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家のローン完済

2013.05.09 (木)


毎月1日が支払日のローンがあと1回分ちょっと残っていたのに、口座を見たらPAID IN FULL(全額支払い済)になっていた。しかも、なぜか明細にアクセスできない。

ローン残高はエスクロー(税金や保険を払うための積み立て)から充当したらしく、得でも損でもない。おそらく契約書に最終支払いはそのように行いますと書いてあったのだろう。この家を買ったときの30年ローンを15年ローン、10年ローンと2回リファイナンスしたが、細かいことは覚えていない。

払い終える日は、はるか未来だった。

余分なお金があるときはせっせと元本返済に充て、子どもたちが大学に入る前に完済するという目標がどうにか達成できた。

最初のローンから数えると、18年。

数字に弱い私がなぜ覚えているかというと、長男が8ヶ月くらいのときに引っ越したので、だいたい長男の年齢から1年を引けばいいのだ。

銀行のサイトで完済しましたという表示を見ても、それほどの感動はない。やったー!と思ったのはほんの一瞬。

ここは田舎なのに不動産税・学校税が高い。年間1万2千ドル以上する。ローンがなくても、そっちは払い続けなければならない。

銀行からはなんのお知らせもなかったので、電話した。

やはり、エスクローから動かされていた。電話に出たのは声からして若いお兄ちゃんで、頼りなさそうだった。いつまで私がウェブサイトにアクセスできるのかも知らなかった。あと2ヶ月か3ヶ月くらいだと思いますなどと、適当なことを言う。

ローン完済の証明書みたいなものはくれるんですかと聞いたら、それらしきことが書いてある1枚の紙を郵送しますとのことだった。こんな高い買い物なのに、それでいいのか?


        *


夫に「もうローン完済になっちゃってるわよ」と伝えたが、あちらも感動はないようだった。

ずっと私が支払いの手続きをしてきたし、もともとそういうことに関心がないのだ。

ローンがないのはありがたいが、私はこの家自体は好きではない。特に、レイアウトや家の向き、2階の廊下の暗さ。それに、夫の転職と同時だったので、夫が入居を急ぎ、内装仕上げが適当だったのも不満だった。

広い庭がうれしいのも最初だけで、以後は手入れにかかる手間と費用にうんざりしている。私は家の管理や飾り付けなんかやりたくない。そんな暇があるなら、寝転がって本を読みたい。

18年も住めば、あちこちガタがくる。そろそろボイラーが危ない。灯油用の巨大タンクも気になる。もう二度と一軒家には住まないぞと私の決意は固い。

不動産価格は購入時の倍になったが、それほど優良な投資だったとは思えない。なにしろ維持費がかかる。

ただし、プライバシーと静寂と安全だけは確かに価値があった。

そして、なによりも新鮮な空気!

そう思うと、引きこもっているのがもったいなくなる。せめて庭でおいしい空気を満喫すべきなのだ。その空気はタダじゃない。家のローンとセットだったのである。


          *


家のローンが終わったら、あとは子どもたちの学費と私たちの老後資金。

長男が大学1年を終えるところだが、なんだかしょっちゅう送金していた気がする。学費も寮費もカフェテリアでの食事代も先払いしたものの、ドラッグストアやファーストフード、映画に地下鉄、本におやつなどいちいちお金がいる。

長男は「お母さん、お金送らないで。あると使っちゃうから」とのたまう。

私が嫌悪する銀行手数料もたびたび引かれる。無料ATMを使わないからである。この子はお金が貯まらないタイプだと、新たに心配の種ができた。どケチの私の遺伝子はどこで消えたのだ?

4年分のつもりで貯めたのに、このままでは3年で使い果たす。

長男はアルバイトをしていない。1年目は勉強と大学生活に集中してほしかった。ぼんやりしている長男には両立は無理だと思った。大学内で働けるwork studyプログラムは、親の資産のせいで対象から外れた。学外でも探せばあるのだろうが、本人に真剣みがない。

大学1年目を振り返ると、私は長男をかなり甘やかしたと思う。

これはよくない。うかうかしていると、甘えたまま卒業してしまう。

次男の大学進学はどうなるかわからない。病気のこともあって、もしかしたら近くのコミュニティ・カレッジにまず行かせるかもしれない。相当な節約になる。でも、「もっといい大学」のために貯めたのにと、そっちはそっちでやっぱり私は諦めが悪い。


        *


老後資金は相当貯めたが、こっちもまったく安心できない。

企業年金もあるし(ただし、一括で受け取る選択肢がある)、夫のソーシャルセキュリティはかなり高額になると思われるし、家を売れば現金になる。しかし、老人ホームの入居料を見ると、ミドルクラスの貯金なんかあっという間に吹っ飛ぶとわかる。

まったくこういう心配症の私から、どうしてあんなにのん気な長男が生まれたのか。私は長男の老後まで気に病んでいるのである。

デビットカードの明細に2ドルか3ドルの手数料があるのを見て、子どもは親とは別人格なのだとしみじみと思う。そのたびに長男にメールを書き、手数料がいかに無駄なことかと繰り返し説くも、暖簾に腕押し。

どうして子どもなんか生んじゃったのかしらと、18年も経っているのに自分に問うてみる。
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バイオリンに酔う その1

2013.05.11 (土)


先日、ボストンの地下鉄でバイオリンを弾く若者二人のビデオ(その記事はこちら)を見てから、すっかり彼らのファンになった。

しょっちゅう再生していたので、夫が「また、そいつらか?」と呆れていた。そして、「それはバイオリンというより、フィドルだな。スタイルはklezmerだな」と薀蓄をたれ、グーグルで検索しろとうるさい。

私はジャンルなんてどうでもいい。自分が気に入った音楽を好きに聞きたいだけである。

夫はハイスクールでクラリネットを吹いたし、私より知識はある。私はバイオリンとフィドルの違いもよくわからない。クレッツマーは、なるほど私好みの演奏スタイルだった。そして、一人は確かにフィドルで、楽譜でなく耳で聴いて演奏する人だった。もう一人はクラシックなバイオリニスト。

私と夫の音楽の好みはかなり違う。

夫は、マーチング・バンドやギルバート&サリバンが好きで、私は特に後者は虫唾が走るほど大きらい。私はクイーンやリュベ(ロシアのグループ)を聞く。

ビートルズやクラシックならまあいいのだが、それでも夫が選ぶ曲と私が聞きたいのとがどうも合わないので、長いドライブ中の選曲は重要な問題である。

本が好きでリベラルという以外、私と夫にはどれだけ共通点があるか疑わしい。よく24年もいっしょに暮らしてきたものだ。

私は自分の好きな音楽を夫にも気に入ってもらいたいとは思わない。しかし、夫はやたら私に自分の好きな曲を聞かせたがり、自分の好きな映画を見せたがり、自分の好きな本を私に読ませたがる。

食べ物の味見を無理強いされるのと同じく、「ちょっとこれ、聞いて」と呼ばれるのに私は非常に抵抗がある。

自分がされて嫌なことは人にしないの原則にのっとり、私は地下鉄のバイオリン弾きは自分だけで楽しむことにした。


         *


例外は長男。ハフィントンで見つけた日にさっそくリンクをメールしておいたのに、反応がない。

何日かして電話したとき、「Subway violinistsのリンク、送ったでしょ。聴いた? すごくいいと思わない? お母さん、ああいうの好きなのよ~!」と止まらない。

「お母さん、あれ、誰の歌か知ってるの?」といやに冷静な長男。

「知ってるわよ。テイラー・スウィフトでしょ」と、元歌どころか顔と名前しか知らなかったのに、私はそんなの常識でしょというふうに答える。私は流行歌手とは無縁である。そんな私の口から彼女の名前が出るのが、どうにも変だったらしい。

「あんた、ボストンでしょ? 地元でしょ? あの二人を見たことないの? 週に4日は演奏してるって」と、すっかりミーハーになった私

「いや、あれはサウス・ステーションなんだよね。ぼく、そっちは行かないんだよ。」

「ハーバード・スクウェアでもやってるって書いてあったわよ。ケンブリッジでしょ。そっちはよく行くでしょ。あったかくなったから、外でもやるみたいよ。見に行きなさいよ」と、我ながらしつこい。

「あ、ハーバード・スクウェアならね」と興味のなさそうな返事。 

「もし演奏してるとこだったら、お母さんの代わりにバイオリン・ケースにお金入れるのよ。はずんであげて。はずむってわかる? たくさん入れるってことよ。お母さんがファンですって言って」と念を押す。どっちがティーンエージャーなのかわからない。

「うん、わかった」と長男は素直に応じたが、まだ見たことはないらしい。

長男は来週で大学寮をいったん出なくてはならない。荷物があるので、私と夫がお迎えに行くことになっている。

「そのときにあのバイオリン見られないかしら。生の演奏はビデオよりもっと迫力があるって誰かがコメントしてたのよ。本物、見たいじゃない? あんたの片付けはダディとやって、私はその間にバイオリンを聴きに行くっていうの、どう?」と、重症の方向音痴も忘れて提案した。


        *


バイオリン・デュオのビデオは、再生回数が75万回を超えた。

彼らはローカルのラジオやテレビにも出た。日の目を見ずに消えていくミュージシャンがほとんどだろうから、めでたいことである。

インタビュー記事によると、革ジャンのレットはテキサス出身で、相方のジョシュとともにボストンのバークリー音楽大学出身。年は23と24。ちなみに、大学は彼らの人気を快く思っていないらしい。地下鉄で小遣い稼ぎをするための音楽教育ではないというところか。

でも、カーネギー・ホールやウィーン・フィルだけが音楽ではない。バイオリン2丁でこれだけ大勢の人を楽しませることができるのだ。

なんの遜色があろうか。

レットは卒業後、地元テキサスに帰り、ローカルのバンドに加わったが、またボストンに舞い戻った。一時期はホームレスも同然で、公園のベンチで寝たこともある。その後、ジョシュと二人でアパートを借りたが、家賃が払えない。他のアルバイトをしてみたが、音楽が捨てられなかった。

最初は戸外で演奏して、寒くなったので地下鉄に降りた。

初日は、30分演奏してたったの3ドルしか集まらなかったという。これじゃだめだと落胆したものの、もう一度だけやってみようと決心する。今度は2時間で300ドル。それでどうにかやっていけそうだとなった。それ以外にも個人のパーティやイベントで演奏して生活費を稼ぐ。


         *


注目されたビデオは、知り合いのビデオグラファーに友達価格で撮ってもらったもの。

パソコンの前でウェブキャムで撮るだけでは目立たないので、プロフェッショナルな作品にしたかったそうだ。いいお金の使い方である。2時間演奏し続けて、いちばん雑音が少なく、うまくできたのをYouTubeに載せたところ、マスコミに取り上げられた。

この二人はルームメイトで、どの演奏でもとても息が合って楽しそうにやっている。ただし、お互いに別のバンドで活動しているという。本当の夢は自分のバンドで大きなコンサートをすることだそうだ。

昔々、私が高校生のころ、バンドに熱中していた男の子がどのクラスにも何人かいたのを思い出した。1970年代半ばのことである。

それにしても、音楽で生きていくのは本当に大変だろうと思う。レットのプロファイルには、この世でなによりもバイオリンが好きだと書いてあった。

人生、そこまで夢中になれるものがあるのはなんと幸運なことか

長男は分野こそ違えど、同じく芸術専攻である。アートで食べていくことはできるのか。食べないまでも、アート関連の仕事ができるのか。若いバイオリニストたちの姿に長男が重なる。

大人っぽく見えるが、彼らのインタビューを聞いたら、まるっきりティーンエージャーの話し方だった。

そして、また、若いっていいなあと思った。


<今日の英語>

It's all over the map.
てんでバラバラです。


ラジオでマモグラフィの料金と保険適用額を全米のリスナーにアンケートしたところ、大きなばらつきがあったという。データを見た番組ホストの一言。



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バイオリンに酔う その2

2013.05.11 (土)


ボストンのラジオ局がレットにインタビューした。

「ポップ・ミュージックをクラッシックな楽器で弾く人は他にもいますけど、誰からインスピレーションを受けましたか。」

「彼の演奏を聴いたら、もう誰もぼくなんか聴いてくれなくなると思います。彼はほんとにすごいですから。スーパースターです」と褒めちぎったあと、「あのー、David Garrettです」とやっと名前を出した。

私にはもちろん初耳だった。

ラストネームからして、アメリカ人かイギリス人か。とにかく英語圏である。

私の好きなバイオリニストが絶賛するのだから、がぜん興味が湧いた。そして、さっそく検索すると、7000万近くヒットした。なるほど有名なのだろう。

German Violinistと書いてある。ドイツ人? あの名前で? 記録破りの?私はテイラー・スウィフトすら聞いたことがなかったので、そう言われてもまったくピンと来ない。

いくつか上がった画像を見て、さらに混乱した。

これは、ハーレクイン・ロマンスの表紙か? 金髪で長い髪の男がシャツの前をはだけて、憂いのある目を向ける。違いはバイオリンを手にしていることだけ。

ともかく演奏を聴いてみなければ。

YouTubeでも山ほど出てきた。なるほどスーパースターですか。

ボストンの二人がアップロードしたレッド・ツェッペリンの Kashmir を、このデイヴィッド・ギャレットなる人物もやっていた。比較するには同じ曲のほうがわかりやすい。


          *


I was floored!というのはこういうときに言うのだろう。

辞書では、恐れ入る、参ると書いてあるが、打ちのめされて呆然とするような、圧倒されて動けないような、もっと強い感覚である。

不思議な存在感とビジュアル。力強い演奏。すばらしい音色。輝くバイオリン。終わったときの笑顔。

かたっぱしから、ビデオを見た。もう仕事どころではない。

経歴を読み、インタビューを聞いた。ドイツ語が多いが、本人は独英バイリンガル(母親がアメリカ人、父親がドイツ人。ギャレットは母親の旧姓。演奏家としてやっていくときに、発音しやすいほうを選んだ)なので、英語でもいろいろある。

日本やアメリカでどれくらい有名なのかわからないが、私はまったく知らなかった。「クラシック界のデイヴィッド・ベッカム」なのだそうだ。

1981年生まれで、4歳からバイオリンを始める。

11歳のとき、ドイツのワイゼッカー大統領の官邸で演奏し、ご褒美にストラディヴァリウスをもらう。

14歳でドイツ・グラモフォンと専属契約を結ぶ(同社と契約したした演奏家としては史上最年少)。

ロンドン王立音楽大学に学び、2004年にはジュリアード音楽学校を卒業。ジュリアードでの指導教授は、イツァーク・パールマン。それ以前にも、アイザック・スターンだの、ズービン・メータだの、私でも知っている演奏家に教わっている。

つぶれなかった神童だったのか。


          *


しかるに、16歳で細身の体を黒いスーツに包み、初々しく真面目に(でも楽しそうに)メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲を弾いていた紅顔の美少年が、



なぜ2010年には、染めた金髪を振り乱し、バイク・ブーツを履いて、ロックバンドとメタリカなのか?



私は久々にそそられ、夢中になった。

(書いてるだけでドキドキしてきたので、続きはあとで)。



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バイオリンに酔う その3

2013.05.13 (月)


私は昔からあまり周囲の事象に関心が持てない。

小学1年生の通知表に「もっとまわりのことにきょうみをもちましょう」と書かれたくらいである。自分ではそれが普通だと思っていた。他の人は違うらしいと気がついたのは、ずっと後のことである。

アメリカに来て間もなく、義父がアトランタからアラバマ、テネシーを運転しながら、その土地の風景や歴史などを説明してくれたが、右の耳から左の耳へ通り抜けた。あちこちの集まりで紹介してもらっても、誰もが透明人間。どうでもよく、何も頭に残らない。義母がカリフォルニアの庭園に連れて行ってくれたが、じっくり花を観る彼女を置いて、私はスタスタ歩くだけ。察しのいい義母は「あなた、ぜんぜん見てないわね」と笑った。

しかし、そういう人間に限って(それだからこそ?)いったん火がつくと手に負えない。10年に一度くらい燃えさしにガソリンを降り注ぐような状況に陥る。

デイヴィッド・ギャレットがそれである。

1日中、ネットに大量に出回るビデオを見て、記事を読む。

大学の第2外国語で取ったドイツ語はまったく役に立たず、ダンケ・シェーンとフィーレン・ダンクしかわからない。いちいち英語に機械翻訳しなくてはならない。ああもっと真面目にやっていればと悔やむ。

もっとも、YouTubeのコメントは主にファンの書き込みで、感嘆符とハートマークが飛び交い、各国語でファンタスティック!ビューティフル!ゴージャス!アイ・ラブ・ユー!マリー・ミー!と書いてあるだけなので、訳すまでもない。


          *


そうやってバイオリンに聞きほれていた私だが、彼のパフォーマンスやインタビューを聞けば聞くほど、この人は寂しいんだなと思えてきた。

コンサートで多大なサービス精神を発揮し、気さくにインタビューに応じ、率直すぎるほどいろいろ話す。それどころか、ドイツのくだらない番組に出演したり、名曲のほんのさわりだけ弾かせるショーに出たり、低俗なインタビューを受けたり、そんなに人を喜ばせる必要がどこにあるのか。

クラシックでは神童と称えられ、クロスオーバーでもドイツのエコーという由緒ある賞をもらい、CDもチケットも売れているのに。

イギリスの番組では、リムスキー・コルサコフの「熊蜂の飛行」を世界最速スピードで弾くという曲芸をして、ギネスブックに載った。なぜそんな仕事を引き受けるのか。

クロスオーバーをやるのは、若い人たちにクラシックを知ってもらいたいからだと彼は言う。一方で普通のクラシック・コンサートもやっていて、現在の活動の7割は純粋なクラシックである。

私には、彼がかなりのトラウマを抱えているように思えた。経歴をじっくり調べると、神童と呼ばれる人たちにありがちな話だった。


          *


4歳からバイオリンを始めて、寝る時間よりバイオリンを練習する時間のほうが長かったという。

アマチュアのバイオリニストだった父親はデイヴィッドの才能を認め、できるまで夜中の1時2時までも弾かせた。学校はもちろんホーム・スクーリングで、兄妹はいたが、友達はいなかった。なにしろ、練習、コンサート、ツアーの毎日である。

16歳で普通の高校に戻ったが、そこでも孤立した。その頃、初めて自分には自由がないと気がつく。家ではクラシック一辺倒。初めてロックを聞き、初めて買ったCDがクイーンの「オペラ座の夜」。

これだけ弾けば体も故障しようというもの。腱鞘炎に腕や肩、背中の痛みに襲われる。

ところが、両親に訴えても相手にしてくれない。母親はバレリーナだったので、多少の痛みは耐えるべきものと考えて、息子はただ甘えているとつっぱねた。デイヴィッド少年はしかたなく内緒でお医者に診てもらったほどである。

その後、有名な指揮者やオーケストラと公演を重ね、ロンドンの王立音楽大学に進むも、わずか1学期で退学。この辺の事情はわからないが、本人はすぐに立ち去りたく、大学側もすぐに彼に出て行ってほしかったと書いてあった。

そして、21歳のときにNight of the Proms(ポップスとクラシックのコンサート)に招待され、クロスオーバーに目覚める。

その頃には、自分のそれまでの人生がかなり異常だったことを悟り、両親から離れようとする。

目指したのはニューヨーク。内緒でジュリアードの入学試験を受けて合格(彼を不合格にしたらジュリアードの権威が落ちようというものだ)。そして、両親にジュリアードに行かせてくれと頼む。

ところが、両親は大反対。学費も生活費も一切出さない。そうすれば、息子がしっぽを巻いてドイツに帰ってくる、これまでと同じく正統クラシックのバイオリニストとしてやっていくだろう。


           *


しかし、デイヴィッドの決心は固かった。

それまで両親やマネージャーがすべて面倒を見てくれていたので、銀行に行ったことすらなかったという。英語はできても、ニューヨークの暮らしは楽ではなかったようだ。

こういうときにルックスは役に立つ。ヴォーグ誌やアルマーニのモデルをして生活費を稼いだ。

やっぱりボストンの二人とは違うなと思ったが、地下鉄で演奏したり、レストランのバスボーイ(ウェイターの補助)をしたりした時期もあったらしい。それではバイオリンを練習する時間がなくなるので、割のいいモデルのバイトに切り替えた。

そうして、ニューヨーク生活を満喫した。失われた子ども時代を取り返すように、相当遊んだらしい。

ジュリアードではイツァーク・パールマンの最初の生徒であり、音楽理論なども勉強した。卒業の際には、作曲賞も受賞している。

卒業式の写真には、当時ニューヨークに留学していたお兄さんと一緒に写っている。両親は最後まで許さなかったということか。まったくドイツ人の頑固さには恐れ入る。


           *


さて、ジュリアードの卒業証書を手に、デイヴィッドは何をしたか。

ロックとクラシックのクロスオーバーCDを作りたいと、クラシックで契約していたレコーディング会社に持ちかけた。ところが、社長は即却下する。「5枚しか売れないよ」と言ったそうだ。

しかたなく別の会社に持ち込んだところ、大成功。

断ったほうの社長がインタビューで「クラシックの世界はほんとうに保守的なんです。クロスオーバーなんかして、デイヴィッドの評判を落としたくなかったし、彼がどれだけ苦労するか目に見えていましたから、やめておけと言ったんです」と弁解していた。

彼の両親も今では応援しているが、和解するまでに長い時間がかかったという。

音楽の英才教育について、デイヴィッドは語る。

「最近、とくにアジア人のほんの小さい子どもたちが難曲をこなしている。それはすばらしいと思う。でも、本当にそんなに小さいときからやらせる必要があるのだろうか。彼らがどれだけ練習しているか、どれだけバイオリン以外のことを犠牲にしているか、ぼくにはよくわかる。ぼくも厳しい練習のおかげで今の自分があるので、それは感謝しているが、いまの小さい子たちを見ると、そこまでやらせなくていいんじゃないかと思う。」

心の傷は深い。


            *


デイヴィッドみたいな男は、女がほっておかない。

世界各地にガールフレンドが8人いるとか、いないとか。ともかく付き合っても3ヶ月しか続かないのだ。いつも違う女と写真に納まっている。

リハーサル、レコーディング、コンサート、ツアー。自分の家はどこかと聞かれて、「飛行機」と答える人である。それに、いまでも最低1日4時間はバイオリンを練習する。バイオリンと結婚しているようなものだ。

「こういう生活についてきてくれる女の子はいない。ぼくのせいじゃない」とインタビューで語っている。

「あなたはバイオリンと寝ているんですか」と聞かれて、「いっしょに寝るなら、もっとほかにいいものがあるでしょ」とちゃかしていたが、本当はバイオリンと寝たいんじゃないかと思った。

それはともかく。

ドイツのレコード会社社長の言ったとおり、風当たりは強い。

ロックしか聞かない若い人たちにクラシックを聞いてほしいという彼に、インタビューアーが皮肉る。

「つまり、あなたが上半身裸で演奏するってことですね。」

「そういうのは、ごく初期にやっただけです。」

「でも、観客はあなたのルックスに興味があるんでしょう。あなたのコンサートに集まる女性たちがこぞって純粋なクラシックのCDを買って、シューベルトのコンサートに行くと思いますか。」

あるいは、

「早弾き競争なんかして、バイオリニストとして信用を失くしたんじゃないですか。」

「あれは5歳か7歳の子供向け番組に出演したときのことです。彼らにバイオリンを紹介しようという、番組のプロデューサーのアイディアですよ。」

「じゃあ、あなたがターゲットにしている聴衆は5歳や7歳レベルなんですね。」

YouTubeやアマゾンのコメントでも、「せっかくのストラディバリウスなのに、音が汚い」とか「ベートーベンは彼が作曲した時点で完璧だったのに、へたなアレンジなんかするな」とか「xx(音楽用語)が正確じゃない」とか、「バイオリンを弾くときのわざとらしい表情が嫌い」「こいつは本物のバイオリニストじゃない」とか、まあ蔑むこと、貶めること。

デイヴィッドは、しなくていい苦労をしている。しかし、当人にはこれが必要なんだろう。

(まだ続く)



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バイオリンに酔う その4

2013.05.13 (月)


かく言う私も、クラシックならクロスオーバーより普通にクラシックとして聞きたい。

ポップやロックをバイオリンで弾くのはいいが、あえてクラシックをロックにアレンジしてもらわなくてもいい。そのままで楽しく聞ける。

私はクラシックではビバルディとバッハが一番好き。特にアレグロ。クイーンも好きなので、「あんたは音がいっぱい詰まっててテンポの速いのが好きなわけね」と姉がまとめる。

始めからロックもクラシックも好きな場合、橋渡しはいらない。せっかくのデイヴィッドの試みも、かわいそうだが、私にはたいして重要ではない。

むしろ、彼の純粋なクラシックの演奏を聴きたいと思う。

しかし、彼のおかげでバイオリンの魅力に目覚めたのは確かだ。

私があまり騒ぐので、「ちょっと、バイオリンならヤッシャ・ハイフェッツよ」と姉に諭されて、パガニーニを聞き、こちらはこちらで「参りました」というところか。

私のバイオリン熱はさらに高まった。


          *


それにしても、ビジュアルは大事である。

デイヴィッドが小太りの醜いおじさんだったら、ここまで成功しない。身長コンプレックスのある私は、彼が長身というだけで合格にしてしまう。

彼は魅力的だが、絶世の美男子ではないし、洗練されてもいない。それがバイオリンを弾くと、120%よく見える(私だけ?)。

これまでバイオリニストといえば、胸焼けか偏頭痛で苦しんでいるような表情で弾くイメージだった。デイヴィッドのように、うれしそうに(ただし、どこか寂しげに)弾く姿が新鮮に映る。

自分ではかっこいいと思ってはいないと言うが、ステージでのクローズアップを十分計算しているだろう。しかし、16歳の頃のビデオでも、似た表情が垣間見えるので、自然にそうなるのかもしれない。


          *


次男が一時帰宅したときにもデイヴィッドのビデオを見せ、「いいでしょ? お母さん、毎日聞いてるのよ、バイオリン。アメリカでもツアーしたみたい。ニューヨークに住んでるって。本物見たいわー。コンサート行きたいわー」と訴えると、「じゃあ、行けば?」と次男はいとも簡単に言う。

そうよね。行くわ!

しかし、今年も来年もヨーロッパ・ツアーしか見つからない。

そういえば、先日、夫が 「長男をヨーロッパに連れて行ってやりたいな。美術館めぐりとか」と言った。「ヨーロッパなら、私も行くわよ」とドイツにいるパヴェルに会いたい私は答えた。

「えっ、きみも来るの?」と夫は驚いた。

私は乗り物と外出が苦手なので、旅行の誘いはまず断る。まあ、逸脱するときは往々にして不純な動機があるわけだ。

その話をしたときは、デイヴィッド・ギャレットは未知の人だった。

私は夫の出張につきあってイギリスに1週間滞在した以外、アメリカしか住んだことがない。メキシコやカリブ海すら行ったことがない。それどころか、アメリカ国内だって、訪れた州は数えるほどだ。うちにいるのが一番いいと思う。

そういう人間をヨーロッパまで連れ出そうというのだから、たいしたバイオリニストではないか。

ミーハーが世界を動かすと言ったのは誰だっけ。


         *


ボストンのデュオとデイヴィッドの「カシミール」で、懐かしいハードロックを聞きたくなった。

確か夫はザ・フーのCDを持っている。

「あなた、レッド・ツェッペリン持ってない?車の中で聞きたいんだけど。」

「え? 何? 誰?」と夫。

「誰って、レッド・ツェッペリンよ。知らないの?」とゆっくり言い直したが、夫は首をかしげる。私も自信がなくなって、「Led Zepperinって、あれ、Redだっけ? いやLedでしょ。でも、ツェッペリンのほうはRでしょ。Lなのかしら」と混乱してきた。

「ああ、レッド・ゼプリンか!」とやっとわかってもらえた。そういえば、飛行船もアメリカではゼッペリンだった。イギリスのバンドなのに、律儀な日本人はわざわざドイツ風に発音するのだ。

「あれはへヴィメタルだぞ。そんなの聞くのか?」と夫。

「へヴィメタルというよりハードロックでしょ」と、デイヴィッド・ギャレットのおかげで初めてメタリカなんか聞いていることは夫に言わない。


          *


ところで、デイヴィッド主演の映画が今秋ドイツで公開される。

題して、 Paganini - The Devi's Violinist

世界最初のロックスターとも言われ、女たらしだったパガニーニ。悪魔に魂を売り飛ばして手に入れたという噂が立ったほどのバイオリン演奏技術。

パガニーニを主人公にした映画はいくつかあった。1989年にクラウス・キンスキーが主演・監督したのはポルノまがいで、1946年の白黒イギリス映画は学芸会レベル。ど素人の私からしても、その指使いはないだろうと思う。パガニーニの難曲を本当に弾けるデイヴィッドは適役だ。

まだトレーラーもないし、アメリカでのリリース情報もない。

プロの俳優ではないのだから、あまり期待するとガッカリするかもしれない。それでも期待してしまう。今年一番の楽しみができた。



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あと1週間

2013.05.14 (火)


パヴェルに会いに、あるいはデイヴィッドのコンサートを見にヨーロッパへ行くなどと言いながら、実はまた「出かけたくない病」にかかっている。

里帰りまであと1週間足らず。それなのに、なにも準備できていない。パスポートの有効期限を確かめて、飛行機とホテルの予約をしただけである。

旅慣れている人は前日にささっと支度できるだろうが、出不精の私にとって旅行は一大プロジェクト。必要なものを書き出し、予定表を作り、留守中の対策を立て、頭の中でリハーサルする。

しかし、今回はまったく何もしていない。やろうと思っても手につかない。

在宅パートの契約仕事なのに、あっさり3週間の休暇が認められた。クビになれば時間がたっぷり、ゆっくり準備できるという見込みが外れた(平日だけ1日3~4時間しか働いていないのだが、精神的に疲れる)。

それなのに、バイオリンにうつつを抜かし、気がついたらもう来週に迫っている。

しかも、今日は歯医者の予約があり、金曜日には長男をボストンまでお迎えに行かなくてはならない。

ブログなんか書いてる場合だろうか。

こんなことをしていないで、せめて持ち物リストでも作ればいいのだが、どうにも気が乗らない。


         *


遠出するときは、毎回こういう症状が出る。

特に、今回は4年ぶりの日本だからか、飛行機の予約をしたときから微妙な緊張状態が続いている。しばしば過呼吸にもなる。

いったい日本はどれくらいハイテクになったのだろう。レジでは携帯をかざすだけで支払いができると聞く。いまだにスーパーで小切手を書く人がいる街からしたら、ほとんどSFの世界である。

ネットが使えるようになってから、ずっと朝日新聞が情報源だったのに、しだいに購読者限定記事が増えた。それで、最近は見出ししか読まなくなった。日経ビジネスは読み物なので、最新ニュースを追うのとは違う。掲示板では断片的な情報しか入らない。それも不安の原因かもしれない。

日本には、スイカとパスモという2種類の定期があると思っていた。それが、JRと私鉄でまた地方によって多種多様である事実をついこの間知って本当に驚いた。そんな複雑なもの、どうやって使いこなすのだろう。

日本の恐ろしく発達した公共交通機関に私はオタオタする。時刻表を見て、乗り継ぎを考えて、路線図を見て、自動販売機で切符を買うことが難題なのである。ふだん車で生活しているせいもあるが、とにかく苦手だ。

切符の買い方がわからず、自動販売機の前で呆然と立ち尽くしたのを思い出し、逃げ出したくなる。

それ以前に、まず羽田からちゃんとホテルまで行けるだろうか。もし飛行機が遅れて、シャトルバスの最終便に乗り遅れたらどうする? 次の日はちゃんと横浜まで移動できるだろうか。2泊したあと、ちゃんと東京駅の新幹線乗り場にたどり着けるだろうか。

いや、その前に、ちゃんとJFKまで行けるだろうか。夫が往復を運転するのは大変だから、行きは私が運転しなくてはなるまい。田舎の運転とはわけが違う。

それに、年々悪化する時差ぼけの苦しさ。

あー、行きたくない


         *


そして、追い詰められた兎のように逃げ道を探す。

キャンセルできないのはわかっている。せめて、なんとか負担を減らそうと考える。

たとえば、荷造りなんかしなくてもいいんじゃないだろうか。私が行くのは、南極でもアマゾンの奥地でもシベリアでもない。世界中のありとあらゆるものが手に入る東京である。それこそ、ショルダーバッグにパスポートとグリーンカードとeチケットとパニックの薬とお財布だけ入れて、飛行機に乗っても大丈夫なくらいだ。

同行する長男は、もう大学生。昔みたいに、オムツだのおもちゃだの持って行かなくていい。自分の持ち物は自分で用意、管理させればいい。

荷造りより問題なのは、夫をこの家に一人残すことである。

処方薬の注文用紙を書いて、いつでも郵送できるようにしておく。猫砂とキャットフードも買い置きする。冷蔵庫にある野菜は今週で使い切る。支払いはほとんどオンラインだから日本でやればいいが、中には小切手郵送でないとだめなものもある。夫が郵便物をなくさないように、箱を用意せねばらない。夫には現金も少し渡さなければ。

もし義父になにかあって夫が留守にするなら、前に頼んだペットシッターの連絡先を教えなくては。それ以外にも、ボイラーが壊れたとか、水が漏れたとか、万が一のために修理人のリストを印刷しなくては。

考えれば考えるほど、投げ出したくなる。

いっそのこと、夫に長男を連れて行ってもらって、私が猫と留守番したい。

いや、まてよ。最初から長男一人で行かせればよかったではないか。10歳で一人で里帰りする子がいるのだ。大学生に付き添う必要はない。なんで思いつかなかったんだろう。

しかし、もう遅い。


         *


姉がちょくちょく電話をくれる。

横浜のどこそこでおいしいお昼を食べない?晩ご飯はちょっといいとこに予約を入れたからね。買い物はあそこがいいんじゃない?、長男くんはきっとどこそこのなんとかを喜ぶと思うよと、計画してくれている。それで、あとは実家でゴロゴロすればいいじゃないのと言う。

非常にありがたいのだが、私は心の底では「日本行きを取り消す方法はないものか」と逡巡していて、本当に往生際が悪い。

姉は私の性格をよく知っているので(日本への出発当日朝にキャンセルした前科あり)、私が好きそうなことをあれこれ話して、やる気を引き出そうとしてくれる。そのときはいいのだが、電話を切ったとたん、「やっぱり行きたくない!」と寝ている猫を揺り起こしたりする。

いったいこれはどういう病気だろうか

旅慣れていないからだろうか。単なるめんどくさがりだろうか。広場恐怖症の一種だろうか。

私は人ごみと行列が嫌いだが、飛行機が落ちたなら落ちたで、日本にいる間に地震が起きたなら起きたで、まあしょうがないなと思う(実際、小さい地震はよく起きていると聞く)。

40を過ぎてから、人の目が気にならなくなったので、母になんと言われようと、好きな格好で出かける。出不精なだけで、特に対人恐怖はない。

そういえば、日本はいまどれくらい暑いんだろう。

検索したら、東京は28度。もはや摂氏では感覚がつかめない。華氏に換算すると、82度。湿度を考慮すると、私にとってはおそらく真夏も同様。タンクトップとショートパンツとサンダルは必須だ。母には他人の振りをしてもらおう。

いまニューヨークは一番いい季節なのに、なんの因果で大嫌いな飛行機に乗って地球の裏側まで。

悪いほうへ悪いほうへと考えてしまう。今日はだめだ。また明日になれば、もう少し前向きに検討できるかもしれない。

とりあえず、バイオリンを聴こう。



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二つのドキドキ

2013.05.17 (金)


朝、ドキドキして目が覚めた。心臓の鼓動が猫みたいに早かった。

まず、うれしいドキドキ。

ああ今日もデイヴィッドのバイオリンが聞ける。

日がな一日バイオリンのビデオを流し、1日の終りにはアルビノーニのアダージョを聞きながら、私のいまわの際にはぜひともこのCDをかけてもらいたい、彼の演奏を聴きながら息を引き取れたら最高だなどと夢想する。

今はオーストリアでツアーをしている。今秋公開予定の映画のプロモーション映像がステージに流れると、ファンがさっそくYouTubeにアップロードしてくれた。

臨終のBGMはこれにしよう(演奏は1:20から)。

David Garrett - Tips Arena Linz - 12.05.2013 - Paganini *Io Ti Penso*


        
ステージの映像を見ただけで、コスチュームもセット・デザインも私好みで、脇役は知らない人ばかりだが、舞台出身の俳優などかなりよさそうな感じだ。いやがうえにも期待が高まる。

息子役の子どもを抱きしめるシーンがいい。

パガニーニは女たらしで、いっしょにコンサート・ツアーをしていた歌手に子どもを生ませている。二人は結婚しなかったが、パガニーニは息子をとても可愛がったとどこかの伝記に書いてあった。

パガニーニは、"I am not handsome, but when women hear me play, they come crawling to my feet."(私はハンサムではないが、私の演奏を聴いた女性たちは私の足元に這いつくばるようにやって来る)という言葉を残した。肖像画はおせじにも魅力的とは言えない。デイヴィッドよりもクラウス・キンスキーの奇怪で卑屈な容貌のほうが史実に合っている。

しかし、しょせん映画はファンタジー。とことん華麗にやってもらいたい。

監督はデイヴィッドに自然な演技をしてほしくて、演技のレッスンは無し、ボイス・トレーニングだけさせたそうだ。

コンサートでの語りやインタビューからして、声も悪くない。

ドイツ語なまりの英語がこんなに魅力的だとは思わなかった。バイリンガルで流暢ではあるものの、確かにアクセントが残っていて、それがまたいいのである。もともと外国なまりに弱い私だが、今回は特に正常な判断力を失っているかもしれない。

うれしいドキドキはここまで。


        *


明日はボストンへ。片道3時間の日帰りである。

行きは私がハイウェイを運転して、ケンブリッジ市内は夫。夫が運転する車の助手席に座るのはストレスがたまるが、私にはあの街の運転はぜったいに無理だ。道路が狭く入り組んでいて、歩行者が多い。

タイヤがパンクしないか、事故に合わないか。あれこれ考えて、血圧上昇中。

長男の大きな荷物は、きょう倉庫の人が取りに来てくれるそうだ。8月終りまで3ヶ月の保管料に往復の運送手数料を加えて592ドル。予想外の出費である。

長男が大事なものを倉庫に入れてしまわないか、倉庫で乱暴に扱われて中身が壊れやしないかと、そっちも気になる。

お昼ごろ、長男から電話があった。

「お母さん?きょう、ストーレッジ(倉庫)の人が来るんだけど、ぼくのcomforter(掛け布団)も入れたほうがいいと思う? シーツはどうしたらいい?」

私は絶句した。

「そんなもの、自分で決めなさいよ。お母さん、大学寮に住んだことなんかないし、わかんないわ。他の子はどうしてるの? ジョン(ルームメイト)に聞いた? シーツは2組あったでしょ。洗ってあるの?」

「…洗ってない。洗ったほうがいいかなあ。でも、時間がないよ。」

「なんで昨日のうちにやらないのよ!じゃあ、うちに持って帰ってきたら? もー、どっちでもいいわ。自分で決めなさいっ!」

自立への道は遠い。


            *


里帰りまであと数日(アドバイスしてくれた皆さま、ありがとう)。

荷物のリストとやるべきことのリストはだいたいできた。夫のために、予定表も連絡先一覧もまとめた。ただし、リストを作っただけで、やり遂げた気になってはいけない。まだスーツケースすら出していないのだ。

キャットフードも買った。ドライフード1袋と缶詰24個。

でも、よく考えたら、缶詰は小さいので1日2個使う。12日分しかない。私は3週間留守にする。ぜんぜん足らない。

「じゃあ、缶詰が終わったら、餌やりはそれで終わりってことだな。おーい、わかったか?」と夫は猫たちを呼んで、笑った。

夫が空き缶を片付けるとは思えない。日本から帰ってきたら、台所の隅に空き缶の山ができているかもしれない。私がいない間は、缶詰は夜だけにして、あとはドライフードにしてもらおう。

もう一袋、また買出しに行かなくてはならない。


            *


そういえば、日本に行くことが決まってから、痩せようと思っていた。飛行機では少しでも細いほうが楽なはずである。

それなのに、目標体重まであと1.8キロもある(最終目標にはとても到達できそうになかったので、これは日本行きのために立てた目標。たいした減量ではない)。

私は機内ではチョコレートと自作のスポンジケーキしか食べられない。どちらもカロリーは高い。でも、私は移動に弱くて消耗が激しい。パニックの薬を飲めば前後不覚にもなる。少なくとも500グラムは痩せると思う。

残り1.3キロをどうすべきか。

日本に行けば、ふだんの何十倍も歩く。でも、せっかく日本に来たんだからと毎回食べたいだけ食べるので、痩せない。サウナはどうだろうか。時差ぼけで眠れない夜中に、田舎の町を歩き回るのはどうだろう。

たまにネットで見る日本人は、薄くて細い。芸能人だけでなく、若い子の脚なんかポッキーに見える。

ユニクロのサイトに行ったら、そういう脚にぴっちりしたレギンスやパンツを売っていた。いまだに白人モデルが多いのが不思議だ。これだけ日本人のスタイルがよくなったのだから、日本人モデルを起用すればいいと思う。日本のお店のサイトに行ったのに白人だらけで、非常に違和感があった。その白人たちも、あんまり食べてないような不機嫌な顔をして、ぜんぜん魅力を感じない。

いや、そんなことはどうでもいい。

まだブログを書く余裕があるということは、本当に追い詰められていないということで、またしても私はバイオリンのビデオに逃避するのであった。



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情緒不安定

2013.05.19 (日)


ボストンに行く前の夜、いつものようにバイオリンを聞いてからパソコンをしまうと、なぜかとても悲しくなった。

うれしいドキドキわくわくはどこに行ったのか。寝付くのに時間がかかり、翌朝も早く目覚めてしまった。でも、悲しい気持ちは消えていた。

予定より1時間遅れて、ボストンへ出発した。

夫のCDを全部バロックと他のクラシックに入れ替え、これから3時間バイオリンが聞けるとうれしくなった。2時間半のハイウェイは私の担当。

次男の病院までハイウェイ3本を乗り継いで片道1時間かかる。もう半年近く、毎週運転していたおかげで、長距離運転にも慣れてきた。

夫ははなっから運転する気がない。ときどきいやになるが、そういう夫のおかげで私の運転が上手になり、あらゆる交渉事やお医者や学校なども夫がやらないから私がやらざるを得ず、アメリカで生きていく上でいい訓練になったのは確かだ。

夫は「1時間はlong distanceとは言わないよ」と呆れていたが、生活範囲の狭い私にとっては充分遠い。ハンドルを握りつつ、我ながら信じられないと思う。アメリカに来て30歳直前に免許を取った。それまでどっちがアクセルでブレーキだかも知らなかった。

「お母さん、運転できてよかったわー。英語も話せてよかったわー」と次男に会うと言わずにいられない。アメリカ生まれの子にはわからないだろう。

次男をボストンに連れて行きたかったが、外出許可が下りなかった。


        *


空っぽの車に夫と私だけが乗り込み、「ぼくのCDはどこへやった?」だの「猫のお昼ごはん、あげるの忘れた」だの、たわいないおしゃべりをする。

この頃、私たちの間は平穏である。

変則的ではあるが、「空の巣」になってしまい、長男が生まれる前のような錯覚に陥る。この生活も悪くないなと思う。

「なんだかすごく年を取った気がする。信じられる? 私たち、大学生の息子を寮までお迎えに行くのよ?」と私。

「長男を抱いて、今の家に引っ越してきたのを思い出したんじゃないか? こういう歌をよく歌ってたなあ」と夫は日本の歌を口ずさむ。私はアメリカの子守唄なんて知らなかった。

私の目に涙がにじんだ。

サングラスをしていたし、夫は本を読んでいたから気がつかなかったと思う。そして、昨晩の悲しい気持ちがよみがえった。

私は長男が育ってしまったのが寂しいのだろうか。もっとああしていれば、こうしてやればと後悔してばかりで悲しいのだろうか。次男がいつまでも退院できないのがやるせないのだろうか。

しかし、泣いていては運転できない。私はCDの音量を上げて、気を取り直した。


        *


大きい街の周辺や料金所以外には渋滞もなく、2時間半近く、一度も休まずに運転した。

ボストン・ケンブリッジ方面へ降りる手前の休憩所に着き、長男に電話したが出ない。まさか、まだ寝てるんじゃないだろうか。夫は「カフェインがないと運転できない。腹も減った」と、こんなところまできてマクドナルドでフレンチフライとコーラを買う。

「長男がよく行くジャパニーズ・レストランに連れて行ってくれるって言ってるのに」とたしなめると、「連れて行くっていうか、案内するだけだろう」と夫。そりゃ支払いは私だけど。

夫が街中を運転してくれるのはいいが、注意力散漫で短気な運転手の横はストレスがたまる。

ハイウェイの出口からすでに渋滞が始まり、夫は横入りする車をののしり、私にストリート・サイン(道路の名前)を読めと命じる。

そういう夫には慣れているので、適当にあしらう。だいたいグーグルマップとGPSと実際の名前がかならずしも一致しない街なのだ。途中で左折のみの車線に入ってしまい、やり直しになったが、GPSのおかげでパニックにならずにすんだ。

車中からまた長男に電話した。

「いまハーバード・スクウェアまで来たわよ。すごい渋滞。寮に近づいたら、また電話するから」と私。

「わかった。ぼく、すごい鼻水で喉が痛い。まだ片付けてるんだけど。掃除機もまだだし。風邪かも」とやたら言い訳をする。


          *


どうにか寮の裏手に駐車スペースを見つけ、長男の部屋に向かう。

ドアの外に夜逃げみたいな大荷物があって、私は「倉庫にふとんとシーツを入れるべきか」という相談の電話以来、またしても絶句した。

600ドル近く払った貸し倉庫はどうなった? 室内物干しとかシャワーキャディとかランプとか、ぜったいに来年も使うものをなんでまた家に持って帰らなくちゃいけないのだ? これだけの荷物がアコードのセダンに収まるだろうか。しかも、部屋の中にもまだいろいろあるのだと言う。

電話での言い訳の原因はこれか!

呆然としていると、どこかから男の子がやってきて、「長男君のお母さんですか」と握手する。「初めまして。マイケルです。長男くんの向かいの部屋で1年間いっしょに楽しく過ごしました。本当に素晴らしいお子さんをお持ちですね!」と私の手を離さない。

私は面食らった。いまどきの大学生はこうなんだろうか。

おせじでも私はうれしくて、つい「サンキュー」とにっこりしてしまう。

それからが大変で、3階から荷物を運びおろし、夫がああでもない、こうでもないと車に詰め込み、私は部屋に掃除機をかけた。

ルームメイトのジョンがすでに寮を出てしまっていたのは残念だった。もう学年末で、この寮にもあと5人しか残っていないということだった。

寮のアドバイザーでもある女学生が来て、長男に書類を渡し、サインさせた。「携帯の番号はもっとはっきり大きく書かないとだめよ」と言いたいのを我慢して見守る。

夏の間に業者が消毒して、9月には新しい学生が入るのだ。

なぜかまた涙が出そうになった。


            *


やっとすべての荷物を積み込み、車はそこに置いて、長男の案内でジャパニーズ・レストランへ向かう。

「ぼくの足なら6分くらいだけど」と言ったので歩くことにしたのだが、ずいぶん遠い。私は空腹だし、夫は歩くのが遅いし、なんだか暑い。夫は長男と話しながらのろのろやってくる。私は一足先に木陰で待ちながら進んだ。

そして、長男のデビットカードによく出るドラッグストアやピザ屋の看板を見つけ、しばし感慨に浸る。

レストランというよりフードコートみたいなところで、テーブルはガタガタ、水を頼めばプラスチックのコップ。ダイエット中だが天丼を頼んだ。長男が言うほどおいしくない。でも、両親を連れて自分の行きつけの店に来たのが誇らしそうで、私はおいしいと褒めた。

お腹がくちた帰り道はもう少し余裕ができて、今度は私と長男がおしゃべりをして歩き、夫はあとから遅れてついてきた。

長男は「ぼくがラーメンを買うお店は、もっとずっと向こう」などと説明してくれる。

そして来年の寮の話をした。

今年のルームメイト、ジョンといっしょになるつもりが、ジョンは他の子から3人部屋に誘われ、長男を入れるつもりがすでに他の子に決まっていて、さらに4人部屋しか空いてなく、くじ引きの順番がどうのこうのと、ややこしい話だった。長男は別の子と二人部屋に住むらしい。

「あら、ジョンと一緒がよかったのに」と彼のファンである私は残念だった。いいルームメイトが寮生活の鍵だと思うので、来年が心配になった。

「うん、まあぼくもジョンも早く相談しなかったからいけないんだけど。でも、ぼくの今度のドームもわりといいとこだよ。それでね、お母さん、ジョンがアパートを見つけたんだって。3年目はいっしょにアパートを借りようって話が出てるんだけど。ケンブリッジは高いから、もっと安いとこ」と、私の反応を伺う長男。

大学寮のほうがいいんじゃない? 管理もしてくれるし、キャンパスに近いし、なんたって安全よ?

でも、私の口から出たのは、「そうね。それもいいかもね。」

最初の2年だけ寮生活で、あとは友達とアパートや一軒家をシェアするのはよくある。そのほうが安いときもあるし、夏に3ヶ月出なくてはならない寮と違って、家賃を払えば1年中住める。ジョンと一緒なら、大丈夫かもしれない。

なによりも、それも自立への階段である。

突然、私をアメリカに送り出したときの両親を思い出した。24年前、「いやんなったら、いつでも帰って来りゃいいで」と彼らは言った。そして、5年後に長男が生まれたとき、「子どもができちゃあ、まあずっとアメリカに住むだなぁ。日本には帰らんだなぁ」と言った。

そして、その通りになった。


           *


ケンブリッジ市内は帰りも大渋滞。どう考えても、車のために作られた街ではない。広くもない道路の両側は縦列駐車がびっしりで、しかもあちこちで工事中のために一車線だったり、夫のイライラが手に取るようにわかる。

長男が「ここ、まっすぐ行って。もう少し行くと、川だから。その先で左」と案内してくれる。

すっかりこの街になじんだようで嬉しい。頼りないようでも、しっかりしてきたか。

ハイウェイの最初の休憩所で、私が運転を交代した。そこから2時間半のはずが、料金所あたりで渋滞し、その後も何度か流れが悪く、いったいみんなどこへ出かけるのだろう。

コネチカットの州都ハートフォード付近ではちょうど金曜日夕方のラッシュアワーにかかったらしく、30分も無駄にした。

結局私は3時間以上運転を続けた。助手席の次男はハイウェイに乗ってからすぐに眠りこけた。きっと前日は寝ずに部屋を片付けていたのだろう。夫は後ろでいびきをかいていた。

せっかくのヴィヴァルディも音量を下げねばならず、眠らないようにダークチョコレートをかじりながら、ひたすら家を目指した。


       *


今日はとても次男の病院まで行けない。往復2時間運転する気力も体力もない。

里帰りのしたくもお預けで、ともかく回復に努めねばならない。次男は長男に会いたがるので、明日の午後連れて行くことにした。

昨日の悲しい気持ちはもうそれほど残っていないが、いつも通りに抗不安薬を飲む。そして、ベッドのヘッドボードにもたれてパソコンを開き、美しくも憂いに満ちたバイオリンを聴く。



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