イナバの白いラビット

2011.10.11 (火)


5月、オーブンから取り出したフライパンの取っ手を素手でつかみ、左手にひどい火傷をした(その話はこちら)。

痛みは一晩で引いたものの、指を触ると、火傷の部分がゴワゴワした。医学サイトでは、そのうち水疱になって破れると書いてあったが、1週間してもその気配はなかった。このまま火傷の下に新しい皮膚ができるまで、ゴワゴワ部分が保護シートのように残るかもしれないと思った。

しかし、そうは問屋がおろさなかった。

過去に大勢の人が火傷をした結果、医学は火傷の治癒経過について結論を出したのである。私だけが例外になるわけがない。

ある日、気がつくと、ゴワゴワは消えていて、明らかに表層のない皮膚が見えた。ツルッとしていて、濃いピンク色だった。

まさに赤ムケ状態

火傷直後の眠れないほど強い痛みとは違うが、敏感な指先はヒリヒリする。

ゴワゴワはいつどこへ消えたのかわからない。シャワーで流れたのか、手を洗っているうちに少しずつ溶けたのか。

たった1枚(?)の皮膚がないだけで、こんなに過敏になるのだ。


      *
      

それでもご飯のしたくはせねばならない。

子どもたちに手伝わせても、結局かなりの部分は私がすることになる。

「これが日本だったら、スーパーのお惣菜かコンビニでお弁当を買ってくるんだけどなあ」と次男に恨み言を言った。うちの近所で手に入る出来合いの品を考えると、手が痛くても作ったほうがマシなのだ。

「赤ムケって言うけど、本当に赤いのよ。因幡の白兎も赤ムケになって泣いてたけど、気持ちはわかるわ。因幡の白兎って知ってるでしょ」と私。

子どもたちが小さいとき、ヤマタノオロチやイザナギ・イザナミなど、基本的な日本の神話は読んで聞かせたはずである。

しかし、次男は忘れていた。

「白いウサギがいて、皮が剥がれたのよ。そしたら、通りがかった神様がフカフカの草でゴロゴロしたら治るって教えてあげた話。神様はサンタクロースみたいな大きい白い袋を担いでいるのよ。あの袋の中に何が入ってたのかしらね。どうして皮が剥がれたかというと、…あれ? 何があったんだっけ?」

私の記憶も怪しくなってきた。

もともと私は神話や童話の話がごちゃごちゃになりやすい。西洋の話でも、いろんなお姫様が混じって収拾がつかなくなることがある。

「その神様が来る前に、海に入って治そうとしたのよ。塩水だから痛いじゃない? 馬鹿じゃない?」と説明を続けながらも、思い出せない。

Googleの出番である。

もはや私はGoogleに記憶作業を委託しているようなものだ。わからないときは検索。答えはすぐに見つかるが、私の頭には残らないので、記憶力は後退の一途となる。

「あ、わかった。なーによ、ウサギが悪いんじゃないの。それに、海に入れって言ったのは悪い神様だったんだわ」と記憶がよみがえる。

次男はそれでも思い出せなかった。私があれだけ時間と労力をつぎ込んで読んでやった日本語の本は、いったいなんだったんだろう。


      *


翌朝、次男が何の脈絡もなく言った。

「遊戯王にイナバ・ホワイト・ラビットっていうカードがあるよ。」

「なんで昨日言わなかったのよ?ほんとにあの因幡の白兎なの?やっぱり赤ムケなの?」

「昨日は思い出してなかったの。だって、ジョーが持ってるの。ぼくは持ってない。」

遊戯王にはそれまでも小難しい説明が出て、私は子どもたちの質問にしばしば答えた。

しかし、因幡の白兎を持ち出すとは、遊戯王のメーカーもアイディアが尽きてきたと見える。

次男は自分のパソコンに打ち込み、「おかあさん、これだよ。Inaba White Rabbitって。」

遊戯王は英語でも日本語でも私には理解不可能。だいたいあの細かい字を見ただけで、放り出したくなる。

次男のパソコン画面を見ると、なるほど白いウサギだった。しかし、餅つきをしている。カード作成者は、神話や説話をテキトーに組み合わせたらしい。これ以上、混乱に拍車をかけるのはやめてもらいたい。

いくら私の記憶が怪しくても、因幡の白兎は絶対に餅つきをしなかったと断言できる。

「あの赤ムケになったウサギは、お餅なんかついてないわよ。お餅つきは月のウサギがやるの。別人よ」と次男に説明しながら、私も混乱してきた。

それにしても、「ホワイト・ラビット」ではピーター・ラビットみたいな外国種を連想してしまって、日本神話とイメージが合わない。


       *


あとで長男にもこの話をした。

「ねえ、因幡の白兎って知ってるでしょ。あれ、遊戯王のカードになってるのよ。ほんとにイナバ・ホワイト・ラビットっていう名前で。イタリア語だとビアンコで、スペイン語だとブランコで、ドイツ語ではヴァイスで、アラビア語もあったわよ。あんなの、世界中でやってんのねえ。でも、ホワイト・ラビットって変じゃない?」

「遊戯王には日本のキャラクターがいろいろあるんだよ。日本人が作ったゲームだから」と長男。

「あんたは因幡の白兎の話、知ってるでしょ。神話の本を読んだでしょ。ウサギが川向こうの島に行こうと思って、鮫をだまして並ばせるのよ。それでもう少しで向こう岸にいけるところで、『やーい、騙された』って言ったら、怒った鮫に皮を剥がされるの。」

長男のほうが日本語の本をたくさん読んだはずだし、漫画も好きだった。少しは覚えているはずだ。さもなければ、私の努力は無駄だったことになる。

「あれ、鮫じゃなくて、ワニだよ。それに、川じゃなくて海じゃない?」

日本にワニがいただろうか。赤ムケの肌にしみるんだから、やっぱり塩分のある海か?

もう一度調べたら、「鰐鮫(ワニザメ)」という言葉があったらしい。島も、隠岐島、あるいは「沖にある島」を漠然と指すなど、諸説あるのだそうだ。

まことに昔話は奥が深い。

私は長男が細かいことを覚えていたのに驚いたが、絵が好きな子なので、ワニ(鮫)が並んでいるところがしっかり記憶に残っていたのではないかと思う。

これ以後、私の火傷の赤ムケは「因幡の白兎」と呼ぶことになった。


<今日の英語>  

You want to be in the right lane.
右車線にいたほうがいい。


運転している私に夫が一言。やっぱりネイティブ・スピーカーだなと思うのは、こういうなんでもない表現を聞くとき。
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