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今日の英語 2012年1月掲載

2012.02.01 (水)



1/21/12
She is a pill.
嫌なやつだ。

1/22/12
Please don't go ballistic on this.
怒鳴らないでくれ。

1/23/12
It baffles me.
きつねにつままれたような気がします。

1/24/12
It’s very easy to say these things in retrospect.
あとからこういうことを言うのはとても簡単です。

1/25/12
The line starts back there, just so you know 
列の最後はあっちですよ、一応言っておきますけど。

1/26/12
You’ll get through it. 
きっと受かります。

It's crunch time for Federer. 
フェデラー、正念場です。

1/31/12
It was a shot in the arm for women's tennis. 
女子テニスにとってのカンフル剤でした。

Any luck? / Have you had any luck yet?
うまく行ったか?

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消えた隣人

2012.02.02 (木)


去年の12月初め、お向かいS家のドライブウェイにdumpster あるいはcartingと呼ばれる鉄製の箱があるのが見えた。

トラックが1台すっぽり入るくらいの、いわば巨大ゴミ箱。廃棄業者に届けてもらい、あらゆるゴミをその箱に目いっぱい投げ込む。あとは、業者がクレーンでトレーラーに乗せて持ち去ってくれる。

家を売りに出す前のお決まりの風景なので、不動産会社の看板が出ていなくても、あの箱がドライブウェイにあると、もうすぐ売るんだなとわかる。

うちの夫は物が捨てられない。クロゼットには絶対二度と着ない服が山とあり、地下室には40年前の雑誌やガラクタが山積みになっている。ご近所であの箱を見かけるたびに、「夫の持ち物をあの中に全部ぶちまけたら、どれほどすっきりするだろう」と恨めしく思った。


          *


お向かいの娘さんたちはすでに成人して家を出ており、ご主人は地元出身なのにフロリダに移住したがっていた。

コロニアル・スタイルの家はたびたび増改築をして、庭もプロが手を入れた。フロントポーチあり、デックあり、スイングセットあり。白いフェンスに囲まれてタイルを敷き詰めた広いプールに、凝ったデザインの白いgazebo(あずまや)まである。

田舎なのでどこも敷地は広いが、お向かいはその中でも見晴らしがよくて、平らなバックヤードがあり、ご近所でも1、2を争う好条件だと私は踏んでいた。

そうして、家を売りに出したとたん、リーマン・ブラザーズが破綻した。

最初の売値はかなり強気だった。ところが、同じ通りのcul-de-sac(行き止まり)にあるC家もまもなく売りに出た。C家の売値はB家よりさらに数十万ドル上乗せしてあった。それに刺激されたのか、B家も値段を大幅に上げた。

しかし、時期が悪すぎた。しばらくしてお向かいからFor Saleの看板は取り外された。1年以上経って、再度売りに出したときは、最初の値段より下げていた。その後も、どんどん下がっていったが、3年以上経っても売れなかった。

ここはじっと我慢するしかないんだろうなあと思っていたときに、あの巨大な箱が出現した。

まだ捨てるものがあったのかと驚いた。かなり前に娘さんたちのベッドの売却広告も出ていて、相当片付けたはずだ。もともと家の中はきれいだったが、収納スペースが広いだけに物が多かったのか。

何日かして、巨大なゴミ箱は消えた。


          *


12月24日の朝、トレーラーのようなエンジン音が聞こえた。

森の向こうにある道路も近所の家も、落葉したあとは木々の間から見える。有名な引越し会社の大きなトレーラーが2台、お向かいの前に停まっていた。引越し業者らしい人たちが家の中から物を運び出し、トレーラーに積む。お向かいのご主人と奥さんの姿も現れた。

「まさか引越し? クリスマス・イブに?」と私は混乱した。

当初の3分の2以下の値段で売りに出していたのに、買い手が現れなかったのは周知の事実だった。私はご近所さんとはつかず離れずの付き合いをしているので、Sさん夫婦とも道で会わない限り、めったに話すこともなかった。だから、引越しの予定は知らなかった。

出て行って、「いよいよ引越しされるんですか」と聞こうかとも思ったが、忙しいときに迷惑だろうと思いとどまり、窓からときおり眺めるだけにした。

まだ長男の大学願書にかかりっきりで、クリスマスディナーの準備もあってバタバタしているうちに、お向かいのことは忘れてしまった。


          *


その後、Sさん夫婦の姿は見ない。

フロリダに引っ越したんだろうか。情報通の奥さんたちにも会わないので、事情はわからない。

よく考えると、S家は季節の旗や花などをいつも郵便受けに飾っていたのに、今年はお向かいのドアにはクリスマス・リースすらなかった。もう前々から年内に家を出るつもりだったのだろう。

しかし、留守宅にはなっていない。

コントラクターらしきバンが時折来るし、S夫婦のものでない乗用車がガレージの外に停めてあったりする。先日はゴミ箱が出してあった。今年初めての積雪の翌日には、知らないおじさん(不動産エージェント?)が雪かきをしていた。

管理人を雇ったのかもしれない。誰も住んでいない空っぽの家よりも、家具があって誰かが生活している家のほうが売れると聞いたことがある。しかし、あの引越しトレーラー2台分の荷物は持ち出したはずで、家の中はほとんど何もないんじゃないだろうか。

謎は深まるばかりである。


           *


S家のご主人は心臓が悪くなって40歳ごろにリタイアし、障害年金で暮らしていた。奥さんは下の子がエレメンタリー・スクールを卒業すると働きに出た。ご主人はハーレー・デビッドソンを買い、しょっちゅう家のリモデル業者が入って、「よくあんなお金があるなあ」と夫は不思議がっていた。

家の値段が下がっているのに、不動産税も学校税も下がらない(リッチなオレンジ・カウンティに住む義母が、うちの税額を聞いても信じなかったくらい異様に高い)。S家の奥さんは「ほんとに税金が高いわ。うちはまだ家のローンだってかなりあるのよ」と嘆いていた。

「うちもそうですよ」と慰めてみたものの、うちのローンはあと2年足らずで完済する。利率が低くなるようにリファイナンスを2回して、毎月の支払い以外にもちょくちょくかなりの金額を元本の返済に充てた。そのために、まともなリモデルは一度もしていない。たいした家具も設備もない。お向かいと逆である。家を売りに出す前に、お金と時間をかけて修繕しなくてはならない。

どっちを先にするかの違いだけかもしれない。

しかし、このへんの標準である4 Bedroom, 2.5 Bathに加えて、地下室も居住スペースになっているS家は、夫婦2人には広すぎる。たしかに素晴らしい家と土地だが、彼らにここに住まなくてはならない理由はない。ご主人は大学生の次女のいるフロリダに行きたがっていた。

家さえ売れたら。

夜逃げという感じではなかった。差し押さえの様子もない。

仮にフロリダにアパートを借りるとしても、お向かいの家のローンと税金はそのまま支払わねばならない。2軒分の支払いは厳しいだろう。銀行が買い上げたのだろうか。For Saleの看板は外していない。カソリックの夫婦がクリスマス・イブに引っ越すのも釈然としないなあと、私はもやもやしている。

ところで、もう1軒のC家もその後値段を下げ続けたが、やはり売れない。

昨日、不動産会社から大きな葉書が届いた。C家の概観を写したもので、裏には「値下げしました。ご近所で家を買いたいと思っている方、あるいはそういう知り合いがいる方はぜひご一報ください」という宣伝だった。

お向かいには、もはや人が生活している気配はない。


<今日の英語>  

I am going through the same exact thing.
私もまるっきり同じことを経験しています。


医療相談サイトで、まさに同じ悩みを抱えている人のコメントより。exact same thingとも言う。




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ぜんぶひらがな

2012.02.03 (金)



いよいよお米がなくなってきた。

日本食品店は車で1時間。出不精で運転嫌いの私は、「お米がなくなったら買出し」が基準なので、数ヶ月に1回しか行かない。そのころにはカレー・ルーやかつおぶしも残りわずかになるが、ぎりぎりまで待つ。

近所のスーパーでも、外袋に漢字のついた米を売っている。でも、どう見てもグレードが低い。豆腐も売っているが、木綿豆腐をさらに3倍も硬くしたものか、ヨーグルト並みに柔らかいものかしかない。豆腐の味がしない。

醤油はキッコーマン。私はもっと上等な調味料がほしい。味噌は売っていない。うどんはカップめんスタイルしかない。

ラーメンはまずい。ただのインスタント・ラーメンなのに、どうしてアメリカのお店で売ろうとすると、こんなに不味くしなくてはならないのだろうか。子どもたちもラーメンは日本食品店で売っているお鍋で作るものしか食べない。

のばしのばしにしてきたが、今週は天気もいいので、思い切って出かけることにした。すでに木曜日。火曜日も水曜日も行こうと思っていたのに、出不精の根っこは深く、近くのスーパーが限界だった。

しかし、今日はあと1時間ほどで出かける予定である。

ブログに書けば、多少はやる気が出るかも知れず、宣言してみる。


          *


日本にいるときのように、「あっ、あれ買い忘れた。また明日(あるいは来週)寄ってこよう」と気軽に戻れない。きっちりと買い物リストを作らねばならない。

実はリストなど不要なくらい、買うものは決まっている。お店は小さいし、私がアメリカで作る日本食のレパートリーは少ない。

夫は何でも食べる人だが、魚ベースの出汁あるいは醤油を使った煮物はどうも苦手らしい。服用薬のせいで、味噌や醤油が制限されてからは、お味噌汁も飲まなくなった。買出しというわりには、たいした量にならない。

それでも往復2時間で大事なものを買い忘れるのはいやなので、リストを作る。

頭の中でお店のレイアウトを思い浮かべ、冷凍コーナーからお菓子の棚までぐるっと回って、それでも30項目くらいあった。

よーし、あとは出かける気力だけだと思って、リストを眺めてギョッとした。

これは小学校1年生の書き取りか? 「米」と「茶」以外は全部ひらがなだった。ひらがなさえも稚拙で、「ゆ」だか「や」だかはっきりしない。

これはひどい。

ふだんのスーパーでの買い物リストは英語で書く。最後に日本語でこれだけの文字を書いたのはいつだったか、思い出せない。

いくらなんでもと思って、漢字で書けそうなものを探した。油、雪などいくつかある。「すしす」の「す」が思い出せない。ビネガーの「す」。お酒みたいな部分があった気がする。「すっぱい」のす?

残り少ない瓶を棚から取り出して。やっと思い出した。酢か!


           *


読み・書き・話す・聞くのうち、一番最初に衰えるのが「書く」なんだろう。

まず、日本語を聞いてわかるようになり、話せるようになって、読めるようになって、番最後に習ったのが「書く」だから、その逆の順番にだめになるのか。あるいは書くことが一番複雑な作業だからか。ともかく、使わないと急速に忘れるのは確かだ。

「話す」のはまだ大丈夫だが、子どもたちとの単純な会話と、電話で隔週話す姉とのおしゃべり以外、日本語を話す機会はない。半年前に、同じ町に住む日本人に久しぶりに会って5分ほど話したのが、ナマの日本人に接した最後だ。

今日の日本食品店に行けば、レジは日本人だし、買い物客もほどんどが日本人。昔の知り合いに会うかもしれない。ちょっと緊張する。

全部ひらがなの買い物リストはこっそり開こう。




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縮む日本

2012.02.03 (金)



少し前に、「2060年までに日本の人口は今の3分の2まで減る」という記事をBBCで読んだ。これについての日本の報道は見落としていた。検索したら、読売新聞の特集が見つかった。

低い出生率からして人口が減っていくのはわかっていたが、この数字には驚いた。寿命が延びるので、もっとゆっくり減るだろうと私は思っていた。

2060年はそう遠い未来ではない。あと48年後だ。下手すると、私は98歳でまだ生きてるかもしれない。

その頃には、65歳以上の人口は総人口の39.9%に達するという。

今だって日本に帰ると老人が多く、小さい子、若い人をあまり見かけない(実家は田舎にある)。2010年の人口統計では高齢化率はすでに23%だった。それが2倍とまで行かなくても、5人に2人が老人になるわけか。

高齢化率が21%を超えると、超高齢社会と呼ばれるそうだが、高齢化の速度に定義が追いつかない感がある。

「後期高齢者」という呼び方が論争になったのを思い出した。前期が(65~74歳)で後期は75歳以上だそうだ。これも見込みが甘い。あっという間に75歳から100歳の人の割合が増えそうだ。そうしたら、超後期とか末期とか新たな区分を作るのか。ややこしい。

私がその年になったら、自分はどのカテゴリーなのか忘れてしまいそうである。


          *


今回の推計によると、合計特殊出生率(女性1人あたりの出産人数)は、現在の1.39から2060年には1.35に下がる(最も悲観的な予測は1.12)。

0.04の差ならたいしたことないような気がする。

しかし、50年後に生まれる子どもの数なんか、どうやって予想するのだろう。今でも未婚者・晩婚者が多くて、子どもを持たない選択をする人がたくさんいるのに、今とほとんど変わらないとは、ずいぶん楽観的だなと思う。

私は2人生んだが、それでは計算上は人口は増えない(最低2.07なければ人口は減り続ける)。しかも、私は住民票は日本にない。戸籍はあるが、この統計の勘定には入らないんじゃないだろうか。子どもたちもまだ二重国籍だが、おそらくアメリカ人として生きる。日本人としては数えられない。

狭い日本列島に1億2800万人がひしめいているのだから、人口が3分の2に減って通勤ラッシュや住宅難が緩和される点はいいんじゃないかと一瞬考えた。しかし、そのころには就業人口が減ってしまって、現役1.3人が高齢者1人を支える図になっているのだ。

北欧ほどの高い税率で支える手厚い福祉はなく、昔のように3世帯が同居して老人を世話していた時代でもない。フリーターや派遣の仕事ばかりでは年金や退職金も当てにならないし、老後の生活は苦しそうだ。

そういう社会があと数十年でやってくる。

いや、いったいそういう社会が成り立つのだろうか。


           *


私は日本の年金を納めていない。もらうつもりはない。

アメリカ移住後をカラ期間として日米双方の年数を合計する方法があるらしいが、日本でまともに働いたのは4年足らず。アメリカでもやはり4年で、こちらではソーシャル・セキュリティ・タックスを天引きされた。しかし、最低40クレジット(1年間に4クレジットまで)貯めないと、受給資格がない。

どっちにしても、夫の遺族年金としてもらうソーシャル・セキュリティのほうがずっと高額なので、自分のはあきらめた。

「日本の年金は手続きしなかったわ。どうせもらえたとしても、微々たるもんだしねえ」と姉に言ったら、「それはまちがってるよ」と断定されてしまった。

毎月たとえ100円でももらえるように努力すべきかと悩む(100円はまったくのあてずっぽうなので、本気にしないように)。

日本の年金は65歳から全額支給だが、アメリカでは1960年以降に生まれた人は67歳(62歳から受給できるが、かなり減額される)。イギリスは68歳らしい。英米とも更なる引き上げを検討中で、アメリカは69歳、イギリスは70歳という案が浮上している。

世界一の長寿国で。高齢化が高速度で進んでいる日本が65歳のままでいいのか。

今50歳の私が15年後にもらえると仮定して、そのころの日本の年金積立金残高を想像すると、やっぱりやる気が出ないのだ。


            *


日本のメーカーの今期決算の数字が報道される。

パナソニック7000億円の赤字。ソニー2200億円の赤字。金額が巨大すぎてピンとこない。地震・津波と原発事故に加えて、タイの洪水でさらにダメージを受けたのに、円高は続く。

なぜか商社は儲かったらしいが、勤勉な日本人を持ってしてもこの状況から脱却できるだろうか。

バブル景気の始まる前にアメリカに移住した私は、バブルそのものも、バブルがはじけたときも、失われた10年(20年?)も肌で感じることがなかった。

三菱地所がロックフェラー・センターを買ったり、ソニーがコロンビア・ピクチャーズを買収したりするのを現地報道で知り、「なにもアメリカの象徴みたいなものをお金で買わなくても」と肩身が狭かった。

もちろんバブル経済だったとはつゆ知らず、そういう買い物はもうやめてもらいたいと思っていたら、日経平均が暴落して、まさかの長銀倒産となって、あとはなにがなんだかわからないまま、悪いニュースばかりが届くようになった。

このままでは、日本の人口だけでなく、日本そのものが縮んでしまいそうだ。


          *


日銀が円高に介入しない理由についていくつか見解を読んだが、なんとも歯がゆい。

輸出で食べている日本の会社がよく怒らずにいられるなあと不思議だ。円高が進むたびに、日本企業はさらに努力してこれまで切り抜けてきたのだろうが、今度ばかりはperfect stormのど真ん中に放り込まれたようで不安になる。

それなのに、日本政府は「子ども手当て」を「子どものための手当て」と改称して仕事をした気になっているらしい。

読売の特集の中で、「民主党は『チルドレンファースト』を掲げ、『子ども・子育て』を優先課題に位置づけた」という一節があった。Children First? なんだ、これは? 

英語でカッコよくキメたつもりでも、中身が伴わなければ無意味だといういい例である。


<今日の英語>  

I did so deliberately.
わざとそうしたんだよ。


せっかくの熱いコーヒーをカウンターに置きっぱなしにした夫。「冷めちゃったじゃない」と言う私へ、猫舌の夫が反論した。



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 |  社会  |  コメント(1)

「犬がほしい」病

2012.02.05 (日)



うちにはシェルターから引き取った猫が2匹いる。

兄はちょっととろいくせに、すぐ妹を攻撃し、妹は臆病な女王様で、2匹がくっついて眠るという微笑ましい光景はない。

数年前、兄猫はバスルームに置いた服の上に粗相したことか数回あり、くる猫さんのぼん兄みたいになったらどうしようと戦々恐々としていたが、一時の気の迷いだったらしく、すぐなおった。もちろん今も監視の目は緩めていない。

前の猫が19歳で死んだとき、もう猫は飼わないつもりだった。

最後の3ヶ月間、粗相の後始末で私は発狂しそうになった。カーペットの掃除だけでなく、猫の下半身を洗ってやらねばならない。それが1日に何度もあった。毎日、毎日。

猫が死んだ朝は、みんな大泣きした。裏庭に穴を掘って埋めた。私も夫も一週間くらいメソメソ、しんみりしていたが、長男の嘆きは尋常ではなかった。

私はもっと大事にしてあげればよかったと後悔した。しかし、これで世話から解放されるとホッとしたのも確かだ。

猫がいると、あちこち毛だらけになる。猫砂は重く、トイレはしょっちゅう掃除しなくてはならない。あの猫は最後の2年ほどたびたび獣医に連れて行ったが、冷たい診察台の上で震えていた。注射も検査もいやだっただろう。

やっぱりもう猫は飼わない。


          *


そう決心したが、長男はいつまでも悲しんでいた。猫の話をすると、目に涙がたまる。授業中に突然泣いては、学校のカウンセラーから電話がかかる。

長男を回復させるためには、もう一度猫を飼うしかないと思った。前の猫は夫が結婚前から飼っていた。今度は私の猫である。それぞれ性格と知能に問題はあるが、まあかわいい。

しかるに、今や長男は猫より女の子のほうに興味が移ったらしく、「誰のためにもらったと思ってるのよ!」と言いたい日もある。2匹の身勝手さに愛想が尽きたときだ。

彼らは、自分の快楽および快適さ追及しか頭にない。

朝4時に私を起こす。ドライフードをやっても、また戻ってくる。そして、ドアをバンバン叩いたり、書類を引っかいたりして、私の睡眠を邪魔する。「ご飯あげたでしょっ。何がほしいのよ!」と怒ってみても、「いっしょに起きて」だの「退屈だから遊んで」だの、「外が見たいからブラインドを開けて」「まだ食べたりない」等々、際限がない。

それでいて、抱っこは30秒まで。捕まえようとすると、逃げる。外に出るなと言うと、出る。私に用がなくなると、知らん顔をする。

私も自分勝手だけど、あんたたちにはかなわないわと思う。


          *


そんな日が続くと、「これが犬だったら」と思い始める。

限りなく田舎に近い郊外なので、犬を飼っていない家のほうが少ない。

どのお宅も前庭にぐるりとinvisible fenceを張り巡らせ、犬が勝手に出て行かないようにしてある(ただし、あれも完璧ではない。境界に近づきすぎるとビリッとショックを送る装置が首輪についているのだが、うまいこと首を下げると、その部分が皮膚から離れてショックを感じないらしい。ちょっと頭のいい犬はそうやって脱走する)。

だいたい囲い込んでほったらかしだが、ラッキーな犬はよく散歩させてもらっている。そうすると、出られない犬がしっぽをびゅんびゅん振りながら敷地にそって走る。いくら庭が広くたって、出かけたいんだなあと思う。

散歩で見かけるのは、小型あるいは中型の犬が多い。大きい犬の散歩は大変なのだろうと想像する。

どこの家も、まず子どもが小さいときに飼い始める。子どもが育つ頃に、また別の犬が来ることもある。

シーズーだかヨーキーだか白い小型犬を甘やかし放題で飼っている義母は、「犬、飼いなさいよ。お庭は広いし、これで子どもたちが大学に行ったらさびしくなるし」とフェイスブック加入と同じように、私を勧誘する。

「犬の世話は大変ですから、怠け者の私にはとてもとても。簡単な猫だからどうにかやってますけど、それすらめんどくさいんですよ」と逃げる。

私は自分のことはよくわかっている。

毎日最低2回の散歩に、ブラッシングにシャンプー。登録にトイレトレーニングに躾。食事の世話(あの重いドッグフードの袋をどうやって持ち上げるのか)。お尻の世話。夏には皮膚にダニがつく。犬の抜け毛は猫の比ではないらしい。

とても私にはできない。犬も私も不幸になる。


        *


それなのに、私は定期的に「犬がほしい」病にかかるのだ。

先週は真冬とは思えない気候だったので、スーパーの駐車場にも犬連れが目だった。

奥さんが買い物をする間に、ご主人が犬と外で待つ場合もあるが、窓を少し開けて犬だけ車に残す人が多い。静かに待つ犬もいれば、ワンワンほえ続けるのもいる。

私が車に買い物袋を積んでいると、反対側に停めてあった車のハッチから大きなジャーマン・シェパードがよっこらしょと下りてきた。飼い主のおじさんはリーシュを持って、車に腰掛けている。犬はまた車内によじ登ろうとするが、前足だけかけてモタモタしてた。おじさんは後ろ足を持ち上げてやった。年取った犬なんだなと思った。

おじさんと目が合ったので、「ゴージャスな犬ですね。いい子ですね」とほめた。

「まだ8ヶ月なんですよ」とおじさんはうれしそうに答えた。

8ヶ月であの大きさか。成犬のサイズはどれくらいだろう。それにしても、あれっぽっちの高さで上れないなんて、甘やかしすぎだ。地面に下りても、しっぽは後ろ足の間にしまってあって、おじさんの後ろに隠れていた。しかし、顔つきは立派で、なんとも可愛い犬だった。一言も吼えなかった。

銀行の駐車場で私の隣にいた車には、真っ黒いドーベルマンみたいなのがすっくり後部座席に立って、周囲を見渡していた。私が通りかかると、首を回してじーっと私を見た。でも、吼えない。躾が行き届いていそうな犬だった。手を振りたくなったが、下手に刺激してもよくないと思って我慢した。

「犬がほしい」病を発症すると、やたらと犬に会う。ふだんも会っているはずだが、あまり意識しないのだろう。

妊娠すると妊婦が目に付き、子どもが生まれるとよその子が目に入るのと同じ現象かもしれない。


           *


症状が悪化すると、「なぜ私は犬を飼うべきか」という理由を考え始める。

犬の散歩のために毎日歩くことになる。健康にいい。痩せる(かもしれない)。
身勝手な猫と違って、犬はご主人様の役に立つのが至上の喜び。
猫よりも人間の気持ちに敏感で、深いつながりができる。
犬は学習する。待てと教えれば、待つ。
郵便物の運搬や雪かきの手伝いも可能。
大きくて暖かい。停電時のヒーターに最適。
雑食なので、猫みたいな偏食ではなく、なんでも食べる。
番犬になる。

いいこと尽くめである。

シェルターで犬を探してみようかと血迷ったことを思う。そして、この家に犬がいる風景を想像する。

頭のいい大きい犬がいいな。やはりジャーマン・シェパードか。シベリアン・ハスキーやアラスカン・マラミュートも捨てがたい。ドーベルマンやグレート・デーンも好みだ。

自分の性格や適性は無視。想像するだけならタダ。実害もない。

しかし、徐々に現実に引き戻される。

怠惰で出不精の私に犬の世話ができるか? 私が病気になったらどうする? 夫は絶対に犬の散歩なんかしない。たいてい一回でトイレを覚える猫と違って、犬のトイレのしつけは相当根気がいるらしい。大雪や氷点下の日はどうする? 大型犬が歩けなくなったら、私に持ち上げられるか? 賢い犬種でも個体差はある。犬の学校を落第するような、とんでもない犬だったらどうする? “Marley & Me”の破壊的なシーンを忘れたか?

私は、自分勝手な猫2匹とおバカで図体だけ大きい犬1匹の飼い主になりたいのか?

やがて正気を取り戻し、やっぱりよその犬で我慢しておこうとあきらめるころには、この病も小康状態となる。そして、1日中寝てばかりの猫とダラダラするのが私にはお似合いだと悟る。


<今日の英語>  

What's the story with you today?
今日は何かあるのか?


土曜日の朝、パソコンをしていた次男に、今日の予定はどうなっているのかと聞いた夫の一言。私が台所にいるところにやってきて、”What's the story?”と話しかけることもよくある。答えるのがめんどうで、”Nothing.”と言いたくなる。



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想定外のEKG 前編

2012.02.06 (月)


去年の12月半ば、年一度の検診のために主治医のクリニックへ行った。

その前の週には、血液と尿の検査も済ませた。血圧降下剤と鉄剤は飲んでいるし、テニス肘のわずかな痛み以外はどこも悪くない。腎臓の奇形のせいで過去2回の尿検査はデータが取れなかったので、それだけが気がかりだった。あとは、もちろん体重。

診察室ではナースが血圧を測り、私に服用薬や婦人科健診などについて質問した。

紙のカルテは何年も前に廃止され、タブレットPCですべてのデータが管理されるようになった。アメリカ人のテキトーな手書き文字に不安を覚える私には、ありがたい。

まだ若いナースはEKGの機械を転がしてきて、私の体にペタペタとステッカー状のものを貼り、コードをつないでいった。「わたし、まだこれに慣れなくて、ごめんなさいね」とごちゃごちゃになるコードをほぐしながらナースが言う。

EKGのデータも直接パソコンに送られる。検査自体はほんの3分。ハイテクすぎて、まるでSFの世界である。


         *


事前検査がすべて終わると、ドクターBがやってきた。

「ハーイ! しばらく会ってなかったけど、病気しなかったってことね。どう調子は?」と明るい。私より10歳くらい年上だと思うが、本当の年は知らない。

彼女は私が過去にうつをわずらい、今も精神安定剤(抗不安薬)を服用しているのを知っている。彼女が処方箋を出すのだから当然だ。私が専業主婦で、子どもたちがもうハイスクールなのも知っている。夫との問題も知っている。

「外に出てますか? ソーシャライズするのは大事なことです。それから、歩きましょう! 運動になるし、気分がよくなるし、それに体重が減りますよ」といつもと同じアドバイスをしてくれる。

私もハイ、ハイと素直にうなづく。しかし、実行しない。

診察が終わると、「服を着替えて、私のオフィスへ来てください」とドクターB。そこで、パソコンを前にデータを見ながらさらに話をするのがいつものパターンである。

「血液検査OK。貧血なし。尿検査もOK。血圧も安定しているけど、薬はこのまま続けましょう。」

ほっとしている私へ、「EKGがちょっと変ね。胸が痛くなったりしない? 息苦しいとか、左側の肩や背中が痛いとか」と立て続けに質問が飛んできた。

「特にありません。」

「ご家族で心臓の悪い人は? 心筋梗塞になった人や不整脈のある人は?」

「いないと思います。」 いたような気もするが、急に聞かれても思い出せない。

「今日のEKGがこれまでのと違うんですよ。あなたくらいの年の女性でこういうデータが出るときは、たいてい何でもないんですけど、念のために心臓のエコーを撮りましょう。Heart sonogramをやったことは?」

とっさに医療費の問題が頭に浮かぶ。長男がERでMRIをやったばかりである。

「いえ、ないです。病院に行かなくちゃだめですか。」 

「このクリニックにも設備はあるから、うちでもできますよ。そう急がなくてもいいけど、受付で予約してください。心配しないで。とりあえずの検査だから。」


           *


受付に行くと、年明けの日時を指定された。

「今年中にやりたいんですけど」とダメもとで聞いてみた。

「ああそうね。医療費控除のためにも今年中にしたいですよね」とすぐに話のわかる受付嬢。空き時間を探してくれたが、心臓エコーの技術者が来る日は限られていた。唯一あったのが、3日後の1時半。

長男の耳鼻科医と同じだ。あまりに鼻血が続くので、カテーテル手術をしてもらうことになっていた。そちらは夫に頼もう。心臓と鼻血だったら、心臓のほうが重要だ。鼻血では死なないが、心臓に問題があったら死んでしまう。

これまでEKGはもちろん、心臓疾患を疑われたことがなかったので、私は呆然としていた。

年を取ると、お医者に行くたびに別の悪いところが見つかる。

腎臓の奇形は血尿のあとのCTスキャンで先天性だと判明したが、私はすでに40を過ぎていた。奇形といっても一番軽い症状なので、むくみやすいとか疲れやすい程度では気がつかなかったのも不思議ではない。これから何か悪くなるなら腎臓だなと覚悟した。

心臓は想定外である。


          *


しかし、ドクターBに言われたことを思い返し、よくよく落ち着いて考えてみると、このところ左胸が痛いことがあった。左肩や背中の左側も痛かった。階段を駆け上ると苦しい。あれは、ただの運動不足や更年期障害ではなかったのか。

私の母は体が弱い。なぜか未亡人になってから丈夫になったのだが、私が小さい頃は疲れやすくて、すぐ息が上がり、心臓が弱いとか言ってなかったか。姉も大人になってから不整脈が出たはずだ。待てよ。父方の祖父も息ができなくてじっとしていられないと胸を押さえて歩いてなかったか。

つまり、うちは心臓病の家系?

母にメールで問い合わせると、すぐに返信があった。
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私が不整脈あります。
生まれつきと思いますが、高校などの検査では解りませんでした。
マラソンはびり組でした。
1年に1回の市の検査4、5、10年変ですが、あんたはいつもそうだけどと、
どの医者も言いますが
どうしょうもないのかまあ日常生活に支障なければらしく、そのままです。

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あいかわらず要領を得ない文章である。マラソンの成績なんか聞いてない。
しかも、自分以外の親族については一切触れず。

今度は箇条書きで質問を送った。すると、こんな返事が来た。
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えこー9月ごろ撮りました、どの程度だか少し変だことはありますが、医学的に位は聞けば教えてくれると思います。必要なら年が明けてから聞いてみます。
おじいさんは喘息です。私の母も喘息でした、沢山薬を使っていたので脳溢血でした。
私も血圧高いので(検診で)薬飲み始めました。A子さんもTさんもSさんもう10年も前から飲んでいるそうです。
高血圧で自覚症状ないの一番危ないらしいです、くはばらくわばら。
あと心臓病、聞いたことありません。

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母のメールはいつも脱線する。私は心臓の話をしているのである。なぜ未亡人仲間の高血圧が出てくるのだ。それに、もう少し正しい日本語で書けないものか。

これ以上母とやり取りすると余計に心臓に悪そうなので、いったん打ち切り、心臓エコーの検査を待つことにした。

後編に続く)




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想定外のEKG 後編

2012.02.07 (火)


前編の続き)

「EKGがおかしいんだって。心臓エコーやることになったわ」と夫に話したが、なぜかそれほど驚いたふうでもなかった。なにやらパソコンで難しいチャートを作っていたので、私の話は聞こえてなかったのかもしれない。

私の心臓については、子どもたちのほうが心配してくれた。

「自分ではわからないのよ」と言いながら、確かに胸が痛かったし、左肩や背中が痛いような感じもした。ちょっとしたことで、「もしかして心臓?」と気になり始めた。

「私も不整脈あったよ」と姉。やっぱり!

数年前に会社の検診で見つかったのだが、なぜか1度きりで、その後のEKGは正常だったという。「あのとき疲れてたからじゃないかなあ。あのときだけなのよねえ。」

忙しい姉と違って、私は毎日ゴロゴロしている。疲れたらすぐ寝る。ストレスのないのがストレスのような生活だ。

長男が大学に受かるかどうか気を揉んでいたせいかもしれない。次男がパソコンに夢中で勉強を手抜きするとか、夫とG氏のビジネスがうまくいくのかとか、他にも心配の種はある。しかし、今に始まったことじゃない。不整脈が出るほどのことだろうか。

私の母は毎年不整脈が出るというが、姉は1度きり。他には心臓の悪かった親戚はいないようだし、そういう家系ではないと思われる。だいたい母も未亡人になってから病気一つしないし、スタミナもついて仲間としょっちゅう小旅行に出かける。不整脈でもごく軽い種類らしい。

きっと私もなんでもないかもしれない。ドクターBもそう言っていたではないか。

EKGをやってくれた若いナースはいかにも慣れていないふうだった。接続がおかしかったという可能性はないだろうか。


         *


私はEKG結果が間違っていたという結論を出すために、あれこれ言い訳をし始めた。

そして、気がついた。まるでキューブラー=ロスの死の受容プロセスではないか。彼女によると、死に直面した患者は、否認・怒り・取引・抑うつ・受容の5段階をたどるという。

根が悲観的な私は、EKGの異常→心臓疾患→心筋梗塞・心臓麻痺→死という図式を作り上げていた。そして、最初の段階「否認」をうろついているわけだ。

しかし、そこから先へは進まない。私の場合、ごく具体的な問題で悩む。

「もし明日の朝、心筋梗塞で死ぬとして、あーあ、このチョコレート昨日のうちに食べておくんだった、なんて悔しいじゃない?」と子どもたちに言う。クリスマスにパヴェルがドイツから送ってくれたチョコレートを、子どもたちと私でチマチマ食べていたのだ。

「じゃあ、今日食べれば?」と簡単に答えを出してくれる次男。

「そうよね。今日食べればいいのよ」と私。「でも、明日死ななかったら、明日食べる分がなくなって悲しいじゃない?」と踏ん切りがつかない。

そうだ。夫にうちのファイナンス関係のファイルを説明して、私のたんすの中身ももっとちゃんとして、日本への連絡についてもあらかじめ決めておかねば。領事館に死亡届を出すのだろうか。パソコンのパスワードはどうする?

無職の私が突然死んでも、たいした影響はないのだが、その日を想像するとあれこれやるべきことを思いつく。チョコレートどころではないのである。

しかし、目の前にあるのはチョコレートなので、とりあえず死ぬ間際に後悔しないように食べた。


          *


心臓エコーはいつものクリニックの個室で行われた。

技術者は東欧なまりのある若い女性で、ほとんどしゃべらずに、薄暗い部屋で黙々とプローブ(超音波発信機)を動かす。たまに、「息を深く吸って、止めて」とか「体をこちらに向けて」とか、指示する。

ソノグラムは産婦人科でもやったので要領はわかっていたが、モニターに映る心臓を見たのは初めてだった。

これが私の心臓かと思った。50年も毎日休まず働いてきたんだなあと感慨にふけるが、あと30年、40年ともたせねばならない。

目を凝らして画像を見ても、なんとなく部屋が分かれているのがわかるだけだ。技術者はある程度見当がつくのだろうが、診断しない。データを集めるだけで、あとは医者が読む。

心臓エコーは30分くらいで終わった。次の予約は取らずに、まず結果だけ電話で教えてくださいと受付で頼んだ。


          *


ナースから電話がかかってきたのは1週間後だった。

「ドクターBのナースです。先日の心臓エコーですが、mitral valve prolapseでした。軽症なので、今は何もする必要がないとのことです。」

こんな病名は初耳なので、ぜんぶスペリングを言ってもらった。わからなければ聞く。一時の恥なんて思わない。ただ単に聞く。

あとで調べたら、日本語では僧帽弁逸脱症だった。漢字のインパクトは強い。

電話を切ると、夫が「今のはドクター? ぼくもその症状が出るよ」と自室から叫んだ。そうなの? じゃあどうして私がEKG異常で心臓エコーをやると言ったときに、何も言わなかったのよ。20年以上も結婚しているのに、初耳だった。

メルクマニュアル医学百科によると、

「僧帽弁逸脱とは、左心室が収縮するたびに弁尖が左心房内に突き出る障害で、心房内へ少量の血液が漏出(逆流)することもあります。僧帽弁逸脱は人口の約2~5%にみられます。重度の心臓障害を起こすことはまれです。」
「僧帽弁逸脱はほとんど症状がありません。」
「僧帽弁逸脱では、治療が必要になることはほとんどありません。」

他のサイトでは、無症状で病気とはいえないわずかな異常から、重症で要手術のものまであらゆる病態が含まれると書いてあった。健常者の集団でも、検査すれば必ず数パーセントに見つかるほど、よくあることらしい。

私の場合は、おそらくなんでもない。ほっとしたが、このせいで生命保険や健康保険への加入を却下される可能性はあるだろうか。アメリカにいると、病気よりそっちが気になる。

それにしても、確かに左胸や左肩が痛かったのはどういうわけだろう。その後も、ちょくちょくchest painを感じる日がある。そんな症状はないはずなのに、自分で暗示をかけているのだろうか。

ちなみに、心臓エコーの費用は635ドル。うち、保険会社が認めたのは482ドル。私の自己負担分は27ドルだった。




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夫が退職した日

2012.02.08 (水)


夫は去年の12月6日付で正式に退職した。

年齢と勤務期間により、リタイア(引退)の扱いとなった。

障害給付期間が終わったのを機会に、半年以上前に元の上司に退職届をメールしたのだが、なぜか手続きに手間取った。電話はたらいまわしされ、問い合わせる部署によって、すでに退職したことになっていたり、まだ休職扱いだったりした。

どこかで事務処理が滞っていたと思われるが、結局なにが問題なのか最後までわからなかった。夫は「もうほっとけ」と言い、私もどうでもよくなって、成り行きに任せることにした。

その間、休職前と同じように健康保険が使えたのはありがたかった。毎月の保険料も、通常の社員と同じだった。

その点だけは中途半端な状況も悪くなかった。

11月には次年度のための健康保険加入手続きをした。現役社員としての保険料が提示され、確認のメールが来た。やはり、まだ退職扱いではなかった。

12月になって、会社から夫宛に封書が届いた。私は開封せず、台所のカウンターに置いた。たぶん福利厚生の確認だろうと思った。

1週間ほど経っても、夫は中身を確かめなかった。私は郵便はその日に開けるたちなので、だんだんイライラしてきた。そして、ある日「これ、健康保険の話だと思うけど、開けるわよ」と夫に告げて、レター・オープナーを手にした。

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社員番号 xxxxxx
退職日 2011年12月6日

我が社の退職者の方へ

このたびは退職おめでとうございます。長い間、我が社のために働いてくださったことに感謝の意を表します。

退職者のバッジを同封します。氏名、社員番号、退職日が記載してありますので、大事に保管してください。

退職者向けの福利厚生に関する冊子を同封しました。ご質問等ありましたら、従業員サービスセンターまでお問い合わせください。
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あっさりしたものだ。バッジと言っても、ただの紙である。

夫に見せると、「やっと決まったか。なんだかほっとしたよ」と言った。


          *


夫は16年間この会社に勤めた。アメリカでは長いほうかもしれない。その前の会社でもやはり15年以上働いていたので、そう頻繁に転職した人ではない。

私はせめて子どもたちが大学を卒業するまで、今の会社にいてくれるだろうと思っていた。毎月2回の給与振込み、年1度のボーナス、大企業の健康保険その他の福利厚生、401K。

しかし、そのシナリオは夫がパニック・アタックを起こした日に変わってしまった。

夫の会社では、ときどきレイオフがあった。

夫はそのたびに「今度は危ないかもしれない」と言いながら、一度もレイオフされずにすんだ。でも、仕事には自信があり、妥協を許さない夫の性格からして、上司や同僚とぶつかることが多く、電話のやり取りを聞きながら、私はしょっちゅうハラハラしていた。

夫はしなくてもいい苦労をしているように見えた。わざわざ自分を難しい状況に追い込んでいるようで、もっと要領よく割り切ればいいのにと思った。

夫は会社の文句を言ったりしながらも、取引先や他の部署からの感謝メールなどをときおり私に見せ、それを励みにしていた。夫のやり方は敵を作るが、逆に夫を非常に高く評価する人もいた。男女に関わらず、少数の同僚とは親しく長電話をすることもあった。

リストラで人が減ると、仕事量は増えた。夫にとっては無駄としか思えない仕事を命じられ、かと思うと、重要なプロジェクトの期日は早められ、夫のストレスは最大になった。

夫は完璧主義のところがあったので、根をつめて働いた。私は何度か「少しは妥協してもいいんじゃない」と話してみたが、夫は「ぼくもそう思う」と言いつつ、やり方は変えられなかった。


           *


自宅で仕事をする日が増えていった。

夫の会社ではテレコミュートはごく一般的だったが、日本的な感覚で私は気になった。

もともと世界中に散らばっている人たちとの共同作業もあったので、会議電話ができれば場所はどこでもよかったのだ。それにしても、あまりにも家にばかりいて、たまには顔を出すとか郵便物を片付けるとかしなくていいのかと私は心配した。

私は子どもが生まれてからずっと専業主婦だったので、夫の収入だけが頼りだった。いつリストラがあるかもしれないのに、これ以上上司の覚えが悪くなるようなことはしてほしくなかった。

夫の上司はしょっちゅう入れ替わった。しかも、たいていは遠く離れたところにいる人たちだった。ただでさえ夫の仕事に興味のなかった私には、ぜんぜん覚え切れなかった。

最後の上司リサだけは印象に残っている。彼女のオフィスはシカゴだった。

リサは夫の悩みを理解していたが、どうすることもできなかった。彼女は、彼女の上司からせっつかれて悩んでいたのだ。彼女も鬱でカウンセリングに通っていた。結局、夫が休職したあとで、彼女もしばらく会社を離れた。彼女の場合は、自閉症の疑いのある子どもがいて、ご主人との離婚話も出ていたので、夫の相談に乗れる余裕はなかった。

それでも夫のためにできるかぎりのことはしてくれた。夫とかなりフランクに話し合っているのを何度か聞いたことがある。

夫の休職中にも何人もがレイオフされていた。


           *


夫がいきなり退職したら、私もショックが大きかっただろうが、病気のために短期・長期で休職したのがクッションになり、夫が退職するという考えにだんだん慣れていった。

夫の症状は落ち着いたし、うちにはそこそこの貯金もあった。まだ引き出していないが、ありがたいことに終生年金もある(夫が入社して数年後に経費削減の対象となり、若い人たちは当てに出来なくなった)。G氏のビジネスはまだ利益が出ていないので、夫は雇われていない。それでもG氏に頼られて、アドバイスをしたり資料を探してあげたりしている。なにもすることがないよりはいい。

夫が退職してよかったことがある。

まず、もうレイオフの心配をしないでいいこと。

それから、大組織の中での人間関係や勢力争いに悩まされないこと。(ときにして無能な)上層部の理不尽な要求に我慢しなくていいこと。それによって、夫のストレスが軽減されたこと。

夫はまだカウンセリングに通っているし、薬はおそらく一生飲み続ける必要があるだろう。年齢と病歴からして、これから一般の会社に雇われることはまずない。G氏のビジネスが軌道に乗って、正式に社員となれたら一番ありがたいが、どうなるかわからない。

実家の母は、夫が大会社に勤めていたので安心していた。これから子ども二人が大学に行くのに、夫が退職したと知ったら心配するだろうと、なにも知らせていない。躁うつ病のことも、パニックアタックのことも何一つ話していない。

母には、私がアメリカでお気楽な生活をしていると思わせておきたい。


<今日の英語>  

Take it or leave it.
条件をのむか、のまないかの二つに一つ。


アメリカン航空がリストラの一環で従業員の15パーセントに当たる13000人の解雇や年金の廃止を提案したのを受けて、あるビジネスマンがコメント。「組合はもちろん反対しているが、破産裁判所で合理的な再建策だと認められれば、従業員には交渉の余地はない。」 直訳は、目の前に差し出されたもの(条件)を取るか、それとも手を触れずにそのままほっておくか。



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高すぎる健康保険

2012.02.10 (金)



アメリカには国民皆保険制度がない。

たいていは勤め先が従業員に提供する、民間の保険会社との契約である。つまり、会社を辞めると健康保険を失う。

高齢者のための保険制度Medicareは65歳以上が対象なので、それまでは自腹で健康保険を手に入れなければならない。

会社を辞めてから18ヶ月間(例外的に最長36ヶ月まで延長可能)は、COBRA (Consolidated Omnibus Budget Reconciliation Act 包括予算調停強化法。通称コブラ)が利用できる。

コブラの手続きをすれば、辞めた会社で加入していた健康保険を引き続き使えるのだが、会社の補助がなくなるため、保険料は全額自己負担となる。それでコブラを諦める人も少なくない。

アメリカには、無保険者が5000万人いると言われる。

2009年の国勢調査によると、アメリカの人口は3億700万人。メディケア(高齢者向け保険)でカバーされる65歳以上は3960万人。メディケイド(低所得者向け保険)の利用者が5150万人。

メディケアにもメディケイドにもカバーされない人は、2億1590万人。そのうちの無保険者5000万人というのは、23パーセントにあたる。つまり、4人に1人が年齢と所得制限で公的保険を利用できず、自費で保険に加入することもできないのがアメリカの現実である。


        *


夫の会社は福利厚生がよかったので、引退者用の健康保険もあった。

当然ながら、11月に申し込んだ次年度の現役社員用の登録は無効。また、12月6日付けで引退したことにより、12月15日から31日までの半月分から引退者用に切り替わった。

私が会社に電話すると、12月31日まではこれまでと同じ保険だと言われたが、その後、別の担当によると、12月15日で終わりだとのことだった。またもや混乱が生じた。

ともかく、これから毎月の保険料がいくらになるか確かめねばならない。

「ちょっと高くなるんですが」と口ごもる担当者。

これまでも問い合わせに応じて保険料を説明するたびに、元社員が驚いたのだろう。驚いただけならまだしも、罵倒されたり、泣きつかれたかもしれない。

「Medicalだけですと、2047ドルです。」

私はTwo Thousandのところで、聞こえなくなった。

「2400ドルとおっしゃいましたか?」と息が止まりそうになった。

「いえ、2047ドル」と今度はもう少しはっきり話してくれた担当者。そうか、2400ドルじゃなくて2000ドルかとホッとしたのも一瞬だけで、「2047ドル?!」と聞き直した。毎月20万円? 1年で240万円?

「はい。Dental は113ドル、Visionは20ドルですので、すべてご利用になる場合は、合計2180ドルになります。」と、一番高額な部分をぶちまけた担当者はすらすらと歯科と眼科の毎月の保険料を説明した。ちなみに、これでもCOBRAより安いのだそうだ。

もしまだ会社にいたら、2012年度のMedicalは250ドル、Dentalは62ドル, Visionは33ドルで合計344ドルだった。こちらも前年度から30%の上昇なので、現役でもうれしくなかろうが、引退した夫はその6.3倍を払うことになる。

私が呆然として黙っていると、担当のお兄さんは助け舟を出してくれた。

「ご主人には引退者用の医療費援助枠が4万5千ドルほどありますので、それをお使いになったらどうでしょう。」

「でも、保険料は毎月2047ドルでしょう。4万5千ドルなんか、2年も持たないじゃありませんか。」 

「援助枠は0%から100%まで指定できます。たとえば、50%は援助枠から出して、残り50%は自費でとすれば、もう少し長く使える仕組みです。」

50%にしても、毎月1025ドルは自腹か。夫はこういうことを考えるのがきらいなので、私が決めるしかない。


          *


私はエクセルに数字を入力して、援助枠利用のパーセンテージと残高を一覧にした。

そして、私が65歳、つまり政府の高齢者用健康保険が適用されるまでの年表も作った。長男が大学入学、ローンの返済完了、次男が大学入学、長男が大学卒業、次男が大学卒業。夫が70.5歳になると、IRAなどリタイアメント口座から一定の金額を引き出さねばならない。

最後の列は私が65歳。夫は75歳。そのとき長男は32歳、次男は30歳。

頭ではわかっていても、一覧表にするとショックだ。

「ねえ、おかあさん、こんな表を作ったんだけど、見て」と子どもたちを呼んだ。

「ヒャー!ぼく、32歳かあ。次男くん30歳?怖いよ」と長男。

「えー、おかあさん65歳?」と次男は自分のことは棚上げにした。

15年先の話である。60代の自分はもちろん、70代半ばの夫も想像できない。

夫と私はどこに住んで、子どもたちはどこで何をしているのか。実家の母はもういないだろうが、姉はどうしているだろう。


             *


肝心の保険料は、60%を補助枠から、40%を自腹で払うことにした。毎月872ドルが銀行口座から引き落とされる。そのままで行くと、2014年の年末には補助枠の残高が赤字になる。来年は50%にしなくてはならないかもしれない。

大学では学生向けに健康保険があるので、まず今年の秋から長男が、そして2年後には次男もそちらの健康保険が使える。

それでも毎月の保険料はそう下がりそうにない。

(NY州政府が提供する公の保険には、月収が極貧レベルでないと入れない。子どものいない夫婦では1226ドル、子どもが2人いる世帯なら2794ドル以下。)

夫はすでに精神障害によるメディケア利用資格がある。あとは私だけだ。そうなったら、もう会社の保険はあきらめて、個人で加入したほうがいいのだろう

しかし、私は高血圧だし、抗不安薬は飲んでいるし、腎臓には非常に軽いけれど先天性疾患があるし、ついこのあいだ僧帽弁逸脱症だと判明した。下手すると、既往症で却下されるかもしれない。

あと少なくとも2年間は新たな病気が見つからないことを願う。そのあいだに、国民健康保険が全面的に導入されるかどうかだ。

保険がもらえるなら、一挙に65歳になってしまってもいいような気さえする。私が保険付きのフルタイムの仕事を見つけるより、そっちのほうが現実味があるんじゃないだろうか。

日本にいるときは、アメリカの健康保険で頭を悩ませるとは予想だにしなかった。20年前は、今のようにネットで情報収集することはできなかった。

私はほんとうに白紙に近い状態でアメリカ人と結婚してアメリカに来たんだなあと思う。

こういう日には、”New York Lottery's Powerball $320 million!”なんていう広告がやたら目につく。


<今日の英語>   

What time and day would work best for you?
いつがご都合がよろしいですか。


今年になって、投資会社から郵便や電話でしょっちゅう連絡が来る。今回はメールで、「近々、お宅の近くでセミナーがございます。もしご参加できなければ、個人的にお会いして今後の投資、資金運用についてお話いたしたく。」 



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いち、抜~けた!

2012.02.11 (土)


私は40代になって白髪がチラホラし始めた。

最初のうちは、スーパーで白髪染めを買い、自宅で染めていた。しかし、あれは疲れる。20分もバスルームでじっとしていなくてはならない。壁や床に茶色のしみがつく。ほとんど裸なので寒い。黒い服を着てやったこともあるが、どうしても汚れる。終わったらシャワーに直行だし、めんどうになって、結局は裸に近い格好になる。

それだけ苦労しても、白髪はすぐに生えてくる。

しかも、私は下手なので、まだらになった。「おかあさん、こっちだけすごい茶色だよ」とよく子どもたちに指摘された。自分では見えない後頭部はとくにひどかったらしい。

40代後半になると、もう追いつかない。染めて2週間もすれば、白髪がわさわさ出てくる。

そして、自分で染める体力がなくなった。私の髪は肩より長く、毛の量も多かったので、染め終えると腕が重く、ぐったりしてしまった。

しかたなく、ヘアサロンで染めてもらうようになった。これが高い。ヘアカットといっしょに頼んで、125ドル。それにチップを入れたら、150ドル。

プロにやってもらうと楽だし、いくらか長持ちするような気がしたが、1ヶ月もするともう元通りだった。

自分は座っているだけでも、染める時間、定着させる時間、それにヘアカットの時間を入れると、2時間コースである。私にはそんな辛抱ができなくなった。

確かにきれいに染まるが、髪を洗うと、まるでプラスチックの束のような感触だった。それでいて、ゴワゴワする。薬品で髪の表面を溶かすらしいので、相当ダメージがあるんだろう。しばらく頭がかゆいこともあった。アレルギー反応を起こしたのかもしれない。


            *


補習校にはきれいに染めていた人が多かった(まだ若いお母さんは白髪とは無縁で、おしゃれのために茶色っぽくしていた)。でも、まるっきり自然のままにしていた人もいた。

すでに真っ白で一瞬おばあさんかと見間違えそうだったり、ごま塩だったりした。その中でも、髪型や服装まで無頓着な人もいれば、白髪以外はきちんとしている人もいて、いろいろだった。

私は見栄っ張りだったので、子どもたちが補習校に通っていた間はずっと染めていたし、ヘアサロンにも定期的に通った。

しかし、今はほとんど人付き合いがない。

夫と子ども以外には、子どもの友だちのお母さんたち、子どもたちの習い事で会う人たち、ご近所さん、店員、うちに来る業者、お医者、歯医者とそのスタッフくらいだ。この町に日本人は数人いるが、会わないときは半年も誰にも会わない。会っても、ほんの立ち話だけなので、付き合いともいえない。

白髪のままで都合の悪いことがあるだろうか。


              *


私が白髪を嘆くと、夫は「じゃあ、染めなければいいじゃないか」と言った。

夫はもうほとんど真っ白だし、だいたい男は白髪だっていいのだ。老けたほうが魅力的な人すらいる。

有名人の写真を見ると、女はどんな美人でも老けると厳しい。なまじ若いときに美人だった人のほうが落差が大きく、多大な努力でシミ、皺、白髪、脂肪、たるみと戦っているのだろうが、必死な様子がうかがえて痛々しくなる。

しかし、私は有名人ではない。お医者が外出を勧めるほどの引きこもりである。白髪染めの不快感とイライラ、そして費用。そんなことを我慢する必要はまったくない。

そう結論を出して、1年前から白髪染めを止めた。

いち、抜~けた!」と思った。

ショートカットにすると頻繁にヘアサロンに行かねばならず、髪が硬くて量も多い私には向かない。それで、やはり肩より少し長めにして、お団子にまとめている。白髪の表面積を小さくしようという、せめてもの努力である。

まだ開けてない白髪染めが1箱ある。「今日はどうしても染めなくては」という緊急時のために捨てずに取ってあるが、開封する日はたぶん来ない。


          *


もう一つ、「いち、抜~けた!」がある。

去年の震災後、ブログのランキングに登録した。なにもできない自分が歯がゆく、せめて情報提供やクリック募金で役に立てるかもしれないと考え、ランキングでPRしてみようと思った。

目的を持って再登録したつもりだったが、はやり私にはどうにも合わないのだと悟った。

ブログを始めた頃にもランキングに登録していた。でも、しばらくして夫の容態が悪化してブログどころではなくなり、ランキングから退会した。ブログを再開したあとも、戻らなかった(その理由は前に書いた)。

去年の10月半ばから3ヶ月間ブログを休み、年が明けて再開したとき、ランキングはそのままにしておいた。しかし、だんだん違和感が強くなった。

あと1ヶ月で1年目となる大震災についての情報は、ネットでいくらでも見つかるようになったし、クリック募金のリンクを張っているサイトも山ほどあることに気づいた。

世の中がブログよりもツイッター、SNSに向かっている折、私のブログにもランキングより検索でたどり着くケースが増えているような気がする。

ランキングのリンクをクリックしてもらうよりは、その手間でクリック募金してもらったほうがいいじゃないかと思う。

なによりも、私は個人的な話を書いているだけで、有益な情報を提供するでなし、きれいな写真を載せるでなし。しょせんランキングに縁はない。公開ブログであるかぎり、ひっそりとは行かないが、あまりに私的な事情を書くこととランキングに参加することが、私の中では相容れなくなった。

心理的負担というほど大げさな話ではなく、ちょっと嫌だなという気持ちである。そして、それは消えそうにない。

というわけで、この記事をもって、ランキング・サイトから退会することにした。



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15時間睡眠

2012.02.14 (火)


今年もアレルギーの季節がやってきた。

十数年前のアレルギーテストの結果、私は木に反応することがわかった。すでに今の家に引っ越したあとで、「なるべく木の近くにいかないように」というお医者のアドバイスは冗談にしか聞こえなかった。

うちはまるで森の中に建っているようなものだ。しかも、家の正面にはぐるりと低木を植えたし、台所の外にはクラブ・アップルの木も植えた。

木のアレルギー持ちにとって、シーズンの始まりは2月。まだ目に見えなくても、芽吹いている。それがアレルゲンらしい。

3月、4月になっても収まらない。5月になって新緑がいっせいに出る頃にやっと落ち着く。

今年のNYは暖冬で、除雪費用や暖房用の灯油代が少なくてうれしいのだが、この暖かさで木は例年より早く芽を出していると思われる。


        *


1ヶ月ほど前に次男がどこかからバイ菌をもらってきて、それが夫、長男の順に移った。

「わたしは手をよく洗うから風邪は引かないのよ」と威張っていたら、とうとう私もやられた。それほどひどい症状ではなかったが、のどの不快感がしつこい。生き延びた菌は強力で、最後の私が一番長引いた。

そうこうしているうちに、顔が痛くなってきた。Sinus pain(副鼻腔の痛み)である。耳も詰まって痛くなる。

私は過去に何種類もの抗アレルギー薬を試したが、結局どれもたいした効き目はなかったので、ここ数年は何も飲んでいない。

ひどいときに、Benadryl(抗ヒスタミン剤)を飲むことにしている。

薬が効きやすい体質なのか、アメリカ人向けの用量が多すぎるせいか、飲むと最低24時間はぼ~っとして危ない。だから、24時間は車を運転しなくていい日にしか飲めない。

こんなときにかぎって、次男はコンサートがあったり、飛び入りボランティアをしたり、長男も友だちの撮影プロジェクトを手伝ったりと、私のリムジン・サービスは大忙しだった。もちろん習い事の送迎もいつも通り。


           *


チャンスは土曜日の夕方にやってきた。

冷蔵庫に食料はある。子どもたちは出かける予定はない。最悪の場合、夫が運転できる。

「おかあさんは今からベナドリルを飲みます」と宣言した。

そして、猫を地下室へ追い込み、食べ物と水のボウルを置いて、ドアを閉めた。

「さーて、おかあさんが寝ている間に、ギルバート&サリバンでも見るか!」と夫はわざとらしく子どもたちに呼びかけた。私はあれが大嫌い。夫の口笛と同じくらい、耐えられない。

しかし、私はベナドリルを飲むと前後不覚になる。まるで睡眠薬のように効く。そのあいだに、夫や子どもたちがどれだけ騒ごうが、わからないのだから、まあどうでもいい。

そして、今回は15時間ぶっ続けに寝た(一度トイレに起きた記憶はある)。

薬の箱には大人1~2錠と書いてあるが、私は1錠しか飲まない。2錠も飲んだら、昏睡状態に陥りそうである。

のどにはまだ微妙な不快感はあるが、人間、寝ると元気が出るものだ。


           *


それにしても、この暖かさは尋常ではない。

ハロウィーン前日の大雪以来、やっと二度目の降雪が週末にあったが、1~2インチの予報に反して、ほとんど積もらなかった。

昼間の気温は45°F(7℃)前後。たまに50度を超える。夜は32度(0℃)以下になるが、冷え込みは感じない。

ヨーロッパでは記録的な寒波と大雪で、ドナウ川が凍ったとか、町が孤立したとか、百人単位で凍死したとか、悲惨なニュースが伝わってくる。テキサスでは雨が降らずに、給水車が出たし、オーストラリアではまた洪水になった。ソマリアでは旱魃(と内戦)のために最悪レベルの飢饉。

異常気象は強力なラニーニャが原因だとされるが、それにしても近年はブレが大きすぎて不気味だ。

「NYは暖かい」と喜んでばかりもいられない。もしかして猛暑が待っているかもしれないのだ。


<今日の英語>   

They are putting their energy in the wrong place.
彼らは間違ったことにエネルギーを注いでいる。


宗教団体に職員の避妊薬費用を医療保険の一部として負担させる規制案に対して、カソリック団体が「宗教戦争だ」だの「信教の自由を脅かす」だのと騒いでいた。結局、オバマ政権はその案を撤回したのだが、一部のカソリックは「もっと他に重要な問題があるのに、なにやってんだか」と冷ややかに見ていた。これは街頭インタビューを受けたあるカソリック系大学生の一言。



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そして2校目

2012.02.15 (水)


昨日、先に帰宅した次男が郵便物を持ってきた。

丸まっていたが、白い大きい封筒が見えた。もしかして、と奪い取ると、ボストンのA大学のロゴがあり、封筒の下のほうにCongratulations!と赤い大きい字で書いてあった。

やった! これでマンハッタンのS大学に行かせなくて済む。

また学校へ戻るという次男に、長男にこのニュースを伝えるように頼み、開封せずに長男の帰宅を待つことにした。

S大学からの合格通知は、1月25日に届いた。その後、書類の不備で選考が遅れたので、半ば諦めていたが、これで願書を出した4校のうち、2校に合格したことになる。

残るは、やはりボストンのM大学とフィラデルフィアのU大学。

長男はA大学が一番いいと言っていたが、夏に見学したときにアートに関係したところしか行かず、大学寮も一般教養の授業があるキャンパスも見なかったのが悔やまれる。それでなくとも、夏休み中の見学では、大学が休みで雰囲気がいまいちつかめない。

これだけ大学を見回った後では、どこもだいたい似たり寄ったりだと想像できるが、なにしろ今後4年間を過ごすところだし、家1軒を買うのと同じくらい、高い買い物である。

去年の今頃、大学めぐりをしていたときには、すでに合格通知をもらったシニアの子もオープンハウスに参加していた。

「最終的に決める前に、もう一度A大学を見に行ったほうがいいんじゃないかしら。今度はあなたと」と夫に聞くと、「ぼくは行かないよ。大学に行くのは長男であって、ぼくじゃない。彼が見て来て、それでよければいいんだ」と即答だった。

夫がそんなにあっさりしていて驚いた。私は、もう一度長男とボストンまで電車で行くべきか迷っているのに。


         *


子どもたちは5時半に帰宅した。

「よかったねー、A大学!」と言うと、「次男君から聞いたよ」とクールな長男。知らせを聞いたときは喜んだだろうが、もう落ち着いたらしい。

封筒の中には、おめでとうのカバーレターとパンフレットがいくつか入っていて、5月1日までに入学金を払ってくださいと書いてある。

カバーレターの下にもう一枚手紙がついていた。

「学業成績とポートフォリオの審査結果に基づき、10000ドルの奨学金授与を決定しました。これは、フルタイムで在学し、規定の成績を維持すれば、自動的に毎年更新されます。」

「やった!1万ドルよ!成績ってことはないから、やっぱりポートフォリオかしら!よかったー!」と私は合格通知よりこっちのほうがうれしい。

2012年度の授業料は少し上がって、29250ドル。1万ドルの割引は大きい。

長男の場合、FAFSAによるneed-based(低所得層を優先する学資援助)の望みは絶たれたので、merit-based(成績、能力、功績などで決まる。親の資産や収入に無関係な奨学金)しかない。一般企業や地域がスポンサーになっている奨学金制度もあるのだが、長男は応募する気もない。よっぽど成績優秀で、コミュニティ活動をよくして、特定の条件を満たさないと難しいので、うちはまず無理なのだ。


           *


奨学金授与によって、すでに私の中ではA校に決定だが、残り2校からの返事を待たねばならない。

私立のU校は公立のM校より年間8千ドルも高い。でも、奨学金をくれそうなのはU校。

長男はアートの先生から「フィラデルフィアは芸術の街で、U校はすばらしいわよ」と言われたという。それで授業料が高いのか。

U校付近はのんびりしていて私も気に入った。NYからはフィラデルフィアのほうが近い。それにボストンより暖かいだろう。でも、フィラデルフィアのほうが治安が悪いかもしれない。就職のガイダンスもいまひとつという気がした。

A校はボストンだが、本体のキャンパスはケンブリッジにある。大学運営のシャトルが巡回しているので、それほど不便ではなさそうだが、真冬はどうなんだろう。

どちらも都会だし、バスも電車もあるから、車は不要。でも、うちに帰るにはボストンのほうが不便だ。

ボストンは学生の街だし、A校は総合大学の一部なので、芸術バカにならない点はよさそうだが、そういう大学では芸術部門が注目されないという話も聞いた。

どっちもどっちか。となると、やっぱり決め手は授業料。

長男が楽しく4年間を過ごし、定職についてくれたらそれでいいのだが、入学してみないとわからない。どうしても合わなければ、途中で他大学に編入するという手もある。アメリカではtransferが珍しくないのはありがたい。


            *


「A大学に合格したこと、フェイスブックに書いてね。グランマが見てるから」と長男に頼むと、「もうやった。」

帰宅して何分も経っていなかったのに、毎度のことながらフェイスブックの更新だけは早い。ほかのこともそれくらいテキパキやってくれないものか。

その夜、私が長男の空手教室に付き合っている間、グランマから電話があった。

次男が受けたのだが、長男はA大学のイニシャルしか書かなかったので、グランマにはよくわからなかったらしい。「グランパとも話したよ。それで、ダディに代わった」と次男は報告した。

「グランパ、ちゃんと聞こえたの?」と驚いたが、補聴器とヘッドフォンがうまく機能していたようだ。私は、夫が高齢の父親にあまり連絡しないのが気になっていたので、長男のおかげで連絡がついたのはよかった。

あと2校。いつ合否の連絡が来てもおかしくない。

しばらくは郵便配達のトラックが気になる日々が続く。


<今日の英語>   

Thank you for inviting me in.
家の中に入れてくれてありがとう。


昨日の午後、突然玄関に現れた次男の同級生アンディ。次男がもう帰宅していると思って来たらしいが、まだだった。とりあえず、家の中で待ってたらと招き入れた。次男はまもなく帰宅。そして、また2人で歩いて学校へ戻っていった。帰り際にアンディが私に言った一言。



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あっさり破局

2012.02.16 (木)


年明けのある日、長男が唐突に言った。

「おかあさんって、ぼくのソーシャル・ライフに興味ないでしょ?」

私は物心ついた頃から周囲に関心が持てず、父には自閉症だと思われていた。その傾向は、学生時代も大人になっても直らなかった。

人並みに多少の興味や嫉妬はあるのだが、他人の人間関係とか趣味思考などは右の耳から左の耳へ通り抜けてしまって、まったく記憶に残らない。他人の誕生日や、友だちの友だちの経歴まで覚えている人が信じがたい。

さすがに自分の子どもについては成績や素行の心配をしたが、それでも普通の母親に比べるとかなり劣ると思う。子どもたちはちゃんと知っているらしい

「興味ないっていうか、うーん、誰にでもそうなのよねえ」と私はうろたえた。「ソーシャル・ライフって、何よ。フェイスブックとか友だちとかジェシカとか?」とガールフレンドの名前を出した。それくらいは覚えている。

「うん。そういうこと、どうでもいいんでしょ?」と長男はしつこい。

「まあ、そうねえ。言ってくれれば聞くけど、ドラッグとか警察につかまるような悪いことしてなければ、どうでもいいってことはあるわねえ」と歯切れの悪い私。

「そうだと思った」と長男は得意げに言い、「どういうソーシャル・ライフ? 何かあったの? そこまで言うなら教えて!」と取りすがる私を置いて、長男は2階へ行ってしまった。

私もそれっきり忘れた。


           *


先週末、次男と台所にいたとき、長男はまた部屋に閉じこもっていて、いったい宿題はやったのかしらという話になった。

「また、ジェシカとチャットしてるんじゃないでしょうね?」と長男とは部屋が隣り合わせの次男に聞いた。

「ぼく、知らない。してないんじゃない?」と意外な返事。あれだけ毎日延々とスカイプしていたはずで、次男にも壁越しに聞こえていたはずなのだ。

「もしかして、別れたの?」とあてずっぽうに聞いてみた。

「うん」と次男。

えええっーー! いつ? ほんと? どうして? どうしておかあさんに言わなかったのよ? 長男くん、泣いてた?」

「ぼく、知らない。ぼく、どうでもいいよ、そんなこと」と次男は答えない。

突然、私は年明けの長男との会話を思い出した。あのとき、すでにジェシカと別れていたのか! そういえば、最近、ジェシカの話をしないなと思っていた。

本人に確認しようと思いつつ、チャンスはなかなか来なかった。


         *


次の日、夫が私の部屋に来て、G氏のビジネスについて長々と報告した。

これについても、私は儲かるか儲からないかしか興味がないので、苦労して熱心に聞くふりをした。やっと話が終わったとき、そういえばと夫に囁いた。

「長男とジェシカ、break upしたんですって。知ってた?」

「知ってるよ。本人がぼくに言ったからね」とこれまた当然のような夫。

そうなの?! 私には教えてくれなかったのよ。きのう、次男になんとなく聞いたら、そうだって、初めて知ったのよ。どうして別れたの? いつの話? あの子、泣いてた?」と私はまるでゴシップ記者のごとく、夫を質問攻めにした。

「ぼくも全部は知らないんだけど、クリスマス・ホリデーのときにジェシカがパーティをしたいと言ったらしい。両親や弟妹は旅行に出かけていて、アルコール付きのパーティだよ。長男はいやだと断って、それで彼女を怒らせたそうだ。」

そんなことがあったのか。

クリスマスの頃といえば、まだ入学願書でかかりっきりになっているときで、いったい何やってたのよと私はそっちにムカムカした。

ガールフレンドができなくて、わんわん泣いて、やっとジェシカと仲良くなって、ジュニア・プロムにも行って、クリスマス・プレゼントに猫のぬいぐるみなんかもらって、そのすぐ後にパーティのことでケンカしてあっさり破局か。

1年になるかならないかだ。

どうせ高校を卒業すれば離れるんだし、遠距離でゴタゴタするよりはいいかと思った。それにしても、弟と父親には打ち明けて、私には黙っていた(ソーシャル・ライフうんぬんでヒントを出したつもりか?)のが引っかかるが、子どもは親をちゃんと見ているのである。


          *


月曜日の夜、長男の空手教室の帰り、本人に単刀直入に聞いた。

「ジェシカと別れたの?いつ?」

「うん。New Year's Eveの日。」

「どうして? ケンカ?」と私は何も知らないふりをした。長男の話は夫の説明とだいたい同じだった。

ジェシカは1週間くらい「パーティをしよう」と誘い続け、「わたしがタバコを吸っても好きでいてくれる?」と聞いたりもしたそうだ。長男はタバコもお酒もきらい。試したこともないが、うちはお酒を飲まないし、私がタバコを嫌悪しているし、学校の保健教育でも叩きこまれている。

大学に行けば、ビールくらい覚えるだろうが、本人は「ぼく絶対飲まない」と言い張る。あまり頑なになるのもかえって危ない気もするが、大学でも急性アルコール中毒で死ぬ子がいるのだから、それくらいでいいかもしれない。

長男は案外あっさり別れたらしい。

「ジェシカが、あんたマムみたいにうるさい、もう付き合いたくないって言うから、ぼくもそれでいいよって。でもね、おかあさん、それからジェシカがいやなことするんだよ。同じクラブだから、ジェシカが他の友だちに映画に行こうって言って、誰かが長男君も行くよねってぼくに言ったら、あの子は誘っちゃいけないとかさ。それに、セスが言ったんだけど、ジェシカはみんなにぼくと友だちになるなって言ってるんだって。でも、セスはジェシカよりぼくといっしょのほうがいいって。ジェシカは学校で会うと、すごい睨むし。もう、やめてほしいよ」と長男の愚痴は続く。

「へー、そんな子だったの。ほっとくしかないわねえ。どうせあと4ヶ月で高校も終わりだし」と慰めつつ、いやはやアメリカの女の子はめんどくさいんだなあと聞いているだけで辟易した。


            *


長男はこれでシニア・プロムにいっしょに行く相手がなくなった。その日だけ付き合う場合もあるらしいが、長男はもうどうでもよさそうだ。

あれだけガールフレンドをほしがっていたのに、実際付き合ってみたら(といっても、映画館でデートして、ジェシカの家族と出かけたくらいの健全な関係)、なーんだ、こんなことかと思ったのかもしれない。

何事も経験である。

次男にはまだガールフレンドの影はない。でも、このごろ、ドライヤーで髪をかわかしている。兄を見ていて、女の子と付き合うのがどういうことか少しわかったなら、焦ることはないだろう。

それでいいのだ。15歳。女の子よりもっと大事なことがある。

私としては、しっかり勉強してたっぷり奨学金をもらうのに集中してもらいたいが、ハイスクールでもう女の子はこりごりという経験をしておけば、大学で悪い女に騙されない気もする。

ジェシカのお母さんはこの破局をどう思っているのか、ちょっと気になる。


<今日の英語>   

I don't know off the top of my head.
今すぐパッとわかりません。


ラジオで英単語の語源について説明していた言語学者が、リスナーから難しい質問を受けたときの一言。直訳は、頭のてっぺんから。 Not off the top of my head, but I think ...(確かな記憶ではないが、たぶん~だと思う)として、否定形でも使う。



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車のための外出

2012.02.17 (金)


夫は仕事以外ほんとうに何にもしない人なので、車の登録更新も車検も私任せである。

ディーラーに予約して持って行くだけだが、夫はやらない。車のフロントガラスにステッカーが張ってあるのも、たぶん目に入っていない。

ほっておいたら、半年以上、期限が切れていたことがあった。こんなことでつかまって罰金を取られたらたまらないと思って、それ以来、私が引き受けることにした。

お金や保険その他、私がぜんぶやっているので、「私が先に死んだらどうするんだろう」とときどき心配になる。

夫は隔週のお医者とドラッグストア、たまに銀行、本屋に行く程度で、ほとんど出かけない。子どもの送り迎えや買出しなどで、出無精の私のほうがまだしも外の空気を吸う時間が多いくらいである。それでいて、眠れないと言って睡眠薬を使う。

昼夜逆転で、しかも不規則な生活なので、ディーラーどころではない。


          *


夫の車の車検は12月。年末にディーラーに行き、ついでにオイル・チェンジもしてもらった。

サービス・デスクでマイレージを記入したおじさんが、「ほとんど運転してないですね」と笑った。2007年モデルなのに、やっと1万2千マイルを超えたところだ。

待合用の部屋で過ごすこと1時間。さっきのおじさんが”You are all set.”と呼びに来た。

幸い、どこも悪いところはなかったが、「バッテリーが弱くなってます。まだ交換するほどじゃないですが」とおじさん。

「あまり運転してないからですか。もっと運転すれば、そのぶんチャージされてバッテリーが長持ちするんでしょうか」とまったく車の知識がない私。

「そうですね。そうしてみてください」とのことだった。なんだかあまり信用できない。


          *


帰る道々、考えた。

ガソリンを節約するために、なるべく用事は一度に済ませるようにしていた。そのときも、私のミニバンで出かけるほうが多かった。もし売るとしたら、まずそっちなので、夫の新しいセダンは大事にしようと思った。マイレージは低ければ低いほど価値があるはずだ。

でも、それでバッテリーがダメになるとは知らなかった。

しょうがない。これからは私のミニバンと夫のセダンを交代で運転しよう。

それにしても、どこへ?

世の中には運転が趣味という人がいるらしいが、私にとって車は単なる移動手段にすぎない。なるべく乗りたくない。自分では何一つメンテナンスできないし、保険料にガソリン代、ちょっとパーツを替えたら500ドル。それが2台、ガレージに居座っているのを見ると、なんかおかしいぞと思う。

第一、私は出かけるのが好きじゃない。買い物はネットでできる。子どもたちの習い事も長距離ではなく、10分か15分。短い距離を止まったり、進んだりするのは、一番エンジンにはよくないと聞いたことがある。

モールにも用事はない。これまでも1ヶ月に1回行くかどうかだった。一番近いモールには高速にのって20分で行けるが、ヘアサロン通いもやめたし、ウィンドー・ショッピングは興味ないし、買いたいものはない。

運動のために、ぐるぐるモールの中を歩いている人たちがいるから、それをやってみようか。私の運動と車のバッテリー・チャージで一石二鳥。

しかし、私は重度の出無精である。結局、一度も実行していない。

それでも「車のために出かけなくては!」という焦りは頭の隅っこにいつもある。「別に今日でなくてもいいか」という用事でも、体に鞭打って出かける。

何のために車を所有しているのか、まったく本末転倒である。夫と私だけになれば1台でもよさそうな気がするが、ここでは車は足代わり。やはり1人に1台は必要なのだ。

車のいらない生活がしたいと切実に思う。



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決まらない里帰り

2012.02.19 (日)



最後に実家に帰ったのは3年半前。

長男の大学が決まり、次男がまだ大学受験に間があるジュニアのうちに、一度日本に連れて行こうと思っていた。

2人とも私とは日本語で話すが、ここに住む限り、日本語を使う必要性はない。やはり日本でほんの数週間でも暮らさないと、日本語ができるありがたみは感じないだろう。日本語ができる楽しみと言いかえてもいい。

1人暮らしの母は今のところ元気でやっている。生活には困っていないし、友だちもいる。

私が長男を生んだとき、「赤ん坊が生まれちゃあ、もう日本には戻ってこんなあ」と母は言った。私は結婚してアメリカに移住したときから永住するつもりだったのに、母は私には結婚生活も外国生活も無理だと思っていたらしい。私の性格からして、そういう誤解も無理はない。

小さい頃、長男と母はそりが合わなかったが、それでも孫の成長は楽しみらしく、「大きくなったでしょう」とメールしてくる。長男もだんだん頑なさが取れてきて、母(彼にとっては祖母)の小言もうまくかわせるようになった。たくさん食べる次男のほうが今もお気に入りなのは、聞かなくてもわかるが、相性の問題だからしょうがない。

子どもたちが大学に行ってしまえば、それぞれに忙しく、そろって日本に行くのは難しくなる。

行くなら今のうちじゃないだろうか。


           *


ずっとそう考えていたが、次々と問題が起きた。

NYから東京への飛行機代が下がらない。格安航空券の広告は目にするが、燃料費を加算すると、閑散期であっても千ドルは下らない。いったい夏休みにはどれくらい高くなるのか。

それに円高。

私は空港で少しのドルを円に換え、日本滞在中の出費はほとんどアメリカで発行したクレジットカードでまかなう。ドル換算された請求金額を見て驚く。割高感は強くなるばかりである。

しかも、今は夫がリタイアしたために障碍手当てと配当金以外の収入はない。G氏のビジネスに出資もしたので、いつもキャッシュが足らない。クレジットカードの支払額はなるべく低く抑えねばならない。

今年の夏、長男は時間の余裕があるが、次男は車の運転講習を受けるというし、大学見学にも連れて行かねばならない。長男の経験からして、シニア前の夏では遅いことがわかった。ジュニア前の夏がカギになる。

長男だけ連れて行くか? 次男と夫だけをこの家に置いていって大丈夫だろうか。夫だけならともかく、次男も毎日ジャンクフードを食べたりしないだろうか。

猫の世話はいったいどうなる? 2人で猫トイレの掃除を押し付けあうのが目に浮かぶ。


            *


「今年の夏、どうしようかなあと思ってさ」と姉に話した。

「止めといたほうがいい。あんただけならいいけど、子どもは来ないほうがいいよ」とあっさり結論を出す姉。

「どうして? 地震? 原発?」

「まだ危ないと思うなあ。特に子どもは。スーパーだって、原産地が関西とか北海道とか、そういうのしか見ないよ。みんな、自分で気をつけるしかないんだってば、政府が無能なんだから。」

「でも、みんな普通に生活してるんでしょ。みんなが関西や九州に逃げられないんだし。私はまあいつ死んでもいいんだけど。子どもはせっかく大学に入ったばかりじゃ、もったいないねえ。ここまで育てた苦労を考えると。」

地震ならグランパの住むカリフォルニアにだって起きる。自動車事故はどこにでもあるし、木の下敷きになるとか、ガス爆発とか、死ぬときはどこにいても死ぬのだ。

年末にEKGで不合格になり、心臓エコーを受けたが、死ぬ前にあれを食べておけばよかったという後悔はしたくないと思った。東京や横浜でおいしいものを食べてから死にたいものだ。

私は子どもより自分のことばかり考える。


             *


原発問題やがれき処理や地震予測の話はときどきニュースサイトで読むが、しょせんNYにいては現地の雰囲気はわからない。

日本に住む人がどれくらい不安を抱えているのか、半ば諦めの境地なのか、「備えあれば」で肝が据わったのか。

もし今年の夏も帰らないとなると、丸々4年になる。そんなに長い間日本に行かないのはこの二十年で初めてのことだ。

車で10分のスーパーへ行くにも億劫な私は、日本に行くとなると、心の準備から始めなくてはならない。そして、荷造りに夫への指示。NYの家からJFKまで車で。空港で待つこと2時間以上。狭い機内で13時間。着陸時のパニック症状。成田から東京へ。さらに新幹線と在来線を乗り継ぐ。

書くだけで目が回りそうになる。

これから年を取るほどに、ますます飛行機がつらくなると思われる。1歳でも若いうちに帰るべきか。

羽田着ならまだしも楽かもしれない。実家ではなく、姉のいる横浜にまず泊まるのはどうだろうか。これも私だけならなんとかなる。

でも、母は孫たちに会いたいだろう。私だけ実家でゴロゴロしている図もサマにならない。かといって、子どもたちはどこかに出かけたいだろうし、私みたいに本屋と図書館の往復だけでは退屈する。

結論の出ないまま、「日本に行くの、どうしようかなあと思って」と姉に何度も同じことを持ち出す。

「私は止めといたほうがいいと思うけど。特に子どもは。何があるかわからんしねえ」と姉も同じことを言い、堂々巡りは続く。


<今日の英語>   

Cut them some slack.
大目に見てあげなさい。


Facebookに出産直後の写真を載せるのは行き過ぎじゃないかというマナーの相談に、「ああいうのは、有頂天になっていて舞い上がってるんだから、見逃してやりなさい。批判したって、やぶへびになるだけ」というアドバイザーの一言。



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ブログ・タイトルのバリエーション

2012.02.20 (月)


このブログを始めたのが2009年の2月20日。

ちょうど丸3年が経った。途中で長い休みもあったが、まだ続いている(ちなみに、今日から私のアメリカ生活は24年目に入る。まだ日本で暮らした年月のほうが長い)。

ブログには管理メニューがあって、いろんなサービスがついている。

私はたいてい記事を載せたら終わりなので、ほとんどの機能は触ってもいないが、アクセス解析はわかりやすく、たまに見る。

毎日何件のアクセスがあったか、どのサイトから来たか、どのページのアクセスが一番多いかなど、データが集約されている。タダなのに、よくこんなことまでやってくれるものだ。

解析データの一つに、検索キーワードというのがある。

どういう言葉を検索してこのブログにたどりついたかを調べたものである。私のブログはテーマがあってないようなもので、検索ワードもバラエティに富んでいる。中には、どうみても私のブログでは役に立たないと思われる場合もあって、お気の毒である。


          *


それとは別に、明らかに私のブログを探していたとわかるケースもある。

私のハンドルネームだけだったり、私のブログの特徴を3つ、4つ並べてあったりする。「アメリカ 国際結婚 長男 空手 猫」という組み合わせでここが見つかるのだから、感心するやら驚くやら。

一番多いのは、ブログのタイトルで検索する人たちである。

それがまた一筋縄ではいかない。たとえば、ここ数日だけでこんなバリエーションがあった。

閉じられたドアの向こう側で (これがオリジナル)
閉じられたドアの向こうに
閉じられたドアの向こうから
閉ざされたドアの向こう
閉じたドアの向こう側に
閉ざされた扉から
閉じられた扉の向こうで
閉じられた扉の向こう側
閉じられた窓の向こうで
閉じられた部屋の中で
閉じこもりドアの向こうで (これは言い得て妙)

もしかしてこのブログとはまったく関係ないものを探していたのかもしれないが、「そんなにややこしいタイトルをつけたんだろうか」と首をかしげる。

このあとに、「ブログ」「アメリカ」がついていることもある。しかし、「閉じたドア 開かない アメリカ」という場合は、本当にドアが開かなくて困っている人が解決策を探していたと思われ、私のブログにはドアをこじ開ける方法など載っていなくてガッカリしただろう。


           *

   
behind closed doorsという熟語がある。

「密室での、秘密裏の、非公開または水面下で繰り広げられる」という意味である。

“American Beauty”ではないが、一見平穏に暮らしている家庭でも閉じられたドアの向こうで何が起きているか、傍目にはわからない。

十年ほど前、お向かいの長女が荒れて、パトカーが何台も来たときは驚いた。問題があると噂で聞いていたが、お向かいのご夫婦はいつも温厚で親切で明るかったので、よくある反抗期の話だと思っていた。それが警察沙汰である。

私も長い結婚生活、外国暮らしの間にはいろいろなことがあったが、よくないことは外には見せないで来た。玄関のドアが開いていようが閉まっていようが、現実には取り繕った姿しか見せない。もともと、”How are you?”と聞かれたら、ポジティブな返事をするのが暗黙の了解なので、いきおい表面的なやり取りになってしまう。

心の中を打ち明ける相手のいた時期もあった。しかし、それはごく例外的なできごとで、本質的には何も変わっていない。

誰にも言わずに隠してきたことをブログなら書けると思った。

それが3年前の今日。


<今日の英語>   

How many years now?
もう何年経った?


しばらく前はビビリながらも夫に背中をなでてもらっていた妹猫。このところ、夫が姿を現すだけで一目散に逃げてしまう。呆れた夫の決まり文句。妹猫はうちに来て7年目。



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決断

2012.02.23 (木)


A大学から2校目の合格通知が届いたのが2月14日。

残り2校からはまだ何の連絡もない。おそらくA大学が一番いいのだろうが、残り2校も捨てがたい。もしかして、もっといいファイナンシャル・パッケージがもらえるかもしれない。どちらも見学に行き、どちらもよさそうだった。

A大学は昨夏のオープンハウスに出て、長男が教授陣を気に入ったところだ。なんといっても、1万ドルの奨学金授与は魅力である。

ただし、今のところキャンパスが2つに分かれていて、シャトルを利用しなくてはならないところが気にかかる。オープンハウスで、2013年秋までに移転して1つにまとめる計画を聞いたが、資金繰りによっては遅れるかもしれないと言っていた。アート関連の建物だけで、寮やダイニングホールを見なかった点も悔やまれる。

まだ2月だし、もう少し待とうと言いつつ、時間ばかりが過ぎていく。

合格通知が来た日に、夫は義父と久しぶりに話した。2人ともA大学で即決すべきだという意見で一致したそうだ。

大学からは、新規学生としての登録料に300ドル(これは年間授業料の一部に充てられる。もし気が変われば、5月1日以前なら返金可)、大学寮の申し込みに追加で300ドル(返金不可)を払うようにという通知があった。なぜか支払い期限は書いてない。

しかし、ぎりぎりまで待っていたために、3人部屋しか残っていなかったという話も聞いたことがある。いつ返事があるかわからない2大学をのんびり待つのも危ない。


            *


長男は例によってのたらのたらしている。誰の大学の話なのか、わかってるんだろうか。

しびれを切らした夫は、とりあえず大学にメールで受諾の返事をしろと、わざわざ原稿を作成して長男と私にメールしてきた。さすがに上手な文面で、そのまま使えると私は思ったが、長男は「ちょっとハイスクールの子が書いた感じじゃない」とえらそうなことを言って、ほったらかしにした。

その後も毎日郵便受けを見るが、大きい封筒は届かない。

M大学は審査に5~6週間かかるとのことだったが、すぐに終わるようなことを言っていたU大学もなんだか手間取っている。

だめならだめで、早く不合格の連絡をくれたらいいのだが、なぜこんなに時間がかかるのかわからない。奨学金の割り振りだろうか。もしかして、長男は合否のボーダーラインにいるのかもしれない。

あまり待ちすぎて、せっかく合格したA大学で「もうあなたの専攻したい分野は定員となりました」と言われては元も子もない。

決断のときである。

合格通知の封筒に入っていた書類に記入し、長男に署名させ、600ドルの小切手をホチキスでとめた。これだけでいいのだが、夫は正式な受諾とお礼の手紙も同封すべきだと言い張った。確かに、大学からはレターヘッドのオフィシャルな手紙が来たし、ディレクターの直筆署名がしてあった。マナーとしては、きちんと返事をしたほうがいいのだろう。

それと同時に、長男の願書受付を担当してくれた係りにカジュアルなメールを書かせることにした。なんといっても、最初からファーストネームでやり取りしていた相手である。


             *


私は日本でも大学寮に住んだことがない。

A大学では2人で1部屋というパターンが多いようだ。いかにも学生寮らしい大きな建物だけでなく、近辺の一般住宅を大学が買い上げて寮にしたのもある。そうなると、4人あるいは6人が共同生活をするわけで、ちょっと神経質なところのある長男にはきついだろうと思う。2人部屋で相性が悪いのも最悪。

そのへんは大学側も考えていて、申込書の半分はアンケートだった。

  • タバコは吸いますか。
  • 静かな環境を希望しますか。
  • お酒やドラッグ禁止の寮を希望しますか。
  • あなたの趣味、好きなこと、好きな音楽は何ですか。
  • どういう活動をする寮がいいですか。コミュニティ活動・リーダーシップ・芸術・体育・自然保護・健康保持
  • 自分について知ってもらいたいことはありますか。

「好きなことって、何て書くの?」といまだにこういう書類を記入してやっている私。

「アニメとマンガとビデオゲーム。マジックのカードも入れていいのかなあ。空手と、あ、そうだチェスも。学校の昼休みにいつもやってるんだよ。ぼく負けたことないよ。あと好きなものは、えーと、猫」

寮はペット禁止である。魚ならOKという大学もあったが、A大学は一切禁止。

「毎晩お祈りするようなルームメイト、いやじゃない?」と話をふってみると、「うわー、ぼくそういうの大嫌い。Atheist(無神論者)って書いて。」

長男は片づけが苦手なので、散らかっていても気にしない人と書こうと思ったが、今以上にだらしなくなりそうで止めておいた。潔癖すぎるのも困るが、ゴキブリが出そうな暮らしでは喘息が再発するかもしれない。

「Japanese Foodは? あんたがラーメンかうどん食べてて、相手が変なにおいとか迷惑そうだったらいやじゃない?」と私はどうでもいいことが心配になってきた。食事はダイニングホールだから、部屋で料理することはないだろうが、なにしろ長男はラーメンとうどんが大好物なのだ。

「日本語が話せるっていうのは?」

「それ、書かないで。ぜんぜん合わないのに、日本語ができることだけでルームメイトにされたらいやだよ」とあっさり却下された。

それもそうか。もしかして日本からの留学生とか、こちらで育った日本人がいるかもしれない。長男が家を出ても日本語を話す機会があったほうがいいと思ったが、半分日本人であることは強調しないことにした。


          *


このアンケートをコンピュータに入れて相部屋の候補者を検出するのか、あるいは大学の担当者がアンケート用紙を見比べて、手作業で適当にペアを作るのか。詳しい方法はわからない。

どっちにしても、実際にいっしょに生活をしてみなければわからない。ギャンブルである。

私は他人とは暮らせないので、考えただけでストレスが溜まるが、これもアメリカの大学生活の通過儀礼。フレッシュマンは全員寮生活が義務付けられているところも多い。どうしても相性が悪ければ、年度途中で部屋替えもすると聞いた。

なんとかいい子といっしょになれたらいいのだが、これは相手の親御さんも同じ思いだろう。

合格したらしたで、新たな心配の種が出てくる。


<今日の英語>   

There are still some kinks to be worked out.
解決しないといけない問題がまだあります。


子どもたちをヘアカットに連れて行き、支払いをしようとしたら、非常に手間取った。お店の人が「時間がかかってすみませんね」と謝りながら、つい先日、新しいコンピュータ・システムに代えたばかりでスムーズに行かないという説明をした。kinkは、よじれ、もつれ。物事をスムーズに行うために解決すべきちょっとしたトラブル。電話やドライヤーのコードがくるくるになってしまうのも、kinks。We need to iron out the kinks.という言い方もある。



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夫の勘違い

2012.02.25 (土)


木曜日の午後、長男と郵便局に行った。

帰宅してしばらくすると、長電話の終わった夫が私の部屋にやってきて、長男を呼んだ。

「さて、何を聞きたいかわかるね?」と遠まわしな夫。

「えーと」とクビをかしげる長男を見て、私は「ほら、郵便」と封筒の形を指で作りながら無言で信号を送った。が、気がついた夫は振り向き、「しっ」と睨んだ。そんな大げさなことしなくたって、単刀直入に聞けばいいのに。長男も長男だ。これだけ毎日せっつかれて思い浮かばないとは。

「いま、郵便局から帰ったところよ」と私は夫を無視して、助け舟を出した。

「そうか。一つ。A大学へちゃんと手紙も入れて、登録書類を出したか?」と夫。

「イエス。」

「二つ。翌日配達にしたか?」

「え、マムが普通でいいって」と長男は私に責任転嫁する。「それに、今週は大学が休みだから、誰も受け取る人がいないんじゃない?」

「ハイスクールが冬休みだからって、大学がそうとは限らない。今日は木曜日だぞ」としつこい。

「郵便局の人が、たぶん土曜日、遅くても月曜日に配達ですって言ってたわよ。NYからボストンなんて、すぐじゃない?」と私はなんだか腑に落ちないまま、夫をなだめようとした。

「そうか。でも、月曜日はもう3月1日じゃないか(そのときは私もカレンダーを見ていなかったので、夫のまちがいに気がつかなかった。ほんとうは木曜日なので、丸々1週間先)」と夫はわけのわからないことを言う。

なんで3月1日までに出さなくちゃいけないの?合格通知の手紙見せたでしょ。いつまでに返事と送金するのか、期限は書いてなかったじゃない。5月1日以前なら返金しますってことだけでしょ。」

「長男が3月1日締め切りだって言ったんだ。だから、グランパもぼくもそりゃ早く返事したほうがいいって話したんだよ。」

「ぼくが言ったのは3月31日にAccepted Students Day(合格者向けのオープンハウス)があるってことだよ。ノーマン(長男の願書担当になってくれたA大学職員)のメールに書いてあったから」と長男は焦る。

「その3月31日の話。わたしなんか、今日聞いたばっかりなのよ」と私にもやっと話が見えてきた。「でも、それは締め切りじゃないし、合格したけどまだ迷っている子のために見学させてくれるんでしょ。だいたいなんで3月1日締め切りで納得したの? 合格通知が来たのは2月14日でしょ。2週間で返事しろなんてありえないじゃない。」

ふだんはなんでも先延ばしする夫が、この件に関しては、毎日長男と私をせっついていた理由がようやくわかった。

「いや、ぼくもおかしいとは思ったんだよ。いやに早いな、と。でも、March Firstって聞いたから、てっきりそう思い込んだんだな。こういう日付はちゃんと伝わったかどうか、確認しないとだめだ」と夫は長男のせいだと言いたげだった。

夫は義父ほどではないが耳が遠い。きっとThirty-Firstの後半しか聞こえなかったのだろう。


            *


それにしても、アメリカに生まれて、ここで高校大学に行って、60年近く生活しているのに、なんでこんな誤解をするのか。思い込みはおそろしい。

夫はとことん事務処理に弱い。もちろん長男の大学進学は大きな問題なので、締め切りに間に合わないと心配したのだろう。慣れないことをすると、裏目に出るといういい例である。

ともかく、入学金300ドルと寮の申込金300ドル、計600ドルの小切手はもう送ってしまった。

長男の第一希望だから、結果よければすべてよしなのだが、A大学もこんなに早い返事が来て驚くかもしれない。

残り2校からはまだ合否の通知が届かない。検索してみると、過去にはU大学は3月後半、M大学は4月初旬にやっと連絡があったという投稿も見つかった。

あと1ヶ月か。

公立で州外のM大学ではまず奨学金はくれないだろうが、A大学より4000ドルも授業料の高いU大学にはいくらか希望が持てる。でも、いっそのこと何もくれないほうが、「やっぱりA大学でよかったじゃない」と話がまとまる。

せっかく申し込んだんだから、4校全部に受かったほうが長男の自信につながるだろうと思う。

夫の勘違いのせいで、いらない悩みを抱えてしまった。


<今日の英語>   

Are you still there?
聞いてる? まだいる?


視聴者が電話で参加するラジオ番組で、司会が質問したのに返事がない。まだ電話口にいるのかを確かめたときの一言。



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2011年度確定申告

2012.02.26 (日)


今年もIncome Tax Return(アメリカ版確定申告)の季節がやってきた。

とはいっても、締め切りは4月15日。日本は確か3月15日。これだけ時間があるのに、毎年4月15日の夜に郵便局に並ぶ人たちがニュースになる。

オンラインで申告できるようになってから、郵送する人は減ったのだろうが、ギリギリまでやらなければ同じこと。IRSや州政府のサイトも締め切り直前はアクセスしにくいという。

私は暇なので、年末には医療費や配当金などを集計し、1月半ばにはH&R Blockのサイトでソフトをダウンロードした。銀行や投資会社からの書類も2月20日に出揃い、あとはデータを入力するだけとなった。

お金が戻ってくると思えば、これくらいなんでもない。

夫が休職してから少し込み入ったが、うちは養育費支払いもセカンドハウスも自営ビジネスもなく、ごく単純な確定申告である。私はケチなので、これっぽっちの用件をお金を出して誰かにやってもらう気にはならない。

過去に何度か間違いをして、申請後2年経って改めて還付されたり、多少の利子がついて追加請求されたりしたこともある。

最初はIRSの封筒を見るだけでドキリとしたが、なにごとも慣れるものだ。

それに、悪意のない単純なミスだという妙な自信が私にはあるので、IRSに指摘されたら「そうでしたか。直します」と訂正すればいいと思っている。期限までに確定申告を済ませるのが第一の目標であり、早めにやれば精神的にも楽になる。

いつからソフトウェアが流通し始めたのか忘れたが、アメリカに来て最初の何年かは紙と鉛筆と電卓で書類と首っ引きで取り組んだのを思うと、隔世の感がある。記入方法のパンフレットをわざわざIRSから取り寄せたり、地元の図書館まで取りに行ったりしたのだ。

もちろん、今でも株の売却などは自分でデータを入れるし、複数の投資会社を使えば、もれなく記入しなくてはならない。

私はインポートするより、自分で着実に埋めていくのが性に合っている。

そうして、少なくとも3回は銀行の書類その他の数字を照合する。ソフトウェアがエラーチェックもしてくれるが、あくまでも私が入力したデータを元にした判断にすぎない。

頼りになるのは、自分の頭と目


          *


夫が年末の2週間だけ支払った退職後の健康保険料はおそらく控除の対象だろうと思ったが、念のためIRSに電話した。

まだ今の時期なら、待ち時間は15分ほど。

中年女性が出て、私の話を聞き、あちらもフローチャートらしきものに従って、Yes/Noで答えられる質問を続ける。決まったやり方なのだろうが、素人くさい。

すでに私はIRSの関連フォームも記入説明書にも目を通し、ウェブで検索して似たような事例も探した。その上で、IRSから直に回答をもらうつもりで電話したのだ。

IRSのおばさんが記入方法を読み上げようとしたので、「それは私もいまオンラインで見ています」とさえぎった。時間の無駄である。

彼女は、他で調べてみるといって電話を保留にした。税金のプロという印象は受けない。IRSに電話すると、たいていこんなふうに、マニュアルを読み上げるケースが多い。特にこれから問い合わせが増えると、臨時雇いがますます増えるんじゃないだろうか。

しばらくして戻った彼女の最終回答は、「控除できる」というものだった。

しかし、私とIRSの会話は録音されていない。仮にその解釈が間違っていたら、おそらく私のミスとしてペナルティが課される。

アメリカの税法はややこしくなるばかりで、アメリカ人は一般的に計算が苦手だし、書類の記入も下手なので、かなり適当な申告をしているんじゃないかと勘ぐってしまう。「Tax Returnでよくある間違い」として、扶養者の数が正しくないだの、ソーシャルセキュリティ番号が違うだの、署名し忘れだの、普通の日本人ならまずやらない凡ミスが並んでいたりする。

一方で、有能会計士を雇って、脱税スレスレの抜け道をこれでもかと使って節税する大金持ちもいたりして、「私は正々堂々、まじめにきっちり申告しています」と申告書類のどこかに大書したくなる。


               *


去年は夫の収入がほとんど障碍手当てだけだったが、後半に株をかなり売った儲けに課税されたせいもあって、連邦政府からの還付金は1465ドル。NY州政府からは222ドルしか戻ってこない。

一昨年はそれぞれ11000ドルと3210ドルだったので、かなり少ない。でも、それだけ余分な税金を払っていなかったのだから、よしとしよう。

「今度のTax Return全部できたけど、見たい?」と夫に聞いた。

「いや、きみを信用してるから見なくていいよ。それとも、特になにか大きな変更でもあるのか?」と、本人も何を言っているのかわからないような返事。

「別に。いつも同じようなリターンだけど。じゃあ、もう出すわよ」と私。

最初からわかっていたことである。この会話は単なる儀式にすぎない。

夫が自分の確定申告を見もしなくなって、何年になるだろう。

紙でやっていたときは直筆の署名が必要だったが、オンラインで処理するようになってからは私が夫の代わりにPINを入れて、該当箇所をクリックしている。夫は触りもしない。署名したときでさえ、中身を確かめなかった。私が渡米した最初の年からそうだった。

夫は私を信用しているというより、めんどくさいだけなのだ。

私が死んだら、その翌年の4月15日までに夫が私の最後の確定申告をしなくてはならない。ちゃんとDeceased(故人)をクリックして、もれなくやれるだろうか。サンプルでも用意しておくべきか。

なんだか気になって、死ぬに死ねない。


         *


アメリカ人夫婦は伝統的に夫が家計全般を把握していたので、未亡人となった妻は小切手の書き方も知らなかったなんていう話を読んだことがある。

共稼ぎが増えた現在は事情が変わってきただろうが、夫がいくら稼いでいるか、家の貯金や借金がいくらあるか、知らない妻もいるはずだ。特に専業主婦、あるいは夫の収入が圧倒的に多い場合は、夫任せになりがちだと思う(アメリカでの最後のタブーはお金といわれるくらい、なぜかお金の話は表立ってしない。みんなが自分の給料をおおっぴらに話すという中国人や、家の購入値段を率直に教えるらしいヨーロッパ人とちがう)。

夫がそういうことが得意ならいいのかもしれないが、たいてい女のほうが長生きするのだから、基本的なことはおさえておかないと困るのは女。

うちは逆の分業なので、私が夫の心配をしている。

なるべく自動引き落としにして、カレンダーにも支払いのリマインダーをセットして、当座にはある程度多めに入れて、小切手はいつもこの引き出しにしまって、株と債券のバランスもときどき調整してと、どれもたいしたことではないが、ADDの傾向がある夫には一つ一つが非常に重荷らしい。

たまたま結婚した相手(私)がお金の管理が好きで、長年やっているうちに上手になって知識も増えたのだが、23年間の結婚生活のあいだに、夫はほとんど「我関せず」という危うい状況に陥ってしまった。

G氏のビジネスへの出資や、コーディング作業を請け負うルーマニア人への支払いなど、いちいち私が手配せねばならない。支出をコントロールできる点はいいが、ある日私が心筋梗塞あるいは脳卒中で倒れたらどうする?

日本の母にすすめた「コクヨ・エンディングノート」やらを私も書いたほうがいいかもしれない。

夫には、もっと手取り足取り、ステップ・バイ・ステップのマニュアルも必要だ。

年間予定表もつけよう。

たとえば、3月は猫の健診がある。獣医が葉書で知らせてくれても、夫は郵便物をほったらかしにするし、きっと忘れる。猫は自分で「暖かくなったから、そろそろ獣医さんに行くころだニャア」と教えることもできない。そもそも兄妹猫は獣医はもちろん、車も移動用のカゴも大嫌い。夫が忘れたら、これ幸いと知らん顔するのが目に浮かぶ。


<今日の英語>   

You are definitely on to something.
それはほんとに言えてるね。


アメリカでも重要なテニス・トーナメントを開催中なのに、なぜかフランスのイベントに出たアメリカ人選手について、鋭いコメントをしたテニス・ファンがいた。同意した他のファンが一言。



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解放

2012.02.27 (月)



Presidents' Dayから始まった1週間の冬休みが終わり、やっと子どもたちは学校へ行ってくれた。

前後の土日を入れると、9日間。

長すぎる。

ついこの間、クリスマスと新年の休みで正味10日間休んだばかりじゃなかったか。しかもイースターにからんだ春休みが4月2日から始まる。これも土日を合わせて9日間になる。

NY州では年間授業日数は最低180日という規定がある。日本の公立学校は200日前後なので、それほど少なくないのかもしれないが、1週間の休みがこう続くと、「いったいいつ授業やってんのよ?」という疑問がわく。

まだ小学生の子どもがいて働いているお母さんは大変だろうと思う。私は専業主婦だから、たいした影響はないものの、高校生2人にうろうろされるとストレスがたまる。

家でゴロゴロされるのもいやだが、「アンディが今日遊びに来てって。いい?」とか「みんなで映画に行く」とか「火曜日と木曜日は公園でクラブの集まりがあるよ」とか、ふだんより運転手の仕事が増える。


          *


面倒な送り迎えと同じくらいうっとうしいのが、お昼のしたく。

ふだん夫は寝ているか、朝食の残りを食べるかで、私は自分だけお餅を焼いたり、チャーハンを作ったり、適当に食べる。

食べ盛りの子どもたちがいると、そういうわけにいかない。前もって冷凍のピザやパスタを買い、ハムやターキーなどのcold cutsも準備し、シリアルもたくさん買い置きしておいたのに、あっという間に消えた。牛乳も甘いものもすぐになくなる。

いくら長男の好物でも、そう毎日ラーメンでは困る。どうしてもと言い張るときは、ねぎもコーンもたっぷり、冷凍庫にあったポークを解凍して薄切りにし、ゆで卵も作らねばならない。さもないと、長男は自分で素ラーメンを作って終わりにしてしまう。

皿洗い機も毎日回さねばならない。次々と新しいカップやスプーンを出すので、汚れ物はたまり、引き出しは空っぽになる。

「使ったお茶碗はdishwasher! 空っぽのボトルはガレージ! 牛乳を出しっぱなしにしない!部屋に食べ物を持って行かない!」といちいち言うのもイライラする。

5歳だってできそうなことが、どうしてできない?

(「ティーンは乳幼児に退化するんだよ」と昔、ある知人が言った。反抗期のお子さんは、「は?」とか「ん?」とか一音節でしか返事をしなくなった。やってはいけないことをやり、親の忍耐を試そうとする。食べて寝るだけなのも同じだと笑っていた。)

そのうち、子ども部屋がさらにゴチャゴチャになり、「ゲームやチャットやってるんだったら、部屋を片付けなさい!」と言わずにはいられなくなる。学校に行っていて姿が見えないなら諦めもつくが、家にいるならどうにかしろと思う。言っても無駄だとわかっていても。

私の白髪が増えるわけである。


           *


昨日は冬休み最後の日でやれやれと思ったら、次男が宿題を始めた。そして、火事場の馬鹿力のごとく、超特急で取り組む。

いったい9日間なにをしていたのか。

「またか!あいつのやることは、ことごとくParkinson's Lawに当てはまるなあ」と自分だって物事を先延ばしする夫も呆れていた。

ウィキペディアによると、パーキンソンの法則とは



第1法則
仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する

第2法則
支出の額は、収入の額に達するまで膨張する




次男の場合とちょっと違うんじゃないかと思って、調べたら、そこから派生した”Stock-Sanford Corollary to Parkinson's Law”というのがあった。

"If you wait until the last minute, it only takes a minute to do."
「(なにかやるのに)ギリギリまで(文字通りには、最後の1分まで)待ったら、
すぐにできる。」

これはしばしばprocrastination に因むとある。

Procrastinationはぐずぐずする、遅延するという意味で、よく聞く言葉だ。語源は、ラテン語の「明日に延ばす」。

古代ローマ時代にも、うちの夫や次男みたいなやつがうろうろしていたに違いない。


           *


休み明けの日は、私のリハビリの1日でもある。

やっと出て行ったという解放感と共に、1週間の疲れがどっと出てくる。

それは猫も同じ。

ふだんは夫が寝ていて、私だけが起きている昼間なのに、長男と次男がうろうろ、がやがや。やたらと家を出たり入ったり、そのたびに私が車を出したり、戻ったりで、猫はまともに昼寝をしていないと思われる。

2匹とも、死んだように眠っている。

春休みまであと5週間。


<今日の英語>   

Will you be around?
そのへんにいる? 会える?


お店の前で、友だちらしき相手と週末の予定を話していた若者。「明日、きみの家のほうに行く用事があるんだけど、夜、寄っていいかな。きみはいる?」



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長男の自動車教習 前編

2012.02.28 (火)



私の疲労のもう一つの原因は、冬休み中ほとんど毎日、長男の運転練習に付き合ったからである。

去年の夏、学校と提携している8週間のDriver's Edに申し込むつもりだったが、長男は近くの大学のサマーコース6週間に参加する予定で、大学願書に必要なポートフォリオ作成を優先した。免許取得は年が明けて大学に願書を出し終えてからでいいと思った。

そのあいだに、隣町の高校で週末に行われる5時間の1日講習会で、MV-278 pre-licensing course certificate は手に入れた。それは講義だけだが、あとは路上試験に受かれば晴れて免許が取れる。

Driver's Edは夏休み以外にもやっている。平日の授業後に行われるので、宿題に手間取る長男には向かない。暗くなってからの運転も気が進まない。

しかも、グループ講習なのだ。

Student Driverという印のついた車から、高校生が3、4人降りてくるのを何度か見た。インストラクターが同乗し、助手席側にもブレーキがついているはずだが、それにしても仮免(おそらく日本の仮免より素人レベル)で他人を乗せるのに私は抵抗があった。

万が一、長男が運転を誤って、事故を起こしたらどうする?

しかし、短気な夫と下手な私では教官は務まらない。プロに頼んで基礎からみっちりしてもらったほうがいい。


             *


うちの高校にDriver's Edを提供しているドライビング・スクールのサイトを見ると、個人レッスンのプログラムが載っていた。

たとえば、60分の路上練習が10回と路上試験サービス(試験場への送迎とコツの教授)で645ドル。路上練習5回と路上試験サービスなら360ドル.路上練習だけのパッケージならば、10回で580ドル、5回で300ドル。

グループレッスンよりしっかり練習できそうだ。大学願書提出が一通り終わって落ち着いた頃、電話してみた。

「高校生の息子がいるんですが、個人レッスンをしていただけますか。Learner's PermitとMV-278はもう持っています」と、なんだか予定通りに事が運んでるじゃないの、と私はほくそえんだ。

「うちの個人レッスンは大人向けなんです。ハイスクールの子にはDriver's Edを受けていただくことになりますが、どちらの高校ですか」と受付の女性。

予期しない返事に驚いた。もうすぐ18歳だからとか、運動神経が鈍いからグループで路上練習は向かないとか、説得を試みたがだめだった。女性は「ごめんなさいね。でも、春のDriver’s Edなら、まだ間に合うはずです。ハイスクールのオフィスで聞いてみたら」と教えてくれた。

しょうがない。予定変更で申し込むことにした。すでに受講者要出席のミーティングは終わっていたが、まだ受け付けてくれた。

夏のプログラムに比べて、期間は16週間と長い。毎週90分の講義と90分の実地練習で、475ドル。講義は、すでに受けた5時間の講習とダブってしまうが、ぼんやり長男はもう一度じっくり聴講したほうがいい。運転の練習だけというオプションはない。

予定表を見ると、すぐ翌週から始まる。

何曜日のクラスになるのか、またドライビング’スクールに電話した。先日の女性が出て、すでにハイスクールのオフィスから連絡が行ったらしく、「息子さんは火曜日がレクチャー、木曜日がドライビングです。どちらも5時半から7時まで。詳しいことは、郵送します」とすぐ教えてくれた。

そして、翌日、書類が届いた。

休んだ場合は、自分で他の空いている日を探して埋め合わせをすること。インストラクターが来なくても、勝手に帰らず、ドライビングスクールに問い合わせること。路上練習の日に生徒が1人しか来なかったら、その日の練習はキャンセル。きちんとプログラムを履修しないと、証明書は発行しません。


           *


いよいよ講習が始まる前の週末。

「一度くらい運転席に座って、車を動かしてみたほうがいいんじゃない?」と私は長男に言った。

Driver's Edがどんなものかよくわからないが、次男の友だちでも誕生日が早い子はすでに父親に教わって、運転の練習を始めていると聞き、まったくゼロからの長男のことが心配になった。これまでやったことがあるのは、矯正歯科の待合室に合ったアーケードスタイルの運転ゲーム(日本製)のみ。それも、スポーツカーを時速100マイルですっ飛ばし、街灯やフェンスをなぎ倒し、反対車線を飛び越えて下のハイウェイに落ちるような運転振りだった。

「そうだね~」と他人事のような長男を、ハイスクールの駐車場に連れて行った。日曜日の午後遅くで、ほとんど誰もいない。

長男を運転席に座らせ、「これがアクセル、これがブレーキ。これがギアね。ブレーキを踏んで、こっちに引っ張る。はい、Dのところで止めて。曲がるときは、これを上げると右のシグナル、下げると左のシグナル。鏡は見える?はい、じゃあ鍵を入れて、向こうにまわす。エンジンがかかったら、戻す。はい」と、にわかインストラクターの私。

ふだん考えずにやっていることを一々説明するのは難儀である。

うまいことエンジンがかかり、ともかく直進。

おそるおそる進む長男。時速は5マイルか3マイルか。「あのー、もう少しスピード出してもいいと思うけど」と私。これで練習になるんだろうか。

最初のカーブにさしかかって、ハンドルを回すと、案の定、回しすぎて車がふらつく。「パワーステアリングだから、ほんの少しでいいの」と言いつつ、飛び上がった心臓を鎮める。

駐車場の中をノロノロ運転すること10分。長男も私もグッタリした。

でも、これでとりあえず運転をしてみたことになる。

後編に続く)



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長男の自動車教習 後編

2012.02.29 (水)


前編の続き)

Driver's Edレクチャー初日、夜7時にハイスクールまで長男を迎えに行った。

もう真っ暗なのに、2日後にはドライビングの練習が始まる。5時半ならまだしも明るいかもしれないが、いきなり夜の路上運転はさせないだろうと思った。

それにしても、これから4ヶ月間、毎週2回このお迎えがあるのか。

建物から生徒がぞろぞろ出てくる。レクチャー以外にも、クラブ活動その他で遅くまで残る生徒がいるらしい。

「どうだった?」と長男に聞くと、「5時間のと同じかな。次男の友だちのニックもいたよ。」

彼はまだソファモア(高校2年目)だが、もう16歳の誕生日がきた。ジュニアのうちに免許を取る子が多いらしく、長男のようにシニアの後半になって教習を受けるのはかなり遅い。

「インストラクターが、50時間運転しないとRoad Test受けられないって」と長男に言われて驚いた。そういえば、DMVのウェブサイトでそんなことを読んだような気がしないでもない。

調べてみると、18歳以下の場合、最低50時間の路上練習(免許を有する大人が同乗)が義務付けられ、そのうち15時間は日没後でなければならない。50時間のうち、10時間は中程度以上に混雑した状況で練習することを勧めている。

昔のハイスクールを舞台にしたハリウッド映画では、誰もが角ばったアメリカ車を適当に転がしているイメージがあるが、若者の免許取得は年々厳しくなっている。しばらく前までは、20時間程度の練習で試験が受けられたらしい。

今は、免許取得後も、夜間運転禁止や同乗者制限など規制が多い。


         *


どうやって50時間を証明するのか。

DMVのサイトに用紙があった。「日没後15時間を含む50時間の路上練習をしました」という文章が書いてあって、その下に保護者が署名するだけ。

試験官はプロだから、嘘をついてもすぐ見抜くだろうが、それにしても簡単な証明書である。

1日に1時間運転しても50日。平日は学校があるからまず無理だとして、1日30分なら100日。3ヶ月以上かかる計算だ。Driver's Edでの運転練習も計算に入れていいのだが、週1回90分を4人が入れ替わり運転するのだから、せいぜい20分。

大学に行く前に取らせたいのに、このペースじゃ間に合わないと私は焦った(その後の調べで、フルタイムの大学生の本住所はまだここなので、州外にある大学の休みの間に戻ってきてNYで免許を取得できることがわかった)。

そして、エクセルで運転時間を日中と日没後に分けて記録し、累計を出すことにした。先日の初練習10分間を入力。あと2990分。

こんなことならもっと前から練習させるんだったと後悔しても、もう遅い。


          *


そして、やってきたDriver's Edドライビング練習初日。

午後から雨になり、5時半にはもう暗かった。初日だし、ハイスクールの広い駐車場か、学校周辺を回るくらいだろうと思った。

私の車に乗り込んだ長男は、「死ぬかと思った」と疲れきった顔をしていた。

そりゃ最初はそうだろうと話を聞いていた私だったが、途中から「ええっー! ほんと? ちょっとそんな!」と驚きの連続だった。

長男の説明によると、5時半に集合したのは4名。長男を除く3名がすでに半年以上練習をしていたという。

そのうちの1人が運転席、インストラクターが助手席、残りの3名が後部座席でハイスクールを出発。

「ドクターMのところを通って、ずっとまっすぐいって、Bっていうdevelopment(集合住宅地)に入って、次の子がその中を一周して、3番目の子がもう一度その中を一周して、最後がぼく。インストラクターに『ぼく10分しか運転したことないんですけど』って言ったんだけど、『あ、そう。オーケー』って、それでぼくがみんなを乗せて学校まで運転して帰って来たんだよ。もう死ぬかと思った。車から降りたら、足ががくがくで歩けなかった。ぼく、もういやだ。」

地図で見ると、ハイスクールからBまでは2.8マイル(4.5キロ)。右折あり、左折あり、カーブに坂道。しかも、雨がしとしと降る夜。唯一の救いは、制限時速30マイル(48キロ)の部分が多い点だけだ。

インストラクターはときおりハンドルに手を貸したそうだが、それにしても無謀だ。長男の運転歴は10分間である。しかも、無人駐車場でのノロノロ運転。

日本ならありえない。

でも、アメリカには教習所がないので、いきなり路上で練習せざるをえない。私もそうだった。

私は日本の教習所に通ったことがないが、ミニチュアの町のようなコースを写真で見ると、うらやましくなる。ああいうところでみっちり習ったら、もっと運転が上手になっただろうなあと思う。

             
            *


「それで、インストラクターは鏡の合わせ方とか、ハンドルの持ち方とか教えてくれた?」と私。

ううん。ぜんぜん」ときっぱり否定する長男。

「なんにも? いきなり、すわって、はい運転してくださいなの?」

そう。いきなり。」

私は絶句した。Driver's EdはEducationじゃないのか。こんないい加減でいいのか。アメリカ人の運転が適当なわけだ。

「日本だと座り方からやるみたいよ。それに車の動く仕組みなんかも勉強するみたいだし。まあアメリカのドライバーズ・ライセンスはこの私が一発で合格したんだもんねえ。あれはまぐれだったけど、それでも合格しちゃうところがねえ。」

アメリカに暮らして23年。たいていのことには動じない私だが、今回は久々に唖然としてしまった。

最初の子である長男が独り立ちするまでは、まだまだ油断できそうにない。長男がナーサリースクールに入って以来、「初めての経験」だらけだったが、ティーンの運転免許取得もやはりそうなのだ。

なにごとにつけ、長男はいつも練習台だった。そして、次男の番にはすっかり慣れている。

今回も、5月に16歳になる次男には「あんたは筆記試験に受かったら、毎日私と練習するの。それで夏休み中にDriver's Edもやって、昼間と夜も練習して、さっさと路上テストに受かること!」と申し渡した。

「ぼく、運転はうまいと思うんだよね」と根拠のない自信をちらつかせる次男。

あんたの運転はアーケードゲームの暴走でしょ! 長男の恐る恐る運転も心臓に悪いが、次男の調子づいた運転はそれこそ寿命が縮みそうだ。
         

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こんなことがあって、先週の冬休み中は長男の運転練習につきあった。

無人の駐車場だけでは次回のDriver's Edでまた足が震えるだろうと、少しずつ距離を伸ばし、長いときは30分も練習した。

田舎なので、片道1車線が多く、交通量も交通標識も少ない。歩いている人はほとんどいない。さらに、時間を見計らって閑散とした時間帯に出た。

しかし、カーブや坂道もわりとあって、私は何度も息を呑んだ。ドアのハンドルをにぎりしめ、助手席の床にある「架空のブレーキ」を何度踏んだことか。

長男がご近所の郵便受をことごとくなぎ倒しそうで、気が気ではなかったが、その心配は子どもに運転を教える親に共通することだそうだ。

インストラクターが教えないなら、私が教え方を勉強するしかない。

いろんなサイトが見つかった。

Teaching Your Teen to Drive - Without driving each other crazy!

自動車教習所では教えてくれない運転上達のコツ

運転上手への道

そういえば、私はまともにバックできないのだった。バックで駐車できないどころか、うちのドライブウェイをバックで出られない。こんな人が運転を指導しているのである。

長男を日本の合宿教習所に送り込みたくなった。

いや、私もいっしょに泊りこんで、一からやり直すべきか。



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