スポンサーサイト

--.--.-- (--)


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  スポンサー広告

居留守という手があった

2009.11.01 (日)


ハロウィーンにはいつも墓石を玄関前に並べ、くもの巣やら亡霊やらで飾り付けるお宅に、今年はかぼちゃすら置いていない。次男の仲良しなので、どうしたのか聞いてみた。

「クリスはいないよ。お兄ちゃんが大学を見に行くから、みんなで出かけるんだって。」

そうか!今年は土曜日だから、旅行に出かける人だっているのだ。そういえば、クリスの隣の家にも、かぼちゃがない。あちらもクリスのお兄ちゃんと同じ年の娘さんがいる。やっぱり大学ツアーか。

うちはどこにも出かけないけど、居留守を使うという手があった。ブラインドを閉め、玄関と家中の電気を消せばいいのだ。暗くてもパソコンはできる。どうして思いつかなかったかと悔やまれる。

でも、もうキャンディを買ってしまった。捨てるのももったいないし、夫と子どもたちで平らげても困る。しかたない。今年はキャンディを配ろう。

          *

玄関でキャンディを手渡す仕事はうちの子供たちにやらせようと思っていたが、次男は例によって友だちの家に行く。午後4時に連れて行って、お迎えは10時。なんだか毎年遅くなってない? 私なんかもう寝ている時間である。

長男は、近所を1時間弱回ってあとは家に居るのが常だった。ところが、今年はハイスクールの同級生ジェイクのところで集まりがあるという。

ミドルスクールの頃から名前だけは聞いたことがある。もしかして、1~2回はどこかで会ったかもしれない。でも、うちに来たことはないし、親にも会ったことがない。

あまり友だちの家に誘われない長男なので、うれしい反面、不安にもなる。

長男はミドルスクールでいじめられていた。

孤立していたわけではないが、神経質でよく泣き、頑固で幼い性格が災いした。体が小さくて運動も苦手だったので、クラスメートによくからかわれていたらしい。体育では、年配の先生が気をつけていてくれたが、ロッカールームまでは目が届かない。長男はいちいち私に報告しなかったので、あとになっていろんなことがわかった。

コロンバインを始めとする学校での銃撃事件以後、アメリカの学校では「殺してやる」の一言で停学や退学処分になりかねない。確固とした証拠がなくても、「殺すと言っていた。爆弾をしかけたと聞いた。復讐してやると言っていたらしい」という噂だけでもそうなる。

そして、そういう噂を聞きつけた保護者が校長にヒステリックな電話をかける。学校にいる子どもたちも携帯で親を呼ぶ。そうなると、もう止められない。パニックになるのも時間の問題である。学校はそれを一番恐れる。

長男はそういう噂のターゲットになった。

こちらの言い分は受け付けてもらえなかった。周りの子もそういう目で長男を見るようになる。そのときの首謀者は長男が一番親しかった子で、私は大変なショックを受けた。それ以来、長男の交友関係には神経を尖らせている。

危険人物扱いされた長男は、学校の指示で毎週カウンセリングに通った。費用は自腹。夫と私までが精神科医に呼ばれて、長男の生い立ちからすべて説明せねばならなかった(生い立ちどころか、長男を妊娠中の私の体調、分娩時の状況まで質問された)。

「こちらの言うとおりにしなければ、学校を辞めてもらう」と教頭に暗にほのめかされ、断ることはできなかった。

          *

ハイスクールに上がったときは、「これで新しいスタートが切れる。」とほっとした。しばらく疎遠にしていた近所の同級生(なぜか女の子ばかり)も、時間の経過とともに、昔のように接するようになった。長男自身も放課後のクラブにいくつか入って、別の交友関係を築いた。

ミドルスクールからの申し送りで、ハイスクールは受け入れ態勢を整えていた。カウンセリング担当の年配の女性とは入学前にも会い、私は好感を持った。彼女は長男の置かれた状況をよく理解し、また学校関係者としてできる限りの同情もしてくれた。今のところ、トラブルはない。

実際のところ、ミドルスクールとハイスクールはいろんな意味で雲泥の差があるように思う。

それまでにも、近所の人や知り合いから、ミドルスクールの陰湿ないじめ(女の子同士は、また別の意味でひどい)については聞いたことがあり、誰しもが「早くミドルスクールを終わらせたい。」と望んでいた。自分の子どもが被害者でなくても、そういう雰囲気がいやだと言っていた。だいたい、ミドルスクールは生徒の数が多すぎる。

地域にもよるが、うちのミドルスクールは6~8年生。年齢でいうと、11~13歳前後。むずかしい年頃だというが、それにしてもミドルスクールでのいざこざは苦い経験であった。

          *

長男がハロウィーンパーティに出かけるのはエレメンタリースクール以来のことである。4時前に集合。終わりは何時なのかまだわからない。実際、集まって何をするのかもわからない。例によって、ドラッグの不安が頭をよぎる。

お迎えの時間を確かめるという名目で、ジェイクの両親にも会おうと思う。ミドルスクールでのトラブルも知っているはずだが、2年経ってほとぼりが冷めたのだろうか。なぜ急に誘ってくれたのかわからない。学校では親しくしていたのだろうが、長男が言わなかったのか。

あのトラブルの首謀者だった少年もそこに来たらどうする? 

夫に相談してみたが、いいアイディアは浮かばなかった。「あの子とは一切付き合うな」という申し合わせであったが、共通の友だちがいたらそれも難しい。しかも、先方は親子揃って長男を陥れたとはみじんも思っていないのだ。

でも、いつまでも長男を隔離することはできない。

私の嫌いなハロウィーンに、また1つストレスの種が加わった。

仏頂面を隠すために、イルカのマスクでもかぶってキャンディを配るか。いや、それもハロウィーンに積極的に参加しているみたいで本望ではない。夫は自室に閉じこもるという。ずるい。あなたの国のイベントでしょ?!

来年こそ、居留守よ!」と子どもたちに宣言する。


<今日の英語>

I cringe when I see what people post.
人がネットに載せているものを見ると、身の縮む思いがします。


ホームページにたくさん載せた娘の写真を悪用されてしまい、慌てて削除したという女性の一言。[どんな危険があるか知らないから、みんな平気でいろんなものを載せているのだと思いますが、見るたびにぎょっとして身がすくみます。」
スポンサーサイト



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  子ども  |  コメント(1)

雨のハロウィーン顛末

2009.11.01 (日)


こんなに雨降りのハロウィーンは初めてだった。毎年ピーク時には、ドアを閉める前に次の集団がやってくるほどなのに、今年は極端に少ない。15人いなかったと思う。

これまで、かなり気温の低い年もあったが、子どもたちは平気だった。うちの近辺は敷地が広くて、歩き回るには効率が悪いが、それでもキャンディほしさに子どもたちはがんばる。でも、さすがにこの雨では盛り上がらないらしい。

それに、よく考えたら、子どもたちの平均年齢が上がっているのだ。裏のお家は3人とも大学か社会人だし、他の家でももうハロウィーンに出かけない子が増えたのかもしれない。

こんなことならキャンディは3袋くらいで充分だった。いつもよりたくさんあげたけれど、大量に余っている。

フード・バンクでキャンディを引き受けてくれるだろうか。しかし、ジャンクフードをあげるのは気が引ける。小出しにして、うちのおやつにするしかない。あるいは、来年まで取って置く?

勝手なもので、こうなるとせっかくの準備が無駄になってガックリするのだ

子どもの相手なんか苦手なのに、ドアを開けるとそれなりににこやかに応対してしまう。今のハロウィーンは大人の商業主義が作り上げた習慣なのだから、子どもに罪はないのかなと思う。

ところで、うちは男ばかりなので、女の子が来ると私はついキャンディをはずみたくなる。今年は、背中にピンクの羽をつけたなんとも可愛い妖精が来た。付き添いのお母さんに促されて、舌足らずなサンキューを言い、私の顔を珍しそうに見ていた。

          *

心配していた長男のパーティは、結局2軒でゲームをしただけで、trick-or-treat  にも出かけなかったそうだ。じゃあ、今日集まる必然性はなかったじゃないの。

私が二度とかかわりたくないと思っている例の男の子は来なかった。長男によると、今日のグループはもうその子と親しくしていないとのことで、ほっとした。

ジェイクの気さくなお母さんにお礼を言うと、「子どもたち、楽しそうにやってましたよ。」 ジェイクも私がイメージしていたよりずっと大人っぽくなっていて、長男が「今日はありがとう。」と言うと、ノープロブレム!じゃあ、月曜日に学校で! そして、私にもニコッと笑顔を向けた。

ミドルスクールでの出来事がいつまでも私の心にひっかかっていたけれど、警戒しているだけでは長男のためにならないなとつくづく思った。

8時にジェイクの家にお迎えに行ったのだが、そのへんはタウンハウスという集合住宅で、雨にもかかわらず、まだ子どもたちが大勢歩き回っていた。

ハロウィーンの夜の運転は怖い。ふだん人が歩いていないようなところで、子どもたちがうろうろするのだ。いつ飛び出してくるか、ハラハラする。懐中電灯を持って歩いていても、暗くて見えない。しかも、今年は雨で視界が悪かった。

私がいない間、夫にキャンディ配りを任せたが、女の子が2人来ただけだったと言う。ずいぶん減っているから、気前よくあげたのだろう。いや、ゴミ箱に包み紙がたくさんあるところを見ると、自分が食べたな。

          *

次男は、10時にお迎え。

ニックのお母さんが今週はスリープ・オーバーをやる元気がないというので、妥協案として10時にしたのだと言う(彼女は優しすぎる)。遅いと思ったけれど、その頃には誰も外を歩いていないから、むしろ運転しやすい。

ニックの家に集まった仲良しグループで、雨の中を出かけたらしく、濡れたジャケット、靴下と靴が玄関にいくつも広がっていた。ジェイクのお父さんが付き添ったそうだが、傘も持たずに延々と歩いたらしい。男親はどこでもこんな感じか。

そして、うっかりものの次男は、私の赤い布の袋を失くしたと言う。手ごろな大きさで毎年ハロウィーンには貸していた。どこかでもらった安物だけど、ロゴもなくて気に入ってたのに。どうしてこう物を粗末に扱うのだろう。それでいて、キャンディはついでに持って行ったスーパーのビニール袋にちゃっかり集めていたのだ。

雨なのに夜遅く2回も運転手をさせられた私は、次男の「赤い袋がないよ。ぼく、どこにあるか知らない。」という無責任なセリフで、ますます機嫌が悪くなった。

          *

やれやれ、へんてこな行事が終わって、やっとリラックスできる。

そういえば、他にもストレスでクタクタになったのがいた。うちの猫たちである。

特に妹猫はピンポーンと玄関で鳴るたびに、飛び上がって地下室へ逃げて行った(そういうときは、4本足が8本くらいに見える)。そして、子どもたちが去ると、恐る恐るキッチンに現れる。なまじ、ピンポーンの間隔が開いていたために、もう安全だろうと思って出てきたのだ。すると、またピンポーン。その繰り返し。

前に飼っていた猫は「お客様大歓迎!」で、いつも玄関で出迎えたものだ。同じ猫でもなんたる違い。

子どもたちは私よりも猫に関心が向く。Kitty! What's his name? He is so cute! C'mon, kitty.  注目を浴びてますます得意になる猫。ついでにキャンディを配ってくれたら完璧だったなあと思い出す。


<今日の英語>

It’s just not something I’m used to.
ただそういうのに慣れていないんです。


携帯電話を持たない主義の友達がいるという女性の一言。先日はランチをするのに、彼女とあと2人の友だちで事前に固定電話で何度も打ち合わせをしなくてはならなかった。「こんなこと、しょっちゅうできません。前もって計画を立てるということは、もうしてないですね。携帯があれば、いつでも簡単に連絡が付くから。正直なところ、モバイルでない人とコーディネートするエネルギーも時間もありません。」



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  生活  |  コメント(0)

愛人ごっこ その64

2009.11.02 (月)


(前回その63の続き)

しばらくして、パヴェルがゲストルームのシャワーを使う音がした。

私はベッドで本を読んでいた。いや、読む振りをしていたと言うべきか。パヴェルと2人きりでこの家で一晩を過ごすのはこれが初めてだった。すでに何度も逢引を重ねていたけれど、それはいつも昼間の2~3時間だったので、今夜は奇妙な興奮感があった。

一方で、もしいま夫が帰宅したらという不安と一種の開き直りもあった。こんなに遅くなってヨットから戻る確率は低いと思ったが、ゼロではない。

・・・

あれこれ頭をめぐらせていると、パヴェルがドアをノックして入ってきた。ジーンズをはいていたが、シャツは着ていない。私は電気を消した。

いつも薄明るい日中だったので、真っ暗な中で交わるのはなんだか新鮮だった。私たちは長い時間をかけて、お互いの体を愛撫し、反応を確かめ合った。しばらくここに来ていなかった彼は、我慢が効かない。でも、今夜は慌てなくてもいいのだ。私は彼の好きなようにさせた。

私たちは、こんな夜は今日が最初で最後だとわかっていた。

一度満足した彼は、私を楽しませようと試みた。私は何も特別なことをしなくても、彼と2人で抱き合っていればそれでよかったのだが、彼はそうではなかったらしい。「あれをやってみない? こうしてもいい?」と私に確かめつつ、動いた。私が賛成しないときはそれ以上強く言わなかった。

・・・

何時間そうやって過ごしたのか、覚えていない。半ば夢うつつで、私たちは手をつないだまま、話をした。

「こんな時間を過ごせるなんて、ちょっと信じられないよ。ご主人はほんとにぼくがここに居ることを知らないの?」

「何も言ってないもの。でも、明日電話があったら言うつもり。あとから何かの拍子にばれるよりいいでしょ。」

「うーん、それはそうだけど。なんだか疑われそうだなあ。」

「そんな心配しなくていいのよ。それにもし夫が疑っているなら、きっとこの部屋に隠しカメラか盗聴器をセットしていったんじゃないかしら。」

彼は驚いて、半ば飛び起きた。「ほんと? どこに?」

「たとえばの話。そんな細かいことする人じゃないから、大丈夫よ。それに、もし盗聴されてたら、それはそのときね。いつも言ってるでしょう。私があなたを引っ張り込んだんだから、あなたに罪はないって。」

夫が私に与える生活を夢見て、常々夫を尊敬しているパヴェルは、夫を傷つけることを恐れていた。パヴェルという愛人の存在が私を救ったという事実は別にして、私だけでなく、彼自身も夫を裏切っているような気持ちになったらしい。

「パヴェル、あなたが今夜ここにいるのは事実なんだから、もう考えるのはやめて。」

彼は黙って私を引き寄せると、唇を重ね、抱きしめた。そのまま私たちは眠りに落ちた。

(次回その65に続く)



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  愛人

<今日の英語> 2009年10月

2009.11.03 (火)



10/2/09
We have a lot to catch up on.
積もる話がたくさんあります。

10/3/09
We have a few sprinkles.
雨がパラパラ降っています。

10/4/09
The proof of the pudding is in the eating.
論より証拠。

10/5/09
This is not an open-and-shut case.
これは単純明快な事件ではない。

She was way out of line.
彼女は非常に出すぎたまねをした。




クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  言語  |  コメント(0)

レストランのスタッフがしてはならない100のこと

2009.11.03 (火)


4~5日前のNYタイムズ(この新聞はほとんど私の「主食」と言っても過言ではない)に、レストランで働く人たちが絶対にやってはいけないことのリストが載っていた。

著者はシーフード・レストランを立ち上げている人で、こういうスタッフ教育を目標にしていると思われる。

全部で100項目ある。まず、パート1(1~50)。

これまでに1,130件のコメントが寄せられた。レベルの差はあれ、誰もが経験のあるレストランでの食事。反響は大きい。

著者に対して、「なにを偉そうに」という意見もあったが、「よくぞ書いてくれた!」「自分もこれだけは我慢できない」というコメントが多かった。

          *

出かけるのが嫌いな私は、レストランにもそんなに行かない。特に今は、外食しないで節約したいと思う。

おいしいものを食べたいのはやまやまだが、この辺にはそんなしゃれたお店はない。高速で30分も行けば、白いテーブルクロスが掛けてあって、おいしいパンを出すところもあるけれど、安くないし、子供連れだし、運転は私だ。結局めんどくさくて行かない。

しかも、子どもたちはもっと近くのOlive Garden みたいなチェーン・レストランで充分満足なのである。

補習校で知り合った友人たちが、たまにランチに誘ってくれる。永住の人も駐在の人もよく出かけるらしく、レストランに詳しい。私はあれがきらい、これはダメと条件を出すだけである。そんなことでもなければ、目新しいところに行く機会はない。

そういう外食指数の低い私でも、このリストには頷けることがたくさんあった。

          *

一番いやなのは、まだ食べているのにお皿を片付けられること。私は食べるのが遅い。せっかくの外食ではゆっくり食べたいのだ。

もうお済みですか、もう片付けていいですかと聞いてくれるウェイターもいるが、「見りゃわかるでしょ。」と思う。

「その言い方(Are you still working on it?)が気に食わん!」という怒りのコメントがあった。食事は楽しみであって、work (仕事)ではないというわけだ。

もっとも、私の年になれば、まだ食べ終わってないのを黙って下げようとするウェイターに、「ちょっと待って。まだ食べてます。」くらい平気で言える。

なまじファミリーレストランのほうが、量が多くて私が食べきれないのが明白なので、「お持ち帰りになりますか」と聞いてくれる。高級レストランには縁がないが、そんなところでも doggie bag はあるのだろうか。着飾った人が、レストランの包みを持って店を出るのは、そぐわない気がするが。

          *

食事中にそのテーブル担当のウェイターがやってきて、How's everything? と聞く。食事はおいしいか、何か不都合はないかとお客に尋ねるのである。それも私はあまりうれしくない。

反射的に Good と答えがちだが、実は塩気が強すぎたり、パスタがアルデンテではなかったり(アメリカ人は麺の固さには頓着しないのか)、野菜に充分火が通っていなかったり、いろいろとあるのだ。

でも、それを言ったからといって、どうなる? ウェイターはシェフに伝えて、今後の味付けを変えるのか。あるいは、私の苦情を受けて、もう一度作り直してくれるのか。

ウェイターが機械的に聞いて回っている気がするのだ。実際、NYタイムズに寄せられたコメントにも、お客が文句を言ったのに、「それはよかったですね。」と答えて、その場を立ち去ったウェイターの話が載っていた。

だから、聞くほうも答えるほうも、ほとんど社交辞令じゃないかと思う。

あとは、馴れ馴れしすぎるウェイター、コップの水が空っぽなのに気がつかないウェイトレス、注文してからかなり時間が経つのになぜ料理を運んでこないのかを説明しないサーバー。

ウェイターは決まったテーブルで働く。だから、日本みたいに、そのへんを歩いているほかのウェイターに気安く頼むことはできない。それも融通が利かない。

          *

アメリカでは、最低15%のチップが期待されているように思う。

食べ物がまずいというのはウェイターの責任ではないので、それはチップに反映してはいけないらしい。チップはあくまでも「テーブルでのサービス」について払うのである。

でも、まともなサービスをするのはウェイターの仕事ではないのか。チップのない国で育った私は、これがアメリカの習慣なのだと頭では理解していても、いつまでたっても理不尽な気分になる。

ウェイター・ウェイトレスの賃金は低いから、チップなしでは生計が成り立たないという話はよく聞く。

それは気の毒だが、彼らの賃金は雇用者であるレストランに責任を持ってもらいたい。それで料理の値段が上がっても、料金表どおりに支払えばいいのなら、そっちのほうがいい。

日本に帰ってレストランに行き、行き届いたサービスを受けると感激する。おいしい食事が終わって伝票をもらうと、チップを払わなくていいので、また感激する。食事の代金にはウェイターの賃金も当然含まれているはずなのに、気にならないのはなぜか。しかも、このサービスならチップをあげたいとすら思うのだ。

          *

1つの制度となってしまったアメリカのチップ。簡単に変わりそうにない。

「20年住んでいますから、もう慣れましたわ。」と余裕でほほ笑みたいところだが、半ば義務化されている点はどうにかならんのかとよく思う。

NYタイムズへの反響は、チップが原因じゃないだろうか。プロフェッショナルなサービスを受けないのに、(名目上はサービスに対する)チップを置かねばならない。その不満が積もっていくのではないか。

残り50項目、パート2に寄せられるアメリカ人のコメントが楽しみである。


<今日の英語>

My pet peeve is #17.
私がムカッとくるのは、17番です。


レストランのスタッフがしてはいけない項目から、とりわけ自分にとって腹立たしいことを挙げた人たちの決まり文句。Pet はお気に入り(愛玩動物を指すペットと同じ)。Peeve は不満、苦情、いらだちの意。他の人たちには気にならなくても、自分にとっては癪の種になるもの。

ちなみに、17番は「他の人がまだ同じコースを食べているのに、先に食べ終わった人のお皿を片付けるな。」



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  社会  |  コメント(0)

もうホリデーの話

2009.11.04 (水)


ハロウィーンが終わると、なんだかもうホリデー気分のアメリカ。

ハロウィーンの2週間ほど前から、すでにお店はクリスマス一色である。ツリーの緑、赤いリボン、雪に見立てた白いわた、金銀のモールやライト。

11月末に感謝祭があるのだが、あれはもっぱら食べるのがメインのお祝いなので、飾りつけといっても、とうもろこしや七面鳥のイメージ程度。それに比べると、クリスマスはツリーあり、リースあり、プレゼントありで、お店のほうも気合が違う。

ずっとお呼ばればかりだった長男の友だちを日曜日に招いたら、お迎えのお母さんが「ホリデーはどうするの?」と私に尋ねる。

いや、別に、何もするつもりはないんですけど。まだ考えてないです。

「私は感謝祭は近所のお宅でいっしょにやることになってて、クリスマスはネブラスカの実家に行くつもり。夫の家族はシティだから、そっちには2日くらい顔を出して。」

外出と人付き合いがダメな私の苦手なホリデー・シーズンが、すぐそこに来ている。

          *

今年の夏は、3年ぶりに日本に行った。トランキライザーのおかげで飛行機の着陸は朦朧状態で切り抜けたが、当分飛行機に乗るような長旅はしたくない。

密かに決心をしていたら、夫が「お父さんとリンは今年もクリスマスにユタに行くんだって。ぼくたちも招待されてるけど、どうする?」と言う。

私は行かないわよ。義父が旅行できるほど元気になったのはうれしいけど、それとは別の話である。

ソルト・レーク・シティには、リンの次女一家が住んでいる。義父たちは近くのパーク・シティにタイムシェアを持っているので、去年は長男だけが2週間もコンドミニアムに泊めてもらって、スノーボードなるものを習ってきた。

それにしても、クリスマスの時期は混むし、切符が高い。雪で飛行機が飛ばないこともあるし、冬服で荷物も多い。私は絶対に旅行したくない時期である。

カリフォルニアならまだしも、スキーもできない私はユタで夫のステップ・シスターの家で何日も過ごすのは苦痛でしかない。義父母と同じく、と~っても親切な人たちなのだが、私はまったくリラックスできないのである。

しかも、クリスマスだから、ディナーだのパーティだのもある。リンの長女一家も合流する。彼らはハリウッドのエンタテインメント業界と縁があるらしく、私とは対極の派手な生活をしている。

偏食の私は食事も困るし、結局あちらで夫や子どもたちの服を洗濯するのは私。それも、他の人が使っていないときに気を使ってやらねばならない。数年に1度しか会わない義家族と話をして神経をすり減らす。

それで、隙あらばベッドルームにこもって本を読む。それが許されるのはありがたいが、気疲れするのは変わりがない。

          *

11月3日(火)は選挙があるので現地校は休み。11月11日(水)はVeterans' Day (退役軍人の日)で祝日。11月26・27日(木・金)は感謝祭。前日の25日は半日。12月4日は懇談会で1日休み。12月24日から1月3日までクリスマス休暇。

それで今年は終わりである。来年になったら、2月に冬休みが1週間。3月末から4月初めにかけて春休みで1週間。

こんなに休みが多くていいのか? 

そうこうするうちに、5月のメモリアルデーと共に、本格的に夏ムード。6月の3週目に学校が終われば、夏休み突入である。

          *

年を取るに連れて、時間の流れがますます速くなってきた。ついこの間、クリスマス・ツリーや冬のジャケットをしまった気がするのは恐ろしい。

あれはいつだったかと思い出そうとして、去年だか今年だか、はたまた1昨年なのか、自信がもてない。

子どもが「なんか今週は早かったなあ。」としみじみ言うのを聞いて、そんなのかわいいもんよ。私に比べれば、だらだら散歩してるくらいのスピードでしょ。私なんか、もう駆け足なんだから。

そのうち全速力になりそうだが、その頃には曜日とか季節とかのはっきりした感覚は消えて、ぐしゃぐしゃに混ざるんじゃないだろうか。ふと気がつくと、落ち葉が舞っていたり、花が咲いていたり、粉雪が降っていたりして、あれ、昨日は真夏じゃなかったっけ。そんな感じ。


<今日の英語>

I’m dumbfounded.
あぜんとしています。


ブロードウェイでのリバイバルを試みた “Brighton Beach Memoirs” が不人気で、わずか1週間で中止になり、劇場関係者を驚かせた。ピュリッツアー受賞作家の二ール・サイモン自身が「ほんとに驚いた。何年やっても、ブロードウェイがどう動くかわからない。」とコメントしている。予期せぬことに驚いて、あいた口がふさがらない感じ。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  社会  |  コメント(0)

車のメンテナンスに1500ドル

2009.11.05 (木)


今月末に車検が切れるので、ついでにオイルチェンジもしてもらおうと、ホンダに朝9時の予約を入れた。

補習校を辞めてから走行距離がガクンと減った。2000年の Odyssey で、オドメターは94,500マイル(約15万キロ)。

購入当時は生産が追いつかないくらい人気のあった車種で、どうしてもほしかった私はディーラーに予約しておいた。そして、第一希望の色ではなかったのに、入荷と同時に定価で買ったという愚か者である。

確かに悪くないが、最近のモデルはもちろん改良が加えられて、もっといい。特にスライディング・ドアの窓が開くこと、運転席の横にあるトレイが深いこと。

しかし、私のミニバンはまだちゃんと走るのである。それだけの理由で買い換えるわけにはいかない。

アメリカに来て免許を取って、最初に買ったのは Civic のハッチバックだった。V4だったので、坂道ではなかなか加速せず、ハイウェイではトラックと横並びになると吹き飛ばされそうな気がした。それに比べると、ミニバンは大きくて安心できる。

でも、運転の下手な私は、車体の大きさをつかむ感覚も鈍い。最初は、ガレージに頭から入れるのにも苦労した。今でも、たまにガラス張りの建物にミニバンと私が映ると、こんな大きい車を運転してたのかと驚く。

          *

今日は1時間くらいで終わるだろうと、ディーラーの待合エリアで本を読んで待っていたら、30分くらいしてサービス・デスクにいた男の人が書類を手にやってきた。

これはよくない兆しである。他に何か直すべきところがあるということだから。そうでなければ、名前を呼ばれて" You're all set." (終わりました)の一言なのだ。

「ブレーキ・パッドが3ミリに減ってます。これは通常2ミリで交換ですので、もうわずかしかありません。ブレーキ液もかなり黒くなっていました。

それから、タイミングベルト。私どもの記録では、一度も代えてないですね。過去に2度ほど、点検にいらしたときにお伝えしましたが、まだやってないようです。もしタイミングベルトがだめになれば、走行中にエンストを起こします。お客様にそういう目に合われては困りますので、お早目の交換をお勧めします。」

ああ、そうだ。前にも言われていたんだっけ。

私はなんだかんだと先延ばししていた。タイミングベルト(なんだか知らないが、名前だけはよく聞く)は高い。でも、これから寒い冬が来るし、この際やってしまおうか。ディーラーへ行ったり来たりするのも面倒である。見たところ、不況のせいか、サービス部門もひまそうだ。

じゃあ、ついでに全部やってください。

「わかりました。そうしますと、1560ドルですが、よろしいですか。」

いいも悪いも、私は車については何も知らない。

下手な運転以外にできることは、ガソリンを入れる、タイヤに空気を入れる(わかりやすいエア・ポンプがガソリンスタンドに置いてあるとき限定)、フロントガラスの洗浄液を入れる。それだけ。

エンジン・オイルとブレーキ・オイルの違いもわからない。もうメカニックの言いなりである。

「はい。お願いします。どれくらい時間がかかりますか。」

「だいぶかかりますねえ。でも、今日中に終わると思いますよ。夜8時までやってますから。これからシャトルサービスでご自宅までお送りしましょうか。」

「今日は車検とオイルチェンジだけのつもりだったので、ときどき郵便で届くクーポン券を持ってないんですけど、ディスカウントしてくれませんか。」

タイミングベルトで50ドル、オイルチェンジで3ドルを割引してくれた。言ってみるもんである。

というわけで、マーティン・スコセッシみたいなおじさんがシャトル用のミニバンで家まで送ってくれた。

          *

晩ご飯の材料がないので、しかたなく夫の Accord でスーパーへ。

これもV6なのだが、2008年モデルなので、さらに技術の差を感じさせる。私のミニバンに比べると、ちょっとアクセルを踏んだだけでギューンとスピードが出て怖い。

ミニバンに慣れていると、セダンは車高が低くて、小さい私は前がよく見えない。それでも、乗り心地はさすがにセダンの方がずっといい。1度だけオデッセイのバッテリーがあがっていて、アコードで補習校へ行ったことがあるが、疲れ具合がぜんぜん違ったのを覚えている。

夫に修理の話をすると、金額を聞いて「ワーオ!」と一言。

私だって払いたくないけど、必要経費でしょ。(相変わらず怪しいところにクレジットカードでチャージしているのは誰よ?)

ここでは、車がないのは足がないのと同じである。

私は専業主婦だから、うちには1台あればいいようなものだが、それでは不便すぎる。もし外出先で何かあっても、迎えに行く車がない。ご近所はどこでも最低2台は持っている。そして、子どもが免許を取ると、また1台増えたりする。

久しぶりにガレージの片側がぽっかり空いている。こういうときにガレージの床を掃除をすればいいのだが、また今度にしよう。


<今日の英語>

I’m not going to rummage around your room.
おまえの部屋を引っ掻き回して探すつもりはないよ。


しばらく前に夫が次男に本を貸した。それを返してもらいたいらしいのだが、次男のごちゃごちゃした部屋のどこにあるかわからない。「ちゃんと自分で探して持って来い。」と命じた夫の一言。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  生活  |  コメント(0)

車のメンテナンス、その後

2009.11.05 (木)


アメリカに来た当初は、車の修理の件で電話を受けても、何のことやらさっぱりわからなかった。

免許を持っていないどころか、どっちがアクセルでブレーキかも知らないときだ。夫の車について、整備士やサービス・スタッフから電話がかかってくる。

車の整備については、日本語で聞いてもわからないのに、英語である。

メモを取ろうにも、単語しか書き取れない。タイミング・ベルト? タイミングっておっしゃった? それは何をするものなんですか。

整備士は親切にも説明してくれたが、双方にとって時間の無駄であった。当然のことながら、私は夫に説明できず、修理金額と修理にかかる時間を伝えるのがせいぜいだった。

それが20年も経てば、自分で車をディーラーに持って行き、スタッフの説明を理解(したふりを)して、割引を要求するほどまでになっているのだ。

人間、進歩するものである。

          *

午後6時過ぎに、「修理が終わりました」という電話があった。約束どおり、その日のうちにやってくれて助かる。なにしろ私の足である。

15分後に、お迎えのミニバンが来た。朝とは別のお兄ちゃんであった。学生のアルバイトか、この辺に住んでいる人ではなかった。

GPSを付けている。私の車にはないので、珍しくて目が離せない。方向音痴の私に必要なのはこれだなと思う。なぜかまだ標準装備でないらしく、「オプションですよ。」とお兄ちゃん。

夏時間が終わったせいで、外は真っ暗。「なんか寂しいところですね。この町にはどれくらい? この町に住むのっていいですか?」

若者にしてみれば、遊ぶところもないし、田舎すぎるのだろう。私はこの静けさが好きなんだけど。

ディーラーでは、どこかのおじさんがデスクで粘っていた。サービススタッフが、真っ黒い部品を2つ手に説明している。

後学のために私も傍聴した。もしかして、あれはブレーキパッド? ずいぶん小さいけど、話の内容からしてブレーキのことだ。デスクには、anti-lock brake の図解まで広げている。

こういうのも学習しなくちゃなあ、とちょっと反省する。

          *

おじさんの会計は300ドル。しぶしぶとクレジットカードを渡していた。それくらいだったら、いいじゃない、私はその5倍払うのよと心の中で呟く。

スタッフがコンピュータのプリントアウトやメカニックのノートを見せて、私に説明してくれる。

英語はわかるが、あいかわらず具体的に何をどうしてくれたのか、ほとんどわからない。ボンネットを開けるのはフロントグラスの洗浄液を入れるときだけ。どれがエンジンでどれがバッテリかも自信がない。

ほんとに、ただ乗っているだけなのだ。

車社会のアメリカでは、メカニックがいなかったらやっていけない。特に私のように、車が走る仕組みがまったく理解できない者にはありがたい人々である。

今回の修理代は、税込みで1630ドル。

あと5年は乗るぞと決意する。でも、この次に大きなメンテナンスが必要になったら、下取りに出して新しいモデルを買うべきか迷う。

          *

ところで、私は試乗しても、車の性能はさっぱりわからないのである。ハンドリングだのコーナリングだの、ぜんぜんピンとこない。

止まっている車に乗って、運転席のすわり心地や見晴らし、ダッシュボードに手が届くか、どれがボタンひとつで動くか、それで決める。今のオデッセイを買ったときもそうだった。

オプションには興味がない。なるべく余分なものがついていないほうがいいのだ。私にとって、車はA地点からB地点への単なる移動手段。ドライブが趣味という人の気が知れない。

こういう客では、車を売るほうも張り合いがなくて、お気の毒である。


<今日の英語>

It is out of my price range.
予算オーバーです。


家探しをしている人が不動産のオンライン・リスティングを見て一言。It's too expensive for me (高すぎる)を婉曲に伝えたいときのセリフ。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  生活  |  コメント(0)

凍った携帯

2009.11.06 (金)


私はなぜかしっかりした人だと思われることが多い。単に機嫌が悪いだけなのに、さも難しいことをじっくり考えているように見えるのだろうか。

補習校でもそういう目で見られてしまって困った。「ぜんぜん違います。基本的に怠け者だし、ものすごいおっちょこちょいです。」と誤解を解こうとしたが、なかなかわかってくれない。

しかたなく、過去の失敗談を話してみる。

          *

ある日の午後、買出しから戻った私は、鶏の胸肉を個別包装して冷凍する準備をしていた。台所のカウンターにサランラップを広げて、1つずつ包むのだ。

そこへ子どもたちが帰宅した。今と違って、当時はまだ私は子どもたちの宿題を毎日チェックしていたので、彼らにあれこれ質問する。

「おかえりー。今日は宿題あるの? 算数だけ? じゃあそれが終わったら、補習校の宿題やるわよ。おかあさんがごはん作る間に、音読して。ついでに漢字もここでやって。その前に、自分の部屋をなんとかしなさいよ。」

もう言うべきことは山ほどある。子どもたちも、自分の言いたいことを同時にしゃべるものだから、けたたましい。

幸いにも、私たちの会話は日本語。英語みたいに考えないで話せる。子どもの相手をしながら、手足を動かすなんて朝飯前である。

夕食が終わって、ふと気がつくと、携帯電話が見つからない。

あちこち見回って、子どもや夫にも尋ねたが、見つからない。自宅の電話から携帯にかけてみたが、呼び出し音は聞こえない。車の中に落としたかなと、懐中電灯を片手に隅々まで探したが、なかった。

そのうち出てくるだろうと思ったが、3日経ってもどこにあるのかわからない。外出中に子どもの学校から緊急連絡が入ると困るので、しかたなくもう1台携帯を買った。

          *

10日ほどして、カレーを作ることにした。チキンは冷凍庫にあったなと思って、容器を出し、蓋を開けて驚いた。黒い携帯が鶏肉と一緒に入っていたのだ。

うわあああああ~~~!」と叫んだ私の声を聞いて、夫は「おっ、携帯だな。」とすぐわかったそうだ。

どうしてそんなことが起きたのか。

私は鶏肉を個別に包み、並べておいた。その横に携帯が置いてあったらしい。

そして、子どもの相手をしながら、チキン、チキン、チキン、…と1つずつ容器に入れたはずが、チキン、チキン、携帯、チキン、…とやったらしい。その頃のアメリカの携帯はかなり大きくて、ちょうど胸肉くらいの大きさだったのだ。

紛失に気づいた直後、自宅の固定電話から携帯にかけたとき、冷凍庫の中で呼び出し音が鳴っていたかもしれないが、聞こえるはずもない。

10日間冷凍保存された携帯は、冷たくて手にくっつきそうだった。ダメ元で、日なたにタオルを敷き、バッテリーも本体も自然解凍することにした。水分は出なかった。

翌日は1日中充電。

次の日に恐る恐る電源を入れてみると、画面表示が現れた。ちゃんとつく。そして、メモリーに入れたデータも残っている。通話もできる。

なんという生命力!すばらしいテクノロジー!

          *

この失敗は、子どもたちの大好きな話になった。いつもエラソーな母親がこういうヘマをするのは、うれしいらしい。

補習校の人たちも私の話を聞いて、笑った。「なーんだ、ぜんぜんダメじゃない」とわかってくれた(と思う)。

ところが、一人だけ非常にまじめなお母さんがいた。彼女は真剣な面持ちで私に質問した。

あの、アメリカの携帯って、冷凍庫に入れるといいことがあるんですか。性能がよくなるとか、長持ちするとか。」 

誤解を解こうとして、別の誤解を生んでしまった。

何の利点もありません。私がぼけっとしていただけです。冷凍庫にも冷蔵庫にも入れちゃいけませんよ。


<今日の英語>

Is this a good time of year?
今はいい時期ですか。


12月にカリフォルニアは Napa Valley への旅行を計画している人が、時期的にどうなのかを旅行コンサルタントに質問したときの一言。あそこは、悪い時期というのはないそうである。冬は湿度があって気候もマイルド。しかも、真夏の暑さや人込みがなく、夏よりも飛行機代が安いらしい。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  わたし  |  コメント(0)

愛人ごっこ その65

2009.11.07 (土)


(前回その64の続き)

翌朝ゆっくりと覚醒した私は、目を閉じたまま、パヴェルの方に手を伸ばした。

彼はいなかった。いつベッドを出たのか、気がつかなかったけれど、朝起きたときにすぐ隣にいてほしかったので、ちょっとがっかりした。

まだ早い時間である。昨日遅くまで起きていたのに、彼はキッチンのカウンターでパソコンを開いていた。私はガウンのままで彼に近づき、「おはよう。もう起きてたの?」と声をかけた。

「おはよう。静かにしてたつもりなんだけど、起こしちゃった? ごめんね。」

「いいのよ、ぜんぜんわからなかったわ。今日は日曜日で、せっかくあなたがお休みを取ったんだから、好きなように過ごしていいの。」

パヴェルは私の腰を引き寄せて背中をさすり、私たちは朝日の入り込むキッチンでキスした。目が合うと、お互いに昨夜のことを思い出して、微笑んだ。

なんだか気恥ずかしかった私と違って、若い彼はそんな様子はこれっぽちも見せなかった。そして、何でもなかったみたいに、オンラインで見つけたベラルーシのサイトを私に見せては、故郷や彼の大好きな祖父のことを懐かしそうに話した。

・・・

人付き合いの嫌いな私なのに、パヴェルなら家に泊まってもいいし、話し相手になるのも苦にならないのだった。

肉体関係があるとはいえ、彼がドイツに戻るまでのほんの数週間のことであり、離れてしまえば私も彼も自分の世界に戻ることがわかっていた。初めて出会った1年前で終わるはずだったのだから、2年目の今年はおまけなのだ。

ただのセックスフレンドというにはあれこれ打ち明け過ぎた、それでいて後腐れのない関係だった。

彼の世界は、私のそれよりもずっと大きかった。これから大学で勉強し、恋人を見つけ、人生を歩む彼よりは、私のほうがずっと心情的にこの関係に入れ込んでいたと思う。

私は、彼のためにできるだけのことはしてやりたいといつも考えていた。

彼も私の好意はよく承知していたはずだ。その代償として今日は私の恋人ごっこに付き合ってくれていたのかもしれないが、深く考えないことにした。彼は彼でセックスできる相手と場所を得ていたのだ。私が彼の母親と同じ年齢であろうと、彼の性欲が萎えることは一度もなかった。

・・・

私は彼を残して、2階に戻り、シャワーに入った。パヴェルと私は、一度もいっしょにシャワーを浴びたことはない。どちらからともなく、私は私のシャワーで、彼はゲスト用バスルームを使うことにしていた。

ベッドルームを出ると、彼のシャワーの音が聞こえてきた。あと何時間ここに一緒にいられるだろうか。

私は紅茶を淹れて、トーストを焼き、果物とヨーグルトを出した。キッチンに下りてきた彼は、じゃがいも入りの卵を焼いた。そして、いつもドライブウェイの端っこに投げ込まれる新聞を取りに行ってくれた。

「誰かに見つかった?」

「ううん。この辺ってほんとに静かだね。隠れ家にいるみたいだ。」

彼と2人で新聞を広げて、たわいもない話をしながらゆっくりと朝食を取っていると、ほんとうにこの家は私たちの隠れ家なのだと思えてきた。

・・・

キッチンの片づけを手伝うというパヴェルに、ここはいいからゆっくりしてなさいと命じて、リビングルームに追いやった。

私は彼と一夜を過ごしたという事実が半ば信じられないでいた。

去年、偶然に子どものキャンプで出会ったばかりの、旧ソ連出身の世慣れない若者。いや、偶然ではなかったのかもしれない。私は彼がほしかった。私が彼に好意を持っていたのは明らかだったし、彼もドイツの大学入学に難題が持ち上がったときは、私なら助けてくれると信じて私を頼ってきた。

私たちの取った行動は、意識して選択した結果だ。成り行きまかせで、こんな関係は生まれない。

そして、私たちに与えられた時間には限りがあった。

私は、ソファでニュースを見ていたパヴェルの横に座った。彼は私の肩を抱き、私たちの指はからまった。「信じられない。」と彼は言った。「私も。」 

私たちは唇を重ね、彼は私の脚を撫でながら、昨夜のできごとを囁いた。

「あなたがこんなに naughty だなんて、知らなかったわ。」と私は彼をからかった。「またすごくほしくなってきたよ。あなたは?」 しばらくして私たちは立ち上がり、手をつないだまま、2階へ上がっていった。

夫からの電話はなかった。

(次回その66に続く)



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  愛人

落ち葉を見つめる妹猫

2009.11.08 (日)


このところ Handycam からPCへ写真をダウンロードするのに、ずっと手こずっていた。やっとできたが、ともかく不安定で困る。Photoshop がおかしいのか、PC が遅いせいか。原因はわからない。

これは、テスト用に写した1枚。

mimi


これまで、言葉で説明できない満開の花や倒木の写真など数枚を載せたが、写真を写してPC に落とし、サイズ処理などをしてブログにアップロードするのは、私にとっては大変な作業なのだ(やたらと手間がかかる。何かまちがったことをしていると思う)。

それでいて、自分の撮影技術は棚に上げ、できあがった画像にがっかりする。下手だから、写してもおもしろくない。写さないから、いつまでたっても上達しないという悪循環。そしてカメラのせいにする。

ただし、ブログをやりながら技術面で困ったことが起きても、子どもや夫には頼らないことにしている。

これは私が好きでやっていることであり、一人で作りたい空間だから。

夫はもちろん、子どもたちの漢字能力では私のブログが読めないのも好都合。もともとゲームで忙しい彼らは、ブログなんかに興味はない。

私は、母や姉にも、知り合いの誰にもブログをやっていることを教えていない。そういう精神的な足かせがあると、どんなテーマであれ、考えがまとまらないのだ。第一、書きたいことが書けない。

誰かに気兼ねしながら書くくらい、うっとうしいことはない。

ヴァージニア・ウルフが "A Room of One's Own" (自分だけの部屋)で言いたかったのは、こういうことかなとふと思う。

経済的自立に無縁な専業主婦がこんなことを書いては、ウルフが嘆く。彼女は「女性が小説なり詩なりを書こうとするなら、年に五百ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある。」と論じた人だから。

ともかく、あーだこーだと私のPC 操作に口出しされるよりは、自分で考えるほうを選ぶ。それに、脳細胞もたまには活性化させねばならない。

          *

夏の間、芝刈りをしてくれた業者が、fall cleanup (秋の掃除)と称して、落ち葉を集めに来た。5人がかりで1時間以上、leaf blower という機械で、文字通り「落ち葉を吹き飛ばす」のである。

燃料は石油。電気のもあると思うが、この辺の広い敷地では延長コードでもおそらく届かない。

今の季節は、どこの家でもこの騒音が響く。このために費やされる燃料は膨大である。

子どもたちが小さいときに、熊手でかき集めてみたが、2時間働いて落ち葉の山をいくつも作ったのに、2階から見下ろすと、敷地のほんの一角しかできていなかった。

次の日は筋肉痛。とても太刀打ちできないとあっさりあきらめた。

冬の間、庭に落ち葉が残っていると、芝生によくないらしい。それに、雪と氷で地面にくっついてしまい、春になってはがすのは大変である。

だから、高いお金を払って、燃料を無駄にし、空気を汚しながらも、葉っぱを吹き飛ばしてもらうのだ。

          *

11月ともなれば、ほとんどの木が落葉しているが、まだがんばって枝にしがみついているのもある。そんな葉っぱが裏庭に面したデッキにちらほらと舞う。

うちの猫はどちらも家猫なので、こうやって窓の外を眺める。ガラスの向こうには行けないのに、強風で葉っぱが動くと、タタタッと追いかけようとする。

これは妹。体重4.4kg。

5
歳にしては小さいと思う。警戒心が強く、かなりの偏食で、しばしばハンガー・ストライキを決行しては私をやきもきさせる。

ところで、ライオンと同じく、猫もメスのほうがハンティング能力が高い。ヒモで遊んでいるときも、妹猫は一撃必殺。

兄猫はがむしゃらに飛びつき、しかも捕らえられない。無駄な動きが多くて、すぐくたばる。そのくせ、大食いで甘えん坊。かなりとろい。妹に戦いを挑んでは、スルッと逃げられる。

せめて、被写体として貢献してくれたらいいのだが、そっちの修行も足らないのである。


<今日の英語>

A flag flew at half-staff.
旗が半旗で掲げられた。


テキサス州フォートフッド米陸軍基地で起きた銃乱射事件を受けて、現場の写真説明より。この場合の staff flagstaff (旗ざお)のこと。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |   |  コメント(0)

アメリカで「小柄な人」の定義

2009.11.09 (月)


テキサス州フォートフッド米陸軍基地で起きた銃撃事件で、最初に犯人を撃ったのは非番の巡査部長 Kimberly Munley という女性だった。

34歳の彼女は武器の専門家で、SWATチームの一員でもあった。彼女についての記事によると、警察の訓練が始まってすぐに「あんな(小柄な)体格なのに勇敢だ」という評価を得ていたそうだ。

ご丁寧に身長が書いてある。5フィート4インチ(162.5cm)。そんなに小さいとも思わないが、職業柄、体格のいい人に囲まれているからだろうか。

CDC (Centers for Disease Control 疾病対策センター)のデータによると、20歳以上のアメリカ人女性の平均身長は63.8インチ(162cm)。ちなみに平均体重は163ポンド(73.9キロ)

これだけ人種や体格の違いがある国で、平均は意味がないのかもしれない。
それにしても、74キロは重いんじゃないだろうか。そっちのほうが気になる。

           *

私は155cm(5フィート1インチ)。こういう人がアメリカで買う洋服は、petite (小柄な女性用)サイズである。

メーカーにもよるが、たとえば Lands' End では4フィート11インチ(124.5149.9 cm)から5フィート3.5インチ(161cm)の人を対象にして petite を作っている。デザインや素材は同じで、袖丈や股下丈が短く、肩幅も狭い。

数年前に、デパートが小柄な人用のセクションを縮小しつつあるというニュースを読み、困るなあと思った。

実際、デパートより格下の近辺のお店でも、そんな印象を受ける。めったに行かないからよけいに変化が目に付くのだが、ますます隅っこの狭いスペースに追いやられている。需要がなければ供給しないということか。

そして、プラス・サイズは文字通り広がっている。背が低くても太っている人には、Petite Plus なんていうサイズもできた。

           *

日本人でも、最近の若い人は背が高く、スタイルもよくなったが、私の世代ではまだ155センチは平均より少し下くらいだと思う。

この年になると、もっと背が高かったらなあなんて無駄に悩むことはない。スーパーで一番棚の上の品物が奥まったところにあって、届かないときに残念なだけである。私は、アメリカではどうみても小柄だとちゃんと自覚している。

でも、「xxさんはとても小柄な人です。たった5フィート3インチ(160cm)ですから。」といったレポーターの言葉を耳にすると、えっ!と思う。

私より2インチ(5センチ)も高いじゃないの。彼女が「とても小柄」なら、この私はどうなる? とてもとても小柄? 


<今日の英語>

She is a ball of fire.
彼女は腕利きだ。


Kimberly Munley を評した同僚警察官のコメント。エネルギッシュで行動的な人。文字通りには、炎の塊。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  社会  |  コメント(1)

レシピ: ヤム・キャセロール

2009.11.10 (火)


=== 簡単レシピ その13 ===
ヤム・キャセロール

  1. ヤム2ポンド(1キロ弱。大きめなら3個)を洗って、フォークで2~3ヶ所穴を開け、皮付きのままアルミホイルを敷いた天板に並べて、400°F(200℃)のオーブンで50分焼く。
  2. 焼けたら、オーブンを350°F(175℃)に下げる。
  3. ヤムを熱いうちにナイフで半分に切り、中身をボールにあけて、ポテトマッシャーでよくつぶす。皮は捨てる。
  4. 無塩バター大さじ2を加えて混ぜ、卵2個を割り入れてさらに混ぜる。
  5. ブラウンシュガー大さじ2、塩小さじ1、シナモン小さじ1/2、ジンジャー小さじ1/2、ナツメグ少々を加えて、よく混ぜる。
  6. キャセロール型に入れ、砕いたピーカン・ナッツ1/3 カップを上に散らして、40分焼く。

  • ヤムはスイートポテトのこと。通常 yam という名前で売られている。
  • バターはヤムの熱で溶けるので、冷たいまま入れればよい。
  • 型は、8インチ(20cm)四方または7x10インチの楕円形を使用。

          *

これは、パイ皮のないスイートポテト・パイみたいなものである。

ヤムを途中でひっくり返す面倒なことはしない。混ぜる仕事は、ポテトマッシャー1本でできる。

昔は感謝祭とクリスマスだけに作っていたが、次男(と私)の好物なので、普通の日にもときどき作るようになった。

アメリカに来た当初、スーパーでヤムを見て、「あっ、さつまいもがある!」と私は喜んだ。でも、切ってみると、中が鮮やかなオレンジ色だったのには驚いた(参考写真)。日本のさつまいもは、もっと薄い黄色というか白っぽかったから。

ねっとりした食感だった。焼き芋みたいにホクホクしていない。あれにはがっかりした。種類が違うのだ。

そういえば皮の色がちょっと違うなと思って、しばらく買わなかった。

ところが、たまに日本のさつまいもにそっくりな外観をしたヤムが売られている。「今度こそ!」と思って、買って食べては裏切られているうちに、いつのまにかヤムのおいしさがわかってきた。

          *

もちろん日本のさつまいもはあれでおいしい。ヤムに「さつまいもと同じになれ」と期待するからいけないのであって、ヤムとさつまいもは別物、ヤムはヤムだと受け入れればいいのだ。

夫の父は南部出身。食べることも作ることも好きで、今は脚が弱ってキッチンに長時間立つことはできなくなったが、以前はよくいろんなものを作ってくれた。

オーブンで皮ごと焼いただけのヤムをそのままゴロンと1本付け合せに出されたこともある。ナイフとフォークで切って食べたら、これがおいしい。ヤムの糖分がカラメル状になって甘い。

私は、ベークドポテト(じゃがいも)の皮は食べるが、ヤムの皮は食べない。お皿に残したら、案の定、義父に言われた。「皮を食べなかったね。」

私を責めているのではない。彼は、アメリカの食事に慣れない偏食の私をいつも気にかけていた。「じゃがいもの皮ならいいんですけど、ヤムの皮は食べないんです。」と私が答えると、「皮がうまいんだけど、まあ好きなようにしなさい。」

彼は「日本のさつまいもは繊維が多すぎる。」と言っていた。

そのときは「そうかなあ」と首を傾げたが、アメリカ生活が長くなって、さつまいも(これは日本食品店まで遠出しなくては手に入らない)よりヤムを食べるほうが多くなり、たまに日本のさつまいもを食べると、「なるほど、義父の言っていたのはこういうことか。」とわかるようになった。

          *

ダイエット中のジェーン・フォンダは、ヤムをただオーブンでそのまま焼いたものをおやつに食べるという話を読んだことがある。お菓子よりずっと低カロリーで健康にいいし、ヤム自体の甘みで満足できるそうだ。

甘党の私は、やっぱり砂糖やバターを入れてキャセロールで食べたい。


<今日の英語>

I don't want to give away too much.
あまりネタをばらしたくありません。

俳優にインタビューしていたラジオのホスト。新作映画のあらすじを説明していたが、「これ以上筋書きを教えてしまうとおもしろくないので、話し過ぎないようにします。」と一言。give away は無料で与える、秘密を暴露する、答えを明かすなどの意。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  レシピ  |  コメント(0)

Security Questions についてのクエスチョン

2009.11.11 (水)


私の長年利用している銀行が大々的にシステムのアップグレードをした。

それに伴って、パスワードを再度決めなければならなかった。しかも「今後90日ごとにパスワードを変更していただきます。」と言う。

ATMを除き、パスワードは昔みたいに4桁の数字では許してくれないところが多い。しかも、金融機関によってルールが違う。IDも然り。

最低8文字(あるいは6文字)、アルファベットと数字を両方入れること(あるいは数字だけ)、最初にゼロを使ってはいけない(使ってもいい)、最後は数字でなければいけない(文字でなければいけない)、同じ数字または文字を繰り返してはいけない(繰り返してもいい)…。

記憶力が著しく低下しつつある私は、どこでも使えるIDとパスワードを1つだけ持ちたいのだが、今のところはいくつかのバリエーションを作らざるを得ない。そして、どこがどれなのか覚えなくてはならない。

やっと覚えたところに、仕様を変更されては迷惑なのである。先方は安全性を高めるためにやっているのだから、恨まれる筋合いはないと言いそうだが。

          *

お金に関係ないサイトでも登録が要請されることが多い。これも覚えきれない。

それで、ここ1年くらいはエクセルに表を作っておき、どうしても思い出せないときだけ開いていた。3回以上まちがえた入力をすると、ブロックされる場合もあるので、おぼろげな記憶で何度もやってみるわけにいかないのだ。

エクセル・ファイルは安全ではないとわかっていたが、どこかにまとめておかないと不安だった。「もし明日の朝起きて、ボケてたらどうしよう?」というアレである。

うちの母などは、プロバイダーのアカウントIDとパスワードをメモ帳に書き、パソコンにテープで貼っていた。あの~、パスワードの意味、知ってる?

パスワードで苦労しているのは私だけではない証拠に、パスワード管理ソフトが出回っている。今回試しに使ってみたら、これがなんとも便利なのだ。

私が選んだのは、LastPass(無料ソフト)。これにアクセスするのにもパスワードがあるのだが、マスター・パスワードを1つだけ覚えておけばいいし、ヒントも出せる。

オープンソースのものでは、KeePass (これも無料)がある。

こうやって機械に頼ってばかりいると、ますます記憶力が衰える気がしないでもないが、人間、怠けるのは簡単。もう後戻りできそうにない。

          *

パスワード以外のセキュリティ対策として、security questions がある。

パスワードを忘れたときに使用する質問のことだが、日本語で何と言うのかわからない。そのままセキュリティ・クエスチョンでいいのかな。
【追記: 日本では「秘密の質問」だそうです。答のアイディアと共に、コメントで教えていただきました。ありがとうございます。】

パスワードを最初に設定する際、ある質問に対して自分で答えを入力しておく。「パスワードを忘れた」をクリックすると、その質問が呼び出される。正しい答えを入力すれば、パスワードのヒントや再設定のリンク、仮のパスワードなどをメールしてもらえるという仕組みである。

ユーザーIDとパスワードが合っていても、定期的に表示されるこの質問に正しく答えないと、アカウントに入れないサイトもある。

          *

昔は、「あなたのお母さんの旧姓は?」とか「Social Security Number (社会保障番号)の最後の5桁は?」というのが典型だった。ところが、それらは調べたらわかってしまう可能性が高いと判断されたらしい。

ふつうは8問くらい設定してあるので、そこから1つか2つを選べばいいのだが、私はつい考え込んでしまう。

たとえば、「あなたが好きな食べ物は?」「あなたが好きな映画の題名は?」「あなたが旅行したい国は?」

どれか1つだけはっきりした答えを持っている人はいいが、優柔不断な私は「やっぱりチョコレートかな。チョコレートケーキ? ガトーショコラのほうがおいしそうな響きだ。いや、最中(もなか)も捨てがたい。チョコレートではありふれていて危険か。それにお菓子限定ではないんだから、天ぷらうどんなんかいいかも。」と悩んでしまって、答えが出ない。

結局 chocolate と入力したとしても、次回にはうっかりmonaka なんてタイプしてハネられたりするわけだ。

好きな映画を1つだけ選べと言われても無理である。

旅行したい国だって、ころころ変わるんじゃないだろうか。1国に絞れなくて、Estonia, Latvia, Lithuania (たとえばの話。私は出不精だから、日ごろ旅行のことは考えない)と3国くらい書いてもいいとしても、正しい順番で、コンマやスペースを入れるのかどうかも覚えておかねばならないのだ。

          *

あるいは、西暦何年に高校を卒業したか(アメリカ人は算数が得意でないと思ったが、やたら年号で自分の経歴を覚えているふしがある)、小学校1年生の時の担任の名前(1年花組じゃなくて、ミセス・ブラウンのクラスと呼ぶだけのことはある)、最初に買った車のモデル(さすが車社会アメリカ)という質問設定も多い。そして、「あなたのハイスクールのマスコットは?」という質問には、アメリカで生まれ育った人を想定しているなと思う。

さて、コンピュータ・セキュリティ専門家もアイディアが尽きてきたのか、ここまでひねらなくてもと言いたくなるものが増えてきて、私など面食らってしまう。

「最初にもらったぬいぐるみにつけた名前は」
「あなたのお父さんとお母さんが出会った町の名前は」
「応募したけれど、入学しなかった大学は」
「あなたの母方のおばあさんのミドルネームは」
「小学校3年生のときに住んでいた家の番地は」

これがアメリカだけの現象なのかどうか、わからない。

私は日本の銀行やクレジットカード会社とは縁がないが、セキュリティ・クエスチョンにもお国柄が出るのではないかと思う。日本のサイトが、「初めてキスした子のファーストネームは?」なんて設定するとは思えないから。

こういうアナログなセキュリティ・クエスチョン方式を、誰か根本的に見直してくれないだろうか。


<今日の英語>

Didn't I just hear you coughing?
今、咳をしてなかったか。


子どもたちが家にばい菌を持ち込むと信じて疑わない夫。アレルギー気味の次男がゴホゴホやっていたのを耳ざとく聞きつけたときの一言。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  社会  |  コメント(0)

息ができない

2009.11.12 (木)


突然、酸欠状態に陥る。

いくら息を吸っても、酸素が体の中に入っていかない(気がする)。胸骨が痛むくらい深く吸い込んでも、空気が入るときと入らないときがある。無理にあくびをしてみるが、呼吸器官が狭まったみたいに息ができなくて苦しい。

そして、この発作は予測できない。今週みたいに連日起きることもあれば、半年も現れないことがある。

これが過換気症候群Hyperventilation syndrome 略して HVS)だと知ったのは、アメリカに来て何年か経ってからである。私の症状はそれでも軽いらしく、手足も震えないし、頭痛もないし、失神もしない。ただ息が苦しいだけ。

          *

最初の発作の記憶は、8歳くらいのとき。

喘息を疑われたが、そうではなく、田舎の医者は首をかしげた。当時、こんなストレス性の病気は知られていなかったのかもしれない。

私はとても神経質な子どもだった。寝てばかりいる今と違って、夜眠いのになかなか入眠できず、ひどくぐずった。そのために、忙しかったはずの母は、ほぼ毎晩添い寝をせねばならなかった。かなり大きくなるまでそんな風だったので、はっきり覚えている。それに、中学生になっても、光と音が気になって寝付けないことがよくあった。

いったん寝てしまえばいいのだ。朝の目覚めはすこぶるよく、前夜の機嫌の悪さと対照的だと言われた。

そして、ほとんど病的に内気で(歩いて5分の叔母の家にも、姉と一緒でなければ遊びに行けなかった)、あまりにも周囲に関心を持たなかっので、自閉症ではないかと親戚筋では言われていたそうだ。だから、私がアメリカ人と結婚して渡米すると知った彼らは、「まあ、あの子が?」とそりゃあ驚いた。

          *

それから、何度HVSの発作が起きたか覚えていない。前兆もなく、突然始まる。そして、いつ収まるかもまちまちなのだ。

「呼吸を意識するのが一番よくない。」と文献で読んで、酸素のことを忘れようとするが、実際に息苦しいんだから、そんなのはできない相談である。そして、結局何度も深呼吸をして、なんとか酸素を体内に取り込もうと無駄な努力をする。そして、ますます落ち着かなくなるという悪循環。

酸素の過剰供給なので、自分で自分の首を絞めているようなものだ。
それなのに、酸欠状態だと錯覚する。

発作時に動脈血の酸素濃度と二酸化炭素濃度を測ればすぐわかるそうだが、「確かに過換気症候群です。」と太鼓判を押してもらっても、苦しさが減るわけでもないので、診断してもらったことはない。

何もせずにじっとしているときが一番危ない。何かに気を取られていれば、呼吸のことは忘れやすい。酸素不足でなく、体内に酸素がありすぎるのだから、死ぬことはないとわかっていても、「窒息するのではないか」と一種のパニック状態に陥る。

エベレストに登るときに使うような酸素タンクがほしいくらい、ひどいときがある。実際そんなものを使ったら、悪化するだけだと思うが、体と頭がそれぞれ違うシグナルを送っているのだ。

紙袋を口にぴったり当てて、その中で呼吸をすれば、二酸化炭素で中和されるらしいのだが、これもうまくいくときといかないときがある。

          *

ウィキペディアによると、過換気症候群は心身症の一種なのだそうだ。原因は精神的な不安にあり、パニック障害などの患者に多く見られると書いてある。

もう10年以上も抗うつ剤を飲んでいるので、精神的なものが原因だとは思えないが、1つの薬ではすべての症状に対処できないということか。

私は、根はズボラなのに、へんなところで神経質で完璧主義という困った性格である。

人に合わせるのが苦手だし、付き合いも苦手。だいたい、周りで何が起こっているか、あまり興味が持てない。今は無理して付き合うことは一切していないので、ストレスはほとんどないはずなのに、未だに症状が出るのはいったいどういうわけだろう。

家にいるときはまだいいが、外でこれが起きると困る。

一人でヒーハーゼーハーやりたくない。どうしたんですかと聞かれて、「酸素が足らないんです。」と答えるのか? 高地にいるわけでもなく、空気は充分にあり、酸素が足らない(実は過剰に取り込みすぎている)のは私だけなのだ。わかってもらえないと思う。

そういえば、10歳くらいだったか、初めて新幹線に乗ったときは大変だった。

もともと乗り物が苦手(得意なことはないのかね?)だったのに、新幹線は窓が開かない! そのときは姉と母方の祖父と一緒だったのだが、新幹線が駅に止まるたびにドアのところへ行って、外気を吸わねばならなかった。

姉もよく覚えていて、私が新幹線が嫌いだとこぼすと、「あー、窓が開かないからねえ。」と言う。今思えば、あれもHVSだったのだ。ただし、私は閉所恐怖症ではない。窓が開いていなくてもいいが、いざとなれば開けられる窓が必要なだけである(もしかして、これは閉所恐怖症の亜種?)。

          *

今週のHVSの引き金が何だったのか、よくわからない。

夫の仕事のことか、夫がまだやっている不審な送金とか、クリスマスにユタへ行くべきかとか、そういう大きい問題だけではなくて、ドアのペンキを塗り直してもらわねばとか、子どもの通知表はどうだろうかとか、晩ご飯は何にしようとか、あんがい小さいことなのかもしれない。

飛行機に乗るときに使ったトランキライザーがまだ残っているけれど、あの薬は一時的にしか効かない気がする。それに、いったん薬に頼ると、あとが怖い。自然に収まるのを待つことにする。

こういうときは猫を抱っこして寝ると症状がすーっと収まりそうなのだが、私の猫たちは抱っこがきらい。甘えんぼの兄猫でも、抱っこを嫌がる。無理にひっぱって来ても、すぐ逃げる。あっちが私にくっついて寝たくなるまで、じっと待たねばならない。そして、毛皮を撫でて、呼吸のことを忘れようと努める。


<今日の英語>

They did the next best thing.
彼らは次善の策を取った。


結婚報告の記事より。「すでに別の人と交際中だった2人は、恋人にはなれなかったが、恋人の次に一番いい関係、つまり友人になった。そして、何年か後にお互いが自由の身になったとき、改めて付き合い始めた。」



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  医療  |  コメント(4)

サフィン最後の試合

2009.11.12 (木)



今年で引退を表明していた Marat Safin が、パリで開かれたマスターズの2回戦で Juan Martin Del Potro と対戦。6-4, 5-7, 6-4でデル・ポトロが勝ち、これがサフィンの最後の試合となった。

デル・ポトロのエースで勝負が決まったのだが、ネットの方へ走って行ったサフィンはなんともすがすがしい笑顔だった。そして、9月にUSオープンで初優勝したデル・ポトロの肩を抱いて、祝福した。

サフィンは29歳。デル・ポトロは21歳になったばかり。テニスは個人スポーツのせいか、世代交代がはっきりわかる。

サフィンが同じくUSオープンで初めてグランドスラムで勝ったのも20歳。相手は当時ナンバーワンの Pete Sampras で、やはり29歳だった。

その時のビデオを見ると、サフィンもほんとに初々しい。あの勝負がどれほど彼の人生を変えることになるか、まだわかっていない少年の顔をしていた。

          *

サフィンのための引退セレモニーはこれまでもあちこちのトーナメントであったが、今日のは特別だった。

試合の運営団体の演出で、現役・引退選手を8人くらい試合後のコートに集めて、サフィンを驚かせた。そして、フェデラーを始めとする、彼と試合をしてきた現役選手のメッセージをビデオ編集して、スタジアムの大型スクリーンに流した。

もちろん、サフィンと仲のいい選手ばかり呼んだのだろうが、みんな彼に好意を抱いているのが伝わってくる。

こういうときこそ、人の真価が問われるものだ。人徳がなければ、どこの世界であってもそういう扱いをされまい。

今日の試合のビデオはまだ流れていないが、YouTube にはファンがこれまでにアップロードしたビデオがいろいろある。寄せられるコメントの半分は「彼がいないと、テニスがつまらない。残念。」というもので、あとの半分は "He is so hot!!"

ロシア人だけれど、民族としてはタタール人なので、ちょっとエキゾチックな、でも整った顔をしている。それにあの体とくれば、周りがほっておくわけがない。いつかの全豪大会で、ブロンドの美女が4人も彼の応援席の一番前に陣取って、話題になったのも頷ける。

彼の場合、実際はどうであれ、女たらしというレッテルが張られる宿命なのだ。

          *

サフィンは、コートの中でも外でもカリスマティックで、やることも言うこともスケールが違っていた。

彼の試合後のインタビューは、いつも率直な発言とちょっと皮肉でドライな、でも暖かいユーモアに満ちていて、試合と同じくらいおもしろい。かなり強いロシア語なまりで、人を食ったようなコメントをする。そんなところも私は気に入っていた。

彼のテニスは見ていて飽きない。調子のいいときは素晴らしいプレイで見惚れる。調子が悪いと、彼の苦悩がそのまま表れる。そして、どの試合でも何か起こりそうな予感がするのが常だった。彼には勝ってもらいたいから応援するのだが、勝負に関係なく、目が離せなかった。

サフィンの引退で、また1つ、私の興味のあるものが消えてしまうのは返す返すも残念である。

もうトレーニングも移動も勝負のプレッシャーもうんざりだと言っていたサフィン。引退するのは早すぎると思ったが、こういう思い切りのよさも彼のいいところかもしれない。

でも、またどこかでエキシビション・マッチにでも出てくれないだろうかと密かに期待している。

【関連記事】
「何かが足らない」全豪オープン 2010.01.23
サフィン復活 2010.03.26



<今日の英語>

The audience gave him a standing ovation.
観衆は総立ちで、彼に拍手喝采した。


サフィンの試合が終了したときの観客の反応を報じた記事より。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  社会  |  コメント(0)

愛人ごっこ その66

2009.11.13 (金)


(前回その65の続き)

セックスが終わると、男はもう女のご機嫌を取る必要がないので、女の話をうわの空で聞いている、とどこかで読んだ。あるいは、すっきりして眠くなる。あるいは、飛び起きて趣味なり仕事なりに戻る。女のように、余韻を楽しむことはないという。

そういう話を聞くと、私はいつも野生のライオンを思い出す。

交尾の直後、オスはハァハァとその場に座り込んで息を整えようとするが、「もうメスには興味ないなあ。今さっき、どうしてあんなに夢中になったんだろう?」という顔をしている。

メスのほうは、うっとりと草原で仰向けになってゴロンゴロンしている。気持ちよかったのかどうかわからないが、どうもメスはまだ終わっていないようである。

・・・

私は、パヴェルとただベッドで一緒に寝転んで話をするのが好きだった。彼の肌に触れて、ときおりキスしたり、ロシア語の練習をしたり、ベラルーシの話を聞いたりするのが私にとっては一番楽しい時間なのだ。

性交は彼のためにしていたようなもので、彼が喜ぶなら付き合いましょう、といったところだ。彼がそれを知っていたかどうか、わからない。

でも、パヴェルはオス・ライオンと違って、わたしのおしゃべりに付き合った。私に対する配慮からそうしてくれたときもあったが、彼も話し相手がほしかったと思う。

アメリカにいる間、彼の交友はキャンプ場の常連スタッフか、夏が終わっても残っていた2~3人のカウンセラーに限られていたから。彼らとの関係がどんなものだったか、私は関心がなかった。

私たちは最初の頃からお互いの秘密を共有していたので、何でも話せた。そして、1年のうちに顔を合わせるのは夏の3ヶ月だけなのも、気楽でいられた理由だった。

・・・

そうやって過ごした1日だったが、午後も遅くなった。夫と子どもたちが帰る前に、パヴェルを送り届けねばならない。

「何時までに戻ればいいの?」

「キッチンは休みをもらったけど、夜はトーマスとライフガードをすることになってる。いったん宿舎に寄って、そこから自転車で行くよ。」

「じゃあ、5時に出ましょうか。」

「ご主人はいつ頃帰ってくる?」

「もっと遅いと思うけど。きっとヨットを出る前に電話してくると思うわ。別に、私がここにいてもいなくてもいいのよ。」

「でも、ぼくがここにいないほうがいいね。彼はきっとよく思わないだろうから。」

「そう? あなたがここに遊びに来たことは、私から夫に言っておくわ。隠しておくのはいやじゃない。それに、どう思われようと関係ないのよ。」

彼はちょっと寂しそうな顔をした。私とベッドを共にしながらも、彼は私と夫に幸せになってほしいと願っていたのだ。私は何も言わなかった。

・・・

パヴェルを送り届けて家に戻ると、しばらくして夫から電話が入った。

「今から出るよ。家に着くのは8時くらいになるかな。子どもたちと話すかい。」

「別にいいわ。忘れ物しないように見てやって。マイクによろしく言ってね。」 こんなことでもなければ、子どもたちもヨットに乗ることなんかなかっただろう。そして、私とパヴェルが2人だけで一夜を過ごす機会もなかった。

「子どもたちはすごいはしゃぎようだったよ。計器や操縦もおもしろがったし、揺れても平気なんだな。」

「私は行かないでよかったわね。そうそう、パヴェルが昨日の夜に来て泊まっていったのよ。」

わからないくらい一瞬の沈黙のあと、夫は「へえ。」と言った。「何しに?」

「さあ。私は早く寝たから。土曜日はいつも補習校で疲れるでしょう。でもテレビ見たり、パソコンしたりしてたみたいよ。宿舎ではそんなことできないんだから。今朝、送って行ったわ。」

夫はそれ以上何も聞かなかった。

もし隠し撮りされていたら、私は見え透いた嘘をついていることになる。でも、私は平気だった。夫はそんな小細工はしないという自信があったし、夫は私を責められる立場ではないのだ。

(次回その67へ続く)



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  愛人

次男のテニス・レッスン

2009.11.14 (土)


今年の3月に倒産して一時閉鎖されたテニスクラブは、その後最初のオーナーが経営者に返り咲き、ほどなく再オープンした。

でも、閉鎖の経緯(そのときの話はこちら)が気に入らなかった私は、「またすぐつぶれるかもしれないから。」と次男に言い聞かせて、そこには戻らなかった。

夏休み中は地元の町が運営するテニスキャンプに2週間入れた。でも、それはレクリエーション目的で、週4日、しかも午前中2時間半だけ。次男は仲良しの友だちが参加して楽しかったらしいが、あれではぜんぜんうまくならない。

          *

少し離れたところに別のテニスクラブがあった。7年位前にできたばかりで、よく広告を出していたところだ。試しに、日本に帰る直前の2日間だけ、次男を参加させてみた。

いつものテニスクラブはインドアコートが4面しかないのに比べて、こちらはインドアのハードコートが5面、クレイコートがやはり5面あり、外にもコートがあった。建物も新しく、テニスウェアのお店やちょっとしたカフェまであり、ロビーの大型TVスクリーンではテニス・チャンネルが付けっぱなしだった。

次男は初めての場所でかなり緊張していたが、迎えに行ったら楽しかったという。じゃあ、こっちのクラブでやらせようかと考えたが、日本から帰って参加した3日間はおもしろくなかったらしい。

コートでボールを打つだけでなく、走ったり、ウェイトルームで鍛えたりというのもプログラムの一環で、これまで楽しい練習しかしてこなかった次男はいやになったのだろう。ずっと長いこと通っている子ばかりで、初心者かつ新参者の次男は疎外感を感じたようだ。

フェデラーだってフィットネス・コーチがついてるのよ、体ができてなかったらテニスはうまくなれないのよ、と説得したが、無駄だった。

ぼく、フェデラーじゃないもん。

そんなことわかってるわよ。素直じゃないわね、まったく。

秋のスケジュール表を見ると、次男が参加できるクラスは授業後大急ぎで行っても間に合わない。しかも、レッスン料が高い。それで、うやむやになってしまった。

行きたくない子を無理に引きずってまでやらせる気力は、私にはない。

          *

私はテニスが好きなので、次男のレッスンに付き合うのは苦にならない。近くにあるハイスクールのテニスコートでヘタ同士打ち合ったりしたこともある。次男はあまり熱心なプレーヤーとは思えなかった。すぐ言い訳をするし、文句を言うし、怠けて走らない。

でも、テニスをやめてしまえば、その分だけパソコンの前に座る時間が長くなる。せっかく広い庭があるのに、もう兄と追いかけっこをする年ではない。

夫はスポーツにはまったく興味がない。

だから、うちのTVには野球もフットボールも映らない。子どもたちは一度もヤンキースやメッツの試合を見に行ったことがなく、キャッチボールもせずに育った。

あるときNYに遊びに来ていた夫の父と継母が「アメリカの庭には、バスケット・ゴールがなくちゃ。」と言い出した。私は「そんなことしていただかなくても。」と必死で遠慮した。夫は出張中であった。

私の抵抗にも関わらず、600ドルも出して、正規の高さまで調節可能なゴールを買ってしまった。配達とドライブウェイの端への設置サービスでさらに100ドル。

子どもたちは1週間くらいで飽き、夫はただの一度も子どもたちとシュートさえしなかった。私は子どもたちに付き合ったが、下手だし興味もないので、やっぱり続かない。ほんとにもったいない。

夫がスポーツの話をしないため、子どもたちは普通の子が知っているようなプロ選手の名前や所属チームもよく知らなかった。

この私もテニス以外は興味がないので、どのチームが何のスポーツなのかもよく知らない。アメリカに来た当初は、ミッキー・マントルすら知らず、同僚のアメリカ人に驚かれた。ベーブ・ルースやジョー・ディマジオはさすがに聞いたことがあったが。

子どもたちをアスレチック奨学金で大学に行かせようとは思っていないが、なにか1つでいいからスポーツをやらせたいとずっと思っていた。大学への願書にスポーツ欄が空欄だとよくないという打算もあるが、若いときにちょっとでもやっておくと、あとで何かのきっかけになるかもしれないのだ。

私は自分のことは棚に上げて、子どもは外で走り回ってほしかった。どこへ行くにも車で、カロリーの高いものを食べるアメリカで運動しなかったら、子どもでも肥満一直線である。

          *

9月も半ばになって、前に通っていたクラブに電話してみた。

まもなく秋のレッスンが始まるという。次男に聞くと、「前のクラブならやりたい。ちゃんとやる。」と言う。

新しいクラブのほうが設備もいいし、厳しく鍛えてくれそうだが、やはり慣れている所がいいのか。それに、新しい所はちょっとレベルが違った。私が見かけた若い女の子が、通りかかったどこかのお母さんに「大学にはいつ戻るの。」と聞かれて、「もう戻りません。わたし、プロになりました。」という世界だったから。

プロにもいろいろあるのだろう。トップ100にも入れない、ピラミッドの下のほうでもプロはいるのだ。そういう人は、テニスにかける情熱が違う。次男はそこまでテニスに入れ込んでいない。

          *

というわけで、以前のゆったりペース・クラブに戻った次男。今日でセッション1が終わった。

ロビーの一面がガラス張りになっていて、テニスコートが見下ろせる。家に戻ってお迎えのために出直すのがめんどくさいせいもあるが、私は毎週1回1時間半のレッスンを見ている

なぜか他の親御さんは子どもを置いてすぐ帰る。私が一番熱心な、往々にして孤独な観客である。サーブのトスが低い!腕が伸びてない!なあに今のスイングは?ボールから目を離さない!

次男が見上げると、そうじゃなくてこうでしょ、と私が身振りでやっているのが、目立つそうな。あー、もうじれったい、とつい顔にも出てしまうのだ。

昔の中学の部活動に比べると、なんとまあチンタラやっていること。補習校での友人も娘さんが夏にテニスをしたのだが、「そうなのよ!ダラダラしてて見てらんないわ。」 やっぱりそんな感じなのだそうだ。

日本の部活動のスタイルは、アメリカから見ればかなり特殊なのかもしれない。

でも、お金も時間もかけてやっているんだから、と私はあれこれ指摘してしまう。ただし、そんなことをするのも私くらいで、だいたいほかのお母さんたちはお迎えのときにちょっと見るだけなのに、Nice shot! Great serve!  Beautiful backhand!  と持ち上げる。誉めすぎじゃない?

私は横目で見ながら、「そういうセリフは、フェデラーかサフィンの試合で言ってください。」と心の中でつぶやくのだ。


<今日の英語>

It's a tall order.
難しい仕事です。


PBSのニュース番組で、アフガニスタンのカルザイ首相がインタビュアーに「国民の生活はなかなかよくなりません。どのような対策でそれを実現なさるお考えですか。」と聞かれたときの一言。この場合の order は注文や命令のこと。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  子ども  |  コメント(0)

「必死でリラックス」の矛盾

2009.11.15 (日)


もう何日も過換気症状が続いている。酸素は充分すぎるほど体内にあるのに、足らないと錯覚するのは皮肉である。

私は専業主婦なので、買い物や子どもの送り迎え以外はずっと家でぼんやりしていられる。それはいいのだが(よくないか…)、この状態から抜け出せないのは困る。

精神的な不安が原因ならば、理論的にはそれを取り除けばいいはずだ。

そう思って、何が不安なのかを考えてみた。

          *

夫が今の会社を辞めたら、まだ行使していないストック・オプションが紙になってしまう。ちょうど株価も上がってきた。夫に言って、残っていた800株をすべて売ってしまった。これで1つ心配事が減った。

夫の転職しだいでは、1月以降の健康保険がどうなるかわからない。主治医に健康検診の予約を入れた。去年はサボった。産婦人科医には毎年見てもらっているが、そこでは血液検査や尿検査、心電図などはやらない。

そういえば、更年期のホルモン変化のせいか、しつこい吹き出物もあるし、腕に何かできている。皮膚科にも予約する。

来年は芝生の管理会社を変えなくては。ずっと前に契約していた会社に見積もり依頼のメールを出す。

出かけなくていいように、肉やえび、長男の好きな冷凍ピザ、ポテトチップス(プレイデート用)、小麦粉、キャットフードなどを買い込む。

銀行のATMで現金を多めに引き出す。普段はクレジットカード生活なのだが、万が一のための現金はいつも手元に置いたほうがいいとどこかで聞いた。テロとか、ブリザードとか、広域停電とか、コンピュータが使えないときのためだ。

前々から、パソコンのデータバックアップをしたほうがいいなとは思っていたが、先延ばししていた。

たいしたデータはないのだが、私がうちのお金を管理しているので、やっぱり消えたら困る。火事でも起きたら、まずこのパソコンを持って出なくてはいけないが、重いし、落としたらアウト。もしかして、不安の元凶はそれか。USBメモリーにファイルをコピーしよう。

          *

でも、これらの問題は急に起きたことではない。しかも、不安の種を取り除こうと思って、あれこれ探すと、いくらでも出てくる。その分だけ、さらに不安になるような気がしてきた。

逆効果ではないのか。

姉に話すと、「ヨガかピラテスなんか、いいんじゃない?」と言う。そうだ、瞑想を勧めてくれた人もいた。しかし、頭を空白にするのは私には至難の業である。目をつぶると、雑念がこれでもかというほど湧き上がってくる。

私は精神修養には向いていないようだ。

今年の夏、日本に行ったときに、子どもたちに座禅体験をさせようともくろんだが、彼らは拒否した。私だけでもお寺に行っておくべきだったかもしれない。

温泉もサウナも近くにはない。猫を抱っこしようとしたら、逃げられた。敵もしっかり警戒しているのだ。

その代わりに、美容院へ行った。日本の技術・サービスとは比べ物にならないが、ジェニーはうまいほうだと思う。私たちはあまりしゃべらない。髪を洗ってもらいながら、なんとかリラックスしようと努める。

美容院はモールの中にあるので、少し歩き回ってみた。あいかわらず、買いたいものはない。帰り道、Trader Joe’sに寄ったら、クリスマス向けのお菓子がいろいろ出ていた。新製品らしい、チョコレートを2箱買う。カカオには鎮静作用があるんじゃなかった?チョコレートを食べると、落ち着くではないか。

          *

そうこうするうちに、リラックスする努力に疲れてきた。本末転倒である。

今日はどこにも行かないし、子どもの友だちも来ない。食べ物はある。私が一日中寝ていても不都合はない。

手元にあるトランキライザーは、去年飛行機に乗るときのために処方してもらったのだが、薬だから使用期限もある。捨てるのはもったいないのではないか。一粒で過呼吸から開放されるかもしれないのに。

悪魔と取引した気分になるが、今回は重症。観念してトランキライザーを飲むことにする。ただし、効くという保証はない。

これが渡米後に発症したならば、アメリカ生活が原因だと考えられるが、私の場合はもう小さい頃からそうなのだ。つまり、原因は環境ではなく、私自身らしい。


<今日の英語>

Are you still anxious?
まだ不安なの?


紙袋を手に深呼吸を繰り返す私に向かって、夫が言った一言。もー、ほっといてちょうだい。そういう質問をされると、よけいに過呼吸が悪化するのがわからないの?



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  わたし  |  コメント(0)

自分が読みたいブログを書く

2009.11.16 (月)



今年2月から始めたブログがまだ続いている。

私がブログをやっているのを知っているのは、夫と子どもたちだけなのだが、夫は私がとっくに飽きてやめたと思っていたらしい。つい最近、「パソコンで何やってるの。」と聞かれたので、「ブログの記事を書いてます。」と答えると、「えっ、まだやってたの?」と驚かれた。

相手に関心がないのは、お互いさまか。そのほうが都合がいいこともあるので、私は気にならない。

子どもたちはたまに「今日のカウンター、いくつ?見せて。」と聞くが、彼らの興味は数字であって、内容ではない。あるいは、「文章だけじゃ、おもしろくないよ。もっと写真を載せたほうがいいよ。もっとデザインをよくするとかさ。」と指図する。大きなお世話である。


          *
 

ともかく、私はこうしてほとんど毎日何かしら書いている。

なるべく外に出たくない、気を使うような人に会いたくない、めんどくさいことはやりたくないという、自分勝手な生活
をしているので、当然そういう姿勢がブログにも現れていると思う。

補習校を辞めてから、日本人と会うのは数ヶ月に1回である。日本語による会話は、子どもたちを除けば、横浜に住む姉だけとなった。だから、ブログは私の話し相手かもしれない。一方通行だから、話し相手というより聞き手かな。

書いているうちに、「そうだ、あれも言いたい。これも説明せねば。」と、次から次へと思いつく。そして、独りよがりなだけでなく、やたらに長い記事になる。

でも、これは仕事ではない。だから、私の好きなようにやっていいのだ。


          *


他のブロガーは知らないが、私はアップロードしてからも自分の記事をよく読み直す。そして、何度も文章に手を入れる。

もちろんサイトに載せる前にも一通り読むが、あとから気がついた誤字脱字はもちろんのこと、気に入らない言い回しや、誤解されそうな書き方、くどい文章をかなり大々的に直す。1回読めばすっと頭に入るような文章が理想なのだが、書いた自分もすんなり読めないところは、そのままにしておけない。

「気になった記事を何度も読み返しています。」というコメントをいただいたことがある。そういう人は、読むたびにちょっとずつ違う印象を受けるかもしれない。

文章を直すのは、私の趣味みたいなものである。

他人の書いたものに赤ペンを入れるのも好き。補習校で配布物の原稿を書いたり、編集・校正らしきことをしたりした。そういう仕事はしたことがないので、プロの決まりは何も知らない。ただ、私好みの文章にするだけだったが、ほんの内輪で配るものだったので、「やりたければ勝手にすれば。」と任せてもらえた。

私は一度赤ペンを入れて提出すれば、私の修正箇所が採用されようがされまいが、気にならなかった。赤ペンを入れる作業そのものが楽しい。安上がりな趣味である。

補習校をやめてからはそういう機会がなくなった。その代わりに、自分のブログを相手にしている。

私は、英語の文章を見ても気になるのだ。現地校からお知らせが届くと、「日付がない。文章がだらだら長すぎる。パラグラフの切り方がおかしい。肝心の情報が埋もれている。同じことが2回も書いてある。もっと簡潔に、見やすくできないの? 読む気、なくなるわ。」とけなしまくる。

子どもたちは、「またー。そんな細かいことに文句つけるの、おかあさんだけだよ。じゃあさ、自分で書いたら?」とあきれる。


          *


このブログを始めるまで、私はほとんどブログというものを読まなかった。掲示板や情報サイトで紹介されたものを見に行っても、さほど興味が持てなかった。

内容以前に、画面を開いただけで目が拒否してしまうものもあった。

私は目が悪い。高校で近眼、大学で乱視になり、今はもちろん老眼も入っている。そういう人に、背景色が暗くて、文字が小さくて、ピカピカ光っているようなページは酷である。飾りや広告がたくさんあって、どこが本文なのか探さねばならないのも困った。

今は少しはブログの構造を理解できるようになったので、それほど戸惑わないが、一番の問題は「私が読みたいブログ」がなかったことだ。

それは当然である。

私は自他共に認める自己中心的な人間。他の人の生活や意見には、あまり関心がないのである。自分が読みたいのは、当然自分の話。だったら、子どもたちの言うように、それこそ「自分で書いたら?」ということになる。ちょうど、「自分が着たい服がどこにも売っていなかったので、服飾デザイナーになりました」という人がいるみたいに。

そうして、背景が白くて、文字が大きく、リンクは私が使うアマゾンだけ、トラックバックやお気に入りの表示もない、顔文字も絵文字も動画もない、長い記事を存分に書ける殺風景なブログができた。

あとは気の向くまま、日記だったり、エッセイになったり、ストーリー仕立てにしたりしている。


          *


どなたかに看破された通り、いただくコメントにお愛想を言うのは私には無理なのだ。

ブログを始めたときに、「コメントには返事をしましょう。相手のブログも訪問して、コメントを残しましょう。」という心得集をどこかで読み、それもそうだと納得して、最初のうちはその通りにやっていたのだが、だんだんできなくなった。

さすがに申し訳なくて、読んでいるという事実だけを報告した。すると、返事をしなくてもよいというコメントが付いた。私の心理状態はとっくにバレていたらしい。

私が返信しないのを承知の上で、メッセージをくださる人もいる。

最近は、公開コメントより私信のほうがずっと多い。とてもいいことが書いてあると、私だけが読むのはもったいないなあと残念だが、「非公開」という投稿者の意向を尊重せねばならない。

私の場合、実生活でできないことは仮想世界でもできない。

だから、ブログ友だちという概念がピンとこない。仮想世界の中で行き来するどころか、メールでやり取りしたり、実際に対面交流したりするというのは、私の理解を超えている。そういう人は、ブログをやる目的が私とは違うのだと思う。


          *


久々にアクセス・カウンターを見た長男が言った。

へ~、おかあさんのブログ、読む人がいるんだね~。おかあさん、また自分勝手なこと書いてるんでしょ。それなのに、どうしてかなあ。」 

まあ、減らず口をたたくこと。いいのよ、好きで書いてるんだから。

英語は私の勉強を兼ねている。漫然と聞き流している会話を多少なりとも意識して聞き、いざというとき再生できるよう、記憶する努力である。会話集がいくらでも出ているが、怠け者の私はそれでは頭に入らない。

ブログと同じく、やっぱりこれも自分で作らないとだめなのだ。ついでにどなたかのお役に立てるなら、願ったり叶ったりである。


<今日の英語>

I'm just trying to find something to reassure you.
安心していただけるように、ちょっと何か探してみます。


注文の多そうなお客さんに、美容師がヘア・カタログをめくりながら言った一言。「あんまり長くてもいやだし、短いのもちょっとね。前髪は昔はあったんだけど、いまは長くしてるのよ。でも、ちょっとだけ変化を付けたいと思って。ふわっとしたいけど、あっちこっち向くのはねえ。」 こういうお客は、切ったあとも希望通りじゃないとグチグチ言うのだろうか。美容師は、それらしい写真を見せて確認したほうが安全だと考えたらしい。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  わたし  |  コメント(8)

抗不安薬と体と心

2009.11.17 (火)



トランキライザーは日本でもそのままカタカナで呼ばれていると思っていたが、それほど一般的ではないらしい。

トランキライザーにも2種類あって、マイナー・トランキライザーは抗不安薬、メジャー・トランキライザーは向精神病薬と翻訳されていた。

私の薬は、弱いほうの抗不安薬・催眠鎮静剤で、「効果が高く、依存性が少なく、安全性が高い」という。そんなに都合のいい薬があるだろうかと疑いたくなる。

これまでは、飛行機に乗るときしか服用したことはなかったが、過呼吸症候群から抜け出せないので、藁をも掴む気持ちで飲んだ。

機内と同じく、飲んで10分もしないうちに眠りに落ちたようだ。

そうなることはわかっていたので、「おかあさんはこれからトランキライザーを飲んで寝ます。くれぐれも邪魔をしないように。」と夫と子どもたちに宣言しておいた。

子どもたちは「おかあさん、大丈夫?」と殊勝なことを言うわりに、目が輝く。うるさい私が寝ているすきに、思いっきりテレビとゲームとおやつだぞー!と顔に書いてある。夫がお仲間なのは言うまでもない。

今回は自宅なので、16時間も寝続けた。途中、猫に邪魔されたり、トイレに行ったりしたが、あまり覚えていない。すぐまた眠りについたと思われる。

          *

脳に直接働きかける薬は得体の知れないところがあって、ちょっとこわい。

自分がコントロールできるはずの部分が、何かに操られているような気がするのだ。しかも、私は通常の抗うつ剤も常用しているのだから、もはやどの薬がどう作用しているのか、わからなくなってくる。

目が覚めると、不気味なほど気持ちが穏やか。ニコニコしたくなる。それでいて、倦怠感があって体が重い。もっとも16時間も寝たら、だるくなって当然か。集中力はゼロである。

肝心の過呼吸はというと、和らいだもものの、まだ完全には消えていない。トランキライザーは万能ではないことがわかった。

          *

調べてみたら、息ができない感覚というのは「空気飢餓感」と呼ぶのだそうだ。正にその通り。あくまでも「感」であって、ほんとに飢えているのではない。実際は酸素が必要以上に体内にあるのだから。

心の SOS が身体症状となって現れているというが、いま私はそれほど不安ではないのである。

次男が生まれて半年したころは、最悪のうつ状態だった。なぜかそのときは過呼吸はなかった。うつが重症すぎて、過呼吸に気がつくゆとりもなかったのかもしれない。

じゃあ、過呼吸で苦しいなどとこぼしているのは、まだ余裕がある証拠?

過呼吸対策について、ブログを読んだ方々がいろいろ知恵を授けてくれたのだが、コメントに共通するのは「体を動かすこと」であるように思う。

外を見ると、せっかく業者が庭をきれいにしてくれたのに、また枯葉が芝生の上に舞っている。先日のが最後のサービスだったから、あとは私がやるしかない(夫はやる気なし)。

熊手を持って、外に出ようか。しばらくの間、過呼吸は私の連れとなりそうだ。


<今日の英語>

I’m getting ahead of my story.
ちょっと先走りすぎてしまいました。


NYタイムズのコラムニストがジンバブエのある女性についてレポートしたときの一言。「文盲で虐げられていた牛追いの女性が、さまざまな援助のおかげで苦難に打ち勝ったのですが、そう先走ってはいけませんね。最初から順を追って話しましょう。」  I'm getting ahead of myself. という言い方もある。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  医療  |  コメント(1)

年の離れた夫

2009.11.17 (火)


夫は私より10歳年上である。

結婚するときは、それほど離れているとは思わなかった。10歳と20歳とは違って、28歳と38歳はそんなに違わないような気がしたのだ。私の父が「そんな年まで独り身の奴か!」と怒るのを聞きながら、なんでそういう方向に話が行くのかなあと不愉快だった。

渡米してから、少しずつ、夫との年齢差を意識するようになった。

私と結婚したとき、夫はすでに中間管理職だったので、別にお金持ちではないが、経済的に困ったことはない。

もっとも、貯蓄感覚の鈍い夫は401KやIRA(個人年金)をまったくやっていなかった。だから収入の割りに貯金が少なかった。その後、私がお金を管理するようになって、着実に貯めてきたのだが、夫が就職してすぐに401Kを始めていれば、リスキーな投資をしなくても資産は今の倍になったはずである。

夫は、私に「これじゃあ貯金しすぎだよ。」とこぼしたことがある。私は失われた10年を取り戻そうとしていたのだ。そして、「もし夫が私と同い年だったら、もっと若いときに投資を始めて今頃は…」と取らぬ狸の皮算用をした。

          *

夫は何かにつけ、私よりも長期的にものを考えていた。

私は目の前のことに気を取られがちだったが、夫はかなり先のことまで見通して、またいろんな角度から物事を判断した。それが理解できなかった私は、よく夫の言うことに反発した。

夫が私よりも10年長く生きていて、その分いろいろ経験してきたのだとわかるまでに、たぶん10年以上かかった。

もちろん、夫の経験より私の直感が正しかったこともある。年を取ればその分だけ賢明になるとも限らない。それに、私だって夫より遅れているけれど、確実に年を取って経験を積んでいるのだ。

最近は理解を通り越して、無関心になってきているので、夫がこうしたいといえば、「どーでもいいわよ。」と(あまり)逆らわずに同意している。

          *

長男が生まれたとき、私の父は「子どもが大学に行くときゃあ、おとっさんは60か。こりゃあ大変だぞ。」と冗談めかして言った。

そうか、結婚も出産も遅かった私たちは、よそより10年以上遅れているのかと、愕然とした。子どもを持つ勇気がなかった私は、自分が産める年齢だけ心配していて、父親となる夫の年齢は考えてなかったのだ。

2年後に次男が生まれたとき、夫は自分の父親がもっと若いときに親になったことを持ち出し、「それに比べると、ぼくがこの子たちと一緒に過ごせる時間は、ずいぶん短いなあ。それだけが残念だよ。」とぼそっと言った。

子どもたちが大きくなり、もともとスポーツが好きでない夫は、ちょっと外遊びに付き合うとすぐ「疲れた。きつい。」を連発した。子どもたちと工作をすれば、今度は老眼が邪魔をした。

私は体力がないけれど、夫より10年若いだけあって、子どもとかくれんぼをしたり、自転車の練習に出かけたりするくらいはできた。そういうことは、だんだん私の担当になり、夫はもっぱらお金を稼ぐのに忙しかった。

          *

私が30歳のとき、夫は40歳だった。眼鏡が合わないとか、筋肉痛だとか、体重が増えるとか、ぶつぶつ言い出した。

大げさねえ、と横目で見ていたが、10年後、私自身が40歳になると、「あれ、缶詰のラベルが読めないわよ。一昨日、雪かきをしたのにまだ腰が痛いし、なんか皮下脂肪が厚くなってる?」

そのとき夫は50歳。昔なら初老どころか、寿命である。よく眠れないだの、疲れるだの、ますます愚痴が増える。そして、コレステロールが高いといわれて Lipitor という薬を飲み始めた(私が期待していた性欲の衰えはなくて、がっかりした)。

そして、年々テレビの音量が大きくなる。

私はまだ50歳まで少しあるが、体力の衰えを感じる。夫はすでに10年前にこの状態だったのか。

          *

60歳に近づきつつある夫は、昔なら定年なのに、これから大学に行く予定の子供が2人もいるから、まだ働かねばならない。しかも、私は専業主婦。

私は夫より10年も若いくせに、自分が何かしようとは思わないのである。ぬくぬくと初老の夫に養ってもらっている。

夫がそんな私をどう思っているか、知らない。私が1日中ベッドでごろごろしていても、別に何も言わないのだ(あまり長く続くと、調子が悪いのかと聞くことはある)。掃除をしろとも言わない。

「今日の晩ご飯は何を作る予定?」というのが唯一の催促である。「今日は作る気がしない。」という返事だったら、早めにテイクアウトを手配しなくてはならないから。

こういう気ままでぐうたらな私の話を聞くと、母は「そんなおっかさんがあるかね!そのうち追い出されるに。」と呆れる。それが、出ていけなんて一度も言われたことがないのよ。

私は、私より経済力も人生経験もあって、私を苦労させない年上の男を無意識のうちに選んでいたのかもしれない。

そして、誰も知り合いのいない外国にやってきて、これといった困難もなく、もう20年も過ごしてきた(うつ病とか、夫がタイの女に入れ込んだことなどは、もはやそれほどたいしたこととも思えないのだ)。

夫を見て、10年後は私もああなるのかとふと思う。もっと眼が悪くなって、もっとシワや白髪が増えて、もっと体にガタが来て、もっと億劫になって、もっと頑固になるのか。

あんまりうれしくないが、その頃、夫はまたしても私の10年先にいるのだ。


<今日の英語>

You get what you pay for.
お金を惜しめば、それなりの物しか入手できない(安物買いの銭失い)。


安上がりな美容整形手術を受けて失敗し、再手術が必要な患者を多く受け入れている医者の一言。難しい手術が安いというのは、それなりにわけがあるのです。払った金額に見合ったものしか手に入らないと思ったほうがいい。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |   |  コメント(1)

愛人ごっこ その67

2009.11.18 (水)


(前回その66の続き)

パヴェルはその後も2、3回私の家に来た。

午後早めに来て、私と親密な時間を過ごし、子どもたちが学校から帰ると彼らの相手をしてくれた。そして、夕食を共にし、テレビを見たり夫と話をしたりしてから、私が宿舎まで送り届けるのだ。

翌朝はキッチンの仕事を入れていたので、泊まることはなかった。

夜遅く、誰もいない宿舎の駐車場に車を停めて、私たちは話をした。

・・・

「いつドイツに帰るの?」

「あと10日くらいかな。去年と違って、今年は大学のこともよくわかってるし、ギリギリまでこっちで働くつもりなんだ。できるだけお金を貯めて、ドイツに戻りたいから。」

「あなたがキャンプで仕事するのは、きっと今年が最後でしょうね。今年来てくれたのだって、奇跡みたいだったもの。これ以上、夏のセメスターを休むのはよくないでしょ。卒業が遅くなるんじゃない。」

「今年はぼくがどうしても来たかったんだよ。あなたにあれほど親切にしてもらって、ぼくの感謝の気持ちを何かで示したかったんだけど、やっぱりここに来るのが一番いいんじゃないかと思ってた。でも、今年もよくしてもらったのは、ぼくの方だなあ。」

「あなたがどれだけ私を救ってくれたか、自分ではぜんぜんわかってないみたいね。」

「うーん、なんとなくわかってるつもりだけど。あなたがぼくに話してくれたから。」

それ以上話を続けると、また私と夫の関係に行き着いてしまう。私は助手席にいる彼の手をたたいて、もうやめましょうと伝えた。返事の代わりに、彼は私の首に手を回して、キスした。

・・・

ドイツに発つ日、パヴェルはまたマンハッタンからバスで空港に向かうつもりでいた。

今年はそんなに朝早く出る必要がなかったので、前日は私の家に泊まらなかった。その代わりに、当日の朝、やはり私が彼の宿舎まで迎えに行って、少し離れた駅まで送った。

彼がここに来るのはこれが最後だろうという気がした。

あとは、私がドイツを訪れるときしか、彼に会う機会はなさそうだ。パヴェルが大学を卒業したらアメリカに来るかもしれないとも考えたが、彼がベラルーシから遠く離れて住むとは思えなかった。

去年はノートパソコンをプレゼントしたけれど、今年は特に何もしなかった。私や夫が何かあげると、彼はそのお返しをしたがるのがわかったから。まだ学生の彼にそんなプレッシャーを与えたくなかった。

・・・

「はい、20ドル。今度は私はシティまで付いて行かないから。何かあったら、これを使うのよ。素直に受け取りなさいな。」

「ありがとう。気をつけるよ。今年もいろいろありがとう。あなたがいるから、ぼくは今年も来たんだ。やっぱり、来てよかった。またいろんな秘密ができちゃったけど。」

「でも、あなたもそろそろ本当の恋人を見つけなくちゃね。誰かいい人ができたら、私にも教えて。すごく焼きもちを焼いてあげる。」

「わかった。でも、もしガールフレンドができたら、ぼくはあなたのことを話すよ。ベッドでのことは内緒だけど、あなたがぼくにとってどれくらい大切な人かって。」

「わたし、旅行はきらいだけど、あなたの結婚式には行きたいわ。」

「その前に、大学の卒業式に来てくれる? そしたら、すごく嬉しいよ。」

私たちは最後のキスを交わし、彼は車を降りた。そして、にっこりと私に手を振って、階段を上がっていった。私は彼の顔を忘れないように、脳裏にイメージを刻み込んだ。

(次回その68に続く)



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  愛人

お辞儀と握手

2009.11.19 (木)


オバマ大統領が皇居を訪問した際、天皇皇后両陛下に深々とお辞儀をした。

私はネットワーク・テレビも見ないし、ネットでも中道左派寄りのサイトでニュースを読むので、アメリカで波紋を呼んでいたのを知らなかった。

もっとも、騒いでいたのはガチガチの保守派メディアやコラムニストだけ。大統領たるものがエンペラーに頭を下げるなど、卑屈だ、不名誉だというのが彼らの言い分である。さらに、あんなに腰を曲げて、しかも握手までしたのでは、日本人から見ても恥ずかしいに違いないと決め付けていた。

20年前にも、大統領の天皇に対するお辞儀が問題になった。パパ・ブッシュ(戦争中に日本軍に撃墜されたことがある)が昭和天皇の葬儀に出席した際に、棺の前で深々とお辞儀をしたのだ。

アメリカ人にとって、ヒロヒトはまた特殊な位置付けだろうが、記者会見で問われたブッシュは、「天皇への敬意を示すためにやった。」と述べた。

          *

件の写真を見て、私が最初に思ったのは、「握手とお辞儀を同時にしちゃだめだわ。」 外交儀礼の専門家がついていただろうに、オバマに何を教えたんだろう。

それから、「お辞儀の角度が深すぎる。あの半分でよかったのよ。」 でも、オバマの身長で45度に曲げたくらいでは、小柄な両陛下をやっぱり見下げることになるから、ああしたのかな。

さらに、「そもそも、天皇には気安く触っちゃいけないんじゃない?」 大統領夫人ミシェルがイギリスを訪問したときに、エリザベス女王の肩に手を回したのもやはり論議をかもしたが、西欧は握手やハグの本家本元。そりゃ、位は違うけど、別にいいのではないかと私は思った。

でも、日本の挨拶はお辞儀が基本である。

最近でこそ、握手とか、あるいは海外にいればハグとか(日本人同士でキスはしないだろうと思うけど、私が知らないだけか)が市民権を得てきているが、相手の体に触れるのはよっぽど親しい間柄だ。相手の目を見ることすら苦手な日本人は、まだいると思う。

もし私がオバマのプロトコール担当だったら(また大きく出たな~とお思いでしょうが)、

「ミスター・プレジデント、天皇陛下の前に立ったら、まず45度でお辞儀だけしてください。陛下が手を差し出されたら、目を見て握手。その際、お辞儀はしなくてよろしい。つまり、お辞儀と握手を同時にしてはいけません。ただし、陛下は大統領よりかなり小柄なので、自然と頭が下がる形になりますが、腰を曲げないように。

皇后陛下に対しても同じです。間違っても、皇后陛下の頬にキスしてはなりません。両陛下とも英語をお話しになるので、片言の日本語で挨拶などしないように。それから、部屋に通されて、ソファに座ったら、足を組まないこと。両陛下の体に触れないこと。

別れるときは、また陛下が手を出されるまで待ってください。そしたら、普通に握手です。お辞儀はしなくてよろしい。身長の違いから、普通にしていれば傍目にはちょっと頭を下げたくらいに見えるはずです。くれぐれも腰を曲げないように! おわかりですね。」

          *

補習校の卒業式で、やはりお辞儀と握手を同時にしていた年があった。

卒業証書を授与するとき、卒業生が1人ずつステージの端から、中央に位置する校長の前まで歩いていくのだが、校長抜きの練習では、お辞儀をして証書を受け取るだけだったのに、本番で最初の男の子がお辞儀をしたあと、校長に手を差し出して握手をしたのだ。

アメリカ暮らしの習慣で、ついやってしまったらしい。ところが、そのあとずっと「校長自ら」が握手を追加したのである。

まずお辞儀、それから握手。それから証書を渡し、受け取りながらまたお辞儀。もう時間のかかること。

しかも、生徒たちはお辞儀だけの練習をしてきたのに、お辞儀して顔を挙げると、校長の手が目の前にある。無視するわけにいかないので、握手する。その一瞬の戸惑いがなんともうっとうしかった。

10人くらい進んだところで、「お辞儀か握手、どっちか一方にしてください!」と叫びたくなった。

handshake (握手)は eye contact (視線を合わせること)とセットではないだろうか。きちんとお辞儀をしたら、相手の目が見えない。だから、同時にやると、へっぴり腰の上目遣いになってしまう。ちょっと頭を下げるだけの会釈ならともかく、握手とお辞儀を同時にやると美しくない。

作法は美しくなくちゃだめなのよ、と寝転んでネットをしている私は思う。


<今日の英語>

I was just tyring to get a rise out of you.
きみをからかっただけだよ。


私が夕食の支度をしているときに、夫が台所に降りてきて、ハムをロールパンにはさんでパクついた。「いま何か食べないと、腹ペコで部屋にあるチョコレートを全部食べそうだからさ。」 チョコレート? どこにチョコレートがあるのよ? 「チョコレートなんかないよ。きみがむきになるだろうと思って、言ってみただけ。」 

rise (raise ではない)は上がること。魚が釣り人の垂らす餌に食いついて水面に上がってくることから。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  社会  |  コメント(2)

気になる少女

2009.11.20 (金)


次男のテニス・クラブで珍しい子を見た。

キキという白人の女の子。本名は知らない。9歳くらいだと思う。珍しいというより、久しぶりか。

何年か前に、私は町のレクリエーション課が運営する大人向けテニスレッスンに参加したことがある。メンバーはたった5人。たまに、隣町と合同練習や試合をした。

コーチ同士が知り合いだったし、「たまには他の人と試合をするのもいい経験だから」と言われた。もともと専業主婦たちのお遊びである。

キキを初めて見たのは、隣町のコートに行ったときだった。

そこでは子供向けレッスンも同時にやっていた。ボールがネットの向こうに行けば御の字という子が多いのに、とりわけ小さかった彼女はずば抜けてうまいのだ。フォームは本格的だったし、だいたい表情からして違っていた。

私が「あの子、上手ねえ。」と誰にともなく言うと、「ああ、キキね。コーチの娘なのよ。

そうか。母親が教えていたのか。どうりでうまいはずだ。キキの母親は、ぱっと見には「男」だった。ショートカットでいかにもアスリートという体つきと振る舞い、平凡な容姿だったが、キキはすらりとした美少女だった。

          *

その後、次男がテニスクラブに通うようになり、私も毎週付き合った。

次男と同じ時間帯に、隣のコートではハイスクールの生徒が練習していた。その中に一人だけかなり小さい子がいた。ハイスクールのプレーヤーと互角に打ち合っていた。もしかしたら、彼女が一番うまかったかもしれない。

あの子は小さいけど、上手だ。他の子と違う。金髪のポニーテールがどこかで見たような気がするけど。」と考えていると、トレーニングウェアを来た女性が隣のベンチに座った。あら、この人も見覚えがあるけど、誰だっけ。

彼女は、いっしょに座っていた人と話し始めた。腕の使い方がどうの、サーブがどうのという説明を私は盗み聞きした。私から見るとすごくうまい子も、わかっている人が見るとまだまだダメなのか。

「キキにはそれこそ時間もお金もつぎ込んだわ。ここにだって、週に何度も来ているし。私が教えてもいいんだけど、もう私の言うことは聞かないの。だから、他の人にコーチしてもらってるわけ。」

そこまで聞いて、私はハタと思い出した。

あの女の子はずっと前に隣町のコートで見たキキだ。そして、この人が隣町のコーチだったお母さんなのだ。

          *

お母さんには濃い東欧アクセントがあった。会話の内容から、旧チェコスロバキアの出身だとわかった。チェコといえば、ナブラチロワ。そういえば、いかつい感じが似てる。私はさらに聞き耳を立てた。

「私を診察したお医者がね、この子は運動したら死んでしまう、と私の母に言ったの。でも、私は黙って小学校のマラソン大会に出て、一番になったのよ。テニスも上手だったし、ずっと学校で一番のアスリートだったわけ。」

やっぱり蛙の子は蛙だ。母国ではテニス選手だったのだろうか。

テニスコートからロビーを見上げるキキは、母親のシグナルにうなづいたり、ラケットを振って見せたりしていた。ガラス張りで、声は聞こえない。

ちょっと打ちそこなうと、母親は「どうしてもっと腕を伸ばさないのよ。」「足の位置が違うわ。」といちいち口に出していた。自分がうまいだけに、見ていられないのだろう。

彼女は他のプレーヤーについても解説していたので、コメンテーター付きのレッスン見学となった。彼女とその知り合い以外の親は、ほとんど残っておらず、私はさりげなく彼らのベンチ近くに座ったものだ。

ポニーテールを揺らして、きれいなフォームでボールを打つキキを見るのは、私の密かな楽しみだった。まだ初心者で下手な息子のほうはどうでもよかった。

          *

でも、クラブの閉鎖騒ぎ以来、彼女を見る機会がなくなってしまった。

次男がクラブに復帰したときは、4面あるコートは2面しか使われていないことが多く、これでは経営不振でまたつぶれるんじゃないだろうかと不安になった。

いつもは次男を下ろして、近くのスーパーで買出しをしてから、またクラブに戻るのだが、今日はたいして買うものがなくてすぐ済んだので、早めに練習を見ることができた。

ふと見ると、一番奥のコートで帰り支度をしている少女がいた。キキだ。バンビみたいな体とポニーテールは、遠目にもわかった。

キキの隣に立っていたのは、母親。やはり自分で教えることにしたのか。レッスン代を払うより、テニスコートのレンタルだけのほうが安い。それに、彼女は指導方法にも一家言あるようなタイプだったから、もうクラブのコーチでは満足できないのかもしれない。

こんなことなら、買い物に行かなければよかったと後悔した。

          *

コートから階段を登ってロビーに戻ってきた二人。キキはあいかわらず小さかった。半年以上経っているのに、あまり成長していなかった。

いまどきの選手は大きいから、大変だな。才能がありそうなのに残念。お母さんも大きくないから、しょうがないのか。でも、背が低くても、エナンみたいにナンバーワンになる選手もいるから、わからない。

そういえば、お父さんは見たことがない。お母さんはいつアメリカに来たのかな。どういう仕事をしているんだろう。テニスのコーチで食べていけるんだろうか。アクセントからして明らかに移民のお母さんは、キキに夢を託しているのだろうか。二人の会話はいつも英語だけど、チェコ語は教えないんだろうか。

キキは以前と違って、眼鏡をかけていた。スポーツ選手で目が悪いのはかなりハンデではないだろうか。コンタクトレンズもあるし、レーシック手術という手もあるけれど、スポーツ選手に視力は大事だろうに。

彼女は、自分の身長と同じくらいの大きなバッグを背中にしょっていた。プロの選手が試合にかついでくるのと同じような、本格的なものだ。

今度から買い物はあとにして、まずキキの練習を見よう。来週も同じ時間に来るかな。

私は彼らと言葉を交わしたこともないのに、なんだかとても気になるのである。


<今日の英語>

He didn't give me a straight answer.
はっきり言ってくれなかった。


ゲームの進展について話し合っていた子どもたち。長男が別のプレーヤーの動きについて次男に尋ねると、「その子に聞いてみたんだけど、ストレートな返事をくれなかった」そうだ。2人とも、もっと他にやるべきことはないの。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  アメリカ人  |  コメント(0)

「いい男」の基準

2009.11.21 (土)


渡米前に東京で姉と暮らしていたとき、最後の5年間はテレビなしの生活だった。ある日プツンと映らなくなったテレビを、なぜか買い換えなかったから。

当時はパソコンが普及しておらず、私たちの情報源はラジオと朝日新聞。俳優やタレントについては、電車のつり広告で得る知識がせいぜいだった。

アメリカに来て、ますます日本のドラマや映画とは縁遠くなった。

過去20年間に話題になった芸能人については、ほとんど知らない。

この夏、日本にいたとき、酒井法子というタレントが覚せい剤で捕まって、毎日マスコミが騒いでいた。ぜんぜん知識のなかった私は、「誰、この人? 有名なの?」と母に聞いた。教えてもらっても、ふ~んとしか言いようがなかったのだが。

          *

補習校で、お母さんたちがときどき日本のタレントの話をしていた。それが歌手か俳優かスポーツ選手か、わからない。名前も聞いたことがないような人たちが話題に上った。

そして、「XXって、イケメンだよね~。」と彼女たちははしゃぐのだ。

イケメンがいわゆるハンサムということくらい、この私でも知っている。XXはその日によって違うこともあったが、私はどの人も知らなかった。ネットで見かけたような気もするが、印象が薄くて記憶に残らない。それで、聞いてみた。

「XXって誰?」

彼女たち(たいてい駐在の奥さんたち。でも、日本のテレビ番組をしっかりDVDで見ている長期滞在永住者もいた)は、「えーーーっ、知らないんですか?! ホントにー? すごい人気なんですよー。すごい美形で。信じらんなーい。」と大げさに驚いた。

そんなこと言われたって、知らないものは知らないわよ。

私を哀れんだ彼女たちは、何度かXXの載った雑誌をわざわざ補習校に持ってきて、見せてくれた。「この間話してたイケメン、この人です。」

私は、「うーん、えーと、きれいなカオね。」 

私の反応が芳しくないので、彼女たちはがっかりしたようだ。「かっこいいと思いません?」

不細工とは言わないが、線が細すぎるのである

ファンである彼女たちを傷つけたくないので言わなかったが、どれもナヨッとしている。中性的どころか、中には、これ女の人?と思ったのもいた。日本で中年女性が騒いでいる(いた?)というヨンさまという人も、私には男に見えないのだった。ドラマで見たら違うのかももしれないが、写真ではまったく魅力を感じない。

          *

アメリカで ruggedly handsome というフレーズをよく聞く。rugged は「ゴツゴツした、いかつい」という意味である。だから、つるリとした美男子ではなくて、男性的な特徴が強く(つまり、たくましくて男くさい)、どこか苦みばしったところがないといけない。

かつて日本では、理想の結婚相手は3高(学歴・年収・身長が高い)と言われたが、アメリカでのいい男の古典的形容詞は、tall, dark and handsome (背が高く、日焼けしていて、男前)である。もちろんヒョロヒョロはだめで、適度な筋肉が必要なのはいうまでもない。

見事に外見だけを問題にしているのが、素直というか、単純でよろしい。結婚するわけじゃないから、別にいいのだ。

でも、ハンサムにもいろいろあって、今は往年のハリウッドでは通用しなかったであろう、いわゆるプリティ・ボーイではない男優が売れる時代だ。彼らはしばしば ruggedly handsome と形容される。男くさいのだから、当然色気を感じさせる。

その典型は、よくアメリカで一番セクシーな男に選ばれるジョージ・クルーニーだと思う。私は彼の映画を見たことがないし、ERすら見なかったのに、納得する。

日本人がイケメンと呼ぶのは、優男なのかもしれない。アメリカほど体を重視していないのか、アメリカが肉体を求めすぎているのか。日本で一番セクシーな男を選ぶなんていうコンテストがあったっけ。

          *

つい先日、サフィンが引退してがっかりした私(サフィンを知らない人のほうが多いと思うが、そんなことはどうでもいいのである)。YouTube で彼のビデオを探しては見とれていたのだが、サフィンが4年連続で「一番セクシーなテニス選手」に選ばれたとどこかで読んだ。

そりゃ、そうよ、彼を Pure Sex って呼んだ人がいたくらいだし、しかも実物はもっと迫力があってすごいらしいのよ、と独りごちたが、補習校で日本のイケメンに騒いでいた彼女たちには、サフィンの魅力(注: 顔と体だけではない)はわかってもらえないだろうなと思った。

サフィンは私の「いい男」の条件を全部満たしているんだけど。

それはともかく、対象がなんであれ、目の保養というのは大事である。

学校から帰宅した次男が、ネットをしている私を見て、言った。

「おかあさん、またサフィンのビデオでしょ。」

あら、なんでわかるの?


<今日の英語>

It’s more your taste than mine.
私のと言うより、あなたの好みね。


息子にカメオのブローチを贈られた女性。わがままな彼女は「こんなの私の趣味じゃないわ。」と一言。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  社会  |  コメント(4)

これから増えるもの2つ

2009.11.22 (日)


毎年感謝祭の少し前からクリスマスにかけて、うちの郵便受けにたくさん届くものが2つある。

1つは、ショッピングのカタログ。

出かけるのがきらいな私は、買い物もできるだけオンラインで済ませる。だから年中カタログを受け取るのだが、この時期になると、ふだん送ってこない所からもこれでもかというくらい、たくさん郵便受けに届く。

何年か前に1度買っただけでも、まだ名簿に載っているのだろう。たとえば、うちの子供たちはティーンエージャーなのに、小さい子向けのおもちゃカタログがいまだに届く。対象年齢がずれてきたのだ。その会社が気がつかないのが不思議である。

私の情報が売買された証拠に、一度も買ったことがないところからも届く。コンピュータで私の購入履歴を分析したのか、いかにも私が買いそうな雰囲気のカタログが来るのには恐れ入る。

反対に、どうしてうちにこんなのが来たのかなと思うこともある。

たとえば、うちは息子だけなのに American Girl という女の子向けのカタログが定期的に届く。一度も買ったことはないが、なぜかもう何年もきっちり届くのだ。お人形とセットになった服のカタログらしいのだが、私は小さい頃から人形が好きではなかったので、表紙を見ただけで開きもしない。

          *

カタログは、クリスマス用に分厚くなる。

過去1年間に買い物をしたところは、趣向を変えて何回も送ってくる。そして、送料無料!とか2つ買えば割引!とか、購買欲をそそる仕掛けがなされている。買う気がなかった私も、ついカタログを眺めてしまう。

今年もクリスマス商戦は厳しそうだが、それでもクリスマスには何かを買って贈るという習慣は根強い。郵便受けに入っていたカタログを見て注文する可能性は大いにあるのだ。

そして、11月と12月の2ヶ月間で大量のカタログが溜まる。どれもカラー写真がいっぱいで、もったいないのだが、ほとんどは私にとってゴミ同然なのだ。紙も印刷代も郵送代も無駄になった。それらをヒモでしばって、リサイクルに出すのはなんだか空しい。

絶対にここからは買わないだろうと確信した会社に「今後はカタログを送らないでください。」と電話したことがある。そしたら、「あるメーリング・リストに従って自動的に発送されたので、当社で止めることはできません。」と言われた。名簿屋の元のデータを消さなければだめなのだとわかって、あきらめた。

          *

もう1つは、寄付のお願い。

これもクリスマス時期の寛容な精神を当てにしてか、あらゆる団体から封書が届く。フリーギフトと称して、私の名前と住所を印刷したラベルのセットが同封してあることもよくある。

こんなのをもらったら寄付しなくちゃと思わせるのだが、いったん寄付したら何度も来るので、慎重にならざるをえない。以前、DV被害者を助ける団体やガン研究に寄付したら、他からも寄付の依頼が続々と来てしまった。私はビル・ゲイツじゃないんですけど。

たまに、「寄付してください」という電話もかかってくるが、私は電話での依頼はいっさい相手にしない。話も聞かずに、すぐ切る。

最近困るのは、ご近所の人が郵送で寄付のお願いをしてくること。

「私が応援しているアメリカ糖尿病協会(団体名はさまざま)に、あなたも寄付してくれませんか。小切手郵送用の封筒を同封しました。ご協力ありがとう!」という感じなのだが、顔見知りだけに無視しづらい。それが団体の作戦なのだろう。

でも、私は近所づきあいも適当で浅いので、ぜんぶゴミ箱行きになる。

そんなのにいちいち関わっていられないし、いったんそのやり方で寄付したら、私は「頼まれたら寄付する人」のデータベースに登録されて終わりである。幸い、「あの寄付、してくれた?」とご近所さんに聞かれたことは一度もない。

          *

夫は休職するまで United Way という福祉団体に、給料天引きで毎月同額を寄付していた。この手の寄付は、税金控除の対象になる。

1年間でかなり高額になり、私は寄付するより貯金したかったが、夫は「付き合いだから。」と言って、毎年やっていた。会社が率先して従業員に寄付させるのは、いかにもアメリカ的だなと思った。

うちは教会に行かないし、ボランティアもしていない。ケチな私は、古着を寄付する以外、ふだんチャリティとは縁がない。実家でもそうで、そういう育ち方をした。

でも、こうやってひっきりなしに寄付のお願いが届くと、少しは寄付するべきだろうかと、無収入のくせにちょっと悩むのである。


<今日の英語>

How do I get off the list?
どうやったらリストから外してもらえますか。


銀行からの連日の電話に辟易した人が、リストから名前を消してくれと頼んだときの一言。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  社会  |  コメント(2)

カードもギフトも贈らない

2009.11.23 (月)



私はクリスマス・カードも年賀状も出さないし、ギフトもあげない。

アメリカに来てからほとんどずっとそうなのだ。数少ない友人・知人はおろか、夫の親戚にすら、なーんにもしない。母と姉、そしてごく特別な人にのみ e-card を出す。それだけ。

ごみ収集人や郵便配達の人にもあげない。

だから、この時期よく話題になるクリスマス・チップについては、まるで他人事なのだ。「xxをしてくれる人には、いくらあげるべきか」というアレである(もし私がドアマンや管理人のいるアパートメントに住んでいたら、こんな非常識な真似は通用しないと思われる)。

【追記】アメリカの平均的な目安は、"Holiday Tipping Advice" という記事がわかりやすい。誰に何ドル、あるいはどんな品が適当か、職業別に書いてある。

例外は、子どもの習い事の先生たち。

子どもが小さいときは、アメリカの習慣だと聞いて、ナーサリースクールやキンダーガーテンの先生、スクールバスの運転手にもあげたが、ほどなく止めた。

でも、個人レッスンを受けていた楽器の先生やテニスのコーチにはギフトカードを渡した。

これも絶対やらねばならないことはないらしい。クリスマスカードとギフトカードの入った小さい封筒だけでなく、大きなフルーツバスケットや花束を持参した子もいれば、クリスマス前最後のレッスンになっても何もあげない子もいた。

          *

子どもたちには、夫がおもちゃやゲームを用意する。私は、クリスマス・ストッキングに入れる小さいものをほんの少しだけ買ったり買わなかったりする。

別に確固とした信念があってのことではない。

アメリカに来て最初のクリスマスはどうしようか迷った。何でも持っている義父母に何を買ったらいいのか、皆目わからない。もう大変なストレスだった。

私は自分の選ぶ贈り物のセンスに、まったく自信がないのである。

夫は非協力的で、何のアイディアもくれなかった。それで、めんどくさくなって、「まあ、いいや、今年は。」と勝手にやらないことにしたと思うのだが、そのまま20年経ってしまった。もはや時効(?)である。

だいたい、こういうことは始めるのは簡単だが、やめるのは難しい。何事も最初が肝心。私は「クリスマスを祝う習慣のない外国人」として登場し、それを押し通したことになる。

それじゃ味気ないという人がいるけれど、私は気苦労がなくて楽チンなほうを選ぶ。そして、浮いたお金はもっと有効な使い道を考える。

          *

日頃から、私はできるだけモノを増やさないようにしている。ほしいものもあるけれど、それは自分で選びたいのだ。

義父母はセンスがいいので、素敵なものを贈ってくれる。それでも毎年大きな箱がいくつも届くたびに、私は「もういいんです、何もしてくれなくても。」とため息が出た。最近は子どもたちへのギフトがメインになって、やれやれである。

こちらからの贈り物がないのには(多少)気が引けるのだが、それにはもう慣れた。ただし、受け取るだけでもやっぱり気を使う。

まず、荷物が届いたことをカリフォルニアに電話してお礼を言わなくてはならない。いくら身勝手な私でも、この程度のマナーはわきまえている。

そして、プレゼントを開けるクリスマス当日には、改めてギフトのお礼やら Merry Christmas! やらを言わなくてはならない。それもまためんどうなのだ。しかも、たいてい他の親戚の人たちが集合していて、次々と電話に出るときなど、もう逃げ出したくなる。別に話すことはないのだ。あれは苦痛である。

そして、ゴミの山(包装紙、リボン、ビニール袋、プラスチックのケース、紙箱など)を横目で見つつ、「キリスト教徒でもなくて、日本ではクリスマスに何もしなかった私が、なんでメリー・クリスマスなのよ。」と白ける。

          *

こういうわがままで順応性のない私に、よくもまあ義父は寛容に接してくれたものである。内心、どうしようもない娘だなと思っているかもしれないけれど、おくびにも出さない。私の自由にさせてくれる。

将来、うちの息子たちが結婚したら、私も彼らの奥さんたちにそうやって対応しようと思う。

彼女たちがギフト大好き、パーティ大好きならば、どうぞ思う存分やってください。私は口出ししませんよ。ただし、私は贈らないし、あなたたちも私に贈らなくていいですからね。でも、孫は猫と同じくらいかわいいらしいので、孫へのギフトはありえます。その点は保留としましょう。


<今日の英語>

Don't count your chickens before they hatch.
取らぬ狸の皮算用をしてはいけない。


レイオフされてから正社員の仕事をずっと探してきた女性。テンプの契約社員から本採用にしますという話が何度も出ては消えてしまい、がっかりした経緯を語ったときの一言。直訳: 卵からかえる前に、鶏の数を数えてはいけない。before 以下を省略して、Don't count your chickens.とだけ言うこともある。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  わたし  |  コメント(4)

子どもの日本語とアイデンティティ

2009.11.24 (火)


久しぶりに日本人の友人Nさんと話した。

彼女のご主人は日本人で、小5の男の子と小3の女の子がいる。ご両親に似て、2人とも文武両道に長けており、しかも妹はとても可愛い。

専業主婦の私と違って、Nさんは仕事をしている。多忙なのに、お子さんの日本語教育にも熱心で、補習校はもちろんのこと、毎年夏の体験入学のほかに、年末年始にも一家で帰国する。

休暇を取りやすい仕事だとしても、私はそのエネルギーにただ圧倒されていた。

それが、去年の終わり頃から、「うちの子の日本語はもうだめかもしれない。」とNさんがこぼし始めた。読み書きはどんどん遅れているし、兄妹の間はもちろん英語。両親との会話もだんだん英語に押されているということだった。

私の夫は英語しかできないので、私は子どものほうを向いては日本語で、夫のほうを向いては英語で話さなくてはならない。両親とも日本人だったら「家の外は英語、家の中は日本語」という、バイリンガル教育には理想的な環境だなとうらやましかったのだが、現実は厳しいらしい。

読み書きが難しいのはわかる。うちの子供たちだって補習校に行ったけれど、漢字は小3あたりでついていけなくなり、補習校を離れてからはほとんど忘れたと思う。

でも、長男も次男も、私に対してはいまだに日本語で話すのだ。

生まれたときからそうだったので、今さら英語で話すのはお互いに照れくさい。それに、私の英語はどうしたって間違いがある。見逃してくれる大人と違って、子どもはいちいち指摘するので、話の内容に集中できないかもしれない。

          *

親の英語のレベルによるのかなと思って、Nさんに聞いてみた。

「Nさんの英語が上手だからじゃない? 仕事で通用する英語だから、子どもたちも英語でいいんだと思うんじゃない?」

「そうじゃないのよ。やっぱり言いたいことがちゃんと言えるだけの日本語力がないのよ。だから、じりじり英語の部分が増えてきたんだと思う。私も忙しいから、日本語で話しかけて英語で返事が来ても、見逃すことがあるしね。」

「でも、ちゃんと補習校にも通って、がんばってるじゃない。」

「もう来てるだけって感じよ。それに、長男がね、ぼくは Asian American だから日本語ができなくてもいいんだって言うの。」

Asian だからこそ、日本語ができたほうがいいんじゃないの?」

「そうじゃなくて、American ってとこがポイントらしいの。アメリカ人だから英語だけでいいって。でも、将来どうなるかわからないから、日本語ができたほうがいいよって言ったんだけどねえ。」

お子さんたちの外見は純日本人。Nさん一家はほぼ白人だけが住む、裕福な町に住んでいる。11歳の息子さんはそういう環境で育ち、自分のアイデンティティを気にする年頃になったのか。

          *

うちの子供たちは、父親が白人なので、ぱっと見て「いかにも混血」という顔をしている。

長男は、次男よりも日本の血が濃く出ている。次男のほうが色白で、体格もよく、目の色は薄く、髪も柔らかい(ただし、長男のほうが鼻筋が通っていて全体に整った顔をしているので、次男より見栄えがいいと評される)。

そのせいかどうかわからないが、長男は最近こんなことを言う。

おかあさん、ぼく、何人に見える?

「アメリカ人と日本人が半分ずつでしょ。」

「そうじゃなくて、ぼくはアメリカの学校に行くと、絶対日本人に見られるんだよ。」

「そうそう。アメリカ人(長男の学校はほぼ白人のみ)の中にいると、すぐわかるわよ。やっぱり顔が違うもんねえ。補習校だって、ハーフの子はすぐわかったじゃない。」

「それで日本に行くと、みんなぼくのことを見る。アメリカ人だから。」

「そうそう。だって、どう見ても白人の血が入ってるもんねえ。やっぱり顔が違うのよ。

こういう会話は結論が出ない。

私は馬鹿の一つ覚えみたいに、どうしたって外見が違うんだからとしか説明のしようがない。長男も言いたいことだけ言って、「そっかー。そうだよねー。」で終わる。まだそれ以上の話はしない。

          *

精神的にずっと幼かった長男だが、15歳にしてやっと自分のアイデンティティを模索し始めたらしい。

2歳下の次男は、まだそんなことは言わない。もっとも、長男のほうが何でも話すタイプなので、次男は次男で考えるところがあるのに言わないだけかもしれない。

次男の日本語は、長男のより劣る。最近、「えっと、あの」が増えてきてイライラさせられるのだが、日本語を探しながら話しているのが手に取るようにわかるので、気の短い私も辛抱強く聞くことにしている。

学校はもちろん、友だち、ご近所、兄弟、父親、テレビ、パソコン、本その他すべて英語である。生まれたときから日本語と英語の両方で育ってきたとはいえ、勢力地図があるとしたら、日本語はとっくに辺境に追いやられているのだ。

いつかは私への返事も英語になるかもしれないが、今のところは、私と子どもたち(プラス猫2匹)で、日本語のちっぽけな世界を作っている。


<今日の英語>

I would say the chances are fifty-fifty.
確率は5分5分だろうと思います。


遺伝病の可能性を探るために、DNA検査をするという人の一言。



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  子ども  |  コメント(5)

愛人ごっこ その68

2009.11.25 (水)


(前回その67の続き)

パヴェルがドイツに帰ってしまっても、私はそれほど落ち込まなかった。

私たちの間は1年目よりもっと近く、もっと深くなっていたし、再びニューヨークに来てくれただけでよかったではないかと自分を納得させた。

2人で過ごした一夜のあと、私たちの関係は少しばかり変わったかもしれない。私はパヴェルの存在を自分と切り離して考えられるようになり、地理的にも心理的にも距離を置けるようになっていた。

それでも、ときおり彼がとても恋しくなるのは同じだった。

パヴェルは大学生活に戻り、また勉強とアルバイトで忙しい日々となったが、私へのメールは頻繁ではないにしろ、決して途切れなかった。ちゃんと私の誕生日を覚えていて、ヨーロッパのチョコレートを送ってくれたりもした。

私たちはお互いの生活からベラルーシの政情まで、あらゆることについて意見を交換した。彼の英語は日ごとに上達し、私を驚かせた。

・・・

「誰かいい人見つかった?」

「残念ながら、まだ。でも、この間ロシア人の男の人と知り合いになったよ。彼がスーパーで独り言を言ってたんだけど、ロシア語でののしっててね。それで、ぼくがロシア語で話しかけたら意気投合したんだ。いっしょに出かけたり、サッカーやったりしてる。奥さんとは離婚してるんだって。でも子どもたちはもう成人してるって言ってた。」

それじゃあ、パヴェルの父親と同じくらいの年じゃないの。やっぱりロシア語が話したくなったのかな。あいかわらず気安く友だちを作る子ね。変な人にひっかからないといいけど。

それにしても、どうして彼女ができないのかしら。

私はパヴェルに特定の女性がいなくて嬉しいような、でも彼のためにはかわいそうな気もした。

そのうちに、ちょっと親しくなった女性が現れた。大学で知り合ったバヴァリア出身の娘で、休み中はそれぞれの実家に帰るから、一緒に過ごせないとパヴェルは知らせてきた。これはそう本気じゃないなと思っていたら、いつのまにか自然消滅したらしい。

・・・

パヴェルはクリスマスと新年にはまたベラルーシに帰ることにしていた。今度は飛行機でワルシャワへ飛び、そこからベラルーシへ向かう。アメリカで貯めたお金がまだ残っているのだろう。丸2日間もバスに揺られなくていいのだ。

それでも心配になった私は、パヴェルの誕生日にかこつけて彼のシティバンクの口座に250ドルを振り込んだ。

「あなたが何も要らないというから、何も送らなかったけど、誕生日にはこれで楽しく過ごしなさいな。」

「ありがとう。でも、これ以上ぼくを甘やかさないで。ぼくはアメリカで稼いだお金もあるし、こっちでも仕事してるし、ちゃんと生活できるから大丈夫。それより、ぼくがあなたのために何かできること、ない?」

彼の手をわずらわせたくなかったが、彼の気が済むように何か負担の少ないことを頼むことにした。

「じゃあ、ベラルーシに行ったら、子供向けのロシア語の絵本を1冊買って来て。私はまだロシア語の勉強をしてるんだけど、ロシア人の子どもがみんな知ってるような絵本がほしいの。小さくて薄いのを1冊でいいのよ。」

彼は私のリクエストを聞いて喜んだ。そして、ドイツに戻ってきてから、私宛に航空便で送ってくれた。

届いた箱には、ハードカバーの厚い本が2冊も入っていた。挿絵でわかったのは「大きなかぶ」だけ。他は知らない話ばかりだった。

私のロシア語ではほとんど理解できなかったが、会話集でない初めてのロシア語の本を手にして、パヴェルはこういうのを読んで育ったのかと思いを馳せた。

時代がかった挿絵と奇妙な色使い。ちょっと変わった感触の紙。何度も辞書を引きながら、一番最初に出ていたカエルの話を読んだ。

・・・

本棚に置くと、キリル文字の背表紙が目立つ。夫が「ロシア語?大きな本だね。パヴェルが送ってきたのか?」と私に聞いた。

「そうよ。私はもっと小さい本を1冊だけ頼んだんだけど。通じなかったみたい。でも、あの子らしいでしょ。」

夫は、私とパヴェルがまだ連絡を取っていたことに驚いた。それまで、私は自分の周りに壁を築き、誰にも踏み込ませなかったから。

夫が子どもたちを連れて友人のヨットに泊まりに行った夜、パヴェルがここに来ていたことも知っているのに、その後も夫は何も言わなかった。まさかパヴェルが母親と同じ年の、しかも世話になった自分の妻と逢引をしているとは思わなかったのか。それとも、夫としてのプライドが何も言わせなかったのか。

いずれにしても、パヴェルはヨーロッパにいる。そして、私から会いに行かない限り、私たちが再会する機会はないと思われた。

(次回その69に続く)



クリック募金を始めました。下記サイトにて協賛企業のリンクを各社1回クリックすると、1円ずつ募金できます。
    JWordクリック募金

 |  愛人
 | ホーム |  次のページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。