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「空の巣」予行演習

2013.03.05 (火)


なにもやる気がなく、たまりにたまった日経ビジネスの過去記事を逃避目的で読む。

やっと去年の11月まで来た。これだけ時間が空き、記事案内のメール本数が100本を超えていると、思わぬメリットがある。

どの記事を開くべきかを、より厳しい目で見極められる。以前のように、ほとんど全部読んでいたら、いっこうに追いつかない。こうしている間にも、毎日私のメール受信箱には、最新号のお勧め記事の題名と短い紹介文が続々と届く。

もはや無意味になった時事問題は読まない。他の媒体で読みかじった内容は読まない。リンクを開いた記事でも、おもしろくない、あるいは読みづらいものは閉じる。テーマの硬軟に関係なく、なぜか読みにくいものがある。その記事自体に価値はあるかもしれないが、私には時間の無駄。

そうして、厳選した記事を一挙に読んでいる。


        *


着々と片付けているつもりでも、寄り道のせいで思ったほど捗らない。

たとえば、欧州ルポのポルトガル編。

食い意地の張った私にとって、ポルトガルすなわちカステラ。ポルトガル国債の利回りに興味はない。

現地ルポでエッセイだから開き、おもしろく読み進んだのだが、天正遣欧少年使節団が滞在した僧院や離宮が保存されているという箇所に来て、そういえばそんなことがあったなと思い、やめときゃいいのに、ウィキペディアを開く。

「1582年に長崎港を出発」で始まる関係年譜を見て、コロンブスのアメリカ到着から100年も経っていない、そんな昔だったのかと驚くほど無知なのだ。私は、年代と世界の動きがどうしても関連づけて覚えられない。

3週間後、「マカオ着。風を待つ。」 

いきなり1年9ヵ月後に「マラッカ・コチンをへてゴア着。」 

いったいマカオでどれくらい待っていたのか。だいたいどんな船で誰が乗っていたのか。疑問だけが沸いてくる。

ウィキペディアの末尾、研究書籍に「クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」とあるのを見て、今度はアマゾンに行く。

すると、19件のレビューで、星5つ。ざっと読むと、かなりよさそう。例によって、ほしいものリストに追加。私のほしいものリストには、すでに285冊の読みたい本が入っている。日本から取り寄せるにはお金がかかる。キンドルは持っていないし、なぜか海外在住者は日本のアマゾンから本をダウンロードできないと聞き及び、アマゾンと日本の出版界が正気になるのを待つ。

あちこち寄り道をして、「そういえば日経ビジネス!」と元記事に戻る。

マネーゲームに走らず、不動産ブームもなく、質素にやってきたポルトガルが、ユーロに参加したがために放逸なギリシャのせいで迷惑を受けているらしい。頭脳流出に過疎化も進んでしまったそうで、お気の毒である。

いったい誰がユーロなどという、破滅への片道切符提案をしたのかと、今度はそっちが気になり、ユーロの歴史を検索するも、膨大な資料を前に追求する気力を失う。


        *


そんなことをしているうちに、外は真っ暗。

掃除とか洗濯とか、やるべきことはあるのだが、日曜日は心身ともにはなっからやらないことに決めている。やる気もなければ、体も動かない。

なぜか仕事は首にならずに続いている。

毎日あるいは毎週のノルマがあるので、自宅でできるとはいえ、完全に「毎日が日曜日」ではない。土日くらいは、自分の好きなことでパソコンを使いたいと思う。

プロジェクトは夏には終わるという話だった。それまではパート主婦として稼ぐ。仕事にうんざりすると、英語の勉強と思い込むようにする。仕事関連では当然すべて英語なので、「英語の勉強をさせてもらいながら報酬ももらえるなんて!」と自己暗示をかけるのである。


         *


最後に書いたブログは去年の10月。

その後、いろんなことがありすぎた。

次男の発病は青天の霹靂だったが、もしかしてそんなことが起こるような気が薄々としていたようにも思える。入退院を繰り返したせいで、勉強が遅れた。すでに卒業に必要なクレジットはほとんど取得済みなので、予定通り来年の6月にはハイスクールを卒用できるとガイダンスの先生は繰り返す。

しかし、そのあとはどうする? 

ジュニアの春といえば、大学の準備のためにSATを受けたり、大学を見学訪問したり、スポーツやボランティアなど大学願書に書くために忙しい。しかし、入院していては何もできない。退院してもすぐには追いつけない。

ともかく、次男が健康を取り戻すのが最優先である。軌道修正はできると思う。こういうとき、アメリカの柔軟性がありがたい。3月中にはいったん退院できるという医師の見込みで、もはやじっくり構えるほかない。


          *


一時的にだが、予定より早く「空の巣」になった。

次男の病院まで、ハイウェイを乗り継いで1時間かかる。毎週1回のお見舞い以外は夫も私もめったに外出しない。子供たちがいなければ、学校やスポーツへの送り迎えもなく、友達の家に送り届けたり、また家に招んだりすることもない。

夫は自室で、私もほとんど主寝室で1日を過ごす。

住人のいない子供部屋はどちらもドアを閉め、階下のリビングルームやダイニングルームでは猫がうろうろしたり、寝そべったりする以外、ほとんど立ち入らない。

このあたりではごく普通サイズの家が無駄に広い。人間の数(2)よりトイレの数(3)が多いのである。

夫と私の二人分の夕食は、手抜きが基準。だいたい夫は肉食で、私は肉を食べないときている。

それに4人分作るのに慣れて、どのレシピも4人分を目安にしているので、急に夫だけ1人分など作れない。ミートソースを作れば、冷凍庫にいくつも保存容器が重なる。ハンバーグはいつもどおりに6個作って、3個は冷凍できる。これは便利。

あるいは、スーパーのデリでハムやターキーのスライスを買っておく。夫でも、これをパンに挟むくらいはできる。

しかし、夫だけのためにステーキを焼くのは、後片付けの手間がかかるばかりで見返りが少なすぎる。マカロニとチーズだって、いつものキャセロールでは作りすぎになる。ケーキを焼いても、私と夫でたいらげては食傷気味になる。だいたい夫は私よりも歩かない。心臓と脳が機能する程度のカロリーでいいのである。私だってそれで十分。

それで、私の食べる魚を二人分にしたり、野菜スープだけだったり、老夫婦の食卓へそれとなく誘導している。ただし、なかなか痩せない。


        *


NYタイムズにイギリスで流行っているというダイエット5:2 dietの話が出ていた。1週間のうち、5日は普通に好きに食べて、2日はほぼ絶食するらしい。効果のほどはともかく、週2回料理をしなくてもいいのは魅力である。ちなみに、イギリスではDietingのことをSlimmingと呼ぶそうだ。

記事では、ガーディアン紙に掲載された体験談に言及していた。それが読みたくなり、またしてもやめときゃいいのに、検索して読み始める。

まったく、インターネットは時間を食い物にする。

いや、歴史ものやダイエット話ならまだいい。一番危険なのはYouTubeの動物ビデオ。あそこは樹海である。いったん足を踏み入れたら、1時間は彷徨って、出て来られない。

どこかで紹介されたビデオ1本のつもりが、見終わると関連ビデオがずらりと並び、ハスキー犬や子猫のあらがえない可愛さで次々と見てしまう。あれを阻止する方法はないだろうか。「おすすめビデオを表示しない」というボタンはどこにあるのか。

このブログも、誰かの貴重な時間を奪っている点では似たり寄ったりか。

気まぐれ更新のぶんだけ、たちが悪い。もっとも、私の購読しているブログのうち、2つは半年以上更新がない。わたしは自分のブログをほったらかしにしておいて、他人のブログの更新を待っているのである。

ただし、Google ReaderのSubscriptionsに入れているので、更新があればそこでわかる(ちなみに購読数は日英入れて10件のみの少数精鋭。こっちもやたらに入れては、ウサギのように増殖して収拾がつかなくなる)いちいちブログを訪れて、「まだだったか…」と落胆せずに済むというありがたいサービス。

ここに無駄足を運んだ人がいないことを願う。


<今日の英語>  

You’ll never know unless you ask.
聞いてみなくちゃ、わかりませんよ。


夫の親族間の伝統であるプレゼント交換がほとほといやになった女性。その習慣をやめるよう夫に頼むのは,わがままだろうか(Is that too much to ask?)と決心がつきかねる彼女へのアドバイス。アメリカ女性でも、こんなことで悩む人はいる。
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長男、春の帰省

2013.03.10 (日)


せっかく芝生がだいぶ見えるようになったのに、また雪が降った。

3月の大雪はしばしばあることで、真冬に比べれば日中の気温は高く、日差しは強いので、溶けるまでにそう時間はかからない。

子供たちが登校するでもなく、お客が来るでもない。今年は雪かきはしないと決めた。10月末のハリケーン・サンディ以来、おそらく4回は相当な積雪をみた。除雪車がやり残した、ガレージドアすぐ外の雪を車を出せるくらいにどかす以外は、溶けるまで待った。

そう決めてからは、大雪警報が出ても気楽になった。

夫はもちろん、私にも深さ30センチの雪かきをする体力はない。しかも、せっかくきれいにしたところで、しばらくするとまた雪が降り、私の努力が無に帰すときの脱力感といったらない。今年の冬はそれから開放された。

ただし、今年は除雪車がこれでもかというほどドライブウェイ脇の芝生を削り取って行き、春から秋にかけての庭仕事が思いやられる。

そういえば、昨日の積雪でうちの郵便受けが傾いた。雪が溶けたら倒れるのか、反対側に押せば直るのか。

夫には話していないが、私の頭の中では、NYC近郊の3BRのコンドミニアムを買う計画が着々と進んでいる。車なしで生活でき、雪かきや庭仕事、家のメンテナンスと無縁の暮らしを夢見る。


         *


昨日の夕方、長男が大学の春休みで帰省した。

ついこの間、1ヶ月もの冬休みがあって、1月半ばに大学に戻ったばかりなのに、2ヶ月もしないでまた休みだ。授業料の分だけ、ちゃんと勉強しているのだろうか。

忙しい、忙しいと言いつつ、マジックのカードをしたり、フェイスブックやチャットをする時間はあるのだ。

それなのに、グレイハウンド・バスの切符を買ったのが出発前夜。

私が時刻表を調べてメールし、バス代を確かめ、デビットカードの残高もオンラインでチェックし、メールと電話とテキストで「バスの切符を買いましょう」と催促した。座席が売り切れたらどうするつもりだったのだろう。

ついでに往復で買っておいたらという私に、「帰りは土曜日がいいと思う? それとも日曜日?」なんて聞いてくる。そんなこと私に決めてもらってどうする? 


        *


雪でボストンからのバスが遅れ、乗り継ぎのターミナルに着かないうちに、そっちのバスの出発時間を過ぎた。

どうすればいい?」と、長男はバスから私に電話してきた。

どうすればいいんでしょうねえ」と私。

そんなこと、バスの運転手に聞くとか、ターミナルの切符売り場で聞くとか、いろいろあるだろうに、私に聞いてどうする?

だいたいなんのためにスマートフォーンを持っているのだ。毎月80ドルも払っているのに、こういうときにどうして検索しない? (その後、充電し忘れていて、電池がほどんとなかったことが判明…)。

うちから乗り継ぎ地点まではハイウェイで1時間。そんな遠くまでお迎えなんて、冗談じゃない。

ともかく、ターミナルに着いたら係員に聞けと申し渡して、私は行動に出た。

バス会社のサイトで、スケジュール確認。1時間半後にもう1本あった。バス会社に電話したが、機械ばかりで人間につながらない。

長男の最終目的地にあるバスの切符売り場に電話して、事情を説明した。

「じゃあ、次のバスに乗ってください。」

「切符はどうするんですか。返金してくれます? それで新しい切符を買えばいいですか」と私。

「いや、そんなことしなくても、バスの運転手に今持ってる切符を渡せばダイジョーブ!」

なんだか適当だか、それなら簡単。さっそく長男に電話するが、出ない(電池の消耗を防ぐために、切っていた)。切符売り場での問答を留守電に残す。

その後、長男は乗り継ぎターミナルで、やはり返金と再発行の手続きが必要だったらしい。


        *


長男は昔からこうだ。

自主性の芽を摘み取ったのは私なんだろうなあと空しい。最初の子で、しかもぼんやりしていたので、つい先回りして何でもお膳立てしてしまった。

大学に行ってからは、自分で決めなくてはいけないようにはなったが、三つ子の魂百まで。ちょっとしたことで、私に決めてもらいたがる。失敗が怖いのか、責任を取りたくないのか。

そうして、家に来ると、いつまでも寝ている。

ハイスクールの下級生で、長男を振ったはずのアナスタシアに冬休み中に映画に誘われ、その後、長男のほうからまた申し込んで、よりにもよって遠距離でつきあうことに合意したそうだ。

昨日も大きな紙袋を持っていて、中には彼女へのプレゼントの大きなぬいぐるみ。

そんなものを買うために送金したんじゃないわよっと苦々しい。

明日、彼女が家に来ることになっている。めずらしく、自動車の免許を取る気がない子らしい。なにか事情があるのかもしれない。

両親は離婚していて(こちらはめずらしいどころか、むしろ普通か)、ハイスクールのシニアである彼女は両方の家を行ったり来たりしている。冬休み中に映画に行ったときも、彼女のお父さんが連れてきていた。その週末はお父さんの方だったわけだ。

アナスタシアはハイスクールで何度か見かけたことがある。小柄で細くて、ちょっとかわいい。アニメが好きで、プロム直前に長男を振ったケイティの仲良し。申し込んだ大学のひとつはボストンにあるという。

また長男が泣かされそうな気がする。


         *


リビングルームを見た長男が、「すごく片付いてるね」と感心して言う。

散らかす人がいないからよ。

しかし、猫の毛は舞う。よく見ると、ほこりがたまっている。アナスタシアが来る前に、掃除をせねばならない。

彼女の両親宅でも、一方で猫、他方で犬を飼っているそうだが、高校生であれ、来客と思うと、つい「おもてなしモード」が作動する。掃除に、お菓子の用意に、そうだ、ついに玄関周りの雪かきも。これは長男にやらせるか、あるいはガレージから回ってもらうか。

運転免許がない二人だと、健全なデートになる。彼女の父親が映画につきそい、こちらは自宅のリビングルーム。車のような密室ではない。

性教育、子供が免許を取る前に」という標語はなかったか。


<今日の英語>

I wouldn't say that.
そういうわけではありません。


大音量の音楽を若いころに聴いて難聴が危ぶまれたベビーブーマーが、実は親の世代より3割も難聴率が低いという調査結果があった。昔より健康管理がよくなったことや、職場で騒音規定が強化されたことが要因と見られる。では、ヘッドフォーンを使う人は何も心配しなくていいということですかという質問に対する、ある研究者の婉曲な返事。



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あれから2年

2013.03.12 (火)


あっという間に2月が終わって、「もう3月か」と思った。

そして、また3月11日がやってくるなあと思った。

でも、それが1年目なのか2年目なのか、しばらくわからなくて混乱した。たぶん1年前のことだと記憶をたどってみると、長男の大学準備で去年は慌しかったのだから、それでは辻褄が合わない。

大震災が起きて、少なくとも1~2週間は呆然とし、体調を崩した。1ヶ月経っても、落ち着かない日々だった。そんなときに、大学に出す書類や入学金の手配などがきっちりできたはずがない。

やっぱり2年前のできごとだったか。

その後、アメリカのニュースでも「あの地震と津波から2年」というレポートが出始めて、納得した。人間の時間の感覚はあてにならない。


          *


朝日と日経ビジネス以外、日本のメディアはめったに見ないが、たまに瓦礫処理や原発の状況がニュースに出る程度。自分で情報を探すこともなくなった。

またいつか大きな地震が起きたらと考えたら、穏やかではいられない。

それでも、人間の記憶は薄れていくものだ。

NYCでツインタワーに飛行機が突っ込み、崩れ落ちるビデオを見ると、今でも心の中に重い石がずーんと落ちて、しばらくとどまる。あれは2001年だから、もう11年が経った。NYCから離れていても、やはりNYは地元であり、衝撃は大きかった。

それについてめったに考えることがなくなっても、あの感覚は抜けない。


          *


東日本大震災の映像は、もう長いこと見ていない。見たくない。

見れば見たで、ツインタワー崩壊に似た反応をするかもしれない。自分の頭に残っているイメージを呼び戻すだけで、息苦しくなる。震災当時、NHKの中継に張り付いていたのは何だったのか。

直接には何の被害も蒙っておらず、国外にいた私がこうなのだ。

昨日、ラジオで震災の話をしていた。放射能による肉体的な被害よりも、心理的・精神的なダメージをどうにかしなくてはならないと言っていた。

チェルノブイリでは20数年経って、ようやく元住民の心の傷が癒え始めたそうである。それでも完全に消し去ることがありえるとして、何世代もかかる。

皮肉なことに、チェルノブイリの石棺の耐用年数は30年。心の傷が治る前に、そっちが崩壊してしまう。そのために、石棺を覆う巨大シェルターを莫大な費用をかけて構築しなくてはならない。そのシェルターがいつまで持つのかは知らない。

それにしても、福島第一では汚染水が増える一方で、メルトダウンの処置もできないと聞く。いちいち報道されないだけで(あるいは私のように見出しだけ読む人の目には留まらないだけで)、現場では必死でやっているのだろう。おそらく下請けの人たちが危険で汚い仕事を引き受けて、どうにか綱渡りをしているのかもしれない。


          *


ブログから離れていた間に、クリック募金のうちの1つがいつのまにか東日本大震災向けの募金を「終了」していた。

それで、リンクを外した。あと2つはまだ続けているらしい。

もちろん砂漠緑化でも貧困撲滅でもチャリティの意義はあるが、震災のときに教えてもらったクリック募金なので、いささか拍子抜けした。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」の一節が頭に浮かんだ。



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来てよし、帰ってよし

2013.03.17 (日)


長男が、当初の予定より1日早く大学に戻った。

春休みに入ったとたん、「美術史が不合格になるかもしれません。成績がつく前に放棄したいなら、x日までに手続きをしなさい」という通知が大学から来ていた。さもないと、Fという不名誉な記録が残ってしまう。

その科目のテストが休み明けにあるらしく、土曜日のうちに戻って準備したいのだそうだ。

当人いわく、美術史はテストが1回しかなくて、その前日に自分は病気で授業に出られず、ルームメイトにノートを見せてもらったものの、いい点数が取れなかった。今度のテストでがんばれば大丈夫。だいたい、美術史はルネッサンスのへんがごちゃごちゃしておもしろくないし、先生もパワーポイントを見せて説明するだけでやる気がない。

よくまあ、堂々と言い訳できるもんだ。

自分で働いて授業料を払って大学に行く子はそうじゃないだろうなあとため息が出た。長男はアルバイトすらしていない。大学内で週に何時間か仕事ができるワーク・スタディというプログラムにも申し込んだが、親の資産がありすぎとして対象にならなかった。

つまり、長男は勉強だけが仕事なのである。

それなのに、この言い分は何だ。

美術史が必修なのかどうか知らないが、美術専攻なら常識として頭に入れておくべきことであり、科目を落とすということはダディと私が支払った授業料の一部が無駄になるということであり、大学では勉強についていけない学生のための支援も充実しているのだから大いに活用すべきであり、入学時に約束された毎年1万ドルの奨学金(返済不要)をもらうには、成績保持が条件の一つであり、担当の教授にも連絡をして、真剣に取り組むように、と私の説教は続く。

まったく、この夏には19歳になるとは思えない。


         *


補習校には、長子が大学生というお母さんたちが何人かいた。

「いいわねえ。もう安心ねえ」と、ついうらやましくて口に出た。うちの子が小学生だったころだ。反抗期の悩みも、大学受験のアタフタも終わって、つまりゴールしたのだから、なんと気楽なことだろうと思った。

どのお母さんからも、「いいえー、うちの子なんか頼りなくてぜんぜんだめなんですよ、子ども子どもしてて。」という反応が返ってきた。日本人特有の謙遜だと思ったが、もしかしてそのうちの何人かは本心だったかもしれない。

人類は幼児化している。今の高校生は幼稚園くらいで、大学生は小学生並みという気がする。

さらに、いい年をした大人が子どもみたいな言動をして、それを恥ずかしいとも思わない世の中。

そういう私だって、10年以上前に「不惑」の境地に到達しているはずが、いまだに独断と偏見の塊で、しかも迷いっぱなし。

不惑どころか、「天命を知る」年もいつのまにか過ぎているではないか。まあ、私は孔子じゃないから悟れなくて当然だわねと、この親にしてこの子あり。


        *


美術史の件であれだけ言い聞かせたのに、金曜日の夜、やはり春休みで実家に戻っている友達から声がかかり、途中で他の家に移動し、帰宅したときには夜10時半を過ぎていた。

もちろんすべて私が運転手であった。

帰省しても友達からお誘いがないのも寂しいが、科目を落としそうなときにへらへら遊んでいる場合か?

子どもが高校を卒業したら、私はこういう心配はしなくてもいいのではなかったか。

やはり朝はバタバタと荷物をまとめ、ともかく長男を最寄のバスターミナルへ送り届けた。

バスに乗ったときと途中で乗り換えてから電話を入れるようにと念を押した。ついでに、荷物をなくさないように、携帯と財布を落とさないように(どちらも前科あり)、乗り換えのターミナルでランチを食べるように。幼稚園の遠足じゃないんだからと思っても、つい口を出してしまう。よその子に比べて、あまりにもうっかりぼんやりが多すぎるのだ。

夫が送って行ったときは、バスが出発するまで夫も待機したそうだが、私はそんなことはしない。


        *


帰宅すると、「ちゃんと乗ったか?」と夫。

「切符は買ったわよ。バスに乗ったら電話するように言ったから。」

「もっと長くいてほしかったなあ。そう思わないかね」と夫。

思いませんよっ。私がどれだけ運転手をしたか、わかってるの?あなたは一度もやらなかったじゃないの。冗談じゃないわ。それに、長男がいると、お風呂のファンを消し忘れるし、なんでもかんでも出しっぱなし、やりっぱなし。宵っ張りの朝寝坊。ご飯も作らなくちゃいけないし。1週間でちょうどいいの」と冷たい私。

議論好きの夫は、格好の話相手がやってきて、楽しかったのだろう。ハイスクール時代より、もう少しまともな話ができるようになっていたのかもしれない。二人で夜遅くまでワイワイとしゃべっていた。

しかし、私にはここらで休憩が必要だ。

ふだんの何倍も運転や料理をした疲れがたまっている。いつものダラダラ手抜き生活に戻りたい。

孫は来てよし、帰ってよし」と聞くが、子どもでも同じである。怠け者で自分を最優先したい母親である私はそう思う。

次の帰省は5月半ば。それで大学1年目は終わりである。


<今日の英語>

My allergies are acting up again.
アレルギーがまたひどくなってる。


春先が一番悪化する私とちがって、年がら年中アレルギーらしい夫の一言。act upはアレルギーや関節炎などの病気だけでなく、子どもがふざけて騒いだり、機械の調子が悪くなったりするときも使う。



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Grey Gardens

2013.03.18 (月)


2月の初めに、NYタイムズでリー・ラズウェルのインタビューを読んだ。

ジャクリーン・ケネディ・オナシスの実の妹。ジャッキーほどではないが、4つ年下のリーも3回離婚したりして、波乱の人生を歩んできたらしい。

たいして関心のなかった私には、知らないことばかりだった。ジャッキーが癌で20年前に死んだので、80歳の妹が存命中で驚いたくらいだ。

しかし、彼女の子ども時代に話が及んだとき、「どこかで聞いたことがある話だな」と思った。

ハンプトンズ(NYはロング・アイランドの高級避暑地)の別荘 Grey Gardens と、イディ・ビール、そして彼女の娘リトル・イディの名前が記憶を呼び起こした。

もしかして、狭いアパートメントにものを溜め込み、エキセントリックな暮らしをしていた女性たちのことか。ジャッキーの近い親戚なのに貧しくて、スキャンダルになったはずだ。1960年代だったか。

リー・ラズウェルよりそちらのほうが気になり始め、インタビュー記事を斜め読みして、グレイ・ガーデンズについて調べてみた。


           *


リーが言っていた映画とは、1975年製作・発表の100分間のドキュメンタリー・フィルムだった。

私の記憶とは違って、マンハッタンの狭いアパートでなく、この母娘は1897年に建てられた夏用の邸宅で、二人きりの異様な生活をしていたのである。

YouTubeでそのドキュメンタリー全編を見つけ、目が離せなくなった。

これはカルト・ヒットだそうだ。私はこんなのが好きなのである。


           *


娘(撮影時で58歳)は、いつも頭にスカーフかセーターらしきものをかぶっている。癌治療のせいかと思ったが、Alopecia Totalisという頭髪が全部抜け落ちる病気だった。30代後半に罹患したという。

元モデルでダンサーを目指しただけあって、中年になってもリトル・イディは魅力にあふれている。

母親はぼさぼさの白髪だが、かつては歌を習い、口ずさむと今でも張りのある美声である。彼女のベッド脇には、若いころの大きな肖像画が立てかけてあり、その美貌とぜいたくなドレスと装飾品が今の生活とのコントラストをなす。

社交界に出入りするような、裕福な階級に属していたのだ。

しかし、十数部屋あるこの邸宅は荒れ果てて、ごみがあふれ、壁には穴があき、庭の草木も伸び放題。しかも、多数の猫や、アライグマまで住み着いている。

そこをハイヒールで歩くリトル・イディ。独特のセンスのある装いである。

映画を撮った人たちは、ひどい悪臭に悩まされ、足首にノミよけをつけていたという。バスルームやトイレは見えなかったが、水道や電気さえまともに使えないようだった。

あまりの没落ぶりに、唖然とした。

ビール母娘は、邸宅の一室にベッドを並べ、日がな一日、そこと陽のあたるデッキで過ごす。

事件が起きるでもなく、食料(キャビア!)の配達人が来たり、二人でレコードをかけたり、歌ったり踊ったりする。小型冷蔵庫もその部屋の隅にあり、ベッドの上で食べたり飲んだりする。

夫と離婚し、もはや邸宅を維持できないとわかっていても、断固として手放さなかったビッグ・イディ。そんな母親にコントロールされて、おそらく共依存だったリトル・イディ。

二人の間の妙な緊張。延々と続く口論。


           *


めずらしく熱心にビデオを見ている私に、夫が何を見ているのか尋ねた。

Grey Gardens. ジャッキー・ケネディのおばさんといとこの話。Bid Edie と Little Edieって聞いたことない?」

「ああ、そういう人たちがいたな」と、夫はたいして興味がないふうだった。

しょせんはゴシップである。

私はさらに調べて、このドキュメンタリーをきっかけに、2009年にHBOがTV映画を作ったことを知った。

ビッグ・イディをジェシカ・ラング、リトル・イディをドリュー・バリモアが演じ、ゴールデングローブの作品賞や主演女優賞を受賞したというから驚く。すべて初耳だった。

映画の予告編とクリップを見るかぎり、かなり期待できる。ただし、ドキュメンタリーのナマの迫力にはかなわない。

ドリュー・バリモアなんて、ETの子役でしか見たことがないが、それなりに役をこなしたらしい。

ジェシカ・ラング本人が歌う場面は、本物の歌声を聴いたあとではがっかりする。老け役なので、あの美女がこんなになるのかと哀しくもある。


         *


ビッグ・イディの死後、リトル・イディは邸宅を売った。その後、別のお金持ちが修復した。

今のオーナーは毎年8月の1ヶ月間だけそこに滞在し、5月から7月までは12万5千ドル(1200万円)で貸し出すという。

もし泊まったら、あのドキュメンタリーを見たあとでは、うなされそうな気がする。



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さようならカリフォルニア

2013.03.24 (日)


去年の9月も終わりごろ、「お父さんに電話しなくちゃいかん。なにか大事な話があるらしい」と夫が言った。

高齢だし、持病も抱えているし、いやな予感がした。しかし、本人が電話できるなら、まだ大丈夫だろうと思った。

電話といってもスカイプで、義父は性能のいいヘッドフォーンをつける。それでも、聞こえにくいらしく、例によって夫は同じことを何度もくりかえし、しまいには怒鳴っている。

しばらくして自室から出てきた夫は、どこから話したらいいのかわからないという顔をしていた。

「お父さんとリンがユタに引っ越すそうだ。ウェンディのところに。」

彼らは私がアメリカに来る前から南カリフォルニアに住んでいた。一度引っ越したが、車で30分も離れていないところだった。どちらもGated Communityのコンドミニアム。どちらにもプールがあった。新しいほうはもっと広くて、見晴らしがよく、テニスコートが6面もあった。

予期しないニュースに私も半信半疑だった。

ウェンディはリンの下の娘である。彼女の子どもたちは州外の大学寮住まいなので、今はご主人と2人だけで暮らしている。

「いつ引っ越すの? 今の家はどうするの?」と私。

「もう家は売れたんだそうだ。それで10月中には引き払うんだそうだ。言い値で売れたそうだよ。」

「あなたは引越しのこと、知ってた? 家を売りに出してたのは知ってた?」

いや、ぜんぜん。いまさっき聞いたばっかりだよ。いつ売りに出したのか知らないし、そもそもいつ二人が引越しを決めたのか、考え始めたのかも知らない。詳しい話が知りたければリンに聞くといい」と夫。

私は唖然とした。


          *


義父は88歳。後妻のリンは73歳。

義父が80を過ぎたころから、リンの負担は大きくなった。運転はもちろん、すべての家事や雑事を彼女がやった。隔週で掃除のおばさんや庭師が来ていたが、義父の薬の管理や、何度かの入院やリハビリもすべて彼女が付き合った。

15歳年下だから、まだどうにかなったんだろう。

リンは二人の娘と仲がよく、私がカリフォルニアにいるときも毎日何度も電話しているのを見かけた。とくに下の娘のいるユタには、ホリデーやスキー以外にもたびたび泊まりに行き、たまにうちにも電話がくると、「いま、ユタにいるの」ということもよくあった。

リンは私にもいろんなことを話し、排尿のコントロールができなくなってオムツをつけている義父について、「あの臭いはがまんできない。もし大きいほうの始末が自分でできなくなったら、老人ホームに入ってもらうわ」ときっぱり言い切った。

オムツをしていても、たまには漏れたり、リンが考えるほど義父が頻繁に取り替えなかったり、なかなか難しいらしい。老人看護とは無縁な私は、だまって聞いているしかなかった。

それにしても、と彼らの引越しニュースは私には不可解だった。

まず、実の息子に何一つ相談しなかったこと。家が売れてからの事後報告だった。引越しの手伝いの打診すらなかった。

夫と義父は仲が悪いわけではない。月に2、3度は話す。たまに数週間も連絡を取り合わないこともあった。引越しの決断をしてから、夫と義父が話す機会はあったはずだが、義父は秘密にしていたのだ。

もちろん相談する義務はない。独立した大人同士の話だ。仮に夫に事前に説明されても、遠方に住む夫や私にできることはなにもない。

なんといっても自助と個人主義の国である。


            *


アメリカ人はよく引っ越す(一般論)。

転勤がなくても、新婚でスターター・ハウスという小さめの家に住み、子どもが生まれると郊外の一軒家を買い、空の巣になると小さめの住居にまた引っ越すという具合に住み替える。国土が広いために、大学進学や就職でアメリカ大陸の反対側へ長距離移動することもよくある。だから、州をまたいでの引越しは珍しくない。

日本の田舎にいる実家の母やおばたちが結婚以来ずっと同じ家に住んでいるのが不思議なくらいだ。

Mother/Daughter House という物件が昔からあるように、年老いた女性が(おそらく夫には先立たれて)実の娘と日本で言う二世帯住宅に住むのは、アメリカの老後のひとつのパターンと思われる。

自助の精神と相反するようだが、人生そうなにもかも割り切れないといったところか。

リンは昔の怪我でどれかの指が少し不自由だ。それに、義父の世話に疲れていた気配がある。テニスをしたり、ゲート内の花壇プランの会合に出たりしていたが、近所との行き来はなかった。仲良しの未亡人は車で1時間も離れたところにいたし、心細くなったのかもしれない。

ユタ州の家は建て増しをして、かなり大きいらしい。老夫婦が来ても、じゅうぶん対応できると思われる。

リンはスキー用にコンドミニアムをタイムシェアで持っている。それほど熱心なスキーヤーで、しょっちゅう訪れていたのだから、引越し先の第一候補にもなっただろう。義父はプールにも行けなくなり、せっかくの南カリフォルニアのビーチも無縁になってしまっていた。

それに、娘のウェンディは元看護婦。持病を抱える義父になにかあったとき、頼りになる。なによりも、リンは娘たちと親密で、まるで隠し事がないような関係だ。

いろいろ考えると、じゅうぶんありえることだ。転居はリンの意向だろうと思う。


           *


いや、それでも、と私はすっきりしない。

私がそういう年齢になって家を引き払い、他州に引っ越すのが想像できないのだ。それも同居するために。

こちらは娘ではなく息子だが、子どもの生活を邪魔したくない。もし子どもたちが誰かと一緒に住んでいたら、私は一瞬たりともリラックスできない。嫁姑のいざこざは世界共通。特に、私のように好き嫌いが激しくて、文句ばかり言う人間には他人との同居は無理である。

仮に、子どもたちの家が大きくて、非常によくできたお嫁さんだとしても、私は住み慣れた州から出たくない。NYからNJ、NYからCTくらいならまだしも、カリフォルニアからユタみたいに気候も雰囲気も思想もちがう土地への引越しには抵抗を感じる。

だいたい、せっかく見つけてなじみになった歯医者や主治医や婦人科医から離れて、ゼロから探す気力はない。やっと頭にはいった地理だってやり直しだ。

20代30代ならまだしも、80を過ぎてはありえない。

「住めば都」だろうか。出不精の私は、どこに住んでも同じかもしれない。しかし、年老いてからの引越しは考えるだけで厳しい。

体の自由が利くうちはコンドミニアムかアパートメントに住んで、早めにAssisted Living Facilityに移って、そこが終の棲家になれば理想だが、先立つものはお金である。その前にボケるかもしれないし、大病をするかもしれない。

いまはっきりわかっているのは、もう私はカリフォルニアに行く用事がなくなったということである。


<今日の英語>

This side drops off quickly.
こっちは急斜面になっている。


ハイウェイの途中で、片側のガードレール下を指差した夫の一言。先週、そこでトレーラーが横転して崖の下に落ちた。たいした高さではないが、大渋滞になった。反対側は盛り土がしてあり、道路の端っこがすぐ断崖ではない。



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