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巣立ち その1

2012.10.01 (月)


9月2日、長男が家を出た。

それまで、大学の「持参すべきもの・あったほうがいいもの・家に置いておくべきもの」リストに従い、何度も買い物に出かけた。

キンダーガーテンからずっとBack to schoolショッピングをしてきたが、今回は品数も金額も桁違い。

私はアメリカの大学に行かなかったし、日本でも寮生活をしたことがない。大学見学の際に、初めて寮の中を見た。シーツやタオルや枕は個人で用意するだろうと思ったが、予想していなかったモノもかなりあった。

フロア・ランプ、デスク・ランプ、ゴミ箱、ハンガー、ミニ冷蔵庫、Drying Rack(室内物干し)、卓上ファン、アイロン、アイロン台、Power strip、プラスチックの収納箱、プリンターなど。

こんな基本的なものが備え付けではないのに驚いた。結局フロアランプ以外はすべて持たせた。長男のルームメイトはブルックリンから電車でボストンへやってくると聞き、それでは身の回り品しか持ってこれまい、共有できるものはこっちで用意しようということになった。

それ以外にも、服やパソコンやバックパック、爪きりから髭剃りセット、洗濯洗剤、シャワールーム用のゴムぞうりまで、家出というより夜逃げレベルの大荷物である。

ミニバンなら積みやすいが、長距離運転は疲れる。結局、アコードのトランクと後部座席の半分にぎっしり載せて出発した。


           *


3時間半後、夫の運転で駐車場に乗り入れた。

建物の入り口には、おそろいのピンクのTシャツを着た学生たちが案内をしていたが、私は長旅の疲れと、出発前の夫との口論と、駐車場前道路の一方通行の混乱などで不機嫌のまま。

受付らしいところへ向かおうとすると、「ここは学生だけでお願いします。あちらに軽食が用意してありますから、ご両親はそちらでお待ち下さい。お子さんは10分くらいで合流しますから」と大学職員にさえぎられた。

え?と思った。

これまで大学のどの説明会でも見学でも、長男といっしょにしてきたのに。だいたい、ぼんやり長男がちゃんと手続きできるのだろうか。つい、首を伸ばして、受付のほうを見てしまう。

見ると、他の親御さんも不満そうな、意外そうな顔をして、向きを変えている。

夫は「大丈夫だろう」と言い、夫と私は親が待つ部屋に向かった。

車酔いがいやでまともな朝食を食べなかった私は、クロワッサンやデニッシュや果物が山と置いてあるのに元気が出て、トーストした薄いパンにブルシェッタらしきものを乗せ、お茶も飲んで、お菓子も食べ、すっかり機嫌がよくなった。


         *


長男はすぐにやってきた。私は「これ、おいしいわよ」とお皿を向けた。

しかし、長男はすぐにも寮に向かいたいふうで、「これ、もらった」と私に書類を見せた。寮への道順や、郵便箱の番号、今日のプログラムなど。鍵も学生カードももらったと言い、「いつ、行ける? もう食べ終わった?」と座りもしない。

「えっ、もう行くの? もうちょっと食べたいじゃない?」と食い意地の張った私は何のためにここへ来たのか、わからない。

しかし、駐車場が狭いために、ラストネームで受付と入寮の時間が割り当てられている。しかたなく、まだ食べていないものを横目に建物を出た。

入るときには気がつかなかったが、その建物の1階にはいくつか店舗があり、なんと「サッポロラーメン」の看板があった。ラーメン好きの長男には朗報である。

「ここでラーメン食べればいいじゃない! うどんもあるかもね。お寿司なんかも。あんたはお寿司きらいだったっけ。あー、もったいない」と1人ではしゃぐ食いしん坊の私。長男はにこっとしながらも、私より落ち着いていた。今思えば、緊張していたのかもしれない。

なんといっても、寮生活は初めてだし、ルームメートとはスカイプで何度か話しただけである。


          *


寮はビクトリア風の一軒家で、似たような家が何件も並んでいる。昔からの家を大学が買い取り、寮に改築したものである。

寮の裏に乗り入れると、やはりピンクのTシャツを着た学生が数人待っていて、地面に敷いたビニールシートの上に荷物を全部出してくださいと言う。

持ち込み禁止のものを調べるためか、あまりにも大量の荷物を持ち込ませないためか。理由はわからない。

しかも、置く一方から手分けして長男の部屋に運び込んで行く。どこの親も50代だろうから、これは助かる。私も軽いものを持って、後に続いた。

長男の部屋は2階。

ドアを開けると、思ったより広く、清潔でほっとする。ドアは非常に重い。防音なのか防火用なのか。ともかく腕の弱い私では支えられないくらい重かった。

ベッドはかなり高い位置にあり、ベッドの下には木製の4段タンスが一つ。あとは、机と椅子。机に面した壁に3段くらいの棚。隅っこにはドアつきのクロゼット。かなり大きい。

これらが部屋の両側に1セットずつある。間にカーテンもなく、私にはとても住めないと思う。


            *


ルームメイトはまだ到着しておらず、どっち側に荷解きをしたらいいのかわからない。

しかし、ともかくこの山のような荷物をどうにかせねばならない。私がスーツケースを開けようとすると、「開けなくていいよ。ぼく、あとで自分でやるから」と長男。

え? 今日、何度目かの予想外である。

「だって、シーツつけたり、服出したり、足らないものがないかとか、このままにできないじゃない」と私。でも、長男は「いいんだってば!」と言い張る。

夫も「そうだよ。ルームメートと2人でやればいいんだ。もうここは長男の部屋なんだから、ぼくたちがあれこれ手を出すべきじゃない。」

「ちょっと待って。じゃあ何のためにボストンまで来たのよ? 荷物運ぶだけ? 普通は部屋をちゃんと住めるようにしてから帰るんじゃない?」と私だけが混乱してきた。チェルシーがスタンフォードに入ったとき、クリントン夫妻が寮まで送って行って、ヒラリーが片付けまでやってなかったか?

せめて冷蔵庫がちゃんと動くかどうかをテストすることだけは承知させ、それ以外は運び込んだときのまま、寮を出た。ここの駐車場も狭く、荷物を降ろした後は市営駐車場へ移動せねばならない。

まだ正午前である。

4時からセレモニーもあるらしい。それはともかく、せめてルームメートには会いたい。部屋でルームメートを待つという長男を置いて、私と夫だけ駐車場に向かった。


         *


なんだか中途半端な、やりかけのような、私はすっきりせず、車の中でブツブツ文句を言う。

「きみはまさか長男の部屋をきっちりセットアップするつもりで来たのかね」と夫。

「あったりまえでしょ。あなたが大学へ入ったときはどうだったのよ? やっぱりお父さんとお母さんがちゃんとしてったんじゃない?」と40年も前の話を持ち出す。夫の記憶ははっきりしない。

長男が生まれてから、特に学校関係はナーサリースクールからすべて初めてだったが、やっぱり今回も初めてのことで、私だけ驚いたり戸惑ったりしているのだ。
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巣立ち その2

2012.10.08 (月)


巣立ち その1 の続き)

市営駐車場に車を停め、大学へ戻るために夫と歩き始めた。

いつもどこへ行くにも車という生活をしていると、路を歩くのが新鮮に感じる。ボストン・ケンブリッジ辺りは歩くのが前提のようで、歩道が充実している。こういうところに住めば自然と運動ができるのだろう。

うちの近所の人たちは、わざわざハイスクールまで(車で)出かけて、楕円形のトラックをぐるぐる歩いたりする。私にはそれがどうにも空しく思える。出無精な私は、どこに住んでも同じか。

しばらくして私の携帯が鳴った。ルームメイトのジョンが到着して、付き添ってきた彼の叔父さんといっしょに何か食べに行くという。

「私とダディも行くわよ。ルームメイトに会うために来たんだもん。」

叔父さんという人はボストンに何度も来たことがあるらしく、Veggieなんとかというお店だという。ルームメイトもベジタリアンなのだろうか。

しかし、長男はまだ土地勘がなく、携帯で指示してもらいながら、蒸し暑いのに延々と歩いた(と思ったが、実際はたいした距離ではなかった)。

そして、ようやく合流して、いかにも若い人向けといった、地下にある小さなお店に入った。野菜だけではなかったが、豆腐でつくったクルトンだの、聞いたこともない穀物だの、粗末なテーブルと椅子、プラスチックのコップなど、私と夫だけなら絶対に選ばないような場所である。見渡すと、周りは学生か研究者タイプだけで、夫と私だけが場違いだった。


         *


その後、みんなで大学へ戻り、長男とジョンは荷物を整理するために寮へ、彼のおじさんはそのへんをぶらぶらするらしい。

歩きつかれた私と夫は、4時のセレモニー開始まで大学のカフェテリアで時間をつぶすことにした。

手持ち無沙汰で、「寮をもう一度見に行ってもいいかしら。慌しくて、長男の部屋もじっくり見てないし、バスルームなんかどうなってるのかしら」と私は言い、夫はまた「ノー。ジョンと2人でできるよ。きみが行く必要はない」と阻止する。

ノートにビジネスプランなど書いている夫を置いて、私は散歩に出た。駐車場は方向音痴の私でもすぐわかり、記憶をたどって車にたどりついた。そして、座席においてあった文庫本をかばんに入れた。ふと見ると、新品のマウスウォッシュが後部座席に落ちていた。

長男の忘れ物である。初日からこれでは先が思いやられるが、これで寮に行く口実ができたと私はほくそ笑んだ。念のため、長男に携帯で連絡してから、寮に向かって歩き始めた。

どこも5分で行けるくらい、こじんまりしている。長男の寮は新入生向けなのか、いくつかあるキャンパスのすぐ向かいにある。1階はカフェテリアなので、朝ギリギリまで寝ていても、走って3分で食事にありつける。


           *


部屋のドアをノックすると、長男がドアを開けた。

「はい、これ」とマウスウォッシュを手渡し、荷物が広げられた部屋をちらっと見渡す。ベッドの上にいたジョンに「ハーイ」と手をふり、「じゃあね。あとでセレモニーに行くから」と長男に言って、ドアを閉めた。

そうして、他の階もバスルームの中も見ずに、カフェテリアに戻った。

私がいては、長男が恥ずかしいだろうと思った。ジョンは1人でやっているのである。それに、私は黙ってみているタイプではない。ぜったいに口出しをする。「それは、ここにしまったほうがいいんじゃない? 冷蔵庫はそっち側のほうが便利じゃない?」などと指示をして、長男に「もう出てって」と追い出されるのが落ちである。

夫に「車に本を取りに行ったら、マウスウォッシュがあったのよ。いま、届けてきた。二人で部屋を片付けてたわ」と報告すると、「寮に行ったのか」と半ば呆れていた。

「だって忘れ物があったんだから、しょうがないじゃない。それにすぐ出たわよ」と自己弁護する私。



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巣立ち その3

2012.10.08 (月)


巣立ち その2 の続き)

引越しの日にセレモニーがあるとは知らなかった。

ナーサリー・スクールのままごとみたいな「卒業式」と、つい2ヶ月前のハイスクールのgraduation 以外、学校関係で式らしい式はない。これはおそらく入学式に相当するのだろうと予想はつくが、入学に際してそんなセレモニーがあること自体、初耳だった。

どの学年でも入学式や始業式はなく、初日から授業をし、なんとな~く新学期が始まるのが常だったからだ。

当日の朝、長男がもらった書類のなかに”New Student Undergraduate Convocation”という案内状があった。

convocation は「会議などの招集、大学の卒業式などの集会」を意味する。こんな単語も初耳で、またしても長男のおかげで語彙が増え、次男のときには「ああ、あれね」となるのだ。

案内状によれば、Provost(学務局長)以下、学長、学部長ら数名がスピーチをするらしい。その後、farewell zoneでfinal farewellsをすると書いてある。

まったく大げさな。

私も長男がハイスクールを卒業し、大学への引越し準備を進めるにつれて、感慨深い気持ちにならなかったわけではない。しかし、カレンダーを見ると、9月に入学して、11月末には感謝祭の休みである。クリスマスにいたっては、おそらく3週間以上も休暇になる。

ちょっと長めの泊りがけサマーキャンプに参加しているようなものだ。

最後のお別れなんて、聞いてるほうが気恥ずかしくなる。


             *


しかし、どっぷり感傷モードにひたっている親も少なくなかった。

私の隣に座った中年女性は、スピーチが始まる前からメソメソして、しきりに目をぬぐい、鼻をかんでいた。「あの、あと2ヶ月半で感謝祭ですよ。すぐ帰ってきますよ」と喉まで出かかった。

セレモニーは、屋外の巨大なテントで行われ、学生用の席をはさんで、左右に保護者用の席が並び、正面には簡単な壇上と教授用の椅子が設置してあった。

突然バグパイプの音がして、スコットランド風の衣装を身に着けたおじいさんが1人、後方からやってきた。曲名は知らないが、パレードなどでよく聞くのと同じだった。

夫が「あのバッグに空気を貯めて押してるんだよ、」と小声で言い、私は「バグパイプ」のバグはbagであることを悟った。カタカナでは bug(虫)の発音に近い。音楽方面に疎い私はあの大きな楽器の「袋」には気がつかず、見えてもバグとbagがつながらなかった。きっと頭の中ではbagpipeとbugpipeが共存していたのかもしれない。

アメリカ生活23年、言葉の壁は厚い。

セレモニーは、40分程度の簡単なものだった。スピーチはさすがにどの教授もうまく、ユーモアにあふれていた。美術の学部長が生真面目なのは意外だった。アーティストは言うことも奇抜だろうという根拠のない思い込みである。

最後に、学生が起立して宣誓した。

ある教授がなにごとか言い、学生が復唱したのだが、はじめは「勉学にベストを尽くし、視野を広げ」などといかにも真面目だったのに、途中からは「きちんと睡眠時間を取り、栄養を考えた食生活をし、『お金を送って』という以外の理由で親に定期的に電話をし」と脱線し始めて、テントの中に笑いの渦が起きた。

再びバグパイプの先導で学生は退場。出口で係りの人が一人ひとりに白いカーネーションを渡していた。

まさかあの花代は授業料に含まれていたのではあるまいか、とケチな私は眉をひそめた。


           *


親子の「お別れエリア」は、キャンパス横の道路で、学生と親たちがごちゃごちゃと入り乱れた。

小柄な長男が見つかるか心配だったが、すぐに会えた。そして、「はい、これ」と長男は私に白いカーネーションを渡した。

あれは親にあげるためか! 私にすれば、白いカーネーションは「死人」に関係あるので、長男が受け取るにしろ私がもらうにしろ、ギョッとする。花の意味は各国でちがう。調べたら、アメリカでは white carnationは pure love, sweet love, innocence だそうだ。

私は子どもとハグする習慣はない。周りはハグとキスの嵐で、ちょっと気まずい。なぜか夫は長男にお辞儀して別れた。なにをアピールしているのだろうか。

私は長男の肩をポンポンとするだけのつもりが、長男がハグしてきた。こんなに細いのかと思った。

「悪い女にひっかからないように」と忠告しておかねばと前々から考えていたのに、「じゃあ、元気でね」で別れた。

しかし、その後、学生用のビュッフェに夫が横入りして、ちゃっかりチキンを取り、私にも「あのビーフを1つ取ってくれ」と押し付けた。ばったり再会した長男に「見てこれ。子どもだけでしょ。親は食べちゃいけないんでしょ」とこぼすと、「いいよ、いいよ。気にしなくて」とまったくどっちが親なんだか。


           *


用が済んだら、私は一刻も早く帰りたい。

留守番をしている次男をコンピュータから引き離さねばならない。猫にご飯もあげなくてはならない。次男は猫トイレの掃除ができない(どうしても触れないと言う)ので、それも気になる。

夫の運転でケンブリッジから出て、マサチューセッツ・ターンパイクにのり、最初の休憩所で運転を交代した。夫が眠いというので、家まで私がずっと運転することにした。

往復も2回目で、日曜の夕方とあってラッシュもない。順調に進んでいたが、急にあたりが薄暗くなった。ついこの間まで8時でも明るかったのに、いつの間にか日が短くなっていたのだ。

私はここ2年くらい、夜の運転が難しい。昼間も道路の名前は読みにくいが、暗いと本当に苦労する。

夫に代わってほしいが、もう休憩所がない。コネチカットの西部ならいくらか慣れているので、とにかく早く進むしかない。ハンドルにしがみつくようにして、前のめりになる。夫があれこれ口を出すが、相手にする余裕はない。

GPSがあるのだから、どこの出口で出てもどうにかなるのに、夫は交代すると言わないし、私も出口に出ることすら難しくなっていた。

当然スピードが落ちる。いくら交通量が少なくても、主要ハイウェイである。生きた心地がしなかった。運転しなかった夫も、あんなにヒヤヒヤしたことはないと家に着いてから言った。じゃあ、なんで代わらないのよ?


           *


もうクタクタで何をする気力も残っていない。

せめて風通しをよくしようと、長男の部屋のドアを開けた。

床には、パジャマのズボンがおそらく朝脱いだときのまま、部屋の真ん中にあった。2本足が小さく突っ立っているような形で、シャツはぐしゃぐしゃですぐ横に落ちていた。

なに、これ?! 

部屋を片付けてから大学へ行くんじゃなかった? 

見渡すと、クロゼットの中の引き出しも開けっ放し、買い物袋や自分の描いた絵や他の服も無秩序で床に広がっている。前日遅くまで荷造りをしていたらしいが、片付けるという概念はないのだ。

夫に知らせると、「ワンダフル!そのままにしておこう。長男がいたときのままで、まるでまだ家にいるようで素晴らしいじゃないか。いつもぼくを思い出してっという長男のメッセージだよ」とふざける。

私の疲れは倍増し、ともかく無事に長男を送り届けた安心感から、また次の日は寝込んだ。



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不調続き

2012.10.22 (月)


去年の7月4日に467ドルで買ったばかりのラップトップがだめになった。

それまでも小さなトラブルが何度が起きて、あと100ドル出してもう少しいいのを買っていればとケチな自分に腹が立ったものだが、2週間前に突然ハードディスクがなんたらというメッセージが出て、いよいよ危なくなった。

律儀にも、1年の保障期間が終わってから壊れてくれた。

パート仕事にはパソコンが必要なので、だましだまし使っていたが、まさに棺おけに片足を突っ込んでいる状態(次男に棺おけの意味を説明したら、「英語はhave one foot in the grave だよ」と聞いてもいないのに教えてくれた。棺おけどころか、お墓である)。

とりあえず、お店でハードディスクを購入。69ドル12セント。

ネットで調べると、入れ替えは思ったより簡単そうで、スクリュー・ドライバー一本でできる。しかし、私はリカバリーについて深く考えていなかった。

呆れた次男がヨタヨタのラップトップからリカバリーディスクを作ってくれ、ハードディスクも無事に取り替えた。さてCDを入れるが、「これじゃない」とPCがのたまう。


      *


再びお店に戻り、事情を説明すると、「1枚ですか。ふつうはCD4枚か5枚分なんですけどね」とサポートデスクに行くように言われる。

「残念ですが、ここではできません。東芝のは置いてないです。ここに電話して注文してください」と、サポート要員のおじさんは紙を渡す。あらゆるメーカー名とウェブサイト、電話番号の一覧表だった。

昔は、PCを買うとリカバリーディスクが付いてきたが、いつのまにかなくなった。

東芝のサイトで純正リカバリーディスクを注文。29ドル95セント。配達に1週間もかかるという。ハードディスクの代金と合わせて、PC価格の4分の1にもなった。

なんとかする方法はないかと検索すると、自分でリカバリーディスクを作るやり方が見つかった。これでうまくいけば、純正のはキャンセルできる。

また元のハードディスクに戻し、CD5枚を使って完成。いったい次男は何のディスクを作ったのだろうか。

新しいハードディスクを入れなおし、手作りのリカバリーディスクを試みた。画面の指示通りにCDを1枚づつ入れ、最後のCDを入れて読み込みが終わった。よしよしと思って画面を見ると、「次のディスクを入れてください。」

それまで順調にやっていたのに、ありもしないCDを入れろと言う。

失敗である。


        *


その後、ハードディスクを元に戻したり、新しいのにしたり、いろいろ試みたがどうしてもうまくいかなかった。しまいには、Initializing... が消えなくなり、せっかくの新しいディスクすらだめにしたかと思った。

やっと東芝からCDが届いたころには、棺おけに両足状態で、パート仕事は1日休みをもらい、PCの修理に没頭した。

これで何回目か忘れたほど、またスクリュー・ドライバーを手に、ハードディスクを入れ替えた。もはやお手のものである。

「なんかすごくうまくなったみたい。お母さん、中国の工場で働けるかもよ」と次男に自慢すると、「1日15時間もやりたいの?」。

さすがは純正リカバリーCDで、時間はかかったが、PCは直った。

買ったときと同じ、まっさらな状態なので、あらゆる設定をやり直しである。プリンターのドライバーやアプリケーションをダウンロードしたり、バックアップした書類をコピーしたり、なんと手間のかかること。

しかも、1年半の間にいろんなものがアップグレードしていて、見慣れないインターフェースに戸惑う。それでも、エラーの出ない、速いパソコンはありがたい。

元を取るためにも、あと4年はこれを使うぞと決心する。


         *


PCと同じく、私自身も不調だった。

何週間か前に一度だけ眩暈と嘔吐があった。子供たちが小さいころに日本で同じことが起きて、ストレスのせいだと思ったが、それ以来だから12年ぶりのことだった。

ところが、ここ2週間ほどは毎日のように眩暈がした。そのせいで吐き気もあり、まるでつわりみたいに治まらなかった。

「病院に行けば?」と姉に言われたが、たとえば脳腫瘍だったりしたらどれくらい治療費がかかるのか、病気よりそっちの不安のほうが大きいのだ。健康保険も貯蓄もあるが、そんなものは一瞬で消えるくらいの医療費がかからないとも限らない。持病があると、将来の健康保険加入にも影響が出るかもしれない。

アメリカの医療保険制度のせいで、そんなことが心配になるのだ(Affordable Care Actをひっくり返されないためにも、断固としてロムニーを阻止せねばならない)。

結局、お医者には行かず、安静にして様子を見ることにした。

検索したら、ホルモンの変化に伴う更年期障害の症状の一つだとわかった。

ほてり、不定愁訴、肩こりなどはよく聞くが、眩暈とそれに伴う吐き気は知らなかった。もともと人によって違うらしいし、dizzinessやnauseaを症状に入れていない英語のMenopauseサイトも少なくない。一般的ではないのかもしれない。

実家の母が「あれあれ、天井がぐるぐる回っとるやあ」と、なんだかよく楽しそうに言っていたのを思い出した。遺伝か。


         *


眩暈が治まるまで、最低限の家事とパート仕事はやったが、買い出しは夫と次男に頼んだ。

しかし、せっかく私が書いた買い物リストを忘れていくわ、5%オフのクーポンを使わないわ、例によってブラウニーやデーニッシュを3つも買い込むわで、私のイライラが募った。

ここ2、3日は眩暈がないが、ふだんなら平気な匂いが不快だったり、めったにほしくない甘いハードキャンディがほしかったり、更年期本番真っ最中という気分である。

しかも、聞くところによると、これが終わるころには外見がガクッと老け込むのだそうだ。

外を見ると、すっかり紅葉していて、芝生は落ち葉で覆われている。

私は枯葉が舞い始めるころが毎年一番危ない。抗不安薬を服用していても、物悲しくなる。絶望感には程遠いものの、憂いがじわりと寄ってくる。

そのあとには寒い冬と積雪、雪かきが待っている。うれしいわけがない。

これをあと30年繰り返したら人生終わりかと思い、長いのか短いのかわからない。



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