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私はブログを書かずに何をしていたか

2011.08.05 (金)


再開したつもりが、もたもたしていたら、こんなに時間が経ってしまった。

「やめるならやめると挨拶すべきだ」というコメントが来たが、そんなこと私にもわからない。これまでは日報のように書いていたが、週刊誌、月刊誌、季刊誌、はたまた年報まであるのだから、1年に1回だけ更新するブログだってあるんじゃないだろうか。

それはともかく。

この2ヶ月あまりの間には「これはブログに書こう」と思うできごとがいくつもあった。

しかし、なにごとにも勢いが必要らしい。間隔が開くほどに、「まあいいか、 明日で」となり、その明日はなかなかやって来ない。

根が怠け者の私は、だらけ始めるとなしくずしになる。漢字変換を想像するだけで億劫になる。ログインすらめんどくさい。人間、よくここまでぐうたらになれるもんだという見本である。

しかし、いまだにランキングに登録しているし(もう抹消されただろうか)、新しい記事がないのにクリック募金だけ頼んだまま。それだけは少し心苦しい。

これでホップ・ステップ・ジャンプと再び頻繁に書き始めるのか、また冬眠するのかわからないが、とりあえずなにか書いてみる。

私はブログを書かずに何をしていたか。


         *


ガレージ・ドアのペンキ塗りと玄関の外回り修理をすべく、3件の業者から見積もりを取った。どこも一長一短だったが、これ以上先延ばししては、ますます修理代がかかる。2日がかりの工事はなんだか素人っぽい仕上がりだが、こんなもんだろう。長い在米生活で、私の期待値は非常に低くなった。

ついでに、玄関とデッキのライト4つを取り替えてもらった。なんとそのうち2つが点かない。次男に別の電球と入れ替えさせたが、やっぱり点かない。業者がいるときに停電になってしまい、試せなかったという不運。これにはさすがにショックですぐに電話した。翌日来て、配線をやり直してくれたが、どうして一度できちんとできないんだろう。1300ドルも請求しておいて。

長男をハイスクールのジュニア・プロムに連れて行った。夫はやたらはりきって、長男とスーツを買いに行き、プロム参加者全員要出席の事前ミーティングにも出席した。私は当日の送り迎えだけを担当すればよかった。

ハイスクールの駐車場で、長男のガールフレンド、ジェシカの両親に初めて会った。ジェシカ本人だって、じっくり見たのはこれが初めてだった。まだ歯科矯正のブレースをしていた。お隣の女の子というかわいい感じで弟妹たちとケラケラよく笑い、私はうちの長男が彼女のお父さんにどう映っているのか、そればかり気になった。

夫は正式に早期退職した。普通は盛大にリタイアメント・パーティでもするのだろうが、うちは何もしていない。

夫がG氏のプロジェクトにどの程度正式にかかわっているか知らないが、一日中パソコンに向かっている。あいかわらず昼夜逆転生活で、あいかわらず携帯は肌身離さず。しかし、使途不明金はほぼなくなった。そのかわり、プロジェクトへの出資らしきことをするので、私は「いかにうちには現金がないか」とたびたび思い出させてやらねばならない。


            *

         
長男は夏休み中、近くの大学でPre-collegeのコースをとることにした。

6週間ものあいだ、私が毎日送り迎えをしてきたのが、ようやく明日で終わる。近くといっても、片道45分。ほとんどがハイウェイでの運転である。初日はいったん帰宅して、午後出直したが、ガソリンがまたたくまに減り、私は2往復の運転でくたくたになった。

それで6月末から今日まで、月曜から金曜の朝9時半から3時半、私はまるで ホームレスのように、ミニバンの中で過ごした。お弁当とおやつと麦茶持参である。駐車場の木陰で、ドアも窓も全開すれば、暑くて耐えられないのはほんの数日だった。そのときだけ、閑散とした校舎や図書館に移動した。

たいていはラジオを聴き、本を読んだ。学生でもない私はネットが使えない。古本屋で買っておいた本や地元の図書館で借りた本を山ほど読んだ。やはりネットは膨大な時間つぶしだったか。

その間にブログの下書きでも書こうかと思ったが、今日まで実行にいたらなかった。もうめんどくさいのである。

本に飽きたら、昼寝をした。まったく身の危険は感じない。都市郊外とはいえ、うちの近所とたいして変わらないくらい静かで平穏だった。


             *  


先週、子宮筋腫の手術をした。もちろん日帰り。

超音波検査をしたら、子宮内膜症ではなく、2.5センチの筋腫が見つかった。 そして、所要時間90秒というハイテク施術をすることになった。開腹手術ではなかったが、それでも全身麻酔だったので、その日だけ夫が長男と私の送り迎えをした。GPSがあったのに、私を迎えにきたとき、夫は迷子になった。そして、GPSが悪いのだと言い張った。

新しいパソコンを買った。

東芝のラップトップである。速い。テクノロジーの進化に驚く。6年前のパソコンにつきものだった待ち時間がなくなり、戸惑った。旧石器時代から一足飛びに21世紀へ放り出されたような感じがする。

当初はなぜかキーボードがロックして難儀したが、やっと慣れてきた。それでも、この記事を書くのにずいぶん勝手が違って、てこずっている。

つてがあって、ちょっとした仕事を始めた。

在宅などというかっこいいものでなく、私は内職と呼んでいる。

私のペースでできるのはいいが、報酬は微々たるもの。フレキシブルで高給という、そんなうまい話は転がっていないのである。持ち株の配当金を見ると、小銭稼ぎが馬鹿らしくなるが、キャットフードと猫砂くらい私がどうにかしようと思ってやっている。

ニューヨークの総領事館で、子供たちのパスポートを受け取った。今回は本人たちも同伴せねばならなかった。マンハッタンにある大学見学に合わせて、夫もいっしょに来るはずが、ぎりぎりにならないと動かない夫のせいで、また一騒動。いま思い出しても血圧が上がりそうになる。


           *


夏休み中にフィラデルフィアとボストンにも泊りがけで大学めぐりをする予定を組んでいた。

フィラデルフィアは1泊して、2校。夫と長男だけがニューヨークまで出て、アムトラックの電車で行くはずだったのに(私と次男は留守番)、夫は今週になって、「その日は行けない」とのたまった。G氏のプロジェクトが正念場なのだそうだ。

しかたなく、私が連れて行くことにした。2日目の大学はあまり興味がないと長男が言うので、日帰りで一校に変更。

それでも私はフィラデルフィアなんか渡米してまもなく、夫の友達を訪ねて1度行っただけである。ほとんど記憶がない。アムトラックの駅を降りて、どうやって大学へたどり着くのかわからない。グーグルしまくった。さすがに都会だけあって、電車もバスもあるらしい。

しかし、マンハッタンで迷子になる私である。ここはタクシーで行くべきか。

悩んでいると、「ボストンへはいつ行くんだっけ?」と夫。いやあな予感がしてきた。

「17日から3日間」とぶすっと答える。

「17日は製品の初リリースなんだ。家を離れるわけにいかない。」

もう夫は頼りにならない。ボストンへは車で3時間半。夫と交代で運転し、次男も連れて行くはずだった。

こんどはボストン市内の地図で、ホテルと大学3校の場所を確かめる。車で行けるか。もし途中で何かあったらどうする? 長男はまだ運転の練習すらはじめていない。

「ダウンタウン・ボストンの道路ってどんな感じなの? マンハッタンと比べて どう?」と私。

「あんなに碁盤状じゃあないな。どっちかというと、Lower Manhattanに近い。 ちょっとごちゃごちゃしてる。」と他人事のようにいう夫。

「一方通行とか、いろいろあるの?」

「そりゃあるさ。地方から来るトラックの運転手は、ボストンでタクシーを雇うんだ。どうしてだと思う? タクシーに先導してもらうためらしいよ。」

それを聞いて、私は青くなった。

アムトラックはニューヨークからボストンへも出ているはずだ。うちからシティまで出るのが一苦労だし、時間がかかりすぎるが、私一人でボストン市内を運転する恐ろしさに比べたらなんでもない。

ボストンは公共交通機関が発達している(らしい)。しかし、私は東京駅でも迷子になるのである。

長男は頼りにならないが、私よりは目がいい。事前にボストン市内の交通網を研究させることにする。電車に決まったので、次男は夫と留守番。大食いの彼らがいないぶん、旅行中の食費は抑えられる。それに猫を預けなくてすむ。

ボストンでもいよいよになればタクシーという手があるが、駅とホテル以外でどこでタクシーをつかまえたらいいのだろう。

私のように年季の入った出不精には、こんな難問が次から次へと押し寄せる。


            *


フィラデルフィアとボストンがなんとか終わったとして、そのあとはカリフォルニアが待っている。7月のパーティに行けなかったかわりに、夫の父とリンに会いに行くのである。

そちらの荷造りやら、留守の間の猫の世話やら、考えるだけでゆううつになる。「だから、おかあさんは出かけるのが嫌いなのよ!」と子供に当り散らす。

私はアメリカの東海岸に20年も住みながら、ボストンへは一度も行ったことがない。別に行きたくもないのである。

これだけ散財して、(私の)時間と労力を費やし、結局長男はどこかの大学に入れるのだろうか。


             *


こんなことをタイプしている暇はない。フィラデルフィアとボストンがずっしりのしかかってくる。

ストリート・ビューなど便利なものがあっても、方向音痴の私は空間把握も苦手。ぜんぜんイメージがつかめず、パニックに陥りそうになる。

ぜんぜん言葉が通じないのに平気で世界中を一人旅する人と、私は対極にある。

よく考えたら、フィラデルフィアもボストンもアメリカ国内にあり、英語が通じる。連れの長男は英語のネイティブ・スピーカー。電車もタクシーもあり、警察も病院もある。ホテルは確保した。クレジットカードもある。

歩けば地雷を踏むとか、銃撃戦に巻き込まれるとか、飢餓で倒れるとか、秘密警察にしょっぴかれるとか、そういう町ではない。

自分にそう言い聞かせつつ、大学受験の際、一人で京都と東京へ行けず、姉に付き添ってもらった17のころから、私はほとんど進歩していないことに気づく。

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ラスト・スパート

2011.08.05 (金)


長男のサマーカレッジコースも今日が最後。

フィラデルフィアとボストンを思うと不安になるが、片道45分の運転から開放されるのはうれしい。

今日は昼ごろに次男の歯科矯正の予約がある。こっちも今日で最後になるはずが、次男はきちんとブレースをはめていたのかどうか。もともときれいな歯並びだったので、やらなくてもいいくらいだった。でも、「きれいな歯並び」信仰に毒されていた私は、高いお金を出してやらせた。

もう一度来てくださいと言われても、断る。たぶん次回からは追加料金がかかる。無料なら考える。

まず長男を大学へ連れて行き、帰りに図書館で借りた本を返し、予約しておいた3冊を受け取る。銀行に小切手を預け、スーパーで買出しをする。長男のコースでは最終日とてちょっとした展覧会とパーティがあるらしい。そちらに差し入れのブラウニーを買わねばならない。

マドレーヌでも焼こうと思ったが、その気力はない。だいたいアメリカ人に私の焼き菓子が理解できるとは思わない。もったいない。

お昼前に次男を乗せて、歯科へ。そのまま大学へ戻る。

次男はこの6週間、ほとんどどこにも行かなかった。テニスレッスンは3回だけ。2番目の子は、長子にふりまわされる。


         *


長男は週4回も空手があったし、私は大学から戻ったらすぐに夕食の支度をした。

休みなしで台所に立つのは、いったん座ると動けないからだった。昼間は本を読んだり、昼寝をしたりしていただけなのに、ただ待つのも案外疲れるのである。

仕事を持つお母さんたちはさぞかしと思う。私にはとても両立できない。

夫も次男もなにもしない。次男にはたまに「冷凍庫からサーモン出しておいて」と電話で指示を出し、ゴミ箱や郵便物を取りに行かせたり、洗濯をさせたりした。

夫には期待しない。そもそも昼間は寝ている。

猫たちは私がいないのに少し慣れた。妹猫は次男に「背中をなでて!」とうるさかったそうな。兄猫はずっと寝ていたらしい。8歳になれば、シニア・キャットフードを食べさせるようにとどこかで読んだ。


          *


今日は私のお弁当作りもなし(長男は大学のカフェテリアで買っていた)。

2往復はきついが、これで最後だと思えば乗り切れる。

長男の大学が決まるまで、あと8ヶ月くらいか。そうすれば一息つける。そして、次男の番になる。3年後には、二人とも家を出ているはずである。

そうすれば、もう送り迎えもなくなる。宿題がどうの、成績がどうの、どこの大学がどうのなどと思いわずらうことがなくなる。

あと3年。

私の体力も気力も限界という気がするが、「あと3年、あと3年」と呪文のように唱えて、ラスト・スパートに入る。

あと20分で出発するのに、長男はまだ寝ている。毎朝起こすのも、今日で終わりである。

 
        *


これをタイプしながら、途中でキーボードがロックしてしまった。あれこれキーを押してみてどうにか戻った。いったいどういう不具合なのだろうか。

パソコンの買い替えにあたっては、オンラインで調べてHPのラップトップを買うつもりでいた。でも、店頭で見たらあまりにちゃちで、特にキーボードがこれじゃあすぐ割れるだろうというくらい安っぽいプラスチックだったので、もう少しお金を出して東芝にした。日本の会社の製品を買って、多少は日本経済に貢献したつもりだったが、これは困る。

この追記を書いていたら、やっぱりロックした。なんとかしなくては。




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鼻輪とヌードモデル

2011.08.06 (土)


ついに6週間の送り迎えが終わった。開放感でいっぱいである。

最終日のパーティとは名ばかりで、エアコンもない巨大な倉庫のような建物(ここで長男は4週間も絵を描いたり、オブジェを作っていたらしい)の中に長いテーブルをつなげ、みんなが持ってきた差し入れのお菓子やチップスやソーダが並べてあった。

このコースに参加した子どもたちと家族がうろうろしている。カジュアルというのか、挨拶の言葉もない。場末の画廊のオープニングパーティか。あるいは、ゆるい校内展示会、おやつ付。

アーティストの巣窟みたいな場所だ。

壁一面に絵というべきか、イラストというべきか、ありとあらゆるイメージがペンキで描かれ、トイレ・シートまでそんな感じでたまげた。中央ではスライドショーをやっている。

卓球台やらアーケードゲーム機やらビリヤード台が並び、破れたソファ、ペンキだらけのテーブル、壁にはLPレコードがそのまま取り付けられていた。

子どもたちの作品は区切られた部屋にあり、そこだけは白い壁になっていた。

「おかあさん、どう思う?」と長男。

「うーん、どう思うと言われても…」と私。

私はまったく芸術センスがない。ある絵がどちらかといえば好きか嫌いかくらいは答えられるが、たいていは何もコメントがないのだ。前衛的なオブジェにいたっては、「こんなのがうちにあったら、邪魔だわ」と思う。

それでも、「これはうまいじゃない。あれはおもしろい感じ」と適当に批評してみた。長男本人の作品については、はたしてこれで大学に行けるほどの才能なのかどうか、それしか考えられない。

朝、長男を送り届けて、図書館や銀行やスーパーにより、家でフランスパンを2つ食べただけで、次男を歯科矯正医に連れて行き(こちらも無事に終了)、私はおなかがすいていた。芸術よりも食べ物に関心が向く。


              *


「先生はどの人?」と長男に聞いてみた。

こういうとき、日本語で会話できるのはいい。小声で、しかし堂々と人を形容できる。

一人は背の高い若い(このごろは、たいていの人が若い)男の人で、オレンジ色のポロシャツとカーキパンツという平凡な服装だった。身だしなみもきちんとして、まるで会社員。アートの先生とは思えない。

もう一人は初老のほっそりした女性で、首にスカーフを巻き、涼しそうなブラウスとスカート。長男の選択しなかった「ファイバー・アート」を教えていたという。静かにほほえむような、こちらも意外に普通の人に見えた。

「あと一人はねえ、あそこに立ってるパープルのシャツの人」と長男。

彼女が体の向きを変えて、私はぎょっとなった。

シルバーの太い鼻輪をしていた。

「あの、鼻にリングつけている人? あの人? 何を教えてる人? ここの教授?」

「うん、ここで卒業して、ここで教えてるって。」 そして、私のわからない彼女の取り組んでいる芸術について長男が続けたが、私は鼻輪から目が離せない。

鼻輪をした人間を見たことがないのではないが、それにしても、これは知恵の輪みたいに太い。本当に鼻の中に穴を開けているのか、クリップみたいになっているのか。磁石で鼻腔の両側からとめているのか。気になってしょうがない。鼻をかむときはどうするんだろう。寝るときははずすんだろうか。

いちおう挨拶しようと思って、鼻輪先生(名前はスー)に話しかけた。とても気さくで、よければ長男の推薦状を書いてくれると言ってくれた。お礼を述べつつ、「鼻輪についてお伺いしたいんですけど」とのどまでで出かかった。

スー先生の目を見て話そうとしても、銀色に光る鼻輪に吸い寄せられた。アーティストでなくても鼻輪をする人はいるだろうに、壁一面に絵がかかれた不思議な空間にいたせいか、異人種に見えた。

いや、私とは本当に住む世界がちがうのだ。

レシピ・カードにポップ’オーバーのイラストを描いて冷蔵庫にはったら、「これ、ブロッコリー?」と次男に聞かれたくらい、私は絵心がない。

それにしても、長男はアートで食べていけるのだろうか。好きなこと、やりたいことがあるのは幸せだと思うが、ロマンのない私は生活のことばかり心配している。


            *


ぼちぼち帰り支度をする親子の姿が見られた。

私は異空間から脱出したくて、長男に自分の作品をまとめるように言った。駐車場が遠いので、車を回さねばならない。

車を入り口の近くに停めて、戻ってみると、絵やオブジェが山積みになってはいるが、長男も次男もいない。外に出て携帯から電話したが、誰も出ない。あちこち見回し、まだ作品を取り外しているかもしれないと、白い部屋も一通り探したがいない。

彼らはいつもこうなのだ。どうして言われたところでちゃんと待機しないのだ。

イライラがつのる。

そして、はたと気がついた。アーケードゲームがずらりと並んだ一角をのぞいてみると、やっぱり二人ともそこでゲームをしていた。

私は怒りくるって、「なにやってんのよ!おかあさん、もう5分も待ってんのよ。車も停めっぱなしだし、すぐ来なさい!」と言いつけた。

「ごめん、一人の友だちが最後にいっしょにゲームやろうって」と言い訳をする長男。

こういうときに、友だちが単数であることを明確にする意義は何? 私にとっては一人だろうが五人だろうが関係ないけれど、英語の影響で長男も次男もときおりこういう言い方をする。

がっくりしつつ、まだゲームから離れない次男を呼び、車に向かう。

オレンジのポロシャツを着た先生(デレク)は、「とてもよくやってましたよ。熱心で、それにmatureですね、彼は」と長男をほめてくれたが、絵を描くときはともかく、実生活では5歳児と同じなのである。

彫刻の時間に、ガールフレンドのジェシカの誕生日プレゼントにするという刀セット4本を作ったのだそうだ。私の身長より長いシロモノである。そんなものもらって、どうする?


          *


ところで、このコースはpre-collegeというだけあって、かなり本格的だったらしい。

初日に長男を迎えに行ったとき、クラスはどうだったかと聞いたら、「ヌードモデルが来たよ」。

ピューリタニズムの呪縛から逃れられないアメリカで、せいぜい17か16の子どもたちの前で、そんなことをするのか。訴える親はいないのか。それとも、アーティストを目指す子どもたちの親だから、そのへんは寛容なのか。

「ええーっ、ほんと? どんな人? いきなりなの? 寒いじゃない?」とトンチンカンなことを言う私。若いグラマラスな美女だったら、デッサンどころじゃなくなるんじゃないだろうか。

「おばさんだよ。でも、スポーツをやってたみたいな筋肉の体だった。先生が、そのポーズで10分は大変じゃないかって聞いたら、30分でもできますって」と長男。どうして私がそんなに驚き、慌てふためくのかわからないふうだった。

そうか、プロのモデルか。それにしても、素っ裸の女性など、長男はネットでしかじっくり見たことはないだろうに。ボッティッチェリの絵を鑑賞するのとは違う。

最終日には、その女性モデルを描いたらしい作品がいくつも展示してあり、男性ヌードもあった。私は絵に興味がないので、長男にコースの内容をあまり聞かなかったが、男性ヌードモデルも来たらしい。

女性も男性もほんとうに全裸なのだった。




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 |  子ども  |  コメント(3)

休養のツケ

2011.08.07 (日)


春先に1ヶ月、そしてこの2ヶ月半、ブログを離れていたら、ここに載せた情報がすっかり古くなってしまった。まさに、英語でいうirrelevantな状態。

特に原発関係では、関連リンクが切れているものが少なくない。被災者向け情報でも、さすがにもう簡易オムツの作り方は要らないだろう。

ゴールデンウィークのあとはボランティア不足だったらしい。

そうそう時間とお金が自由になる人はいない。本来は政府が舵を取るべきだが、日本でもアメリカでも、政治屋は権力闘争と次の選挙にしか関心がないのだ。どの面下げて、国民の前に姿を現すつもりかと思う。

大々的な募金活動は聞かれなくなった。

義援金の配分について、被災者から不満が続出しているという。

そりゃそうだろう。お金をもらっても死んだ人は帰らないが、生きている人にとっては先立つものが必要なんだから。黙って我慢してストレスをためるよりは、発言したほうがいい。どうせ悪口を言う人はどこにでもいる。

母乳や尿から放射性物質が検出されたり、汚染されたお茶や牛肉が市場に出回ったり、肝心の汚染水処理はトラブル続きだったり、震災直後の緊張感とはちがう不安感が漂う。そして、大きな余震も起こる。

日本の状況は新聞で見出しを読むくらいで、実際のところはよくわからない。節電の影響や仮設住宅建設や瓦礫処理についても同様である。

じっくり調べる気力は、いまの私にはない。ともかく、少しずつブログの体裁を直していくことにする。

ほったらかしにしておいて、「情報リンクは随時更新しています」も何もないもんだ。

それにランキングバナーを飾る花は、レンゲである。シーズン・バナーなどというしゃれたものに手を出すとすぐこんなことになる。1年中咲く花はないものだろうか。


        *


私が予告もなしに冬眠していた間も、このブログを毎日チェックしていた奇特な人がいたらしい。まったく時間の無駄遣いをさせてしまった。

まあ私が勝手に書くように、読む人も勝手に読むだろうから、「更新がない日は開くな」とも通告できないのだ。

もともと有益な情報を求めて、私のブログを読む人はいまい。

コメントから察するに、私の気晴らしを読むのが気晴らし、あるいは何らかの慰めとする(こんな人でもアメリカに住めるの?―>住めます。必要なのはお金と最低限の運転技術だけ。こんな人が母親で専業主婦になって、二十年も結婚生活が続けられるの?―>できます。秘訣は、怠惰と手抜きを基準にする・誰にも期待しない・モットーは「自分が大事」)のが主流である。

しかし、待ちくたびれて去った人もいると思う。お互いに匿名なので、「お待たせしました。再開しました」と私から連絡する手立てはない。

募金のために集客効果を狙って登録したランキングにはまだ残っていたので、あれを見る人なら気がつくかもしれない。

そうでなければ、ご縁がなかったということである。よそでクリック募金やポイント募金をしてくれていたら、それでいい。


        *


いま、ブラウザーはGoogle Chromeを使っている。

新しいパソコンを買ったらすでに入っていたので、そのまま使い始めた。古いパソコンではFireFoxを使っていて、ブラウザーが違うとブログの見た目がずいぶん変わるのに驚いたことがある。もともとFireFox用に設定したテンプレートなので、Chromeでは一文字だけ次の行に飛んだり、フォントが微妙に違っていたり、いまいち気に入らない。

それにしても、ローマ字とひらがなとカタカナと漢字をあやつる日本語はすごい。それを可能にするコンピュータもすごいが、それだけの表記を1日じゅう平然と行ったり来たりする日本人の器用さは尋常ではない。

夫はもちろん、子どもたちも読み書きはほとんど英語だけだ。

それでいて、長いレポートを書かなくちゃいけないだの、スプレッドシートが複雑だの、難しいドキュメントがどうのとぐちゃぐちゃ言う。あんたたち、26文字だけでしょ。なーに甘えてんのよ。

昨日、文字化けに苦労した私は、彼らに冷たい視線を向ける。




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むなしい平行線

2011.08.08 (月)


私が長男を連れて行くことになったフィラデルフィアの大学訪問。悩む間もなく、もう明日である。

私より夫のほうが観察力があり(私は周囲の物事にあまり興味を持てない。目は見ていても脳みそが働かない。ふーん、へー、と思って通り過ぎるだけ。あるいは、表面的な情報で判断してしまう。総合的に考えない)、なんといってもアメリカ生活に関しては私よりもベテランなのだから、本当は夫に参加してもらいたかった。

あれだけよさそうだったバーモント州の大学も、帰る道すがら、夫の解説を聞いて私はやっと合点が行った。そして、結局あの大学はだめだという、夫と同じ結論を出した。

その後、日本のパスポートを受け取りにシティに行った際、私は次男と先に帰宅し、夫と長男だけは大学を1校見学して来た。そのときの話を聞いても、やはり私とは目の付け所が違うなと思った。

私が付き添っても交通費の無駄なのだが、長男一人で行かせるわけにいかない。


       *


地図で見ると、大学はアムトラックの駅からそんなに遠くない。電車(トロリー?)もバスもあるが、距離のわりに乗り換えがあったり、歩かなければならなかったりする。

大学のサイトでも交通手段としてタクシーを一番最初に挙げていた。

夫に相談してみる。

「明日の大学、すぐここにあるんだけど」と地図を示し、「これっぽちの距離で、乗り継ぎとかややこしそうなのよ」と私。

「これはタクシーだね」と夫は即答した。

「やっぱりそうしようかしら。でも、アムトラックの駅にはタクシー乗り場があるだろうけど、大学からはどうやってタクシーをつかまえたらいいの?」

「行きのタクシーのドライバーから名刺をもらえばいい。大学でもタクシー会社の番号くらい持ってるよ。アドミッション・オフィスで呼んでくれるかもしれん」と適当なことを言う。

これまで大学訪問ではどこも至れり尽くせりだったし、見るからにおのぼりさんの私が頼めば、タクシーを手配してくれそうな気がしてきた。もうその場でどうにかしよう。


            *


「タクシーのチップ、15%でいいと思う?」と私。

「いいよ。ごく順当だ。」

「20%だったら?」

「すごくいいチップだね。」

「じゃあ10%は?」

「そりゃチープ過ぎる。止めとけ。」

私だって、アメリカ生活は長い。髪を切っても、レストランで食事しても、チップを払う。

ホテルでポーターに荷物を運んでもらうときは、夫がさっと出すので、私はまず渡す機会がない。ドアマンにはどうするのか、私はいまだによくわからない。タクシーを呼んでくれたり、荷物がたくさんあるのを手伝ってくれたりしたら、たぶん払うんだろう。1ドル、2ドル、5ドル?

どこでも最低15%は出す。ヘアサロンでは20%。

ケチな私は、そのたびに騙されたような気になりつつ、毎回あきらめてチップを加算する。

ウェイトレスはチップ込みでやっと最低賃金を稼いでいるとか、サービスがよければそれに見合ったチップを渡すのが習慣だとか、頭では理解している。しかし、20年以上住んでも、すんなり受け入れられないのだ。

「それ、変じゃない? タクシーの運転手はお客さんを目的地まで運ぶのが仕事でしょ。当然のことをして、どうしてチップをもらおうとするの?」

「いいサービスをしてくれたら払うさ。」

「だから、サービスって何よ。わたし、飛行機のパイロットにチップ払わないわよ。」

「ぼくがもらっていたPerformance Bonusと同じだと思えばいいよ。」

夫の会社では毎年3月にボーナスが出た。でも、それはまず業績がよくて皆に配分できる利益があるのが前提で、また各部署で分け前が違い、個人でも評価によって金額が違った。

「あれは売り上げから出たんでしょ。だったら、タクシー会社の売り上げから出すべきじゃないの。」

「いや、運転手個人のパフォーマンスに対するチップだよ。」

「そりゃチップをはずみたいくらいの素晴らしいパフォーマンスなら話は別よ。私なんか、日本のヘアサロンとレストランで感激して、チップあげたくなるもの」と、私は迅速で丁寧で礼儀正しい日本の接客について具体例を挙げた。夫は同じ話を何度も聞かされている。

彼らは当然のことをしているにすぎないのだが、アメリカではその程度(往々にして、それ以下)でもチップが要求されるのだ。

「それにしたって、このごろじゃどこでも20%が基準みたいになってきて、それが当然って顔されるのがいやだわ。サンキュ~って気のない返事をされると、この悪習をどうしかしてくれと思うわよ。いつかのNYタイムズでも論争してたし、アメリカ人だって飽き飽きしてるんだわ。きっと私、死ぬまでチップには慣れない。なんかモヤモヤしたまま死んでくのよ。」


         *


夫はまずいストア・ブランドの缶詰を買って節約したりする一方で、チップはかなり多めに出す。

私は20%よりは18%あたりでまとめようとするのだが、夫は隣から「15ドルあげろ」などと口を挟む。

レストランで注文を取りに来たウェイトレスと、なんだか話がはずむのはよくない前兆である。会計の段になって、「彼女、大学生だと言ってただろう。25%にしよう。サービスにも気をつかってくれたし」と言い出す。

あれくらい普通の仕事でしょ、と思うが、テーブルでチップの額を言い争う夫婦は見苦しい。

どうせ夫の稼ぎなので、24%くらいにしておく。1%はささやかな抵抗である。

夫は私がチップが嫌いなのをよく知っている。こんな議論をふっかけても、たいてい私を説得しようと試みる。

しかしいくら理論で攻めてこようが、心情的に受け入れがたいのだからしょうがない。

どこまで行っても平行線。

夫と私のチップに関する見解は、双方歩み寄ることがない。結局、それがアメリカの常識だからとなり、議論しても無駄なのだが、たまに私は(アメリカ人代表の)夫に苦情を申し立てる。

でも、アメリカに住むかぎり、私は「慣例であるところのチップ」という、わけのわからん事象から逃れられない。

そして日本に帰るたびに、あちこちで(日本なら当たり前であろう)行き届いたサービスを受け、「こんなによくしてもらっても、チップ出さなくていいのか」と感激し、チップを払わないでお店を出ることに罪悪感を感じ、「私だってね、これくらいのサービスを受ければチップをあげたくなるのよ。聞いてんの、アメリカ?!」と、アメリカのチップ制度にますます不満がつのるのであった。

明日は1ドル札を用意しておかねばならない。

そして、タクシーの運転手は私たちを駅から大学まで送り届け、私は引きつった笑顔とともに料金と15%のチップを渡すのである。



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初フィラデルフィア 前編

2011.08.10 (水)


うちからシティまでは遠い。最寄の駅にはだだっ広い駐車場がある。通勤者以外はかなり奥に停めることになり、そこから乗り場まで歩いて行くのに一苦労。駅までの行き帰りは夫に運転してもらうことにした。

早めについたので、1本早いのに乗っていた(電車が動き出してから気がついた事実)。シティについたら1時間も余裕がある。幸先がいい。

そして、グランド・セントラルでデニッシュを買い、シャトルを目指す。

最後にシャトルに乗ったのはいつだったか。たぶん子どもたちが生まれる前だ。だいぶ記憶がよみがえる。しかし、42ND STそしてTimes Squareと書いてある。Penn Stationという表示は見当たらない。でも、シャトルはひとつしかないし、グランド・セントラルとペン・ステーションを行ったり来たりしている電車だ。これしかありえない。

シャトルを降りると、やっぱりそこは42nd Street/Times Squareだった。アムトラックのAの字も見えない。

ともかく長男と地上に出てみた。

前にシティに来たときに印刷したミッドタウンの地図を出してみると、ペン・ステーションは34丁目あたりにある。いったいどういうことだろう。

アムトラックの出発時間は刻々とせまる。一駅で着くはずがとんでもないことになった。

そして、致命的な誤解にやっと気がついた。

ペン・ステーションに行くには、さらに地下鉄に乗らねばならないのだ。私はてっきりシャトルがそこまで続いていると思い込んでいた。

実は前日、夫にも確かめたのだ。「グランド・セントラルからペン・ステーションに行くにはシャトルでしょ?」

夫は「Sの文字をたどればいい。すぐ次の駅だよ」とうけ合った。

夫はNYCに住んだことがある。そうでなくても、数え切れないくらいシティに出かけた。それなのに、こんな初歩的な間違いをしでかしてくれたのだ。


        *


これ以上さまよい歩く時間はない。

ちょうど目の前に警察官が二人、パトカーにもたれていたので、ペン・ステーションの方角を聞いた。

おまわりさんは「ここをまっすぐ、34丁目にあります」と指差した。私は警察にしょっちゅうお世話になっている。なんど道案内を頼んだかわからない。

まだ朝早いが、蒸し暑い中を大急ぎで歩く。ぜんぜん計画になかった8ブロックものウォーキング。

そして34丁目までたどり着いたが、出発まで残りわずか5分。

しかし、どこを見渡してもペン・ステーションの建物がない。地図ではあるのに実物がないという例のパターンである。

なんでこんなところにマジソン・スクエア・ガーデンがあるの?

焦っている私はパニック寸前になった。

いかにも近所に住んでいそうな白人のおばさんを呼び止めて、すぐここにあるはずのペン・ステーションの場所を聞いた。彼女の英語には東欧のなまりがあった。親切に教えてくれたが、ともかくまた歩かなくてはならないらしい。

フィラデルフィアで迷うのは覚悟していたが、まだマンハッタンのど真ん中である。

長男は「おかあさん、あっちじゃない?」などど口を挟むものの、よくわかっていない。

足は痛いし、汗はかくし、よれよれでペンステーションに着いた。


         *


さすがにそこには「アムトラックはこちら」という表示があった。オンラインで予約した切符をキオスクで出す。

乗り場がどこなのか、さっぱりわからない。大きい待合室の周りをうろうろしたが、どこから電車のホームにつながるのか、ヒントすら見つけられなかった。

電光掲示板を見たが、すでに私たちの乗るはずだった電車は消えていた。

ともかく、確実なのは乗り遅れたという事実だけである。

「だから出かけたくないのよ!」といつもの文句を言う私。「だからダディの言うことをそのままうのみにしちゃいけないんだわ。あんたも自分でちゃんとルートを確認しておくべきだったのよ」と長男にやつあたり。

方向音痴の私と二人だけで知らない町へ行くというのに、危機感がなさすぎる。

切符売り場には長い列ができていた。私は待つのがいやでオンラインで切符を買ったのに。どうすればいいか、だめもとでカスタマー・サービスにまず聞くことにした。長男には切符売り場の列に並ぶように言いつけた。

私より先にヨーロッパ人が3人、グランド・セントラルへの行き方をたずねていた。デスクには黒人のおばさんが2人。なぜか1人が説明している間、もう1人はボケッとやり取りを見ている。次に並んでいる私に対応する気はないらしい。なんで1人1件ずつ担当しない?

ヨーロッパ人たちは、わかったんだかわかってないんだか、半ばあきらめた様子で出て行った。ニューヨーク州に住む私がこれだけ混乱するのだから、外国人が悩んだって不思議はない。

乗り遅れた旨をカスタマー・サービスのおばさんに告げると、彼女は「チケット・カウンターで手続きして」とそちらを指さした。「ペン・ステーションのわかりにくさはどうにかなりませんか。掲示板すらないし、どこに行けばいいのか、あまりに不親切すぎる」と文句を言おうと思ったが、きっと彼女たちは肩をすくめるくらいだろう。時間の無駄である。

そして、列の最後に並んでいた長男に合流した。

足は痛いし、蒸し暑いし、人が多いし、空気が悪い。私は外出も嫌いだが、並ぶのと待たされるのもそれと同じくらい嫌いなのだ。しかも、切符を変更すると、手数料が取られるだろうし、値段が違えば差額を払わねばならない。

じゅうぶん余裕を持って大学に到着するはずが、怪しくなってきた。

ちょうど飛行場のチェックイン・カウンターみたいに、荷物を持った人たちがじりじりと前進する。私たちは日帰りなので、何もない。それだけでもありがたい。

やっと順番が来た。

「この切符の列車に乗り遅れました。次のフィラデルフィア行きはいつですか」と私。

ガラスの向こうにいる、白人のおじさんは大きなあくびをしたあと、ぼそりと「xx時xx分、xxドル、xx時xx分、xxドル」と、これ以上やる気のない返事はできないという態度でつぶやいた。

防弾ガラスか何かしらないが、空気穴みたいなのもないし、マイクロフォンもない。ざわついた構内で、ちょっと耳の遠い人なら聞き取れないだろう。

私は隣に立っていた長男に「何て? すぐ次のほうが安いの?」とたずねた。

「いや、ちがうよ。最初のはxxドルで」と説明を始めた長男をさえぎり、

「すぐ次のほうが安いとおっしゃいました?」と切符売りのおじさんに直接聞いた。

「ノー。」

「その次は何時出発なんですか。次の次は?」と私は自分ではっきりさせたくなった。おじさんは出発時間を言うものの、あと何分で出るのかは言ってくれない。そのへんに時計もない。私の携帯はかばんの底にある。

「いま何時ですか」と聞くと教えてくれる。乗客の立場に立って、気を回して情報を渡すつもりはないらしい。

大学の予約時間から逆算して、早いほう(そして、高いほう)の切符を買った。差額はクレジットカードで払ったが、結局二人分でいくらかかったのか、わからなくなった。変更手数料も取られたんだろうか。

「どのトラックから出るんですか」と聞いたら、「掲示板で見てください。出発の10分前に出ます」と切符売り。

耳を疑った。10分前? 長男に確かめたら、やっぱりそう言っているとのことだった。

私たちは1時間も待ち時間があったが、直前までどのトラックかわからなかった。慣れたら何でもないのだろうが、初めて乗る私は戸惑った。

アムトラックは、ボストンとワシントンの間にAcela Express という高速列車を走らせている。そのために私はアムトラックを日本の新幹線と同じような感覚で捉えていた。

でも、「出発の30分前に駅に来てください」と飛行機みたいな指示が予約のレシートに書いてあった。それでいて、駅での切符変更はいかにも大陸での長距離列車らしかった。これは新幹線じゃない。

旅なれた人なら、なんでもないんだろうか。(日本以外の)どこの鉄道でもこんなもんだろうか。


             *


電光掲示板に私たちの乗る電車のトラック番号がやっと出た。

待合室に向かう途中でふと見上げると、3とか4とか数字が並んでいて、やっとそれがトラック番号、すなわち乗り場への入り口であることがわかった。

そして、飛行機の搭乗のように、乗客は列を作り、係員に長い切符を見せて、エスカレーターでやっとホームに降りられる。

私のすぐ前にいた青年は、小さい切符を見せて(アムトラックの切符は飛行機のチケットのように大きい)、駅員に「どこへ行くんですか。これはアムトラックの切符じゃありませんよ」と断られていた。英語がわからないらしく、青年は困った顔をした。

どこから迷い込んできたのか知らないが、きっと彼が自分の目的地に着くまで、相当の時間がかかりそうな気がした。

東海岸に20年も住んで、英語もわかる私がこれだけ迷ったのである。いったい誰がこの駅のレイアウトやらデザインを考えたのか。グランド・セントラルも大きいけれど、まだしもわかりやすいし、表示がきちんとしている。

長男と二人でペン・ステーションの欠点をあげつらいながら、エスカレーターを降りる。


               *


切符にはリザーブとあるが、車両や座席番号は書いてない。駅員に聞くと、「どこでもお座りください」と言う。コーチ、ビジネスというクラスの違いはあるが、その中ならつまり早い者勝ちらしい。

大きいスーツケースを持った旅行者も多い。

そして、切羽詰ったアナウンスが流れる。

「本日はソールド・アウト、満席です!座席に荷物は置かないで。切符を持たないお子さんはひざの上に。」

私と長男は、二つ並んでいる席がなさそうだったので、通路をはさんでさっさと座った。やっとこれでフィラデルフィアに近づく。

すでに私はクタクタだった。座席は思ったよりゆったりしていた(平均的なアメリカ人にはそうでもないか)。

私の隣にいたおばさんがすぐ次で降りたので、長男に私の隣に来させた。そして、電車がまた動き始めると、車掌がやってきて「切符を拝見」と私にだけ言う。すでに私たちは切符を見せて、半券を持っていた。

「どなたか動きましたか」と車掌さん。

「ここにいた人がさっきの駅でおりて、息子は通路の向こう側からこちらへ移動しましたけど」と私。

そして、息子のいた席には、さっきの駅で乗った黒人女性が座っていた。

車掌はわかったという顔で、座席の上のさしこんであったカードとメモをヒョイヒョイと動かし、黒人女性の切符を確かめた。

「ねえ、席を替わっちゃいけないみたいよ」とひそひそ話す私。

「ぼくも知らなかった」と長男。

この組み合わせはよくない。夫と長男、あるいは私と次男のほうがまだしもお互いを補うことができる。

しかし、いまさら引き返すわけにはいかない。

フィラデルフィアでのタクシー・ドライバーに渡すチップの心配なんかをしていた私は、予想外のトラブル続きでどっと疲れが出た。

ふつうの人なら、ニューヨークからフィラデルイアまでスイスイと乗り継いでいくだろうが、私はこと移動についてはふつうではない。ふつうの人ならまずやらない間違いをしでかす。

今回は夫までもがシャトルについて思い違いをしていたために、トラブルが倍増してしまった。歩かなくてもいいマンハッタンを歩き回って足の裏は痛く、乗り遅れでハラハラし、駅員にムッとして、精神的にもどっと疲れてしまった。

しかも、まだペンシルバニア州にすら入っていないのである。

後編に続く)



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初フィラデルフィア 後編

2011.08.11 (木)


前編の続き)

電車の中は空調が強いだろうと、カーディガンを持参したが、20分もするとサンダルの足が冷たくなり、首のへんもゾクゾクしてきた。大判のスカーフをひざにかけ、汗拭きのためにかばんに入れた麻の手ぬぐいを首に巻く。

体裁なんかかまっていられない。どうせ誰も見ていないし、気にしない。

しかし、見渡しても震えているのは私だけ。この程度の皮下脂肪は、断熱材には足らないらしい。私はもう冷え性ではないが、座席にじっとしていると体の芯まで冷え切ってきた。この電車には、節電とか快適性という観念はない。

ニューヨークとフィラデルフィアはそれでもまだ近い。ボストンに行くときはフリースをかばんに入れようと真剣に考える。

窓に映る景色はどこも同じ。趣きも何も感じない。

ニューヨークからニュージャージーそしてペンシルバニアへの旅だが、同じ東海岸だし、電車が通るところは似たような地域なのかもしれない。

当初の予定を大幅に過ぎて、やっとフィラデルフィア、正確には30th Street Stationに到着。

なぜフィラデルフィア・ステーションと呼ばないんだろう。ニューヨークにペンシルバニア・ステーションがあるのもややこしい。

そういえば、旧ソ連の長距離列車駅名もそんな感じだとどこかで読んだ。目的地が駅名になっているらしい。モスクワにはモスクワ駅はなく、その代わり、レニングラード駅やらベラルーシ駅などがある。そして、レニングラード(サンクトペテルブルク)にはモスクワ駅がある。

どういう発想でこんな仕組みにしたのだろうか。でも、一つの駅からは一つの目的地に向かう電車しかないというのは、案外わかりやすいかもしれない。行きたいところの駅名を探せばいいのだ(たぶん)。それにしては、ペンシルバニア行きが出るニューヨークにあるペン・ステーションの複雑さは何だったのか。


         *


私にとって、フィラデルフィアはすなわち二つの映画である。

一つはハリソン・フォードのWitnessに出てくる駅のシーン。あの木のベンチは見覚えがある。映画ではなくて、私は実物を見たことがある。子どもが生まれるずっと前に、来たことがある気がする。細かいことは記憶にないが、「これがあのベンチか」と思ったことだけ覚えている。

もう一つはロッキーが生卵を飲んでから早朝のランニングに出て、広い階段を駆け上るシーン。市庁舎か何かかと思ったが、調べたらフィラデルフィア美術館だった。

旅行が上手な人は、大学見学のついでにあちこちを見て回るのだろうが、私も長男も、そんな器用な真似はできない。

アムトラックを降りると、見学開始時間まであと30分。

長男が駅にあるフードコートを見つけた。「こんなところに来てまでチャイニーズ・ビュッフェはないじゃない」と抵抗したが、「でも、早いよ」と長男に説得された。

大急ぎで食べる。おいしくない。本当は1時間のゆったりしたランチになるはずが、なんでこんなことに?

タクシー乗り場はすぐわかった。この駅は本当にこじんまりしている。しかも、イメージとしては真四角。おそらく、迷うほうが難しい。

中近東らしき風貌の運転手に、大学名とホールの呼び名を告げるが、首をひねる。こんなこともあろうかと、住所を書きとめておいてよかった。道路の名前を言うと、やっと頷いた。これでタクシーの運転手が勤まるの?

ネットで見たのと同じ建物が見えた。8ドル30セント。10ドル札を渡して降りる。

あと2分。

ほんの数人しか来ていない。夏休み中の見学はこんなものだ。

ともかく間に合って、やっと私も長男も一息ついた。


        *


まず女学生が来て、学生寮を案内してくれた。私は町のど真ん中にある大学見学はこれが始めてである。長男は先月、夫とマンハッタンにある大学を見てきた。

天井が非常に高い。女学生に尋ねると、どの部屋もそうだと言う。「この建物はかなり前に立てられたんですか」と聞いたら、「1880年です。もちろん設備は新しいし、ケーブルもあります。」

私は高い天井が好きなのだ。開放感がある。暖房費がかかりそうだが、古い建物は壁もしっかりしていた。新建材はその点かなわない。

ヨーロッパにくらべたら、たかだか130年前の建築なんか新品みたいなもんだろうが、私は妙に感心した。

次は、男子学生が2人来て、教室を案内するという。専攻で分かれると、長男は一人だけだった。プライベート・ツアーである。

その校舎は、集合場所のホールから道路を渡ってすぐだった。

車が行きかい、広い歩道もあったが、マンハッタンとは比べようもない。空気もずっとマシだ。混雑というほどの人ごみはない。フィラデルフィアは思ったよりスケールが小さい。歩く人のスピードも遅い。

案外、のんびりやの長男に合うかもしれない。

ツアーはあっという間に終わった。あとになって、少し離れたところにある別のビルにも私たちを案内すべきだったとわかった。まあどこも同じようなものだろう。

ホールに戻ると、今度は初老の女性が現れた。アドミッションのアシスタント・ディレクター。

すでに長男ともう一人の男の子しか残っておらず、椅子を丸く並べての、これもカジュアルな説明会になった。「なんでも聞いてくださいな」とにこやかに言う。

女性は、風貌も話し方も小森和子の白人版といった感じで、「オバチャマはね」と映画の話でも始めそうな空想が消えずに困った。

もう一人の男の子はフィラデルフィアに住んでいる。私たちが数時間かけてたどりついたことを知って目を丸くした。

帰りのアムトラックまでかなり時間が余った。オバチャマに最寄り駅までの道順を教えてもらって、長男と歩くことにした。


          *


これがフィラデルフィアか。

都市といえば東京とマンハッタンが基準になっている私には、一地方都市くらいにしか見えなかった。でも印象は悪くない。もっと観光客の集まる地区はまた違うかもしれない。

郊外のモールをそっくり町に持ち込んだような建物に入った。

「ジェシカがフィリー・チーズ・ステーキを食べて来いって」とガールフレンドの指示に忠実に従う長男。私はお寿司を食べたが、NYより2割安く、3割うまかった。

物価の違いをひしひしと感じる。

そういえば、大学の寮は1年生だけで、2年目からはほとんどが民間のアパートに暮らすと言っていた。「ニューヨークじゃありませんから、割安のところがすぐ見つかりますよ」と案内役の学生たちもオバチャマも受けあった。


        *


またニューヨークで8ブロックも歩くのはごめんなので、次男に地下鉄のルートを調べさせようと自宅に電話すると、夫が出た。

「まだフィラデルフィアなんだけど。ペン・ステーションからグランド・セントラルに戻るにはどうすればいいの?」

「シャトルだよ」と夫。

やっぱり夫は誤解したままだ。

「シャトルは42NDまでしか行かないの!今朝は8ブロックも歩いて、結局アムトラックに乗り遅れたのよ!」

「あれ、そうだったっけ。シャトルはペン・ステーションまで行くと思ったけど」と無責任にのたまう。

「そうじゃないってば。私の記憶だと、1とか2とか3とかそういう番号の地下鉄が通ってるはずなのよ。それとも7だったか」 我ながら、まったく当てにならない。

「そうだ、7だ。それでグランド・セントラルまで来られるから」と夫。

私を8ブロック歩かせたことへの罪悪感はないらしい。

帰りのアムトラックに遅れると後がないので、地下鉄の駅に向かった。平日の昼間でここも閑散としている。このあたりはフィラデルフィアでも犯罪率の低さで1,2を争うくらい安全な地域だと女子学生から聞いた。

切符の自動販売機が見当たらない。窓口に行くと、黒人のお兄さんが切符を売ってくれた。乗り場を聞くと、お兄さんは親切丁寧に教えてくれた。話し方もゆっくりしている。ペン・ステーションのアムトラック駅員とは雲泥の差であった。

ますますフィラデルフィアに好感を持つ。


        *


30th Street Stationに戻り、木のベンチでアムトラックの出発時間までをすごす。

見れば見るほど、こじんまりした駅だ。中央の掲示板があって、パネルがパタパタと音を立てながら行き先と時間やホームの番号をめくっていく。電光掲示板ではない。パタパタが聞こえるくらい、駅の中は静かだった。

帰りの車内はもっと寒かった。冷蔵庫の中を冷気が強で吹き付ける。逃げ場はない。

そうしてペン・ステーションに着き、今度こそ地下鉄とシャトルを乗り継ぐぞと見渡すが、7という地下鉄はないのだ。今日何度目かのパニックに陥る。やっぱり次男にネットで調べさせればよかった、夫の言うことを信じた私が馬鹿だったと悔やむ。

幸い、路線図はあったので、長男と検討し、3に乗ることにした。A、B、Cという路線案内もあり、混乱に拍車をかける。ペン・ステーション構内をさらに歩き回った。

今日のメインは大学見学か、それとも駅構内の巡回か。

なんとか目星をつけて、地下鉄に乗り、シャトルに乗り継いでようやくグランド・セントラルに戻った。

中途半端な時間だったので、また食べ物を買い、家に向かう電車の出発時間を待った。

やっぱり慣れている駅はいいなあと思っていたら、気が緩んだ私はまたしても迷子になってしまった。

いや、迷子というのは正しくない。食べている長男を残して、トイレに行き、なにかよさそうな食べ物はないかと見回っているうちに、長男が座っていたテーブルが見つからなくなった。

だんだん出発の時間が迫る。もしかして長男は私を探しているのかもしれない。携帯に電話をするが出ない。2度目か3度目かの周遊後、ばったり長男のところへ舞い戻った。

あちらも焦って私の携帯にかけていたらしい。

「おかあさん、もー、どこ行ってたの。」

「このへん見に来たんだけど、いないんだもん。どこかに行ったかと思って」

「ぼくずっとここにいたよ。迷子になったの?」と長男。

しかし問答している暇はない。私だって、どうしてぐるぐる歩き回るはめになったのか、さっぱりわからない。あわてて乗り場へ向かう。電車は3分後にグランド・セントラルを離れた。

「明日は絶対にどこにも行かないわよ」と宣言する。



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青い爆発

2011.08.11 (木)


フィラデルフィアに出かける前日、寝違えたのか、左の首から肩にかけて筋肉痛があった。

半日経っても治らないので、温シップをしようと思った。いつもはタオルを濡らして電子レンジで暖めるのだが、長男が使ったアイスパックが台所のカウンターに出しっぱなしになっていた。

これを買ったのはほんの3ヶ月前。

それまで、うちには古いアイスパックしかなかった。ドラッグストアで「アイスでもホットでも使えます」という触れ込みの製品を見つけ、ベルクロ(日本ではマジックテープ?)つきの簡易ホルダーもついていたので、ちょっと高めだったが買ってみた。

結局、冷やす方しか使わなかったが、パックに印刷してある使用方法を読むと、電子レンジで20秒暖め、温度が均一になるようにほぐせばいいと書いてあった。

なぜかペーパータオルに載せろとある。初めてなので、指示通りにする。

やってみたら、なるほど暖かい。でも20秒ではホットにはならない。10秒追加してみたら、ちょうどよくなった。

暖かいパックを肩に当て、冷めたらまた電子レンジでチン。

これは簡単。タオルを出したり、濡らしたり、絞ったりする手間がいらない。ものぐさな私のための製品である。

首と肩の痛みにはそれほど効果はなかったが、気持ちがいいのでそれでよしとした。


         *


フィラデルフィアから戻っても、まだなんとなく肩のあたりが重かった。

ニューヨークで無駄歩きをしてクタクタになっていた私は、気休めにホットパックをしようと思った。

ペーパータオルを出す元気もなく、そのままガラスの回転トレイの上に載せた。

誰もいない真夜中の台所で、ぼんやりした頭で考える。

パッケージには20秒と書いてあったが、それでは足らなかったはず。10秒追加した記憶がある。真ん中を取って25秒でいいか。

そして、2、3、0とスタートボタンを押した。

それから、カウンターの方を向き、今日届いた郵便を開け、回らぬ頭で読み始めた。

ボンッ!

と後方から大きい破裂音がした。

ぎょっとして振り向くと、まだ回っている電子レンジの明るい内部に、さっき入れたアイス&ホットパックが爆発し、青い中身が飛び散っているのが見えた。

大慌てで、ストップボタンを押す。

恐る恐るドアを開けてみると、パックには大きな穴が空き、ドアの内側はジャクソン・ポラックの絵。丸い回転トレイの端っこには、半分からっぽになったパックがもたれていて、トレイの反対側に不気味な形の青い塊が転がっていた。

いったいなんでこんなことに?

そして、はたと気がついた。25秒のつもりで、私は2分30秒も加熱してしまったのだ。「袋が膨らみ始めたらすぐ止めるように」という注意書きを思い出した。

一挙に脱力する。しかし、このままにしておくわけにいかない。

まだしも青でよかった。これが赤だったら、殺人現場である。

規定の5倍も長く加熱された物体がどれくらい熱いのかわからない。ビニール袋やスプーンでそろそろとかき集める。

だんだん冷めてきたので、ペーパータオルで電子レンジの天井をぬぐうと、やっぱり青いのが飛び散っていた。

あの青い物体が何でできているのかわからない。毒だったら困ると思って、何度も拭き、回転トレイをはずして洗った。

爆発のショックで目が覚めたが、頭も体も疲れていて、もう自分でも何をしているんだかわからない。

こんなに疲れている夜中に、なぜ私は電子レンジの掃除をしているのであろうか。


        *


翌朝、子どもたちにこの話をしたら、ワッハッハ~!と大喜びになった。

彼らは、「私は正しい」と顔に書いてある(らしい)私がこういう失敗をするのが大好きなのだ。

特に、実験とか爆発とか武器とか物騒なことに興味のある次男は、根掘り葉掘り聞く。

「燃えた? 溶けた? ドロドロ? 電子レンジの中、ブルーになった? どこにあるの?」

そんなものは全部ゴミ箱に捨てたと言うと、がっくりしていた。あの残骸をどうするつもりよ。

「ジャガイモの爆発とどっちがすごい?」と次男。

私はいろんなものを電子レンジやオーブンで爆発または燃焼させているのである。

アメリカに来たばかりのころ、にんじんを電子レンジで加熱しようとして、炭を作ったこともある(次男はぼくもやりたいと言い張る)。

まだ新しいアイスパックはこうして消えた。



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ローラー・コースター

2011.08.13 (土)


遊園地ではない。株価のことである。

アメリカの議会が債務上限引き上げ問題で何週間も幼稚な諍いをしていたころ、 長男はまだ大学のサマー・コースに通っていた。行き帰りの車中でラジオを聴きながら、長男と私は議員連中を毎日こきおろしていた。

こいつら、全員クビよっ!

その間にも、ギリシャとスペインの債務がどうの、イタリアも危ないだの、いったい世の中はどうしてこんなに混乱してしまったのか。

しかも、ソマリアではアフリカで30年ぶりという深刻な飢餓状態。確かあのへんはアルカイダがうろうろしていて、内戦していたはずだ。

ウィキペディアで「ソマリア内戦」を調べたら、

  時   1988年 - 進行中 
  場所  ソマリア      
  結果  失敗国家(進行中) 


「失敗国家」なんていう定義があったのか。「進行中」? スポーツの試合じゃあるまいし。なんとも無機質な表記である。

旱魃で水も食べ物もなくて、人や家畜がバタバタ死んでいるのに、戦ってるのはやっぱり男。女は食べ物を確保したり、子どもの世話をするのに忙しい。鉄砲かかえて戦争ごっこをしている暇はないのだ。

私が小学生くらいのころにエチオピアで大飢饉があった。おなかだけ異様にふく らみ、やせほそった顔に目だけがギョロリと大きく、ハエがたかるのを払おうともしない。強烈な印象を残した。

それと同じことが21世紀に起きている。

しかし、アメリカではあまりニュースにならない。ちょくちょく報道はあるが、ソマリアを救えという一大キャンペーンは聞かない。

それよりも、ずっとAAAだったアメリカの国債格付けが史上初の格下げとなり(これだけ借金を抱えた国が最高の格付けだったこと自体がおかしいんじゃないのか)、責任のなすりつけ合いに忙しい。ぎりぎりで債務上限引き上げに合意したのに、それから株価は乱高下になった。

  500ポイント アップ!
  550ポイント ダウン!
  420ポイント アップ!


私は遊園地の乗り物がきらいだが、ローラー・コースターになんか乗らなくたって、株価を聞いているだけで体験できる。実際、めまいがする。


          *


7月半ば、ある手持ちの株がうまいこと上がっていて、少しだけ売って現金に換えた。あまりキャッシュポジションを多くすると、夫がよそへあげてしまうかもしれず、私はなるべく現金以外の形で預けている。

もうちょっと上がったらまた売ろうと思っていたのに、これでは当分売れない。

「あー、あのとき売っておけばよかった。185で売ろうと思ってたのよ。165になっちゃったわよ。」と子どもたちにブーブー言うと、

「おかあさん、いつもそう言ってるよ。前にも、そう言ってたよ」と長男。

「そうなのよ。それもわかってるのよ。でもね、あと少し上がるかなと思ったの。欲ばりになるのよ。あー、馬鹿だった。今度、おかあさんがまた売ろうかな、どうしようかなって迷ってたら、売れ!ってすぐ言ってよ」と私。

それでも飽き足らず、次男にパソコンで株価チャートを見せる。

「ほら、下がってる。このときが一番高かったのよ。ここで売っておけばねえ。」

「これ6ヶ月にして。1年のレンジにして」と次男が表示する期間を指定する。

もちろん1年前に比べたら、ものすごく上がっているのだ。

「そっかー。あの頃はこんなに安かったのよ。じゃあ、私は損してないのよ。ここんとこ下がったけど、それでも売ればだいぶ儲かるってことじゃない?」

「そうだよ。そうやって考えればいいね」と次男。

「そうしよう。でも、今はまだ売らないわよ。安すぎる。もうちょっと上がってから」と、このまま株価が落ち着き、また上昇するのを待つつもりである。私は何も学習しないのか。


              *


長男をサマー・コースへ送っていったある朝のこと。

BBCでは連日経済ニュースを詳しく報じていた。その合間に、ニューズコープの盗聴騒ぎとか、ベルルスコーニの進退とか、各地の異常気象とか、もちろんソマリアの飢饉など、他のニュースが混じる。

「次のレポートはエチオピアからです。Disturbing(動揺させる、心をかき乱す)な内容を含むことを事前にお断りいたします」とアナウンサー。

ぼんやり聞いていた私は、エチオピアだったらソマリアの飢餓関連かと思った。実際、ソマリア難民が大量にエチオピアに流れ込んでいた。

しかし、それは集団レイプされたエチオピア女性のインタビューだった。

エチオピア政府は、外国からの支援金を国民を弾圧するために使っている。拷問や殺人はもちろん、食料や肥料の差し押さえをして、反政府勢力を押さえ込む。見捨てられた村落では飢餓状態。現政権に投票しなかったことへの報復らしい。

ある女性への暴行は特にひどかった。

政府軍らしき兵たちに殴られながら、集団レイプされた。おなかに飛び乗られ、銃床でおなかを打たれて、血だらけになり、女性は意識を失った。

彼女は妊娠8ヶ月だったのである。

胎児は死んでしまった。彼女は生き延びたが、こんな経験をしてこれからどうやって生きていくのだろう。


                 *


しばらくして、BBCのアナウンサーが視聴者からのメールを読み上げた。

「エチオピアでレイプされた妊婦の話を聞き、他のニュースがどれも非常にささいなことに思われました。私たちの直面している問題は、彼女の苦痛に比べたらなんでもないことです。」

きっと他にも同じような声が寄せられたのだろう。

より不幸な人と比べて自分はずっとマシだという考え方には醜さがつきまとう。しかし、あまりにも状況が違えば、比較の対象にもならないのだ。あの人のほうがお金持ちだとか、あの人のほうが大きい家に住んでいるとか、そういう次元の問題ではない。

株価についてああでもないこうでもないと文句をたれることができる私は、非常にラッキーな人間である。

ローラー・コースターで遊んでいるんだから。




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子宮筋腫のその後

2011.08.14 (日)


子宮筋腫の手術をしてから2週間。フォローアップの診察に行って来た。

私が受けたのは、Microwave Endometrial Ablation (MEA) という90秒の施術だった。

開腹手術ではなく、しばらく出血が続く以外はほとんど後遺症らしいものもない。術後は、9割近くの患者が生理時の異常出血から解放される。私のように閉経が近いと、これで完全に生理が止まる可能性も高い。

多量出血に悩まされていた私に、いつもの産婦人科医ドクターCは子宮内膜がかなり厚いことを告げ、3つの選択肢を出した。

まず、Mirena というTの形をした避妊具を子宮に入れる。クリニックでできるが、定期的な交換が必要(これがどれくらい筋腫に威力を発揮するのか、私には納得できなかった。おそらくホルモン剤で出血を少なくするのが主目的だろうと思う。第一、面倒なメンテナンスは嫌いなので却下)。

次にMEA。ブランド名はNovaSure。これを受けると、妊娠できなくなる。

最後が hysterectomy(子宮摘出)。

Mirena と NovaSure については、メーカーのパンフレットをもらった。そして、超音波検査をして2.5センチの筋腫があるとわかり、私は次の予約の前にすでにNovaSure にしようと決めていた。

この施術は3センチ以上の筋腫には適さないそうで、私はなんとか間に合った。こんな方法があるなら、もっと早くお医者に行けばよかったと悔やむ。


       *


日本では、マイクロ波子宮内膜アブレーションと呼ぶ。

2008年12月に先進医療として保険適用されたばかりで、まだそれほど一般的に行われていないらしい。

薬事日報には、こんな説明が載っていた。

マイクロ波子宮内膜アブレーション治療は、経膣的に挿入したマイクロ波アプリケーターによって、子宮内膜を焼灼するもの。外科的操作を必要としないため安 全性が高く、術後合併症も少ない。医療費も子宮摘出術に比べて低額。出血の減少が図れることから、血液凝固異常のある患者の過多月経も、治療することができる。

この施術ができる日本国内の病院によると、局所麻酔で、2~3日の入院が必要だとあった。

私は全身麻酔である。ただし、それほど深くない。

まず手術室に向かう前、準備室で麻酔医が鎮静剤をIVに入れ始めた。私はそれでもう意識がなくなった。その後、本格的な麻酔薬を入れるという話だったが、もちろん記憶はない。手術室にいたのは、実質20分だったらしい。

病院の受付が朝6時半(前日の真夜中から水も食べ物も禁止されていたので、早いほうが助かる。麻酔から目覚めて、ナースが手渡してくれるクラッカーとりんごジュースのおいしいことったらない)。

手術開始が7時半。20分後に回復室へ。

そして、9時半には退院だった。ナースは車椅子を用意してくれたが、私は一人で歩いた。

2日くらい様子を見るのが理想なのだろうが、アメリカではこの程度では半日だって入院させてくれない。


           *


診察室に現れたいつもの産婦人科医ドクターCは、「その後、どうですか」とにこやかに聞いた。

「調子はいいです。まだ少しピンク色の液体みたいなのが流れますけど」と私。

「それはむしろいいことですよ。手術はとてもうまくいきましたし、それが起きるということは治癒が進んでいるということですから」とドクター。

2週間はお風呂に入ってはいけない(シャワーはOK)、セックス(ドクターCは遠まわしに intimacy と言う)もいけない、タンポンもいけない。とにかく中に何も入れてはいけないと退院するときに言い渡されていた。

2週間すればきれいになるのかなと思い込んでいたが、そうではなかったらしい。

内診をしたあと、ドクターCは「もうお風呂に入ってもいいですよ。プールもOKだし、なんでも大丈夫ですが、intimacyだけはあと1-2週間待ってください。」

うちは完全にセックスレスなので支障はないのだが、わざわざ医者に表明することもない。まじめにうなずく。

「手術室でわかったんですが、子宮上部の筋肉の中にも小さい筋腫がありますね。でも、これはそのままにしておいて大丈夫です」とドクターC.

それは初耳である。超音波でも見つからなかったのだろうか。

「ほっておいて大きくならないんですか」と疑い深い私。

「なりません。それに、筋肉の中ですから、取るとなると大掛かりな手術になってしまいます。女性の60パーセントはなんらかの筋腫をかかえてますし、自覚がない人も大勢います。あなたのこの小さいのは、これからもおそらく何の支障にもならないと思いますよ」と、診察室においてあった図解を示すドクター。

まあ専門家が言うならそうなんだろう。万が一大きくなったら、そのときだ。

次回は6ヵ月後。でも、これはフォローアップでなく、毎年の婦人科検診である。当分のあいだ、お医者通いはなくなる。


        *


手術の前日、「ジェシカがおかあさんの手術がうまくいきますようにって」と長男。

「なんであの子が知ってるの?」 

「だって、スカイプしてて、話に出たんだよ。」

まったく長男はおしゃべりである。初めてのガールフレンドで浮かれているのだろうが、私の婦人科の話までする必要がどこにある。私は彼女とはほんの挨拶程度の言葉しかかわしていないが、まあそうやって長男に言ってくれたのは優しいことである。

この話を夫にすると、

「ゾーイも、同じことを言ってたよ。」

なんでルーマニア女が私の子宮筋腫を知ってんのよ?

「ちょっと!私の婦人科手術をどうして他人にしゃべるのよ。やめてくれない?」私はムカッと来た。いくらG氏もからんでいるビジネス仲間だとはいえ、不快だ。

「彼女のお母さんも同じ手術をしたんだそうだ。」

「私の受けたのは最新のハイテク手術なのよ。どうしてルーマニアにそんな設備があるのよ。」

「そりゃルーマニアにだってあるんじゃないかな。よく知らないけど。」

ルーマニア女はあることないこと言うのだ。そもそも、夫はMEAがなんだかもよくわかっていない。仮にルーマニアでMEAが一般的に行われているとしても、そんなハイテク手術を受けるだけのお金やコネがあるなら、なんで夫に獣医に連れて行くお金がないなどと話すのだ。ホイホイ出すほうも出すほうだ。

これ以上追求するのもばからしくなった。

「とにかく、私の体の話をよその人にしないで!」と緘口令を敷いた。

プライバシーもなにもあったもんじゃない
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Take Five で現実逃避

2011.08.15 (月)



最近のお気に入りは、これ。




私はジャズに興味はない。

この曲のオリジナルも聴いたことがなかった。ちなみに、オリジナルよりこのバージョンのほうがいい。

長男をサマー・カレッジコースに送っていったある日、BBCラジオでこの曲が流れた。ロンドン在住のパキスタン人投資家がスタジオを作り、パキスタンのミュージシャンを集めて、録音したものだ。

だれもまともな音楽教育は受けていない。そして、生活のために音楽はとっくの昔にあきらめていた人たちだという。一人はスパイスを売って生計を立てていた。才能のある人はどこにでもいるのである。

家に帰ってから、BBCのサイトでそのレポートを探し、PBSで全曲のリンクを見つけた。

一時期は、アマゾンのジャズ・チャートで2位だったそうな。

本格ジャズファンらしき人が「これはジャズではない。Swingがない」と批判していたが、ジャズのなんたるかを知らない私にはそんなことはどうでもいい。

ちなみに、このバンドのほかの曲はそれほどいいと思わなかった。なぜかこれだけ気に入っている。

次男とパソコンでこれを聞いてたら夫が通りかかり、「おっ、おかあさんはシターなんか聞いて、瞑想でもするつもりかな」とちゃちゃを入れた。

私は雑念と煩悩のかたまりなので、瞑想なんか1分もできない。


         *


明日はボストンへ出発するというのに、こんなくだらないことを書いていていいのか。

旅行のしたくもしないで、昨日はごろごろと昼寝をし、まんがを読み、洋ナシのタルトとさくらんぼのクラフティを作った。

ひたすら現実逃避に励む。

まだフィラデルフィアの疲れが取れていない気がする。あー、行きたくない、行きたくないと体も頭も訴える。だいたいボストンに4日間もいて、私は大学訪問以外、どこも見に行く予定はないのである。

フィラデルフィアで長男の旅行感覚がまったく頼りにならないことがよくわかった。きっとまた迷子になる。

長男はマジックというカードを売っているお店に行きたいと言い、ちゃっかりお店の場所を調べていた。トーナメントもやってるよと興奮していた。

あんたの大学の話を聞きに行くために、お金と時間をかけて、わざわざボストンまで出かけるのよ。カードを買うためじゃないの。わかってる? わかってないでしょ。

あと半年もすれば、長男がどの大学に行くのか(行けるのか?)が決まる。

「あと半年、あと半年」と呪文をとなえる。



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