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やっと終わった

2012.01.20 (金)


先週末、やっと長男の大学入学願書を出し終えた。

茫然というよりは、虚脱である。その後、なにもやる気がなくなったが、今日はブログを書く気になった。

アートを専攻するには、通常の願書に加えて、ポートフォリオを用意しなくてはならない。正式に応募する前に大学に見てもらうことができる。去年の夏に出かけた各大学のオープン・ハウスでも、入学担当者が助言してくれた。

11月半ばには、ニューヨークで開催されたNational Portfolio Dayにも出かけた。予約はできないので、木枯らしの朝早くから長蛇の列に並んだ。1日仕事である。それでも3校の担当者にしか会えなかった。

幸い、最後の担当者はその場でポートフォリオだけ合格にしてくれた。あとは、願書と共に「なぜ自分はこの大学に入りたいのか。なぜアートを勉強したいのか」という趣旨のエッセイを書けばいい。

アメリカの大学入学手続きには、締め切りが複数ある。

高校のガイダンス・カウンセラーにも、夏に見学した大学でも、「とにかく早めに出すように」と言われていた。特に、絵のコースなどは受け入れ人数が少ないのである。

当然、12月1日締め切りのEarly Actionを目指した。

しかし、長男はやることが遅い。英語の先生に見てもらっていたはずのエッセイがまだできていなかった。しかも、ポートフォリオさえ、「まだ出せない」と言い張った。すでに1校では絵だけ先にパスしたのに、

「ぼくはもっといいのができると思うんだ。」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。あっちだって、完璧を要求してるんじゃないでしょ。もっといいのって、じゃあどうしてもっと早くから始めないのよ?」と無駄な口論になるだけである。

ともかく他の必要書類だけは手配しておけと命じたところ、なぜかTranscript(成績表)だけ先に志望校に送付されてしまった。申し込む前にそれだけ届いたわけだ。いったいガイダンスは何をしているのか。

Letter of Recommendation(推薦状)は、長男がかなり前に美術と社会科の先生に頼んでいたらしく、ほっとした。しかし、それ以外はすべてもたついていた。


        *


そうこうするうちに、12月1日は過ぎた。

もうEarly Actionはできない。Regular Admissionにするしかない。4校のうち、2校はRolling Admissionという、いわば1年中受付をしている。空きがあれば、いつでも入学できる。高校の1学期の成績さえ出たら、11月でも応募できたのである。

「今年中に出しましょ」と私は長男をせっついた。

ただでさえストレスだらけのハイスクール・シニアにプレッシャーをかけてはいけないと思いつつ、最終締切日なんか目標にしていたら、空きがなくなる。受け付けた順番に見てもらえるので、合格になってもスポットがないということになる。

長男に天才的な才能があり、成績がトップクラスで、ボランティアその他きらびやかなレジュメがあるならともかく、まあ普通に絵が好きでちょっと上手かなというくらいなのだ。

私にまかせっきりにしていた夫も焦り始めた。

「Portfolioだけ合格にしてくれたS大学へ何で出さないんだ?」

「私が知りたいわよ!」

「ジェシカとチャットばかりしているから、こうなるんだ。」

夫と長男の部屋は隣同士で、聞こえるらしい。じゃあどうして、ガールフレンドとのチャットを止めせなかったのよ?(なぜか夫は長男の恋愛に口を出せない。せっかくできたガールフレンドとの仲を壊すのを恐れているふしがある)

何ごとも早めにやり(家事は除く)、計画的な私と違って、夫は予定表も作らず、歯医者の予約にも遅刻する。長男は夫のDNAを受け継いだ。Procrastination(先延ばし)にもほどがある。


       *


イライラ、アタフタしている私を横目に、長男はおっとりしていた。「ぼく、いいアイディアがある。あの瓶を描こう」などと悠長にのたまう。

いったい夏休み以降、3ヶ月間も何をしていたのか。そもそも、ポートフォリオは夏に完成予定だったはずなのに。

エッセイにしても、他のクラスを教えているという英語の先生に手伝ってもらっていたのはいいが、7回も白紙から書いたらしい。構想なしの行き当たりばったり。最終的にまあこれならと先生が言ったのを持ち帰ってきた。私が見たところ、文法の間違いがいくつもあり、段落分けから文章の流れから、まるっきりなってない。スペルミスまであった。

「One-by-oneって何よ? One by oneでしょ」と私。

「ハイフンは先生が入れたんだよ。ぼくじゃない」と長男。

「ぼくじゃない」というのは、長男と次男の口癖のようなものである。アメリカ教育の賜物か、こういうところだけはしっかり主張するので、カチンとくる。

「誰が入れても関係ないじゃない。これはまちがってるの。」 私は言葉の間違いは譲らない。しかも、これは大学に出すエッセイだ。こんなものを長男はそのまま提出しようとしていたのか。眩暈がした。

「ミセスAは、カレッジレベルのクラスだけ教えてるんだよ。」 長男はすでに何度も書き直しして、うんざりしているらしい。それは本人のせいなのだが、わかっていない。

優秀な先生だと暗に言われても、私は英語を学問として勉強したのだ。それに、アメリカ生活でネイティブスピーカーの英語、とくにwritingがどれほどテキトーなのかを知っている。

ネットで調べたら、やはり私が正しかった。念のため、次男にも確かめた。

そして、やっとのことで長男を説得し、訂正させた。

エッセイ自体もなんだか焦点がはっきりしない。こんなものに何週間かかっていたのか。たった300あるいは500語、1校は150から200語。1枚程度である。なぜ書けない?「私のブログのほうが長いわよ」と比較の対象を持ち出してみたが、書くのが苦手な長男は苦労していた。これで大学でついていけるのか。

最初は1つのエッセイをベースにして、どこの大学にも使えると思っていたが、M校にはまた最初から書き直させた。もはや英語の先生にアドバイスをもらう時間はない。それに、私はミセスAの能力に疑問を持った。先生も大勢の生徒から頼まれて、いちいち細かく指導できないのだろうが、だったら私がじっくり見たほうがいい。

それにしても、推敲や編集とは縁のない子である。書きっぱなしで私に持って来る。「私のブログだって読み直してるのに」と呆れたが、「おかあさんは書くのが好きだからだよ。」 そういう問題か?


        *


長男がモタモタしている間に、願書は私がすべて入力した。提出する前に長男と二人で見直せばいいだけにして、保存しておいた。

子供の大学入学に際してhelicopter parentがどうかを診断するテストを見たら、「親が願書の入力をする」という項目があり、「子供にやらせなさい」とのことだった。しかし、長男の場合は、それでは間に合わない。

長男の志望大学はCommon Applicationを使っていなかったが、願書はどこも同じようなものだ。名前、住所、ハイスクールの情報、親の情報(親の出身校まで書くところもあった)、どこで当大学のことを初めて聞いたか、何を専攻したいか、寮に入る予定か、課外活動は何をしたか。

こうやって私がお膳立てするからいけないのだが、今一番の目的は大学に入ることである。独立心は大学に入ってから培ってもらうしかない。

やっとのことで、年末にS校へ願書提出。

年度末休暇が10日もあったのに、その後はさらにもたついた。

1月6日にボストンのA校。夏に大学で30分も絵を評価してもらったので(合格はもらっていない)、エッセイすらオプショナルだった。

1月7日にフィラデルフィアのU校。

1月13日にボストンのM校。

どこもオンラインで提出したものの、大学側の受付処理が終わって、コンファメーションが届くのに何日もかかる。学校から提出済みの成績表やら推薦状が届いていないという表示が出たり、長男がアップロードしたはずのポートフォリオも未提出になっていたりした。コンピューターで瞬時に終了すると思っていた私は、またあせった。

締め切りは2月1日だが、すでにたくさんの入学申し込みがあり、返事はまだもらえない。早いところで3週間、遅ければ5週間かかる。

ガイダンスは5~7校に願書を出すようにと話していた。長男は4校しか出していない。どこか1校でも合格してくれればいいが、ふたを開けて見なければわからない。

「いよいよどこにも行けなかったら、カリフォルニアにおいで。アンドリューもこっちのコミュニティ・カレッジに行ってから、オレゴンの大学に編入したから」と義父母が言ってくれた。しかし、長男は家から離れたくないのだそうだ。シカゴすら遠くていやだと言うのに、大陸の反対側で、しかも祖父母との同居は無理である。

あと1ヶ月は落ち着かない日々が続く。本当はまだ終わっていない。


        *


願をかけていたのではないが、なぜかブログから離れていた。

10月から更新が止まっているというコメントが来て、そんなになるのかと驚いた。季刊誌モードである。

画面に広告は出ているし、管理メニューも制限されているようで、コメントの承認もできない。やり方が変わったのか、私がやり方を忘れたのか。この記事を載せたらできるようになるかもしれない。
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ミドルクラスの口惜しさ

2012.01.21 (土)


長男がチンタラやっている間、私は奨学金について調べた。

一番の基本であるFAFSA(Free Application for Federal Student Aid 連邦政府による高等教育学費援助申し込み)は、2011年度の納税が基本になる。例年、確定申告締め切りは4月15日。銀行や証券会社からの明細書も1月末か2月半ばにならないと揃わない。

それなのに、FAFSA申請開始は1月1日。

願書と同じく、これもモタモタしていると奨学金をもらえる確率が下がる。大学によっては、2月1日までに申請しないと不利になる。誰もが見積もりを使うしかない(Tax Returnをファイルしたあとで修正できる)。各大学はFAFSAの数字を見ながら、大学独自の奨学金と合わせて合格者に提示する(らしい)。

成績がよければ、merit-based scholarshipがもらえる。貧困家庭ならば、need-based scholarshipがもらえる。

うちのようにミドルクラスで成績も普通というケースは不利である。

しかし、出してみないとわからない。500ドル、いや100ドルでも奨学金(返済不要)はほしい。

とりあえず2010年用の納税ソフトに2011年の数字を入れてみた。そのために、1年分の医療費や不動産税や利子所得などもエクセルでまとめた。

あとは資産である。

Retirement Accountにあるお金は入れなくていい。教育資金のうち、長男の名義になっているのは別枠に申請する(親よりも高い割合で計算される。だから、なるべく子供名義の資産はないほうがいい)。次男の名義のものは入れない。529プランは夫の名義なので、長男・次男の両方の分を申請せねばならない。いま住んでいる家の価値は計算に入れない。ローンなどの借金は計算に入れない。投資目的の不動産やセカンドハウスの評価額は入れる。

すべてオンラインでできるし、データさえあればたいした書類ではない。


         *


長男がやっと1校に願書を提出した時点で、私は4校すべてのコード番号を入れてFAFSAを済ませた。

翌日、コンファメーションのメールが来た。

  Estimated Expected Family Contribution (EFC)= 36238

つまり、うちは長男が大学1年生のときにもらえる奨学金はほぼゼロだと思われる。EFC(自己負担分)の単位はドルではなくて、単なるインデックスだという説明だが、こんなに大きな数字ではまず対象外である。

受給金額の決定には、資産より収入、株より現金の比重が高いとどこかで読んで、うちはキャッシュ・フローが少ないし、夫の収入が障碍者向けの手当てしかないから有利だと思っていた。去年は株を売って数万ドルの利益を出したにせよ、以前の収入には到底及ばない。

おそらく資産が問題なのだろう。

子供たちの教育資金は生まれてすぐに貯蓄を始めたし、それぞれに3つ、計6つも口座がある。夫のストック・オプションもきっちり貯めた。リタイアメント資金以外にも、ウン十万ドルが投資会社にある。

平均的なアメリカ人世帯に比べたら、うちの貯蓄率は驚異的なレベルと思われる。借金は、あとわずかに残った家のローンだけだ。

しかし、長男と次男を高い私立大学に通わせるには、十分ではない。学費以外にも寮費や食費、教材などを入れたら、一人年間5万ドル以上が必要になる。

教育資金以外のお金を融通すれば出せるが、それは何かあったときのための貯金であり、家のリモデルやら、老後の住まい探しの資金である。連邦政府は「そんなに貯め込んでいるなら、援助は要らないでしょ。自費でやって」と言っているのだ。

ともかくFAFSAには期待できないことがわかった。あとは、各大学で出してくれる奨学金にわずかな望みをかけるしかない。


        *


サブプライム・ローンのときと同じである。

無理せずに家を買い、まじめにローンを返済してきた人たちにはなんの恩恵もないのに、頭金ゼロで手の届かない家を買い、ローンが払えなくなった人たちには返済額を免除したり、利率を下げてあげたりしたのだ。

子ども二人を大学に行かせるために貯金するのは当然だと思っていた。長男の成績がもっとよければ、親の資産に関係なくもらえる奨学金が当てにできただろうが、今さらしょうがない。

それにしても、中途半端にお金があるのが一番よくない。

「こんなことなら、毎年ファーストクラスで日本に行って来るんだったわー」と子供たちにこぼした。「キッチンだって、バスルームだって、さっさとリモデルすればよかった。あー、馬鹿だった。」

長男も次男も、お金について疎い。特に年間5万ドルなんていう数字は実感がわかないらしい。だいたい二人とも、お金をもたせたらあるだけ使うタイプ。私の子供とは思えない。

私は次男にハッパをかける。

「うちはFAFSAはもらえないの。子ども二人が大学生なら少しは考慮してくれるみたいだけど、まず無理だわ。あんたは、もっと真剣に勉強をするのよ。成績優秀でもらうしかないわ。1000ドルでも500ドルでももらえたら、その分どれくらいゲームが買えると思う?」と次男がわかりやすい例を出した。


       *


FAFSAから返事が来てしばらくの間、なんでこんなに一生懸命お金を貯めたんだろうと自問していた。

私は貯金が好きだし、アメリカで最後に頼れるのはお金だと思っている。買い物も外出も嫌いで、おいしいレストランも日本語の本屋も近くにない。もともとケチなのに、お金を使うところがないのだ。

大学の授業料を自費で払ってくださいと言われるくらい、貯金ができたのは喜ばしいことでもある。親の義務を果たしたような気もする(余裕で全額払えないところが困るが)。長男も次男も、卒業時に多額の学生ローンを抱えるようなことにはまずならない。

しかし、連邦政府から1セントも奨学金をもらえないのは口惜しい。

FAFSA以外にもいろんな団体が奨学金を出しているが、そのためにはコミュニティ活動をしたり、エッセイを書いたりしなくてはならず、長男は応募する気すらない。

「足りない分はアルバイトするのよ!ダディとお母さんの老後のお金は渡さないからね」と子供たちに八つ当たりである。



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ハンガー・ストライキ4日目

2012.01.21 (土)


人間ではない。妹猫の話である。

兄猫と共に3ヶ月でシェルターから引き取って、早7年。あいかわらず臆病で、抱っこは断固拒否。

妊娠中に保護された母猫がシェルターで生んだ6匹のうちの2匹だが、3ヶ月まではボランティアの家で母猫と兄弟全員とで暮らした。飢えも寒さも知らないお嬢様猫だ。

それなのに、先週捕獲されたばかりのように振る舞い、捕まえようとするとすばしっこく逃げる。玄関でピンポーンと鳴るだけで、一目散に地下室へ駆け下りていく。

さすがに私には慣れたが、(無理やり)抱っこの制限時間は長くて30秒。夫や子供たちには、持ち上げることすら不可能というありさま。

このところ、兄猫は夫といっしょに寝ることが増えた。呼ばれるとお腹をゆらしながら走っていく。私は両側を猫に挟まれて寝返りに苦労したので、助かる。概して、去勢されたオス猫は何も考えていないというのが私の持論である。

妹猫は、私が夫の部屋にいないかぎり、絶対に足を踏み入れない。夫は突然大きい声を出すので、怖いのだろう。

あるとき、どうしても人間に用事があったらしく、夫のドアのところまでいって鳴いたそうだ。ドアは開いていたのに、きっちり敷居のギリギリに立って、「前足の先っぽ1本すら入れなかったよ」と夫はあきれて、その徹底振りに感心もしていた。

妹猫は、夫と子供には背中のマッサージを長い鳴き声でしつこく命じる。途中でやめると、「ウニャオ!」と短く叫ぶ。なぜか私は指名しない。私は食事と猫トイレ清掃の専任だからか、その体勢では爪きりに持っていかれそうだからか。

妹猫は見た目はとっても可愛い。子猫のときから変わっていない。

そんじょそこらのモデルなど、足元にも及ばない可憐さ。容貌もしぐさも、兄猫の百倍は可愛いのだが、神経質で高慢で自分勝手で、性格は最悪である。まだしも兄のほうがトロイだけに愛嬌がある。


          *


というわけで、妹猫はまるで女王様のように振舞っていたのだが、4日前からハンガーストライキを決行している。

ドライフードは食べるので、正確には缶詰だけをとことん拒否する状況。

この2匹が来る前にいたオス猫は、夫が適当に育てていて、一番安いスーパーのブランド(その後、私が少しよいものにした)を食べていたのだが、20歳近くまで生きた。

しかし、あまり安い缶詰は腎臓によくないというし、蛋白成分が不十分だと聞いて、この兄妹にはもう少しまともなFancy Feastのブランドにした。

もっともファンシーなのは名前だけで、獣医で売っているものに比べたら粗悪だろう。雑種の強みか、今のところ健康に育っている。

毎日同じ缶詰では飽きるだろうと、魚や鶏肉や牛肉やターキーなどいろいろ買う。鶏肉にしても、グリルしたもの、スライスしたもの、チャンキーなもの、グレービー付きその他いろいろあって、人間の夕食よりいいものを食べてるんじゃなかろうかと思う日すらある。

兄猫も妹猫もたまにあまり好きでないフレーバーがあるらしく、半分だけ食べたり、グレービーだけで終わったりすることもあった。食べなくても、翌朝はドライフードがもらえると思っているのか、どうも真剣味に欠ける。

気まぐれは猫の代名詞だからと、食べない日はほっておいた。

しばらくすると戻ることもあり、別の機会にはすんなり食べることもあり、もーいちいち付き合っていられないのだ。


         *


しかるに、この4日間、妹猫はどの缶詰を出しても食べない。

その意思表示はこうである。

お皿が差し出されると、妹猫はかがんでにおいをかぐが、口にしない。ちょっと背を起こして、じっとお皿を見つめる。かなり長い間そうしている。そして、チラッと、すぐ向かいでがっついている兄猫を見る。「あんた、こんなのを食べるの? 猫のプライドはどこよ? わたしは絶対に食べないわ」と冷たい視線を送る。もはやにおいをかぐのも嫌だというふうに、ついとお皿を離れる。地下室へのドアの前に立ち、こちらに背中を向けたまま動かない。

そうこうするうちに、早食いの兄猫は自分の分を食べ終えて、妹猫のお皿に向かう。ダイエット中なのに、2匹分食べてもらっては困る。

私は兄猫をおっぱらって、妹猫のお皿を持ち、妹猫の足元まで運ぶ。ちらっとにおいをかぐが、動かない。意地でも食べない気である。

こんなことをしているうちに時間ばかり経つ。キャットフードは固くなってしまう。捨てるのは惜しいので、兄猫にやると、ウハウハと食べる。その分、翌朝のドライフードは減らすことにする。ちがうフレーバーを与えてみたが、だめだった。

これまで何年も食べていたのに、なぜこんなことをするのか。


        *


「すごーくおなかがすくまで待ったら?」と長男。

そんなこととっくにやってみたが、効果なし。「こんなもの食べるくらいなら、空腹のほうがまし」とでも言いたげで、なんとも憎ったらしい。可愛いので許すが、ハンガーストライキはすでに4日目。いったい何が不満なのよ? 

こころなしか、兄猫のおなかが前よりどえんどえんしてきた。

夫いわく、「偏食の飼い主に似たんじゃないか? ぼくが飼ってた猫はなんでも食べたけどねえ。」

あの猫はまた何でも食べすぎた。好物は、ブロッコリー、メロン、すいか、ターキー、チーズケーキ、ピザ、バター。まったく油断も隙もなかった。比較の対象にはならない。私はキャットフードの話をしているのだ。

もう少しグレードの高いキャットフードにしてみようかと思いつつ、いや、この猫の要求はきっと留まることを知らない。もうしばらく、いつもの缶詰を出すことにする。そのうち、ふっと気が変わって、前のように食べる気がする。

まだ4日目である。私と妹猫の根比べは続く。


<今日の英語>  

She is a pill.
嫌なやつだ。


夫が妹猫を評して。しかし、夫も妹猫が可愛いので、からかい半分ではある。無愛想、不機嫌あるいは退屈な人のこと。錠剤のpillと同じ。



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雪中行軍:或る主婦の手記

2012.01.22 (日)


今年は雪が少なくて助かる。

今日は初めて本格的に降り、空手もテニスもお休み。

と言いたいところだが、長男が空手に電話したら来ている人がいて、夕方のイベントも決行だそうだ。テニスクラブのウェブサイトではとりあえず午前中のクラスだけキャンセル。その後、午後も一部キャンセルになった。

積雪予報は6インチ(15センチ)。このへんは少し高いところにあるので、プラス1インチ。

注意報レベルだから、四輪駆動なら走れるのかもしれない。でも、うちは「お母さんが運転できないから」という理由で休む。ふつうのミニバンとセダンしかないし、仮に4WDでも他の車に突っ込まれたら終わりだ。

こういう日はどこにも出かけないで、ゴロゴロするにかぎる。私はほどんど毎日がそうなので、外の天気がどうだろうと関係ないが、停電さえしなければ何も困らない。

去年の10月末、ハロウィーンの前日に季節はずれのNor'easter(アメリカ北東部の広範囲にわたって起きる大雪・大雨・暴風などストームの総称)がやってきた。

天気予報では、まだ落葉していない木に湿った雪が積もると折れやすいと繰り返したが、私はあまり心配していなかった。20年以上のアメリカ北東部生活で、 ブリザードは何度も経験した。それより、大雪でTrick-or Treatがキャンセルになりそうだとほくそ笑んだ。キャンディを買い込んだのはもったいなかったと思っただけだった。


         *


ふだんは長男の空手は朝9時半から、次男のテニスは1時から。

テニスクラブは20分弱かかるし、曲がりくねった坂道もある。降雪は午後から本格的になると聞いて、早々に行かないことに決めた(驚くべきことに、1時のクラスはあったらしい)。

長男のクラスはその日たまたま特別な練習で、開始が午後1時半。終了は3時の予定だった。こちらは車で8分。スーパーの近くで、慣れた道だ。

出かける直前まで迷った。長男が電話したら、練習はあるとのことだった。なにしろ1時過ぎにちらほらし始めたばかりで、地面には何も積もっていなかった。

黒帯テストを控えて、できれば行きたいという長男を新しいほうのセダンに乗せた。ガレージを出たら、いよいよ降り始めた。

そこで、「あ、降ってる。やーめた」とすればよかったのだが、特別教室は有料だったし、すでに1回黒帯の試験に落ちた長男には必要な練習だったので、「3時までに終わればなんとかなるだろう」と出かけた。

のろのろ運転で、空手教室の駐車場に停めた。大雪の中を二往復するより中で待とうと思い、車のドアを開けて驚いた。すでに足首までの積雪だった。しかし、 引き返すには遅い。3時から本格的になるんだから、なぜかこれ以上はしばらく積もらないだろうと考えた(この時点で、私の判断力は鈍っており、目の前の現実を見ていなかった。これは遭難者の典型的な過ちではなかろうか)。

練習は3時になっても終わらない。10人以上が来ていた。私はそのあいだ、なんども窓の外を見に行き、車の形がわからないくらい、雪が積もってきて暗澹としたが、除雪さえしてあれば大丈夫だろうとまだ高をくくっていた。


          *


外を見ていた私をよそのお母さんが呼びに来た。

「長男君、具合が悪いみたいですよ。」

その数日前から、長男はおなかのあたりが痛いと言っていた。前の練習で痛めたのだ。悪いことは重なる。

しかし、私は長男よりも雪が気になった。空手では少しの怪我はつきものだ。

とにかく早く終わってくれとイライラしていたら、停電した。もう練習どころではない。急いで車に戻ったが、フロントガラスも何もかも15センチくらいの雪に覆われていて、すぐには運転できない。車の周りにも雪は降り積もり、 脱出できるかどうかもわからない。

怪我をした長男には頼れないので、私だけが必死で雪をどかした。エンジンをかけたが、雪の重みでワイパーが動かない。また外に出て、雪をどかす。どかす一方から積もる。夫にこれから帰ると電話したかったが、誰もでない。つまり、うちも停電したのだ(夫も次男も、昔ながらのコードつき電話につけかえるのを忘れる)。

なんとか駐車場を出た。そして、幹線道路に入ると、時速5マイル程度で進んでいた。他に走っている車がほとんどいないだけラッキーだと思いつつ、しばらくいくと、スピンした車が散らばっていた。

そういう私もすべりつつ進む。ギアは1。

最初の信号は下り坂にある。二車線をさえぎって真横に止まっている車を避けながら、のろのろ運転でどうにか左折。障害物競走か。過呼吸になる。

除雪作業が追いつかないらしく。前の車が残した車輪の跡をたどる。塩も砂も撒いてない。ツルツルにすべる。ハンドルが取られるなんていうもんじゃない。私は汗だくになった。車が何台も溝につっこんでいた。ふだんは気にならないカーブがとてつもなく難しい。

あちこちに木が倒れていた。

私は甘く見ていた自分に腹が立ち、レッスン代を惜しんだケチな自分を呪った。

これは死ぬかもしれないと思った。私はともかく、長男は若すぎる。とにかく生還するしかないと決意する(今思うと大げさだが、それくらい切羽詰っていたのである)。

幸い長男は運転ができないので、どれくらい恐ろしい状況かわかっていなかったらしい。のほほんとしていた。


         *


あと1回右折すれば、うちの住宅街へ入るというところで、1台の車が立ち往生していた。前方には、道路のど真ん中に電線が垂れ下がり、雪の上で火炎が立ちのぼっていた。

前の車から男の人が降りてこちらへ歩いてきたので、窓を開けた。

「ここを右に入れば、向こうへ出られますかね」と、身なりのよさそうな男性。

「ここは行き止まりです。サブディヴィジョンの入り口で、ここしか出入り口はないんです。」

「いやー、困ったなあ」となんだか余裕のある紳士。

「あのー、私はここで右折しなくちゃいけないんですけど。ちょっと動いてくれませんか」と必死な私。

男性は車に戻ると、Uターンしないで、火を避けて直進した。メルセデスだったか、アウディだったか。さすがヨーロッパ車だわと妙に感心した。

うちまであと0.5マイル(800メートル)。やっと一息ついた。

しかし、ここはさらに積雪がひどかった。除雪のあとがまったく無い。車のわだちもわずかに見えるだけ。

しかも、この先には坂道が2つある。夫が昔リムジンでブリザードの中を帰宅したとき、運転手が往生したくらいで、特に2番目の坂道は厳しいと言っていた。 何度も試みてようやく上りきったのだそうだ。

だから私も2番目の坂道は無理かもしれないと覚悟して、最初の坂道に挑んだ。


         *


積雪はあるし、すべるし、ゆっくり行きたいが、パワーがないと上れない。

思い切ってアクセルを踏んだ。しばらく行くと、雪に阻まれて、タイヤが回転するだけになった。少し下がってもう何度もやり直したが、どうしても上れない。ゆるい方の1つ目の坂で挫折とは。

800メートルといえど、この雪の中を歩くのは厳しい。私はフラットシューズだし、長男は裸足にスニーカー。私はジャケットに手袋だったが、長男はジャージーだけ。これでは遭難してしまう。

だめもとで自宅に電話したが、呼び出し音がなるばかりで誰もでない。私は怒り狂った。

「車を捨てて歩くしかないわ」と長男に伝えた。お腹を怪我していたが、歩いてもらうしかない。幸い、夫のブーツやジャケット、手袋があった。私はバッグも 荷物になると思って、財布と携帯だけをポケットに入れた。

運動不足の私が、何が楽しくて雪中行軍をしているのか。

近所の家では、木が小枝のようにポキポキ折れていて、折れなくても葉っぱの上に降り積もった雪でたゆんでいた。ニュースで警告していたとおりの図だった。

途中で立ち止まり、もう一度家に電話をした。ガレージのドアを開けてもらうためだ。停電中はリモコンが使えない。電気がなければ、うちはただの箱である。

誰も出ない。

再び歩き始めたところで、バリバリッという音がして、目の前に大きな木が横倒しになった。ほんの5メートル先である。音がしてから倒れるのは一瞬だった。

遠回りをして、最後の坂道を登る。右にやっとうちの前の通りが見えた。体は冷え切っているのに汗だくで、足は雪に取られるし、しかも雪はまだ降り続く。

家がかすんで見えてきても、なかなかたどり着けない。横なぐりの吹雪で、足元しか見えない。これまで読んだ遭難者の物語が頭に浮かんだ(私は出かけるのがきらいなのに、極地や雪山の遭難モノが大好きなのである)。


          *


やっとドライブウェイに入った。長男は少し遅れを取っているが、私は進む。

お隣がうちとの境目に植えた木が4本とも地上1メートルくらいで折れていて、 うちのドライブウェイをふさいでいた。大回りしてまたぐ。うちのクラブアップルも、枝が地面に着くくらいしなっていた。なんとかしなければ。

ひざまである雪を掻き分け、玄関にたどり着く。呼び鈴を鳴らすと、次男がドアを開けた。

「どうして電話をつけかえないのよ! 停電のときはそうしてっていつも言ってる じゃない! 坂道のずっと下で車捨てて、歩いてきたのよ。目の前で木が倒れるし、死ぬかと思った」と私はまくしたてた。

「長男くんは?」とのんびりたずねる次男。

「いま来るわよ。明日、歩いて車を取りに行かなくちゃ。」

夫の車なので、怒るかと思ったが、「あの坂は無理だなあ」と気にしていない風だった。それより、夫が車においていた冬装備が役に立ったのを知って、ご満悦になった。私が「あれがあって、ラッキーだったわー」とほめたら、「ラッキー だって?! ぼくはこういうときに備えて、ちゃんと考えていたんだよ。いつ車を捨てて、歩かなくちゃいけないかわからんからね。」(この自慢はその後1週間は続いた。)

夫はバッファローで育った。私とは雪のキャリアが違う。「だったら、私が出かけるの、止めてくれたらよかったじゃないの!」と恨んだ。

寒いのに汗だくだが、停電でお湯も出ない。クラブアップルの木を救うべく、枝から雪を払い落とした。いつのまにか大きく育って、半分くらいしか届かない。 しかし、ここでがんばらないと、お隣の木みたいに折れてしまう。夫も次男も手伝って、どうにか雪をどけた(ただし、翌朝までにはさらに積もって、もっと傾いていた。幸い、少し細い枝が折れただけで、木は健在であ る)。

私はその晩、道路の端っこにおいてきた車の上に木が倒れてくるんじゃないかと気が気ではなかった。

非常用ラジオをつけると、どこも大変な被害だった。こんなに早い時期の大雪で、除雪担当者もまったく不意打ちをくらったらしい。どこもかしこも停電。

1週間ほど停電した夏のハリケーンのときより復旧に時間がかかるという話だった(実際は、うちのあたりは24時間で電気が戻った。ありがたくて、電気会社にお礼の電話をしたくなった)。


            *


翌朝、明るくなったところで、まず私だけ車まで歩くことにした。

シャベルは重いので、ほうきだけ持った。そして、携帯で状況を報告し、必要なら夫と次男が救援に来るという手はずである。

どこの庭も倒木だらけで、雪の重みで緑の葉がついたままの枝が垂れ下がるシュールな世界。ときおり、木の倒れる音がどーんとこだまする。まだ10月なので、秋の日差しで気温はどんどん上がる。雪景色を見慣れた私にも初めての異様な光景だった。

道路は除雪されていた。坂道を下って、雪をかぶった車にたどり着いた。木でつぶされていなくてほっとした。除雪車に追突されてもいなかった。

エンジンはかかるが、車の前後の雪かきをしないと出られない。家に電話をして、待った。ほうきで窓ガラスから雪をどかす。もう雪は止んだし、それほど寒くない。

歩いても5分、車なら1分もかからない距離なのに、いつまでたっても夫も次男も来ない。また電話したが、「ダディがジャケットがなんとかって言ってる」と要領を得ない返事だった。「もう、あんただけシャベルを持って歩いて来て。」 夫を待っていたら日が暮れる。

ほうきで雪をどかしていると、2軒先の家で雪かきをしていたおじさんが呼んだ。

「大丈夫ですかー。手伝いましょうかー。」

「大丈夫ですー。夫がもうすぐ来ますからー。でも、ありがとうー!」と私。

しかし、なかなか現れないのを見て、おじさんはシャベルを持ってやってきた。

「お宅のドライブウェイの雪かきもあるのに、すみません」と恐縮すると、「ノープロブレム!そのほうきじゃ、いつまでたっても終わりませんよ」と、 さっそく前輪後輪の周りを雪かきしてくれた。

雪からの脱出方法をよく知らない私に、「ちょっと前後にゆすってみて。ハンドルを道路のほうに向けて」とアドバイスもしてくれた。一発で出られた。

車から出て、お礼を言うと、"Anytime!"と握手して笑った。不動産税は高いが、親切な人の多いご近所である。

私が車を運転して家に向かおうとしたら、夫と次男がミニバンでやってきた。何を勘違いしているんだか、二人とも着膨れている。

「いま、あのおじさんが手伝ってくれたのよ。いったい何してたの? すれちがうとき、ちゃんとお礼を言って。私はもう帰るから。」

無事に車をガレージに入れた。前日は本当についていた。あのストームの中で事故に巻き込まれず、破損もせず、雪中行軍はきびしかったが、一晩外に置いてあった車も無事だった。


          *


アメリカに来て、4年目のある日。

まだNJにいたころ、仕事から帰る途中で大雪になった。ハイウェイはのろのろ運転。それでも、どうにか家の近くまで来たものの、道路は除雪されていなかった。いよいよ車を捨てて歩こうと思ったら、反対側から除雪車がやってきて、反対車線の雪をどかしていった。除雪車に後光がさして見えた。

私は逆走して、少しでも家に近づこうと試みた。そのうち、除雪範囲が増えて、すべりながらも家にたどり着いた。

免許を取得して3年目。あれほど怖かったことはない。その後、凍った道路でスピンしたことも何度かあり、雪より氷のほうが怖いと思うようになった。

しかし、今回の経験はそれ以上。やはり雪も怖い。思い出して書くだけでぞっとしてきた。私にしては細かいことまでよく覚えていたのは、それだけ印象深かったわけだ。

今日の雪はブリザードには程遠く、すでに小ぶりになったが、あのNor'easterの記憶も新しい私は「今日はどこにも行かないわよ」と申し伝えてある。


<今日の英語>  

Please don't go ballistic on this.
怒鳴らないでくれ。


取引先のことで激怒したらしいG氏を夫がなだめたときの一言。ballistic は弾道。火薬が爆発するようにキレること。



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レシピ: ポークテンダーロインの赤ワイン煮

2012.01.23 (月)


=== 簡単レシピ その19 ===
 
ポークテンダーロインの赤ワイン煮
 
  1. オーブンを350°F(175℃)に余熱する。
  2. ポークテンダーロイン1本(2ポンド 900g)は焼き始める30分前に冷蔵庫から出しておく。
  3. キャセロールにポークを置き、塩小さじ半分、こしょう小さじ半分、ガーリックパウダー小さじ半分をすり込む。
  4. たまねぎ1/2個の薄切り、セロリ1本の薄切り、ニンニク1個の薄切りをポークの上下に置く。
  5. 赤ワイン250ccを上からかける。
  6. 350度で50分から1時間焼く。真ん中を切ってみて焼き足らなければ、さらに5-10分焼く。

  • キャセロールは、ワインがポークの下1/3くらいまで来るように、肉がぎりぎりで収まるくらいの幅で、深めのもの。
  • セロリやニンニクを省いても、またはマッシュルームなどを追加しても可。
  • 先にフライパンで肉に焼き色をつけてもよい。
  • 途中で肉をひっくり返したり、ワインをすくってかけてもよい。


             *


これは義母から習ったレシピ。

もっとも彼女は勘で料理をする人なので、材料も焼き時間もごく適当。ワインはボトルから直接ぼとぼとと注ぐ。「それは小さじ何杯?」「ワインは何カップ?」という質問は無意味である。

NYに戻り、何度か作ってこの形に落ち着いた。

レシピというほどのものではない。検索すると、似たようなものがいろいろ出てくる。ポークの代わりにビーフも使える(調理温度と時間は変わるかもしれない)。キャセロールに残った赤ワインを煮詰めて、グレービーにするのもある。

ともかく、塊り肉に香味野菜をのせてワインを注ぐだけ。包丁は野菜を大雑把に切るときだけ、あとはオーブンに入れっぱなしでいい。

義母は毎日ワインを飲む。りっぱなワインクーラーもあるので、高級ワインをおしげもなく使うが、私はスーパーのビネガーやオイルのあたりに並んでいる料理用ワインを買う。肉を食べない私には判断できないが、たいして違わないらしい。それよりも肉の質で決まるんじゃないだろうか。


        *


どうしても夕食を作りたくないが、なにか「肉々しいもの」を食べさせねばという日に登場する。

ポークをオーブンに入れた後は、多少やる気が出て(ほっておけばメインディッシュが完成するので、精神的な余裕が生まれるせいか?)、ブロッコリーをゆでたり、マッシュポテトやサラダを作ったりできる。なにしろオーブンで1時間なので、副菜をいくつか作ってもまだ終わらない。自分がテキパキした料理人のような錯覚に陥る。

あまり肉を好まない次男も、これはよく食べる。今年は感謝祭もクリスマスもこれだった。

肉はやわらかくなるので、ステーキナイフでなくて、ふつうのナイフで切れる。


         *


これを覚えてから、ポーク・メダリオンは作らなくなった。フライパンを出すのも、まな板で肉を切るのもめんどくさくなる。台所が汚れる。焼き具合を見ていなくてはならない。

私みたいな怠け者には、オーブン料理さまさまである。

しかも、うちのオーブンにはself-cleaningという機能があって(もはや標準装備もしれない)、高温で油汚れを焼き切ってくれる。

同じポークでも、これとトンカツでは私の疲労度と台所の汚れ具合は雲泥の差。それに、キャベツの千切りだの、ご飯にお味噌汁だの、包丁の休む間がないし、皿数も多い。

私はトンカツを食べないので、自分だけエビフライを作る。クタクタになるが、たまにはどうしても和食(これはむしろ洋食か)を食べたくなり、自分のためにがんばる。子どもたちはトンカツも大好物。赤ワイン煮より好きかもしれない。

「トンカツにはすごーく手間がかかってるの。小麦後つけて、卵つけて、パン粉つけて、油で揚げて。お母さんは立ちっぱなしよ。あんたたちは、よくよく味わって食べるように」と子どもたちに御託を並べる。

しかし、手抜きのときはこの赤ワイン煮である。トンカツと同じくらい感謝されると、「肉にワインをかけてオーブンに入れただけなんだけど」と、ほんの少し気が引ける。


<今日の英語>  

It baffles me.
きつねにつままれたような気がします。


不審な状況で家が全焼した事件を受けて、地元紙にインタビューされた近所の人の一言。なにがなんだかよくわからなくて、複雑な気持ち。



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全豪オープン2012

2012.01.24 (火)


「毎日が日曜日」の私の年間スケジュールは、子供たちの学校カレンダーと年4回のグランド・スラムが基本である。

9月に新学期が始まり、クリスマス・ホリデーがあり、冬休みや春休みがあり、mid-termやfinalの試験があって、6月で終了、夏休みに突入。この繰り返し。

テニスは、まず1月の全豪オープンから。

メルボルンとNYの時差は16時間なので、私が寝ている間にその日の試合はほとんど終わっている。

現地で朝11時開始、つまりNYで前日の夜7時から3時間程度見られるのだが、いい組み合わせは朝一番からやらない。2試合目の1セット目あたりで寝て、翌朝5時に起きると、ナイト・セッションの最終試合をやっている。テレビで見ながら、ネットで前日の結果を読む。

今回は、「朝起きると、錦織が勝っていた」という日が続く。

昨夜は、1セット目を第6シードのツォンガに取られたところで寝た。たぶんだめだろうと思った。過去2回勝ったが、エキシビションだったし、グランドスラムでは気合が違う。コート上では気温が34度だと聞いて、フロリダのテニス・アカデミー育ちの錦織のほうが暑さに強いかもしれない。しかし、その前に4セット、5セットの試合をこなしてきたから、どっちにしても厳しい。

16強入りでも快挙だし、なによりグランドスラムでシード選手になることすら、ほどんどのプロテニス選手には不可能なのだ。

グランドスラムの本戦では、1回戦が終わると128人が半分の64人になる。2回戦が終わると32人。3回戦が終わると16人。その時点で、112人が消えることになる。

あの体格でよくここまで生き残ったもんだ。

私はすっかり回顧モードになっていたが、一夜明けたら錦織の勝利だった。

解説によると、二人の体格は似ても似つかない(錦織178センチ、68キロ。ツォンガ188センチ、91キロ)が、試合のスタイルは似ているのだそうだ。そういう場合、往々にして勝負は長引くらしい。

ツォンガは試合後のインタビューで、錦織は「よく走るし、なにを打ってもボールが戻ってくる」と褒めていた。試合直後にわざわざネットを越えて、錦織のほうに歩いて来て祝福したという、フランス人にしてはとてもいい人である(一般人はともかく、フランス人テニス選手にはいい人が多い。それに比べてアメリカ人選手は幼稚だ)。


        *


次の対戦相手は第4シードのアンディ・マリー。

一度も優勝したことがないマリー(勝つとイギリス人で、負けるとスコットランド人と呼ばれるそうな)に勝たせてあげたいところだが、怪我続きで苦しんだ錦織にも勝たせてやりたい。

同じく怪我で1年を棒にふったデルポにも、チャンスをあげたい。

病気で何ヶ月も欠場しているソダリングがいないので、私としてはあまり楽しみがなかった全豪オープンだが、さすがに8強に残った面々の試合はおもしろそうだ。

錦織は14歳で単身フロリダに移住した。言葉も通じないし、周りはみんなライバル。その後、ときおり会いにいった両親が息子がどれだけさびしい思いをしていたかよくわかったとどこかで語っていた。

サフィンもシャラポワもジョコビッチも、みんな若いうちから外国でトレーニングを始めた。本人もそうだが、子供の才能に賭けた親御さんもたいしたものだと思う(サフィンのお母さんはスペインへ一人で旅立った息子について聞かれて、泣いていた)。

苦労が報われて何よりである。


        *


それにしても、錦織は若く見える。老けやすい白人を見慣れているせいか、私には中学生くらいにしか見えない。

英語のサイトでは、"He is so cute!"という書き込みをよく見る。インタビューでも真面目そうで、試合中のマナーもいいし、今回の活躍で応援が増えるのは喜ばしい。フェデラーやラファから練習相手にとお声がかかるのもうれしい。他にいくらでも相手を探せる彼らは、イヤな奴にそんなことは頼まない。

あと必要なのは歯列矯正だけ。世界中を転戦していて時間がないのだろうが、きれいな顔立ちをしているだけにいつも残念に思う。

そんな些細なことが気になるのは、私がアメリカの「まっすぐで真っ白に輝く歯」信仰に毒されているせいである。


<今日の英語>  

It’s very easy to say these things in retrospect.
あとからこういうことを言うのはとても簡単です。


「錦織とツォンガはフルセットになりそうな予感があった」と試合後のレビューをしたスポーツ・ジャーナリストが自分で一言。



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そういえば50歳

2012.01.25 (水)


ブログを休んでいた間に誕生日が来て、50歳になった。

なんの変哲も無い日だった。夫も子どもも私の誕生日は忘れていたが、私は気にならない。アメリカではBig Five O(オー)として盛大なお祝いをする人たちがいる。そんなことをされたら、私は逃げる。

パヴェルは律儀に誕生日カードをドイツから郵送してくれた。ベラルーシで買ったらしく、ロシア語で印刷してあり、英語でメッセージが書き込んであった。「あなたがいくつになったのかわからないけど」という一文は、本当に知らないのか、私に気を使ったのか。

85歳で死ぬとして、あと35年。先は長いが、このところあっという間に1年が過ぎるから、案外すぐ終わるかもしれない。

平均寿命は年々延びる。下手すると、90まで生きてしまう。だったら、あと40年もある。やっと折り返したくらいだ。

私は周りのことにあまり興味が持てない。数字を覚えるのが苦手なせいもあって、人の誕生日や年齢は特に覚えられない。最初から覚える気がないのだから、当然である。

他人どころか、自分の年齢すら怪しくなった。

特に子どもが生まれてからは、2人分の誕生日と年齢とソーシャル・セキュリティ番号、スクールバスの時間、習い事のスケジュールなど覚えるものが飛躍的に増えた。ナーサリースクールだの、スクールサプライだの、補習校の宿題だのとバタバタしているうちに、40歳になったときの記憶がすっぽり抜けている。

その後、病院で年齢を聞かれたり、オンラインでフォームを記入したりするときに、「47? 46か?いや48だったかも」と自信がなくなっていった。「今年の西暦マイナス誕生年」の計算をしたことが何回かある。

50は区切りがよくて覚えやすい。これは助かる。


          *


しかし、私は年齢に実質が伴わない。

仕事はしていないし、家事もさぼってばかり。ボランティアも近所づきあいもしない。時間の余裕がある。それだからこそ、長いブログ記事を書けるわけだが。

読書以外に趣味らしい趣味はない。テニスはしたいが、まだテニスひじがしつこく残っている(雪かきができるくらいに回復したし、硬いビンのふたを開けることもできる。それでも、ときおりひじにピリッとした痛みが走る。ここで無理すると、完治しないような気がするので、じっと待つことにした)。

私の父方の祖母は長生きした。私がまだ小さいとき、「年を取るってどんな感じ?」と祖母に聞いたことがある。

「そんなに年取った気がせんだよ。そりゃあ体はえらいけど、娘の頃とたいして違わん気がするだよ」と祖母は照れながら答えた。私には祖母の若い姿は想像できなかった。

まだ私が日本に住んでいたときに読んだフランソワーズ・モレシャンのエッセイにも似たようなエピソードが載っていた。彼女も80近いおばあさんから「20歳をいくつも出ていないような気がする」と打ち明けられたという。おばあちゃんと同じだと、なぜかその一節はよく覚えている。

そして、30歳を過ぎ、40歳、さらには45歳になっても、私自身が21歳、つまり大学3年生くらいの感覚しか持てなかった。大人になれば悟りを開くとは思っていなかったが、少なくとも年齢相応の自覚のある人間になるだろうと予想した。

実際は、外見が老けただけで、中身はたいして成長していない。

年齢とともに度胸はついたし、経験から来る余裕もできたのだが(おばさんに怖いものはない)、自分の中にある自分自身の精神的なイメージは21歳で停止している(これは、外見や身体年齢とは無関係。精神年齢でもない。脳の核のようなもの、意識年齢とでも呼びたいが、正式な名称はわからない。誰もがこういう感覚を持っているのかどうかも知らない)。

50年も生きてきて、仕事も海外移住も結婚も子育てもしたのに、意識の上では、あの頃のなんにもわかっていない小娘のままというのはいったいどうしたわけだろう。

別にその頃の自分がよかったというのではない。あの頃に戻りたいとは思わない。私は頭の固い、自信のない孤立した女子学生だった。

私は今の自分のほうがずっと好きなのだ。


           *


目の前に高校生の息子が2人もいて、日本を出て23年近くになるのに、それだけの時間が経ったという実感もないのは不思議だ。

もっとも、自分が年を取ったのは事実で、小じわや白髪は増える一方だし、体は硬い。すぐ疲れる。肉体は確実に衰えてきている。

ある朝、開いたラップトップと電源コードを持って階段を下りたら、片足がパジャマの裾に引っかかって、階段を踏み外し、転がり落ちそうになった。

幸い、あと4段ほどで、片足でドタドタしているうちに一番下に着いた。両手がふさがっていたので、手すりにつかまれなかったが、けちな私はパソコンを放り出すことはできなかった。もし怪我でもしたら、その治療費はパソコンの何倍もしただろうに。

最近は脳みその衰えも著しい。

2ヶ月ほど前、スーパーで買い物をし、カートから車に食料品を積み込んだ。空のカートをカート置き場へ押して行って、ガシャンと前のカートにくっつけてから車に戻った。鍵をポケットから出して、リモコンでロックを解除。運転席に座ろうと思って、バッグを肩から外そうとするとない。あっと思って、カート置き場に走って戻ると、さっきのカートの取っ手近くに私のバッグがそのまま座っていた。ほんの10秒くらいのことだったが、こんな失敗は初めてである。

その後は必ずカートを確認するようになり、同じ失敗は(まだ)していない。

3週間ほど前、やはりスーパーで買い物をし、駐車場でカートの食料品を車に積んでいると、「あなた、今、私のレジにいた人?」と中年女性に呼びかけられた。見覚えがあるレジの人だ。

「これ、あなたのだと思うんだけど」と私の長財布を差し出した。

クレジットカードをリーダーに読み込ませ、財布にしまったのだが、まだ袋に入れなくてはいけない品物がたくさんあったので、いったん財布をレジの台に置いたのだった。画面にサインをして、レシートをもらい、そのままカートを押してお店を出た。財布を置き去りにして。

サンキュー!を繰り返す私に、「あなたの次のお客で、ちょうど休憩時間になったから外へ探しに来たのよ。よかった、間に合って」と、レジのおばさんはにっこりして立ち去った。


         *


子どもたちに一連のできごとを話すと、「ちょっと、おかあさん…」と不安そうな顔になった。

彼らは私がおっちょこちょいなのを知っているが(財布を持たないでスーパーに行ったことも1度ではない。そのために、車にはいつも現金100ドルが隠してある。パンプキンパイを作ったときに砂糖を入れ忘れたこともある)、これは重症だと思ったらしい。

夫に話すと、「これからは長男か次男のどっちかを連れていったほうがいい。」

この年で付き添いが必要では困る。

しかし、子どもたちにとっておきの話をしようと思って始めると、「おかあさん、それもう聞いた」とさえぎられることが増え、先週などは「もう2回聞いた」「3回目だよ」とさえぎられた。そうだっけ?

いつ誰に話したのか、覚えていない。長男か、猫か、夫か。子どもたちが二人揃っているときだったか。姉に電話で話したときか。覚えていないので、初めてのつもりで繰り返す。

きっとブログにも同じことを何度も書いていると思われる。

ダラダラと長い記事の中に埋もれて目立たないのは幸いである。


<今日の英語>  

The line starts back there, just so you know
列の最後はあっちですよ、一応言っておきますけど。


列に割り込まれたときにどう対応すれば角が立たないかという質問への回答。もしかして皆が並んでいたことをご存じなかったかもしれませんねと、ちょっとやわらかめになる。にっこりして言えば、さらによし。



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 |  わたし  |  コメント(6)

まずは1校合格

2012.01.26 (木)


帰宅時に郵便物を運んでくるのは、うちの子供たちの数少ない仕事である。

たいてい手につかんだまま、私の部屋まで持って来る。郵便受けから長いドライブウェイを歩く間に、どんな郵便が来ているか調べる気はないらしい。二人とも注意力散漫なので、途中で落としそうでもあり、特に税金の書類が多い今の時期はむしろそのほうがいいのだが、今は合格通知を待っているのである。

郵便の丸まった束を受け取ると、白い大きい封筒が目に入った。大学のロゴがある。

「ちょっと、これS大学じゃない?」と長男を呼び止めた。

「えっ、ほんと?!」

「昔は、合格すると大きくて分厚い封筒で、不合格は小さくて薄い封筒だってよく言ってたけど。これみたいに、大きいけど薄っぺらいのは、どういう意味なのかしら。なんか気になる。」

「おかあさん、開けて。ぼく、怖い。」

「そりゃ、いいけど。」 怖いって、あんた、自分のことでしょ。

緊張して見守る長男の前で封を切ると、数枚の紙と返信用封筒が出てきた。

「Congratulations! だって! やったー!」と私。

「ひえーっ、よかったあ!」と長男は大げさにため息をついた。

夫の部屋に行って、私が読み上げようとするも、文字が細かくてよく見えない。夫は自分で読むから貸せと言う。夫に渡すと紛失しそうでいやなのだが、長男がその場に残って夫と話すというので任せた。

次男にも言うと、「見せて、見せて!」とこれまた幼児のよう。2年後には自分もこれがもらえるように、いまから努力すべきだとわかっているのだろうか。

「お祝いにアイスクリーム食べに行こうか」と私。空手に行く道すがら、長男の好きなアイスクリーム・ショップがある。チェーン店ではない。長男はそこのソフト・アイスクリームが大好きで、毎回うるさいのだが、私は途中で止まるのがいやで、だいたい素通りする。

「うんっ、行こう!」と今すぐにも出かけたそうな長男。


           *


S大学からの書類をじっくり読む。

Enrollment fee(入学金。返金不可)500ドル。
Housing security deposit (大学寮に入るための手付金)500ドル。
Housing placement fee (寮の部屋を手配してもらうための斡旋料。返金不可)300ドル。

〆て1300ドル。日本行きの切符が買えるなあと思う。

支払い期限は5月1日だが、早めにしないと寮が確保できなくなる。予想通り、奨学金の「し」の字も見当たらない。英語だから、scholarship のsの字もないと言うべきか。

その後、シャワーに入った長男とカーテン越しに話す夫の声が聞こえた。

マンハッタンのダウンタウンにあるS大学には夫と長男だけが見学に行った。

「あそこの寮はちょっとふつうと違うからなあ。でも、やっぱりこの家から完全に出て行ったほうがいいと思うんだよ。寮にしてもアパートにしても。アパートを借りるなら、週末に帰ってきて必要なものを取りに来なくちゃいけないなあ」と夫。

「そうだねー」と長男。

2人とも、なに寝ぼけたこと、言ってるの? いくら同じNYだって、うちから通えるわけないじゃない。仮に通えたって、私は大学生なんかといっしょに暮らしませんよ。せっかく子育てから解放されるところなのに。

だいたい長男もいけない。大学探しのときから、「ぼく、あんまり家から遠くに行きたくないんだよね」などと平気で話していた。1日も早く家を出て、田舎町を出て、東京で一人暮らし(実際は姉との共同生活だったが)をしたかった私には、まったく信じがたい。

アメリカの子は18になったら嬉々として家を出るんじゃなかったの? 独立したいんじゃなかったの? どこか育て方を間違えたのだろうか。


          *


願書を出した4校のうち、1校だけ受かるならこの大学だった。

すでにポートフォリオだけは11月に合格していたので、よほど下手なエッセイを出さなければ合格圏内だった。

しかし、いつも最悪の事態ばかり予想する私は、4校全部ダメだったときのために、これから追加で申し込める大学を探していたのだ。広いアメリカ、まだまだいくらでもある。

あと3校。

マンハッタンはどうにも気が進まない私は、ボストンにある2校のどちらかに行かせたい。合否がわかるまで、あと3~4週間かかる。
 
「グランマにわかるように、フェイスブックにS大学合格って書いてくれない?」と長男に頼むと、「もうやった」とめずらしく手際がいい。S大学からは、メールでも合格通知が来ていたという。

私は母にメールを書きながら、「アート専攻で将来食べていけるのだろうか」と新たな心配の種を抱える。


<今日の英語>  

You’ll get through it.
きっと受かります。


ハイスクールのガイダンスが作成した資料にあった励ましの言葉。「大学にアプライするのは、あなたが初めての人でもあなたで終わるのでもありません。これまでに大勢の人がやってきたことですし、これからも大勢の人がやるでしょう。だいじょうぶ。」 get through は、通り抜ける、わからせる、困難な状況を切り抜ける、やり終えるなど、いろいろな場面で使う。




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日本語俗語の勉強

2012.01.26 (木)



ライフハッカーで、日本語俗語辞書が紹介されていた。

あまり期待しないでリンクをたどると、個人サイトながら掲載語数は2085語。50音別の索引もある。トップページには俗語ランキング(どういうランキングか不明。一番検索された言葉か?)とPick Up俗語!がある。

【ちなみに、選び出すという意味で使うピックアップは和製英語。英語ではpick outと言う。Pick upは持ち上げる、拾うなどを意味する】 

私が日本を離れて20年以上経つ。

ほんの数年前まではインターネットも発達しておらず、テレビも雑誌も見なかったので、言語的な無人島にいたようなものだ。最近はネットでかなり日本の流行りがそれほどの時間差もなくわかるようになったが、実際に日本で暮らしていなければ、常に進化する言葉にはとても追いつけない。

英語にもスラングや流行り言葉はあるが、日本語は言葉遊びや新語作りに向いていると思われ、英語より早いスピードで増える気がする。

姉と電話しながら、「それ、どういう意味?」とさえぎって尋ねることもあれば、姉が先回りして「今の、わかる?」と解説をしてくれることもある。

日本語俗語辞書は、こういう浦島な人たちの貴重なマニュアルといえる。

こんな資料が無料で読めるなんて、ありがたいことである。新しい俗語だけでなく、昔から使われている言葉も入っていて、懐かしい。


       *


「Pick Up俗語」に出ていた16の言葉を自分にテストしてみた。

100%自信があるのは、リア充、歴女、婚活(離活は初耳だが、たぶん婚活と同類)、イクメン、炎上、肉食女子、草食男子。

聞いたことはあるが、いまひとつ使い方に確信がないものは、なう、女子会、山ガール、ファストファッション。

あとは初耳である。私の解答は以下の通り。

十二月病:忘年会など人付き合いの多い12月で疲れ果て、精神的にまいってしまうこと。
フニーター:アルバイトをしているが、ニートと紙一重な人。
しまラー:苗字に島がつく、ある有名人のファン(勝間という人の信奉者をカツマーと呼ぶことからの連想)。
外こもり:ネットカフェや喫茶店など、お気に入りのお店に終日こもっている人。

甘く見て50点か。

外こもりの定義は、「海外で引きこもり生活をすること」だった。まさに私だと思ったが、解説によると、そうではないらしい。

2006年に使われ始めて、2008年にそういう人が増えて話題になったそうだ。まったく記憶にない。

ついでに俗語ランキングを見た。

7割くらいわかるが、「とりま」にはたまげた。「とりあえず、まあ」の略だそうだ。あけおめ、ことよろ、メリクリの衝撃からそれほど時間が経っていないのに、これでは謎かけである。


          *


「ヨイトマケ」にはちょっと思い入れがある。

子どもの頃、この言葉を聞いて非常に興味を持った。不思議な語感だと思った。辞書を引いたが出ていなかったので、母に聞いた。

「ヨイトマケってなに?」 

母は黙して答えない。

状況からして、女のすることに関係があるのはわかっていた。でも、水商売や売春という感じではなかった。「教えてー、ヨイトマケ!」としつこく聞いたが、とうとう教えてもらえなかった。それで余計に知りたくなり、その後もヨイトマケが耳に入るたびに考えた。

大人になってから調べてみて、やっとわかった。土木工事の助手みたいな仕事なのだろうが、アメリカでは道路工事の交通整理などでよく女性を見かける。恥ずかしい仕事でもなんでもない。

男ばかりの肉体労働の現場で女が働くことに、母は抵抗があったのだと思う。女は弱者だったから、性的な関係を強いられるケースもあったのかもしれず、偏見を持っていたのかもしれない。


         *


母は私の質問に答えないことが多かった。聞こえないふりをするか、「知らんだ」とはぐらかした。あるいは、「子どもは知らんでいい」と言われた。

それが不満だったので、私は息子たちの質問にはほとんどなんでも答えるようにしてきた。

もっとも、最近はめんどくさくなり、「自分で検索して」で打ち切る。

日本語で説明すると彼らの語彙が足らないので、いちいち補足せねばならない。たいして高尚な話をしているのではないが、「これ、なあに?」と指差して尋ねる幼児に「これはねえ」と教えるようにはいかない。

特に遊戯王やマジックのカードに書いてある、いかにも日本語風の単語について聞かれたのだとわかると、「なんで私がそんなことまで説明しなくちゃいけないのよ。1日中パソコンの前にいるのに、ゲームとチャットばかりで、調べるという発想はないの?」と突き放す。

「子どもの質問は真摯に受け止め、小さな疑問も決してないがしろにしてはいけません。子どもは母親がちゃんと自分に答えてくれるという安心感を持ち、そこに母子の強い信頼関係が培われるのです」などという専門家の話を読むと、「うちはハイスクールになっても、なんでも母親に聞けばいいみたいな子になっちゃったわよっ」と言いたくなる。

やたらと裏目に出る私の子育てである。


<今日の英語>  

It's crunch time for Federer.
フェデラー、正念場です。


ナダルとの準決勝でピンチを迎えたフェデラーについて、解説者の一言。



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ERでMRI その1「混乱」

2012.01.27 (金)


昨秋の季節はずれの大雪で立ち往生した日、長男は空手教室で腹部に怪我をした。

その前の週にも「ここが痛いんだよね」と言い、私も長男もただの筋肉痛だろうと思った。でも、なかなか痛みがひかず、お腹に力が入らないと言い始めた。

空手ではなくて、どこかにぶつけたのかと聞いたが、そうじゃないと言う。外傷はないし、熱もない。

そのうち、多少よくなったり、やっぱり痛かったりした。そうして迎えた大雪の日の特別レッスンだった。

型と技が決まらない長男に先生がデモンストレーションをして、長男のお腹を打ったらしい。お腹に力を入れていれば問題なかったが、まともに衝撃を受けた長男は体を半分に折り曲げて座り込んだ(私はクラスは見ない。この経緯は、私を呼びにきたよそのお母さんと長男の話を総合したものである)。

私が教室へ入ったとき、長男は立って先生と話をしていた。私は大雪が心配で、そこへ長男の怪我が加わって、欠席しなかったことを後悔した。

その後すぐに停電になり、私は死ぬ思いで吹雪の中を運転した(そのときの話はこちら)。

やれやれひどい目にあったわと落ち着いたあとも、長男のお腹の具合はよくならなかった。


        *


週明けの月曜日、授業後に小児科クリニックに連れて行った。

いつものドクターMは2週間の休暇中で、代理の医師がいた。強いロシアなまりのある中年女性で、長男にいろいろ質問し、触診したのだが、内出血すらしていないので、外からではわからないようだった。

「spleenかもしれません。そのあたりを強く打たれたんでしょう。時間が経てば、痛みも引くと思います」と先生。

Spleenって日本語でなんて言うんだっけ? 私は人体模型を思い浮かべながら、臓器の名前を頭の中で翻訳し始めた。kidneyは腎臓だし、もっと背中よりにあるはずだし、pancreasは膵臓。グランパが手術したgallbladderは胆嚢。あのへんにあって、臓がつくのは、脾臓? 脾臓って何をするところだったっけ?

私が悩んでいる間に、先生は「この痛み止めを飲んでください。もし3日経ってもまだ痛むようなら、電話ください」と処方箋をくれた。

なんだか腑に落ちないが、他には何の症状もなく、それほどたいした怪我ではないように思えた。

長男は痛み止めを飲み、普通に登校した。しかし、痛みはしつこく残った。それどころか、「前より痛くなった」と言う。


        *


3日後、再び小児科クリニックへ。

今度はまた別の女医さんだったが、彼女には何度も診てもらっている。長男の話を聞き、カルテを読み、ロシア系の先生に電話をするために出て行った。

「私もspleen だと思いますが、外からではどれくらいダメージを受けたのかわかりません。ERでMRIをやってください。」

私はギョッとした。これっぽっちでMRI? しかもER? 

長男は過去2回もERに行ったことがあり、保険があってもERの使用料だけで500ドルだった(まだ年の初めで、年間の自己負担分に達していなかったため)。そこでMRIなんかしたら、いったいいくらかかるのか。

「なんでもなければいいんです。でも、もし内臓がやられていて大事になっては困りますから。こんなに長引いているのが心配なんです」と先生は続ける。

「ERじゃなくて、普通に病院にMRIの予約を取って行ってもいいですか」と、ER代をケチろうとする私は粘る。

「う~ん、なるべく早いほうがいいと思いますよ。MRIの処方箋を書きますから、それを持ってERに行けばすぐやってくれます。」

時計を見ると、4時過ぎ。

「いったん家に帰って、夕食を食べてからERに行ってもいいでしょうか」と私は質問を続ける。

ERでは何時間も待たされるのが常である。傷口の縫合とは違って、MRIはすぐに順番が来るとはかぎらない。日付が変わる前に帰宅できる保証もないのだ。空腹では(私が)耐えられない。

「いいですよ。でも、必ず、今日、行ってくださいね。それで結果を連絡してください」と先生は念を押した。私は小児科の指示を無視したことはないのだが、こんなときに自分の夕食の心配をする母親は信用されないのかもしれない。


       *


一刻の猶予も無いほどの重態でないのが何よりだった。

その日の夕食が何だったか、覚えていない。ERでの長期戦に備えて、文庫本や水、ミントをバッグに入れた。不覚にも、チョコレートの備蓄はなかった。

次男には自分でちゃんとやって、早めに寝ることを申しつけ(おそらく、これ幸いとゲーム三昧だっただろう)、夫にはERから電話するかもしれないからヘッドフォンを外すように頼んだ。

夫に代わりに行ってもらおうとは思わなかった。夫に任せると、なにかと話がややこしくなり、しかも肝心なことを抜かしたりするので、こういうことは私がやったほうが早くて確実なのだ。

行きなれた病院のERに向かう。暗くて寒い。ERの待合室にそれほど混んでいなかったが、ヒスパニックの家族連れが4~5グループいて、夕食を食べたのは正解だった。

トリアージュのナースに呼ばれ、痛みの度合いを聞かれる。1から10段階で、長男は6と答えた。

「えっ、そんなに痛いの? 2か3くらいだと思ってたわ」と私は驚いた。

「もっと痛いよ」と長男。

「じゃあ、それらしくもっと大げさに痛いって言ってよ。そしたら、順番が早く来るじゃない」などと不道徳なことを吹き込む。


        *


また待合室へ戻り、しばらくすると別の窓口に呼ばれた。

保険証を出し、書類にサインする。一刻も早く済ませたい私は、もうなんでもいいからサインする。ERで差し出された書類にサインしなかったら、治療は受けられないんじゃないだろうか。どっちみち、いつも同じような医療に関する書類である。

「これに記入してください」とクリップボードを渡された。連絡先や既往症、服用薬などを書く。

「いま飲んでる薬って、あの痛み止めの名前、なんだっけ」と記憶をたどるが、まったく思い出せない。薬のビンを持ってくるべきだった。家に電話するしかない。

長男を待合室において、外に出た。ERで携帯を使っていいのかわからない。

「テーブルに長男君の飲んでた薬があるでしょ。ERの書類に書くんだけど、ちょっと見てくれない?」と次男に頼んだ。

「わかった。えーと、C, Y, C」

「ちょっと待って。I なの、Yなの?」 屋外なのに音が小さいうえ、次男はもごもごしゃべる。

「Y。」

「もう一度最初からやって。AならA as in appleとか言ってよ」と私は注文を出す。しかし、次男はそういう言い方に慣れていないので、適当に思いつく単語を使う。

L as in London とかLarryと言えばいいのに、紛らわしい言葉を言う。寒いのと、長男がいつ呼ばれるのか気が気ではない私は、「ダディに替わって」と次男をクビにした。

夫のところに行ったはずの次男は、しかしまだ受話器を持っている。夫がそばで言うのを、繰り返す方法を取ったらしい。ところが、夫もまともな単語を出さない。

「それ、Pなの?Tなの? PならPeter,TならTomとかTokyoとか、そういうわかりやすい決まったい言い方、知らないの? そんな単語じゃ、おかあさんどっちかわからないじゃない」と怒った。

ネイティブスピーカーが2人もいて、なんでこんなことができないのだ。

私はあきらめて待合室に戻り、長男に携帯を渡した。そうして、やっとCyclobenzaprineというややこしい名前が判明した。

私のほうがERのベッドに横たわりたくなった。

あとになって、夫が使ったのはNATO Phonetic Alphabetだとわかった。それによると、たとえばLはLima、PはPapa。RとLの区別が難しい私にとって、リマはわかりにくい。それに、なんで突然パパが出てくるのか、理解に苦しむ。

(次回その2に続く)




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ERでMRI その2「忍耐」

2012.01.28 (土)


前回その1の続き)

思ったより早く中へ呼ばれた。しかもテレビ付きの個室である。

ERといえば、ドアの代わりにカーテンがかかっている大部屋が主体だが、この病院は近年増改築を続けたせいか、救急病棟も立派になった。もちろん、カーテン仕切りのベッドにいる人もいて、症状によって使い分けているらしい。

長男は普通に歩き、しゃべり、痛みレベル6の割にはなぜERにいるのかわからないくらいだった。

うちの子供たちはちょっとした切り傷や鼻血で大騒ぎなので、長男も普通ならレベル3程度の痛みを6と答えたのではないかという気がしてきた。なんにしても、個室はありがたい。

若い看護婦がやってきて、IVをセットした。

私は15年以上前にMRIをやったが、IVをしたのか思い出せない。記憶力の衰えが著しい昨今、そのころブログをしていなかったのが悔やまれる。

「あの~、ほんとにIVが必要なんですか。この子はMRIをしてもらうだけなんですけど」と疑いの目を向ける私。

「ダイ(造影剤)を入れるのに必要なんですよ。それに脱水症状にならないように」と、うるさい客には慣れてますといった風情の明るいナース。そして、熱を計ったり、脈拍を取ったりと、一連の基礎検査が続いた。

しばらくすると、Nurse Practitioner (一定レベルの診断や治療を行う資格のある上級の看護職)がやってきて、問診をし、血液採取用のチューブを6本もバラバラッとシーツの上に置いた。

「こんなに血液サンプルが必要なんですか」と私はいちいち尋ねる。

「全部はいらないかもしれませんけど、またあとでやり直すと時間がかかりますから、いっぺんにやります。」

つまり何本かは無駄になるかもしれないということか。こういうところで医療費が増えるんだろう。


         *


ときおりナースが様子を見に来たものの、それから2時間あまり、私と長男はERの個室でひたすら待った。長男はIVにつながれて寝たまま、私は椅子に座って本を読む。

ふだんテレビを見ないので、これといって見たいものはない。いい映画でもやっていないかとチャンネルを替えると、Food Networkが映り、Iron Chefから派生したらしいコンテストをしていた。

出演者は一応プロだが素人くさい。奇妙な組み合わせの材料が提示され、ゲテモノ趣味としか思えない。1回ごとに落伍者が出て、次のラウンドへ進む。採点するほうも、へたな芝居をしているようで、オリジナルの「料理の鉄人」とは天と地ほどの差がある。どの料理にも食指が動かない。なぜアメリカに輸入されると、えげつない番組になってしまうのか。

しかし、本は読んでしまったし、他の局はもっとくだらないものしかやっていないので、結局Food Networkで妥協した。

いつまでたっても、この奇妙な料理コンテストは終わらない。アメリカのテレビでよくある「○○マラソン」という、同じ番組のシリーズを半日でも1日でも再放送し続ける形式だった。

おかげで、脳みそが麻痺するほどヘンテコな料理を見る羽目になった。


        *


ERに着いてから何時間経ったか。

ようやくMRIの係がやってきて、説明を始めた。長男はIVにつながれたまま、ベッドごと通路に押し出され、エレベーターに乗り、放射線科に向かった。

MRIってこんなに大きかったっけ。私の記憶とは違うが、15年も経てば医学も進歩する。これはOpen MRIと呼ばれるもので、大きな部屋の天井にまで届きそうな巨大な医療機器だった。

高いだろうなあと思った。いくら請求が来るのか、考えるのも空恐ろしい。

私は通路に出て、技師が機械を操作するガラス張りのところからのぞいた。パソコンの画面が見えるが、素人にはさっぱりわからない。長男は体の向きを変えさせられて、いくつものイメージを撮った。

通路の反対側にはNuclear Medicine(核医学 )という看板の部屋があり、息も絶え絶えの老人と苦痛を訴える中年の女性がベッドに乗せられたまま、入っていった。すでに夜の10時を回っている。

医者も看護婦も技師も、ほんとうに大変な仕事だ。たまたま長男が怪我をしてERに来たから目にしただけであって、この病院では毎晩こんなふうに病人の世話をしているのだ。

MRIはわりと早く終わった。別のナースが来て、長男のベッドをゴロゴロ押しながら、個室に戻った。

「MRIの結果は、ドクターがご説明します。ここでお待ちください。」

再びテレビをつけ、ひたすら待つ。ERは忍耐である。

その間にも廊下では新しい患者が到着する気配がした。私は退屈紛れに個室を出て、あたりを歩いた。

もし脾臓がやられていたらどうしよう。空手の先生は、生徒の体をもっとしっかり把握できないのだろうか。空手教室に参加するときに、「怪我の可能性は承知している。空手教室を訴えない」という契約書に署名した気がするので、訴訟はできないだろう。

MRIの結果によっては、もう空手は辞めさせようと思った。


        *


看護婦が来てIVを外してくれた。

当直の医者が来たのは、11時。

かなり高齢の先生で、話が回りくどく、結局どこがどう悪いのかさっぱりわからない(あとで長男もよくわからないと言っていたので、私の英語能力の問題ではない)。

「うーん、なんと言えばいいかなあ。お腹には、まあ太い血管と細い血管がある、と。MRIで見ると、どうもその細い血管にbruise(打撲、あざ)が見えるんですな。空手ですね。パンチをくらったときに、細い血管が傷ついたということでしょう。でも、切れてるんじゃなくて、ほら、手足もぶつけると内出血して青くなるでしょう。まあー、それと同じようなもんですわ。」

どれくらい深刻なのか、これでは皆目わからない。

「血管にあざがあるだけですか。脾臓じゃないんですか。小児科でそう言われて、てっきり脾臓がやられたと思ってたんですけど」と私。

「脾臓じゃありませんな。臓器の周りの細い血管です。太い動脈だったら大事ですが。治療が必要な状況ではなさそうなので、まあしばらくは空手を休んで、あまりおなかに力を入れないように。」

「いつ治るんですか。」

「普通のbruiseとおなじですよ。ま、2週間といったところですかなあ」とのんびりした答えがくる。「念のために、専門家にMRIの結果を見てもらったほうがいいでしょう。vascular surgeon(血管外科医)です。」

ER+MRI+血管外科のスペシャリスト。 頭の中で、クレジットカードの残高が一挙に膨らむ。


         *


実際の会話はこんなにスムーズではなかった。

私は話下手なお医者から答えを引きずり出すべく、あれこれと質問した。これまでERのお医者さんはテキパキして、さすがに忙しいERだと感心したが、こんな手間取るお医者で大丈夫だろうかと心配になった(医療者としての能力はあるのだろうが、いかんせん説明が不明瞭すぎる)。

やれやれ、やっと解放されると思いきや、「血液検査の1つがまだ結果が出てませんから、待ってください」とナース。

「いや、ただのbruiseだそうですから、血液検査は要りません」と言いたかったが、いったん発注した検査が終わるまで、退院させてはいけないのだろう。

再び、長男と待つ。もう服も着替えて、帰宅準備万端。

ナースが来たのは、それからさらに30分後。

私は書類のあちこちにサインし、コピーをもらい(血管外科医の名前と電話番号が書いてあった)、ナースにお礼を言って、ER病棟を出た。

患者はまだ何人もいた。お医者と看護婦の夜勤はいつ終わるのだろうか。付き添っただけで疲労困憊して、すぐにベッドにもぐりこみたい私にはとうてい勤まらない。

家に着いたのは、真夜中の12時である。

(次回その3に続く)




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ERでMRI その3「会計」

2012.01.29 (日)


(前回その2の続き)

次男はすでに寝ていたが、夫は起きていた。

長男がMRIの結果を説明している間に、私は翌朝学校に持たせるためにERの診断書をコピーし、PE(体育)の先生にあてて手紙を書いた。体力のない私は、もうクタクタだった。

それでも、次男が薬の名前を読み上げたときの文句を夫に言うことは忘れなかった。

「なんであんなややこしいこと、させたの。なんで普通の方法でやらないのよ?」

「ややこしくないよ。NATOが採用してるやつだし。グーグルして、ちゃんと見てやったのに」と夫には反省の色がない。


        *


翌朝、ERで教えてもらったVascular Surgeon(血管外科医)に電話した。

「昨日、息子がP病院のERでMRIをやったんですが、ドクターCの予約は取れますか。できれば今日。ERからドクターに連絡が入っているはずなんですけど」と、私はこの際、一挙に片付けようと思う。

「いつ来られますか」と受付の女性。

「授業が終わってから、3時過ぎは空いてますか」と尋ねると、「ちょっとお待ちください」と保留にされた。てっきり予約表を調べているのだと思った。ところが、

「いま、ドクターCと代わります」と言われて驚いた。

「ハロー、今朝MRIの結果を見ました。わざわざお出でになる必要はありません。ただのbruiseですし、今は特に治療できることはないですね。しばらくお腹に力をいれないように。もし悪くなったらまた電話ください」とドクター。

同じことでも、専門医に言われると安心するものだ(もしかして、院内メモに「この母親は心配性で、医者を質問攻めにするので要注意」などと記載してあったのか)。なんにせよ、これ以上医療費がかからないのは嬉しい。

ドクターCのオフィスは病院内にあったため、連係プレーで昨夜のうちにすべてのデータが送信されていたらしい。素晴らしきテクノロジー。


        *


私と長男がERにいた間に、空手の助手から留守電が入っていた。

先生から直接何も言ってこないことに夫は腹を立てていたが、私は武道のセンセイと言ったって、そんなもんだろうと最初から期待していなかった。明らかに練習中の怪我だったが、先生の一撃をくらう前に自分の体調不良を申告すべきだったという長男の非もある。

しかし、あの一撃がなければ、ERに行かなくて済んだだろうし、もともとあったらしい打撲が悪化しなかっただろうとは思った。

その夜、長男が空手教室に電話すると、受付の女性は心配してくれたが、「座って見ているだけでもいいので、できれば来なさい」と先生が言っているとのことだった。

私は行かせなかった。

その後、今日に至るまで、私は空手の先生と直接話したことはない。長男は1月から少しずつ練習に参加し始めた。春の黒帯試験は受けない。そして、高校卒業と同時に辞めさせるつもりでいる。


        *


さて、例によって「お会計」である。

郵便で届いたEOB(Explanation of Benefits 保険給付金支払い明細書)を開いて、卒倒しそうになった。

ERでの合計金額は$6,984

内訳で一番高額なのは、もちろんMRIで(なぜか書類ではCTスキャンと表記)$5,389。

次はER使用料で$659。

項目にはERとだけ書いてある$110が3点で合計$330.血液検査が7点あり、19ドルから151ドルとバラついている。採血手数料が$58。薬$3。薬をもらった覚えはない。造影剤にしては安すぎる気がする。

これで$7,000近い請求となった。

しかし、保険会社と病院との契約によるディスカウント分$6,052.33が差し引かれ、保険会社から病院への支払いが$745.33なので、最終的にうちの個人負担額は$186.34。

これも2011年も終わりかけた時期だったため、それまでの医療費で年間自己負担額の規定を満たしていたせいである。

もちろんこれだけでは済まない。MRIの技師への支払いが$647(うち、自己負担分は$29). わかりにくい説明をしてくれた年配の医師への支払いが$550(同$31)。

もし無保険だったとすると、$6,984+$647+$550=$8,181をすべて自費で払うことになる。

1ドル100円で81万8,100円(今のレート1ドル76円で換算すれば62万円だが、アメリカにいてドルで支払うときに影響があるのか? 面倒なので、私はいまだに1ドル100円)。


       *


夫の健康保険がまだあってよかった。

オバマ政権になってからの、医療保険改革はその後どうなったのであろうか。

景気がもう少し上向けば、また健康保険の話が前面に出てくるのか。私は大統領選の行方は特に熱心に見ていない。共和党内部で醜い抗争をしていて、このままダメそうな奴が共和党の候補になるのを待っている。そして、オバマが再選し、健康保険を今度こそどうにかしてもらいたいと思う。

長男にERの値段を当てさせた。前回のER利用で1回500ドルと教えてあったが、MRIは見当もつかなかっただろう。

「2,000ドル?」と20ドル札基準の長男にしては大きく出た。

「6,984ドル。」

「ええええーーーーっ!」

「…で、うちが払わなくちゃいけないのは186ドル。いやー、保険があってよかったわー。」

「あー、びっくりした。お母さん、それを先に言ってよ」とまだショックを受けている長男。アメリカの高額医療費については、子どものころからこうやって叩きこんでおくべきである。

「健康は宝なり」というが、アメリカでは文字通りそうなのだ。

少しばかり小金を貯めていても、ちょっとハイテク検査をすればたちまち消える。今回は検査だけで、治療が不要だったからまだしも(それでも高額)、これで専門医にかかって精密検査をして手術なんてしていたら、破産してしまう。

世界一の金持ちであるはずのアメリカで、国民皆保険が存在しないという事実。ソ連亡きあと唯一の超大国として、外国に口を挟んだり、手を出したりしている。あるいは中絶がどうの進化論がどうのと、くだらない議論をしている。

一小市民の私は、そんなことより健康保険が先なんじゃないのと苦々しく思う。

もっともアメリカ市民の中には、国民皆保険は社会主義の始まりだという保守派プロパガンダに洗脳され、政府には保険加入を強制する権利はないと主張するパーも少なくない(自分は医者にかかったことなんかないし、これからも病気にならないなどとほざく)。

まったくどうしようもない。




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まだ終わってなかった大学受験

2012.01.31 (火)



先週はハイスクールのmid-term exam(中間試験)だったので、長男も次男も自分の科目があるときだけ登校すればよかった。それなのに、2人とも毎朝定時に出かけて、夜は最後のバスに乗り、帰宅は5時半。

「毎日、何やってるの?」と聞けば、「友だちと何かやってる。カードとか。それと、友だちがステージやるの、みんなで手伝ってる」と言う。

そんなことしてないで勉強すればと思うが、仲良くしてくれる子がいるのはありがたくもあり、家でゴロゴロされるのもうっとうしい。長男が1校は合格したことで私も多少はリラックスできて、見逃してやっていた。

長男には毎日「どっかからメール来た?」と確かめ、郵便物もよく調べ、他の3校からの返事をソワソワと待つ。

子どもたちはもっぱらチャットとスカイプ、長男はそれとフェイスブックなので、メールはあまり使わない。私が送るメールだって、いつ開くかわからない。「今、お母さんがメールしたから、ちゃんと見てね」といちいち口頭で伝え、「読んだ?」と確認せねばならず、なんのためのテクノロジーかとあほらしくなる。

ふだんはジャンクメールしかなくても、これから大学進学に向けて大事なメールが届くのだ。当分は真剣にチェックするだろうと思った私が甘かった。


         *


金曜日の午後、弟より早めに帰ってきた長男に、また「メールちゃんとチェックしてるでしょうね?」と念を押した。「うん」と返事だけはいい。

そして、シャワーに入ったり、おやつを食べたり、夫とくだらない話をしたり、「明日か明後日、カードのトーナメントに行ってもいい?」などと私にお伺いを立てに来る。

夕食が終わってパソコンを開くと、ボストンのA大学からのメールが長男から転送されていた。題名はapplication update。私の受信箱に届いたのは午後5時11分。すでに8時過ぎだったが、長男はこのメールについて何も私に言っていなかったので、受験者全員に送る単なるお知らせだろうと思った。

メールを開けた私は青くなった。

エッセイと1学期の成績が未提出です。必要書類がすべて出そろった時点で、選考プロセスを始めます。

私は長男を大声で呼びつけた。

「これ、なに?! どうしてこんな大事なメールをお母さんにポイッて投げとくの? わたしに送ったのは5時ちょっと過ぎでしょ。どうしてすぐに大学に電話しなかったのよ。だいたい大学は水曜日の朝11時に出してくれてたじゃない! だから、毎日メールをチェックしろって言ったでしょ。もう金曜日の夜8時なのよ! 間に合わないじゃない。土曜日と日曜日があって、月曜日になったら1月終わりになっちゃうじゃない!」と私はわめき散らした。

長男は涙目になり、事情を知らない夫は「なんだ、なにがあったんだ?」と遠くから聞く。

私は夫を無視して、「とにかくメールの返事をすぐ書きなさい。エッセイもオプショナルじゃなくて、もう書くの! 成績表はもう一度ガイダンスから出してもらう!」と立て続けに命令をした。

怒り心頭に達したところへ、また長男からメールが届いた。

今度はフィラデルフィアのU大学である。こちらの送信時間は金曜日の午後4時半だったが、「推薦状が未提出。ポートフォリオのレビューも必要」。

残り3校のうち、2校がこんな状態だったのか!

合否の連絡どころではない。長男の大学受験はまだ終わっていなかったのである。


        *


成績表や推薦状の送付は、高校のガイダンス・カウンセラーの管轄。

これだけネットが浸透しているのに、大学によっては郵便で送らないといけない場合が少なくない。私はどこに何を再送してほしいかをガイダンスの先生にメールしておくことにした。そして、長男には月曜日の朝一番にガイダンス・オフィスへ行かせる。

こんな重要な書類がどうして簡単に迷子になるのだろうか。

何千通も願書が届くとはいえ、ガイダンスもアドミッションもそれが仕事じゃないのか? まったくアメリカ人のやることには油断ならない。

U大学のポートフォリオ・レビューに関しては、大学に直接来られない場合はオンラインでもよいと書いてあった。長男が自分の絵をアップロードしたとき、大学のアドミッション・オフィスにメールさせたのだが、いったいどうなったのだろう。

A大学のエッセイについても腑に落ちない。

再び大学のサイトで調べたところ、エッセイ免除の条件が変わっていた。「個人で予約を取り、大学内でアドミッション・オフィサーがレビューした場合のみ」と厳しくなっていた。ほんの2週間前までは、A大学でリビューした場合という緩やかな規定だった。昨夏のオープンハウスでディレクターに30分も作品を評してもらった長男は、その規定を利用したのだ。

よっぽどエッセイの提出率が低かったのだろうか。それにしても、なぜもっと早く連絡をくれないのだろう。

A大学は奨学金を一番もらえそうで、しかもボストンにある。マンハッタンのS大学がどうも気に入らない私にはそっちのほうがいいのだ。U大学も、残りの1校M大学よりは合格率が高そうだったのに。

「ぼく、もう今日と明日のゲームのトーナメント行かなくていいよ」とまだメソメソしている長男。

「あったりまえでしょっ!」と私の機嫌は悪い。


       *


あいかわらず非常に稚拙なドラフトから、編集すること8回。

やっとこれならというのができて、次男に読ませると、私が直した英語一ヶ所が不自然だという。そして、「gleam(キラリと光る)じゃなくてglean(収集する)だよ」と間違いを見つけてくれた。どちらの単語もあるので、スペルチェックに引っかからず、私は気がつかなかった(長男本人は指摘されたあとも、そうだっけ?と頼りない)。ああ、危ない。

また修正し、最終版を夫に見せると、さらに二ヶ所あった。一つは表現がまどろっこしいので、簡潔に。もう一つは、「傲慢不遜に聞こえる」ので、中立的な言い方に。

完成したのは日曜日の午後2時。

そして、夫は3時から始まるカードゲームのトーナメントに子どもたちを連れて行った。うちから北へ35分。おそらく夜7時までは帰ってこない。

久々に一人になれるのはうれしいものの、こんなに抜けている長男が果たして大学でやっていけるだろうかと本気で心配になった。


       *


それにしても作文が下手すぎる。

ツイッターやチャットのせいで、アメリカ人も長い文章が苦手になったと聞くが、まがりなりにも(家が一軒買えるくらいのお金を使って)高等教育を受けようとする人間がこの程度でいいのか。

最初のドラフトがひどかった。推敲の跡がまったく見られず、ピリオドやコンマの使い方もおかしいし、同じ言葉を何度も使い、同じことを何度も書く。キンダーガーテンから12年間、いったい何を勉強してきたのだ。夫は私の要求度が高い、自分もハイスクールのときは書くのが下手だったと長男をかばうが、そういう問題ではない。

なによりも、あれほど大事で急を要するメールを私に転送してほったらかしたことが信じがたい。

「あの子、私を私設秘書だと思ってるんじゃないの?」と夫にこぼした。しかし、夫もそうなのだ。自分の仕事以外、なんでも私に任せる。ほっておくと話が進まないので、私がやる。夫のことはあきらめた。今さらどうにもならない。

あと半年で家を出る子どもに、今からどうやって自助精神を植えつければいいのか。


        *


補習校に、私より少し年上の知り合いがいた。

ご主人のアメリカ駐在が10年以上になり、彼女のお子さんはすでにハイスクールで、アメリカのカレッジに進むということだった、ご夫婦とも日本人で、奥さんはあまり英語ができない。「娘には、ママ、アメリカの大学のことなーんにも知らないから、自分でやってって言ってるの。謙遜じゃなくて、ほんとにぜんぜんわからないんだもん。kometto3みたいに英語できないしね。」

「私だってアメリカの大学に行ったことないし、SATも何にも知らないわよ」とそのときは答えたが、結局、私が調べて全部お膳立てしているではないか。大学への返信メールすら、私が添削する。そのままでは出せないほどひどいのだ。

これはよくない。

よくないが、現実問題、長男はそれほどのんびり、ぼんやりしている。キンダーガーテンの担任に指摘されたときには、まさかハイスクール・シニアになってもそのままだとは思わなかった。三つ子の魂百までと言った先人は正しい。

一度は痛い目にあればシャキッとするだろうか。

男の子は女の子より育つのが遅いと赤ちゃんのころから聞き、うちは男の子2人でいまだに15歳なのか5歳なのかわからないようなところがあるのだが、「いったいいつになったら育つのよっ」と、金曜夜からの予想外の展開に私は憮然となった。

先週から風邪気味だったのと全豪オープン観戦の睡眠不足もあり、どうにか片付いて気が抜けたせいか、4時頃から寝込んでしまった。

夕食を食べ損なった猫たちもいい迷惑である。


<今日の英語>  

It was a shot in the arm for women's tennis.
女子テニスにとってのカンフル剤でした。


シャラポワをストレートで下し、世界ランク一位の座も手に入れたアザレンカの勝利を評したジャーナリストの一言。実力のある若手の台頭で、女子テニスも元気が出るか。文字通りには、腕に打つ注射。




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ツイートの当惑

2012.01.31 (火)



SNSに縁のない私だが、ツイッターのアカウントは持っている。

去年の大震災後に何かできることはないかと考え、ブログだけでなくツイッターをすればもっと効率的に情報を流せるかもしれないと思った。でも、結局一度も使わずじまいだった。

すでにたくさんの有益なツイートがあったし、140文字という制限は私のスタイルに合わなかった。書きたいことは長々とブログに書いた。ツイッターのログを保存する方法を採用すればいいのだろうが、ブログがゆったり流れる大河だとすると、ツイッターは狭い急流で、つぶやく一方から押し流されて泡と消えていくイメージがある。

そんなこんなで、アカウントは残したものの、ツイートする意味が見い出せないまま、ほったらかし。

それでも世の中は確実にツイッターへ移行しつつあるようで、誰かのブログを開いて、記事がツイッターの集約だけだったりするとがっかりする。私には切れっぱしの寄せ集めに見えて、物足りない。


         *


フェイスブックのアカウントは作っていない。

カリフォルニアの義母はフェイスブック信者なので、ことあるごとに「フェイスブックやりなさいよ!楽しいわよ。みんながどうしてるか、すぐわかるし、写真も載せられるし。長男君は私をフレンドにしてくれたわよ」と私をしつこく勧誘する。

いや、まさにそれがうっとうしくていやなんです。

私も慣れっこで、「あれはどうも私に合わないですねえ。別に書くこともないし。だいたい私は怠け者ですから~」とはぐらかす。何度もこんなやりとりをしているので、脚本ができあがった。

義母は私がブログをやっていることを知らない。「あっらー、ブログやってたの。じゃあ、フェイスブックもやったらいいのに」となりそうで、公表する予定はない。


          *


調べ物をしていてグーグルすると、私のブログが検索結果に挙がってくることがたまにある。

ドキッとするが、「検索で偶然このブログを見つけました」というコメントもわりと来るので、そう驚くことではない。どうでもいいような匿名の個人ブログだって、しっかりとインターネットの網にからめとられているのだ。

しかし、自分の書いたものを「お探しの情報はこれでしょう」と示されても困る。

テニス肘の治療法であろうと、アメリカの学校に関する問題であろうと、私は自分が知らない新しい情報を求めているのである。インターネットは知識の宝庫なのに、なんでこんな個人ブログ、しかも検索している本人のブログを抽出するのだ。

次男は、「お母さんが自分のブログによくアクセスするから、グーグルがじゃあこれを上に出そうって考えるんじゃない?」とわかったような、わからないようなことを言う。そこまでデータ解析するなら、「今このパソコンでxxを検索しているのは、このブログの管理者であるからして、彼女は自分のブログ以外の情報を集めたいにちがいない。他のサイトからよさそうなものを選んであげよう」くらいの知恵を働かせないのか。

ただし、そこまで調査済みというのも気持ちが悪いかもしれないと、ユーザーはかくも自分勝手である。


          *


SNSにもツイッターにも縁のない生活をしていたつもりだったが、先日、予期しなかったことが起きた。

ある検索をしたら、やはり私のブログが出てきたが、見慣れない結果だった。一つをクリックすると、私のブログでなく、ツイッターへ飛んだ。私のツイッターではない。私のツイッターは空っぽだから、検索に挙がりようがない。

それは誰か知らない人のツイッターで、「こんなことを書いてる人がいる」というようなつぶやきがあり、私のブログアドレスがコピーしてあった。それをまた誰か知らない人がリツイートしていた。

そういうツイート結果がいくつかあった。

私はツイートしていないのに、いつのまにかツイートされていたのか!

私のツイートアカウントは開店休業状態なので、私宛に発信しているのではない。私のブログを読んで、誰かがそれについてつぶやいたというだけのことだ。よく考えれば、じゅうぶんありうることなのに、私にはショックだった。

次男に「ねえねえ!誰かがお母さんのブログのこと、ツイートしてたのよ!」と興奮して報告すると、「どういうツイート?」とごく冷静な反応が返ってきた。

「どうって言われても、こういうことを書いている人がいますって。お母さんのブログのURLが張ってあって、それでまた別の人がリツイートしてたみたい。ぜんぜん関係ないことサーチしてたら、出てきたのよ。」

「お母さんがよくアクセスするURLをグーグルが知ってるからじゃない?」と前と同じようなことを言う。

そうなの? なんだか騙されたような気がする。

たまたまツイッターという私には縁のない媒体だったので驚いたが、これまでも他のブログで私の記事について書かれたのを読んだことがあるし、<今日の英語>をそっくりパクッていたのを見たこともある(私の英語が間違っていたらどうするつもりだ?)。

ネットに書くものは書いた本人が知らないうちに勝手に一人歩きを始めるのだと、改めて思い知った。


<今日の英語>  

Any luck?
うまく行ったか?


次男にあるコンピュータ・プログラムを試すように指示した夫。階下にいた次男からなかなか報告が来ないのにしびれを切らして、自室から呼びかけたときの一言。丁寧に言いたければ、Have you had any luck yet?




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