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なんとか復旧

2011.09.04 (日)


カリフォルニアから戻ったのが、水曜日の午前1時。

ハリケーンのせいで日曜日から停電していたことはわかっていた。電力会社は金曜日の午後6時に復旧見込みだと広報していたが、木曜日の午後遅くには戻った。彼らはかなり遅めに見積もる。便利な生活で甘やかされた顧客の苦情をむやみに招かないためである。

しかし、冷凍庫の中身はほぼ全滅した。

1週間家を空ける前に冷蔵庫は整理しておいたが、旅行の直後に買出しに出かけなくてすむように、冷凍庫にはかなり詰め込んでいた。

もったいないと思いつつ、捨てた。もしかしたら大丈夫かもしれないが、万が一食中毒にでもなってERに担ぎ込まれたら、それだけで500ドルである。

冷蔵庫でもジャムや未開封の食品以外は、微妙に腐敗が進んでいた。電気の通らない冷蔵庫の中は、バクテリアの繁殖に最高の環境じゃないだろうか。

おかげで冷蔵庫の大掃除ができたが、スーパーに行っても食べ物が買えない。次の停電がいつ来るかわからない。また大量廃棄はごめんである。


         *


予告より1日も早く電気が復旧するとは思わず、その日は近所のわりと新しいダイナーにブランチを食べに行った。

初めての店だったが、いつ見ても駐車場は混んでいて繁盛しているらしかった。多少の期待はあった。そうでなくても、なにしろ家では停電で紅茶一杯飲めないのだから。

夫はそのあとでWi-Fiのできる場所を探すと言い、私の新しいパソコンを要求した。夫はデスクトップしか持っていない。私が日本語でブツブツ言ったことから、夫が怒り、ダイナーではウェイターへのチップのことで口論し、私は二度とあのダイナーには行かないことをひそかに決めた。

結局、夫は本屋で2時間も過ごし、その間に私は買い物に行き、さらに夫と長男をスターバックスへ移送し、次男とだけ帰宅すると、電気が点いていた。

夫にテキストするも、返事がない。とんぼがえりでお迎えもめんどくさいし、いつまた停電するやもしれず、次男も私もあわててシャワーに入った。蛇口をひねるとお湯が出るありがたさ。

しばらくして次男に電話させると、夫が出た。

また車を出し、夫と長男をお迎え。私はダイナーからの不快を引きずったまま。夫は機嫌が直ったらしく、一人でぺらぺらしゃべるのを運転手の私は無言で聞く。

夜になって、夫は私の部屋にやってきて、「この話題は出したくないんだけど」とぼっそり言った。

ルーマニア女にコーディングだかなんだかの仕事をさせるために$500必要なのだそうだ。それだけ引き落としたら残高は$11になること、次の大きな入金は2週間後であることを夫に説明した。

子宮筋腫の手術や旅行で、クレジットカードの使用額が毎月ウン千ドルを超えている。

何を思ったか、夫は自分の財布から$20札を2枚、私に持ってきた。カリフォルニアで使わなかった現金の残りだそうだ。

今のところ、$500はそっくり銀行に入ったままである。すぐにでもルーマニアへ報酬を送金しないといけないような話だったが、夫には創作の才能がないらしい。


           *


そして、翌日は寝込んだ。

フィラデルフィアの疲れが取れないまま、カリフォルニアへ飛び、1週間も(私なりに)気を使って舅姑と過ごし、夜中にNYへ戻ったのである。機中で飲んだ精神安定剤だってまだ体内に残っている気がするし、3時間という微妙な時差ぼけも取れない。

それなのに、小児科での検診があり、図書館に本を返さねばならず、学校が始まる前に子どもたちに散髪させねばならず、ここ2週間ほど急に「おなかがすいた」が口癖になった長男のために食料を買い足さねばならなかった。

ベッドでゴロゴロする贅沢はできるものの、フィラデルフィアのころからの肩こりがしつこい。Advilを毎日2錠服用してごまかす。腕は上がるので、五十肩ではなさそうである。

新年度の初日は9月7日。なぜ6日に始めない?

小学校のように文房具を買い揃えることもないが、長男には新しいバックパックを買った。大学でもこれを使うように。いよいよ大学への願書提出が迫っているのに、長男はわかっているんだか、いないんだか。私一人でヤキモキしている。

明日は長男のガールフレンドのために家でサプライズ・パーティをするのだそうだ。

「おかあさんはグランマのケーキを作るだけでいいよ」と長男。カリフォルニアで義母が作ってくれたケーキが気に入って、それをみんなに食べさせたいらしい。

私に負けず劣らず、長男も自分勝手である。

そして私はUSオープンを見ながら、ダラダラとネットをしている。電気は復旧したが、私はまだ完全に復旧していない。明日、ケーキが供されるかどうかの保証はない。


<今日の英語>  

That's hardly anything.
それじゃあぜんぜん足らないわ。


たまねぎを刻んでいた私に、義母の一言。ほとんど何もないも同然。
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初ペットシッター

2011.09.05 (月)


カリフォルニアにいた8日間、猫たちはペットシッターに頼んだ。

これまではいつも獣医に預かってもらっていたが、2年前、私が子どもたちと日本にいたときに義父が入院し、夫が急きょカリフォルニアへ飛ぶことになった。猫を獣医に連れて行かねばならない。ところが、夫は妹猫をつかまえられず、3時間も格闘したあげく、夫の腕には深い傷跡が残った。

そのとき何日間預けたのか忘れたが、日本への往復切符が買えるくらい請求された。

それで、今回はペットシッターを試すことにした。

不在時に他人を家の中に入れるのはいやだが、猫を捕獲するのも大変だし、妹猫は車酔いするし、獣医のところではあまり食べないらしくやつれる。なによりも、獣医より安くあがりそうだ。旅行の前日と翌日分は不要だし、直前の忙しいときや帰宅して疲れた翌日にお迎えに行かなくてすむ。

地元の無料新聞にいくつか広告が出ていたのをネットで検索し、一番ビジネスライクなところにした。こういうのは信用商売だから、同じ町の人間に頼んだほうがいい。

メールするとすぐに返事があり、事前にお伺いしたいという。


        *


土曜日の朝8時ピッタリに現れたのは、中年の白人女性二人組、メアリとスージー。

「すてきなお住まいですねえ」と殺風景で掃除も手抜きの我が家をほめる。

二人ともうちと同じ高校に子どもを通わせていることがわかった。「あの人の家はねえ、…」などと噂されそうな気がしたが、もう私はそんなことはどうでもよくなった。そもそも最低限の人付き合いしかしていないのだ。そんな噂が私の耳に届くこともない。

私は必要と思われる情報を書き出しておいたが、それとは別に、契約書や猫についての情報を記入するシートを何枚も渡された。特に犬に関しては、預けるほうも預かるほうもいろいろ細かい取り決めが必要らしい。万が一、病気または死亡した場合にどうするかという質問もあった。

私は、食べ物と水とトイレの世話、そして猫を家から出さないように、郵便物をまとめて台所に置くようにとだけ頼んだ。うちはスージーが担当するという。

だいたいうちの猫たちは臆病で、玄関のベルが鳴る前に地下室へすっ飛んで行って、身の安全が確認できるまで出てこない。スージーは猫の姿を見ないで終わる可能性が高い。

カリフォルニアへ発つ日の夜から、帰宅する日まで1日2回来てもらいたいと言うと、メアリは「そうすると、15回の訪問で計300ドルです。」

それでは獣医と変わらないではないか。確か、あちらは1匹につき1日18ドル。

動物の数に関わらず、1回の訪問につき20ドルなのに、なぜか1日20ドルと私は思い込んでいたのだ。すっかりやる気満々の彼女らを前に、「じゃあ、1日1回だけでいいです」とは言いにくい。

とっさに思い浮かんだのは、「この場はそれで頼んでおいて、あとからメールで連絡しよう。夫がそれじゃあダメだと言ったとかなんとか。」 

こういうとき夫は役に立つ。

本人が知らないうちに悪者にされているご主人は、うちだけではない。そういう私も夫のちょっとした口実に利用されているだろうし、お互いさまである。

「夫と私の間にちょっとしたmisunderstanding(誤解)があり、1日1回夜だけに変更してください」とメアリにメールすると、No problem.の返事だった。なにしろ新規顧客である。ペットシッター事業を始めるのに、たいした資本は要らない。子育てが終わりそうな主婦に向いたビジネスと思われる。


          *
  

2階の部屋のドアはすべて閉めた。エアコンの風でドアがばたんと閉まることがあるし、やはりベッドルームは見られたくない。特に夫と子どもたちの部屋の乱雑さは公開すべきものではない。

スージーには「猫が閉じ込められないように、2階の部屋のドアは開けないでください」とメモを残した。隠しカメラが簡単に設置できる昨今である。うちにはそんなものはないが、たぶんペットシッターは信用をなくす危険は冒さないだろう。

料金は前払い。$160の小切手を書いた。

質問用紙に、初日と最終日、それと中間に1回はメールでレポートしてくれと頼んだのに、カリフォルニアに着いた翌日も音沙汰がなかった。

きっとちゃんと読んでないんだろう。いかにもプロフェッショナルですという態度だったので、少しガッカリしたが、長いアメリカ生活、こんなことには慣れている。

私から「猫の具合はどうですか。玄関の鍵は問題ありませんか」とメールすると、翌日メアリから返事があった。”Everything is fine. No worries.” ハリケーンの影響についても後日お知らせしますと言い、停電や家の周囲の様子を報告してくれた。これは獣医預けにはないメリットである。
 

           *


1週間でカリフォルニアから戻ると、猫の姿はない。

そのかわり、台所のテーブルに小さい花瓶に生けられた花束があり、「ご利用ありがとうございました」というメッセージカードがつけてあった。これは予期しなかった。花瓶にはリボンが巻いてある。

Nice touchというやつか。いかにも女性二人がやっているビジネスである。よく猫が倒さなかったものだ。

そのうち兄猫が現れた。ちょっと距離を取っている。「この人たち、誰だっけ」という顔で、かなりとろい猫だが、さすがに自分の名前は覚えていた。

こんなに太ってたっけ? 首周りと腹がすごい。

1時間ほどしてやっと出てきた妹猫は、機嫌が悪そう。そしてなかなか近づかない。ちょっとほっそり見える。しかし、お腹は前と同じくらい出ている。

スージーには、「缶詰をやったら、兄猫が妹猫の分まで食べないように見張ってください」と頼んだ。どこまで付き合ってくれたのかわからない。それにドライフードは二匹とも1度では食べきらない。

しかも、ふだんは私の後をついて、地下室だの台所だのうろうろしたり、紐で遊んでもらったりするのに、おそらく「食っちゃ寝、食っちゃ寝」の1週間だったのだろう。

自分のことは棚に上げて、いま、猫たちはダイエット中である。

兄猫はよほどさびしかったと見えて、私が帰ってからの2日間、私のすぐ横に張り付き、私の腕を前足でしっかり押さえつけていた。そんなしぐさをしたことはこれまでなかった。

妹もいたのに、困ったもんだ。やっぱりオスのほうが甘えん坊で寂しがり。

妹猫も私のところでゴロゴロ鳴いていたが、「もー、勝手に出かけたりして困るじゃないの!」という雰囲気が漂った。

妹猫はうちの男たち(人間)をマッサージ係およびブラシ係に任命し、すっかり手なづけているのである。私は食事とトイレ、つめきり担当。「いつもの召使たちがいなくて不便だったわ~」と言いたげだった。


           *


一つだけ予想しなかったことがある。

兄妹とも、キッチンの横にある食卓に乗るようになってしまった。それまでも夜中などこっそり探索していただろうが、1週間の間に、自分のテリトリー宣言でもしたかのように、私や子どもたちが見ている前で、平気で飛び乗ったりする。嫌がらせか?

もともとキャットフード以外は食べない猫なので、食べものが目的ではない。

そこには乗ってはいけないということを教えねばならない。少なくとも、堂々とやるんじゃない。

ペットシッターに頼めば、捕獲も獣医への送迎もないし、安くあがるし、郵便を留めなくてもいいが、こんな盲点もあったのだった。


<今日の英語>  

We didn't see any of your trees down.
倒れた木は見当たりませんでした。


ハリケーンが通り過ぎたあとで、メアリから来たメール。



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日本語を話さない日系人

2011.09.05 (月)


カリフォルニアでは日本食と日本語の本を買おうと決めていた。

せっかく嫌いな飛行機を乗り継いで、はるばるアメリカ大陸の東から西まで行くのだ。

義父たちはオレンジ郡に住んでいて、車で15分のところにその手のお店がある。うちからマンハッタンまで大遠征するより、よっぽど近い。

次男は長男ほど日本のものに執着がないし、すぐグズるので連れて行かない。長男はアニメや漫画が好きで、カレーとうどんとラーメンに目がない(ただし、刺身は食べない。生の魚だと思うと、口に入れられないそうだ)。

私は丸1日だって本屋で過ごせる。

義母は「ほんと? 退屈しない?」と半信半疑だった。それでも、朝11時に私と長男をマルカイというスーパーとブックオフのあるショッピングセンターに連れて行ってくれた。お迎えは4時である。

古本屋なので、新刊を選ぶ楽しみはないが、日本語に飢えている身にはなんだってありがたい。


        *


ずっと前に、オレンジ郡のブックオフに初めて行ったとき、私はお店の人に「地下と2階へ行く階段はどこですか」と聞いた。マンハッタンのブックオフは地下1階地上2階で、それ以外のブックオフを私は知らなかった。

店員さんは「階段は…ないです。このフロアだけですけど」と困惑したように答えた。

そうだ。ここは土地が無限にある(かのように見える)西部なのである。マンハッタンのように地下を掘る必要もなければ、垂直に積み上げることもしない。

今回はそんなおのぼりさん発言はしなかった。

しかし、長男が「おかあさん、そんなにキャーキャーしないでよ」とこっそり耳打ちするくらい、わくわくした。20年以上もアメリカに住み、ほとんど何でもアメリカのもので支障ない(=まあ我慢できる)ようになっても、日本語の書物だけはいつも恋しい。これは死ぬまで治らない。

さすがに本を扱うだけあって、ブックオフの店員さんは日本語が母国語らしい。読み書きができなければ、仕事になるまい。


       *
   

長男がおなかがすいたと言うので、マルカイに向かった。そこでもまた興奮を抑えきれない。「おかあさん、日本語わかる人がいるんだよ」と長男がささやく。

私が数ヶ月に1回買出しに行くニューヨーク州の小さい日本食品店に比べたら、マルカイはデパートである。なんでもある。常温保存のものしか持ち帰られないのが非常に残念だった。

珍しいので、食品だけでなく、文房具から日用品からくまなく見て回った。やたらにかわいい。気が利いている。化粧品などいろいろありすぎて、なにがなんだかわからない。何度も長男を呼んでは「ねえねえ、これ見て!」 

長男はため息をつく。あんたにはわからないわよ。

多少落ち着いてから周りを見回すと、当然のことながら日本人のお客が多い。日本語も耳に入る。しかし、どこか違う。

以前に来たときも同じことを思った。

どう見ても日本人の顔なのに、まるっきりネイティブ・スピーカーの英語を話す人たちが少なからずいる。日本語ができるのかどうか、ぱっと見にはわからない。

一人の男性店員に換気扇のフィルターについて英語で質問したら、いかにもカリフォルニア風のアメリカ英語で返事が返ってきた。

私の英語にはどうしたって日本語なまりがある。私は当然日本語で話すほうが楽だし、彼も私のまどろっこしい説明にいらいらしただろうが、どうも彼は日本語ができないらしかった。棚に商品を並べるだけなら、日本語は必要ないのかもしれない。


        *
       

子どもたちが補習校を辞めてから、私も彼らも日本人との付き合いがほぼゼロになった。見かけることも話すこともない。

私の知り合いは、大人になってからアメリカに移住した日本人ばかりで、子どもの友だちは駐在家庭の子か、片親あるいは両親が日本人永住者でアメリカで生まれ育った子だった。

そういう大人や子どもは、少なくとも会話程度の日本語はできた。

カリフォルニアで見かける日系人は、顔は私と同じなのに、同じ言葉を話さない。頭ではそういう人たちが何万人もいると理解できても、とても奇妙な感じがする。

長男が生まれるまで、私はアメリカで仕事をしていた。シカゴ支社にヤマモトさんという男性がいた。何度か電話のやり取りをして、彼は両親とも日本人だが日本語はまったくできないということがわかった。でも、電話だけで顔が見えないので、気にならなかった。

あるとき、彼が出張でニューヨークにやってきた。風貌はどうみても日本人なのに、私たちの会話は英語だった。そのときの違和感を思い出す。日本語のできない日系人に初めて接した経験だった。


        *


ふだんから日系人を見慣れていれば、あるいは想像力があれば、なんてことはないのだろう。

しかし、私は何年かに1度カリフォルニアに来て、おおぜいの日系人に出くわすと、書き取りのマスから字がはみ出たままになっているような、それをギュッと押して正しい位置に動かしたいような、もどかしい感覚にとらわれる。

(うちの息子たちは半分白人で、顔の造りからしてズレているので、そういう観察の対象にはならない。彼らは日本語を話すが母国語は英語だし、まるっきりアメリカ人みたいに肩をすくめたり両手を広げたりする。毎日見ているせいか、そんなもんだろうと思う。

それにしても、日本語で話しているときに「さあね」と言いたげに両肩を持ち上げられると、カッコつけるなっ!とムカッとくるのはなぜ?)

アメリカで生まれ育ったらしい日系人は、日本人の顔をしていても、どことなく違う。なんだか表情が豊かに見える。身振り手振りが大きい。目線を合わせて話す。店員同士で(むろん英語で)声高におしゃべりしたり、ハグをしてたりしているのも見かけた。

そして、日本語は限りなく薄められていき、ついには英語の中に溶けてしまう。

外見はどうあれ、彼らは芯からアメリカ人なのだ。たいていの移民がそうやって世代を追うごとに英語だけ話すアメリカ人になってきた。

20代後半に渡米した私は、ここに50年住んでもそこまで同化できないだろうと思う。


          *


と、ここまで書いて、私もJapanese American 日系人のカテゴリーに入るのかと気がついた。私はFirst Generationつまり、一世?

まだ市民権は取っていないし、自分の意識は「100%日本人」だが、そのへんのアメリカ人から見たら、私は単にジャパニーズ・アメリカン。いや、十把ひとからげにAsian Americanか。

そんな人間が、たまたま顔が同じなのに日本語を解さない人たちを見て軽いショックを受けるのだから世話はない。

そして、また日本人と縁のない生活に戻った。


<今日の英語>  

I’ve heard so many nice things about you.
お噂はかねがね伺っておりました。


初対面の人に“I’ve heard so much about you”と言うのは適切だろうかという相談に、「元IMFチーフのDSKみたいにタブロイド紙をにぎわせていた人もいます。こんな風にちょっと言い方を変えたほうが安全でしょう」というマナー・アドバイザーの一言。



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次の心配の種

2011.09.06 (火)


長男のガールフレンドの誕生日は8月後半だったらしい。彼女の友達がサプライズ・パーティをやろうと言い出し、昨日は女の子2人と男の子3人がうちにやってきた。

「パーティって何をするのよ。なんでうちでやるの?」と聞いたが、「知らない」と無責任な長男。

まあガールフレンドなんだから、しょうがない。とりあえずポテトチップスとケーキの材料は調達しておいた。うちはめったなことでコーラなどのソーダは買わない。今回は要らないと言う。

「ケイトリンが食べ物持って来るって。お菓子も。ピザみたいなのも。だからおかあさんはグランマのケーキを作るだけでいいんだよ」と長男。

あら、持ち寄り? でも、うちが主催するんじゃないの?

よくわからないが、パーティの準備をする気力も体力もない私は助かる。私はちょっと機嫌を直して、ケーキだけ朝のうちに焼いた。

長男と次男を動員し、掃除をした。猫たちは、いつの間にか秋の新作毛皮をまとっていて、いつも以上に家の中は毛だらけ。


         *


前日、「セスのお母さんがおかあさんと話したいんだって」と長男が言った。

最近は親があまり出てこないのに、何か料理でも持ってきてくれるんだろうかと思った。しばらくして、電話が鳴った。私は彼女に会ったことがないし、セスの顔も知らない。

初めまして~。おじゃましていいんですか~。どうぞどうぞ~などとお決まりの挨拶をしたあと、「どなたか大人もいてくださいますね?」とためらいがちなセスの母上。

そうか!

彼女はうちが責任を持って健全なパーティを開催するのかを確かめたかったのか。それなのに、私はちゃっかり、お持ち寄りの相談を想像していた。

うちはお酒を飲まないし、ドラッグも銃もないが、あまり詳しく話すのもかえって彼女の不安をつのらせるだけかもしれない。

「私も夫もずっと家にいますから。集まる子どもたちも全員一度はうちに来たことがあって、どういう子かわかってますし」とだけ言った。

「そうですか。よかった。お宅を信用してないわけじゃないんです。おわかりいただけるといいんですけど」と彼女は弁解を始めた。

あとで聞いたら、セスはやはり長子だった。最初の子は何につけ心配なのだ。


        *


パーティを企画したケイトリンは、セスのガールフレンド。

皆がダイニングルームでカードゲームをしていたときに通りがかったら、彼女はセスのひざにちょこんと座っているように見えた。いや、確かに座っていた。

セスのお母さんが心配していたのは、こっちのほうか?! 

大人のいない家の中で、息子がガールフレンドとベッドにしけこむかも? いや、そんなことは彼らの親がしっかり教育すべきじゃないの? 女の子が男の子のひざに座るくらい、今のアメリカではたいしたことないのか?

私も、大学の心配だけじゃなくて、長男とジェシカをもっとしっかり見張るべきなのか。もし長男がジェシカをひざに乗せたら、私はすぐにやめさせるだろう。

その後、私は用もないのに、ダイニングルームのあたりを何度か偵察した。何も怪しいことはなく、みんなでワイワイ騒いでいるだけだった。


        *


ケイトリンは、ジュースやソーダ、それにピザ・ロールという一口サイズのスナック(オーブンで暖めてきたらしい)など、他にもいろいろ持って来てくれた。エンジェル・フード・ケーキにクリームやイチゴをのせたのもあった。

「こんなにたくさん、ありがとう」と言うと、「どういたしまして」と素直でかわいい。ほめようと思って「ケーキはあなたが作ったの?」と聞いたら、「いいえ、マムです。それもあれも、ぜんぶマム。」

えっ、そうなの? じゃあ、うちでやるパーティのために、よそのお母さんがこれだけの準備をしてくれたわけ? 

お迎えのときにケイトリンのお母さんにお礼を言い、すでにケイトリンがタッパーなどをきちんとまとめておいたのをほめると、「あの子はわりとそういうのは上手なんです。ほかのことはまだ子どもっぽいんですけど。」

いや、そんなことはない。やっぱり女の子は男の子より3年は先に育つ。

ケイトリンの妹もお供をしていて、とたんに男女比が逆転した。

ふだんはむさくるしい家の中がぱっと華やかになった。ただ若いだけで、まぶしいくらいきれいな年頃である。セスのお母さんより、女の子たちのお母さんの心配のほうが大きいんじゃないだろうか。

ケイトリンがセスのひざにしばらく座っていたことは、どちらの親にも言わなかった。お迎えのころにはすっかり忘れていた。

ハイスクールの廊下を歩くと、目のやり場に困ることをしている子たちもいる。

知らぬは親ばかり。あるいは、知っていても、もはや手が届かないのか。


        *


女の子がNoと言ったら、なんでもNoよ。女の子が嫌がるようなこと、しないのよ」と私は機会あるごとに息子たちに繰り返す。

「結局、泣くのは女なのよねえ」と昔どこかで聞いたようなせりふを言いつつ、女の子の親がうちに怒鳴り込む可能性だってあるじゃないかと思う。

オムツが外れなくて悩んでいる若いお母さんも大変だが、大きくなったらなったで、オムツとは次元の違う、別のもっと深刻な悩みが出てくる(しかし、今現在、おむつ外しと格闘しているお母さんにそんなことを言ってはいけない。渦中にあっては、あれはあれで厳しい修行みたいなものなのだ)。

子どもを大学へ送り出した近所の奥さんが、「これで終わりじゃないのよ!」と、まだまだ心配の種が尽きない様子であった。

長男がヨチヨチしていたころ、実家の母が

こんな頃が一番いいだなぁ。

としみじみ言ったのを思い出す。


<今日の英語>  

That's what I say.
まさに私の言いたいことです。


雨が降ってきたので、長男に工作なら家の中でやれと言い、ほかの子どもたちにも英語で言い直したら、アナスタシアが「そうでしょう? 私もそう言ってるのに、男の子はぜんぜん聞かないんだから」と付け足した。男の子が男になっても同じなんだけど。



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子宮筋腫の「お会計」

2011.09.07 (水)


7月末に子宮筋腫の手術をした(そのときの話はこちら)。

1ヶ月経ち、保険会社からのEOB(Explanation of Benefits 給付金支払い明細書)が出揃った。医者と手術センターからの請求書も届いた。記録を残すことにする。

まず、5月半ばの事前検査。

産婦人科医ドクターCのオフィスで、診察に$160、子宮内膜組織の生検に$757。もちろん保険会社は全額を認めず、Not coveredとしてかなりの額を差し引く。最終的に、それぞれ$117と$246となり、自己負担分は$101と$246。

バイオプシーは$341で、$246が認められ、私の負担は$49.

6月半ばに超音波検査。$579の請求に対し、$377が認められ、私の負担は$75.

7月初めに再びドクターCで診察と手術前の説明。$160の請求に対し、$121が認められ、私の負担は$24.

ここまでが手術前。

私が負担すべき医療費は、すでに$495である。


        *


手術当日。

手術センターの使用料$7106. 保険会社は珍しく全額を承認し、私の負担は$487.

これは事前にセンターが保険会社に見積もりを取って、私にも連絡があった。その時点でクレジットカードの番号も渡したので、言ってみれば前払いだったのか(すでにカードにチャージされている)。

$7106のうち、$1356はSuppliesとなっている。

IVや注射針、麻酔液などはもちろん、シーツや使い捨て靴下や絆創膏の費用もあるのだろう。私は回復室が寒くて、毛布を2枚ももらったが、毛布1枚の値段はいくらだったのか。もったいないことをした。次回は持参したいが、衛生上使わせてくれないかもしれない。

備品の内訳まで細かいことはEOBには書いてない。

だいたいEOBは「手術」「備品」「診察」程度のカテゴリーで、明細にはほど遠い、どんぶり勘定なのだ。しかし、気になる。センターに請求すれば書類を送ってくれるかもしれないが、果たして毛布1枚まできっちり計上しているだろうか。


       *


麻酔医に$1096。でも、保険会社が認めたのは半額の$550。私の負担額は$110.

医者は私の保険会社と何らかの取り決めがあって、おそらく50%しか払われないことを知っている。

NY州のこの地域でこの手術をすればいくらという基本料金があると思うのだが、EOBを見るたびに「ダメ元で多めに請求しておけ。どっちみち半額だ。元の金額が大きいほうが得だ」と病院が画策しているという印象をぬぐいきれない。

病院だって儲けが必要だし、私は高くても有能で信頼できる医者に診てもらいたい。しかし、どうせ支払われないとわかっている金額をどうして請求するのか。いつもモヤモヤする。

手術で採取した細胞を改めて検査したらしい。$351.承認されたのは$257で、私の負担は$51.

そして、メイン・イベントの手術代は$6694.EOBではSurgeryという1つの項目である。保険会社は$3392だけ認め、私の負担は$678.

当日の私の負担額は、〆て$1326

術後2週間の検診で、再びドクターCの請求が$160.認められたのは$121.私の負担は$24.


          *


子宮筋腫手術に際して、私が支払うべき医療費の総額は

術前$495+当日$1326+術後$24=$1845

JFKから成田への往復切符を買って、ホテルに1泊して、新幹線に乗ってもお釣りが来る。

これでも、夫が退職した会社のしっかりした医療保険を以前と同じく使えたのである。

あと少なくとも1年は保険が継続するが、そのあとはどうなるかわからない。保険のあるうちに手術を済ませたかった理由だ。「今のうちに、切れるところは切って、つなぐところはつないでおこう」という気になる。

保険があっても決して安くないが、これで無保険で全額払うことになったらと思うとゾッとする。だいたい無保険では手術してくれなかったかもしれない。


           *


手術センターの施設使用料以外、医療費がいくらになるのかは事前にわからなかった

たとえば、手術中に採取した筋腫のバイオプシーで、私の負担は$51だった。

たいした金額ではないが、すでに手術前に子宮内膜のバイオプシーをしたのである。もし「その検査はしていただかなくて結構です」とあらかじめドクターCに言ったら、どうなったか。

「念のためにやりましょう」と説得されたか。あるいは、そのバイオプシーは医学的に必要とされていて、私に拒否権はないのか。

レストランのメニューみたいに、「検査Aには松竹梅とありますが、どちらになさいますか」とか、注文する前に値段を確認できるといいのに。

なかなか明朗会計とはいかないものである。


          *


今朝も、お茶会派が「アメリカ人に国民医療保険は要りません。オバマ・ケアは社会主義の始まりです!医療保険を認めたら、生活の隅々にまで政府の管理が浸透して、逃げられなくなるのです!」などと黄色い声で叫んでいた。

こんな候補者がもてはやされるのだから、お先真っ暗である。

医療保険が議会で取りざたされていたころ、街頭インタビューで「私には保険は要りません」と答えた中年男性がいた。「私は病気になりませんから」とのたまった。

いったいどこからそういう根拠のない自信が生まれてくるのか、理解に苦しむ。

医療保険改革制度がとりあえず4月に成立したのはいいけれど、実際いつどうやって誰が(全員が?)どうしたら医療保険を持てるのか、私は細かいところまで読んでいない。

他の国が当然のようにやっていることが、どうしてアメリカではできない? 

私は自分が病気になったとき、お金の心配を(あまり)しないでお医者に行きたいだけである。もっともな話だと思うのだが、これは非常にぜいたくな望みに思えてきた。

ちなみに、医者と病院のもともとの請求総額は$16884である。

私の負担分はその1割。そう思えば安い(のか?)。




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あの映画のアノ場面

2011.09.08 (木)


カリフォルニアから帰宅した翌朝、まだ停電だったので、近所のダイナーに出かけた。

今思えば、旅行から帰ったばかりで夫も私も疲れていたのだろう。ダイナーに向かう車中でちょっと言い合いになり、そのあと私はずっとムスッとしていた。

お店は老夫婦や若い家族連れで、わりと混んでいた。ダイナーはどこでも同じ。日本の定食屋のほうが百倍はおいしいものを出す。

私は期待を持たず、暖かい紅茶が飲めて、食べ物は肉でなければよかった。

夫はメニューを見て、デザートまで食べるようなことを言い、ステーキを頼んだ。料理が来るまで、夫は子どもたち相手におしゃべりを始めた。私は会話に加わる気になれなかった。

夫は子どもたちに店内の装飾がどうのこうのと話していたが、「ダイナーといえば、こんな風にテーブルに座ってて、むちゃくちゃ笑える映画のシーンがあるんだよ」と言った。

私はいやあな予感がした。

子どもたちは何の映画か知らないと首をふる。私は夫と映画館で見た。


        *


「男と女の間に友情は成立するかという話だよ。ビリー・クリスタルが出てる。

ニューヨークのダイナーというより、デリか。そこで2人で食事するんだけど、ハリーが男と女はフレンズになれないと主張する。セックスが邪魔をするから。でも、サリーはそうじゃないと言う。

そのうち、サリーが「ほとんどの女はフェイクするのよ」と言い切るんだが、ハリーは「自分が寝た女はフェイクなんかしなかった」と否定する。

どうしてわかるのよ。ただわかるんだよと言い合ってるうちに、サリーがその場でオーガズムをフェイクしてみせるんだ。

ハリーはあっけにとられてみてるんだけど、ここで一番おもしろいのは、近くのテーブルにいたおばさんが、注文を聞きに来たウェイターに"I'll have what she's having. 彼女が食べてるのと同じのをいただくわ"

(夫は一人でアーハッハと笑い、子どもたちは苦笑いをしていた)

あれは監督の実の母親でね。ロブ・ライナーは知ってるだろう。A Few Good Menの監督だよ。」

夫がこんな話を息子たちに延々と聞かせている間、私は黙ってお茶を飲んでいた。

彼らは17と15.きっといろんなことを知っているだろう。

しかし、これから食事をするというときに、しかも彼らの母親である私の前で、「女はイッタふりをするのかどうか」なんていう話題を出す必要がどこにある?

いくら有名なコメディでも、私は非常に居心地が悪くなった。

だいたいメグ・ライアンの演技はいかにも嘘くさい。アメリカのポルノ女優はあんな風なんだろうと想像する。それをおちょくっているとしても、騒々しすぎる。色気のかけらも感じない。フェイクかどうかという以前の問題だ。


        *


それはともかく。

唯一食べられそうだった野菜のパニーニもやたら脂っこくておいしくない。

なぜか付け合せにはフライドポテトがあった。でも、それはマクドナルドか冷凍品のような形成ポテトで、本物のジャガイモを細く切ったものではなかった。

料理がおいしければ、私の機嫌も直っただろうが、こんなものにお金を払うのかとげんなりした。

それなのに、なぜか夫は「フレンチ・フライズ」をアピタイザーから追加注文した。

出てきたのは、山盛りの形成フライドポテトに溶けたチェダーチーズがどろりとからまっているもので、私は見ただけで胸が悪くなった。

しかも、夫の注文したものだけにはフライドポテトはなかったのに、ステーキの横に山盛りになっている。「おまけでおつけしました」とウェイター。夫は喜んだが、すでに別皿で頼んだあとである。そんなにジャガイモ(の粉を固めたもの)ばかり食べさせてどうする?

夫はすべて平らげ、デザートまで注文し、「ウェイターにはチップをはずんでくれ」と言った。私は映画の話のあとでますます不機嫌になって、チップの額でくだらない言い合いをした。


         *


私は息子たちにいろんなことをかなりオープンに話すが、「女がイッタふりをするかどうか。男はそれを見抜けるか」なんて、とてもじゃないが面と向かって話題にできない。

夫は私に嫌がらせをしたつもりなのだろうかと疑った。

フェイクもなにも、うちは真性セックスレス。でも、当てつけではないらしい。たまたまあの映画のアノ場面を思い出したので、誰かにしゃべりたかっただけのようだ。

私が不愉快になったとは露にも思っていない。

男が単細胞生物に見えた日であった。


<今日の英語>  

Do me a favor.
頼みがあるんだけど。


一日に何度も聞くフレーズ。ほとんど枕詞と化している。それだけ、夫が私や子どもたちにしょっちゅう小さな頼みごとをしているということか。何かを取ってくるとか、コーヒーを入れるとか、お医者に電話するとか、日常のこまごましたお願いごとをする前に、これで私の注意を引く。私はたまに聞こえないふりをする。




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無音の世界

2011.09.09 (金)


義父は、80歳を過ぎたころから聴力が衰え始めた。

まず、孫娘たちの甲高い声が聞こえなくなった。そのうち、電話での会話が難しくなり、特にスピーカーフォンが曲者だった。

補聴器を試したものの、聞きたくない音まで一律に大きくなるらしく、使ったり使わなかったりしたようだ。

それでも、大きくゆっくり話せばどうにかなったので、夫はしばしば怒鳴るくらいの声で父親と電話をした。傍で聞いているほうが飛び上がりそうになった。義父は何も言わなかったが、私の日本語アクセントも妨げになったと思う。

夫自身も耳はよくない。

チャットやスカイプをするときはヘッドフォンを使うのだが、年代からして、若いころに大音響で音楽を聴いた後遺症だと私は見ている。

今年になって、夫は義父にもヘッドフォンを使うことを提案し、そのころ同居していた孫のアンドリューに買いに行かせた。ヘッドフォンを使えば、さすがによく聞こえたらしい。


        *


私も夫も、義父の難聴はスカイプとヘッドフォンで解決したような気になっていた。

補聴器もあるし、私たちがカリフォルニアにいる間は目の前にいるのだから、電話よりはるかに聞き取りやすいはずだ。

しかし、義父は少し前に耳に炎症を起こし、補聴器が使えなくなっていた。それでもすぐそばで大きめの声で話せば大丈夫だろうと楽観していた。

それは大きな間違いだった。

誰もが義父の難聴を知っていて、最初からかなり大きい声でゆっくり話すものの、義父には聞こえない。2回、3回と繰り返し、そのたびに音量は上がり、より簡単な単語だけになり、最後は大声で怒鳴るようにして、かろうじて義父の耳に届く状況だった。

いっそのこと筆談のほうが効率がいいのではないかと思ったが、リンも夫も言い出さなかったし、そんなことをしたら義父のプライドを傷つけるような気がして、私も黙っていた。

物理の博士号を持っている、とても頭のいい人である。会話も議論も好きで、昔の話をしたり、それを聞く私たちの反応を喜んだりしたものだ。

それなのに、もはや本当にどうでもいい話さえ聞こえない。


          *


リンの声は私や夫、子どもたちの声より届くようではあった。しかし、ダイニングルームの大きなテーブルで、リンと義父が両端に離れて座ると難しくなった。

私と次男が義父に一番近く、夫は私の隣の席に座ったが、会話にならない。

夫が普通の声で何か言う。義父は”What?”と尋ねる。
夫が声を張り上げる。義父はまだわからない。
次男あるいは私が至近距離で大きめに言い直す。
それでもだめなら、夫は隣近所に聞こえそうな大声で叫ぶ。ときには、2人あるいは3人が同時に叫んだりして、まるでScreaming Matchだ。
ようやく義父はわかったとうなづく。
皆はやれやれとひそかにため息をつく。
こんなことが続くと、疲れてくる。
義父の前での会話をためらうようになる。

それでも聞こえないときがあった。

夫が”Forget it. もういいよ”と打ち切ったのも一度や二度ではない。それでは義父がかわいそうだと思って、私は次男に「もう一度だけ言ってあげて」と頼んだりした。

しまいには、次男も私もまるでパントマイムをしているように、身振り手振りが派手になった。唇の動きを見せようとして、発音練習のように口をきっちり開けてもみたが、効果はなかった。

これが込入った話とか重要な話題ならともかく、取るに足らない会話のきれっぱしみたいなものなのだ。


         *


義父母のリビングルームには大型スクリーンが壁にかかっていて、画面にはCC(Closed Caption)が常に出してあった。

うちでも夫がCCをつけたがるが、周囲が静かにするか、テレビの音量を上げれば聞こえる。聞こえにくいときの手助けにしているだけだ。

私は画面が見えにくくなるので、CCは嫌い。なぜか、子どもたちはそれほど気にならないらしい。

今回、ほとんど何も聞こえないらしい義父と過ごして、CCは彼にとって映像や音声の世界との最後のつながりに思えた。

義父の耳の炎症が治れば、また補聴器をつけられるのだろうが、いつになるかわからない。


          *


まったく音のしない世界を想像してみた。

サイレント映画の中に入り込んだようなものだろうか。でも、あれにはストーリーがあり、大げさな身振りや文字だけの画面が手助けしてくれる。

普通の生活ではそうはいかない。

私は静寂が好きで、大騒ぎや雑踏やテレビが嫌い。でも、静寂と同じくらいラジオも好きなのだ。NPRやBBCを毎日何時間も聴く。これが聴けなくなったら、かなりつらい。

うちは森の中に住んでいるも同然で、夫が寝ていて、子どもたちが学校に行っている間はとても静かである。

それでも何らかの音がある。

ラジオを消していても、パソコンを使えばキーボードをたたく音がする。猫が何かにじゃれる音がする。冷蔵庫はビィ~ンとうなり、電子レンジが終わると、ピーッと鳴る。外で鳥が鳴き、雨がザーザー降る。電話が鳴る。窓を開ければ、風に揺れる木々の音がする。

義父は、そういう音すら一切消えてしまった世界に住んでいる。


<今日の英語>  

Not so fast.
そううまくは行きませんよ。


USオープンの準々決勝に進出したストーサーについて、「このままあっさり決勝に進めると思いたいところでしょうが、早まっちゃいけません。そう甘くはなさそうですよ」とTV解説者が一言。




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命名のセンス

2011.09.10 (土)


義父母の家に一番近いのは、ジョン・ウェイン・エアポート

しかし私はサンタ・アナと呼ぶ。市の名前であり、飛行場コードのSNAにもなっている。もともとはオレンジ・カウンティ・エアポートだったらしい。

初めてジョン・ウェインという名前を聞いたときは、耳を疑った。

空港にハリウッド俳優の名前を付けるか? 

ちなみに彼はアイオワ生まれ。小さいときにカリフォルニアに移住したが、オレンジ郡ではない。

仮に地元に縁が深い人物であっても、公共の施設に個人名を付ける感覚は私には理解できない。

アメリカ暮らしが長くなるにつれて慣れてきたが、個人(故人である場合が多い)の名前を冠している道路や学校や建物に遭遇しては、これこそ自己主張の権化ではないかと勘ぐりたくなる。

病院や研究所や美術館に多額の寄付をした人の個人名が、そのまま施設の名前になる例も数え切れない。


        *


数年前に、シティ・グループの元会長Sanford Weill夫妻が2億5千万ドルの寄付をして、コーネル大学のメディカルスクールはWeill Cornell Medical Collegeに改名された。

コーネル大学自体、ビジネスマンのコーネル氏が共同創設者だったので、伝統と言えなくもないが、歴史あるアイビーリーグに自分の名前を追加できて悦に入る(と私は勝手に決めつけた)成金の趣味の悪さ丸出しである。

私は銀行が嫌いなので、坊主にくけりゃ袈裟までにくい。そうでなくても、名前が長くなって迷惑なだけ。

もし私が億単位の資産の使い道に困るくらいの大金持ちなら、あちこちに巨額の寄付もしよう。でも、kometto3大学だの、kometto3美術館だの、想像するだけで恥ずかしい。寄付した事実は公表してもいいが、名前を付けるのは勘弁してもらいたい。

これは私が謙譲の美徳に満ち溢れているからではない。日本的なセンスと相容れないからだと思う。


        *


だいたいフルネームで出すところからして合わない。

カーネギー・メロン大学のように、カーネギーさんとメロンさんが出資して創った教育機関に両者の苗字を取るならまだしも、サラ・ローレンス・カレッジはNYの不動産王だったウィリアム・ローレンスが奥さんの名前をつけたものだ。

日本であれば、たいていは地名を使う。大学なら教育理念を学名にすることもあろう。

たとえば、いくら世界的に有名で地元に縁のある人だとしても、「黒澤明空港」や「本田宗一郎空港」はありえない(ホンダでもトヨタでも、会社に苗字をつけるのはこの限りではない。もとは個人企業である)。

慶応義塾大学が福沢諭吉大学、同志社大学が新島襄大学になる日は、当分来ない。あるいは、夏目漱石小学校、伊藤博文中学校も想像できない。

それに比べて、アメリカには Walt Whitmanスクールやら Thomas Jeffersonスクールやらがあちこちにあるのだ。


       *


大学や研究所はまだいい。空港には抵抗がある。私は乗り物全般、特に飛行機が嫌いなので、よけい気になるのかもしれない。

NYのJFKはまあ許そう。

かつてのWashington National Airport はいつの間にかRonald Reagan Washington National Airport になった。

しかし、これはレーガンが死んで10年後の話だ。テキサスは何を考えてるんだか、Houston Intercontinental Airport をGeorge Bush Intercontinental Airport に改名した(パパのほう)。まだ存命中の元政治家の名前。彼の銅像もあると聞く。ああ、恥ずかしい。

追記:ナショナル空港の正式名称が変更になったのも、レーガン元大統領が存命中だったとご指摘いただきました。】

これが息子のほうだったら私は乗らないぞと思う。着陸前に、"God bless you and God bless the United States of America!"なんて無能な機長が挨拶しそうで、ぞっとする。

これはアメリカだけの現象ではない。

フランスにはシャルル(アメリカ人に言わせるとチャールズ)・ド・ゴール空港がある。

イタリアにレオナルド・ダ・ヴィンチ空港があると知ったときは、いかにも彼が設計し、装飾したような建物なのだろうかと想像できて楽しくなった。なんだか納得できるのは、私の偏見のなせるわざである。


      *


しかし、人名を借用するのも良し悪しである(いいことがあるのか?)。

ロシア帝国がソ連になり、それが崩壊してロシア連邦になって、ペテルブルクやスターリングラードやレニングラードが取り消されたり復活したりと忙しい。

看板や書類を書き換えるだけで膨大な作業だろうと、他人事ながら心配になる。

リビアではカダフィの顔が印刷された紙幣を新しいデザインに変えるそうだ。

やめときゃいいのに、ムバラクだのベンアリだの先ごろ失脚した連中といっしょに写した記念写真を使ったお札もあるそうで、リビア国民はちぎって捨てたいだろうにもったいなくてできないかもしれず、いい迷惑である。

それに比べたら、西部劇俳優の名前を空港につけるなんて、かわいいもんだ。


<今日の英語>  

I have my brights on.
ハイビームを点けてるの。


まぶしいほうのヘッドライトをつけて運転していた義母。どうやって消すのかわからないと言い、ずっとそのままだった。




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うつ期の再来

2011.09.11 (日)


夕食のあと、夫がパントリーの中を物色していた。

甘いものがほしかったのだろうが、デザートも作らなかったし、お菓子も買ってなかった。節約とダイエッ トの両方で、買わないようにしている。そもそも買い置きしたいようなおいしいお菓子は売っていない。

「あのアーモンドはどこ?」と夫。

少しだけ小皿に出してあったが、次男が食べてしまったらしく、ほんの1粒2粒しか残っていない。

パントリーからアーモンドの袋を出して夫に手渡した。てっきりまた小皿に出してつまむのだろうと思った。ところが、夫は袋全部を自分の部屋に持っていこうとする。

セロリで減量したのに、ここ1ヶ月ほど少しずつお腹が戻ってきた。食事の量も増えた。ドラッグストアに薬をもらいにいくついでに、ハーシーズのキスチョコ大袋を買ってきたりする。

極端なダイエットには反動がつきものだ。「ダイエット、ダイエット」と呪文のようにとなえているくせに、結局食べたいものを食べている私は、だから言わんこっちゃないと思った。

夫のお腹を指差して、「せっかくリンがあなたのダイエットに感心してたのに」 と持ち上げてみた。太りすぎはよくない。健康にもよくないが、太りすぎが原因で病気になってはお財布にもよくない。

いつものように、軽口をたたくかジョークで受け止めると思っていたが、夫は気色ばんだ。

”I'm depressed!” 


            *


夫は2年ほど前に躁うつ病の診断を受けた。

いくつもの薬を試し、副作用も少なくて効き目のあるのがやっと見つかった。それからは、まあ落ち着いた。

でも、カリフォルニアへ行く前から睡眠障害がひどくなった。睡眠薬も服用しているが、もともと昼夜逆転生活の人なので、早寝早起きの私とはリズムがまったく合わず、午前中寝ている夫に私も慣れている。

ここ3日ほどは、それにしても寝すぎている気がした。やっと起きて、私と話をし、パソコンを始めた気配がしたと思うと、いびきが聞こえてくる。

時差ぼけの残りか。G氏のプロジェクトでストレスがたまっているのか。季節の変わり目だからか。それとも、老年期に突入するサインだろうか。

夫は「眠れない」「眠い」と繰り返し、「なんだか気分がよくない」とも言い始めた。

少し気になったが、そのうち治るだろうと思って黙っていた。私とちがって、夫は自分の体調や気分を事細かに私に報告するのである。いちいち付き合っていたら、こちらの身が持たない。

「来週はドクターGに行くんでしょ。聞いてもらったら」としか言えなかった。

私自身がひどい鬱をわずらった経験からして、人の精神状態など当人以外にはわからないと思っている。

夫が「欝だ」と主張すれば、そのまま受け止めるしかない。


           *


鬱に対する反応も人それぞれなのだろう。夫は落ち込むと食べたくなるタイプ。

私は最悪の鬱状態のときには、眠れず食べられずでゲッソリした。ともかく心がはやって、座っても横になっても立っても不安にかられるだけで、食事どころではなかった。

夫はそこまで落ち込んではいないらしい。

アーモンドを食べて気持ちが落ち着くなら、食べるなとも言えない。黙って引き下がった。

夫は「余ったら、パントリーに戻しておくから」と守れない約束をした。

精神の安定と肥満のどちらを取るべきか


         *


いつ仕事に復帰できるのかと不安にかられた頃と比べたら、退職した今はその心配がないだけ私も落ち着いている。それに、精神科医もカウンセラーもいるし、躁うつ病であることもわかっている。

もっとも、私はその診断を100%受け入れたわけではない。私は精神分析を信じていないのだ。カウンセリングはもっと信じていない。

私のイメージする躁うつ病患者と夫の言動が違うせいもある。

躁うつ病にもいろいろあって、1日のうちで浮き沈みがある人から、何ヶ月も鬱状態が続き、次の数ヶ月は躁状態という大きな波の人もいるらしい。

夫はそこまで極端ではない。だから私も「これで本当に躁うつ病なの?」と思うときがある。もちろん口には出さない。

私は観察力が乏しい。それに、周囲で起きる事象に対する関心が低い。私はちゃんと見ていないのかもしれない。

精神科医の予約まであと3日。

今朝、長男をテスト会場へ送っていった帰りに、夫の好きなジンジャー・スナップ・クッキーを買ってきた。夫はまだ寝ている。



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10年が過ぎても

2011.09.11 (日)


しばらく前から、9/11の追悼特集が出始めた。

毎年いまの時期になると、メディアに教えてもらわなくても思い出す。2機目がツインタワーに突っ込み、高層ビルが崩れ落ちるのを生中継で見た。

一度だけ、ワールド・トレード・センターの展望台にのぼったことがある。渡米したばかりのころ、どこにも行きたがらない私を夫が連れて行ったのだ。眼下に雲が漂っているように見えた。

「もう1年経ったのか」「あれから2年か」「もう5年になるのか」と、衝撃はだんだん薄れていったものの、生々しい記憶は消えない。

うちからシティまでは1日がかりだが、それでもニューヨークは地元だ。

もしロサンゼルスやシカゴに住んでいたら、いくらか受け止め方が違ったかもしれないと思う。同じく攻撃されたペンタゴンや飛行機が墜落したペンシルバニア のほうには心理的な距離がある。


          *


新学年が始まってまもない、青空の広がる早秋の朝だった。

炎上するツインタワーの映像を見ると、マンハッタンもやはり雲ひとつない快晴だった。

私は9/11の犠牲になった人を個人的には誰も知らない。その日にマンハッタンに居合わせた知り合いすらいない。そんな私でも、10年経った今、当時の録画や録音を聞くと、あの朝がくっきりよみがえる。

ちょうど、ある年代のアメリカ人が「ケネディ大統領が暗殺されたとき、自分はどこで何をしていたか」をはっきり覚えているように。

9/11を"This is your Pearl Harbor."と称した政治家やコメンテーターがいた。

真珠湾を持ち出されると、私はドキッとする。両者は同じものではないが、9/11以後、イスラム教徒への風当たりが強くなったのを思うと、真珠湾攻撃のあとで日系人がどんな目で見られたのか、やっとわかるような気がした。

こんな仕打ちを受けたときは、理性でなく感情が優位に立つ。


         *


10年前、5歳の次男は午後だけのキンダーガーテンに入ったばかりだった。

毎朝、私は次男を連れて、長男のスクールバス・ストップまで歩いていった。子どもの足でも2分である。

近所のおばさんたちと話をして、9時少し前のバスを待つ。長男がバスに乗ると、次男と歩いて家に戻り、お昼過ぎに次男のバスが来るまで時間をつぶす。

その頃、夫と私はタイ女をめぐって修羅場の真っ最中で、私は夫となるべく顔を合わさないようにしていた。家にいるのがいやで、バスストップから家に戻るときも、次男とのろのろ歩いた。

2001年9月11日火曜日の朝もそうだった。

ツインタワーに飛行機がつっこんだのを知ったのは、日本にいる姉からの電話だった。日本では夜の10時過ぎで、姉はまだ起きていた。

私はあわててCNNをつけ、呆然とした。画面の半分はツインタワーで、半分はペンタゴンだった。

そして、口を利きたくないはずの夫を呼びに行った。

そのあとは記憶がぼやけている。

確かに次男を午後のスクールバスに乗せたはずだし、4時前には長男と次男を迎えにまたバス・ストップへ向かったはずだ。

近所のお母さんたちの話はテロ一色だった。ふだんから血の気が多いメアリは、ヒステリー寸前でしゃべりまくった。

心配で子どもを学校まで迎えに行き、早退させた人たちのうわさが出たが、私にはそんな発想はなかった。こんな田舎より安全な場所はないと思った。


             *


メアリは救援活動をする消防や警察のために支援物資を集めようと呼びかけ、私も毛布やタオルを寄付した。

誰がどうやってマンハッタンまで届けるのか知らなかった。ただ、傍観者ではいられない空気があった。

そのうち、ご近所の郵便受けにハンカチくらいの大きさの星条旗がはためくようになり、3日もすると、旗を出していないのはうちと斜め向かいのたった2軒になった。バス・ストップまで歩くとき、いやでも目に入った。

スクールバスを待つ間、私へのあからさまな非難はなかったが、星条旗には無言のプレッシャーがあった。

私は夫に相談した。

「うちも国旗を出すべきなの?」

「その必要はない。きみが出したければ出せばいい。きみは出したいのか?」

「ご近所さんはみんな出してるのよ。出してないのは、斜め向かいと家だけ。」

「それがどうした? 国旗を出すか出さないかは各自の自由だ。全体主義みたいに強制すべきもんじゃない。そういう考えは嫌いだね」

私も夫と同じ考えだった。結婚以来、最大の危機を迎えていたのに、私と夫はこういう問題では意見が一致するのだ。結局、うちは一度も星条旗を出さなかった。

もともと、家にはアメリカの旗はなかったし、買いに行く気もなかった。

もし斜め向かいのお家も国旗を掲げて、そうしていないのはうちだけだったら、どうしていたかわからない。

いま、ご近所で郵便受けに星条旗を掲げている人はいない。独立記念日やメモリアル・デーにちらほら見かけるだけである。


          *


9/11の遺族にインタビューする番組を聴いた。

気丈に受け答えはしていても、途中で泣き崩れる人も少なくなかった。10年経っても、まだ傷は癒えていない。

夏の終わるのがいやだという人もいた。空気が秋らしくなってくると、9/11の朝が思い出されるからだ。

ツインタワーの105階にいたご主人から電話を受け取った女性もいた。煙がビルの中に充満しはじめ、逃げることもできず、最後の会話をしていた。ビルの崩れ落ちる轟音が最後の通信だったという。

「あなたにとって、9/11はどういう意味を持ちますか」と尋ねるアナウンサーに、この女性はすぐに答えなかった。そして、おもむろに言った。

9月12日になってほしいです。そうすれば、ほかのことが考えられるようになりますから。」


         *


奇しくも今日は、3月11日の東日本大震災からちょうど半年

9/11と同じく、私にできることは何もない。せいぜい募金のPRくらいである。

というわけで、本日の購読料は1円です。この記事を読んだらクリック募金をお願いします(お金はかかりません。実際に寄付するのは協賛企業です)。


<今日の英語>  

I just lost it.
感情を抑えきれなくなった。


日常のなんでもないときに、9/11で殺された家族の思い出がとつぜん押し寄せて、自制心を失い、涙が止まらなくなったという遺族の一言。




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醜いアメリカ人

2011.09.12 (月)


私はアメリカ生活が気に入っている。

食べ物と車社会であること以外は、かなり相性がいいと思う。英語を話さなくてはならないとか、日本語の本屋がないとか、文句を言えばきりがない。

居心地は悪くないといったところか。

特に、周囲を気にしないでいられるところがいい。中年のずうずうしさが備わってきただけかもしれないが、人にどう思われようと自分がこうしたいと思ったらする、それができる自由は何ものにも代えがたい。

まあ、私のように出不精で人付き合いが悪い人間は、どこに住んでもたいして違わない。

それに、20年も住めば慣れも諦めも出てくる。だんだん身内びいきにもなる。

いまの不況がないとしても、健康保険に教育問題、人種差別、不法移民にドラッグと、常に課題が山積みの国ではあるが、いざというときの底力は計り知れない(なぜふだんからそれだけ頑張らない?)。

それを支えるのはアメリカ人。

自信過剰、いいかげん、謝らない、自己中心的といった点はどうにかならんのかと思うが、根っからの楽観主義と実行力、不屈の精神は見上げたものだ。さすが、全長100フィート程度の船に乗って2ヶ月かけて太西洋を渡り、見知らぬ大陸を開拓した人たちの子孫だけのことはある。

テロ攻撃で崩壊したツインタワーを建て直す、しかも今度はアメリカ独立年にちなんで、オリジナルよりも高い1776フィートにすると聞いたときは、たまげた。

そういう基本的なところは、たぶん今後も変わらない。

どこの国民にも長所と短所があり、つまりは表裏一体なのだろうが、昨日は久々に醜いアメリカ人を世界に晒してしまった。

よりにもよって、9月11日のニューヨークで。


          *


USオープンの女子シングルス決勝。

セリーナ・ウィリアムズとサマンサ・ストーサー(豪)の対戦。

試合開始前のセレモニーは、9/11追悼式さながらだった。

整然と並んだアメリカ兵士がテニスコートを覆うくらい巨大な星条旗を広げ、黒人の聖歌隊らしきグループをバックに、クイーン・ ラティファが奇妙にアレンジしたアメリカ国歌を歌った。

ランキング1位のキャロライン・ウォズニアキを準決勝でストレートで破ったセリーナの優勝が有望視されていたが、私はストーサーに勝ってほしかった。でも、コートに向かう前にインタビューされたストーサーは見るからに緊張していて、これはダメかなと思った。

ところが、ストーサーは1セット目をあっさり先取。

これなら勝てるかも!とテレビに張り付いていた私だが、こんなときに限って長男を遠くのボランティア先まで迎えに行かねばならなかった。あとで試合のビデオを探すしかない。

試合結果は帰宅途中にラジオで聞いた。ストーサーのストレート勝ちだった。


          *


家に戻って、いそいそとパソコンに向かい、テニスのサイトを開くと、2セット目の初めにひと悶着あったことがわかった。

セリーナがボールを打ち返した後、ストーサーが打つ前に「カモーン!」と雄たけびをあげたので、主審がルールにのっとって、そのポイントをストーサーにあげたところ、セレーナが逆上した。

あんたはルーザー。人を憎んでる。内面が醜いよ(ちなみに主審はきれいな白人女性)あんた、前にも私にこういうことしてくれたわね。You are nobody.あんたなんか、雑魚だよ。」

それだけならまだしも、結局そのゲームを失い、コートチェンジの間も審判にしつこく暴言を浴びせ続けた。

「こっち向くんじゃないよ。どこかですれ違っても、私のほうを見ないで。 私は自分の意見を言っただけ。ここはアメリカでしょ。(自由の国アメリカだから人を侮辱する暴言を吐いていいのか? 大きい声を出せば、規則を守らなくていいのか?) だいたい私は絶対に不平なんか言わない人なんだからね(←誰のこと?)」

Sore loser(潔く負けを受け入れない人)の見本だ。

テニス協会はいま罰則を検討している。


           *


彼女は2年前のUSオープン決勝でも、似たような騒動を起こした。

フット・フォールトと言った線審(小柄な日本人女性)を「ぶっ殺すよっ!」と脅して、ポイントを失った。試合も負けた。そのときもテニス協会から罰金1万ドルと執行猶予2年(テニスでこんな罰を受けた人を私は知らない)を言い渡され、線審に謝罪したのは相当あとの話だ。

なーんにも学習していない。

せっかくストーサーが初優勝したのに、セリーナの罵詈雑言のほうにスポットライトがあたってしまって、ストーサーが気の毒だ。

どんなにでっかいイヤリングをつけ、どぎついマニキュアを塗ろうと、人間性は隠せない。テニス選手は聖人であれとは言わないが、せめてスポーツマンシップを見せろと思う。

それもセリーナには無理な注文だろうが、9/11の10周年当日のニューヨークである。

トレードセンター跡地では、午前中から数時間かけて、9/11犠牲者全員約3000名の名前を読み上げつつ、遺族が一言二言述べる追悼式が行われた直後だった。

せめてこの日くらい慎もうと思わないのか。

セリーナ本人ももちろん、観客まで騒ぎ出し、ストーサーはなかなかサーブできない。それからはストーサーがミスをすると拍手をしたり、ストーサーが打つときに大声を出したりし始めたという。それが世界中に生中継された。

選手も選手なら、観客も観客だ。もちろん観客はアメリカ人が多く、セリーナを応援していた。

ああ恥ずかしい。


           *


アメリカ人がやたら"USA! USA!"コールをやるのもみっともないが、基本的に自国を応援する気持ちなので、それは見逃してあげよう。

四大会の中で、一番やかましいのがUSオープン。

コナーズ、マッケンローの時代からロディックまで、審判にしつこくギャーギャーわめくアメリカ人選手はいつもいた。ほかの国の選手でも審判に口答えするのはいくらでもいるが、アメリカ人の場合はまさに駄々っ子。自分の思い通りにいかないと、床にひっくりかえってかんしゃくを起こす2歳児と同じ。

それにしても、ストーサー対セリーナはなんとも後味の悪い試合だった。

きわめつけは、試合直後にセリーナが主審と握手しなかったこと。グランド・スラムの決勝で、あれはないだろう。

もちろんセリーナの擁護者はいて、試合中は気が立ってるからしょうがないとか、あれはわざとじゃないとか、あれがロディックだったらこんなに非難されないとか、セレーナ本人と同じく、言い訳ばかりする。

審判はルールブックに則って、正しい判断をしたのである。「いさぎよくあきらめる」という言葉は彼らの辞書にはない。

男子シングルス決勝に期待しよう。

ナダル(スペイン)とジョコヴィッチ(セルビア)。観客が昨日よりまともなら、醜いアメリカ人を見る可能性は低い。


<今日の英語>  

Kudos to the ref.
審判、よくやった。


セリーナの威嚇にも屈せず、自分の判定を守った主審へ寄せられた一言。誰か(何か)に対する賞賛。すごいね、おめでとうという気持ちを伝えたいなら、Kudos to you!



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チタンの電卓

2011.09.14 (水)


先週の水曜日、やっとハイスクールの新学期が始まった。

毎年のことながら、子どもたちから解放されるのはうれしい。猫たちも私もこの日を待ちわびていた。

低学年のころは、8月に新しい担任からサプライ・リストなるものが郵送されてきた。夏休み中に学用品その他を揃えておくのだ。そのリストが長い。中には「ティッシュ2箱」なんて書いてあって、20人クラスとして40箱もどうするんだと思った。

だんだん慣れたが、その非効率性には未だに理解しがたいものがある。

どこの親も子どもと文房具屋へ出かけ、リストを片手に、「1インチのバインダーが2つ、赤いフォルダーが1つ、マーカーが2本」などと店内を探し回る。

混雑する店での買い物、しかも子連れ。

私が一番きらいなパターン。

ノートにしろバインダーにしろ、子どもの数はわかっているのだから、学校でまとめて購入し、一人分の値段を計算して、親から集金すればいいのだ。そのほうが安くあがる。業者が配達してくれるだろうし、お互いに時間も手間も節約できる。

そういう方式の学校区もあると聞くが、うちの近辺はちがう。

しかも、せっかくサプライリストをもらっても困るときがあった。バインダーの厚さやインデックスカードの大きさなどを書かない先生がいたからだ。反対に、メーカーから品番号まで指定する先生がいて、なぜかそれだけお店にないという場合もあった。そのへんがアメリカである。

根がまじめな私は悩んだ。そして、初日までにきっちり揃えようと奔走した。

しかし、教室でボランティアをしてみると、「サプライリストを読んだんですか」と親に聞きたくなるようなモノがいくつも目についた。メーカーが違う、あるいはちょっと大きさが違う、色鉛筆の数が足らないまたは多すぎ。

それで別に問題なかったらしく、私は拍子抜けした。

そんなことを毎年しているうちに、やっと適当にやることを覚えた。こうして、私の大雑把な性格に磨きがかかっていったのである。


          *


ミドルスクール以降は、夏休み中にサプライリストが届くこともなくなった。

なにごとも慣れた頃に終わるものだ。

もはやクレヨンだのティッシュペーパーだのを持参する必要もない年齢である。ノート、バインダー、鉛筆、ルーズリーフ程度。スーパーかドラッグストアで十分間に合う。

「あー、出かけなくて済む。安上がりで助かる」と喜んでいたのだが、そうは問屋がおろさなかった。

ミドルスクールになると、長男も次男もScientific Calculatorという大きめの電卓が必要になった。

それまで使っていた電卓では機能が足らないというが、スペース・シャトルを飛ばすんじゃあるまいし、その程度の計算なんか自分の頭を使え!と私は苦々しく思った。しかし、授業で使うというなら仕方がない。

20ドルくらいなので、許容範囲ではある。

子どもたちが補習校で使った日本の算数教科書には、電卓の印が付いた練習問題があった。電卓を使ってもいいという意味である。

なぜ算数に電卓がいるのだ? いま脳みそを鍛えないで、いつ鍛える?



           *


その翌年には、Graphing Calculatorが要ると言い出した。

小さなディスプレイがついていて、折れ線グラフなどが表示できる。電卓のイメージとはほど遠い、ごつい代物である。なぜか、乾電池の消耗が激しい。

グラフなら鉛筆と定規で書け!と言いたいが、うちだけその機能がない電卓で点数が悪いのは困る。ここでケチって、志望大学に入れなかったなんてことになったら、元も子もない。

先生はメーカーまで指定してくれる。今度は20ドルでは済まない。

定価は125ドル。セール品を探して確か99ドルだった。それを2つ。

子どもたちには 「絶対になくさないでよ!」と言い含めた。

それなのに、長男は一度失くした。正確には、失くしたと思ってあちこち探したが見つからず、2つ目を買ったら、最初のが出てきた。

携帯を買い換えるのと同じく、古いものは使わなくなる。子どもたちの部屋に行くと、電卓がいくつもゴロゴロしているのだ。そのうち電卓屋が開ける。


         *


やれやれ、これで大学まで電卓を買うことはないだろうと思っていた。

ところが、先週、新学期初日に学校から帰ってきた次男がのたまった。

おかあさん、ぼく新しい電卓がいる。

「なんで? グラフィングのがあるじゃない」とうれしくない私。

「ぼくね、Calculus(微積分学)取ったの。先生がTI-89 Titaniumのcalculatorを持ってきてって。」

タイテーニアム、つまりチタン。また、ごたいそうな名前をつけてくれる。いかにも高額そうで、私はおもしろくない。

なんでそんな科目を取るのよ?!と思ったが、結局は買う運命なのである。

「いつまでにいるの?」

「月曜日にあったらいいんだって。」

すでに水曜日の午後。これからお店に行く気はない。だいたい、初日に必要だと言われて文房具屋へかけつける人が多い。在庫があるかどうかも疑わしい。オンラインで探すと、あった。2日で配達してくれるので、たぶん金曜日の午後には届くだろう。

「もし金曜日に来なかったら、先生にメールするわ。なんでこんなこと、もっと早く言ってくれないのよ。先生のサイトには書いてなかったの?」

「書いてなかった。あの、もし金曜日に来なかったら、ぼくが先生にメールするよ」と次男。

不機嫌な母親に苦情メールを書いてもらいたくないのだろう。

これまでは学校の先生とのやり取りはほとんど私だったが、そろそろこんなことも自分でやってもわねばならない。私の仕事も減るし、ちょうどいい。


             *


結局、TI-89 Titanium Graphing Calculatorを一つ注文した。153.99ドル也。

ほとんどコンピュータ並みである。

それにしても、子育ての費用として電卓までは考えていなかった。

「これで終わりでしょうね? 大学に行くまで、もう電卓は買わないわよ。大学でもこれを使うのよ。」

「うん。これで終わり」と適当なことを言う次男。

いやいや、終わりじゃないでしょう。

チタンのあとは、プラチナか、ゴールドか?

オムツ外しの悩みが、セックスやドラッグの心配に代わったように、夏休み中の文房具買出しが、新学期初日の高額電卓の注文に代わっただけである。


<今日の英語>  

Who left the milk out?
牛乳を出しっぱなしにしたのは誰だ。


台所のカウンターに置いてあったミルク・カートンを見た夫の一言。次男がしまい忘れたらしい。そういう夫もいろんなものを出しっぱなしにする。これは「今日の英語」というより「毎日の英語」と呼ぶべきか。



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4600万人の貧困者

2011.09.15 (木)


アメリカの国勢調査局が2010年度の貧困層データを公表した。

全人口に占める貧困者数の割合は15%。人数にして4618万人。

アメリカ人の6人に1人が貧困者である。

景気が悪くて長期失業者が多ければ、生活レベルの下がった人たちが増えたのは想像できる。しかし、あらためて数字を見ると空恐ろしくなる。

東京都の人口が1300万人だから、東京都民全員の3.5倍以上の人間が食うや食わずの生活をしている計算になる。

これが唯一の超大国、GDP世界一のアメリカか。

こういうデータを突きつけられると、とんでもない国に来たもんだと思う。

貧困層の定義は、4人家族で年収が2万2314ドル(1ドル77円として172万円。1ドル100円でも223万円) 以下。個人世帯なら、1万1139ドル以下。

統計学者が考えたんだろうが、あまりにも非現実的すぎる。食べていけるわけがない。

これより少し上でも生活はかなり苦しいはずだが、統計上は貧困層に入らないのだろう。たとえば2万5千ドルで4人家族の衣食住をまかなうのは難しい。物価の高い都市だったら不可能に近い。

そういう人たちも実質は貧困層とあまり変わらないはずだ。「準貧困層」とでも呼ぶべきか。

ミドル・クラスでも、失業や病気がきっかけで、あっさり貧困層に落ちる可能性がある。「自分はまじめに働いて普通の暮らしをしていた。まさか、こんなことになるとは」と呆然とする人たちの話がときおり報道される。

弱肉強食。うかうかしてはいられない。


          *


もともと貧富の差が大きい国ではあったが、過去10年間にその差は広がる一方で、桁違いの大金持ちはさらにリッチに、貧民はさらに貧しくなっていく。

アメリカのトップ1%がアメリカ総資産の40%を所有しているといわれる。

トップ20%になると、85%近く。つまりアメリカの人口の2割がアメリカの富の85%を手にしているわけだ。

それに反して、ボトム40%は1%以下。10%ではない。

One percent.

資本主義社会において自由競争原理を突き詰めていきますと、このような結果がもたらされます」と教科書に出てきそうな話である。

ありすぎているところから取ればいいのに、富裕層に対する増税は1ドルたりとも阻止しようとする保守派がいて、じゃあいったいどこから財源を確保するのかという話になり、結局ミドルクラスにしわ寄せがくる。


          *


もともとアメリカでは貯蓄率が低かった。

ほとんどなんでもクレジットカードで買えたし、不動産価格の上昇で(まだローンの終わっていない)家を担保にお金を借りられたし、貯蓄率がマイナスになった年もあったはずだ。

貯蓄していないどころか、収入より支出の多い生活である。

モールに行っても、ご近所を見ても、話に聞いても、「よくまあ、これだけ次から次へと買うなあ」と、呆れるのを通り越して感心した。彼らの消費行動がアメリカ、ひいては世界の経済を引っ張っていたらしいのだが、こんな綱渡りがよく続いたものだ。

そういう人たちが失業し、失業保険の受給期間が終わっても仕事が見つからない場合、いったいどうやって生活するのか。

貯金を崩そうにも、その貯金がない。

持ち家があってもローンが払えないし、家を売っても大きな借金が残るだけだ。その前に、今は売れない。銀行に差し押さえられる。

(だいたい買えもしない家を買うのがおかしいのだが、リーマン・ショックの後でそういう人の利率を下げたり、なにかを免除してやったりという話が出て、うちみたいに収入に見合った家を買って、まじめにローンを払ってきた人にはそんな優遇措置はない。非常に不公平である)。

フード・スタンプや生活保護だけでやっていけるのか、私にはわからない。

親戚の援助にも教会のチャリティにもホームレス・シェルターにも限度があるだろうし、どうやって生きているんだろうか。

この飽食肥満大国のアメリカで、「お金がないから、1日2食しか食べない」などという人がときおりニュースに出る。

私はそこまで貧しい人を知らない。

でも、6人に1人ならたとえばスーパーですれ違っているのかもしれない。「私は貧困層です」という名札をつけているのではないから、見た目にはわからないだけかもしれない。


           *


この町でもたくさん家が売りに出されているが、SOLD(売却済)の看板はほとんど見ない。

お向かいは、不運にもリーマン・ブラザーズが破綻した翌日に家を売りに出した。1ヶ月してとても売れそうにないとあきらめたらしく、FOR SALEの看板は取り外された。去年、別のブローカーの名前で再度売りに出した。

2人の娘たちはとっくに巣立っていて、夫婦二人暮らし。ベッドルームが4つに、内装済みの地下室。プールにあずまやにフロントポーチ。広い裏庭も植木もきれいだし、見晴らしがいい。

最初の売値から20万ドルは下げたのに、売れない。

奥さんは、まだローンがかなり残っているとこぼしていた。でも、このまま大きすぎる家に住んで高い不動産税を払うよりは、娘のいるフロリダに移住したいのだそうだ。

でも、家が売れない限り、動けない。

お向かいが最初に家を売り出してから、3年目の秋がやってくる。


<今日の英語>  

We have idiots in charge.
馬鹿が仕切っているんだよ。


貧困層データの報道に寄せられたコメント。この期に及んで、ワシントンでは政治屋が無意味な論争をしている。



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年齢差のある夫婦の老後

2011.09.16 (金)


最後に義父がNYへ来たのは、たぶん5年ほど前。

彼はすでに80を過ぎていて、長い距離を歩いたり、長時間立ったりすることができなかった。出先ではよく車椅子を借りた。押すのは義母である。

夫や私が代わりにやったこともあるが、あれにはコツがいるらしい。結局義母が一番うまく、また義父がどこへ向かいたいのかも彼女が一番わかっていたので、私たちはあまり役に立たなかった。

そのころ、義父はちょくちょく手術をして、服用薬が増えたが、耳もそれほど悪くなく、出かけるのが好きで、おいしいものに目がなかった(グルメだけは今でも変わらない)。

義母は車椅子を押しながら、私に冗談を言った。

「よく見ておいて。あなたもハズバンドの車椅子を押すようになるのよ。」

私たちは笑い、私はチラッと想像してみたが、実感はなかった。

義父が80歳のとき、義母は65歳だった。

彼女は2番目の妻。夫の実母は夫が大学を卒業した頃に病気で亡くなり、義父はその後20年くらいやもめ暮らしをして、15歳年下のリンと再婚した。


             *


その後、義父は会うたびに少しずつ衰えていった。

そして、いつも明るい義母の愚痴も増えた。

彼女はとてもきれい好きで、おしゃれもブランド物も大好きで、ちょっと見栄っ張り。自分の夫が身の回りのことをしなくなるのに耐えられないのだ。

義父がオムツを常時はくようになると、「臭いがたまらない」と私にこぼした。義父は気がつかないのか面倒なのか、なかなか替えないのだそうだ。

「私にはぜんぜん臭いませんけど」と言うと、「あなたたちがいるから、ちゃんと替えてるのよ。まだ小のほうだけだから我慢できるけど、大までコントロールできなくなったら、ナーシング・ホームに入ってもらうわ」と義母ははっきり宣言した。

私にあれこれ言う権利はない。私だって、きっとそうする。私は黙って頷いた。

先月、カリフォルニアに行ったとき、義母は新たな問題について私に話した。

シャワーに入らないの。臭いから入ってって言うのに、2日も3日も入らなかったりするのよ。もうたまらないわ。」

しかし、やはり私には義父の体臭など気にならない。

「私にはぜんぜん臭いませんけど」とまた同じことを言うと、「あなたたちがいるから、ちゃんと入っているのよ。それに、今週はカイロプラクターや病院の予約がいくつもあって、シャワーに入らなくちゃいけない理由があるから。いつもは、出かけないからシャワーを浴びなくてもいいと思ってるのよ。」

義父はディナーの前に服を着替えるような人だった。

NYで私が適当な夕食を出すのにもそんなふうで、私はびっくりしたことがある。夫が食事にも服装にも無頓着なので、同じ親子でずいぶん違うもんだなあと思った。

そんな義父もさすがに87になれば、億劫になるのだろう。義母はそれが受け入れられないようだ。


               *


義父はまだ食事も1人でできるし、シャワーもトイレも1人でできる(膀胱のコントロールができないので、オムツは手放せない)。ぼけてもいない。パソコンもできる。

しかし、今回カリフォルニアに行って、義母の負担が倍増したのに気づいた。

車の運転。買出し。料理。かたづけ。洗濯。ごみ出し。庭木の手入れ。犬の世話。電話の受け答え。もはや義父は何も手伝えず、義母がすべて1人でやっている。

医者との連絡。医者への付き添い。ドラッグストアまで運転して、薬をもらい、管理する。

私たちが出発した朝、義母が義父を起こそうとしていた。てっきり私たちに挨拶をさせようとしたのかと思い、「起こさなくていいですよ。昨日のうちにさようならを言いましたから」と私が言うと、「起こさなくちゃだめなの。目薬の時間だから」と義母が答えた。そして、寝たままの義父に目薬をさした。

義父は耳に炎症を起こして、補聴器が使えなくなっていた。耳の薬は聞いていたが、目薬もあったのは知らなかった。

若い義母がいなかったら、義父はとっくに施設に入っていただろう。

私は義父が好きだが、同居は無理だ。義父も望んでいないと思う。

アリゾナに住む夫の弟が面倒を見るだろうか。彼は、今年になってまだ一度もカリフォルニアに電話してこないと義母が言っていた。たぶんそちらでもありえない。

夫も私も、義母に感謝の気持ちを伝えた。

私とちがって、義母は活動的で出かけるのが好きなので、年取った夫のために外出が制限されるのはつらいだろうと思う。次女のいるユタ州にも、好きなクルーズ旅行にもいけなくなった。

一泊どころか、数時間でも義父を1人で家に置いておくことはできないそうだ。


             *


夫の家系は長寿で、義父の実母は99歳まで生きた(最後はボケてしまって、息子の顔がわからなくなった)。

義父自身も心臓手術をしたり、胆嚢を取ったりと、お医者にかかることも多いが、もともと頑健な人だ。先月会ったときは、以前よりしっかりして見えた。

しかし、今やあらゆる面で義母に頼っている。義母だって、昔の怪我で右手が少し不自由だし、ひざの故障を抱えている。それでも、87歳にくらべたら73歳は若い。

驚くべきことに、義父の運転免許はまだ有効なのだそうだ。

もっとも本人はよくわかっていて、ハンドルは握らない。もう保険にも入っていない。その分、どこに行くにも義母が運転する。

15歳年上の人と再婚したとき、義母はこうなることを予想していただろうか。


              *


夫との結婚を決めたとき、私は夫が10歳年上であることをほとんど意識しなかった。

一回りより近いと思い、ほぼ確実に未亡人になるだろうという気はしたが、若くても病気や事故で死ぬ人はいる。あまり考えてもしかたのないことだった。

私は夫と同じような年のつもりだったが、ときどき人生経験の違いを痛感した。私は世間知らずだったので、特にそうだったのかもしれない。

夫が50歳のとき、私は40歳。

老眼がどうの、肩がどうの、体重が増えるだの言われても、ピンと来なかった。自分が50歳目前になって、「そうか、夫は10年前にこうだったのか」とやっとわかった。

追いついたところで、夫はもうすぐ60歳。また10年先を行っている。

また私にはよくわからないことを言い出す。体調だけでなく、老後はどこに住むかなど、私にとってはまだ先の話もある。私より先に老いを感じているせいか。

私は「ふ~ん」と聞き流す。

きっと10年後にわかるだろうと思う。




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国境ハイキング

2011.09.17 (土)


昨日、イランのアハマディネジャド大統領が4年間拘束されているアメリカ人男性2名を「人道的立場から」近日中に釈放すると語った。

大統領は来週ニューヨークで国連総会に出席する予定なので、寛容なところを見せて点数を稼ぎたいのだろうが、歓迎すべきニュースではある。

ただし、イラン保守派の長老たちは釈放に反対しているという情報もあって、どうなるかわからない。

アメリカ人たちは、ハイキング中にイラン兵士に捕まった。

どうしてあんなに危ないところへわざわざ遊びに行くのだろうか。

私はアウトドア派ではないし、裏庭を歩くのさえ億劫なので、わざわざ外国まで出かけてハイキングをする人たちの気持ちは理解できない。

しかも、イラン・イラク国境とハイキングの組み合わせ

お気楽すぎる。

彼らのために、アメリカの大統領、国務長官らの高級官僚だけでなく、オマーン国王やスイスまで介入する騒ぎになった。

まだイラン政府から正式な通知を受けていないヒラリーは、釈放の見込みを慎重に歓迎する声明を出したが、「まったく、あんなところでのほほんとハイキングなんかして!これ以上、私の仕事を増やさないでよ!」と内心煮えくり返っているかもしれない。


             *
           

拘束中の男性2名は、ほかのアメリカ人男女2名といっしょに、イラク北部のクルド地区へ「観光」に行った。

彼らはバークレーの学生。男性のうち1人はアラビア語に堪能で、フリーランス・ジャーナリストの肩書きを持っていたらしい。

事件が起きた当日、病気の1人はホテルに残り、男性2名と女性1名で「ファンタスティックな」(女性の弁)滝のある山岳地帯へ向かった。

ちなみに、この女性だけは保釈金50万ドルを積んで、2010年に釈放された。

現地人だけでなく、外国人にも人気のある場所だとホテルで教えてもらい、なるほど賑わっていたのだが、気がつくと、自分たち3人以外は誰もいない。おかしいなと思っていたら、パトロール中の兵士に出会った。

てっきりクルド人兵士だと思ったが、アラビア語が通じない。クルド人かと聞くと、Farsi(ペルシャ系の人)だという返事があって、初めてイラン領に入ったことに気づいたのだという。

なんとかイラク側へ戻ろうとしたが、兵士はAK-47を突きつけている。あとはお決まりの尋問と適当裁判でスパイ決定、禁固刑である。

アメリカ人女性は「国境の印がなかった」とインタビューに答えているが、そういう問題じゃないんじゃないのと思う。

私はカナダにもメキシコにも行ったことはないが、どちらの国境でも、地図みたいに一本の線を引くのは不可能である。国境のチェックポイントをいくつも設置し、有刺鉄線や壁を張り巡らしても限度がある。

ましてや中近東。しかも、イランとイラクの国境の山岳地帯である(私のイメージは、砂漠に線を引いて、それが砂嵐で掻き消えるというものだったが)。

ここからイラン。一歩でも入ったら拘束されると思え」という看板はないと思う。

イランはタダで釈放なんかしない。1人あたり50万ドルの釈放金を要求している。誰が払うんだろう。まさか税金?


           *


2年前には、中国と北朝鮮の国境でアメリカ人ジャーナリスト2名が北朝鮮に拘束され、ビル・クリントンが特使として平壌まで飛んでいって、連れ戻した。

彼女たちは中国領土にいたが、川向こうの北朝鮮を撮影していたらしい。警告しても撮影をやめなかったので、北朝鮮の兵士が中国側へ踏み込んで(こんなことしていいのか?)、2人を拘束したということになっていた。

しかし、釈放後のインタビューでは、「入るつもりはなかったが、北朝鮮側に30秒ほどいた」と説明したようだ。

真相はどうだかわからない。釈放の条件で、そう言えと脅されたのかもしれないし、ジャーナリストとして危険を冒したのかもしれない。

どっちにしても、警戒心がなさすぎる。相手はパラノイア国家である。

無事に釈放されたのは喜ばしいが、将軍様はちゃっかりビル・クリントンと写真に納まり、相手の思う壺となった。


             *

                  
こういう迷惑な輩は、アメリカ人だけはない。

5年位前に、イスラエルとパレスチナが戦闘をしているエルサレムに日本人の若いカップルが入り込み、瓦礫の上で一休みしていたところ、

なんでこんなときにこんなところで観光をしているんだ?

と各国のジャーナリストに写真を取られて、ニュースになった。

会社を辞めてガールフレンドと世界を放浪していたお坊ちゃんの、「半年くらい旅に出ていて、ニュースは読まなかった。ここで戦争をしているとは知らなかった」という、かなり衝撃的なコメントを覚えている。

タクシーにベツレヘムのチェックポイントで降ろしてもらったのはいいが(本当はよくない)、通りには人の姿は見えず、建物には爆弾や銃撃による穴が無数に空いて、装甲車が走っているのである

そこをガイドブック片手に、生誕教会を目指してフラフラ歩くという危なっかしさ。

帰りのタクシーを呼ぶわけにはいかなかっただろう。どちらかの軍の車で戦闘地区から連れ出してもらったと思われる。あちらもいい迷惑である。

平和ボケなのか、ゆとり教育のせいか。

この2人はその後も旅行を続けたと記憶している。

いったいどういう顔で帰国したのかと不思議になるが、おそらく当人たちはたいして気にしてないんだろう。

イランや北朝鮮やイスラエル当局に拘束されたのではないぶんだけ、ラッキーだった。

日本政府に釈放を交渉する能力があるかどうか疑わしい。元大統領ならぬ元首相の数だけは多いが、その中で誰が外国に迎えに行ってくれるだろうか。


<今日の英語>  

It seems like we never get a chance to see each other.
ぜんぜん会わないですね。


隣のメアリから来たメールのあいさつ文。確かに、ここ数ヶ月、一度も顔を合わせていない。

メールの用件は、彼女がうちとの境に植えた木々の枝が伸びて、うちの敷地にまで届いている。いま切ると木が傷むと業者に言われたので、来年の春までそのままになってしまう。迷惑でなければいいが、というもの。迷惑どころか、私はぜんぜん気がつかなかったので、恐縮して返信した。



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死んだマウス

2011.09.18 (日)


7月4日に買ったばかりのマウスが壊れた。

$59.99もしたのに、3ヶ月も持たなかった。6年ぶりにパソコンを買い換えたとき、ついでに買った初めてのワイヤレス・オプティカル・マウスである。

毛布の上でも使えたし、人間工学を駆使したようなデザインもよかった。もっとも、高性能すぎたのか、私の予期しないこともときどきしてくれた。それに、乾電池の消費が早いのも玉にキズだった。

しかし、次にパソコンを買い換えるまで、このマウスを使うつもりだった。

動かなくなって初めて、横にある小さいボタンに気がついた。なんに使うのか知らないが、つまり私は使いこなせていなかったらしい。

製品保証があるだろうし、お店に持っていって交換してもらおうと思った。すると、次男が「ダディのヘッドフォンもそこで買ったよ。壊れたやつ」と言う。夫は壊れたものはそのままに、別のヘッドフォンをオンラインで買ったのだった。じゃあ、それもついでに返品しよう。

しかし、夫は返品できないという。

ここは返品大国アメリカじゃなかった?

「元の箱にその通りに入ってないとダメなんだよ。きみはマウスの箱を取ってあるのか」と夫。

取ってありますとも。


         *


さて、いつ行こうかと考えながら、一応お店の返品ポリシーを確かめておこうと思った。

14 days for desktop and notebook computers, monitors, projectors, camcorders, digital cameras, and radar detectors.
30 days for all other products.

14日? 30日?

めったにエレクトロニクスを買わない私は驚いた。

「メーカーの1年間保証はどうなるの?」と夫に聞くと、「メーカーまで郵送しろってことだよ。そうしたら、お金を返してくれるか、新しいのを送ってくれるかもしれん。受け付けてくれるかどうかはわからん。」

返品大国にも例外はあったか。

いつでも、どんな理由でも返品できます」というお店も多いのに、コンピュータ関連はそうではないらしい。

私は、オンラインで買った洋服をサイズが合わない・気に入らないという理由で半年もあとになって返品したことがある。そして、全額返金してもらった。

それが当たり前だと思っていた。

パソコンとマウスを買ったお店では、仮に返品できるとしても、コンピュータ関連には25%、それ以外の製品には15%のRestocking feeという手数料を払えという。

なかなか厳しい。お店としてはこれくらいしないと商売にならないのだろう。

そもそも私はこのマウスを2、3回(4、5回? いや、7、8回か)床に落としているのだ。

ふたがはずれ、電池が飛び出したが、そのたびによみがえった。衝撃に耐える設計なんだなと感心したが、そういえばガレージのコンクリート床に落としたことも一度ではなく、よく見ると、マウスの隅っこが欠けている。

さすがにこれを返品する勇気はない。授業料と思おう。


           *


だいたい私にワイヤレス&オプティカルのマウスは、猫に小判、豚に真珠だったのかもしれない。

たまに「内職」をし、月に1回資産のデータを更新するほかは、メールとネットサーフィンとブログを書くくらいしかパソコンを使う用事はないのである。

ワイヤードでもいいか(wirelessの反対はwiredなのだが、ワイヤレスのように、ワイヤードも日本語になったのかどうかわからない。しかし、有線マウスという言い方も聞かないし、ここではワイヤードと呼ぶ)。

検索すると、ワイヤレスも一長一短で、ワイヤードのほうがいいという人もいた。

私は手が小さいし、関節炎になりそうな指だし、しつこいテニスひじもあるしで、店頭で試したい。しかし、マウスを買うためだけに、ハイウェイを20分も運転する気はない。

ああ、もっと大事に扱うべきだったと反省しきりである。


         *


マウスを使わない人はいるんだろうか。

子どもたちに聞いたら、「いるよ」と言う。じゃあ、しばらくマウスなしでやろうと思ったが、手間取ってしょうがない。常に両手が必要なのも不便だ。なにかいい方法はないか。

マウスを使わない」で検索してみた。

400万ヒット!

マウスを使わない操作方法が山ほど出てきた。キーボードのショートカットを一つずつ試してみると、なるほど、できる(中にはうまく行かないのもあったが、パソコンやOSバージョンの違いが原因か?)。

私だって、CNTL+Hで履歴を出すとか、CNTL+Aで全部選ぶくらいは知っていたが、「えっ、これもキーボードでできるの?」と驚くばかり。いちいち次男に「ねえ、知ってた?!」と報告しては、「知らなかったの?」と逆に驚かれた。

目が見えない人のためのキーボード操作方法をまとめたページもあった。

メニューやアイコンをマウスでクリックするのは、画面が見えるという前提なのだと改めて気がついた。

というわけで、目指すは「ショートカットの鬼」である。


<今日の英語>  

It's a bitter pill to swallow.
つらいことですが、耐えなければなりません。


マンハッタンへの通行料金値上げについて、ブルームバーグ市長が「だれもうれしくないだろうが、そうしなければメンテナンスの財源が確保できない」と弁護した。直訳は、飲み下さなくてはならない苦い錠剤。



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電気毛布に包まって思う

2011.09.18 (日)


カリフォルニアから戻ってきたとき、NYもずいぶん涼しくなったなあと思っていたら、その後も着実に気温が下がっていき、3日前から夜間は50度に届かなくなった。摂氏10度以下である。

それなのに、うちはまだヒーターに切り替えていない。

夫はうちで一番狭い部屋にこもり、パソコンを1日中付けっぱなしにしている。古いデスクトップのせいか、放熱量が多いらしい。

ドアを開ければいいのに、電話するからとか集中できないとか、御託を並べては(ルーマニア女とのチャットあるいはアダルトサイトとは言わない)、ごていねいに施錠までしてくれる。それで、暑くてエアコンが必要になる。あるいは、ファンだけでもつけたがる。

私は凍える。

うちはオイル・ヒーターなので、地下室に巨大なタンクがあり、少なくなった頃に業者がタンクローリーみたいな車で配達に来る。家の外に投入口があって、太いホースで流し込む。ガタンゴトンとうるさいのですぐにわかる。

あの音を聞くと、私は次の請求書が目に浮かび、子どもたちに「シャワーは短めに!」という毎度のお達しを出すことになる。

夏は500ドルくらい、冬になると800ドル近い。原油価格が多少下がっても、なぜかあまり変わらない。すっかり高値安定になっている(暖房がないと凍死してしまう土地なので、町では低所得者に補助金を出す)。

ヒーターを入れなければ節約できるのだが、45°F(7°C)はさすがに寒い。


         *

            
寒くなると、いつもはお互いに微妙な距離を保っていた猫たちも、珍しく猫だんご風に近寄る(兄妹なのに、決して密着しない)。

私は長袖を着るが、まだ靴下ははかない。寒がりのくせに、裸足が好きなのだ。それでベッドにもぐりこむ。

フリースの毛布は1年中手放せない。夏は、夫がガンガンに入れるエアコンのせいで、冬は低めに設定するヒーターのせいだ。それでも、日本の冬に比べたら、室内温度は高めだと思う。隙間風もない。夫や子どもがTシャツ1枚で過ごせるくらいである。

しかし、もはやフリースだけではしのげない。

そこで、電気毛布の出番となる。まだ9月なのに、すっかり冬支度である

賢い妹猫は、電気毛布のスイッチがカチッと音を立てると、「あ、あれね」という顔でベッドにのぼり、一番暖かそうなところへ落ち着いた。兄猫は、皮下脂肪でじゅうぶん暖かいのか、反応しない。


           *


ニューヨークは北緯40度。日本で言うと、青森のあたり。

青森の明日の最低気温は15度と出ている。まだそれほど寒くないらしい。でも、もうすぐ冬がやってくる。

宮城や福島は、青森より緯度が2、3度低いところにある。震災と原発事故のために避難した人たちは、初めての本格的な冬を迎える。

被災地の状況はよくわからない。

もはや、私は新聞の見出しと大きな記事を読むくらいで、たとえば仮設住宅の防寒設備がどうなのか、まだシェルターに住んでいる人が何人いるのか、詳しいことは知らない。

行方不明者数は更新されるが、それ以外のニュースはなりをひそめているような印象を受ける。

原発での作業がトラブル続きだったり、原発作業員の追跡ができなかったり、いろんな場所や物や人から放射性物質が検出されたり、よくないニュースばかりが記憶にある。瓦礫から自然発火して燃え上がる写真を見た。もし汚染された瓦礫だったら、空中散布されてしまわないだろうか。

そして、「事故直後にもしベントがうまくいかなかったら、敷地境界での被曝線量は致死量になっていた」「あのまま海水を使っていたら、数日で冷却機能を喪失していた」という公式見解が、今頃になって静かに発表された。

保安院ごときがいまさら何を、と失笑ものだが、一歩間違えたら、どれほどの大惨事になっていたかを想像すると、ぞっとする。本当にぎりぎりのところで、かろうじて踏みとどまったらしい。

今も、原発が本当はどういう状況なのか、周辺地域はどれくらい危険なのか、一般人には知らされていないような気がしてならない。

放射線量を測るステッカー配布なんて小手先の対応でいいのか。


          *


もう一つ気になるのは、このところ大きめの地震が相次いでいること。

あれだけの大地震が来れば、余震は何年も続くと聞いてはいたが、なんだか落ち着かない。毎朝ラジオをつけるたびに、Japanがニュースに出ないとほっとする。

(日本についての報道は少ない。新首相の就任さえ、「また交代でーす」と揶揄されただけ。だから、日本がトップニュースに登場するのは何か重大なことが起きた場合である)

アメリカでぬくぬくと電気毛布にくるまっている私が心配したところで、どうにもならんと思いつつ。




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正念場

2011.09.23 (金)


長男がシニア(ハイスクールの最終学年)となり、いよいよ大学への願書提出が迫ってきた。

今週は親向けの説明会が2つあった。そのうちの1つは、朝8時と夜7時の2回に分けて行われた。働く母親の都合を考えてのことである。朝は図書室、夜はオーディトリアムで、やはり夜の参加者が多いのだろう。

これ以外にも、奨学金や願書について、いくつも説明会が予定されている。

私は働いていないし、夜の部では眠い。それで、朝の部に行った。

20人ほど集まり、そのうち父親は3名。そのうちの2名は奥さんも来ていた。あとは母親ばかり。顔見知りはほとんど主婦だった。すでに上の子を大学に送り出したという家庭が5件あったが、ルールが変わることもあると言い、いかにも教育熱心な母親たちである。

事前に学校のウェブサイトで資料を見ておいたので、内容はわかっていた。

この手の説明会は昨年ジュニアのときからあったし、大学での説明会に行ったり、ウェブで検索したりしているうちに、私もだいぶアメリカの大学受験に詳しくなってきた。

今回も特に目新しい情報はなかった。

一番大事なのは、「なにごとも早め、早めに!


       *


私は30年前の日本の受験事情しか知らない。

それも私は試験を受けただけで、事務的なことは教師や親がやってくれたし、なにしろ昔のことなので記憶も定かではない。

共通一次試験(後のセンター入試?)を受け、私立大学に願書を出し、受験日当日の筆記試験を受けた。理科と数学ができない私が共通一次を受けてもしょうがなかったのだが、やはりスコアがよくなくて、国公立はどうしようかと思う間もなく、私立大学から合格通知があり、そこで私の受験はあっさり終わった。

願書の提出締め切りも受験日も、全国どこでもだいたい似たようなものだったんじゃないだろうか。

それを思うと、これから長男が立ち向かうアメリカの受験は千差万別

だいたい願書を出すのさえ、

Early Decision (11月から12月初め締め切り。合格通知は12月か1月。1校のみ提出可。合格できる可能性は上がるが、もし受かったら、必ずこの大学に行かねばならない。それだけこの大学に行きたいという意思表示でもあり、奨学金は期待できない)

Early Action(11月から12月初め締め切り。合格通知は12月か1月。提出先に制限なし。と同じく、早く合否がわかるが、Early Decisionとちがって、必ずしもこの大学を選ばなくてよい。5月1日までに進学するかどうかを決める)

Rollling Admissions(10月半ばから。願書が届いた順番に審査し、合否を決定する。早く出したほうが合格率が上がる)

Regular Admissions(12月から2月にかけて締め切り。3月・4月に合格通知が来る。何校でも受けてよい。もっとも一般的な方法)

の4種類があり、しかも各大学によって提出日が違う。

共通一次にあたるSATやACTにも、科目別だとか小論文の有無だとか、いろいろ選択肢がある。

願書そのものは、多くの大学がCommon Applicationsを採用している。オンラインで記入して、複数の大学へ一度に提出できる仕組みだが、もちろん各大学独自の願書も平行して出さねばならない場合も少なくない。

うちの長男は美術専攻なので、各大学によってポートフォリオの規定が違う。自画像が必須だったり、テーマがあったり、必要枚数もいろいろ。


          *


こういうことがわかるにつれて、私の頭に思い浮かんだのはアメリカでの料理の注文である。

日本なら定食あるいはせいぜい二者択一のメニューのところ、アメリカのレストラン(学校のカフェテリアでもいいし、町のダイナーでもいい)では、とにかく選択肢が多いのだ

サンドイッチ一つにしても、ロールパンかライ麦か全粒粉パンか、トマトやピクルスは、たまねぎはどうする? マヨネーズは? ハムはどれ? ああもう、めんどくさい。

ステーキを頼んで、レアかミディアムかミディアムレアかというのは、まあいい。

付け合せは野菜か、ポテトか。ポテトなら、フライドポテトかベークトポテトかマッシュポテトか。ベークトならバターかサワークリームか。それは上にのせていいのか、別のカップで出してほしいのか。

私は慣れたので、聞かれる前にあれこれ細かい注文をするようになったが、ときおり

A定食お願いします!

と言いたくなるのである。


       *


のんびり屋の長男も、多少はお尻に火がついてきた。

しかし、シニアになったらますます宿題が増え、大学レベルのコースもあって厳しい。大学提出用にもっと絵を描かねばならない。ボランティアもしないといけない。クラブもある。空手もある。ACTやSATももう一度受けることになった(日本の共通一次とちがって、何度でも受験できる)

それなのに、先週末から咳がひどくなり、月曜日に小児科に連れて行くと、副鼻腔炎の診断だった。抗生物質を飲み、2日欠席。遅れたぶんの宿題にいつ追いつけるのか。

夏休み中の大学訪問はしたものの、秋にもオープン・ハウスと称して説明会・見学会がある。

夫はもう一度ボストンに行けというが、長男も私も気力がない(ついでに、お金も体力もない)。マンハッタンの一校はまだ見学したことがないので、それだけ来月に行くことにした。

大学が職員を派遣して、地方のホテルで説明会を開いたり、高校を訪問したりする。これにもできるだけ参加して、「入学したい」という意欲を見せねばならない。

私はエクセルで作ったカレンダーに予定をあれこれ書き足し、印刷して冷蔵庫に張った。

そして、志望校での募集要項を全部印刷。ついでに、授業料や合格率、奨学金の平均額などのデータをまとめたサイトで、志望校の情報を全部印刷。それらをまとめてホチキスで留め、ハイスクールでの説明会でもらったフォルダーに入れた。

とにかく、締切日と必要書類だけはきっちり把握しないと大変だ。

まるで長男の秘書である。だいたい読んだが、完全には消化できていない。ブログをやっている場合ではないのだが、つまらん資料は読み飽きた。


       *


どんなテーマの絵をどんな材料でどう描き、どうやって提出するのか。募集要項は長男が読まねばならない。長男もそれだけは芸術オンチの私に任せておけないと思ったか、「フォルダー、そこに置いといて。ぼく、時間のあるときに読むから」と言った。

いや、もう「時間のあるとき」なんてないでしょ。読む時間を作らなくちゃだめなんじゃないの?

長男が一番行きたい大学はボストンにある。

Early Actionで早めに願書を出せば、来年の1月中に合否がわかって私も解放されるのだが、肝心のポートフォリオがまだ弱い(らしい)。なんといっても、それが一番大事(らしい)ので、いいかげんなものは出せない。

美術専攻なんだから、教科の宿題やテストは適当にして絵を描けと思うのだが、シニアの1学期と2学期の成績も大事なのでそれはできない。すでに2日も病欠しているのだ。

親子ともに、もはや体力勝負である。


<今日の英語> 
 
That will make your life easier.
そうしたほうが楽です。


ほとんどの書類がインターネットでできるようになっている。なるべくオンラインで提出するようにとのガイダンス・カウンセラーの一言。昔は手書きで1枚ずつ記入したと思うと、気が遠くなる。




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人騒がせな題名

2011.09.24 (土)


先日マウスが急に動かなくなり、返品もできなかったという記事を書いた。

最初は「返品大国の例外」という題名にしたのだが、しばらくして読み直すと、返品よりマウスそのものに焦点があると思った。それで「死んだマウス」に変更した。

すると、飼っていたマウス(ハムスター)が死んだのかと思ったというコメントが来た。

うちには猫は二匹もいるが、マウスはいない。

モルモットだろうが、ハム太郎だろうが、ああいう生き物が大の苦手(ついでに、ミッキーマウスも嫌い)。家の周りを飛び回るリスにしても、よく見るとねずみの顔をしていて、ぞっとするときがある。縞模様あるいはふかふかの尻尾に集中して、意識をそらせねばならない。

あの記事を数百人が読めば、そう受け取る人が1人いてもおかしくない。そもそもコンピュータのマウスは、生き物のマウスからの発想で名づけられたはずである。

たいして気に留めなかったのだが、すぐまた別の人からまったく同じ反応をしたというコメントが来た。

もっと他にいるはずだと直感した。ほとんどの人がコメントしないのだから、2人という人数は多いのである。

死んだマウス=息を引き取ったネズミだと思った人は手を挙げて」と統計が取れたら確実なのだが、そういうわけにもいかない。最低10%、もしかしたら25%、つまり4人に1人は誤解したと推測する(根拠はない)。


         *


なぜそんなことになったのかを考えてみた。

私は無意識のうちに、dead mouseを日本語に直訳していたらしい。今思うと、多少の違和感はあるが、そのときは気にならなかった。そもそも、ブログ記事の題名は適当な思いつきであって、熟慮検討の結果ではない。

英語ではいろんなモノが「死んでしまう」のだ。

My phone is dead.
My computer just died.
My car battery has died.

電化製品が故障した状態がdeadなので、マウスが動かなくなったらdead mouse、すなわち死んだマウスとなる。

英和辞典では、3番目くらいに「機器が故障した、電池が切れた」という訳が出ている。

つまり、私も「故障したマウス」と書けば、誤解されなかっただろうが、英語に引っぱられたらしい。

これが死んだ電話だったらともかく(日本語にすると、それも不気味か)、モノがマウス(ネズミ)だったせいで、人騒がせな題名になってしまった。


         *


もしかして、「家に電話しようと思ったんだけど、携帯が死んでたのよ」などと、ふだん私は子どもたちに言っているのだろうか。

日本語の感覚が少しずつズレて行っているのだろうか。

子どもたちが「シャワー取った(入ったの意)」とか「いま来るよ」とか英語風に言うのも、しょっちゅう聞いていると慣れてしまう。そして、「薬、取った?」と長男に確かめて、「あれ?今の、おかしいんじゃない?薬は取るんじゃなくて、飲むんだわ」と自分で気がついたりする。

アメリカ生活たった22年でこれだ。

年老いた日系人の日本語は奇妙だと聞くが、他人事ではない。




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運転免許の更新 前編

2011.09.25 (日)


NY州のDMV(Department of Motor Vehicles 車両関連を扱う部局)から免許更新のお知らせが来た。

免許の有効期限は誕生日になっている。あと1ヶ月以上あるが、こういうお役所関係は早く片付けるに限る。なにか問題が起きても、相手は責任を取ってくれない。

昔はわざわざDMVのオフィスへ出向いたり、郵送したりと手間がかかったが、ここ数年はオンラインでできるようになり、とても助かる。

DMVは歯医者と同じくらい忌み嫌われる役所だった。

とにかく待たされる。丸一日混雑する。人によって言うことが違う。1回で終われば儲けもの。愛想が悪く、サービス精神ゼロ。

新しい書類は普通郵便で届くので、一抹の不安はあるが(パスポートやグリーンカードだって、ジャンクメールといっしょに郵便受けに入っている国だ)、これまでトラブルはなかった。

楽勝、楽勝と思って封書を開けたのが水曜日。

見慣れた用紙のほかにピンクと白のカードが入っていた。ピンクは乳がん検査のキャンペーン。もう一つは、Eye Test Report つまり、視力検査報告書。


       *


これまで何度か更新したが、最初に免許を取得して以来、DMVのために目の検査をした覚えはない。

いや、あったような気もする。でも、記憶がないということは、私にとってたいしたことではなかったのだろう。

10年前はまだ老眼ではなかった。

近視と遠視と乱視だったので、めがねがないと生活できなかったのは同じだが、老眼の不便さはもっと複雑。単に、近くが見えない、小さい文字が見えないだけではない。

遠くを見ていてぱっと近くに視線を動かすと、調節に時間がかかる。遠近両用めがねでも、小さい文字などはそれを外したほうが見えることが多い(これは私のめがねの問題か)。缶詰のラベルを読むとき、何度も手を伸ばしたり縮めたりしないと、ちょうどいい位置が定まらない。暗いところでは見にくい。

ともかく、見ること全般が難しくなる


        *


5月に長男がLearner's Permit(路上運転の練習許可)を取った。筆記試験のあとで、壁に貼った視力検査表を読めと言われた。少し目が悪かったが、まだめがねをかけるほどではなかった長男は、非常に難儀した。

かろうじて合格し、係りの人に「彼、見えてないわよ。めがねをかけないと」と言われたほどだ。

しかし、長男が読めと言われたのは、視力検査表の下から4番目か3番目の極小文字である。しかも、DMVオフィスの照明はよくない。私は横から首を伸ばして読んでみたが、まるっきり米粒にしか見えなかった。

私だったら、絶対受からない。でも、相当年を取るまで視力検査はないだろうと、そのときは思った。

そこへ、今回の免許更新である。私は軽いパニック状態に陥った。

「視力検査があるんですって!50歳になるからかしら。あんな小さい文字、ぜったいに見えないわよ。でも合格しないと、免許が更新できないし、そうなったら足がないのも同じだわ」と夫にまくしたてた。

「フロリダなんか、よぼよぼのおじいさんたちが運転してるらしいけどね。見えてるんだろうか」とどうでもいいことを言う。夫だって、あと2ヶ月で免許が切れるのだ。


        *


更新手続きには、オンライン、郵送、窓口のいずれかを選ぶ。

窓口以外では、目医者に視力検査証明書に記入してもらって提出しろと書いてある。DMVであの表を読むことだけは避けたい。

しかし、私のめがねは2、3年前に日本でつくったもので、合わなくなってきた。いま検査したら、合格しないかもしれないが、もうアメリカでめがねは作りたくない。

視力テストは12ヶ月(場合によっては6ヶ月)有効とも書いてある。でも、最後に検眼したのはいつだったか覚えていない。もはや目も脳みそも衰退の一途である。しかも、パニック状態ではまともに考えられない。

翌日は木曜日。

朝一番で目医者に電話したが、休診日だった。もし去年の9月後半に検眼したとなると、間に合わないかもしれない。悶々と1日を過ごす。

金曜日。再び、目医者に電話。

「DMVに証明書を出さなくちゃいけないんですけど、最後に検眼をしたのはいつだったか教えてください」と必死な私。

しばらく待たされた後、「去年の10月6日です」と受付のおばさん。

間に合う! 

しかし、郵送ではぎりぎりになるかもしれない。目医者とDMVのどちらかが紛失したらどうなる? また検眼、新しいめがねができるまで2週間、再検査。そんな悠長なことはしていられない。期限切れの免許証で運転して捕まったらどうする?

「いまからDMVの書類を持っていったら記入してもらえますか」とたずねると、「もちろん、すぐできますから、どうぞ~」とお気楽な返事だった。

果たして私の視力はDMVの基準に達しているのか。電話を切ってから、おばさんに確かめなかったことに気づいた。でも、もしだめならそう言ってくれるだろう。

私はDMVの書類一式を手に、雨の中、20分も運転して目医者まで行った。

受付のおばさんは慣れたふうで、判読しがたい手書きで証明書に記入してくれた(なぜか有効期限を選ぶところは忘れていたらしく、車の中で私は勝手に12ヶ月に印をつけた)。

第一関門突破である。

後編へ続く)


<今日の英語> 
 
I'm just giving you the truth.
事実を述べているだけですよ。


製薬業界の研究部門の衰退についてインタビューに答えていた製薬会社の元社長。だんだん声高になり、明らかに政府の方針に不満を持っているのが伝わってきた。「ご立腹のようですね」とジャーナリストに問われたときの返事。



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運転免許の更新 後編

2011.09.26 (月)


前編の続き)

雨の中、目医者からDMVへ直行した。

雨のせいか、オンライン化が進んだせいか、お客(?)は12人程度。しかし、短い列に騙されてはいけない。こういうところは、スーパーの遅いレジよりさらに遅い可能性がある。

罰金を払ったり、免停になってやり直したり、住所や名前が変わったり、オンラインで処理できない事情があるからオフィスまでやってくるのだから。

天井にA、B、Cという札がぶら下がっていて、さらに窓口には1番から順に番号がふってある。表示はわかりにくく、たぶんAだろうと推察して並ぶ。

カウンターのすこし奥に、何もしないで、突っ立ったまま、じーっと列を眺めているだけの係がいた。

お役所関係でよく見かける光景である。

長い列ではないが、Aの窓口は2つしか開いていない。なぜ彼女が次の人の相手をしないのか。休憩ならそれらしく、そうでないならせめて忙しいふりだけでもすればいいのだが、まるで品定めをするようにただこちらを見ている。ちょっと普通の目つきではない。

ただ待っているだけで退屈な私の妄想が膨らむ。


         *


幸い、列は順調に進み、私の番が来た。

「免許の更新をしたいんですが」と書類と小切手を差し出した。係りのおばさんは、”Driver's license.”とつぶやく。今の免許を見せろということである。

まるっきりやる気のなさそうなおばさんは、これまた判読不可能な字で用紙に何かを書き、ホチキスで留めて、”Window 11”とあごをしゃくる。

このオフィスはカウンターがL字になっている。ぐるりと歩いて、一番奥の11番窓口へ向かう。

窓口で書類を出すと、おじさんはボールペンで書類に印をつけ、「写真を撮りますから、こっちへ来て」と壁を指差す。

写真? 今? この髪とこの服で?

申込書には写真のことは書いてなかった。私は確実に免許更新をしたいがために、わざわざDMVのオフィスまで出向いたが、郵送やオンラインでやる方法もあった。写真を同封しろという指示はなかったと思う。読み落としたのだろうか。

不可解だが、ここで言い争いをして免許がもらえなかったら元も子もない。

もちろん鏡などないので、あわててレインコートを脱ぎ、髪を手でなでつけた。化粧もしていない。たぶんmug shot(犯罪者の顔写真)になるだろう。デジタルカメラなのに、おじさんは写り具合を見せてはくれない。

11番窓口に戻ると、おじさんは何かをホチキスで止めて、「これを持って、Bの列に並んで」と言う。

ここはソ連なの?!

ソ連に行ったことはないが、彼の地での買い物はこんな具合だったと聞く。

  1. 商品カウンター前の長い列に辛抱強く並ぶ。
  2. 品物を見て、カウンターのおばさんに「xxがほしい」と伝える。
  3. おばさんはxxという商品名を書いた紙をくれる。
  4. その紙を持って、レジの長い列に並ぶ。
  5. レジでお金を払い、レシートを受け取る。
  6. そのレシートを持って、商品受け取りカウンターの長い列に並ぶ。
  7. 運がよければ、その日のうちにxxがもらえる。

なんという非効率。

私を合計3つの窓口へ行って並ばせたDMVもそっくりだ。オンライン化するまでの混雑と混乱ぶりがわかろうというものである。


       *


Bの列に並ぶ。

私の番が来て、11番窓口のおじさんからもらった書類を出し、「あちらで写真を撮りました」と一応伝える。

おばさんは無言でキーボードを叩き、何かを印刷し、私に差し出した。

「テンポラリー・ライセンスです。正式のは10日くらいで郵送されます。」

今の免許証があと1ヶ月以上も有効なので、これは予期していなかった。これさえあれば、怖いものはない。期限は12月半ば。それまでに写真つきの正式の免許証が届けばいいのだ。

大船に乗った気になった私は、やめときゃいいのに、おばさんに質問した。

「写真のことですけど。もし郵送で更新手続きをしたら、写真も同封しなくちゃいけないんですか。オンラインで更新するときは、アップロードするんでしょうか。」

「写真は郵送できませんよ」とおばさん。

「ここに来て更新するときだけ写真が必要なんですか」と私。

「ここでは写真を撮りますよ」となんだか会話がかみ合わない。

おばさんは私の疑問にはまったく興味がないらしかった。私もこれ以上時間を無駄にしたくない。


        *


家に戻って、DMVのサイトを見てみた。

オンラインまたは郵送で更新する場合は、現在の免許に使われている写真をそのまま使うらしい。

10年前の写真?! それで公式の身分証明になるのか?

グリーンカードが10年有効なので、それまでアメリカの(NY州の)運転免許の期限も10年だと思い込んでいたが、実は8年だった。それでも8年前の写真を2回使うと、2回目の期限が切れるころには16年前の写真という計算になる。

その次の更新の際はどうなるんだろう。いくらなんでも、60歳の人が36歳のときの写真を使うには無理がある。

もしかして、デジタル写真を8年ずつ老けさせるテクノロジーを使うんだろうか。

どうもよくわからないが、少なくともDMVの人たちはぜんぜん気にしていない(=どうでもいい)ようだった。

まあ、私も正式の免許証が届けば、それでよし。2019年の秋まで安泰である。


<今日の英語>  

She is almost always in heels.
彼女はほとんどいつもハイヒールを履いている。


ある女性が女友達を評して。たまにフラットシューズを履くと、坂道を上っているような気がするそうな。



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アメリカのモットー

2011.09.27 (火)


先週、ハイスクールでの大学進学説明会に行ったときのこと。

朝8時半から始まったプレゼンテーションは、全校アナウンスでたびたび中断された。学校にはチャイムがなく、「あと1分で2時限目が始まります」などとPRシステムから一々お知らせが入る。

そのあいだにも、教育熱心なお母さんたちはガイダンス・カウンセラーに質問をし、私は持参のパソコンでメモを取りながら、聞いていた。

あるとき、みんなが一斉に立ち上がる気配がした。

先生たちも「おっと、これをやらないと。今の質問にはこのあとでお答えします」と言いつつ、体の向きを変えた。

もしかして、アレか?と思って、私も椅子から立った。

すると、案の定、スピーカーからPledge of Allegiance(忠誠の誓い)が流れ始めた。ほとんどの人は右手を左胸に当てて、国旗に向かってプレッジをした

 ※プレッジについては、過去記事を参照。

アメリカ市民ではなく、神様も信じていない私は、居心地が悪い。いつも立ってまっすぐ前を向くことにしている。ちょっと見には直立不動だが、よそ事を考えている。

プレッジは10秒もかからない。スピーカーが静かになると、お母さんたちはまた椅子に座り、先生は説明に戻った。

この時間に校内にいたのは初めてだったので、ハイスクールでもまだやっているのかと驚いた。あとで子どもたちに聞いたら、やはり毎朝やるのだそうだ。テストの日はどうするのかは聞きそびれた。


       *


テストと言えば、アメリカ市民権テストの問題の一つはこれ。

Q:What is the national anthem of the United States? アメリカ合衆国の国歌は何ですか。
A:The Star-Spangled Banner 星条旗

USオープンの優勝決定戦前にセレモニーがある。巨大な星条旗を掲げ、有名歌手とコーラスが国歌を歌う。私は野球もフットボールも見ないが、おそらくそちらも同じだろう。

アメリカに住めば「星条旗」はしょっちゅう耳にするものの、私は歌うと途中で歌詞が怪しくなってくる。

市民権の面接試験で「アメリカ国歌の2番を歌ってください」なんていう問題はたぶん出ないが、アメリカ市民になるならせめて1番くらい正確に歌うべきじゃなかろうか。

歌詞はともかく、あのメロディはむずかしい。音域の幅が広すぎる。私は苦手である。


       *


調べたら、アメリカ国歌には4番まであった。最終連には、アメリカ合衆国の公式なモットーが出てくる(先に歌があって、そこから取ってきたらしい)。

In God We Trust
我らは神を信ずる


この言葉は、アメリカの紙幣や硬貨にも印刷してある。

プレッジにも”Under God”が出てくるし、子どもたちはそれをキンダーガーテンの頃からハイスクール卒業まで毎日言わされる。

これが洗脳でなくて、なんとしよう。

私は宗教が嫌いなので、毎度いや~な気分になるのだが、公立の学校なのでしょうがない。アメリカでは政教分離の原則はあってないようなものだ。演説を"God bless you, and God bless the United States of America."で締めくくらない大統領がいたか?

同じく旧大陸フランスのモットー「自由・平等・博愛」のほうがずっといい。意地悪と利己主義の権化であるフランス人(←イメージ)には似合わないが、一つの哲学として受け止めよう。

イギリスの国歌God Save the Queenには、題名からして神様が登場するが、あちらは国教会もあるし、まあそんなもんだろう、オールド・ワールドだから、となんとなく許せる。

それに比べて、日本の国歌は、「君が代」が天皇のことであろうが、平和な治世を意味しようが、要は「長く続きますように」と言っているだけである。

それも、枕詞がほとんど(元は和歌なのだから、当然か)。

フランスの血なまぐさい「ラ・マルセイエーズ」やイギリスの「女王陛下万歳」と比べると、なんとも奥ゆかしい。

しかし、他国の国歌に比べて、一般人が親しんで歌うことはない(右翼を除く)。式典、オリンピック、大相撲以外では、論争や裁判の種になってしまう。日の丸にも君が代にも軍国主義のイメージがつきまとう。

たとえば、チリの鉱山事故で全員が救出されたあと、大統領以下みんなでごく自然にチリの国歌を歌ったが、日本ではまずありえない光景である。


         *


自慢じゃないが、私はロシアの国歌をロシア語で3番まできっちり歌える。この際、発音は問題にしないでおこう。

今のロシア国歌はソ連国歌と曲は同じだが、詞は違う。レーニンやスターリンを讃えていたので、ソ連崩壊後に作詞だけやり直した。

曲はいかにも超大国らしく、威厳があってすばらしい。歌詞もストレートな祖国愛に満ちて、超一級品である。神様が出てこないところもいい。

さすが芸術の国。

私はロックンロール風にアレンジしたバージョンで覚えた。何度聞いても聞き飽きない。歌詞も印刷して、いつの間にか暗記してしまった。誰にも強制されず、ただ好きだから覚えるときは、すんなり頭に入るものだ。

アメリカに住む日本人の私がロシア国歌を暗記すべき理由は、これっぽちもない。

いつだったか、車の中でそのCDをかけながらパヴェルといっしょに歌っていたら、2番目の途中でつまづいた彼が「ぼくよりロシア国歌を知ってるなんて!」と呆れ驚いていた。

しかし、私はロシア市民権を取るつもりはない。クレムリンに招待される予定もない。

記憶容量が減りつつあるのに、ロシア国歌なんか覚えていていいのか?


<今日の英語> 
 
There is no harm in asking.
聞いてみるだけなら差し支えない。


目医者からの請求書がどうも腑に落ちない。支払う前にどうなっているのか確かめたらどうかと夫に言ったときの返事。じゃあ、あなたが電話してよという話にはならない。結局、私がやるのだ。



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危ない季節

2011.09.28 (水)


つい先日、電気毛布だ冬支度だと書き、その後暖房も入れたのに、また気温が上がってエアコンに戻った。

しかし、運転すると紅葉が目に入るし、お店はハロウィーン一色。秋がやってきたことは疑いようがない。

だんだん日が短くなってきた。6時になれば外はもう真っ暗。家の周りは森なので、闇に包まれる。夏の間は緑だった雑草が茶色になり、心なしかリスが太ってきたように見える。裏庭には落ち葉が舞っている。

私にとって、秋は二重の意味で危険な季節である。

一つは季節性の鬱


        *


英語ではSeasonal Affective Disorder(季節性情動障害。略してSAD 悲しいのsadと同じ)。winter depression/blues, summer depression/bluesとも呼ばれる。なぜかfallはない。

特に、落ち葉がハラハラと散るのがいけない

あれが目に入ると、あーまた葉っぱの掃除をしなくては(業者がやってくれるが、何週も続く騒音と費用がうれしくない)といやになる。夏の間にできなかった庭仕事や家のメンテナンスをいくつでも思いつく。

秋が終わると、長い冬。雪かきもあるし、うっとうしいホリデー・シーズンもある。それを思うと、気がめいる。

いったん冬になってしまえば、「あとは春になるのを待つだけ」「あとX週間がまんすれば春が来る」と多少はカラ元気が出せる。

しかし、秋はちょうどマラソンのスタートラインに立ったようなもので、ゴールは遥か遠い(ちなみに私はマラソンなど一度も参加したことがない。なにがうれしくて、何時間も苦しみつつ、ひたすら走るのか、まったく理解できない)。


         *


私は長い間抗うつ剤(抗不安薬)を服用している。

もう何年飲んでいるのか忘れたくらい、長い。子どもの年齢から考えて、おそらく12年。途中で少しやめたり、量を減らしてみたりしたが、完全にやめることなく今に至った。

だから、落ち葉を見ても、実は鬱状態に陥ることはない。あくまでもそんな感じがするだけである。

抗うつ剤のせいで、私の精神は1年じゅう空調の効いた部屋と同じ状態になっている。

よく言えば、安定している(だから精神安定剤なのか)。

ものすごく感動することもあまりない代わりに、ひどい自己嫌悪になることもない。振れ幅が小さい。一定の位置をフワフワ漂っているような感覚がある。これは、ウキウキ舞い上がっているのとはちがう。地面に落ちそうな風船を棒でつついて浮かせておくような感じか。

薬を飲んでいれば大丈夫(なはず)だと理解していても、何かがきっかけでバランスが崩れるかもしれないという心配はいつも頭の隅っこにある。


         *


今思うと、若いときから初秋は鬼門だった。

子どもが生まれてから、産後鬱とは違う種類のひどい鬱をわずらって(あのときも秋だった)、精神科医に行き、薬を飲み、落ち着いた頃になって、中学生以後にたびたび経験した精神状態を思い出した。

あれは鬱だったのだろうか。

もう30年以上前のことなのに、落ち込み始めるときと立ち直りかけるときの感覚が奇妙にはっきり残っている。本当にズルズルと深い穴に落ちていくという自覚があった。気がついたらふさぎ込んでいたという状況ではなかった。落ちて行ってるなあと思い、立ち直るときは気分の上向きがはっきりとわかった。

当時は単に「落ち込み」と呼んでいた。

特に理由があって落ち込むよりは、ただ気分が鬱々としていた場合が多かったと思う。1週間か2週間。どれくらい長く続いたのか、よく覚えていない。

初秋だけでなく、他の季節でもなっただろうが、記憶は薄れた。

当時は10代の鬱病が表立って取り上げられることはなかったと思う。だいたい精神科に対する偏見は強かった。しかも田舎だったので、鬱の子どもは家の恥として隠されたんじゃないだろうか。あるいは単に気鬱な陰気な子として片付けられたか。

大人になってからの鬱には、はっきりとした原因があった(精神科医もカウンセラーも夫も否定したが、私はそう信じている)。若いときの落ち込みはそうではなかった。悲観的な性格から来る自己嫌悪が時折そういう気分にさせただけかもしれない。

私は親に何も言わなかったし、何の治療も受けなかった。

本当に治療が必要だったのかどうかも、今となってはわからない。


        *


初秋が危ないもう一つの理由は、お菓子

春でも夏でも作るが、空気がひんやりしてくると食欲が刺激されるのか、突然ふだん以上においしいものが食べたくなる。

しかし、この田舎町にはおいしいレストランもベーカリーもない。おいしいものが食べたければ、自分で作るしかない。自分で作ってもたいしておいしくないのだが、それでも買ったものよりはずっとマシだ。

私が作るお菓子は、大雑把に計量して、適当に混ぜて、ばーんと焼くタイプ。すぐできる。

涼しいので、オーブンを使うのも気にならない。

熱い紅茶もおいしい。パイもタルトもやっぱり秋。

梨やリンゴが安くなる(しかし、最近は食料品の値上がりが著しい。特に野菜や果物、シリアルや肉。しばらく前に「アメリカも日本みたいにデフレになる」と誰かが警告していたが、スーパーで見るかぎりインフレとしか思えない)。

本格的な冬になれば、いくら全室暖房でも台所仕事は億劫になるのに、秋はお菓子作りの条件が整い過ぎている


        *


夫はもちろん、子どもたちも甘党なので、競争は激しい。誰が何切れ食べたかという醜い争いがしばしば起きる。2日は持つだろうと思ったケーキが、数時間で消えたりする。

いったいいくつ私の口に入ったのか? しかたなく、次の日もう一度作る。

これは危険だ。

気がつくと、ほぼ毎日何らかのお菓子を焼いている。作るだけで食べなければいいのだが、それはできない相談である。

学校が始まって、日中は子どもたちがいないので、エネルギーを吸い取られない。お昼ごはんも適当でいい。運動量は減るのに、お菓子のカロリー摂取は増える一方。

私の場合、季節性鬱かどうかは、お菓子を焼く気力があるかないかで判断できるかもしれない。


<今日の英語> 
 
You look out of it.
ぼーっとしてるみたいだね。


考え事をしていた私に夫が一言。心ここにあらずという風情でぼんやりしているようす。



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他力本願の極み

2011.09.29 (木)


9月7日にようやく新学期が始まったと思ったら、今日と明日はユダヤ教の祝日Rosh Hashanah(ユダヤ暦の新年祭 )のために、4連休。

これで9月は終わりである。

30日間のうち、授業日数は16日。病気で2日欠席した長男にいたっては、家にいた日数のほうが多い。

私は専業主婦なので、別に影響がないのだが(子どもが家でゴロゴロしてうっとうしいのと昼食のしたくを除く)、働くお母さんは迷惑だろうなあと思う。特に子どもが12歳以下だったら、1人で留守番させることもできない。

10月以降もちょくちょく休みがあり、そのうち感謝祭とクリスマスであっという間に今年が終わる。

長男の大学進学問題も大詰めなのだが、いまひとつ本人に切羽詰った感じがない。

そういう私も、ブログを書いたり、お菓子を焼いたり、本を読んだりと、現実逃避に忙しい


        *


G氏のスタートアップは、最初のリリースが遅れている。

いろいろ課題があるらしく、プログラムやコーディングの仕事は増える一方なのだそうだ。

G氏はすでに個人で$1.5ミリオンをつぎ込んだ。彼の奥さんは非常に憤っているのだが、ここまでやった以上は元を取るまで辞めてもらっては困るだろう。

私は事業の詳しいことは知らないので、夫の話を信用するしかない。

ルーマニアへの送金はまだ続いている。しかし受け取り手であるゾーイという女性は確かにG氏のプロジェクトで働いている。それはG氏から私宛のメールと契約書からも、あながち虚偽ではないと思う。

その契約書にはデラウェア在住のスティーブの名前もあった。

ゾーイとスティーブがいわば共同下請けの形で働いている。彼らに給料を支払わねばならないが、G氏は奥さんの手前、もう出せない。クライアントはいくつもあるが、まだ正式なリリースができないせいか、お金が入ってこない。

そうして誰がお金を出すかといえば、当然うちの夫しかいない。


       *


私は夫のルーマニアでのコンタクトはゾーイだけではないと見ている。

彼女への報酬という名目で、実は他に送金している可能性が捨て切れない。

だからなるべく現金の残高はぎりぎりに低くしている。夫がxxドル必要だと言ってから、おもむろにファンドを売却し、取引ができたら地元の銀行へ送金する。

夫がセミリタイア状態の今、よそにあげるお金なんか1セントだってない。

それなのに、この3ヶ月はスティーブの家賃まで払った。彼はどこかの会社をレイオフになって、どういうつながりかG氏の元で働くようになったのはいいが、給料が出ない。家賃を滞納して追い出されそうになったとき、夫がそれではプロジェクトに支障が出ると言って、給料の前借りという形で立て替えたのだ。

しかもスティーブは離婚していて、奥さんが子どもを連れて出て行ったらしい。

ルーマニア女といい、スティーブといい、夫はいったいどこからこういう連中を探してくるのだろう

夫は毎日彼らとスカイプやチャットをしているのに、いまだに私は彼らと一度も話したことがない。夫は私がゾーイを罵倒するのをいまだに恐れているふしがあるが、それは自業自得だ。


        *


8月にカリフォルニアへ行ったとき、はからずもルーマニア女のことが義父母に知られた。

義母は犬が好きで、犬の話題が出たとき夫が「ゾーイは大きな犬を何匹も飼ってるんだよ。写真、見る?」と書斎から呼んだのだ。

「誰?」と義母は私に聞いた。

「ルーマニアにいる女の人です。例のスタートアップを手伝ってるんですって。私はなんだか怪しいと思うんですけど。500ドルとか1000ドルとか送金したりして」と私は初めて義母に打ち明けた。

ビジネスウーマンだった彼女はスタートアップの存在そのものに懐疑的なのに、そこへ東欧の女が登場したものだから、夫に聞こえないようにヒソヒソと私に忠告した。

これ、絶対おかしいわ!なんでルーマニアなの?あんな連中、信用できないわ。あなた、もう絶対にお金を出させちゃだめ。またそういうことになりそうになったら、すぐ私に電話するのよ!」

その場ではうなづいたものの、義母に電話しても状況は変わらないのだ。

結局、うちの資産はほとんど夫の稼ぎが元手で、私は適当に投資をして、無駄使いをせず、この20年間着実に増やしてきた。今後数年間は子どもの大学費用にどんどんお金が出て行く。夫もそのことは承知している。

スティーブはともかく、ゾーイへの支払いには報酬以外の何かが含まれているような気がしてならないが、証拠がつかめない。


       *


私は追及するのに疲れてしまった

言い争いをしても、どうせ500ドルや1000ドルは出て行くのだ。

キャッシュがないとか、ファンドを売らないとできないとか、クレジットカードの残高が大変なことになっているとか、家のローンの支払日がすぐだとか、うちの経済状況についてあることないことを持ち出すが、以前のように口論はしない。

とりあえずG氏を通して、また契約書を見て、確かに彼女は何らかの仕事をしているということがわかり、夫も下手な作り話をする必要がなくなり、その点だけでも私のイライラは減った。

それに、いったんG氏の会社が軌道に乗れば、夫がルーマニアへ送金する正当な理由はなくなるはずだ。

そうなっても夫がお金をあげようとするなら、義母に相談しよう。

ゾーイは単なる窓口で、タカリ連中が背後にいる可能性はゼロではない。実際、彼女が本当にプログラムを書けるのかどうかもわからない。別の人(たち)がやっているのかもしれない。

G氏はこれまでいくつも会社を興しては儲けている。その資金を元手に今のスタートアップに着手した。

かくなるうえは、今回も成功して、夫の取り分(ミリオン単位だという話は本当か?)が実現するのを待つしかない。

他力本願、ここに極まれり。


<今日の英語> 
 
This is a grave we dug ourselves.
これは我々自身が招いたトラブルですよ。


ヨーロッパの財政危機に関する討論で、あるジャーナリストが述べた一言。文字通りには、自分たちで掘った墓穴。



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眼の下のピクピク

2011.09.30 (金)


ここ一週間くらい、左目の下がピクピク痙攣する。

なぜか右目はなんともない。左も上のまぶたは動かない。左目の下だけ、別の生き物みたいに勝手に動く。

前にもときどきあったので、たいして気にとめていなかったが、今回は長引く。止まったり、また動いたり、自分ではコントロールできない。

1日中痙攣しているのでなく、「あ、ピクピク」と思うと、5分か10分くらい続き、いつの間にか終わる。しばらくすると、また始まる。

それが何度も繰り返される。

この年でチックでもあるまい。また一つ老化現象が増えたかと思って、子どもたちに聞くと、「ぼくも時々なるよ」と長男。次男も負けじと、「ぼくも。1ヶ月に1回くらい」と適当なことを言う。


        *


調べてみると、案外よくある現象らしく、相談のページがいくつも見つかった。

眼瞼(がんけん)ミオキミア(眼輪筋波動症)という病名がついていた。通常、片目だけに起きる。チックより微妙な動きをするので、自分でも鏡でよく見ないと痙攣が確認できない。しかし、ピクピクの感覚そのものはかなり強い。

病名はあるが、病気ではないという見解が一般的で、数日から数週間で自然に治まると書いてある。

これが顔のほかの部位に広がったりすると、三叉神経痛や顔面痙攣などもっと深刻な問題になる。

日常生活に支障はないものの、ピクピクはうっとうしい。

原因は、眼精疲労(これは思い当たる。現代人で目が疲れていない人はいるだろうか?)、睡眠不足、体の疲れ、ビタミンA不足、ビタミンB不足、血圧の変化など、なんでもあり。

そして、もちろん精神的ストレス


      *


解決法としては、目を休める、よく寝る、ビタミン剤を飲む、野菜を食べる、目の体操をする(目玉を上下左右に動かす、瞬きをするなど)、暖かいタオルを目の上にのせる、目薬をさす。

つまり、くだらんことを書いてないで、PCを消せということか。

しかし、ストレスはいかんともしがたい。

今一番のストレス要因は長男の大学進学。次男はゲームとチャットに時間を使いすぎ。夫は部屋の鍵を閉めて何をやっているのか。G氏の会社はどうなる。

家のあちこちが傷んできた。マスター・バスルームのファンが壊れたし、ガレージのライトが点かない。車のチェック・エンジン・ライトが点いたまま。

野菜は高い。景気は悪い。株価は毎日ローラーコースター。

処方箋:チョコレートを食べて、いい本を少しだけ読んで、猫とだらだら過ごす。

これでは、ふだんと変わらない。


<今日の英語> 
 
Isn't that enough for today?
今日はもう充分やったんじゃないか。


トイレに行く以外はPCの前に座りっぱなしの次男へ夫が一言。次男の友だち数人もいっしょにオンラインでゲームやチャットをしているのだが、いったい彼らの親は何か言ってるんだろうか。



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