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愛人ごっこ その30

2009.08.01 (土)


(前回その29の続き)

その夜、夫が帰宅してからも私は平然とふるまっていた。

罪悪感がないのだから、おどおどしなかったし、ことさらに夫に優しくもしなかった。すべてはいつもと同じだった。

夫はパヴェルがいつドイツに出発するのかと聞いた。

「はっきりした日にちはしらないけど、あと2週間くらいじゃないの。今度聞いておくわ。」

「こうやってお金を貸してあげたのも何かの縁だよ。入学祝にノートパソコンを買ってあげようと思うんだけど、どうだろう。」

そのころ、パソコンはまだ高かったので、夫の気前のよさに私は驚いた。

「それは、彼も喜ぶと思うけど。プレゼントとしては高くない? また彼が何もお返しできないって、気に病むかもよ。」

「それほど高くないよ。大学生用によさそうなのを探してみよう。それから、ノートパソコンを入れるバッグもね。ドイツでも今の大学生はみんなパソコンを持っているんじゃないかな。パヴェルのアルバイトの給料じゃあ、いつまでたっても買えないよ。

せっかく大学入学を後押ししてあげたんだから、ちゃんと勉強して卒業できるように応援したくなったよ。」

お金の手配は私がやることにして、どんな機種にするのかは夫に任せた。

・・・

パソコンの件は、パヴェルには内緒だった。あの日から、彼は2回ほど昼間の仕事を休んで、私に会いに来た。私がお迎えに行き、彼を乗せて家に戻り、ベッドで過ごす。子どもたちが学校から戻る前に、彼を送って行く。

あいかわらずせっかちだったが、私はあまり気にならなかった。彼は私が気持ちよくなるように、いろいろ試したがった。

「性交では難しいのよ。それに私は抗うつ剤を飲んでるから、いつもオーガズムが得られるわけじゃないの。だから、心配しないで。

私はあなたのうっとりした顔を見るのが好きなのよ。あなたに気持ちよくなってほしいの。ほんとにいい顔してるのよ。」

それでも彼は私にどうしてほしいかを尋ね、唇と舌と指で私の体を飽きずにまさぐった。

私はオーガズムに達したふりはしなかった。彼が上手にやっているときはそう伝えたけれど、私たちの間でフェイクの必要はなかった。

期限付きだったからか、彼の気性なのか、べとべとしていない、奇妙にカラリとした関係であった。

変に気を回したり、気を使ったりする必要がなくて、私は居心地がよかった。

ときおり、私が10歳若かったら、彼が5年早く生まれていればなどと想像してみたが、わたしは苦学生についていくほどの勇気も自信もなかった。だいいち、子供たちを置いていく気はさらさらなかった。

それについては、彼も私もわかりすぎるくらいわかっていたので、私たちはいつも思いやりをもって、優しく接した。

次回に続く)
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 |  愛人

26時間の旅の終わり

2009.08.01 (土)



NYの自宅を出て、ちょうど26時間後に実家に着いた。

成田エキスプレスも新幹線もうまく乗り継ぎできたけれど、最後のローカル線で私たちが乗るはずだった電車が運行中止になっていた。

山奥のほうで倒木があり、町へ向かう電車が足止めをくっているが、現在は復旧しているというアナウンスがあった。

「お急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけしております。」

ところが、次の電車はいつ動くのかという情報は流れなかった。私の目的地よりもっと町寄りの駅へ向かう電車もあった。それは通常通りなのか。私の降りたい駅まで延長してくれるのか。40分後の山奥へ向かう電車は動くのか。そういう説明はいっさいなかった。

まだ夕方6時ごろで、通勤や通学の客がいた。田舎のこととて、プラットフォームにあふれるほどではない。でも、蒸し暑いし、ローカル線はラッシュ時でさえ1時間に3本程度。1本逃すと、待ち時間が長い。

それなのに、だれも何も言わない。悪態をつく人もいないし、文句を言う人もいない。3分の1はさっきからずっと携帯でメッセージを送っている。3分の1は連れと話をして、残りはただじっと前か足元を見ていた。

もしアメリカで同じような状況になり、"We apologize for the delay and thank you for your patience."だけで構内放送が終わったら、「原因は何なの? ちゃんと説明してよ。」や「いつ動くんだ?ついてないなあ。」の一言くらい誰かが言いそうな気がする。

ここが田舎だから、誰も波風を立てたくないのか、単にのんびりしているのか。


           *     *     *


私はどうなっているのか知りたくて、子供たちに荷物を任せて窓口まで行った。

「すみませんが、ここは私鉄ですから、JRのことはわかりません。2階のJR窓口でお問い合わせください。」

そうだ。ここは都会ではないが、いろいろな会社の電車が乗り入れているのだった。エスカレーターはなぜか下りしかないので、階段を駆け上がり、JRらしき窓口を探す。改札のところに駅員を見つけて、聞いてみた。

「今のアナウンスで、S駅行きは運休だとのことですが、次の電車はいつ出ますか。T駅行きはそのまま出るんですか。S駅まで延長するということはないでしょうか。」

若い駅員さんは私の問い合わせに驚いたふうで、「すみませんが、わからないので聞いてきます。」と奥へ引っ込んだ。

待つこと2分。

「すみません。まだ状況がはっきりしておりませんので、わかり次第また放送いたします。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。」

結局、わからないまま、息子たちのいるプラットフォームへ戻りかけると、構内放送があった。

「大変お待たせいたしました。2番線にR駅行きの電車が入ります。本日は大変ご迷惑をおかけしております。」

誰のせいでもないのに、謝罪の言葉がふんだんに耳に入る。謝らないアメリカ人に慣れているせいか、なんだか悪いことをしているような気になる。

いや、駅員さんを責めてるんじゃないんです。ただ、どういう事情か知りたかっただけです。そんなに謝っていただかなくても、と心の中でつぶやく。

昔の私なら、駅員に尋ねることなどしなかった。あんなふうに駅員に聞きに行く人も少ないのだろう。若い駅員さんを驚かせてしまったらしい。おばさんになっただけなのか、アメリカに感化されたか。


            *     *     *


ともかく、この電車に乗れば、S駅に行ける。階段を下りたところで、次男とかちあった。

「電車が来たから、おかあさんを探しに来たよ。」

「この電車でいいから、乗って。」

見ると長男がスーツケース3つと立っていた。

「ぼくは、弟に行っちゃだめだって行ったんだよ。おかあさんと会えなかったら、こんどはあいつが迷子になるのに。」

まあ、そんなに迷子になるほど大きな駅ではないけれど、そこで待っていろと言ったのに従えない子はいるのだ。次男のほうが心配性なのか、まだ幼いのか。 やっぱり一人旅はまだ無理だ。

歩いたほうが早いのではないかというくらいの鈍行列車に乗ること10駅。単線なので、すれ違いのときは待たなくてはならない。

息子たちは疲れていて、あといくつ?と聞く。

「もうすぐよ。あと4つ。それより、おばあちゃんに会ったら、お世話になります、よろしくお願いしますって、ちゃんと挨拶してよ。」

「わかった。」


               *     *     *


やっとS駅―夜間は無人駅で閑散としている―にすべり込む。車窓から、プラットフォームの向こう側のベンチに母が座っているのが見えた。どこかの若いお母さんと赤ちゃんも一緒。きっとご主人をお迎えに来た近所の人だろう。

もともと小柄な母が3年前よりさらに縮んで見えた。ずっと若く見えるねえと言われていたが、完全に初老の女性になっていた。

電車を降りて、橋を渡り、反対側のプラットフォームに出ると、母が立ち上がってこちらに向かって来た。

間近で見ると、母の小ささが実感できた。髪の毛もほとんど真っ白だし、少し猫背になったかもしれない。顔のしわも深い。それに、痩せた。

私よりも大きい息子たちを見て、まあまあこんなに大きくなって、と言ったきり言葉が出ない。

子供たちは、こんにちはとぺこっと頭を下げた。お世話になりますもよろしくもない。

駅から実家まではほんの少しなので、4人で歩く。

「まあ、らくになっただねえ。荷物も持ってもらえて。晩ごはん、作ってあるで。ほら、車が来たよ。」

見上げるような息子たちに、車に轢かれないように気をつけろと促す。

玄関に入る前に、息子たちには靴を脱いでよと再度申し渡した。NYでも土足厳禁の生活だが、きっちりした境界がないし、修理屋などは作業靴のままなので、日本ほど徹底していない。

次男はたたきのところで靴を脱いだのはいいが、靴下のままでたたきにおりた。3年前と同じである。

「それじゃあ、靴下が汚れるでしょ。汚れた靴下であがったら床が汚れるじゃない。ここは靴だけ、靴下をはいた足はこっち。」

3人が玄関に立つと、なんだか狭い。子供たちが大きくなったのだ。


               *     *     *


荷解きもそこそこに、長男、次男、私の順にシャワーに入る。

すでに布団も敷いてあった。シーツは糊でパリッとしている。ずぼらな私はそんなことはやったことがない。

エアコンがゆるく効いた部屋で、低いテーブルで夕食。ざぶとんなので、子供たちは最初正座をしていたが、すぐに足がしびれてしまった。それは私も同じこと。

子供たちは母の用意した巻き寿司やえびの中華風やら、すいかや白桃など、テーブル一杯の料理をどれもおいしいと言って、パクパク食べた。

小さいときは、ふだんアメリカで食べるものと実家の母が出すものとちがっていたのか、幼かったせいなのか、あれもいやこれもいやで私も母も苦労したが、今回はそんなこともなさそうだ。ティーンエージャーなんだから、ともかくお腹が膨れればいいのかな。

出かける前に、ここはおばあちゃんの家で、おばあちゃんのルールがあるんだから、私たちの分のご飯を作るのは大変なんだから、と言い聞かせておいたのがよかったかもしれない(もっとも、彼らは私の母の料理好きを知っている)。


            *     *     *


出発直前は例によって「出かけたくない」病に取り付かれていた私だったが、着いてみれば、そんなに遠くもないような気がする。

特に今回は子供たちが大きくなったせいか、疲労度がぜんぜん違う。それに飛行機の中でトランキライザーを2回服用して、ほとんど寝ていたから、休息できた。子供たちをほったらかして寝ることができたのも今回が初めてだった。

無事到着した、ねこの世話をよろしくというメールを夫に出した。私たちだけで日本に旅行させてくれてありがとうの一言とともに。

気兼ねしているわけではないが、そう言っておくほうが万事うまくいくのである。




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夫の父が倒れた

2009.08.01 (土)



NYで留守番をしている夫から電話が入った。

「メール見たよ。」

「猫はどうしてるの。猫トイレ、きれいにした? お水、替えた?」

「ちゃんとやってるよ。猫はいいんだけど、リン(夫の継母)から電話があってね。」

なんだか沈んだ声。いやな予感がする。

「お父さんの具合が悪くなって、さっき救急車を呼んだそうだ。なんだかここ数日、すごく汗をかいていて、何度か転んだらしい。アンドリュー(リンの孫息子)がカリフォルニアの大学に通うために、先月から一緒に住んでいてよかったよ。彼が助け起こしたらしい。」

夫の父は85歳。心臓発作も起こしたし、耳は聞こえなくなったし、腰は昔の事故でいつも痛みがあるし、もう何が起こってもおかしくない。

「リンはぼくに来てほしいと言ってる。ぼくも今度は危ないという気がする。」

もちろん、夫にはすぐにカリフォルニアに飛んでほしい。こんなときに日本に来てしまって、なんとタイミングの悪いこと。やっぱり今年の夏はカリフォルニアに行くべきだったか。

「いや、むしろ都合はいいよ。ぼく1人のほうが動きやすいしね。それに、今は仕事を休んでる身だから、時間の融通は利く。まだいつ出かけるかわからないけど。リンから連絡が入ることになってる。郵便を止める以外にやるべきことはあるかな。」

頭の中がぐるぐるして、とっさには思いつかない。戸締りをして、トースターのコンセントなんかを抜いて、二階の窓も全部閉めていって。ちょっと考えて、あとでメールするわ。

     *     *     *

夫はこれから飛行機の予約をしなければならない。親の危篤ということで便宜を図ってくれるかどうか。

猫2匹は獣医に預けなければいけない。兄猫はともかく、臆病な妹猫が素直にかごにはいってくれるかどうか。

予定外の出費だけれど、そんなことは言っていられない。

母に事情を説明すると、

「あんたもこの子たちを連れて、帰らんでいいだかん。カリフォルニアのおじいさんが会いたがってるかもしれんで。」

母は、日本なら長男の嫁として当然すぐにかけつけねばならないと考えているようだ。

私はともかく、子供たちは血がつながった孫である。でも、日本に着いたばかりで、すぐにカリフォルニアに行くことはできない。

初めて会ったときから、夫の父は私に本当によくしてくれた。アメリカでも義理家族との軋轢で苦労している日本人がいるのに、私にはこれ以上望めないくらいの舅と姑がいるのだ。

私がどれだけ感謝しているか、彼のおかげでここまでやってこれたか、今まで面と向かって伝えたことはない。

去年、カリフォルニアに1週間滞在したとき、おやすみを言ったある夜、そう言おうかな、言いたいなとふと思った。でも、なんだか照れくさくて言えなかった。言わなくても、わかってくれてるとは思う。でも、言わなくてはいけなかったのだ。

まだ容態は断片的にしかわからない。もともと事務的な話をするのが苦手なリン。相当取り乱しているだろう。アンドリューが頼りだ。

ともかく、夫からの連絡を待つ。




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手術の前に

2009.08.02 (日)



夫の父はICUにいる。

検査の結果、gallbladder infection つまり胆嚢(たんのう)が何かの菌に感染していたそうだ。どの程度の症状なのかわからないが、手術が必要だという。

でも、心臓が手術に耐えられるかどうかをまず調べなくてはならない。大丈夫と判断されたら、水曜日に手術が行われる。どんな手術かまでは、夫も私に説明しなかった。

夫の継母リンはやはり夫に来てほしいとのことで、夫は自分の医者に会った後、水曜日にカリフォルニアに飛ぶ。夫の弟はアリゾナ、リンの実の娘二人はカリフォルニアとユタに住んでいるので、うちが一番遠い。こういうとき、アメリカ大陸の広さが歯がゆい。

リンは、手術のあと何日かは病院で回復を待ち、そのあとは一時的にナーシングホームに入れるつもりでいる。そして、自宅で世話ができると確信できてから自宅に連れて帰る。

母にそう告げたら、「アメリカの人はハッキリしとるね。」

リンは去年私が遊びに行ったときも、彼の衰えについて話していたときにそう言っていた。もし彼が動けなくなったら、ナーシングホームに入ってもらうわ。

夫の父は背は低いが太り気味。リンは85歳の夫よりずいぶん若いし、活動的だが、10年位前に水道の蛇口で右手の指の神経を痛めてから、何本かに力が入らない。世話はできないと悟っていた。

私はきっとそれが一番いいと思い、彼女に同意した。だから今回の決断にも驚かなかった。私もリンと同じく、かなり年上の夫が老いたときに看病する自信はない。もっとも、ナーシングホームに入れられるだけの資産があるかどうかもわからないけれど。

     *     *     *

夫はすでに猫たちを獣医に預けてきた。捕獲に3時間かかったそうな。

かごを見て危険を察知したらしい2匹は、しばらく隠れて出てこなかった。そのうち、お腹を空かせた兄猫が現れて、でも夫は捕まえ損ない、それでもソファの下から引きずり出して、まず1匹をかごに入れた。

妹猫は、夫がバスルームの窓を開けて、静かに本を読んでいたら、出てきた(窓から外を見るのが好きで、窓が開いていて網戸だけだともっと好き)。夫がさっとバスルームに入ってドアを閉めると、妹猫はなぜかシンクに入って、シャーシャー怒り始めた。

夫が何度か捕まえようとしたが、手が出せない。いよいよ覚悟を決めて手を伸ばした瞬間に、自分からかごの中に飛び込んだ。

触られるのが嫌いなので、どうせかごに入れられるならと自分で入るわよと思ったのかどうか。

夫は引っかき傷をこしらえたが、これで任務遂行。やっと獣医に連れて行った。

父親の病因がわかり、夫もいくらか落ち着いた様子が伺えた。手術の経過によっては、夫もしばらくカリフォルニアに残る。

長期間留守にするときにいつもそうするように、お向かいのSTさんに一言伝えるように夫に頼んだ。安全な田舎町だし、これまで何のトラブルもなかったけれど、そのほうが安心できる。

私はこれからお見舞いのカードを買いに出かける。他に何かできることはないだろうか。絵の得意な長男に、カリフォルニアの家にいる犬2匹の4コマまんがを描かせて同封してみようか。



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日本にいるんだなあと思うこと

2009.08.02 (日)


久しぶりに日本にいると、自分の国なのにいろいろなことに気付く。

道行く人が目を合わせない。うつむき加減というか、目をそらすというか、知らん顔をする。それでいて、タンクトップとショートパンツのわたしをちらっと観察しているように見える。

アメリカで全然知らない人とでも、たとえばスーパーの通路でかち合ったりすると、にこっとして、ごめんなさいねなどと言うのが普通である。

日本のスーパーでぶつかりそうになって、「すみません。」と謝ったが、相手はちょっと頭を下げ、無言でカートを動かした。もちろん私の顔を見ない。すみませんなどと言ってはいけなかったか。以心伝心で黙ってお互いに通りやすいようにカートを動かせばよかったのか。

アメリカで商品を手に取っていると、赤の他人から「それ、おいしいの?」などと聞かれることがあるが、ここではなさそうだ。

どちらがいいかではなく、違うのである。

このへんは田舎でグルメでもなんでもないが、3年ぶりのスーパーなので、商品のきれいさ(野菜がピカピカに洗ってある)や陳列の賢さ(わかりやすいし取りやすい)、お店全体の整理整頓のよさなどに感激する。それに、小柄な私でも一番上の棚に手が届くありがたさ。手ごろな大きさのカート。

店員に日焼け止めクリームがどこか尋ねたら、わざわざ売り場まで先導してくれた。アメリカで同じことをして、「それは、7番の通路。」で片付けられたり、せいぜい「7番通路の奥のほう。右の下のへんを見て。」と遠くを指し示されたりするのに慣れているので、店員のきめ細やかな対応、親切さが新鮮に映る。

そして、店員がてきぱき働いている。無駄口はたたかない。アメリカでもそういう店員はいるが、日本では全員がそうなのだ。隣のレジの人と、大きな声でおしゃべりする人なんかいない。棚に並べる人も魚売り場でも、非常に能率的で仕事が速い。しかも丁寧。

このスーパーをNYにそっくり移植したくなる。

でも、レジの人のあいさつが機械的なのに違和感を覚える。つい「こんにちは。」と言ってしまったが、返事はない。すごいスピードで処理していく。笑顔はないし、目が合わない。

アメリカでも無愛想なレジ係はいるが、ちょっとした会話をすることも多いので、それがまったくないのはなんだか寂しい。

     *     *     *

アメリカではめったにTVを見ない私だが、日本ではわりと見る。

昔から出ている芸能人がすごく歳を取っている。若い人たちは区別がつかない。とくに女の子はそっくりな髪型や化粧、服装に見える。

TV画面の下に、出演者のせりふがかなり大きい文字で表示される。あれはいったいなんだろうか。

最初は耳の聞こえない人へのサービス(アメリカでいうClosed Captionsと呼ばれる字幕)かと思ったが、全部のせりふがそうなっているのではない。NHKでも民放でもやっている。画面が見にくくて邪魔である。だいたい、字幕にしてもらわなくても聞いていればわかる。放送局の意図がつかめない。

ニュース番組がたとえば正確に7時ピッタリに始まる。すごい。時計代わりになる。アメリカでは必ずしもそうではない。

そして、アナウンサーやキャスターが何度も何度もお辞儀する。出演者が声をそろえて、「えー!」などと反応する。奇抜な衣装も珍しい。

NHKはとってもまじめで、民放はすごくふざけている感じ。優等生か馬鹿騒ぎグループに二極化している感じ。

TVに出るいろんな人(キャスターやホスト、ゲスト、インタビューされる人など)が、なぜかうなずきながらしゃべる。自分に相槌を打ちながら話す感じ。聞いているほうもなんだかうなずくので、画面を見ているとクラクラする。

若田さんのヒューストンでの記者会見を見た。日本語で話したときは、彼もやはりうなずいていた。英語のときはそうではなかったと思う。

私も日本語を話すときは、自分の言うことにうなずきながら話しているのだろうか。なんだか気になる。



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日本で散髪

2009.08.03 (月)


伸びていた子供たちの髪を切って来いと母が言う。

ふだんはNYの格安サロンでやっていたが、実家近くのお店の値段を聞いて、日本でやろうと思い、母にもそう伝えておいた。

たった1050円で、散髪も洗髪もしてくれるのだ。しかも、チップ不要。

NYではただ髪を切るだけで16ドルは払う。それにチップを入れたら20ドル近い。金額だけでも日本の倍である。それに、技術とサービスを考えたら、なんとも高い。

男の子の髪だから適当でいいのだが、それにしても毎回もう少しどうにかできないものかと思っていた。なんだか曲がっているし、終わったあとは顔にも首や背中にも髪の毛がたくさん付いている。

子供たちは前にも日本で髪を切ったことがある。

長男はご機嫌だったが、次男はくしが耳に当たって痛かったらしく、終わったらめそめそしていた。「じゃあ、耳に当たって痛いですって言えばよかったじゃない。」とあきれたが、まだ小さかったので、我慢していたらしい。しかも、二人とも洗髪はいやだと言って、拒否した。なんと、もったいない。

今回は、日本の美容師がいかに上手か、洗髪がどれほど気持ちいいかなどを吹き込んでおいたので、二人ともフルサービスを受けるつもりでいる。

     *     *     *

私はもう少し後でもいいと思ったが、私以上に男の長髪がきらいな母は早速に連れて行った。私も後を追いかける。

きれいな店内には雑誌がきれいに扇形に並べてあり、壁一面にベンチがあった。私が日本円を探している間に、母がさっさと支払っていた。ここは前払いである。

切り始める前に、美容師さんが子どもたちと私にどうしてほしいか聞いてくれる。私は短ければいいので、日本語の練習と思って、子どもたちに説明させた。

ちょうど今しがた、高校生らしい男の子の散髪が終わったばかりだったので、ああいう感じということで次男は決まり。長男は、今の髪型でただ短くしてほしいとのこと。

次男はほとんどバリカンで短くしていたが、頭の上のほうははさみで微調整。なんどかベビーパウダーをかけるので、どうしてですかと聞いたら、そのほうがまっすぐ揃えやすいそうだ。細やかさに感心する。

長男のほうは、店長さんらしき人がハサミとクシで丁寧に短くしていく。時間がかかりそうだと思ったが、それでもあっという間に終わって、二人ともいすの前にあるシンクで洗ってもらっている。アメリカでは上を向いているけれど、日本は下を向けばいい。

そのあとは、ホカホカのタオルを渡されて、二人とも極楽の顔をしていた。

これで1050円。思わずチップをはずみたくなる。

どこでもドアがあれば、毎回ここに連れてきたいところである。

私はアメリカでは切るだけで50ドル。染めると150ドルも払う。しかも、チップをあげる。上手だから満足しているけれど、安くない。この格安サロンなら、たぶん5000円でやってもらえそうである。安くても腕はいい。

これで採算が取れるのだろうかと心配になるが、帰る前にもう一度子どもたちを連れてきて、私もやってもらうことにする。飛行機代をかけて日本に来た甲斐があるというものである。



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早められた手術

2009.08.04 (火)



※コメントくださった皆さんへ

コメントありがとうございます。インターネットを使える時間が限られているので、すみませんがしばらくお返事できそうにありません。

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水曜日に予定されていた夫の父の手術が2日早められた。

心臓が手術に耐えうると判断されたのか、猶予の無い状態だったのかわからない。夫によると、麻酔医は「目覚めることを保証できない」として、最後まで反対していたという。

しかも、負担が大きいからなるべくやらないと聞いていた開腹手術になってしまい、7時間かかった上、出血が多かった。手術後いったん意識を取り戻したが、今は薬で眠らされている。

心身ともに疲れ果てているだろうリンからは、それ以上のことは夫も聞き出せなかったらしい。手術が成功したのかどうかもわからない。とりあえず、確実にわかっているのは麻酔から一度は目覚めたことだけ。

カリフォルニア行きの支度をしている夫が言った。

「濃いチャコールグレーのスーツを持っていく。」

見舞いと看病に行くはずが、いつ葬式になるかわからない。私は返事ができなかった。

オレンジ郡の立派な病院らしいので、あとは医療チームを信頼して任せるしかない。日本と違って、付き添いは不要だから、夫はもっぱらリンの話し相手として彼女を精神的に支え、医者の話を聞くために行く。

     *     *     *

アリゾナ在住の夫の弟は、もう病院にいるのだろうか。

毎週電話で話す私と姉とは違って、夫と弟は1年に1回なんらかのコンタクトがあればいいほうなのだ。2歳違いの兄弟として、小さい時から競争してきた。

それは夫の父の方針でもあり、何につけても競争心をあおって、切磋琢磨させて2人を伸ばそうとしていたらしい。本人たちの努力もあっただろうけれど、結果として2人そろってアイビーリーグに進学した下地にもなったと思う。

でも、それが裏目に出て、今も衝突しやすい。

それでも、夫の弟は必ず誕生日に本を1冊郵送してくれるし、夫は弟一家に対していつも協力的である。弟よりも、弟の奥さんや甥っ子姪っ子たちと気安くしている。弟も私にはほんとうによくしてくれるし、失礼な事を言われたことは一度もない。緊張感があるのは兄弟の間だけなのだ。

たまにカリフォルニアで私たちと弟一家が合流すると、なるべく兄弟2人だけにしないように私たちみんなが気をつける。ちょっとしたことで競争心が表面化して、くだらない争いが起きないように。

そんなに喧嘩ばかりしているのではないが、お互いにへんなプライドがあるのだろう。

     *     *     *

弟夫婦は私たちより1年前に結婚したのだが、あちらはすぐに子供ができた。私は子供が苦手で、外国で子供を生み育てる決心もつかなくて、5年待った。夫も同意していたのに、「あいつが先に孫を進呈すると思ってたよ。」とぶつくさ言っていた。

ところが、あちらは二人続けて女の子が生まれた。そのうち、私は長男を生み、てっきり女の子が生まれると思って男の子の名前は考えていなかったので、祖父とまるっきり同じ名前にした(夫もファーストネームだけは祖父と同じ。アメリカでは珍しくない。)

夫の弟はおもしろくなかっただろう。ところが3人目も女の子。これで終わりだろうと思ったら、奥さんが4人目を身ごもった。彼女は乗り気ではなかったらしいが、あちらの夫婦関係は夫がすべて仕切っている。男の子が生まれて、親戚一同ほっとした。

結局うちは男の子2人、あちらは女の子3人と男の子1人。夫がそれとなく優位に立っているような気配を見せる。私と夫の義妹デビーは「バッカじゃないの?」と顔を見合わせたものだ。

従兄弟達が一致協力して、「ダディ、こっち来て。」「おじさん、ビーチに行こうよ。」と引き離す努力をするのも、なんだかおかしい。まあ、そんなに深刻なことではないということだ。

ただ、ストレスの大きい状況では再燃しやすい。

私の父も祖父の葬式の時に、3人の叔母たちや祖母と言い争いをしていた。普段はぜんぜんそんなことがなかったのに。今回はもう大学生の甥っ子(継母の孫なので血はつながっていない)アンドリューが一緒にいるから、彼が中和剤になってくれるといいけれど。

     *     *     *

うちの長男と次男は、たまにはけんかもするし、長男が次男をうっとうしがっていることもあるが、しょっちゅうつるんでいる。長男は絵が得意で、次男は勉強が得意。長男は小柄で次男は大きめ。あまり競合することもない。

2人が笑い転げていたり、くっついて話し込んだり遊んでいたりするのを見て、夫がしみじみ言う。

「ああいう兄弟に育ってくれてよかったよ。」

夫と弟も、心の中ではそうなのだ。ただ、小さい時からの競争で、素直に表現できないだけ。いざとなれば、絶対に助け合うことはみんながわかっているが、老齢の父親の病気で久しぶりに顔を合わせるという状況が少し心配でもある。



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食べ物がやたらとおいしい日本

2009.08.05 (水)


実家で上げ膳据え膳の生活をしている。

料理好きな母なので、私は何も作らせてもらえない。自分の台所を守りたいのと、私の下手な料理を食べたくないのと両方なのだろう。私は楽ちんなので、食べたいものをリクエストしたり、母のメニューを承認したり却下したりするだけである。

牛乳やバターがどうしてこんなにおいしいんだろうと思えるほど、おいしい。

ここは田舎なので、グルメショップはない。ちょっと大き目のスーパーで普通のブランドを買う。それなのに、成分無調整牛乳のおいしいこと。バターもうまいので、てっきりグルメの姉が横浜から送ってきたものかと思ったら、母は近所のスーパーで売っていたセール品だと言う。

私は食べ物はケチらないので、バターはNYで買えるいいものを使っているが、それよりもずっとおいしいのである。

おにぎりやお味噌汁などもうまい。日本の湿気がいいのだろうか。アメリカでは、おにぎりがなんだかぱさついて味気ない。

ぶどう(デラウェア)も、アメリカのスーパーで売っている緑か紫の大味で大粒の品種とは比べものにならない。子供たちは一人一房ずつ平らげてしまった。

     *     *     *

母を休ませようと思って、今日の昼食は歩いて10分ほどのところにある小さいレストランに子供たちを連れて行った。私は知らなかったが、もう10年前くらいからやっているお店らしい。

個人経営のOlive Gardenといった雰囲気の店で、パスタとピザをメインに出す。ランチには、サラダと飲み物が付いている。サラダはサラダバーから自分で取るのだが、スープやちょっとしたイタリア風惣菜やパンも置いてあった。それがおかわり自由。

長男は牛ひき肉とたまねぎをデミグラスでまとめたソースがかかっているスパゲティ(1200円)。次男はスモークサーモンとえびのクリームソースのスパゲティ(1300円)。私は、魚介のリゾットと魚介の冷製トマトパスタ(1400円)。これは2品で1セットのスペシャル)。

スープはじゃがいものクリームスープ。それをデミグラスカップみたいな小さいカップに自分でよそう。次男は4回もおかわりして、そのうちお店の人に目をつけられるのではないかと思った。

ウェイトレスが運んできた料理を見て、「少ない。」と言った次男だが、満腹したらしい。量は十分あった。アメリカの食べきれない量に比べて、ごく妥当だった。

私の住んでいるNYの田舎では、イタリアンレストランと名うっているのに、リゾットを出すところが一軒もない。すべてピザかパスタ。それも、スパゲティミートボールなどである。日本では、こんな田舎でもちゃんとしたリゾットが出てくる。

アメリカではテーブルによってサービスするウェイトレスが決まっているが、ここは日本。手の空いた人が誰でも来てくれる。そして、テーブルに着く前から、てきぱきとして気持ちのいい対応をしてくれた。水のおかわりもすぐ持ってきてくれるし、質問すればにこやかに丁寧に答える。

NYでのウェイトレスやウェイターとの会話など平気な私も、こうやって日本語で注文し、話ができるのはなんともうれしい。

またしても、チップ不要なのだが、チップをあげたくなってしまう。

長男が「チップあげたらどうなるの。」とたずねるので、「お気持ちだけでって、断るんじゃない。」と言っておいた。

私たちは食べ終わってしばらくテーブルにいた。アメリカで、ウェイターがお勘定をテーブルに持ってきてクレジットカードを受け取るのに慣れているので、日本では入り口のレジで精算するのを思い出すのにちょっと時間がかかった。

ここが田舎だからかもしれないが、奥のキッチンで見えるスタッフもきびきびしているし、素朴なウェイトレス(全員がわかい小柄な女の子で、かわいいエプロンをしていた)もこれが接客ですという感じで見とれてしまった。

こういうお店に、うちの近所の全米チェーン店と入れ替わってほしいものである。

     *     *     *

私たちが遊びに来ていると知った母の友人たちが、やたらと食べ物を届けてくれる。また、姉は横浜のデパートで高級お惣菜やお茶、発音できないお菓子屋のクッキーやらケーキを宅配便で送ってくれる。

ふだんは車に頼りっぱなしで、しかも極力外出しない生活なので、日本滞在1週間で、確実にいつもの1ヶ月分は歩いている。それなのに、一向に痩せる気配がない。

食べるものがおいしいし、しかも途切れることなく差し入れされるし、母はもっと食べろと言うし、「ダイエットは明日から。」の繰り返し。

長男が、「おばあちゃんはぼくがお腹いっぱいと言ってるのに、どうしてももっと食べなさいって言うの?」と私に聞くが、私も同じ目に合っているのである。



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日本でメガネ屋に行く

2009.08.06 (木)


アメリカで作ったメガネがどうにも使いにくいので、出発前から日本でメガネを作ろうと思っていた。

こんな田舎にもチェーン店が進出していた。

お客は誰もいない。店員は中年の男性二人であった。持参したメガネを出して、フレームはそのままでレンズだけ代えられるか聞いてみた。

私はアメリカの目医者に併設されたメガネ屋で作るので、あまり考えなしに適当に顔に合うフレームを選んでいた。どこのメーカーなのかも知らなかった。

「こちらはデンマーク製ですね。これは同じ様なものを扱っておりますので、大丈夫です。こちらはオーストリア製と書いてあります。申し訳ないですが、こういうフレームは扱っておりません。」

とりあえず、今のメガネの度が合っているか調べてもらい、検眼もしてもらうことになった。

アメリカでもコンピュータ化された検眼であるが、日本のほうが進んでいる気がした。それでも、イメージを比べてどちらがはっきり見えるかという質問には困った。私はいつでもそうなのだ。よほどの違いでなければ、決めかねる。優柔不断なのである。

それでも、何度かレンズを換えて、検眼が終わった。アメリカのメガネのとあまり変わらないという。じゃあアメリカの検眼もちゃんとできていたわけだ。

ただし、オーストリア製のメガネは度が強すぎるという。それは私がどっちが見やすいかはっきり答えられなかったせいかもしれないが、たぶんアメリカの目医者でデンマーク製のメガネが使いづらいと相談したので、強めにしてくれたのかもしれない。

店員さんは私に図を書きながら、近視、乱視、老眼、遠視の違いを説明してくれた。私は遠視以外すべて当てはまる。

そして、アメリカで作ったメガネは遠近両方であるが、老眼鏡の焦点となるべき位置がかなり下に設定してあるという。使いにくいのはそれが原因かもしれない。だいたい私は遠近両用レンズのコツがいまいちつかめない。

メガネが手放せない生活なので、度が強すぎるメガネはもうないものと考えて、日本でフレームも新しく作ることにした。

     *     *    *

とにかく軽い物ということで見せて貰ったが、案外選択肢は少ない。一つだけこれならというものを渡される。今のよりもちょっと角張っているが、軽い。なんだかおしゃれで、「これじゃあ、私の顔が負けて見えませんか。」と聞いてみたが、店員は「いやあ、そんなことは。」とあいまいに笑う。

フレーム選びにも優柔不断な私は、アメリカでは店員にどれがいいかアドバイスしてもらうのに慣れている。特に色に関わることは、芸術センスゼロを自覚しているので、店員に一番に合うのを選んで貰う。店員も、いくつか出してきて、「これがいい。」と言う。私が迷っていると、さらに強くすすめたりする。

一度は紫がかったピンクの金属フレームだったので、私は二の足を踏んだが、作ってみたら日本人にもアメリカ人にも似合うとほめられた。それ以来、自分よりも店員のセンスを信じている。

今回のフレームについても、レンズの周りはフレームなしだが、ツルのところは8色から選べる。サンプルはサファイヤブルー。カタログから他の色を選ぶことにしたけれど、まったく決まらない。消去法で、黒はだめ、緑も駄目として、半分にした。

お店の人に「どれが似合うと思いますか。」と聞いたが、「それはお客様のお好みで。」「人気のある色はどれですか。」「いろいろですねえ。」「目立たないのが好きだから、透明でもいいんですけど、どうせなら赤とかどうでしょう。」「赤、ですか。それはもうお客様がよろしければ。」

私は途方にくれた。彼はおそらく何百人ものメガネを作ってきただろう。似合うか似合わないか、鼻の形からして落ち着きが良いかどうかなど、私より精通しているはずである。

「このデンマーク製のは、メガネ屋さんのお勧めで作ったんです。どうかなあと思ったんですけど、めんどくさくってそのまま言われる通りにしたら、日本人アメリカ人を問わず、いろんな人から褒められて驚きました。」

私は、メガネ屋のセンスを信じてますとそれとなくほのめかしたつもりだったが、「そうですか。」

アメリカのメガネ屋で調整に行ったとき「あなたが薦めてくれたこのフレーム、すごく褒められるのよ。」と言ったら、彼は「そうでしょう? ほんとに似合いますよ。」と自信たっぷりだった。

私は客観的なプロの意見がほしかったのだが、それは期待できそうになかった。遠慮からか、失礼だからか。もしお客が気に入らなかったら悪いからか。日本の謙虚な店員が自信満々にふるまうとは思っていないが、なんだか肩透かしをくったような気分になった。

私の優柔不断さと自信のなさが一番いけないのである。

結局、10日ほどでできるという。

よろしくお願いしますと言って、入口に向かうと、彼は先に立って、傘立てから私の傘を取り出し、うやうやしく手渡してくれた。そして、「ありがとうございました。」と腰を曲げて私に深々とお辞儀をした。

外に出て、なんだか別世界に入り込んでいたような、不可解な気持ちになった。



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子育てアドバイス -苦手克服法

2009.08.07 (金)


NHKの子育て番組を見た。

子供の苦手を克服するにはどうするかというのがテーマで、芸能人の子育てについての悩みに専門家がアドバイスしていた。

漢字が苦手な子には、粘土などで漢字を作るという漢字アートをさせたり、トイレに漢字しりとりのボードを張って家族で順番に描かせたりする。

逆上がりの苦手な子には、体育専門の家庭教師がコーチになり、芸能人の子供を実際に教えた。

コツは、蹴り上げる足を決める、鉄棒にお父さんの顔を書いたシールを張り、目を離さないように、また頭をそらせないようにさせる、ひもにつないだボールを蹴るようにして、だんだん蹴り上げる位置を高くしていく、というものだった。

手に絆創膏を張っても続けた本人の努力もあって、4日目でできるようになって、めでたしである。

私は逆上がりはできたが、運動は苦手だったし、第一めんどくさくてやる気ゼロだった。そして、害があると今では指摘されているらしいうさぎ跳びなんかをたっぷりやらされた。何につけても、理論的に指導してもらった覚えはない。

音読を嫌がる子には、母親が「その話、ママも知らない。ママに聞かせて。」と誘導するとよいとのことだった。

総括して、勉強編では「できない・わからないは宝物。」、運動編では「ちいさな『できた』をたくさん用意する。」といいのだそうだ。

うちの子どもたちはもうティーンエージャーになってしまって、手遅れの感がある。日本には、こういう手取り足取りの子育て支援番組があったのだなあと思う。

     *     *     *

30代後半か40代前半であろうゲストの一人が自分の子供時代を振り返って、親にこんなに気を使ってもらった記憶はないと言った。

確かにその通り。こんな指導は、生活が豊かになって子供が少なくなった今だからできるのである。

私も両親が自営業のために、親の前で音読をしたことなどない。机に向かって、教科書を持って自分で声を出して読んだだけ。他の科目の宿題も、自分でやって自分で持っていった。

子供たちが補習校に通っていたころ、付きっきりで教えたり、ドリルの回答を確認したり、毎晩の音読に付き合ったりしたが、時おり、「いくら外国暮らしだからって、なんでここまで面倒見なくちゃいけないの?」とよく思った。

自分の時間がほしかったせいもあるが、これでは子供たちの自立心が育たないんじゃないかと不安になった。

     *     *     *

私と姉は、両親が仕事で忙しかったので、同じ町に住んでいた祖父母と暮らした時期もあったが、明治生まれの祖母は小学校しか出ていなかった。だから、宿題は自分でやった。

国語の勉強らしきことは、川の字になって寝るときに、祖母が浦島太郎やかぐや姫などの昔話を薄暗い部屋で話して聞かせてくれたことだけである。今でも、うちわで送ってくれた風が思い出せるくらい鮮明な記憶がある。

祖母の持ち歌ならぬ持ち話はいろいろあったが、私はヤマタノオロチが一番好きだった。川の上流からお箸が流れていて、この先には人が住んでいるとわかったところや、スサノオノミコトがオロチと戦う場面など、話そのものよりも、わくわくした気分を思い出す。

それは同じ話を何度繰り返し聞いても同じだった。絵も音もなく、祖母の声だけなので、頭の中でいろいろ想像したのだろう。

母は絵本を買ったり読んだりする人ではなく、そんな時間もなかったので、ヤマタノオロチを本として読むまでにずいぶん長い時間がかかった。

補習校で日本の神話の棚に見つけて、思わず手を伸ばした。赤羽末吉の芸術的な絵は美しかったが、自分が祖母の話を聞きながら想像していたものと似ていたのかどうかはわからなかった。

祖母に最後に会ったのは、私が1歳になった次男の顔を見せに日本に来たときだった。

     *     *     *

私は子供たちに絵本をふんだんに買い求め、読んで聞かせた。祖母のように本を見ないで昔話をしてやろうと試みたこともあったが、いろんな話がごちゃごちゃになってしまって、うまくまとまらず、声色も下手な私ではおもしろくないらしく、あきらめた。

祖母が私と姉にしてくれた情操教育(もちろん、祖母はそんなことはまったく考えていなかったはずである。ただ、孫娘たちを早く寝かしつけようとしていただけ)の豊かさを思った。

そういえば、祖母は私たちをしょっちゅう褒めた。

昔話だけでなく、祖母は編み物もできたし、七輪で火をおこすこともできたし、菊作りの名人でもあった。わがままな祖父に仕えて、4人の子供を育てた。愚痴をこぼすことはなかった。

頭の中からまともな昔話ひとつ取り出せず、褒めることも苦手で、自分の時間を子供に取られるのがいやな私は、大学を出ていたって英語が話せたって、明治生まれの祖母にはかなわないと今だに思うのである。



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3年前と違うところ

2009.08.08 (土)


実家に来て1週間あまり。田舎なので、いつ来ても同じような風景なのだが、3年前に比べて変わったなあと思うことがある。

新幹線を降りて、ローカル線に乗ったとき、人が少なかった。平日の6時7時なのに、2両編成の電車ががら空きだった。夏休みだから、こんなものかな。

翌日、町の中を歩いてスーパーに向かった。子供に会わない。一度だけ、神社で網を持って虫取りをしている男の子たち数人を見かけた。子供たちはどこにいるのだろうか。家でゲームや携帯をしているのか、塾にでも通っているのか。

過疎化が進んでいるので、人口も減ってきて、出生率も下がる一方の田舎町。それが加速しているように感じる。

     *     *     *

実家は駅の近くだが、むかしは駅を中心に栄えた町も、バイパスができてから町全体がバイパスの方へ移動してしまったらしい。そうなると、車があるかないかが重要になってくる。

それなのに、駅近辺にあった商店がどんどんつぶれてしまい、母のように自転車しかない老人たちが利用できるお店が遠くになるばかり。

母は駅の売店の人と仲良しで、毎週1回週刊誌を買いに行って、他の雑誌を立ち読みしたりしていたというが、それも採算が取れなくなって閉鎖された。すでに、駅前通りの八百屋や個人スーパーなどは何年も前に消えてしまっていた。

今のところは、徒歩5分くらいでいけるスーパーがあるからいいようなものの、そのチェーン店ももっと大きなお店をバイパス沿いに開いた。最初のお店が閉店になったら、母はどうやって買出しに行くのだろうと心配になる。

町内を循環するバスを市が運行しているけれど、有料だし、ルートや時刻表を見ると、よくこんな程度でやってるなと思うくらい適当なお役所仕事である。

「未亡人クラブで市議会に乗り込んで、もっと一人暮らし老人、車のない人たちへのサービスをよくしろー!ってデモしたらどう?」と母にけしかけてみた。そんなことしたってしょうがない、何も変われへんで、という返事であった。

     *     *     *

もう一つ気になったのは、日系ブラジル人がいないこと。

3年前には、街中でもスーパーでも褐色の肌で、地元の日本人に比べて露出度の高い服装をした彼らをよく見かけた。

母は私がタンクトップやショートパンツで出かけるのを見て、「それじゃあ、ブラジルに間違えられるに。」と指摘したものだった。それで、今回は多少は保守的な服を持ってきた。腕や足を出すのは同じなので、母はもうあきらめたようだった。

「ブラジル人がいないじゃないの? 不景気で国に帰ったの?。」と言うと、「そうかね。あんまり気がつかんかったけど。」

徐々に減ったから、目立たなかったのかもしれない。

それでも、市報にはポルトガル語で書いてあるところもあり、まだ何人かは残っているのか、行政としては急に取りやめるわけにはいかないのか。

     *     *     *

今回は、日本人の髪が黒い。

3年前はかなり茶髪が目に付いたが、ブームは去ったようである。せっかくの黒髪をあんなことしてもったいないと思っていたので、特に若い女の子が黒髪をなびかせているのを見て、なんだかほっとした。

余談だが、私の外出に何度か付き合った次男が、「日本のドアって開けなくても開くね。」と一言。こんな田舎でも、小さなお店でも、確かに自動ドアが多い。アメリカではスーパーマーケットくらいか。

3年ぶりでも体が覚えているのか、私自身はそういうことには気が付かなかった。

買い物客が少ないとあっては、自動ドアもあんまり仕事がないようである。



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言語から見た国際結婚

2009.08.09 (日)


「国際結婚―多言語化する家族とアイデンティティ」(河原俊昭・岡戸浩子編著)を図書館で借りてきた。

大学教授、講師らが、言語から見た国際結婚を各章担当で論じている本で、学術書というよりは読み物に近い。日本に住む外国人妻、海外に住む日本人妻、子供たちの言語状況など、これまで読んだ同種の本の中ではよくできている。

データの母数が少ないのが難点だが、それでも傾向を読み取れるくらいのデータは揃っている。

住む国に関わらず、妻が夫の言葉を習い覚えるケースが多いらしい。うちもそうである。夫は日本語などぜんぜん覚える気がない。英語といういわば世界公用語が自由に操れるのだから、外国語を覚える動機がないのだ。

外国語でネイティブスピーカーと同等に論じるという苦労を知らない夫に、私の英語がどのようなレベルであるかというような話はしないことにしている。夫がどのように答えようと、私には無責任に聞こえて気分がよくないからである。

私と同じように、アメリカ人と結婚してアメリカに住んでいる日本人女性に補習校で会ったが、なぜか結婚生活や夫との言葉の壁についてはあまり話をしなかった。もっぱら子供の日本語能力がテーマだった。

     *     *     *

この本の中で、いろいろ共感できるコメントがあった。

あるカップルは、口論が激しくなると、お互いに母国語で言いたい放題わめく結果になり、そこまで行くと、もう言葉そのものには意味がなくなるという。

私も、昔は感情的になると外国語で冷静に話はできなかった。今では、口論もめったにないが、疲れているときや夫の相手をしたくないときは、日本語で「あっち行って。」とか「もー。」の一言で打ち切る。

アンケートへの回答で「わかるなあ。」と思ったのは、

・自分を正しく理解してもらえたか、意図せずに他人を不快にさせたりしていないか、そのあたりを乗り越える精神的なタフさを身につけるまで大変だった。

(私は今やそんなことは全く気にしていない。)

・英語の方が話しやすいトピックが多くなった。

(毎日のニュースや生活が英語の世界だし、日本語を話すときのようにニュアンスやタブーを気にしない。もしかして、私の英語がそういうレベルに達していないからかもしれない。)

・国際結婚家庭に生まれた子供は自然にバイリンガルになるというのは単なる思い込みで、「自然にはならない」とうのが実態。子供がバイリンガルになるかどうかは、親がどのように教育するかである。

(うちは、補習校は小学校で辞めたし、漢字は小学校1年生程度だけれど、会話だけはティーンエージャーの今も日本語でできる。ここまで来るのに、膨大な時間と労力と資金を費やした。それでこの程度かと嘆くか、よくやったと誇るべきか。)

・夫との会話で、ニュアンスが伝えられないある一語について揚げ足を取られると、夫は英語を使うのが当たり前という意識があると思う。

(これは今でもある。ちょっとした言い回しでごちゃごちゃ言われるとカチンとくる。でも、夫は私が正しい英語を話せるように指導してくれているのだと、なるべく素直に聞くようにしている。)

     *     *     *

それにしても、夫ではなく、子供たちに間違いを指摘されたり、発音を直されたりするのは全然カチンとこないどころか、ありがたくうれしいのはなぜだろう。



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「山猫」

2009.08.11 (火)


NHK衛星放送でルキノ・ヴィスコンティの「山猫」を見た。

彼の映画は「ヴェニスに死す」しか見たことがなく、あとは姉が見に行った「神々の黄昏」のパンフレットを読んだくらいだった。でも、他の作品も見たいとずっと思っていた。

ただ、アメリカに移住してからはその手の外国映画を見るチャンスがなかったのである。

マンハッタンならそういう映画を上映する映画館があるのだろうが、うちのような田舎では映画館はもちろん、ケーブルでもハリウッド映画ばかりだった。

Turner Classic Movies (TCM)という名画専門のチャンネルはある。コマーシャル無しという触れ込みで、実際そうらしい。

夫はテレビ番組表をじっくり調べる人なので、ときおり私の好きそうな映画がかかると、知らせてくれる。でも、ほとんどがハリウッド映画。せいぜいイギリス映画がたまにあるくらいで、私は生返事をしていた。夫がヨーロッパ映画を無視していただけで、実際はそういう映画も放映されているのだろうか。

どこのチャンネルか覚えていないが、たまに「アキラ・クロサワの映画をやるよ。」と教えてくれる。たいてい、乱か七人の侍か羅生門で、黒澤明はそれほど好みではない私は、聞き取りにくい日本語と英語の字幕を追うのも面倒で、見ない。しかも、どれも1度は見たことがあるものばかりである。

     *     *     *

新聞のテレビ欄で、「山猫」を日本語字幕で放映すると知って、これは見逃せないと思った。昔は、外国映画は声優が日本語で吹き替えをしていたのが多かったと記憶しているが、二ヶ国語放送で言語を選べるようになったせいか、「二」と表示されている番組が多い。

こういう作品が、衛星放送とはいえ、公共テレビ番組で放映されることは、アメリカの少なくとも私の日常では起こりそうにない。

翌日は、フェリーニの「8 1/2」。これもイタリア語に日本語字幕。前に見たことがあるし、なんだかシュールで私の好みではなかったので、今回は見なかった。

     *     *     *

「山猫」では、19世紀後半シチリアの没落しつつある貴族サリーナ公爵(この家の紋章が山猫)をバート・ランカスター、彼の甥っ子タンクレディをやたら若いアラン・ドロン、タンクレディの婚約者となるブルジョワ美女アンジェリカを私には野性的すぎるクラウディア・カルディナーレが演じた。

ランカスターがバスタブに入っているときに来客があり、彼が裸で立ち上がるシーンがある。もちろん上半身しか見せないけれど、老体とは思えない、均整の取れた美しさだった。ランカスターはメイクアップで老けてみせただけで、本当はもっと若いのかもしれないと思った。

それだけでなく、トランプをしても散歩をしても、さまになるというか絵になるのである。

後半で、アンジェリカの社交界デビューとなる舞踏会が圧巻なのだが、そこで彼女がサリーナ公爵にマズルカを一緒に踊ってくれと嘆願する。サリーナ公爵は、マズルカでは体がついていかないがワルツならと、応じる。

そして、大広間に向かうとちょうどワルツが始まったところで、サリーナ公爵はアンジェリカの手を取って踊り始める。彼のダンスは滑るように優雅で、しかも色気があり、華があるというか迫力があった。

ランカスターに比べれば、その前に彼女と踊っていたドロンなんか、幼稚園のお遊戯にしか見えなかった。フレッド・アステアさえ、隣で踊っていたら高校生のダンス・チャンピオン程度という気がした。

あのダンスシーンだけで、この映画を見た甲斐があったと思ったほどである。

舞踏会では、サリーナ公爵はとても疲れた様子で、今にも心臓発作でその場で死んでしまうかもしれないとハラハラしたが、ヴィスコンティはハリウッドみたいなそんな安っぽい演出はしなかった。

     *     *     *

アメリカで外国語映画を原語で見ようと思えば、DVDを注文すればいいのだろうか。

アメリカのテレビや映画業界に愛想を尽かしている私であったが、日本で見た「山猫」のおかげでまた(ハリウッド以外の)映画が見たくなった。



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地震

2009.08.12 (水)


昨日の朝5時過ぎに地震があった。実家のあたりは震度4だったので、たいしたことはなかった。わりと長い時間続いた気もしたが、横揺れだけだったので大丈夫だろうと思った。

隣の布団で寝ていた長男が、「うわー。こわいー。」と言ってふとんをかぶっていた。まだ朦朧としていた次男はそのまた向こうで寝ていたが、やはり怖かったらしい。「これ、なに?」と言ったきり、怖くて声が出なかったのかもしれない。

ほんの1分くらいなのに、彼らにはずいぶん長く感じられたはずだ。

あとで次男に聞いたら、最初は長男が自分の足を蹴っていたのかと思ったけれど、すぐに床がぐらぐら揺れているのがわかったそうな。地面が揺れるのを体験したのはこれが初めてだった。

母が飛び起きて、私たちの寝ている和室にやってきた。私はいざとなったら、押入れの中にでも入ろうと考えていたけれど、眠いので寝たまま揺れが収まるのを待った。

     *     *     *

私は地震には慣れているので、余震にも驚かなかったし、大きめだけど大丈夫だろうと思っていた。頭の上に落ちてくる物もないし、この家は古いけれど柱がしっかりしているし、万が一これがもう何十年も前から予測されている東海地震だとしても、運命だからしょうがないのである。

子どもたちに、地震のときにはどうすればいいか聞いてみた。2人ともわからなかった。

ニューヨークでは地震はほとんどない。この20年間でただ1度だけ、夜中にどーんという大きい音が響いて、木が倒れたのかなと思ったら、翌朝の報道でこの地域では非常に稀な地震だったと聞いて驚いた。音だけで、揺れた感覚がなかったのだ。

地震を体験したこともない人たちがいて、「あれが地震なの?」というコメントも寄せられていた。理論的には地震だったかもしれないが、足元が揺れないのは拍子抜けである。

震源地やマグニチュードなど詳しいことは覚えていないが、ちょうど日本から帰ったばかりで時差ぼけのために起きていたのは私だけだった。子どもたちは寝ていた。

     *     *     *

そういうところにある学校では、地震のための避難訓練はしない。Fire Drill という火災発生時のために校舎の外に出るのと、Lockdownという侵入者を想定しての教室にドアをかけて閉じこもるというものしかない。

ちょうどテレビで、地震の際の心構えについて詳しく説明している。また、母もこの家で一番安全な部屋はどこか、上から物が落ちてきそうなところはどこかなど、話してくれた。

子どもたちは真剣に聞いていた。こういうことは、危険を感じたときが教えるチャンスである。

私の命はともかく、子どもたちはまだ人生が始まったばかり。惨事にならなくてよかったと、1日たって思った。

     *     *     *

実家には防災無線があって、しょっちゅう放送が入る。普段は、どこそこの誰それさんがお亡くなりになりました、という老化が進んだ過疎地帯らしいことだけだが、今回は、「ただいまの地震は震度4でした。」から始まって、「落ち着いて行動してください。」までいろんな指示が出た。

指定された避難場所は神社なのだが、母は行く気がない。だいたい、避難袋すら用意していない。未亡人クラブの仲間でしっかりした人がいて、「あんた1人分くらい余裕で面倒みるわよ。」と言ってくれてるそうだ。

今回、避難勧告に従って自宅から公民館などへ向かう途中に死んだ人がかなりいた。実家のある市では勧告はなかったが、母はそれみたことかという風で「ここ(自分の家)が一番安全。」

本当の東海地震は今回の200倍のエネルギーだそうで、こんなもので慢心しては困ると専門家が話している。

それが30年以内に発生する確率が8割。ただし、明日なのか来年なのか20年後なのかは誰も予測できない。自分勝手な私は、私たちがNYに戻るまでの2週間には起きないでもらいたいと思ったことである。



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「凍土の約束」

2009.08.12 (水)


「凍土の約束」(渡辺俊男著)を読んだ。

著者は東京慈恵医大卒の元軍医。戦後、ソ連軍の捕虜としてシベリアのラーゲリに収容され、2年余りを過ごした。そこで知り合ったルーマニア人の捕虜との友情と約束についての実話である。

この本はオンラインで書評だけ見ていて、ぜひ読みたいと思っていたものだ。

暑い中、10分歩いて図書館に行って来た。他にも新刊やベストセラーが揃っていて、NYでは不可能な日本語の本に対する渇望を満たすべく、最大限の8冊を抱えて、また歩いて実家に戻った。

高校生のときは自転車通学をしたのに、いつのまにか自転車に乗れなくなっていた。しかも、自転車用のレーンなどないから、ただでさえ狭い道路を車と共有である。歩道では引いて歩かないと危ない。結局、歩くしかないのである。いい運動にはなる。それに本のためなら、それくらいのことはできる。

     *     *     *

出かけるのがきらいな私だが、なぜか極限状況にある人間の話が好きである。たとえば、極地探検やエベレスト登頂、それからシベリア抑留についての本。

ソ連軍の捕虜だった人の手記はいろいろ読んだが、「凍土の約束」は非常に淡々とした筆運びだなと思った。むしろ、淡々としすぎている。現実の恐ろしさをこれでもかと訴えたりはしない。

抑制の効いたわかりやすい文体なのだが、こういう人だから捕虜同士でうまくやっていたのだろうと思う反面、もう少し押しが強ければ、ルーマニア語の手紙を翻訳できる人を探せただろうにと歯がゆい。

医者というだけでなく、芸術にも造詣が深く、戦前の医科大学だから当然ドイツ語もできるし、英語もできる。本文の挿絵も著者の手による。教養のある人が書いた文章だなと思う。

     *     *     *

収容されて1年目に捕虜の8割が死ぬようなところでも、人間性は失われなかった。もちろん、ソ連将校に取り入ったり、仲間を密告したり、生き延びるために手段を選ばなかった人もいたと書いてあるが、一方で助け合いや励ましあい、友情がはぐくまれた。

何も無いところで、手作りのバイオリンでコンサートをしたりもするのだ。シャツや上着を融通したり、手作りのサンダルを作ってあげたり、計算尺をプレゼントしたり、罰を受けた捕虜に食べ物を差し入れたり。

著者は零下40度の中で長時間整列させられたときに、ふと見た雪の結晶の美しさに目を奪われる。

生きるか死ぬかのときに、どうしてそんな余裕があるのか、私にはわからない。でも、本の裏表紙に載っている著者のいい顔を見ると、それがうそだとは思えない。

ナチスドイツの収容所にいたヴィクトール・フランケルが書いた「夜と霧」を思い出した。

     *     *     *

8月なので、新聞やテレビでも戦争をテーマにしたものが目立つ。

「朝日新聞の秘蔵写真が語る戦争」という本も借りてきた。ガダルカナルから生還した元兵士達の特集をNHKで見た。

母は私がそういうものを見たり読んだりして話しかけても、ほとんど返事をしない。たまに、女学校の友達のお父さんが死んだとか、ポツリと話し出すことがあるだけだ。

思い出したくないのである。「戦争はいやだよ。」と言うだけである。

そういえば、亡くなった祖母も同じだった。

日本に来ても、ニンテンドーDSでくだらない闘争ゲームをやっている子どもたちを見て、だれか反戦ゲームを作るべきじゃないのかと思う。



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子供たちの日本語の上達ぶり

2009.08.13 (木)


日本に来て2週間が過ぎた。

昨日あたりから、長男と次男の会話の半分くらいが日本語になった。日英まぜこぜでなく、日本語のときは日本語、英語のとき(主にニンテンドーをやっているとき)は日本語である。

長男が補習校を辞めてから1年以上、次男が辞めてから5ヵ月。その間、漢字はもちろん、ひらがなとカタカナが混ざるようになり、もともと英語のほうが強かった次男の日本語はかなり怪しくなった。

2人とも私に対しては日本語のみ。長男は私がいるときは弟に対しても半分くらいは日本語で話しかけるが、弟の返事はいつも英語だった。

今回、3年ぶりに日本にやってきて1ヶ月も滞在しているのは、彼らの日本語能力を少し取り戻したいと思ったことも理由のひとつである。

     *     *     *

一番効果的なのは、英語の分からない母と兄弟のどちらか一方を2人きりにすることだった。兄弟が揃っていると、どうしても英語が入る。

あるいは、トランプをするときに母、私と子どもたちでもほぼ日本語になった。たまに、兄弟間で英語になったが、私が「おばあちゃんがわからないから、日本語でしゃべって。」と声をかければ、その次は意識して日本語を使ったようである。

そうこうするうちに、テレビやたまの外出先で日本語を聞いたり話したりする機会が増えていった。

どこに行っても貴重な練習の場なので、ハンバーガーショップでも図書館でも、自分で注文や貸し出しをさせた。ティーンエージャーとしては、ちょっと丁寧すぎるくらいの日本語ではあるが、ちゃんと通じることで自信がついたらしい。

困ったのは、歩いていける親戚の家で、子どもたちが「こんにちは。ぼくは13歳です。ありがとうございます。さようなら。」程度の挨拶をするだけで、「んまあ、日本語が上手だやあ。すごいねえ。えらいやあ。いい子に育ったねえ。」などと褒められることである。

褒めて育てるのがいいらしいので、その点はかまわないのだが、実際は彼らの日本語はとても年相応とは言えない。実家のある田舎では、母親が日本人でも、アメリカに住む子どもは英語を話すだろうという先入観があるようだ。

     *     *     *

子どもたちが疑問に思うことは、私から説明せずに「おばあちゃんに聞いてみたら?」と水を向けてみた。論理的な話ができない母の言うことは不可解だろうが、それも練習のうち。わからないことはまた聞けばいいのである。

長男次男とも、ナルトや遊戯王などアメリカで見ていたアニメや母が送ってくれたドラえもんを見る。たった5分間の猫アニメ、チーズスイートホームやくるねこも見る。そして、今日はどんな話だったかを私に説明してくれる(私は図書館で借りた本を読みまくっているので、あまり見ない)。

アメリカでもテレビ大好きの長男は、日本のクイズ番組やバラエティショー、ちょっと眉唾物の解説番組などを熱心に見ていた。さすがに語彙が足らず、政治や歴史がテーマのときは、私に「いま、何て言ったの?」と質問責めだったが、それも日を追うごとに減っていった。

そういう日本語漬けの2週間を送ったら、まず次男の「えーと、あの」が少なくなり、長男の文章がもっと自然になった。ただし、テーマによっては適当な言葉が思い浮かばず、よどみがちになる。

今朝の朝食のとき、次男が長男に「牛乳、取って。」と頼んだのがとても自然だったので、私はしばらく2人の会話が日本語だったのに気づかなかった。

お盆なので、もう10年15年と会っていないいとこや彼らの子どもたちが都会からやってくる。

あちらは、ネイティブの英語を聞かせようと思っているかもしれないが(実際、子どもたちが小さいころは、英語しゃべってとしょっちゅう頼まれて、長男が閉口したことがある)、私は同年齢の子どもたちと日本語で話すチャンスを虎視眈々と狙っている。

親のエゴ丸出しはお互いさまである。

アメリカに戻るどころか、帰りの飛行機に乗った時点で兄弟間は英語になるのが常なので、私も彼らの日本語については日本にいる間だけのことと承知している。それでも、必要となれば日本語も使えるようになるのでないかと、今回はいくらか楽観的な気分である。

それは反面、必要でなければ、今のレベルが維持できたら御の字、英語の力とのギャップが大きくなるにつれて、私との日本語会話も限られてくるかもしれないということか。



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日本人女性のしぐさと声

2009.08.14 (金)


街頭インタビューで女性が話すとき、手を口に当てる人が多い。テレビ番組のゲスト(公共の場に出る機会が多い人たち)でもそうする人を見た。

手のひらを広げて口元全体を隠さなくても、拳骨を作って口の前においたり、なんとなく鼻から口元へ手をかぶせたりする。

テレビ番組の観衆が声を揃えて「えぇ~~~~!」と言うのと、同じくらい違和感がある。いや、あちらのほうが耳障り。それにしても、何度聞いてもあのコーラスはどうにかならんもんかと思う。番組が始まる前に、みんなで練習したのだろうか。どこの番組でもそうらしいので、暗黙のルールがあるのだろうか。

話すときや笑うときに口を隠すという習慣は廃れたと思っていたが、健在のようである。年配の人だけでなく、中年も若い女性もそう。高校生なんかもそうなのか、よくわからない。

アメリカではあまりお目にかからないしぐさなので、つい見つめてしまう。

歯を見せてはいけないとか、口をあけて笑ってはいけないとか、まあ口をカバーするのがおしとやかだとされた時代の名残か。

私も日本にいたときはそのように振舞っていたのかもしれない(もう覚えていない)。それが今では、大笑いもあくびもそのまんまである。

     *     *     *

口を手で覆う女性を見ると、まず歯並びに自信がないのかなと思う。もしかして、口臭を気にしているのか。あるいは、恥ずかしいのか。

本心がわからないとか、何か隠しているとかは思わないが、そういう印象を受ける外国人もいるらしい。

補習校で出会った駐在員や奥さんたちは、そうでもなかった。中には特に笑うときに口を手で隠す人もいたけれど、気になるほどではなかった。

郷に入れば郷に従えなのか、周りのアメリカ人はもちろん日本人も口を開けてカラカラと笑ったり、手で隠す暇もないほどよくしゃべったので(そうされると、声がくぐもってしまって聞こえにくくて困る)、いつの間にか手を使わなくなったのだろうか。

     *     *     *

関係ないけれど、日本人女性が電話で話すとすごく甲高く聞こえる。

うちの母はもともと声が高いのに、電話だとキンキン響く。年を取ると、高音から聞きづらくなるらしい。そのせいか、母の電話は音量もすごい。

それに、同じことを何度も繰り返す(まあ、それは田舎のマナーなのかもしれない。すみませんね、ありがとうさま、じゃあ頼みますねを3回くらい繰り返さないし、見えない相手におじぎをしないと電話が切れない)。

かく言う私も、NYで補習校の人たちに電話すると、あとで子どもたちに「おかあさん、日本人と話すときだけ、どうしてそんなに声が違うの? 違う人みたいだよ。」と聞かれたものである。

なぜか夫には指摘されない。私の機嫌を損ねないように黙っているだけかもしれないけれど。

オクターブが高いほうが朗らかに聞こえるから、自然とそうなったのか。英語だとむしろ低くなると思うけれど、あれはまた一体どういうことであろうか。

これが日本だけの現象なのか、たとえば韓国語や中国語を話す女性たちもそうなのか、ちょっと気になる。



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日本から持って帰りたいもの

2009.08.15 (土)


日本滞在も半分が終わり、そろそろ持って帰るものを考えなくてはならない。

顆粒コンソメとかキッチン用品とか、そういうものはもちろんなのだが、本当に持って帰りたいものは運べないのである。

たとえば、和室。

8 畳くらいで、床の間があって、押入れがあるといい。必要なときだけ、折りたたみ式の低いテーブルを入れる。究極の多目的部屋となる。なんと賢い。

私と子どもたちは和室で寝ているので、夜は布団を敷き、朝は布団をたたんで押入れにしまう。昼間は広々として何もない。それぞれ勝手に寝転がって、本を読んだりゲームをしたりできる。

電燈は天井からぶら下がっているので、NYの家のように部屋のあちこちにフロアランプなど置かなくても、明るい。私たちがいる間だけは小さい引き出しのついた軽いタンスを入れたが、それ以外は何もない。だから、掃除も簡単。

西海岸なら日本風の部屋を作ってくれる建築家がいるのかもしれないが、うちのあたりではせいぜい床に置く障子スクリーンの販売くらいしかない。

それから、ウォッシュレット。

NYで親しくなった駐在員のお宅ではそういう設備のトイレもあったが、うちはアメリカの流れの悪い、音のうるさい、しかも詰まりやすいトイレ。

ウォッシュレットは掃除が大変だと聞いたことがあるけれど、日本のメーカーならそのへんも改良を重ねているのではないだろうか。

さらに、日本のお風呂。

洗い場があって、深いタブがあり、それがトイレと別になっているのがいい。

NYの家では、1階にトイレだけのパウダー・ルームがあり、2階にはシャワーとタブが一緒になっているのとその横にトイレのあるゲスト・バスルーム。私のマスター・バスルームはシャワーとタブ(ローマン・スタイルという深めのタブだけれど、日本の湯船とは違う)が別々で、シャワーの横にトイレがある。

4人家族で3つのトイレだから、数は足りる。でも、私はトイレは独立した個室がいいのである。

これは、アメリカでも最初からそういう設計にすれば可能だと思うが、うちは今さらリフォームするのは億劫なので、我慢して使っている。スペースは充分あるのに、なぜか掃除しにくい。

あとは、スーパーの魚売り場とお惣菜売り場。これさえあれば、晩ごはんを作りたくないときだって、まずい中華やピザで妥協せずに済む。

これに、図書館と100円ショップを移植できたら、私のアメリカ生活はほぼ完璧になると思うのだが。



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30年ぶりの温泉

2009.08.16 (日)


いとこ一家と電車で30分のところにある温泉に行ってきた。

私は昔から温泉はそれほど好きではなく、アメリカに移住してから日本に遊びに来ても、一度も行ったことがなかった。

今回の温泉は10年前にできた施設で、その後プールやジムを増設したとのことだった。

もともと腰痛で悩んでいた私は、2~3年前にぎっくり腰をやりかけて以来、いつも腰に鈍痛があるような気がしていた。もしかして、温泉に行けば多少は和らぐかもしれないと思い、いとこたちの誘いを受けた。

温泉にはサウナもあるので、この2週間食べまくって重くなった体をいくらかでも軽くすることができるかもしれないという魂胆もあった。

3年前に来たときにしょっちゅう行った市営プールは、財政難と利用者激減で閉鎖されており、先日、有料のスポーツ施設で1日体験をした以外は、子供たちも泳ぐ機会がなかった。

パンフレットには、子供用プールに大きめのくるくるした滑り台が掲載されており、子どもたちは俄然行く気になった。でも、温泉は嫌だと言う。いとこが「まあ、行ってみれば気が変わるかもしれないし、ぼくが男湯に連れて行くから。」ということで話が決まった。

     *     *     *

私たちの町から無料の送迎バスも出ていたが、それでは正味1時間30分しかいられないので、行きだけは電車で早めに出た。

ぱっとしない建物の入り口に「入れ墨をしている方、暴力団関係の方はご利用になれません。」と書いた立て札があった。

クリカラモンモンのやくざはもちろん敬遠されるだろうが、アメリカで足首や胸元などになんだか気軽にやっているらしい tatoo も入れ墨扱いなのかなとふと思った。テープを貼ったり、ファウンデーションを塗ればいいのかな。

私も子どもたちも、体に絵や文字を彫ることに興味がなくてよかった。

お盆シーズンで混んでいるかと覚悟していたが、さすがに田舎の山奥のひなびたところで、私たちが早めに着いたこともあり、特に温泉はすいていた。

私はプールには入らないことにした。ともかく温泉とサウナと水風呂を往復するのだ。

子どもたちは、いとこ一家とプールで遊び、そのあと食堂で昼食を取る予定にしておいた。もうティーンエージャーとはいえ、初めて来るところではやはり心配である。いとこ夫婦のおかげで、私は一人だけでゆっくり温泉を体験できた。

今どきはどこでもそうかもしれないが、私が最後に温泉に行ったのはおそらく小学生のときなので、備え付けのシャンプーや石鹸、ヘアドライヤーや殺菌したクシなどに感心した。

施設は思ったより清潔だった。でも、入り口のロッカーに靴を預けたあとは、ずっと裸足なので、水虫を心配した(結局、何も起こらなかったけれど)。

温泉は思ったより温度が低かったせいか、わりと長く入っていられた。ジャクージーの泡ぼこがちょうど腰に当たって、快適。

そのあとサウナへ入った。誰もいない。温度は92度。それくらいが普通なのだろうか。汗が出て、気分的に痩せていく気はした。

10分我慢して、露天になっている水風呂へ。あまりの冷たさに1分であきらめ、温泉に戻った。

サウナと温泉の往復は、だんだんサウナで耐えられる時間が短くなっていった。サウナにも慣れていない私は、そういうものなのか、私が軟弱なのかわからない。

     *     *     *

お腹がすいたので、一人で食堂に行き、天ぷらうどんを食べた。おつゆの味がおいしいし、天ぷらも大きい。もう少しうどんが多ければと思ったが、ついアメリカの一人前を期待しているのかもしれない。

しばらくして、いとこたち一家も食堂にやってきた。いとこたちには10歳の一人息子がいる。急に2人の兄ができて、お盆の前から興奮が続いている。今日もプールで楽しかったのだろう。

みんなお腹がすいているうえに、メニューにソフトアイスクリーム(長男の大好物)があったりして、昼食の時間が長かった。他のテーブルはささっと食べてまた温泉やプールに戻るのに、私たちはあれこれ注文しては居座っていた。

私がもう一度温泉とサウナに行くと言うと、いとこたちも午後はそうすると言う。

いとこの説得にも関わらず(温泉、最高だよ~。気持ちいいよ~。)、長男と時間は恥ずかしいから嫌だと言い張ったそうだ(誰も見てないよ。みんな裸なんだし。)。それで、子どもたちだけはジムで、自転車こぎだかなんだかやることになった。中学生以上なら付き添いなしでOKで、助かった。

いとこ夫婦が、「やっぱりアメリカ人だねえ。人前で裸になるのがダメなんだね。」としみじみと言った。

私は2回目の温泉・サウナは、さすがに疲れてきて、サウナも最後は3分程度しか持たなかった。

脱衣所に体重計があり、淡い期待を抱いて乗ってみたが、だめであった。

     *     *     *

家に戻って、夕食を食べているときに、手足の皮膚がピカピカなのに気がついた。それに、さらさらしている。顔の血色もいい。なんだか、腰が軽い。

若いときは毛嫌いしていた温泉だけれど、こんな無名な温泉でもさすがになんらかの効果があるのかもしれない。温泉めぐりが好きな人は、こうやってハマッていくのだろうか。

私の場合、出不精という致命的な欠陥があるので、そうはならないと思う。でも、次回から日本滞在中には必ず一度は温泉に行こうと秘かに決めたのだった。



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そりの合わない母と長男

2009.08.18 (火)



私の母と長男は、どうもそりが合わない。それは双方で感じているらしく、私も(おそらく次男も)なんとなく気がついている。

長男は母にとっては初孫で、しかも保守的な田舎では男のほうが女より貴重だとされている。だから、最初はたいへんな可愛がりようだったし、生んだ私も「でかした!」と言われた。

女の子を一人だけ生んで育てようと思っていた私はがっくりしていたのに(インド系の産婦人科医は性別判断のためのDNA検査をしてくれなかった)。

姉は独身で、子供を生むのを躊躇していた私は30を過ぎていて、母の友人やご近所さんたちはみんなとっくにおばあちゃんになっていた。そして、「孫が次々と生まれて、まごまごしております。」なんていう葉書きが届いて、うらやましかったらしい。

ところが、長男はいわゆるカン(勘でも感でもない)が強い子だった。神経質で食も細かった。

ごはんを作るのが好きで、人に食べさせるのはもっと好きという母にとっては、あまり食べない孫はだめな子なのだ。偏食もあったが、なにしろ食べる量が少ない。母には作り甲斐がない。

せっかくアメリカから来た孫にあれもこれも食べさせよう、もっと大きくしようと思ってはりきっていたところへ、「いや。食べたくない。きらい。いらない。」

母の理想は、何でもよく食べる大きい子。

子どもたちが小さい頃は、日本食があまり手にはいらなかったし、私もそんなものを探したり作ったりする心の余裕はなかった。だから、母の料理には、子どもたちが見慣れない食べなれないものがたくさんあった。それに味付けが違う。

それでも、肉を全く食べない私と違って、彼らは牛肉でも鶏肉でも食べる。野菜は12歳くらいから抵抗がなくなった。私にはそれほど偏食とも思えなかった。

だいたい母は小柄な私よりさらに小さいのだ。それなのに(それだから?)、しょっちゅう人の身長を話題にする。まあ私も背の高い人が好きなので、ひとのことは言えない。

     *     *     *

次男は、小さいときからよく食べた。兄が残したものも片付けた。それだけで、実家における彼の株は上がった。それに、次男のほうが甘え上手だったので、ますます母のお気に入りになった。

3年前かその前か忘れたが、私がいないときに子どもたちが補習校の宿題をしていて、なまけていた長男の頭を母がパシッとたたいた。

夫も私も手を出さない方針だし、アメリカの学校でもそんなことをされたことがない長男はびっくりしたらしい。私が帰るのを待ちかねて、「おばあちゃんがぼくをたたいた。」と涙ながらに訴えた。

私は母に二度としてくれるなと頼み、また長男にはてきぱき宿題をしなさいといさめ、昔の日本ではそうやってたたくこともあったと説明した。もっとも、私は要領がよかったので、母にたたかれたことはない。

その後も、母は長男にあれこれと注意し、なんだか棘のある言い方になった。

今回も二人の間が険悪になるのを心配して、長男には出発前に「あそこはおばあちゃんの家なんだから、おばあちゃんのルールに従うこと」と言い聞かせた。

また、ふだんは一人暮らしのところへ私たち3人が4週間も住むことがどれくらいストレスか(おかあさんなんか、そんなお客の相手をするくらいなら家出する。)も話した。

     *     *     *

長男も15歳とあって、最初はおとなしくしていたが、そのうち緊張感が漂うようになった。なるべく母と二人きりにならないようにしているらしかった。

わざわざ暑い部屋で扇風機をかけてテレビを見ることが何度かあり、ところがぼんやりしている長男は扇風機を消し忘れ、いすをしまい忘れ、リモコンを置きっぱなしにするので、結局は母に注意されることになった。

長男は私に「おばあちゃん、ぼくに意地悪じゃない? 意地悪な言い方をしない?」と言いにくそうに言ってきた。

「確かにあれしなさい、これしなさいとは言われるわねえ。でも、意地悪じゃないと思うよ。あんたも使ったものはちゃんと元に戻しなさい。それに私だって次男だって言われてるじゃないの。」と答えたが、長男の勘は合っている。同じことをしても、母が次男を叱るときはまるであやすようなのだ。

母も頭の固い人なので、「よく食べる子がいい子。大きくなるで、えらい子。」などと言う。

うちは次男のほうが長男より背が高い。長男はもう慣れっこになっているが、私はとても気にしている。だから、それを言われると、長男よりも私のほうがカチンと来て、「そういうこと言わないでよ。」と冷たくつきはなすことになってしまう。

母の機嫌がよくなるのは、長男が好物のカレーやうどんをお代わりするときである。しかも、次男はカレーもうどんもたいして好きではない。そういう日は、母も長男を手放しでほめる。

まあ、単純と言えば単純だが、次の日のことを考えると私は複雑になる。

実の親子、祖母と孫とはいえ、私たちに同居は不可能。こうやって何年かに1度、私が子どもたちを連れて帰るのがお互いのためである。



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義父の退院

2009.08.19 (水)



gallbladder infectionで手術した夫の父は、1週間入院したあとでリハビリ施設に転院した。

義父は病院でも歩く練習を始めたほど、順調に回復したらしい。いくつか持病のある85歳だけれど、さすがに農場育ちで大恐慌と第二次世界大戦をくぐりぬけただけのことはあり、もともと強い人なのだ。

今回の手術は老体にこたえただろうが、このまま弱るとは思えない。クリスマスか来年の夏か、また私たちが遊びに行くころには元気になりそうである。

     *     *     *

アメリカの病院では、日本のような付き添いは要求されないが(少なくとも私が手術して3日入院したときは、まったく不要だった)、それでも夫は父親の病室に詰めていたと言う。喉が渇いたときにコップを渡したり、枕を動かしたり、あれこれやることはあったらしい。

その間、継母のリンは、これまで義父が引き受けていた支払いや税金の片付けをしていた。

リンはカバンやリネンのデザイナーで、義父とともに会社を経営している。もう引退してもいい年なのに、どういうわけか細々と続けていた。リンはいかにもアーティストでビジネス面は苦手。今までは数字に強い義父がいたからいいものの、これからはどうなるのだろう。

その義父も頭はしっかりしているが、耳が遠くなり、また気力が続かないのか忘れっぽくなったのか、未処理のものがあれこれ見つかったらしい。

私は芸術的センスはゼロだけれど、夫が駄目な分、この20年間ずっと税金も請求書も投資も私がやってきた。私が近くに住んでいれば、そういうことで貢献できるかもしれないとふと思ったが、彼らにしてみればファイナンスを義理の娘である私に公開するのには抵抗があるだろう。

アリゾナ在住の夫の弟はどうなったのか。入院中に一度くらい顔を見せたのか。父親の今後について、兄弟で話し合ったのか。夫が何も言わないので、私も聞かない。触らぬ神に祟り無し。特に、夫の身内に関しては。

夫と義父が大きな喧嘩をせずに(こちらの親子関係も微妙なのである。小さい言い争いは当然起きたはずだが、今回はさすがに夫が譲ったであろう)、病室で数日間顔を合わせていただけで目的達成といえる。

     *     *     *

今日でリハビリ施設を出て、自宅に戻るという。病状や介護の必要性など細かいことは全くわからない。

ただ、義父が落ち着くまでもう少しカリフォルニアに留まるほうがいいとリンと夫自身が判断し、夫は私たちがNYに戻る来週明けでも、まだそちらにいる可能性が高い。

私はといえば、あっと言う間に最後の1週間になってしまい、気ぜわしくなってきた。

4週間の日本滞在は長いようでも、最初の1週間は時差ぼけと子どもたちへの説明で時間が取られ、やっと2週目に落ち着くと、3週目はかなり早足で終わり、気が付くと残すところ1週間。最後は駆け足のようになる。

あれもしなくちゃ、これも買っておかなくちゃと、カレンダーと財布の中身を見比べていると、あっという間に時間が過ぎる。

毎回こんな感じで、今年もそのようになりつつある。



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3年ぶりの無印良品と初めてのアニメショップ

2009.08.20 (木)


実家から30分のところにある駅ビルに、無印良品の店舗があることがわかった。

東京には、私が渡米する前から無印があって何度か買い物に行ったけれど、その後、日本に帰ってきたときに行く機会がないまま、時間が過ぎていった。特に子どもたちが小さい頃は、それどころではなかった。

3年前に、姉の案内で横浜の大きなショッピングセンターで久しぶりに見た。

アメリカ製品(製造は中国だろうから、アメリカンデザイン?)を我慢して使っていた身には、なんでもない日用品が素晴らしく思えた。姉に「なんでこんなもの買って帰るの?」と不思議がられたくらい、キッチンや生活用品を買いこんだ。

今では無印の製品自体はMUJIブランドで海外にも進出しているらしいが、田舎住まいの私には縁がなかった。

今回の駅ビルは都会ではないので、あまり期待できないけれど、地下にはアニメのお店もある。たまには母にも1人の時間が必要だろうと、アニメをダシにして子どもたちも連れて出かけた。

     *     *     *

無印ではほしいものばかりなので、メモ帳にこれはと思うものの製品名と金額を書くことにした。あっという間にページが埋まる。

いつの間に、基礎化粧品や食品を扱うようになったのだろうか。へえーと独り言を言いながら、隅から隅まで見て回った。これは予算オーバー確実。

アニメショップから子どもたちがやってきた。彼らの買いたいものも見つかったらしい。

レストランでランチを食べながら、お互いの収穫を話し合った。長男は友達にお土産を期待されているらしい。次男は自分のために何か買いたいと言う。

地下にあるアニメショップに行き、遊戯王カードやら鋼の錬金術師のキーホルダーやらを買った。カードの説明は全部日本語だけど、わかるんだろうか。錬金術師はアメリカでもアニメの放映をしているそうな。

それにしても、アニメショップのけばけばしいこと。中高校生がほとんどだが、時間帯によっては大人も来るのだろう。

コミックスやDVDやいわゆるグッズと呼ばれる小物でいっぱい。違う音楽が四方八方から聞こえて頭が痛くなる。

私はマンガが好きだが、ここにあるものは少女漫画ではない。デッサンもできていないし(昔の少女漫画もやたら足が長かったり、目が大きかったりしたけれど)、ストーリー性もなさそう。

その代わりに、ポルノまがいのイラストが目に付く。幼女体型なのに胸が異様に大きいし、またそれを強調する服が思わせぶりなポーズで描いてある。服というよりは、服の切れっぱなしか。

後ろ向きにお尻を突き出して(ビキニがかろうじてひっかかっている。胸は手で隠している)、顔だけこちらを向いているイラストがあった。

アメリカで子供が出入りする店でこんなものを置いたら、たいへんなことになる。

海外で日本のアニメが人気だというが、アメリカの店舗に置いてなくてTVで放映されなくても、インターネットで閲覧できるわけで、非常に不愉快というか不安にさせる。絵の出来やセンスのなさとは別の問題である。

     *     *     *

無印では、料理の下準備などに使えそうなステンレスの四角いバット(四角いザルもセット)を見つけて、よっぽど買おうかと迷ったが、20年間なくてもやってこられたんだから、いまさら必要ないかとあきらめた。

他にも、使いやすそうなS字フックとか収納用品があったけれど、「そういえば、ものを持たない・増やさないというのが私の信条だったっけ。」と思い出して、あれば便利だけどなくてもいいかと自分を納得させた。

結局、ちりとりとほうきのセット、カフェオレのカップ2個、ビーズの入った首に巻けるクッション、泡立てネット、スパゲティのソース、かぼちゃのスープだけにした。長男は、スケッチブックと4コママンガ用の線が入ったノート5冊(これは友だちの分も)を買った。

こうやって1万円がまた1枚消えていく。

ゼロが多いせいか、100ドル(実際の価値はそれ以下)よりも1万円のほうが大きい気がして、一度くずすとあっと言う間になくなってしまって寂しい。

あとは100円ショップと食料品。残っている日本円とスーツケースのスペースを考えると、こちらも厳しく決断せねばならない。



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「広瀬武夫 旅順に散った海のサムライ」

2009.08.21 (金)


市立図書館の新刊コーナーで「広瀬武夫」(櫻田啓著)を借りた。

【なぜか本屋よりも図書館のほうが本を探しやすい。普通の本屋には、あらゆる種類の本や雑誌が溢れていて、どれを読んだらいいのかなかなか決められない。日本に住んでいて、しょっちゅう本屋に立ち寄っていればいいのだろうが、たまの帰国では目移りするばかりで困る。】

この本の副題が「旅順に散った海のサムライ」とあり、日露戦争に関係していることでまず興味を引かれた。そして、主要人物と相関図を見て、面白そうだと思った。

恋人のロシア女性アリアズナ(広瀬の友人だったコヴァレフスキー少将の娘)の写真がなんだか日本髪みたいなのが気になるけれど、これは軍人の伝記としては一風変わったものらしい。

     *     *     *

広瀬武夫は1868年生まれ。海軍軍人であり、ロシア留学の後にロシア駐在武官となって、随一のロシア通だった。日露戦争勃発直後の旅順口閉塞作戦で36歳の若さで戦死。

なぜ彼がサムライと呼ばれたのか、納得させられた読み物だった。

明治時代には彼のように苦労して海外に学んだ人たちが他にもいたけれど、広瀬は柔道は黒帯。上官なのに進んで掃除もするという、ありえないくらいかっこいいのである。帰国の際には、厳冬のシベリアを馬そりで横断した。

アリアズナとは悲恋に終わってしまうのだが、時代が時代であったのでしかたないにせよ、私などはもう少しどうにかすればとイライラしてしまう。有能な広瀬が、恋愛に関してだけはモタモタしていたから。

また、あまりにあっけない死に際しても、部下を鼓舞するためとはいえ、どうしてボートの上で立ち上がるのか、生きて帰るのが一番の目的だと思うのだが、そうはならないので、じれったいのである。

それでも、ロシアを離れるところではもちろん、戦死したあとでも泣かされた。

     *     *     *

この本を読むまで、広瀬少佐(その後少尉、大尉に昇格し、死の前日に中佐となった)のことは聞いたこともなかった。巻末の参考文献には、「ロシヤにおける広瀬武夫」「広瀬武夫全集」「軍神広瀬武夫」その他が挙げられているので、知る人ぞ知る、なのかもしれない。

それにしても、文武両道で人格者であり、芸術を理解し、ロシア人を魅了した広瀬は、このごろ派手に伝説化されている白洲次郎よりもずいぶん格が上だと思う。

これまで私がご贔屓にしていた歴史上の人物は、南極探検のシャックルトンだったが、広瀬も付け加えることにした。



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日本についてのあれこれ

2009.08.22 (土)


久々の日本滞在で気がついたこと、気になったことのあれこれを深く考えずに書く。

(1) 選挙カー。「がんばっております。ご声援ありとうございます。スズキxxxでございます。よろしくお願いいたします。」という無意味な連呼。アメリカではありえない騒音公害。

そういえば、選挙ポスターが顔写真入りだった。アメリカでは一目で人種がわかってしまうからか、めったに見かけない。ローカルの新聞広告なら出るけれど、街中に張るポスターではまず見ない。

(2) 自動販売機。こんな田舎でも、いたるところに飲み物の自動販売機がある。いまだにタバコの自動販売機があるのにも驚いたが、IDで年齢確認できるようになっているらしい。アメリカではカウンターの後ろに置いてあって、店員でないと手に取れない。

(3) QRコード。携帯で読み取ることができるらしい(結局、携帯のレンタルはしなかったので、試すチャンスはなかった)このマークが、オンラインだけでなく、新聞や雑誌、店頭でも見かける。説明なしの場合も多いので、ほとんどの日本人は熟知しているものと思われる。

これは日本だけなのか、アジアやヨーロッパでも使われているシステムなのか気になる。アメリカでは見かけたことがない。

     *     *     *

(4) 電車の切符の買い方。何度か利用したので、やっとスムーズに買えるようになった。アメリカと違うのは、先にお金を入れることと人数(大人二人とか、大人一人と子供一人とか)の選択があること。

アメリカでマンハッタン行きの切符を買うときは、自動販売機に駅の名前が出ていると思う。行き先のボタンを押すと金額が表示されるので、それに従えばいい。

日本では、切符の自動販売機の上に掲げてある路線図を見て、行き先の金額を調べ、最初にお金を入れなくてはならない。そして、行き先の金額を押す。

もし3人分をまとめて買ったり、往復を買ったりするときは、頭の中で合計金額を想定する。もちろん、足りないときは希望の切符が表示されないので、どんどんお金を追加していけばいいのだが、こういうところで日本人の計算強さを感じる。

東京なら英語の路線図や料金表があるだろうが、実家のような田舎では漢字のみ。夫のように日本語が読めないとお手上げである。でも、携帯を持たせればどうにかなるかもしれない。

(5) 進化し過ぎの携帯と電化製品。NYを発つ直前に、日本の携帯は他国に比べて何世代も進みすぎて独走態勢に入っていて、世界が置いてきぼりにされているという新聞記事を読んだ。軽量化や機能だけでなく、細かいところでやたら気が利いている。

せっかくスリムな機種なのに、ぬいぐるみやアクセサリーをつけている人が目立つ。本体よりそっちのほうが重いんじゃなかろうか。

防水どころか、水で洗える機種もあるのだそうだ。数年前、鶏の胸肉を一つずつ包んで冷凍庫に入れているとき、横においてあった携帯もついでに箱に入れて2週間冷凍庫で凍らせたという前科のある私には朗報である。

電化製品、特に冷蔵庫は素晴らしい。野菜を新鮮に保つ、急速冷凍、ドアの閉め忘れ防止など、アメリカ製品と比べるとSFのよう。

(6) スーパーの有料レジ袋。私はアメリカでは特に袋を持参しないで、お店のビニール袋をもらっている。実家で買出しに行くときは、母から防水性の袋を持たされた。お店の袋は1枚5円だから。

アメリカでも有料にしている店や町があると思うが、私の家がある田舎ではまだ無料。でも、袋を持参する人も見かける。

他のものごと同様、エコロジーにもあまり関心のない私だけれど、1つだけ買い物袋を持ち帰ることにした。母によると、あちこちから粗品やオマケとしての袋をくれて、困っているそうだ。

     *     *     *

(7) 物価。品質を考慮すると、日本の物価の方が安いような気がする。

(8) 甲子園。昔のように、丸坊主でなくてもいいらしい。私は、プロ野球をまともに見たことがないけれど、甲子園は時々見る。選手がガムをくちゃくちゃかんでいないのと、守備と攻撃が変わるたびに駆け足なのがよい。へんてこなマスコットもいない。それでも全イニング続けてみる気力はないか。

日本にいる頃から、選手が若くなったなあ(自分が年を取っただけ)と思っていたが、今年は監督が私より若くてショックを受けた。どこの高校か忘れたが、34歳なのだそうだ。

(9) コマーシャル。一つ一つが短くて、めまぐるしい。数分間の間に、次々と現れる。アメリカよりもジングルというのかコマーシャル専用の曲やキャッチフレーズが多い。

ビールのコマーシャルに、ビキニの若い娘が出てこない。アメリカでは必ずセットだと思ったけれど。



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愛人ごっこ その31

2009.08.23 (日)



※ これまでの話(その1~30)を
最初から読む。またはカテゴリで話の番号を選ぶ。

(前回その30の続き)

「あなた、ベラルーシかドイツに恋人はいないの?」

「ドイツではぜんぜんそんなチャンスはなかったなあ。ぼくはただのオーペアだし、住み込みだったから、相手にされなかった。」

「まあ、こんないい男をほっとくなんて、ドイツの女の子たち、見る目がないわね。」

「ベラルーシにはいたんだ。でも、ぼくがミンスクの大学に入った年のクリスマスに振られちゃった。ひどいんだよ。彼女、ちょっと離れた町の親戚宅まで行っていて、クリスマスイブに戻るって言うから、ぼくは花束を持って、ブレストの駅で待ってたんだ。でも、彼女は現れなかった。何の連絡もなかった。

ぼくはバカらしくなって、その花束を最初に出会った女の人にプレゼントした。最悪だった。だって、12月24日はぼくの誕生日なんだよ。

だから、別れた。彼女からはとうとう何の連絡もお詫びもなかったから。そんな仕打ちされて付き合う気はないよ。」

「まあ、かわいそうに。その彼女の名前、なんていうの?」

「…ガリーナ。」

彼はまだ未練があるようだった。

「あなた、まだそのガリーナちゃんが好きなんでしょ。顔に書いてあるわよ。」

「地元の子だし、母とも気が合ったんだ。だから、会わなくても、いろんなうわさは伝わってる。ぼくがドイツに行って、それからアメリカに来てしまったから、きっともう次のボーイフレンドができてるよ。

ベラルーシはロシアと同じで、女の子は20歳くらいで結婚するからね。もう子供もいるかもしれない。もういいんだ。」

・・・

わたしは見知らぬベラルーシの少女に少しばかり嫉妬した。

でも、今度ドイツに住むのは、大学生のパヴェルである。生活費を稼がなくてはならないから、忙しいだろう。そんなに女の子と付き合う時間もお金もないかもしれない。

わたしのベッドでこんなだったら、ドイツでも女の子がほしいんじゃないかしら。わたしは世話好きの親戚の叔母さんみたいに、彼にはどんなお相手がいいかしらと想像した。

「あなた、将来どこに住むかわからないだろうけど、結婚するならベラルーシかロシアの娘がいいと思うわ。お母さんとも仲良くなれそうだし。」

「ぼくはどこの国の子でもいいよ。言葉だって、ぼくはロシア語もドイツ語も英語もできるから、そのうちのどれかができればいい。」

わたしは、日本語のできない夫と、わたしにとっての外国語である英語でずっと会話をしてきた。

言葉が結婚において意味するところは大きいわよ、と言いかけたが、ヨーロッパの人間はまた違う感覚を持っているかもしれないと思い直して、おせっかいはしなかった。

(次回その32に続く)



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愛人ごっこ その32

2009.08.24 (月)


(前回その31の続き)

パヴェルのドイツ行きがあと10日に迫り、わたしは鬱々としてきた。

最初からわかりきっていたけれど、やはり彼と離れるのは寂しかった。ベッドを共にした日々は数えるほどなのに、夫以外にここまで深い関係―肉体だけでなく精神的にも―になった相手はパヴェルしかいなかった。

夫が注文したノートパソコンが届き、キャリーバッグも届いて、わたしはラッピングしてリボンをかけた。そして、パヴェルにもう一度泊まりにこないかと誘った。

「わたしのベッドには入れないけど、それでもよかったらね。」

彼は承諾した。わたしと親密になって以来、初めて夫に会うことで彼は緊張していた。

「もしかして、ご主人がとっくの昔に気付いていたらどうしよう。」

「だいじょうぶよ。だいたい21歳の男の子が私と寝るなんて、ありえないと思ってるわよ。」

「そんなことないよ。あなたはほんとにきれいでセクシーだから。それにすごく優しい。」

「ありがと。あなたも優しいわよ。そんなこと言われると、抱きしめたくなるじゃないの。でも、明日、泊まるときはあんまり近づかないようにしなくちゃね。なんだか私たち、磁石みたいにすぐくっついてしまうから。」

・・・

私はパヴェルを3時ごろお迎えに行った。

彼が家に来ると、さっそく子供たちに独り占めされてしまった。夫は外で子供と遊ぶことをしない。だから、子供たちはパヴェルが来ると、待ってましたとばかりに、外で追いかけっこしたり、かくれんぼしたり、野球の真似事をした。

パヴェルは野球のルールを知らなかったらしく、子供たちが説明していた。ヨーロッパの子だなと思った。

夫が帰宅すると、みんな家の中に戻ってきた。私は、夫と話すパヴェル、パヴェルと話す夫をそれとなく観察した。初めて泊まった日と同じだった。夫は気がついていない。

私はそれとなく夫に話をしてあった。

「知ってる? パヴェルのお母さんって、私と同じ年なのよ。あちらの人たちは結婚が早いから、20歳で生んだわけ。

かたや大学生の母親で、私はまだベビーシッターが必要な子供が二人もいるなんて。いま21歳の息子がいたら、ラクだと思うわ。ずいぶん年取った気分にもなるけど。」

パヴェルから見たら私は母親と同世代。二人の間に恋愛関係は起こりえないでしょう。変な勘ぐりはしないでよ。

・・・

でも、私たちの間には特別なつながりができていた。何度か寝たからといって、パヴェルが私を所有しているような言動はしなかった。いつも礼儀正しく、思いやりをもって、私に接した。

むしろ私のほうが夢中になっていたかもしれない。彼の仕事の休憩時間に、会いに行ったりしたのだから。キッチンのスタッフは私のことを知っていた。パヴェルから話を聞いていて、よく思い切って大金を貸しましたねえなどと言われた。

私とパヴェルが抱擁したり、テーブルに座って話し込んだりしているのを見て、私たちの関係にピンと来た人もいたかもしれない。親しい友人のように振舞っていても、肉体関係があるかどうか、ちょっとしたしぐさでわかるときがある。

私は他人にどう思われようと平気だった。

夫は私を問い詰めない。私はこれまで一度だってほかの男と寝たことはない。夫とセックスレスになってから、むしろせいせいしていた。

仮に、夫にばれたとして、どうということはない。夫が先に浮気したのだ。もっとも、私には仕返しの気持ちはまったくなかった。ただパヴェルが好きで、彼の全部がほしかっただけなのだ。私とパヴェルの仲に、夫は関係なかった。

次回その33に続く)



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愛人ごっこ その33

2009.08.25 (火)


(前回その32の続き)

パヴェルがいるから、なかなか寝ようとしない子供たちをどうにか子供部屋に追いやり、リビングルームには夫とパヴェル、私だけになった。

夫がドイツの大学の話を始めた。準備はどうかね。専攻科目は決まったかな。まずは寮に住むんだろうね。

パヴェルは顔を赤らめながら、とても上達した英語で丁寧に答えた。私は何も言わずに、このしなやかでかわいい愛人を眺めた。

「ささやかながら、ぼくたちから入学祝いがあるんだよ。」と夫が切り出した。

もう充分よくしてもらってますから、これ以上のことは、とあわてるパヴェルに、私は軽い包みを渡した。

ソファに座った彼は包装紙とリボンをはずし、ラップトップ用のかばんを出した。

「大学にいったら、パソコンを使うだろうと思ってね。これは持ちやすくて、使いやすいデザインだよ。気に入ってくれるといいけど。」

パヴェルは顔を赤くして、何度もサンキューを言った。かばんだけでこんなに喜んでちゃだめなのよ。

・・・

しばらくして、夫が実はもう一つプレゼントがあるんだと言い、私がもっと大きな箱をパヴェルのひざに載せた。

包みを開いた彼は、呆然として言葉が出なかった。新品のラップトップ・パソコン。

「驚いた? こっちのほうがほんとのプレゼントなの。あなたを驚かそうと思って、さきにかばんだけあげたの。さあ、これでかばんの中に入れるものができたじゃない。」

パヴェルは、もっと顔を赤くして、しどろもどろお礼の言葉を繰り返した。どうしてこんなによくしてくださるんですか。

私は急に彼が愛しくなって、もう少しで彼を抱きしめてしまうところだった。

「努力して大学に行こうとしている君を応援したくなってね。キャンプが終わってからも、ずっとそこで働いているんだろう。がんばっている若者にちょっとしたギフトをあげようと思って、いろいろ考えたんだけれど、パソコンが一番よさそうだったんだ。

それはきみのものなんだから、自由に使っていいよ。さっそく電源を入れてみよう。」

キッチンに移動してパソコンを立ち上げたパヴェルは、電池で動くおもちゃを初めてもらった子供みたいに目を輝かせた。

あとは夫が設定を手伝い、またくどくどと説明をするだろう。

私は二人にお休みを言って、2階へ上がっていった。パヴェルもさすがに今夜は私よりパソコンのほうがほしいに違いない。

次回その34に続く)



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愛人ごっこ その34

2009.08.26 (水)


(前回その33の続き)

翌朝、パヴェルは早く起きてパソコンをやっていた。

夫も子供もまだ寝ていた。私はパヴェルの横のいすに座って彼を見た。

目が合うと、どちらからともなくキスした。私のうなじから胸のほうに唇を這わせていく彼に、「あなた、昨日は私よりもパソコンと寝たかったんじゃないの?」と押しとどめた。

「私たちだけじゃないんだから、これ以上はだめ。他の話をしましょ。」

「昨日は興奮して眠れなかったよ。こんなプレゼントがもらえるなんて、信じられない。なんてお礼を言ったらいいか。」

「お礼なんかいいのよ。あなたが大学を卒業するのがお返しなんだから。」

「ぼくはほんとに一生懸命やるよ。アルバイトも見つけなくちゃ。」

「若いからできることね。でも、無理しちゃだめよ。困ったらいつでも連絡をちょうだい。」

彼はもう一度すばやくキスを盗み、「ありがとう。」と言った。

・・・

2,3日して、パヴェルはビザのことでマンハッタンにあるドイツ領事館まで出かけた。

私は朝早く彼を宿舎に迎えに行き、近くの駅まで車で送っていった。

「せっかくだから、観光でもしてきたら? いつごろ駅に戻るかシティから電話をちょうだい。そしたら迎えに来るから。」

「ありがとう。ロシア人が大勢住んでいるブライトン・ビーチを見てこようかなと思ってたんだ。遅くなるかもしれないけど。ご主人や子供たちは大丈夫?」

「大丈夫よ。シティを出るときに電話してね。それから、これ。」

私は彼に20ドル札を1枚わたした。

「夫が子供たちをシティに連れて行くときに、必ずこうするの。夫の財布にはちゃんとお金が入ってるけど、これは命金みたいなものよ。危ない目に合ったら、これを渡して逃げるの。」

ぼくは大丈夫、危ない目になんか合わないよと言い張る彼に20ドルを押し付けて、「ほら、もう電車が来るわよ。」

彼は、私にキスをしてありがとうを言い、車を降りた。途中で振り返って、にっこりと手を振った。

(次回その35に続く)



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愛人ごっこ その35

2009.08.27 (木)


(前回その34の続き)

その夜遅く、パヴェルから電話があった。マンハッタンは遠い。

「遅くなってごめんなさい。これから電車に乗るんだけど。」

「気にしないで、お迎えに行くから。到着時刻を確かめるわね。」

・・・

真っ暗でひっそりした田舎の駅に車を止めると、しばらくして電車が滑り込み、ドアが開いた。彼がプラットフォームを歩いてくるのが見えた。手に何か大きなものをもっている。買い物をしたんだろうか。ビザは無事にもらえただろうか。

車のドアを開けてやると、目の前に大きな花束があった。彼が私のために買ってきたのだ。

「まあ、きれい。でも、こんなことしなくてもよかったのに。」

「あなたにあげたくて、花屋に寄ったんだ。そんなに高くないよ。」

私は花束なんかもらったことなんかあっただろうか。子供が生まれる前に勤めていたオフィスで、最後の日にもらったきりだ。わたしは生け花もできないし、花をすぐ枯らせてしまう。だから、夫にも花なんか買ってこなくていいといつも言っていた。

パヴェルは殺風景な私の家を花束で飾ろうとしたのか、私をなぐさめようとしたのか。

私はパヴェルにありがとうを言い、暗い夜道をパヴェルの宿舎に向かった。明日は早くから仕事があるので、今日は泊まっていかない。

彼はブライトンビーチやマンハッタンでどこに行ったのかを楽しそうに話してくれた。

宿舎に着くと、彼は送り迎えのお礼を言い、長いキスをして車を降りた。こうやって彼と過ごす時間は残り少なくなるのだ。

・・・

まだ起きていた夫は、花束といっしょに戻った私を見て、一瞬不愉快そうな顔をした。

「何だい、それは。パヴェルから?」

「そうよ。これまでのお礼ですって。ヨーロッパの子ね。女性には花束ってことかしら。」

「なんだかうれしそうだね。いつも花束なんかいらない、もったいないって言ってたんじゃないか。」

「そうよ。でも、もうもらったんだから、返すわけに行かないでしょ。かわいそうじゃない。」

そうして、花瓶を戸棚から出して、キッチンのカウンターに置いた。私には派手すぎる色彩だったけれど、あんなに若いのに、こんなことができるのねえと素直なパヴェルを思った。

夫は何か気づいたかもしれなかった。でも、それ以上は追求しなかった。

(次回その36に続く)



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1ヶ月ぶりのアメリカ

2009.08.28 (金)


NYで久しぶりの運転。道路も駐車スペースも広くてありがたい。斜めに停めてしまったのに、ちゃんと白線の枠の中に収まった。

快晴で湿度が低く、しかもそよ風が吹いている。日本の夏に、こういう爽やかな日が一日でもあればなあと思う。

郵便局にたまった郵便物を引き取りに行くと、カウンターの向こう側の局員は、郵便を出しに来た近所のおじいさんとなにやらおしゃべりしている。5人も並んでいるのに、ぜんぜん急かさない。私以外の人は、心中はどうあれ、いらいらしているように見えない。

どっちみち、ほんの2~3分のことだった。

私の住所を書き取った顔見知りの局員が、大きな箱を抱えて奥から戻って来て "Welcome home! "とにっこり(家で仕分けしてみたら、ご近所あての封書が2枚混じっていた)。

     *     *     *

荷物持ちの次男を連れてスーパーへ。一気に現実に引き戻される。

山積みの野菜や果物。よく見ないと、傷んでいたり腐っていたりするのを買ってしまう。泥のついたじゃがいもはいいけれど、太くて種があってなんだかぬるっとしているきゅうりはほしくない。巨峰かデラウェアはないかな。ほっくりしたかぼちゃも、お化けでないナスもないか。

幅2メートル半くらいの魚売り場。何も買う気が起きない。ああ、日本でもっと魚を食べてくればよかった。

肥満した人たちに囲まれて、一挙に5キロくらい痩せた気分になる。

それから、すらりとしてきれいな若い女の子が飾り気のないTシャツとショートパンツで歩いてきて、健康美に見惚れる。

誰も私の服装なんか観察しない。知り合いも、ちょっと太ったんじゃない?なんて言わない。

無造作に私の買い物をスキャンしたレジのおばさんは、 「ありがとーございましたー。またのご来店をお待ちしておりますー。」とうつむいて言わないで、"Thank you. Have a nice day! "とにっこり目が合う。それも単なる決まり文句だけれど。

     *     *     *

それにしても、郵便局とスーパーに行くだけで片道10分ずつ。NYに戻ってから、すべて車。1分以上歩くのは、店内だけかもしれない。

時差ぼけのせいか、日本との品揃えの違いか、たいしたものは買えなかった。どうも食品の購買意欲がわかないのである。

キッチンのカウンターが高いので、袋から物を出すにも腕が疲れる。やたら大きくて重い。背伸びをしないとパントリーの一番上に手が届かない。

子どもたちが2階にいるときは、大声で呼ばなくては聞こえない。日本語は自分が話すのと子どもたちの返事だけ。それでも、自分のベッドに横たわるとホッとする。木々に囲まれた家の中は、(夫と子どもが黙っていさえすれば)静寂そのものである。

アメリカに帰ってきた。そして、私の居場所はここであって、日本は訪問するだけの国になったのだと改めて思った。


<今日の英語>

It's easier said than done.
口で言うほど簡単なことではない。


PBSニュースで、不法移民の健康保険について討論があった。なぜ一貫した政策がないのかと質問された専門家の一言。ただでさえ複雑なアメリカの健康保険に、移民問題が絡んでいるとあっては、「言うは易く、行うは難し。」



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