるか疑わしい。よく24年もいっしょに暮らしてきたものだ。
私は自分の好きな音楽を夫にも気に入ってもらいたいとは思わない。しかし、夫はやたら私に自分の好きな曲を聞かせたがり、自分の好きな映画を見せたがり、自分の好きな本を私に読ませたがる。
食べ物の味見を無理強いされるのと同じく、「ちょっとこれ、聞いて」と呼ばれるのに私は非常に抵抗がある。
自分がされて嫌なことは人にしないの原則にのっとり、私は地下鉄のバイオリン弾きは自分だけで楽しむことにした。
*
例外は長男。ハフィントンで見つけた日にさっそくリンクをメールしておいたのに、反応がない。
何日かして電話したとき、「Subway violinistsのリンク、送ったでしょ。聴いた? すごくいいと思わない? お母さん、ああいうの好きなのよ~!」と止まらない。
「お母さん、あれ、誰の歌か知ってるの?」といやに冷静な長男。
「知ってるわよ。テイラー・スウィフトでしょ」と、元歌どころか顔と名前しか知らなかったのに、私はそんなの常識でしょというふうに答える。私は流行歌手とは無縁である。そんな私の口から彼女の名前が出るのが、どうにも変だったらしい。
「あんた、ボストンでしょ? 地元でしょ? あの二人を見たことないの? 週に4日は演奏してるって」と、すっかりミーハーになった私。
「いや、あれはサウス・ステーションなんだよね。ぼく、そっちは行かないんだよ。」
「ハーバード・スクウェアでもやってるって書いてあったわよ。ケンブリッジでしょ。そっちはよく行くでしょ。あったかくなったから、外でもやるみたいよ。見に行きなさいよ」と、我ながらしつこい。
「あ、ハーバード・スクウェアならね」と興味のなさそうな返事。
「もし演奏してるとこだったら、お母さんの代わりにバイオリン・ケースにお金入れるのよ。はずんであげて。はずむってわかる? たくさん入れるってことよ。お母さんがファンですって言って」と念を押す。どっちがティーンエージャーなのかわからない。
「うん、わかった」と長男は素直に応じたが、まだ見たことはないらしい。
長男は来週で大学寮をいったん出なくてはならない。荷物があるので、私と夫がお迎えに行くことになっている。
「そのときにあのバイオリン見られないかしら。生の演奏はビデオよりもっと迫力があるって誰かがコメントしてたのよ。本物、見たいじゃない? あんたの片付けはダディとやって、私はその間にバイオリンを聴きに行くっていうの、どう?」と、重症の方向音痴も忘れて提案した。
*
バイオリン・デュオのビデオは、再生回数が75万回を超えた。
彼らはローカルのラジオやテレビにも出た。日の目を見ずに消えていくミュージシャンがほとんどだろうから、めでたいことである。
インタビュー記事によると、革ジャンのレットはテキサス出身で、相方のジョシュとともにボストンのバークリー音楽大学出身。年は23と24。ちなみに、大学は彼らの人気を快く思っていないらしい。地下鉄で小遣い稼ぎをするための音楽教育ではないというところか。
でも、カーネギー・ホールやウィーン・フィルだけが音楽ではない。バイオリン2丁でこれだけ大勢の人を楽しませることができるのだ。
なんの遜色があろうか。
レットは卒業後、地元テキサスに帰り、ローカルのバンドに加わったが、またボストンに舞い戻った。一時期はホームレスも同然で、公園のベンチで寝たこともある。その後、ジョシュと二人でアパートを借りたが、家賃が払えない。他のアルバイトをしてみたが、音楽が捨てられなかった。
最初は戸外で演奏して、寒くなったので地下鉄に降りた。
初日は、30分演奏してたったの3ドルしか集まらなかったという。これじゃだめだと落胆したものの、もう一度だけやってみようと決心する。今度は2時間で300ドル。それでどうにかやっていけそうだとなった。それ以外にも個人のパーティやイベントで演奏して生活費を稼ぐ。
*
注目されたビデオは、知り合いのビデオグラファーに友達価格で撮ってもらったもの。
パソコンの前でウェブキャムで撮るだけでは目立たないので、プロフェッショナルな作品にしたかったそうだ。いいお金の使い方である。2時間演奏し続けて、いちばん雑音が少なく、うまくできたのをYouTubeに載せたところ、マスコミに取り上げられた。
この二人はルームメイトで、どの演奏でもとても息が合って楽しそうにやっている。ただし、お互いに別のバンドで活動しているという。本当の夢は自分のバンドで大きなコンサートをすることだそうだ。
昔々、私が高校生のころ、バンドに熱中していた男の子がどのクラスにも何人かいたのを思い出した。1970年代半ばのことである。
それにしても、音楽で生きていくのは本当に大変だろうと思う。レットのプロファイルには、この世でなによりもバイオリンが好きだと書いてあった。
人生、そこまで夢中になれるものがあるのはなんと幸運なことか。
長男は分野こそ違えど、同じく芸術専攻である。アートで食べていくことはできるのか。食べないまでも、アート関連の仕事ができるのか。若いバイオリニストたちの姿に長男が重なる。
大人っぽく見えるが、彼らのインタビューを聞いたら、まるっきりティーンエージャーの話し方だった。
そして、また、若いっていいなあと思った。
<今日の英語>
It's all over the map.
てんでバラバラです。
ラジオでマモグラフィの料金と保険適用額を全米のリスナーにアンケートしたところ、大きなばらつきがあったという。データを見た番組ホストの一言。
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バイオリンに酔う その2
2013.05.11 (土)
ボストンのラジオ局がレットにインタビューした。
「ポップ・ミュージックをクラッシックな楽器で弾く人は他にもいますけど、誰からインスピレーションを受けましたか。」
「彼の演奏を聴いたら、もう誰もぼくなんか聴いてくれなくなると思います。彼はほんとにすごいですから。スーパースターです」と褒めちぎったあと、「あのー、David Garrettです」とやっと名前を出した。
私にはもちろん初耳だった。
ラストネームからして、アメリカ人かイギリス人か。とにかく英語圏である。
私の好きなバイオリニストが絶賛するのだから、がぜん興味が湧いた。そして、さっそく検索すると、7000万近くヒットした。なるほど有名なのだろう。
German Violinistと書いてある。ドイツ人? あの名前で? 記録破りの?私はテイラー・スウィフトすら聞いたことがなかったので、そう言われてもまったくピンと来ない。
いくつか上がった画像を見て、さらに混乱した。
これは、ハーレクイン・ロマンスの表紙か? 金髪で長い髪の男がシャツの前をはだけて、憂いのある目を向ける。違いはバイオリンを手にしていることだけ。
ともかく演奏を聴いてみなければ。
YouTubeでも山ほど出てきた。なるほどスーパースターですか。
ボストンの二人がアップロードしたレッド・ツェッペリンの Kashmir を、このデイヴィッド・ギャレットなる人物もやっていた。比較するには同じ曲のほうがわかりやすい。
*
I was floored!というのはこういうときに言うのだろう。
辞書では、恐れ入る、参ると書いてあるが、打ちのめされて呆然とするような、圧倒されて動けないような、もっと強い感覚である。
不思議な存在感とビジュアル。力強い演奏。すばらしい音色。輝くバイオリン。終わったときの笑顔。
かたっぱしから、ビデオを見た。もう仕事どころではない。
経歴を読み、インタビューを聞いた。ドイツ語が多いが、本人は独英バイリンガル(母親がアメリカ人、父親がドイツ人。ギャレットは母親の旧姓。演奏家としてやっていくときに、発音しやすいほうを選んだ)なので、英語でもいろいろある。
日本やアメリカでどれくらい有名なのかわからないが、私はまったく知らなかった。「クラシック界のデイヴィッド・ベッカム」なのだそうだ。
1981年生まれで、4歳からバイオリンを始める。
11歳のとき、ドイツのワイゼッカー大統領の官邸で演奏し、ご褒美にストラディヴァリウスをもらう。
14歳でドイツ・グラモフォンと専属契約を結ぶ(同社と契約したした演奏家としては史上最年少)。
ロンドン王立音楽大学に学び、2004年にはジュリアード音楽学校を卒業。ジュリアードでの指導教授は、イツァーク・パールマン。それ以前にも、アイザック・スターンだの、ズービン・メータだの、私でも知っている演奏家に教わっている。
つぶれなかった神童だったのか。
*
しかるに、16歳で細身の体を黒いスーツに包み、初々しく真面目に(でも楽しそうに)メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲を弾いていた紅顔の美少年が、
なぜ2010年には、染めた金髪を振り乱し、バイク・ブーツを履いて、ロックバンドとメタリカなのか?
私は久々にそそられ、夢中になった。
(書いてるだけでドキドキしてきたので、続きはあとで)。
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