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<今日の英語> 4月掲載分

2009.05.01 (金)


[英会話] ブログ村

4/30/09
She got her way.
この子の思い通りになったよ。

4/29/09
Don't jump to conclusions.
早合点してはいけません。

4/28/09
We still have a long way to go.
まだまだ先は長い。

4/27/09
We are on the same page.
私たちの考えは同じ。/ 同じように理解している。

They are ripping you off.
ぼってるんだよ。

4/26/09
Heads or tails?
(コインを投げて)表か裏か。

4/25/09
Heat the kettle. / Heat the water.
お湯を沸かして。

I’m sure age comes into play.
きっと年齢が関与しているんです。
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テーマ : 英語 - ジャンル : 学校・教育

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穏やかに、夫婦別室 その1

2009.05.01 (金)


うちにはベッドルームが四部屋ある。

一つはマスター・ベッドルームと呼ばれる主寝室で、一番広い。一つは本来はスタディ(書斎)にしていた部屋で、一番狭い。残り二つのベッドルームは、同じくらいの大きさで、子どもたちに1部屋ずつ与えた。

もっとも、小さいときは二段ベッドを1つの部屋に置き、兄弟いっしょに寝起きさせて、もう一つはゲストルームとして空けておいた。ベッドと本棚、小さいデスクがあるだけ。名前通り、ゲスト(泊り客)のための部屋である。

今は、私が主寝室にあるクイーンサイズのベッド、夫がスタディに入れたダブルサイズのベッド、子どもたちは、二段ベッドを分解して、それぞれの部屋でツインサイズのベッドに寝ている。そして、お母さんの部屋、お母さんのベッド、ダディの部屋、ダディのベッドと区別している。夫と私も your room, my room と呼ぶ。

そうして穏やかに暮らしているのだが、こうなるまでにはいろんなことがあった。

*     *     *

私は他の人と付き合ったことも同棲したこともなく、いきなり結婚してアメリカに来た。

最初は、一晩中いっしょで朝起きると横に夫がいるということがうれしかった。結婚するというのはこういうことなんだなあと思った。冷え性だった私は、夫の体温で暖かく眠れるぞと期待した。

現実はそう甘くなかった。

夫は私より一回り大きい。まっすぐに寝ているだけで、掛け布団の6割以上が彼の身体をくるむのに使われる。彼と私が寝返りを打つたびに、その割合が増えていく。

しかも、夫は布団をだっこする癖があったらしく、朝寒くて目覚めると、掛け布団はほとんど彼の身体に巻きつき、私には端っこがほんの申し訳程度にしかかかっていないことがしょっちゅうあった。

それでいて、夫は暑がりだった(だったら、布団を明け渡せ!と思った)。しかたないので、私の上にだけ毛布をかけたり、セーターを着てみたりしたが、それでも寒い。

夏になって、夫がエアコンを終日がんがん入れっぱなしにすると、私の死活問題になってきた。寒くて眠れないのだ。

掛け布団の攻防だけでなく、夫のいびきという難題があった。耳栓をしてみたが、効果なし。だいたい、異物感が気になるし、夜中に外れてしまう。

さらに、私は朝型、夫は夜型。2人とも、夜寝る前はベッドの中で本を読むのだが、私の方がたいてい先に眠くなる。夫の側の電気はいつまでもついている。私は明るいと眠れないのだ。

子どもが生まれる前は、時々ゲストルームに避難した。私だけでなく、夫が気を使ってゲストルームで寝たこともあった。

長男が生まれて、ベビーベッドを買ったが、添い寝もしたので、主寝室のベッドは狭くなった。それでも、夫と私はまだ一緒に寝ていた。

2年後に次男が生まれ、長男のときより産後の肥立ちはよく、2人目という精神的余裕もあったが、私は疲れ果てていた。とにかく、10分でも長くまともに眠りたい。

夫は、長男といっしょにゲストルームで寝ることが増えた。それで、私は主寝室のクイーンサイズ・ベッドを独り占めした。

泊り客があるときだけ、子どもたちは二段ベッド、夫は主寝室へ戻った。

*     *     *

次男が生まれて3ヶ月くらいたった頃、私は産後うつではない重症のうつをわずらい、歯車が狂い始めた。

抗うつ剤で持ち直したものの、精神状態はよくなく、毎日自責の念にかられていた。そんなとき、夫が出張先のタイで若い女を買い、私はおかしな海外送金の言い訳にピンと来て、夫のパスワードを探し当て、メールを全部読み、彼が何をしていたかを突き止めた。

タイには2人いて、最初の女とはすぐに切れたようだったが、次の女とは何ヶ月も続いていた。英語ができないので、友達に代理でメールしてもらっていると書いてあった。電話の記録でも、ひんぱんにかけているのがわかった。

それが発覚してからの1年間は修羅場だった。

証拠を突きつけた私に夫は開き直り、私を罵って責め、私は夫の変化にショックを受けた。夫は、もう一緒に寝ないと宣言して、ゲストルームに自分の本や服を運び出した。

そんな態度を見て、私は自分を責め始めた。でも、その前から服用していた抗うつ剤のせいかどうか、これが原因でうつがぶり返すことはなかった。世間にはこんなのはよくある話じゃないか、と頭の隅っこで考えた。精神的に追い詰められていたが、重症のうつの苦しみの方が何倍もひどいと思った。実際、うつから完全には抜け出していなかった。

私がカウンセリングに行こうと提案し、最初は夫婦で通ったのだが、そのうち私だけになった。他に、誰にも相談できる人はいなかったし、相談したいとも思わなかった。誰にも何も言わず、表向きは平然とふるまっていた。

夫も私もやり直すことに同意し、夫はもうタイ女とは手を切ったと言った。私は密かにメールをチェックし、まだ関係が続いているのを知っていたが、もう会わないだろうし、言葉が通じないんだから、と黙っていた。

しばらくして、夫がシンガポールに出張することになった。カンファレンスだし、同僚も出席するし、タイ経由じゃない、と夫は予防線を張った。

私は何も言わずに夫のメールを盗み読んだ。夫はタイ女とシンガポールで落ち合う約束をしていた。会社が予約したホテルとは別に、彼女のホテルを自分の名前で予約していた。

次回その2に続く)


<今日の英語>

You get the last word.
あなたが最後の発言者です。


オバマ大統領が就任100日目の記者会見で、手元のリストを見ながら発言を許可する記者を指名していた。残り時間5分になって、最後の人の名前を呼んで、言ったセリフ。

複数のゲストがインタビューされるとき、もう時間がないので、じゃあ最後はあなたにお願いします。というときも聞く。ディベート(討論)においては、ラストワードを言ったものが勝者なのだそうだ。詳しくはこちら



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穏やかに、夫婦別室 その2

2009.05.02 (土)


前回その1からの続き)

夫は、私にメールを読まれているとは思いも寄らなかったらしい。

最初は、銀行の送金書類や電話の明細を調べただけだった。でも、夫が言い訳を重ねるたびに不信感が募り、メールを見なければ自分の気持ちが収まらなくなった。それまでは、夫が誰とメールしているかなんて、ぜんぜん興味がなかった。

しばらく前に、夫はいくつかのドメインを手に入れ、1枚の紙にアドレスやアカウントデータをまとめていた。それをクリップボードに挟んでいたのを思い出して、探してみたら、あっさり見つかり、そこにはパスワードも全部書いてあった。

*     *     *

当時、夫は頻繁に海外出張に出かけた。アジアだけでなく、ヨーロッパや中近東にも行った。シンガポール出張の話があったころには、夫と私はぎくしゃくしながらも、表面上は何ごともないかのように振舞えるようになっていた。

夫には夫の言い分があり、それは一言で言えば、わたしからの愛情が感じられないという不満だった。私は自分にも非があったと思い、自分を変えようと努力した。

それと同時に、カウンセラーとの毎週のセッションでは、私はいろんなことを全部ぶちまけた。

夫は居心地が悪かったと思う。夫はカウンセリングでも正直になれなかったのだ。まだタイ女とメールをやり取りしていたのに、もう終わったと言い張った。私は白けた。

夫は出張にかこつけてだんだん出席しなくなり、「もう、きみ1人で話をすればいいんじゃないかな。」と言って行くのを止めた。カップル・カウンセリングのつもりで始めた私は、カウンセリングは失敗したと思ったが、自分だけで続けることにした。

カウンセラーは45歳くらいの白人女性で、1時間のセッションのあいだ、ほとんど私にばかりしゃべらせた。当然、ぜんぶ英語でやるしかない。でも、こういうことは英語のほうがよっぽど話しやすいのだと最初のセッションでわかった。日本語ではここまでオープンになれない。

はじめのうちは、夫といっしょでも私一人だけでも、話すより泣いている時間の方が長かった。1時間のセッションはあっという間に終わった。カウンセラーは、ああしろ、こうしろということはほとんど言わなかった。

でも、私と2人だけのとき、彼女がはっきり言ったことが一つだけあった。

「こうなったのは、あなたのせいではありません。彼の選択の結果です。自分を責めるのは止めなさい。」

その言葉が私の支えになった。そう思えない日もあったが、セッションを重ねるうちにそう信じられる日が多くなっていった。

それに、子どもたちはまだ小さく、彼らの世話に追われて、悩んでばかりもいられなかった。

*     *     *

夫がシンガポールでタイ女に会う手はずを進めているメールを読みながら、どうしようかと迷った。もう知らん顔して、好きにさせるか。私が一部始終を知っていることを夫に言うか。でも、そうするとメールを読んでいたことがばれてしまう。

離婚しようとか、子どもを連れて日本に帰ろうとは考えなかった。私は、夫を試そうと思った。

「私、シンガポールに行ったことがないから、子どもたちといっしょに出張に付いて行こうかしら。」

夫は慌てふためいた。仕事なんだし、シンガポールなんか見るところないよ。それに、小さい子ども連れなんて、途中で何かあったらどうするんだ。

「そうかしら。シンガポールなら英語も通じるみたいだし、私たちバケーションにも行ってないし、あなたの経費は会社持ち。いいじゃない。」

とにかく、そんなことはだめだ。おかしな考えはやめてくれ。

「どうしてそんなに反対するの。じゃあ、あとから行って、ホテルのドアをノックするのはどう。子どもたちは、ダディにそういうサプライズをしかけるの喜ぶと思うけど。」

その夜、夫は、妻がランデブーの計画を知っている気がする、とタイ女に書き送っていた。どうして知っているんだろう。探偵でも雇ったんだろうか。英語を話すきみの友だちがばらしたんじゃないだろうね。

私は知らん顔でシンガポールのことをいろいろ聞いた。夫はいつも旅程のコピーを置いていくのだが、それを見ながら、カンファレンスはホテルの中なのか(「じゃあほとんどずっとホテルにいるということね。」)、何時に終わってホテルの部屋に戻るのはいつか(「子どもたちがダディに電話したがるから、聞いておこうと思って。」)。

夫は、夜はカンファレンス出席者の懇親会があるし、現地の支社との付き合いもあるから、どうなるかわからないと言った。

私にばれているかもしれないと疑いつつも、夫はタイ女との計画は変えなかった。

シンガポールの空港で会っても、同僚と一緒かもしれないから、振る舞いに気を付けるようにとまで指示していた。私は、夫が逆上していたときにPCに出して見せつけたタイ女の写真を思い出した。いかにも南国の若い女という感じがした。

出張当日、スーツケースを持って家を出る夫に聞いた。

「あなた、私と結婚してよかったと思う?」
「そう思ってるよ。最善の決断だった。きみは最高の母親で、妻だ。どうして?」
「ただ聞いてみただけ。アイラブユー。」
「アイラブユー、トゥ。」

嘘つき!と心の中で叫びつつ、「気をつけて。いい旅を。」と手を振った。

2つのホテルの電話番号を手に、夫がシンガポールに到着する時間を計算した。そして、どうやったら現場を押さえられるかを考えた。もう失くすものは何もないと思った。

次回その3に続く)


<今日の英語>

It has been blown out of proportion.
大げさに騒ぎすぎですよ。


NYCでの街頭インタビューにて。豚インフルエンザが恐いから地下鉄には乗らないと、自転車で走っていた若者を横目に、普通のインフルエンザで死ぬ人は毎年いるんだから、もっと冷静になるべきだと主張した人の一言。



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穏やかに、夫婦別室 その3

2009.05.03 (日)


前回その2からの続き)

夫が嘘を付いてまでタイ女と会おうとしているのに、私はなぜか冷静だった。怒りよりも失望のほうが大きかった。私のせいでこうなったのだと主張した夫に、言い返すチャンスだとも思った。

最初に夫が何を考えていたのかを知ったとき、私は自分も配慮が足らなかったと反省し、カウンセリングにも行き、態度を変える努力をした。

昭和一桁生まれの両親と明治生まれの祖父母に囲まれて保守的な田舎で育った私には、アメリカ人のような愛情表現はできなかった。見せかけの態度や言葉よりも中身が大事だと思った。

それでも、夫が望むなら、自分を変えようと決めて、毎朝、毎晩ハグとキスをし、アイラブユーを口にした。今日はどうだったのと伺い、夫の言うことやることに興味を示し、またそれをいちいち言葉で伝えた。

その結果がこれだった。

卑怯だと思った。違う文化背景で育った人間は、相手に合わせるために自分の意識を変えるしかない。そして、私の場合は、決して自然に身に付くことはなく、「こう言わなくては。こう振舞わなくては。」と常に考えなければならなかった。

夫はそれを感謝していたかもしれないが、私は本当の自分ではない自分にいやけがさしてきた。疲れてきた。いつまでこんなことを続けなければいけないんだろう。

*     *     *

シンガポールに着いた夫から電話があった。ホテルの部屋番号を聞き、フライトはどうだった? そちらの天気はどう?とさしさわりのない話をした。夫は、これから同僚と食事に行くから遅くなると言った。

1日目はほっておいた。私がタイ女との計画を知っていると思ったのは気のせいだったかと安心させるために。

2日目にも電話があった。夜はレセプションがあるという。ホテルの部屋に戻るのは遅くなる。

現地の夜10時ごろ、私はタイ女のホテルに電話して、夫の名前を出し、部屋につないでくださいと頼んだ。

呼び出し音が鳴って、女が出た。私は、「そこにXがいますね。私は彼のワイフです。今からポリスを呼びます。」とゆっくり言った。彼女は、「ノー、ノー」とだけ小さい声で言って、すぐ電話を切った。

もう一度フロントに電話してつないでもらったが、呼び出し音が鳴るばかりで誰も出なかった。

またフロントに電話したが、「そのお名前の方は当ホテルには逗留されておりません。」と言われた。夫が手を回したんだなと思った。ついさっき、つないでもらいましたけど、と言ったが、おりませんの一点張りだった。フロント係はあまり英語ができないのか、できないふりをしていたのか、わかりませんを繰り返した。

早朝にフロントが交代するかもしれないと思って、またホテルに電話した。案の定、ちがう人がフロントに居た。口実を使って、部屋の番号を聞きだし、つないでもらったが、やはり呼び出し音が鳴るだけだった。

*     *     *

その夜、夫から電話があった。感情を押し殺しているような声だった。

「彼女はきみの電話に恐れをなして、今朝一番の飛行機でタイに帰ったよ。きみのお望み通りにね。きみがやったことは脅しだ。」

「あら、私は自己紹介しただけですけど。それに、タイの売春婦がシンガポールで商売するのは違法だから、警察に教えてあげようと思って。」

「彼女は売春婦じゃない。」

「そもそも、貧しくってアメリカ人に送金してもらわなくちゃいけないような人がどうやって飛行機の切符を用意できたのかしら。」

「そんなことは知らない。ぼくは来ないでくれと言ったのに、あっちが勝手に来たんだ。」

「どうしてあなたがシンガポールに来たのを知っていたのかしらね。もう連絡は取っていなかったんでしょ。」

「それより、どうしてきみが彼女のホテルの電話番号を持っていたんだ。探偵でも使ったか。そっちこそ何をしていたかわかったもんじゃない。」

「探偵じゃないけど、タイとシンガポールの日本人で助けてくれた人がいるの。きのうのホテルの部屋はxxx号室しょう。」

当時はインターネットがやっと普及し始めたころで、今ほど情報入手が簡単ではなかった。それでも、私はタイに永住している日本人男性を見つけ、あらいざらい話して、どうすべきか尋ねた。

名前も知らないその人は、いろいろ親切に教えてくれ、現地の探偵を探してあげましょうかと言ってくれた。タイ女の電話番号とメールによく出てくる町やお店の名前を告げると、そのへんは詳しいから、よければ自分が動いてもいいとまで言ってくれた。

私は決心がつかなくて、お礼だけ言って、そのままにしていた。彼は私の立場に同情してくれたが、どこまで信用していいかわからず、いくら謝礼をあげたらいいのかもわからなかった(彼は謝礼は要らないと言っていた)。

だから、まるっきりの作り話ではなかった。

「やっぱり、探っていたんだな。彼女がどれだけ傷ついたか。まだ子どもなんだ。おびえていたよ。」

「そうね、私なんか比べ物にならないくらい、傷ついたでしょうね。電話でもっといろいろお話しできればよかったけど、すぐ切られたし、英語ができない方みたいだったし。うちにタイ語の会話集が何冊もあったから、どうしてかなと思ったけど。あなたは日本語は覚える気がないのにね。」

私は終始冷静だった。泣いてもいなかった。しばらくの沈黙の後、夫は言った。

「きみの勝ちだ。」

「そうじゃない。彼女の勝ちでしょう。最高の妻、最高の母を騙してまで、出張先でランデブーしようと思わせるくらいの人なんですから。」

これ以上話をしても無駄だった。私は言うべきことは全部言ったという気持ちになった。

もうアメリカ人の奥さんみたいな真似を続けるのは止めて、自分を解放しようと思った。

次回その4に続く)


<今日の英語>

You are a good sport.
あなたは話がわかるね。/気のいい人だね。

リスナーが車のトラブルについて相談する Car Talk というラジオ番組がある。過去に受けた電話で一番変わったものの一つとして、メイン州のポーラが「寒い朝、車のエンジンがかからないときは、あたためた毛布を車のボンネットにかける」というのがあった。そのポーラに再登場願って、いかにへんてこなアイディアかをホストがおもしろおかしく話していたのだが、ポーラも楽しそうに話に乗ってやっていた。それに対して、ホストが言った言葉。

自分がネタになっているのに、深刻にならず、その場を盛り上げるのがうまいアメリカ人。



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穏やかに、夫婦別室 その4

2009.05.04 (月)


前回その3からの続き)

シンガポールにいる間、夫の電話はごく事務的だった。私も手短に話すと、すぐに子どもたちに受話器を渡した。まだ幼かった2人は、電話で夫と話すのが大好きだった。

うれしそうに一生懸命英語で話している子どもたちを見ながら、夫が帰ってきたらどうしようかとぼんやり考えた。

私たちは離婚しないだろうという確信があった。別に根拠があったわけではない。夫は子煩悩で、子どもには両親が揃っていたほうがいいという人だった。そして、専業主婦でしかも外国人である私を扶養する義務があると信じているようだった。

もっとも、それは私の単なる思い込みだったかもしれない。

*     *     *

夫は日曜日に戻る予定だったが、タイ女が去って週末に残る必要がなくなったのだろう、土曜日に帰ってきた。夫も私も "Hi." しか言わなかった。もうハグもキスもしなかった。

子どもたちは夫にまとわりつき、おみやげをもらい、きゃーきゃー騒いだ。2人がやっと寝付いたころ、夫が私に言った。

「この家を出て行けというなら、そうするよ。」

「あなたがそうしたいなら、そうすれば。私は出て行けなんて言ってない。第一、子どもたちのことを考えたら、そんなことできないでしょう。」

「嘘を付いて悪かったと思ってる。あっちが無理やりにシンガポールに来たのは本当だ。これでもう最後にしようと思っていたんだ。きみから電話がかかってきたときに、目が覚めたよ。」

メールには、これで最後なんて書いてなかった。仮に、夫が手を切ろうとして、金づるがなくなると困るタイ女に言い寄られたとしても、出張の予定を教えて、飛行機代やホテル代を払ったのは夫だ。

でも、私はもう何も言わなかった。

「彼女は貧しい家の子なんだ。会ったばかりのぼくを自分の家族に紹介してくれた。きみに愛されていないと思って寂しかったぼくは、くったくのない彼女が心地よかった。彼女が現地妻みたいにふるまって、ぼくもお金をあげることを約束した。出張のたびに会ったし、しょっちゅう電話もした。もっとも、彼女の英語が下手すぎて、まともな話はできなかったけどね。」

「あとから、彼女の兄さんが刑務所に入っていると聞かされた。そういう境遇の子だ。男相手の商売をしなくていいように学校に行きたいと行っていた。何かしてやれると思って、お金をあげたけど、本当に学校に行く気があったのかどうかわからない。ただ巻き上げられただけかもしれない。」

「結局あの子はタイに逃げ帰ってしまって、ぼくはきみを傷つけた。日本人にとっては慣れない愛情表現をするために、きみがどれだけ努力していたか、よくわかっている。これで、ぼくに愛想を尽かしてもしかたない。」

私は黙って聞いていた。

「ぼくがシンガポールで彼女に会うことを知っていたなら、どうして止めなかったんだ?」

どうしてか、私にもよくわからなかった。2人を会わせたくないのに、現場を押さえるためには会わせるしかなかったのだ。夫をタイから引き離すにはそれしかないと思った。

「もう彼女とは一切の連絡をしない。信じてくれないと思うけど。」

「こういうことがあった直後に信じろというのは、難しい相談ね。それに、私はもうあなたにすがり付いて引き止める気持ちはないのよ。メールでも電話でもいくらでも勝手にしてくださいと思うわ。出張のついでに会いたければ、それもどうぞ。ただし、絶対に私にはわからないようにやってください。」

夫は、シンガポールにいる間に、すべてのパスワードを変えていた。私でなくても、だれかが夫かタイ女のパスワードを盗んでいたと思ったらしい。タイ女はバンコクのネットカフェから英語のできる友だちに頼んでメールしていたので、カフェの経営者かあるいは友だちが私の「知人」に買収されたと思っているふしもあった。

メールが読めなければ、もう夫の動きはつかめない。でも、もうどうでもよかった。

相談に乗ってくれたタイ在住の日本人には、一部始終を話して、たぶんもうお世話になることはないと思います、と書き送った。

*     *     *

それから、夫も私もタイについて話をしなくなった。私は、一連のことが発覚してから初めて心の安定を取り戻した。ときどき思い出しては、心にさざ波が立ったが、それもだんだん間遠くなっていった。

私には恐いものがなくなった。死ぬのも恐くなかった。誰にどう思われようと平気になった。そして、自分にうそをつかないで生きていこうと思った。

カウンセラーにも、「私はもうここに来る理由はありません。」と宣言し、セッションを打ち切った。

それでも、夫と普通の会話ができるようになるまでには非常に長い時間がかかった。いくら私のせいではないと自分に言い聞かせても、どこかで責任を感じた。夫だけが悪いとは思えなかったし、「文化背景の違い」で片付けることもできなかった。

一方で、夫との肉体的接触をことごとく避けた。夫が誰かと寝たければ、それでもいいと思った。私は自分を解放したのと同じように、夫も解放した。なんでも夫の好きなようにさせようと思った。めったに小言を言わなくなった。

そうして、10年以上過ぎて、夫と私には別々の部屋、別々のベッドがある。

子どもたちもそれを当然のように受け取っている。お母さんは1人じゃないと眠れないんだって。猫だけだよ、お母さんと寝ていいのは。

夫は毎日、私の部屋のドアを開けて、「今日の調子はどう?」と聞く。私は、まあまあね、と答える。そして、静かにいろいろな話をする。でも、タイの話だけはしない。私は夫のPCに触らないし、電話の通信履歴も調べない。

言い争いもなく、家の中は平和で、私はよく眠れる。

アメリカでは、夫婦が別室で寝るなんて公言できない雰囲気がある。いろいろ詮索されるに決まっている。だから、私たちは誰にも言わない。


<今日の英語>

Watch out where you are going, or you will run into someone.
前を見て歩かないと、誰かにぶつかるよ。

スーパーの通路から飛び出してきた小さな兄妹。妹の方が私のカートにぶつかりそうになった。その子のお母さんが言ったセリフ。叱られたのに、OKと言いながら、あんまりわかっていない様子。お兄ちゃんと手をつないで、ニコニコしている。昔は、しつけがなってないと思ったが、最近はこの程度のはしゃぎぶりなら許せるようになった。あれくらいのときが一番幸せなのよ。



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母からのメール

2009.05.05 (火)


実家で一人暮らしをしている母からメールが届いた。

「長男くんや次男くんにとても会いたい、と強く思う日があります。」

もう丸3年近く、日本に帰っていない。

子どもたちが小さいときは毎年、小学校に上がってからも1年おきに帰っていたのだが、学年が上がるにつれて、学年相応の日本語力がないために体験入学させられなくなった。また子どもたち自身もアメリカでのサマーキャンプのほうが楽しくなった。

現地校を長いこと休めないので、どうしても真夏の帰国になる。NYの気候に慣れた身体には、日本の湿度がつらい。エアコンの部屋から出られない。

私は昔から乗り物が苦手で、出かけるのもきらいだったが、年を追うごとにますます億劫になってきた。エコノミー席で13時間。成田についたら電車を乗り継いで、やっと実家に着く。NYの家を出てから、24時間後である。考えるだけで息苦しくなる。

どこでもドアがあったらなあ、と思う。

*     *     *

母は70近くになってPCを買い、メールを覚えた。

本当に基本的なことしかできない。アドレス帳のことを「お得意様」と呼んで、そこに載っている数人に新規メールを出し、届いたメールを開き、返信する。それだけ覚えた。実際に母がメールを出すところを見たことがあるが、本当にそれだけなのだ。フォルダーも削除も何も理解していない。

ちょっと違うところをクリックしてしまって、いつもとちがう画面が出るともうわからない。私宛にも、本文のないメールが届いたり、同じメールが何通も入ったりする。届いたか自信がなかったそうな。横浜で一人暮らしの姉には、「メール出したけど、届いた?」と電話する。エラーメッセージが出ても、意味がわからないという。

母は、コンピュータ関係の仕事をしている姉にときおり電話でへんてこな質問をする。ぶっきらぼうな姉があきれ返る。「ぜんぜんわかってないでしょー。わたしゃ、もう知らん。説明したって無駄。もーそのままにして電源切ったら?」

20年後の私を見るようである。

75歳の母は、運転が得意だった父が亡くなってから、車での外出が気軽にできなくなった。ふだんは自転車で行けるところだけだ。

でも、同じように未亡人になった友達が何人かいて、「浅井さんの奥さんの車で、みんなで温泉に出かけました。魚料理がおいしかったです。」「今日は女学校の同窓会でした。」「お寿司を作って鈴木さんに届けました。帰りにお花をもらいました。」といった小学生の絵日記みたいな報告がときおり届く。まあ楽しくやっているらしい。

それでも、孫の顔が見たいんだろうなあと思う。孫たちは小柄な祖母の背をとっくに追い越した。

カリフォルニアにいる夫の父からも遊びに来いと言われているが、あちらには毎年1回は顔を出している。今年は日本に帰ろうか。子どもたちを連れて。


<今日の英語>

It's too early to tell.
まだどうなるかわかりません。


豚インフルエンザはこのまま収束するだろうかというニュース・アンカーの質問を受けて、専門家が「そういう判断を下すには早過ぎる。これまで通り手洗いなど予防策を怠ってはいけない。」と戒めたときの一言。



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熱湯の洪水

2009.05.05 (火)


夫が大声で叫ぶ。

「すぐ起きてくれ! 地下室が大変だ!」

時計を見ると、夜中の12時半。朦朧とした頭で、階段を下りていく。水漏れ独特のにおいが1階まで漂っている。またか~。

これまでも地下室の排水ポンプが止まったりして、何度が地下室が水浸しになったことがある。床はコンクリートでうちっ放しなのだが、いくつか敷物もあるし、地上と同じスペースの地下室なので、広い。後始末は大仕事である。

まあ、これが初めてではなし、しょうがない、明日掃除しようと思って、地下室にたどり着くと、空気が生暖かい。それにビシャビシャと水がコンクリートを打つ音がする。いや~な予感。これはいつもと違うぞ。

夫がこれを見ろと指差す。

お湯のタンクから何本か延びているパイプから、熱湯が湯気を立てて流れ出している。夫はあちこちひねって止めようとするが、止まらない。私は呆然と立ち尽くす。

せめて床に流れるのをとめようと思って、小さいバケツをパイプの下に置いた。ボトボト、すごい勢いである。あーもったいない。せっかくのお湯が。

*     *     *

うちの地下室には、小さい車一台くらいの大きさのオイル・タンク、井戸水を貯めるウォーター・タンク、その横にボイラー、そのまた隣にドラム缶より一回り大きいくらいのお湯を貯めるホット・ウォーター・タンクが並んでいる。

前の日にシャワーから出た夫が、なんだかお湯がぬるかったなあと言った。夜、長男がシャワーを浴びようとしたら、いつまでたっても暖かくならないよと言う。地下室のボイラーを見ると、温度計は目盛りの一番下を差し、赤い警告ランプがついている。

ボイラーが止まるのは過去にもあったので、ランプの横のリセット・ボタンを押した。徐々に温度が上がり、子どもたちはシャワーを浴び、私はやれやれと寝たところだった。

夜中まで起きてい夫が、地下室からの匂いに気がつかなければ、とんでもないことになっていた。こういうときは宵っ張りの夫に感謝である。

この家は築十五年。ボイラーも寿命なのだろうか。ネットで調べてみる。タンクのない瞬間湯沸かし器みたいなものをしばらく前に見たことがある。高い。それに、温度にムラがあるという。アメリカ製?

うちと同じ症状のQ&Aを発見した。タンクの中のバルブを替えたらいいらしい。配管工を呼べ、とある。そういえば、明日ちょうどボイラーの定期点検に来てくれるはずだった。そちらにも連絡しなくては。

夫は結局朝3時ごろまでタンクを見張って、バケツに貯まったお湯を捨てていたらしい。タンクが空っぽになったのか、私が起きたときにはお湯は止まっていた。

修理関係には疎い私。夫も苦手なので、いつのまにか私の担当になってしまった。ボイラーの話なんて日本語でもままならないのに、英語で状況を説明しなくてはならない。

ボイラー会社のカスタマーサービスがオープンする時間になった。

午前中に技術屋を派遣してくれるという。助かった。タンクの修理は保守契約に入っているかどうかと尋ねたが、わからないと言われた。まあ、どこが問題なのか調べてみないと、どの程度の修理になるのかもわからないのだろう。だめなら、配管工を呼ぶことにする。

ボイラーやタンクの周り、そこから広がって、地下室全体の5分の1くらいが濡れている。

昔ならパニックに陥った私だが、まあこういうこともあるさ、と思えるようになった。いまさらジタバタしてもしょうがない。ブログを書く余裕すらある自分に驚く。

片付けに取り掛かる前に、お茶でも入れよう。そして、アメリカでは約束通り来るか来ないかわからない、修理のおじさんを待つ。


<今日の英語>

We'll send someone over right away.
すぐに人を差し向けます。

ボイラー会社のカスタマーサービスの返事。すぐと言っても、午前中に来るということなのだが、アメリカなら「すぐ」の範疇に入ると思われます。



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修理のおじさん

2009.05.06 (水)


修理のおじさんは10時にやってきた。手ぶらが気になるが、今はワラにもすがりたいところ。約束通り来てくれただけでまず合格。「地下室がすごいことになってます。」と言いつつ、案内する。

「そういうことは聞きたくないですねえ。」と余裕で笑うおじさん。きっと家よりもっとすごいのを見ているんだろう。

「子どもの昔のおもちゃがこんなにあって、邪魔ですみません。」

「うちもそうでしたよ。やっと成人してくれて家を出たんだけど、まだおもちゃが転がってます。今年こそ全部捨てちまおうと思ってるんですけどねえ。」

なんだか人のよさそうなおじさんでほっとする。

私の説明を聞き、タンクの上の直径7センチくらいのふたを開けて、ペンライトで照らす。どうして横のパイプからお湯が噴出したのか、わからんなあ。不安になった私は、前から温度設定がおかしくて、蛇口から熱湯が出ることがあったことを言い添えた。

おじさんは、洗濯機の横のシンクでお湯を流してから、「たぶんサーモスタット(温度調節器)が狂っていて、それであふれ出たんですよ。」そう言って、ポケットからドライバーを出し、サーモスタットのフタを開けて、部品を取り出した。

「これはずいぶん古い型ですね。オフィスに電話して、部品を探してもらいます。たぶんどこかの店にあると思いますよ。」

私のヒントで、サーモスタットのせいだと決めていいのだろうか。

このタンクは下のほうから排水できないという致命的な欠陥がある。ほとんど、ドラム缶にパイプを付けただけ。だから、見える範囲と過去の経験から判断するしかないのかもしれない。

「これは設置して15年くらい経ってるんですけど、タンクの寿命はそんなものですか。」

「15年も持ったなんて、お宅はラッキーですよ。」

そういえば、うちは洗濯機も13年使ったし、乾燥機は15年経った今も動いている。だいたい何でも壊れるまで替えない。お湯のタンクも、もっと前にサーモスタットを取り替えていれば、洪水にはならなかったかもしれない。メンテナンスしなくちゃなあ、と反省する。

*     *     *

おじさんは、12時ごろ部品を手に戻ってきた。そして、ついでに明日やるはずだった定期点検もやるようにオフィスから指示されたそうで、今度は道具箱を持っていた。

修理と点検が終わったのは午後1時。この会社はいつも時間をかけて丁寧にやってくれる。それだからこそ、年間契約を結んでいるのだ。NYの冬にヒーターとお湯がなかったら、お手上げだから。

サインお願いしますと渡されたレポートは、読みにくい字で作業の内容、部品の名称と金額、検査結果などが書いてあった。〆て770ドル。そのうち500ドルは保守契約でカバーされていた。

一軒家は本当にお金がかかる。

濡れて使い物にならない箱をどかし、敷物を乾かす。コンクリートの床も水分で濃いグレーになっている。除湿機をオンにしておいたが、バケツには一滴の水も貯まっていない。そうだ。去年の夏から、除湿機はうぃーーんとうなるだけで、ぜんぜん除湿のお仕事をしていなかった。

次は除湿機か。なぜ家電や備品は同じときに壊れてしまうのだろうか。

とりあえず、タンクからお湯は漏れていないし、シャワーも使える。今日はそれでよしとしよう。

家を持つことがアメリカン・ドリームだと言われるが、パイオニア時代の強健で独立心が強く、自分の手で何でもやろうという人たちならともかく、私にはドリームどころかナイトメア(悪夢)と紙一重である。


<今日の英語>

Let's see what happens.
しばらく様子を見ましょう。


サーモスタットを替えれば、もうお湯がこぼれることはないんですね、という私の質問に対するおじさんの回答。またトラブルが起きたら、そのときはタンクごと取り替えるしかないでしょう。まずは、これでどうなるか、成り行きを見守れということね。ほとんどギャンブルのような気がするんだけど。



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欠陥品と返品と「ふりだしに戻る」

2009.05.07 (木)


水分を吸収しない除湿機は、ただの重い箱。ともかく地下室を乾燥させなくてはならない。

これまで2回買ったが、いつもシアーズだった。ウェブサイトで見ると、今のと同じ50パイントの容量のは199ドル。小型ならもっと安いが、地下室では役に立たない。

50パイントということは、パイント・サイズ(473cc)の生クリームが50個分入るということか。これまで深く考えなかったけれど、今の除湿機のバケツはそんなに大きく見えない。でも確かに50パイントと書いてある。

おすすめ除湿機を検索しても、なぜかあまり種類がない。需要が多い製品だと思うのに、おかしいな。

シアーズなら車で20分で行けるから、郵送でなくて引き取りに行けばいい。結局、今のと同じモデルをウェブで注文すると、お店に在庫あり、引き取りできますというメールが来た。

*     *     *

Merchandise pickup という商品引取り所まで行くと、若いお兄ちゃんが2人、手押し車に除湿機を載せて来て、すぐ外に止めた私の車に積みこんでくれた。

ありがとうとお礼を言って、家に向かう。あれ、こういうときはチップあげるんだっけ。状況を考え、チップ不要という結論を出す。

45ポンド(20.5キロ)と重いので、子どもたちを動員して地下室に運ばせた。やれやれ、これでコンクリートも乾く。

コンセントをつないで、電源スイッチを押すと、ぐわ~んと音がした。再び、いやな予感。

30秒ほどゴーッと音がして、いかにも大気中の水分を集めていますというふうだったが、3分もしないうちに止まった。もう一度コンセントをやり直してみる。湿度を何パーセントと指定せずにONを選べば、湿度に関係なくずっと作動するはずなのに、動かない。

欠陥商品である。

お店に電話したら、担当におつなぎしますと言われたが、「ただいま席をはずしております。」というボイスメール。とりあえず伝言を残す。

シアーズのカスタマーサービスにも電話した。さすがにこちらは、I'm sorry.と謝った。買ったお店のレジまで持って行って、返品の手続きをしてから、また商品受け取り所で別の除湿機を受け取れと言う。

「重くてそこまで運べません。商品受け取り所に戻してもいいですか。だいたい家電売り場は電話にも出ないんですよ。」

「通常の返品交換手順はそうじゃないんですけど、やってできないことはないと思います。」

そうして、欠陥除湿機を箱に入れ、地下室から運び出し、車に積み(これは夫にやらせた)、20分運転して、シアーズの商品受け取り窓口に到着。

すでに1日分の体力を使い果たした。

*     *     *

受け取ったときと違う男性が出てきたので、事情を説明すると、OKとだけ言って、レシートにごちゃごちゃと書き、「これを持って売り場に行って、倉庫から別のを出す手続きをしてください。」

ソーリーは無かった。そりゃ、あなたが作ったんじゃないし、直接売ったんじゃないでしょうよ。でも、お宅の会社で買ったお宅のブランドなのよ、と心の中でつぶやく。それにしても、中身も確かめずに引き取ってくれたけど、いいのだろうか。

売り場に行って、一部始終を説明する。レシートを見た売り子のお兄さんは、ヒマだったのか、馴れ馴れしくペラペラとしゃべり始めた。

「50パイント? あー、あれはダメ。だいたい除湿機なんて、どれもジャンクだよ。持って、いいとこ18ヶ月だね。知ってる?いろんなメーカーが出してるけど、作ってるのは韓国のLG一社。あそこの工場の同じラインで作って、ロゴを貼り付けるだけ。だから、どこのメーカーのでも同じなの。」

「お宅は地下室? どれくらい広い?1000平方フィートくらいかな。50パイントじゃ無理だね。少なくとも70パイントのを置かなくちゃ。ぼくね、3台買ったんだよ。それで保証契約は1つだけ。3台が次々に壊れるから、そのたびに1台ずつ持って行く。そしたら、契約は1台だけど3台分使えるってわけ。」

「だいたい product warranty (製品保証)って、おかしいですよ。一番丈夫な部品しかカバーしてない。こわれるのはファンとか、スイッチなんだけど、それは自腹になる。ここに持ってくるお客さん、みんな直してほしいと言うんだけど、たいてい保証されてない部品だなあ。」

(あの~、あなたほんとにここで働いてる? それに、眉毛のピアス、ちょっと目立ちすぎじゃない?) 

それでも必要だから、と在庫を調べてもらった。

「50パイントはないです。35か70ならあるけど。だいたいこのシリーズはもう打ち切りになるし。去年の秋に新しいデザインの70パイントが出てね。あれなら、貯まった水もポンプで出せる。こっちに1台サンプルがあったな。」

確かに多少はハイテクなデザイン。でも、値段が350ドル。あなた、さっき除湿機はぜんぶガラクタって言わなかった? 高くない? これは18ヶ月以上持つの?

「さあ、どうかなあ。わかりませんね。でも、これからはこのモデルしか売らないと思いますよ。」

*     *     *

ここで買えば、一挙に仕事が片付く。でも、また欠陥品だったらどうする? それに350ドルの価値があるのか? やっぱり家に帰ってこのモデルについて調べてからにしよう。

「すみません。350ドルは予算外なので、夫に相談します。とりあえず、今日の返金だけしてくれませんか。」 夫がどうのというのは、決まりきった言い訳である。夫はこの手の問題は全部私に任せている。

お兄さんは、オッケーと言って、レジをたたき、長いレシートをくれた。クレジットカードに全額返金しましたよ。

私がサンキューと言うと、ノープロブレム! 別にソーリーは期待してませんけどね。

こうして、私は片道20分を二往復して、合計6人の店員と話したあげく、除湿機は手に入らず、はからずも「ふりだしに戻る」のマスに入ってしまったのである。


<今日の英語>

Your order is ready for pick-up.
ご注文の品はお引取りのご用意ができております。


シアーズからのメール。ここしばらく家電を買っていなかった私は、これで問題解決と喜んだ。アメリカでたいていのものが返品可能なのも、欠陥率の高さが原因? しかも、今回「どこがおかしいのか」と詳しく聞いてくれた人はいない。形式だけでも、普通は確認しませんか。私が返品した除湿機の行方が気になります。



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持つべきものは

2009.05.08 (金)


横浜に住む姉から小包が届いた。

姉と私は一つ違いで、高校は別だったが(頭のいい姉は市外の進学校へ通った)、それ以外は、保育園から大学まで同じところ。大学を卒業してからも、私がアメリカに移住するまで東京のアパートで一緒に住んでいた。

姉と私は、見かけはともかく、ほとんど双子のようにくっついて育った。私はなんでも姉が先にやってくれて、1年後にその真似をするだけでよかった。

私がアメリカ人と結婚してアメリカに行くと伝えたとき、夫と毎日のように電話していたのを見ていた姉は、予想していたのだろう。驚かなかったし、反対もしなかった。でも、「そんなに浮かれてていいのかね~。どうなっても知らないよ。」とクギを刺すのも忘れなかった。しっかり者の姉と違って、どこか頼りない私を危ぶんでいたと思う。

現実問題として、私がアパートを出たら、2人で折半していた家賃を一人で払わなくてはならない。それに、あまり友だちも作らず、2人だけで孤立していたような私たちだったので、一人になる不安や寂しさがあったかもしれない。

そんなことにようやく気がついたのは、アメリカに来て何年か経ってから、姉が一時期、不安定になったときだ。

私はまったく自分のことしか考えていなかった。

姉はアメリカに何度か遊びに来た。英語が話せず、海外旅行をしたこともなかったのに、私が移住して半年もしないうちに来た。私と違って、料理の得意な姉は、慣れない台所であれこれ作ってくれた。誰かが家に来ると疲れる私だったが、姉だけは例外だった。

私たちは東京のアパートにいたときと同じように、一日中しゃべりまくった。姉は、私がアメリカでやっていけるかどうか、夫が私をどう扱っているか、見極めに来たようだった。

周囲が目に入らない私と違って、姉には観察力や洞察力といったものがある。

長女だからかどうかわからないが、ずいぶん人に気を使っている気がする。私だけでなく、家族や友だち、会社でもきっとそうだと思う。

私がうつをわずらったときも、私が何も言わなくても、電話の声の調子ですぐピンと来たらしい。話し方が一本調子だったそうだ。そして、会社の休みが取れるとアメリカに飛んできた。

*     *     *

今では、アメリカにいても日本の本が簡単に買えるようになったが、ウェブと本屋に行くのとではちがう。書評を読んでよさそうと思って注文しても、期待はずれだったりする。やはり本は手に取ってみたいのだ。

それができない私のために、毎週のように電話をくれる姉は、「こんな本読んだけど、どう?」と報告して、その中で私が読みたいと言う本をまとめて郵送してくれる。エアメールだから高い。でも、そのことで姉が文句を言ったことはない。

大学卒業後、大手企業の専門職で勤続25年以上。独身なので、趣味のバイオリンやコンサート通い、バレエ鑑賞その他にはずいぶんお金をかけている。一方で、老後のための貯蓄も怠らない。しっかりしているのである。

母は私たち姉妹に「バリバリのキャリア・ウーマン」になれとよく言っていたが、姉はまさにその通りになった。私も大学まではその道を進むつもりだったが、結局は一般事務で数年働いただけで、専業主婦になってしまった。

ところが、母は今頃になって、「Kちゃん(姉)はこのまま結婚しないだかねえ。おしゃれもしないし、あれじゃあ彼氏ができんやあ。おいしいものを送ってくれるのはありがたいけど、どうするつもりだかねえ。爪を噛む癖も髪の毛を引っ張る癖も直ってないし。」とこぼす。

自分の育て方が間違っていたのではないかと自問自答するのである。

それでいて、私には「せっかく大学まで出してやったのに、赤ん坊の世話だけじゃあ。英語で身を立てると思っとったに。通訳でも国連でも、なんでもあるら。旦那に何かあったら、どうするだね。」と言ったことがある。私は、当時でも掃いて捨てるほどいたフツーの英文科卒に過ぎないのに、母の頭の中には鳥飼久美子や赤松良子があったらしい。

さすがに最近は、私たちのどちらにもあきらめがついたのか、以前よりそういうことは言わなくなった。

姉は日本に住んでいるだけあって、母からの電話がうっとうしいこともあるらしいが、たまには実家の様子を見に帰り、おいしそうなものを宅配便で送ったりしているらしい。ぶっきらぼうな口をきくのだが、気配りの人なのである。

私もその恩恵にあずかって、今回はこういう本が届いた。

  • この世でいちばん大事な「カネ」の話 (西原理恵子)
  • 言葉を育てる (米原万理対談集)
  • バイトくん!大阪100円生活 (いしいひさいち)
  • 謎の1セント硬貨 (向井万起夫)
  • 反転 闇社会の守護神と呼ばれて (田中森一)
  • 子どもにマネーゲームを教えてはいけない (キャシー松井)
  • Pluto 07 (浦沢直樹 x 手塚治虫)

最後のはアニメの好きな長男へ。シリーズなので、新刊が出るたびに送ってくれる。

謎の1セント硬貨のオビには「アメリカ人のホンネがよ~くわかる本」と書いてある。なぜか姉はこの手の本を、アメリカに20年も暮らしている私に送ってくるのである。

なにはともあれ、地下室のタンクと除湿機の件でちょっと疲れた私には、日本の新しい本はうれしい。これで当分は楽しめる。そして、読んだあとは、また姉と電話で、この本はあーだこーだとおしゃべりをするのだ。

持つべきものは、である。


<今日の英語>

She has left for the day.
今日はもう帰りました。


子どものヘアサロンにて。お客からの電話を受けた美容師の返事。指名された美容師は、シフトが終わって帰宅したのだろう。She is gone for the day. とも言う。



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災い転じて福となす

2009.05.09 (土)


アマゾンで注文した Frigidaire 社の除湿機が届いた。

70パイント容量にしたので、前のより重い。子どもたちでなく、夫に地下室まで運んでもらった。

外箱には異常なし。ロープをはずすと、かぶせてあるフタを取る形で上の箱を外せた。除湿機本体のてっぺんにハンドルがあって、それを少し持ち上げると、低めの底箱から簡単に出せた。シアーズのは、ハンドルもなく、重い本体を箱より高く持ち上げないと取り出せなかったのに。

なかなか賢い包装である。これはよい兆候かもしれない。

デザインも、もうすぐ生産中止になるというシアーズのより、いかにも家電という感じがする。パネルも見やすいし、使いやすそう。

包装テープをはずし、コードをコンセントに差し込むと、ランプがついた。よし!

マニュアルには、ON のスイッチを押すと、工場が設定した通りに CO の文字が表示される、と書いてある。CO はContinuous (継続)の意味で、湿度に関係なく、常時作動するということらしい。使い始めの3~4日はそのまま CO 設定でやれ、とある。そのあとで、好みの湿度に変更すればいいのだ。

「頼みますよ~。」とONのスイッチを押すと、力強くゴオーッとうなり始めた。3分経っても止まらない。1時間後に見たら、まだ動いている。どうやら、これは欠陥品じゃないようだ。

でも、バケツにどれくらいの水が貯まるか、もう少し待ってみないとわからない。まだ気を抜いてはいけないのだ。

*     *     *

ところで、除湿機のパイントというのは、「24時間でどれだけの水分を大気から除くことができるか」を基準にしていることがわかった。除湿機の下に付いているバケツの大きさではない。

今日届いたのは70パイント(約33リットル)仕様で、バケツの大きさは17ガロン(約64リットル)だった。つまり、最大限動いても、2日間はタンクの水を捨てなくてもいい計算になるのか。

シアーズに返品したのより20パイントも容量が大きい上に、作りがしっかりしている。それなのに、値段は同じ。私のリサーチした範囲では、よい評価を得ていた。

先日の二往復に懲りたので、アマゾンで注文したのだが、super saver が適用されて送料無料になっていた。でも、それだと時間がかかる。なるべく早くほしいと思って、2日で届くという Amazon Prime の3ヶ月無料お試しサービスにサインアップした(3ヶ月以内にキャンセルしないと、年会費が79ドルかかる)。

そして、本当に2日で届いた。私は家から一歩も出ていない。

あの眉毛ピアスのシアーズお兄ちゃんのおかげで、慌てて350ドルのを買わなくて済んだ。うちには199ドルので充分だ。

あとは、今日届いた除湿機が18ヵ月後に動いているかどうかである。


<今日の英語>

This really hit home.
(自分にも当てはまることなので)強い感銘を受けました。/痛感しました。


NYタイムズの記事に同感する読者の投稿より。「中年になって、人生が残り少ないことに気づくと、人はあれもこれもやらなくてはとあせってしまう。志を高く持ちすぎたって、ものごとには限界があるのだ。自分自身に猶予を与えよう。」という内容のコラム(Not-So-Great Expectations)だった。

情報過多でいろんなことが猛スピードで変わっていく現代社会。不安に駆られているアメリカ人も多いようです。「そんなことで悩む余裕があるなんて、いいお給料を貰ってるコラムニストはラッキーだね。多くの人は自分の生活を守るために必死なのに。」というイヤミな投稿もありましたが。



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とりかへばや物語 その1

2009.05.10 (日)



うちの猫たちは、アニマル・シェルターに保護された母猫から生まれた6匹のうちの2匹。血のつながったきょうだいである。

シェルターの壁に貼ってあった、生後1ヶ月くらいのときの写真だけでその場で決めた。世話が大変だから1匹だけと主張していたのが、あまりの可愛さに、

「やっぱり1匹だけじゃかわいそうだわ。家の中で飼うんだから、遊び相手がいなくちゃ。」

とあっさり宗旨替えをしたのだった。


*     *     *


私は、猫の出産時期も考えずに、12月からウェブとシェルターを巡り歩いた。どこに行っても、「子猫がほしいの? まだ冬だからねえ。春になったら来てみたら。」と言われた。そう言われると余計に早くほしくなった私は、いつもの出不精返上で、毎週のように近辺のシェルターを訪れた。

1月も終わりになって、「まだ子猫はいないだろうなあ。」と思いつつ、おとな猫の大部屋に行くのも楽しみで、寄付のキャットフードを携えてシェルターに行ったのだった。

入り口の左側に掛けてあるコルクボードには、カレンダー販売中とかこういうものを寄付してくださいとか、いろんなお知らせが書いてあるのだが、そこに6匹の赤ちゃん猫を別々に写した写真が1枚の紙に貼ってあった。何の説明もない。見回したが、子猫のケージにはそんな小さいのはいなかった。

それにしても、可愛い。まさに私が待ち望んでいた子猫だ。

すぐ隣のオフィスに首を突っ込んで、「ここに貼ってある猫の写真なんですけど。」と言うと、「しばらく前にここで生まれたんですよ。母猫を保護したもんでね。もうちょっと大きくなるまで、ボランティアの家で飼ってます。だから、ここにはいませんよ。」

「もう貰い手が付いたんでしょうか。」

「何匹かほしいという人が現れましたよ。特にそのお腹と前脚の白い子には確か3件申込みがあったと思います。あなたも?」

ええ! ぜひ!! 去年からずっと探していたんです。19年買った猫が死んでしまって、うちの子供が泣いて泣いて。2匹引き取りたいんですけど、いまからでも予約できますか。お腹の白い子と、あとはトラ猫1匹どれでも。」

シェルターのおばさんがくれた書類には、人間の養子縁組かと見紛うくらい、質問事項が並んでいた。

  • 持ち家か借家か。借家ならペット可か。
  • 家族構成は? 子どもの年齢は?
  • 猫アレルギーの人はいるか。
  • 家族全員が猫を飼うことに賛成しているか。
  • 家の中だけで飼うのか、外に出すのか。
  • 猫のえさ代、獣医やペットホテルにかかる費用を出せるか。
  • 誰が世話の責任者なのか。
  • 猫は15~20年間生きるということを理解しているか。その間、ずっと世話をする覚悟はあるか。
  • 1日のうち、最長何時間家を留守にして、猫をひとりぽっちにさせるのか。
  • これまでペットを飼ったことがあるか。どんな種類の動物を何年? どんなおもちゃや遊びが好きだったか。何歳まで生きたか。死因は?
  • 猫の爪を抜くつもりか。これまで飼い猫の爪を抜いたことがあるか。
  • どのような状況になったら、猫を飼えなくなると思うか。
  • あなたにシェルターの猫を引き渡すべき理由を述べなさい。

こういうのが延々と続いた後に、署名欄があった。

「上記の情報は真実かつ正確であり、もし私が当シェルターから猫を引き取った場合は、里親斡旋契約の記録として保存されることを了承します。」

契約書である。

前の猫は、私がアメリカに来る前に夫が知り合いからもらったし、私の実家で飼っていた猫もそうだった。シェルターから猫をもらうのは初めての経験だったので、厳しい審査があるんだなあと思った。

でも、いい加減な気持ちで猫を飼う人を除外するのは当然だと思い、このシェルターに好意を持った。(ずっと後になって、どこのシェルターも同じような質問をするのだとわかった。)

そして、なんとか2匹を手に入れたいと、ありったけの智恵と語彙を動員して、黙々と書類に記入した。どうしてうちに猫が必要か、大学のテストもさもありなんと、真剣に取り組んで提出した。

次回その2に続く)


<今日の英語>

You might want to look into it.
調べてみるといいと思うよ。

姉の国際電話代を気にしている夫が、スカイプを使えと私にしつこく勧めたときの一言。スカイプについては、私から姉に提案したことがあるのだが、興味がないと一蹴された。夫は、私のPCにスカイプをセットすれば、姉の固定電話にかけられると言う。そうなの? スカイプ同士じゃなかった? なんかめんどくさそうだし、だいたい私のPCはここんとこ不調で、遅いし、しょっちゅうフリーズするのよ。スカイプなんかできる環境じゃないでしょ。

まあ、角が立たないように、「わかった、調べてみる。」と答える私でありました。



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とりかへばや物語 その2

2009.05.10 (日)



前回その1からの続き)

何日か経って、「ご希望通りの2匹を差し上げましょう。」という電話が来た。

状況を説明しておいた子どもたちには、こういうときがチャンスとばかりに一席ぶった。

きっと、お母さんのエッセイがよかったのよ!同じ猫がほしいっていう人が、うちの他に3人もいたのよ。だから、ふだんから勉強しておかなくちゃいけないの。作文はイヤだ~なんて言ってたら、ここぞというときにうまく書けなくて、猫がもらえないんだから。」

猫が大好きで作文が苦手な長男は、神妙な顔をして聞いていた。


*     *     *


母猫と子猫全員がボランティアの自宅で世話されていたので、なかなか実物に会えなかった。3ヶ月になって、避妊手術を済ませたら引き取っていいと言う。

写真花嫁をもらうがごとく、毛皮の色と模様だけを基準に選び、オスメスも考えなかった。ペルシャ猫みたいに毛足の長いのは掃除が困ると思ったが、写真で見る限りでは普通である。正式にサインし、1匹につき55ドルを払った。

「子猫たちがシェルターに戻りましたよ。」という連絡を受けて、長男といっしょに見に行った。写真よりずいぶん大きくなって、3匹が同じケージに入っていた。

そのうちのトラ猫2匹はそっくりな模様だったので、シェルターの人に「どっちがうちの子ですか。」と聞いて教えてもらったのだが、そのときの写真を見ると、まるで区別がつかない。

シェルターの人、本当にわかってたんだろうか。

自宅で6匹の世話をしたというボランティアが、「この子たち、みんな性格がぜんぜん違います。きっと、楽しいですよ。」

私は性格についても考えていなかった。子猫の性格なんてわかるんだろうか。

そういわれて見ると、シェルターでストウと名づけられた猫(サーシャに改名)はケージの中を忙しく登ったり降りたり、水のボウルをひっくり返したりしている。

そっくり模様の2匹はピタッとくっついて、ケージの隅っこに座って動かない。おとなしそうだ。そのうちの1匹がスキット(ミーシャに改名)だった。

ボランティアの人が「せっかく来たんだから、抱っこしたいでしょ?」と1匹ずつ長男に渡してくれる。

「うわー、ちっちゃーい。かっわい~。早く連れて帰りたいな~。」とデレデレの長男。

元はと言えば、前の猫が死んでしまって長男がいつまでもメソメソしていたので、飼うことにしたのだった。私はもう動物の死に目に会いたくなかったし、家が汚れるし、家を空けられないし、気乗りしなかったのだが、そんなに喜ぶなら、2匹飼う甲斐があるというものだ。


*     *     *


引き取り日の確認をしていると、書類を見ていたシェルターの担当者が「オス2匹ですね。」と言う。性別はどちらでもよかったのだが、私は考えた。

「オス2匹か…。うちは人間の子どももオス2匹。私は女の子一人だけ生んで大事に育てようと思っていたのに。とことん娘には縁がないんだわ。オス2匹で縄張り争いすると困るけど、兄弟だから大丈夫でしょ。」

引き取りの前日、確認の電話をすると、1匹は獣医で一晩様子を見るから、あさってにしろと言う。1匹だけ弱いのだろうか。

いよいよ引き取りに行くと、もらわれていく2匹だけがケージにいた。うちにはカゴが1つしかなかったので、2匹いっしょに入れようと思っていたが、シェルターにあったカゴを1つ分けてくれたので、別々のカゴで運ぶことができた。

シェルターから家まで車で15分なのだが、猫たちはウンともスンとも(ニャーともミャーとも?)発しなかった。移動のショックでどうにかなったんじゃないかと長男と私はハラハラした。

そーっと2階まで運ぶ。大勢でおどかさないように、夫と次男には隠れているように指示しておいたのに、子猫見たさで待ち構えていた。猫が恐がったら、あんたたちのせいだからね。

カゴのドアを開けると、ストウ改めサーシャがさっと飛び出してきて、あちこちにおいをかぎ始めた。目がまん丸である。

スキット改めミーシャは出てこない。かごの一番奥で身動きしない。安全確認ができてないのに、いきなり飛び出すバカはしないのか。10分くらいして、ようやくカゴから出て、ソロリソロリと歩く。やっぱりまん丸の目。

なるほど、この2匹は性格が違う。

初めての部屋で4人の人間が見守る中、二匹は隅から隅まで巡回し始めた。子猫がうちに来たのは初めて。猫をおどかさないように、4人はじっと座って、小さな声で話す。

可愛いねえ。見て、あの手。ちっちゃーい。きれいなシマシマ模様だねえ。あれ、あっちは足の先がちょっとだけ白いよ。新しい名前、覚えるかなあ。それより、トイレが先よ。

ふと見るとミーシャのおなかの毛がまあるく剃ってあって、そこから黒い細い紐がだらりと出ている。サーシャにはない。

「あれ、なんだろ。」
「もしかして、お腹の病気だったのかもしれないよ。悪いところ、手術したんじゃない?」
「でも、シェルターの人はそんなこと言ってなかったでしょ。怪我じゃない?」
「病気だとわかったら、引き取ってもらえないと思って黙ってたんじゃないの。」

心配になった私は、翌日シェルターに電話した。

次回その3に続く)


<今日の英語>

Cut them some slack.
寛大な目で見てやりなさい。/見逃してやりなさい。


NYタイムズのマナーコラムより。アルツハイマーの祖母が食事中にげっぷするのを、孫がおもしろがって困るという相談に対する返事。Give them some slack.とも言う。

あなたもあなたのご家族も、おばあさんのことで大変なプレッシャーを感じているでしょう。泣きたいのと同じくらい、笑いたくなることもあるでしょう。泣くのも笑うのも必要なことです。げっぷを笑うのはあなたの子どもだけではありません。それで子どもたちの緊張が解けるならいいじゃありませんか。あとで、どうしておばあさんは食事中にげっぷしていいのか、彼らにとってはマナー違反なのかを説明すればいいのです。



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とりかへばや物語 その3

2009.05.11 (月)



前回その2からの続き)

「昨日子猫を2匹引き取ったkomatta3です。ええ、2匹とも元気に探検してます。ありがとう。ところで、一つお伺いしたいんですが、スキットのお腹の毛が剃ってあって、お腹から黒い糸が出てるんですけど。あの子、内臓かどこか、病気だったんですか。まさか悪い腫瘍があったとか?」

「ちょっとお待ちください。ファイルを調べますから。えーと、スキットとストウね。スキット…ああ、それはただの避妊手術ですよ。」

「あの~、スキットはオスですよね。私、書類にサインしたときオス猫2匹って言われたんですけど。オスの避妊手術でお腹を切ることがあるんですか。」

「誰かが書類を読みまちがえたんでしょう。あなたはオス、メス1匹ずつ引き取ったことになってますよ。」

「メス!? オス2匹じゃなかったんですか。読みまちがいじゃなくて、見まちがいだったということですか。」

「さあ、私の担当じゃないからわかりませんねえ。オス2匹でないと、不都合があるんですか。」

「いえ、別に…ないです。ただ、ちょっとびっくりしたものですから。そうですか。スキットはメスでしたか。病気じゃなくてよかったです。」

「じゃあ、お約束通り2匹の面倒を見てくれますね。もし何らかの理由で世話ができなくなっても、絶対に捨てちゃいけませんよ。必ずシェルターに持ってきてください。困ったことがあれば相談に乗ります。契約書に書いてある通りです。」

電話を切って、夫と子どもたちに言った。

「この子、メスだって! お腹は避妊手術の跡だって。それで1匹の手術のほうが大掛かりだったわけね。オスだったら、チョッキンと切るだけで、回復も早いからねえ。そうか~、ミーシャはメスだったのか~。」

念のため、サーシャをひっくり返してみたら、なるほど、そっちはわかりやすい「元」オスだった。


*     *     *


その頃、ロシアにかぶれていた私は、猫にもロシアの名前を付けたかった。

両方オスなんでしょ。じゃあ、アレクサンドルとミハイルはどう? 呼ぶときは、サーシャとミーシャ。素敵じゃない?

サーシャならアレクサンドという女の子の愛称でもあるのだが、あいにく兄猫にサーシャと付けてしまった。しかも、いかにもサーシャという顔をしていたのだ。今さらミーシャとは呼べない。

マーシャとかナターシャに変えようとも思ったが、もう何日も前から写真を見てミーシャと呼んでいたのだ。しょうがない。ミシェルがロシア名前にもあるのかどうかわからないが、ミシェルの愛称でミーシャということにしておこう。

それにしても、と私は思った。

いくら子猫だって、オスメス見間違えるだろうか。シェルターで書類を作った人が書きまちがえたか。カゴに3匹入っていたときに、そっくりな2匹を取りちがえたのもしれない。いや、6匹のうち、2匹にそっくりな模様のがもう1匹いたから、さらにそっちと入れ替わっていた可能性もある。

確かに不都合はない。どっちでもいいのだ。でも、シェルターの人はずいぶんアッサリしていた。よくあることなんだろうか。あるいはどっちみち避妊・去勢手術するんだから、オスでもメスでも同じということか。ちょっと私とは相容れないメンタリティである。

猫を探すとき、性別にはこだわらなかった私だが、オス2匹のつもりでもらってきて、実はオス1メス1とわかったときは、軽いショックでしばらくオタオタしていた。

「ミーシャ、メスだって~。そんなこと、ありえる? だってオス2匹って言われたのよ。書類にもそう書いてあったのよ。でも、メスだったのよ!」と1日じゅう繰り返しては、子どもたちに「もう聞いたってば~。どっちでもいいじゃん。かわいいんだもん。」とあしらわれた。

まあ、そりゃそうだ。

それにしても、思い込みというのは恐ろしい。オスだと信じきっていたために、誰一人として、あれがメスの避妊手術の痕だと思いつかなかったなんて。

猫がすりかえられたかどうか真相はわからないが、私以外全員オスの家になると思っていたら、こうして女の子が来たのだ。人間ではないにしろ、女同士で話ができる。

「オスっていやあねえ。
トイレは汚すし、食べ物はガツガツ食い散らかすし、取っ組み合いしたがるし。それでもって、やたらかまってほしがるのよね。あー、やだやだ。どうして男ってこうなのかしらね。ミーミも大変よね。こっちおいで。お母さんと遊ぼ。」


<今日の英語>

Do it today so that you won't be jammed up later.
あとで押せ押せにならないように、今日やりなさい。


やたら宿題を先延ばししたがる次男への夫の一言。traffic jam (交通渋滞)の jam と同じ。うちは、兄弟そろって時間の感覚が鈍い。締め切り直前になって、慌てることがしょっちゅう。何度そうなっても懲りないので、もう私は何も言わないことにしました。痛い目に合えば、わかるでしょう。



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テーマ : アメリカ生活 - ジャンル : 海外情報

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満開

2009.05.12 (火)



台所の窓のすぐ外に植えたcrabapple

crabapple tree in full bloom1


日本名はハナカイドウ(花海棠)というらしい。花が美しいので、実の大きなミカイドウ(実海棠)に対して命名されたらしい。確かに、実は小さい。他に、ホンカイドウ(本海棠)という種類もあるらしい。それとは別に、ハナリンゴという説明もあった。

植物音痴なので、聞きかじりの知識のみ。どれが正しい情報なのか、さっぱりわからない。

さらに調べてみたら、バラ科だった。リンゴがバラ科なんて全然知らなかった。リンゴはリンゴ科と思っていたのだが、そういう分類はないのだ。バラ科リンゴ属というのだそうだ。もしかして、そんなこと常識だったらどうしよう。

まったく、50年近く地球に住んでいるのに、知らないことが多すぎる。

私の祖母は菊コンクール入賞の常連だったし、母は一人暮らしなのに玄関に季節の花を絶やさない。それなのに、私は切花でも植木でもすぐ枯らしてしまう。だいたい興味がないから、めったに買おうとも思わない。

そういう DNA はいったいどこで消滅したのだろうか。

Crabapple は厳しい冬の間、葉っぱが全部落ちて、裸の枝がパリパリに凍っていたのに、今年も白い花が満開。丈夫なところがいい。花だけでなく、赤い小さい実もたくさん付けて、派手な色の鳥(私は鳥の名前も知らない)がしょっちゅう飛んでくる。

料理を作りたくなくても、シンクの前に立ってこれが目に入ると、多少はやる気が出るというものだ。


<今日の英語>

Don't you feel better now you've done that?
(宿題を)済ませたから、気分がいいだろう?


締切の2日前に宿題を終わらせた次男に対する夫の一言。それは最初からわかっているけれど、なかなかできない。本人だけでなく、夫や私もやきもきするのだ。今週は一つだけ心配事が減ったわけです。長男の方がどうなってるかわかりませんが。



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日本人の前で英語を話すとき

2009.05.13 (水)


周りにどう思われようとあまり気にしなくなった私だが、日本人のいるところでアメリカ人と英語を話すときはなぜか自意識過剰になる。

しゃべる前に頭の中でリハーサルしたり、こっちの言い回しの方がいいかなどと考えてしまう。そして、返答が短くなる。

日本語を解さないアメリカ人と20年間もアメリカで生活しているし、そのうち5年間は仕事をしていたのだから、ふだんの会話で困ることはまずない。困っても、なんとか切り抜けられる自信がある。

それなのに、たとえば補習校でアメリカ人と話をしなくてはならないときは、緊張した。周りの日本人が聞いているからである。聞いていないふりをして、しっかり聞いているのだ。

あるとき、知り合いに

「私の友達が komatta さんの英語を聞いて、アメリカ人みたいって言ってましたよ。さすがですね~。私も聞いてみたいです~。」

と言われたことがある。

悪気があったわけでなく、むしろ褒めようとしてくれたのだが、そんなことを言われると、まるで私の英語が採点されているみたいで、ますます抵抗感が強くなった。だいたい、28まで日本に住んでいた私がアメリカ人みたいに話せるわけがないのだ。

*     *     *

私は留学したことがないし、移住してからこちらの大学で勉強したこともない。日本の英文科を出ただけの英語である。それに、人付き合いが悪いので、アメリカ人との会話で鍛えているわけでもない。

「アメリカ人みたい」な英語とは、ほど遠い。

うちの子供たちによると、お母さんの英語は「うーん、まあまあだけど。ちょっとダメ。少しだけ、へん、かなあ。」なんだそうだ。

ずいぶん気を使った返事をするところを見ると、よっぽどダメらしい。

文法や語彙はともかく、私の発音は彼らの(つまり英語のネイティブ・スピーカーの)耳には決定的な違和感があるのだと思う。それに、不自然な言い回しをしているはずだ。それは、子どもたちがちょっとズレた日本語を話すときに、私が感じるものと同じだと思う。

そのへんを自覚しているので、私は日本人の前で英語を話すのを極力避けていた。20年アメリカに住んで、あの程度?と思われたくないという、くだらないプライドである。

それなのに、何かと頼られた。アメリカ人と結婚しているから。アメリカにずっと住んでいるから。それだけの理由で。

「お家でもずっと英語なんでしょ~。すごいわねえ。」

すごいも何も、夫に日本語で話しても通じないんだから、しょうがない。それに子どもたちとは日本語だ。

補習校には、本人が帰国子女だったというお母さんたちも何人かいた。帰国しないで、そのままアメリカの大学を出た人もいた。そういう人はそれこそアメリカ人みたいに話せる。やっぱりちがうなと思った。

*     *     *

アメリカに住んでいると、外国語なまりのある英語で平気でしゃべる人に出会う。テレビやラジオにもよく出る。堂々としているのだ。その強いアクセントでよく自信満々にしゃべるわねえ、と感心する。

もちろん、話す内容が重要だからこそ、多少のアクセントは我慢して聞いてもらえるのだ。

日本人くらい英語の発音や文法を気にする国民はいないんじゃないかと思う。私など、日本人が同席していると、ふだんの倍ぐらい気になる。

通訳のアルバイトをしている人に会ったことがあるが、彼女の英語は日本語なまりが強かった。でも、頭の回転が速くて、ある種の専門知識もあったので、仕事上の支障はなかったようである。

そして、彼女は回りに日本人がいようといまいと、ごく自然に英語を話した。気負い緊張感も感じられなかった。通訳としての自信がそうさせるのかどうかわからない。彼女の気質かもしれない。さっぱりした明るい人だった。

英語のレベルがどうあれ、気にしない人はぜんぜん気にしないんだろうなあと思う。

つまり、私は見栄っ張りなのだ。どうせ日本人の英語なんだから、開き直ればいいものを、かっこつけてしまう。だったら、発奮して必死に勉強すればいいのに、そこまでやる気もない。生活がかかっていないからだなと思う。

在米30年になれば、こんなこと気にしないようになるだろうか。

その頃には、人生の半分以上をアメリカで暮らしたことになるのだが、こんな調子では10年経っても私の英語はたいして上達しそうにない。悟りを開くほど精神的に成長するとも思えない。

ということは、やっぱり、地道に勉強するしかないか。


<今日の英語>

What do you want to get done?
(髪を)どうなさりたいですか。


美容院に予約の電話をかけたときに、受付のお姉さんに聞かれたこと。白髪染めは自分でやることにして、ヘアカットだけ頼む。Just a haircut, please. ジェニーは休暇中です、来週木曜日に戻りますとのこと。あと10日はこのボサボサ頭です。



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アメリカの「お役所」

2009.05.14 (木)


夫の代理で Social Security Administration (社会保障庁。SSA)のローカルオフィスへ行って来た。

長期療養者向け給付金の申請が認められたが、確認したいことがある、という電話が朝一番にかかってきたのだ。

アメリカ在住者は誰でも Social Security Number (社会保障番号。SSN)を持っている。一人一人に与えられた固有の番号である。それがないと、運転免許が取れないし、銀行口座やクレジットカードも作れない。病院や税金、保険その他、あらゆる書類に SSN を書く欄がある。

本来は年金や税金のために作られたのに、今では国民背番号みたいに、どこでも使われるようになってしまった。この番号を悪用されて、アイデンティティを乗っ取られた悲惨な話もある。

だから、 SSN は信頼できる相手以外には絶対に渡してはいけないのだ。

*     *     *

うちの子供たちの SSN は出産した病院が手続きしてくれて、出生証明書と同じ頃に SSN カードが郵送されてきた。ふだんは金庫にしまってある。9桁の番号なので、私は自分と夫の番号しか覚えていない。子どもの番号を聞かれると、とっさに答えられない。

SSA のデータベースによると、お子さんは長男くんと次男くんのお二人ですね。彼らの SSN を教えてください。」

私は「ほら、きた。」と思いつつ、書類をひっくり返して、答えた。

すると、SSAのおばさんは、

「お子さんたちのデータファイルでは、父親のところが空欄ですよ。お子さんが生まれる前に結婚されましたか。それとも、お子さんが生まれたあとに結婚したのですか。」

なんでこんな質問をされるのかわからない。Before と After でどうちがうんだろうか。ちょい待ち。アンタ、ついさっき、結婚した年と子どもたちの生年月日を聞いたんじゃないの? どっちが先か、計算してみた?

「結婚が先です。出生証明書には父親の名前が書いてあります。」

「では、2人の出生証明書とあなたとご主人の結婚証明書を持って、こちらに来てください。コピーでなくて、原本です。こちらでコピーを取ったら、その場でお返しします。その手続きが終わらないと、給付できません。」

できませんって、アンタ…。子どもたちの SSN は出生証明書を元にして作られたはずですよ。父親の名前を入力し忘れたのはそっちの手落ちでしょ。しかも、もう10年以上前に生まれてるんですよ。だいたい、夫のデータファイルにちゃんと子どもの情報が入っているんでしょ。今さら、原本も何もないんじゃありませんか。

と言いたかったが、こちらは給付金をちょうだいする身。

「わかりました。オフィスは何時まで空いていますか。アポイントメントはいらないんですね。」

9時から4時まで。予約なしで、そのまま窓口に行けばいいと言う。

しかたない。Google マップで道順を確かめ、1時間かけてたどり着いた。天気がよかったのと、ラッシュアワーの後で、スイスイとなんだかドライブ気分。田舎のハイウェイからは山々の新緑がまぶしい。

*     *     *

小さなビルに入ると、セキュリティのおじいさんがいた。キケン人物が飛びこんで来たら阻止できるのか、少々不安になる。金属探知機も持ち物検査もない。紙の番号札を貰って椅子に座ると、ほどなく呼ばれた。

窓口のおばさんは、「じゃあ書類は係のものが中で拝見しますから、呼ばれるまでお待ちください。」と言う。

5分くらいして、ベージュのポリエステルのスーツを来て、長いネックレスを何重にもジャラジャラとかけたスラリとした黒人のおねえさんが現れて、中に入ることができた。

開口一番、「どういうご用件ですか。」

さっき窓口でせっかく説明したのに、それに私の用件をタイプしたものを窓口係が渡したのに。また最初から全部説明し直す。

おねえさん「原本を持って来いというのは、どこの誰が言ったんですか。」

わたし「(どこの誰って、アンタ…)ここのオフィスの人です。予約なしで、窓口に来れば、誰でもわかると言われました。」

おねえさん「ふーん。」

パソコンにぱこぱこ入力し、判読できないような字でなにやら用紙に書く。20年前、東京のアメリカ大使館で発行してもらった英文の結婚証明書をすかして見る。真っ赤なシール・ワックス(封ろう)が貼ってあるのをななめにして目を凝らす。本物だってば。

それにしても、アメリカ人にしては無口な人だ。ネックレスのじゃらじゃらの向こうには、胸の刺青(バラ? 蛇?)が見える。そのまま書類を持って、黙ってどこかに行ってしまった。

コピーを取ってすぐ戻るだろうと思っていたのに、20分経っても戻らない。

その間、他のデスクには人が出たり入ったりしている。でも、ここは失業保険と関係ないので、思ったより空いていて静かだった。やることがないので、ついたての向こうから聞こえる他の人の話に耳をそばだてる。みんな、いろんな事情があるなあ。プライバシーはどうなってるんだろう。

やっと戻ったおねえさん。

「お子さんたちのIDはお持ちですか。データを更新するときは、本人確認が必要です。」

「電話ではそんなこと言われませんでした。子どものIDは何も持って来ていません。出生証明書と結婚証明書だけでいいということでしたよ。」

相手のミスのために、また1時間もかけて出直す気はないわよ、とアピールすべく、ため息をついて、首を横にふってみた。

元はと言えば、そっちが子どもの SSN を決めたときに夫の名前を入れ忘れたのが原因でしょ。そのミスを10年以上ほったらかしだったんでしょ。今朝電話をくれた人もあなたも、ぜんぜん謝る気はないんでしょ(あーあ、もうわかってるのに、どうしていまだに謝罪を期待するのか)。ご足労かけて申し訳ないなんて、これっぽちも思わないでしょ。じゃあ、この証明書原本だけでどうにかしなさいよ。データを修正するまで動かないわよ!

と心の中で主張する。

無口なおねえさんは、「OK。もう一度、聞いてきます。」

さらに待つこと5分。

「はい。終わりました。Have a nice day!」

なんと、あっさりやってくれたようだ。まさしく、言ったもん勝ち。カードの再発行はしないので、今のをそのまま使えと言う。べつにふだんカードを見せることもないし、カードよりも番号そのもののほうが大事なので、それはかまわない。データベースがちゃんと更新されていればいいのだ。

そうとなれば、もう用はない。証明書をかばんに入れて、オフィスを出た。

こんなことのために、30分以上を費やした SSA。まったく人によって、言うことが違う。いきなり何を要求されるかわからない。今度は、家族全員の出生証明書とパスポート、銀行通帳、その他一切合財持っていこう。

お役所は、日本でもアメリカでもやっぱりお役所なのだ。

でも、アメリカのほうがもしかして融通が利くのだろうか。日本だったら、「すみませんが、お子さんたちの ID が確認できなければ、データを変えることはできませんねえ。申し訳ないんですが、規則ですから。」となったかもしれない。いや、それより、「本人確認のために、お子さんたちのパスポートを忘れずにお持ちください。」とちゃんと事前に教えてくれるか。

本人がいないのに、パスポートだけでどうやって本人確認するのかな。無口なおねえさんの上司に聞いてみたい。


<今日の英語>

Point the language you speak. An interpreter will be called.
あなたの話す言葉を指さして下さい。通訳を呼びます。

SSAのオフィスに貼ってあったポスターの文面。これは、病院の患者受付にも置いてある。ポスター掲示が法律で義務付けられているのだ。数えたら、22の言語で同じことが書いてあった。スペイン語、ロシア語、中国語などメジャーなものだけでなく、スワヒリ語、ウルドゥ語、ソマリア語なんかもある。英語のできない人が来たときのために、電話一本で通訳を派遣しますという会社と契約を結んでいる。

さすが、国籍や言語で差別してはいけないという(のが建前の)国です。



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レシピ: 「時間が作ってくれる」こねないパン

2009.05.15 (金)


=== 簡単レシピ その 7 ===
「時間が作ってくれる」こねないパン

  1. 大き目のボールに、小麦粉3カップ(720cc)、塩大さじ1、インスタント・ドライイースト小さじ4分の1、ぬるま湯400ccを入れてフォークで混ぜる。
  2. サランラップをボールにぴっちりかけて、台所のカウンターに15 時間置く。
  3. カウンターにパーチメント・ペーパーを敷いて、小麦粉をふりかけ、その上にタネを出して1回折る。サランラップをふわっとかけて、15分置く。
  4. タネと手に小麦粉をふって、タネを丸くまとめ、綿100%の布巾をかけ、その上に1回目の発酵で使ったサランラップをかける。
  5. 1時間30分経ったら、空っぽの耐熱容器をオーブンに入れて450゜F (230℃) にセットする。
  6. 30分後、熱くなった容器にタネを入れて、ふたをして30分焼く。
  7. ふたを取って、さらに30分焼く。

  • 耐熱容器の材質はなんでもよい。ひと固まりで焼けるのは4~6 クオート (3.7~5.6  リットル)サイズのもの。私はフタも取っ手もステンレスの 5.5 クオート (5.2 リットル)鍋を使用。容器が小さければ、タネを分ける。ふたがないときは、アルミホイルで代用。
  • 小麦粉は bread flour (強力粉)と all‐purpose flour (中力粉)を適当に混ぜている。
  • イーストは、RapidRise Highly Active Yeast を使用。
  • パーチメントペーパーの代わりに Silpat  (シルパット。シリコン製のベーキングシート)を使ってもいいし、カウンターに粉をふって直接置いてもいい。

*     *     *

これはNYタイムズで見つけたレシピ。もとはマンハッタンにある Sullivan Street Bakery というパン屋さんのアイディアだと書いてあった。no knead bread (こねないパン)で検索すると、いろんなバリエーションが見つかる。

うちにはパン焼き器がない。かといって、手でこねる体力も気力もない。それに、イーストの扱いが難しそうで、パンは作ったことがなかった。

このレシピを見たときも半信半疑だったが、だまされたと思って作ってみたら、クラストがぱりっとして中がしっかりしたパンが本当にできた。長男はこのままで、次男はくるみを入れたのが好き。

材料費はごくわずか。添加物無し。手順は簡単で、疲れない。パン焼き器を買ったり収納に悩んだりしなくて済む。それでいて、アメリカのふにゃふにゃで味気ないパンよりずっとおいしい。

これで自信がついて、フードプロセッサーの説明書にあったレシピで食パンを作ってみたが、こねないパンの方が売れ行きがよかった。

発酵時間をもっと短くしてもできるらしいが、私は元のレシピにわりと忠実にやっている。ただし、元のレシピでも、材料は重さでなくかさで、お湯の温度も書いてない。発酵時間も最低12時間、できれば16時間などと随分幅をもうけていた。つまり、かなりいい加減で大雑把なのだが、イースト菌は優秀で、扱いが多少ちがっても、うまくやってくれるようだ。

姉がむかし送ってくれた手作りパンの本を見たら、こねたときの温度は28度、塩は何パーセント、大きさが揃うように定規で計りましょう~などと書いてあって、放り出した。私にはこの「時間にお任せ」パンのほうが性に合っている。

          *

翌日の昼食に食べたいときは、こんなスケジュールでやる。

  • 夜6時、タネを仕込む。
  • 翌朝8時45分、タネをボールから出して、ラップをかける。
  • 9時、タネをひとまとめにして、タオルとラップをかける。
  • 10時半、オーブンに空の耐熱容器を入れてON.
  • 11時、タネを熱くなった容器に入れ、ふたをして焼き始める。
  • 11時半、ふたを取って焼き始める。
  • 正午 焼き上がり。

なんとも素朴な Boule 型のパンができて、家の中が焼きたてパンの匂いでいっぱいになる。

【追記】 クックパッドに、寝かす時間が2~3時間という捏ねないパン「✿ビックリ♪超簡単なイタリアンブレッド✿」がありました。詳しくはこちら


<今日の英語>

There you have it.
さあ、できましたよ。


料理番組で、できあがった料理を前にしたときのシェフの一言。説明の締めくくりに、よく使われる言い回し。まあ、そういうわけです。これでおわかりでしょう。



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4週間の里帰り計画 (夫抜き)

2009.05.16 (土)


3年ぶりに日本に行くことにした。7月の最後の週から4週間である。3人分の切符は安くないし、国内での移動でもお金がかかるが、いろいろ考えて、行くなら今年と決めた。

これまで体験入学に合わせて、6月半ばからの滞在が多かったが、もう体験入学はしない。それに、今年はレイバーデー(9月の第1月曜日)が遅いせいで、うちの学校区の新学期は9月8日に始まる。6月のじめじめ、7月のかんかん照りはもう充分経験した。よく、お盆を過ぎれば暑さも和らぐと地元では言うので、8月の日本を試してみることにした。

豚インフルエンザ騒ぎの影響で、保守的な田舎ではアメリカ帰りは嫌がられるかと思ったが、母の返事は、

「長男くん、次男君さぞ大きくなったでしょう、楽しみです。こちらは何時でもOKです。7月下旬が一番暑いと思います。今から墓参りに行ってきます。長男君、次男君へ。色々注文の品、食べたいもの、書き出して知らせてください。」

と、今すぐにでもスーパーへ出かけてしまいそうだった。まだ2ヶ月先だってば。

*     *     *

夫は留守番。「ぼくは一緒に行かない方がいいんだろうね。行ってもいいかな。だめかなあ。」と何度も探りを入れてくる。もちろん、却下。

夫がいっしょだと私がヘトヘトに疲れる。日本語がぜんぜんできないから、1日じゅう通訳をしている気になる。もう子どもたちが代わってくれるかもしれないが、それでも同じことを誰かが常に英訳している状況を想像するだけで、ぐったりしてくる。

それに、夫がいると、実家の母ががんばりすぎるのだ。もー、ほっといていいの!というのに、やたらステーキを買ってきたり、衛星放送がないと退屈じゃないか、布団が小さすぎないか、暑すぎないかと心配する。

そのうち、「夫さんの靴下に穴が空いとったよ。つくろってやらにゃ。」と私の日ごろの手抜きがばれる。

夫がいると、母も気楽にごろりと横になれない。いつも通りでいいの!と言っても、できないらしい。夫の父の家で、いつまでもベッドでゴロゴロして、掃除一つしない私とは大違い。

そのうち、夫は持参した英語の本を全部読んでしまう。田舎には英書なんか売ってない。実家のインターネットはまだダイアルアップ。しかも1ヶ月10時間まで。夫も私も日本では運転しないので、どこにも行けない。まあ、田舎で見るところもないのだが。

母は、「こんなとこにおっちゃあ、退屈だねえ。」とまた気を回す。勝手に来たくて来たんだから、いいの、ほっとけば!と私。

どこでもドアがあったら、ドアを開けて、夫をNYの家にどんっと押し込んでやりたくなる。

今回、夫は療養中だし、お金もないし、子どもたちは夫が見たがる神社仏閣には興味がないしで、「あなたはNYに残ってください。猫の世話、よろしく。」

*     *     *

3週間にしようと思ったが、もしかして豚インフルエンザで隔離されたら1週間はパーになる。それを見込んでの4週間である。もともと、日本に到着してから最初の1週間はひどい時差ぼけで使い物にならない私。

何も予定は入れていない。でも、横浜在住の姉が鎌倉で禅を体験できるお寺があると言う。忙しいのに、まず先に自分だけ行って見てきてくれるそうだ。

独身の姉は、私の子供たちを甘やかす。なにかおいしいもの、食べられそうなもの、おもしろいものがないかと、いつも探してくれる。ナマケモノの私は、いつまでたっても姉におんぶに抱っこである。

でも、いつも成田に迎えに来てくれた姉が、この夏は仕事がすごく忙しいと言う。「長男くんも次男君も大きいから、大丈夫でしょ。自分たちで来てよ。」

実は、私は日本で電車に乗るのが苦手である。いつも姉が成田エクスプレスと新幹線の切符を買ってくれて、乗り場まで誘導してくれた。

方向音痴で数字に弱い私とちがって、姉は到着時間からテキパキと想定し、この時間ならこの新幹線で行けば、乗車時間も在来線への乗り継ぎも最短。座席はここが便利。乗り換えはここでこうする。毎回、見事な旅程を作ってくれた。私と子どもたちはおのぼりさんで、後を付いていくだけ。

子どもたちに言う。

「今年は、ニーナ(姉のあだ名。長男が小さいときに、姉と私をまちがえた。ママに似てるからね、とママ似からなぜかニーナへ変わり、定着してしまった。ほんとはごく普通の日本名)が迎えに来られないんだって。

私たちだけで、おばあちゃんの家に行くのよ。お母さんは、もう電車の切符の買い方、わからないからね。それに成田と東京駅で迷子になりそうだし。あんたたちがしっかりしないと、おばあちゃんの家にたどり着けないわよ。」

私の空間把握能力がどの程度がよくわかっている子供たちは、顔を見合わせる。

「ほんとにニーナ、来ないの? もう一回、電話して聞いてみたら?」と真剣な2人。

これまで、闘病中だった父に会わせるために首も座らない長男を連れて行ったり、長男はストローラーで次男が抱っこ紐、おむつとミルクと着替えがパンパンに入った荷物を2つも持って、日米両国のパスポートを手に、長い列に並んだり、狭い機内で13時間も過ごしたりしたのだ。

もう一度やれと言われても、できない。いったいどうやって歩いたのか、覚えていない。手が1本余分にあったとしか思えない。

やっと、ラクができる。私より背の高い子どもたちに荷物を持たせ、乗り場や座席の番号を探させ、「降りる駅が近づいたら起こしてよ。トイレは自分で行けるでしょ。」と昼寝する。…まだ無理かなあ。


<今日の英語>

You brought it on yourself.
自分で招いたことでしょ。


妹猫の背中をしょっちゅうなでていた夫。気が向いて、ブラシをかけてやったら、よっぽど気持ちよかったらしく、この頃は1日に何度も猫に呼び止められる。そして、猫の気が済むまで、ブラシをかけなければならない。「またか~。」とこぼす夫へ、私の一撃。

私はそんなことやってなんて頼んでませんよ。あなたが勝手に始めたんでしょ。それに、なんだかんだ言って、猫になつかれてデレデレしてるわよ。



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日本に行く前の「やることリスト」

2009.05.17 (日)


出かけるのがきらいな私は、自分を追い詰めないと旅行に行けない。日本行きの切符は格安・払い戻し不可。もう後戻りできないのである。

子どもが生まれる前の話だが、マイレージが貯まって日本行きの航空券をもらったことがある。ところが、出発日が近づくにつれて、だんだん気乗りしなくなった。当日の朝、どーーしても出かけるのがいやで、飛行機をキャンセル。成田で落ち合う予定だった姉にも電話した。「あのー、ごめん、行くのやめたから。」

姉は「どうせ、そんなことじゃないかと思ってたわよ。」とすべてお見通しであった。そして、私は前科者になった。

*     *     *

今回は、実家で今か今かと待っている母のためにも、ドタキャンはできない。腹をくくって、出発準備を始めなくてはならない。まずは To-Do List すなわち「やることリスト」から着手。

(1) 夫のために、一人暮らしマニュアルを作る。

1ヶ月の間には、いろんなことがある。ふだん何もしない夫は、どこに電話したらいいかわからない。トラブルが起きたときの連絡先を一覧にしておく。

ケーブル会社、電気会社、電話会社、灯油配達とボイラー、芝刈り、配管工、エアコン、保険会社、薬局、銀行、車のディーラー(うちの車は2台とも私の名義。めんどくさがりの夫は、車検その他すべて私任せ。私が(夫のお金で)買ってきた車に乗るだけ)。

猫トイレの始末、キャットフードの与え方、獣医の電話番号。実家と姉の電話番号。

洗濯機、乾燥機、食器洗い機、買ったばかりの除湿機の使い方。これらには実習が必要。

ゴミの日。リサイクルの日。郵便受けは毎日見ること。玄関とガレージの戸締りに火の用心。…夫を一人で残すのが、非常に不安になってくる。

(2) 4週間分の現金と生活必需品の準備

夫はここ十年くらいATMに行ったことがない。私が引き出して、適当に現金を渡している。ATMカードは失効してるんじゃないだろうか。いや、銀行に行くのが面倒だと言って、もらったまま、使えるようにしていなかった気がする。

たいていの支払いはクレジットカードなので、それほど現金を持ち歩かなくてもいいのだが、万が一ということがある。

それから、夫が買い物に行くと、質の悪いものや使いにくいものを買ってしまう。うちのトイレはつまりやすいので、溶けにくい紙を流してもらっては困るのだ。4週間分、しっかり用意しておかなくてはならない。猫砂やキャットフード、ペーパータオル、洗剤などもそう。それぞれどこにしまってあるかも教えなくては。

食べ物は、チャイニーズでもマクドナルドでもピザでも缶詰のスープでもいい。自分で調達が基本。フリーザーにはミートソースくらいしか作り置きしない。

(3) 日本で着られる服の準備

子どもたちのでなく、私の服。アメリカ田舎のカジュアル路線に慣れすぎた私は、どうも日本の田舎で(おそらく都会でも)浮いてしまうらしい。そう思って、わりときれい目できちんとした服を持っていったつもりでも、母によく言われた。

「あんた、その格好で出かけるだかん?」

その格好というのは、たとえば白いタンクトップに、青と黄色い花を散らした膝下丈のパンツ、ベージュのサンダルである。それに、麦藁帽子をかぶる。

「そうだけど。他に何を着ればいいのよ。」

「腕も足も丸出しにして、そんな派手なズボンで。ブラジルと間違えられるに。」

母の言うブラジルとは、日系ブラジル人のこと。少し離れたところに工場があって、いつのまにか地元にも日系ブラジル人が住むようになっていた。日本人離れした容貌と体格なので、目立つ。それに、中年女性がショッキングピンクのショートパンツをはいたり、胸が大きく開いた真っ赤なキャミソールを着ていたりする。

地元の日本人は、あのうだるような暑さの中、黒っぽい長袖シャツに長ズボン、白い手袋、首にはスカーフ、そして日傘をさしていた。

母から見ると、私は南米人と同じファッションセンスなのだ。そういわれると、ちょっと気になるが、とにかく暑い。できるだけ体温を逃がしてやりたい。直射日光を浴びるより上着を着たほうが涼しいときもあるが、それはカリフォルニアみたいに湿度が低いところ。日本では、じっとりして不快になるだけというのが私の持論だ。

「いいわよ、ブラジル人に間違えられたって。本屋とスーパーに行くだけなんだから。あんな防寒服みたいなの着てたら、行き倒れになるわよ。もし私と道で会ったら、他人のふりすればいいじゃない。」

かくして、私は強行突破する。道行く人の視線を感じるが、あの暑さではなりふり構っていられない。そのうち、母もあきらめる。

それでも、毎回里帰りするときは、一応、手持ちの中から保守的なものを選ぶようにしているのだ。

最近は3年前よりさらにラクな服を着ている。気のせいか、どれもこれも「ブラジル」風に見えてくる。やっぱり、日本用の服を買わないとだめかな。出発前からお金がかかるのである。

(4) 痩せる

説明不要。


<今日の英語>

There was something I was gonna ask you.
何か聞きたいことがあったんだけど(、忘れた)。


夕食のあと、夫が部屋に来てこう言った。なんだか、最近しょっちゅうなのだ。そういう私も、1階に下りて行って、「あれ、何しに来たんだっけ?」と思うことがよくある。よくない。同じ話を何度もしては、子どもたちに「もう言ったよ。」と指摘される。夫の場合、聞きたいことがあったという記憶があるだけ、まだ大丈夫でしょうか。



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 |  わたし  |  コメント(9)

アメリカの性教育

2009.05.18 (月)


7年生(日本で言うと中1)の次男の通うミドルスクールから一通の手紙が来た。性教育についてのお知らせである。

同じような手紙が2年前にもあった。そちらは、もう少し年齢の低い子供向けで、初潮や声変わりなど、主に思春期の体の変化についてだった。

長男のときには初めてだったので、平日の夜行われた保護者向け説明会に行ってみた。

30人くらいの保護者を前に、保健体育の先生が子どもたちが実際に見るというビデオを流した。男女別のクラスで、子どもたちにはこの資料を配って、こういうふうに説明します。講習のあとは、男の子にはデオドラント、女の子には生理用ナプキンのサンプルが配布されます。

公立の学校で、メーカーが宣伝していいのか?と思ったが、子どもには「モノ」をあげたほうが興味を引きやすいし、先生も話をしやすいだろう、タダならもらいましょう。節操のない私である。

ビデオは、自分の容姿に悩む女の子やグループ内でからかう男の子たちなどを写した、いかにも教育ビデオといった代物で、ここ10年同じものを使ってるんじゃないかと思うくらい古臭い。ドラマ仕立てではないので、子役のセリフもない、すべて大人のナレーション。

グラフィックスは生物の教科書のようだった。最新のコンピュータ映像になれた子どもたちには退屈だろう。全体的に、肉体の変化そのものよりも、それに戸惑う精神面をどう対処するかに重点が置かれている気がした。

例年、子どもたちの反応は同じで、くすくす、ニヤニヤしたりする子もいるが、その授業のあとで廊下ですれ違うと、恥ずかしそうに先生を避けるそうだ。いまどきの子どもはませているようで、そんなところもあるのだと驚いた。ここが田舎だからかもしれない。

*     *     *

今回届いた手紙には、こう書いてあった。

「7年生の保健体育カリキュラムの一環として、性教育を行います。フィルム上映、ワークシートとディスカッションを中心に、思春期、妊娠、出産、エイズや性病予防について、学習します。

これらのトピックに関して、家庭の方針に基づき自宅にて取り上げたい、また、学校での授業に参加させたくないとお考えならば、添付の不参加要望書にご署名の上、学校まで返送ください。

不参加のお子さんは、ガイダンス・カウンセラーの部屋で他の勉強をします。

ご質問がありましたら、ご遠慮なくお問い合わせください。」

この手紙は、性教育に反対しそうな、主にカソリック教徒や原理主義者に向けてのものだが、全員にわざわざ郵送で届く。子どもが持ち帰らなかった、あるいは親に見せなかったために、受けさせたくない授業に出てしまったじゃないか、というクレームを防ぐためだろう。

うちはリベラルなので、性教育おおいに結構。長男のときから必ず参加させている。この町では、不参加のほうが圧倒的に少ないと思う。

次男に、「これは勉強より大事な話だから、よく聞いてきなさいよ。」と言ったら、「先生がね、知識があれば、トラブルにならないって。」

うちは、それほどおおっぴらではないが、テレビでラブシーンが出てもそのまま見せるし、ニュースで高校生の妊娠や中絶が出れば、私や夫が意見を言う。赤ちゃんは産むのも育てるのも大変だよ。それに、ほしい人にはできなくて、ほしくない人にあっさりできたりするんだ。同性愛者が結婚してもいいじゃない、殺しあうよりずっといいと思わない?などと話す。

夫は、子どもの頃はメソジスト派の教会に毎週通っていた(通わされていた)が、大人になってから教会には行かない。

私は無宗教。神様がアダムとイブを作ったとは信じていないし、聖母マリアの処女受胎も単なるお話だと思っている。同性愛者は地獄に落ちるとか、避妊はいけないとかいうお説教を聞くと、まさか本気で信じてるんじゃないでしょうねと問い質したくなる。信仰は自由なので、何も言わないけれど。

*     *     *

アメリカは開放的なようでいて、いまだにピューリタン精神をひきずっていると思うことがよくある。とくに、裸体に対する羞恥心は大きいようだ。

何年か前に、近くのプールの会員になって、子どもたちを連れて毎週泳ぎに行った。ロッカーで着替えをするのだが、アメリカ人は裸を見せないのだ。幼児を除いて、誰もがわざわざトイレの個室で着替えていた。ロッカーの前で着替えていた人も、タオルで全身を隠しつつ、苦労してやっていた。

私はほんの一瞬のことだし、トイレのほうがよっぽど汚いと思って、その場でささっと着替えた。もちろん、下半身はタオルでカバーして、周りに気を使った。

これがヨーロッパなら違うんだろうなあといつも思った。日本だって、温泉があるし、女性しかいないロッカールームなら平気ではないか。実家近くのプールでは、カーテンで仕切った個室がいくつかあって、その中で着替えられるようになっていたけれど。

それなのに、アメリカ人のほうが日本人より日頃の露出度は高い。体型や年齢に関係なく、ビキニでビーチに横たわったり、キャミソールで買い物したりする。日本でも若い人はそうだろうが、アメリカではおばあさんでもそうなのだ。

そのへんの精神構造は私なんかには理解できない。

*     *     *

できれば私も次男が受ける保健体育を見学したいものだ。どんな風に教えるのか、非常に興味がある。そして、皆の反応を観察したい。長男の通うハイスクールからは、そういうお達しはまだない。

アメリカの10代妊娠率は先進国の中で一番高い。CDC(疾病対策予防センター)によると、女の子の3分の1が20歳になる前に妊娠するそうだ。1年で75万人。そのうち8割が意図しない妊娠で、やはり8割が未婚。

うちは兄弟そろって奥手なのか、ガールフレンドもいないし、女の子から電話もかかってこない。IMもしていないし、携帯電話だって、ハイスクールに通う長男がお迎えに来て、と電話するときしか使わない。次男は持っていない。

また、そういう子同士が仲良くなるのか、友達も揃ってそんな感じ。ゲームしたり、外で走り回ったりするだけ。

すでに女の子との交際に頭を悩ましている知り合いがいるので、大変ねえと言いつつ、ちょっとうらやましい。でも、子どもはなんでも親に話すとは限らない。うちだって、いつ女の子を連れてくるかわからない。

「女の子は大事にしなくちゃいけないよ。女の子の身体はデリケートだからね。子どもを生むのも育てるのも、本当に大変なことよ。自分が大人になる前に、子どもができたら大変よ。」

大変、大変と言われても子どもたちにはピンとこないだろうが、「なんか知らないけど、大変なんだ。」と、とりあえず洗脳しておこう。


<今日の英語>

I should've seen that coming.
そうなるだろうと気がつくべきだった。


このところ、トイレットペーパーのホルダーがゆるんでいたのに、強く引っ張ったのか、夫がホルダーを壁から外してしまった。金属がタイルの床を直撃する音がバスルームから響く。これが3個目のホルダーで、何度やっても、しっくいの壁から落ちてしまう。デザインが悪いのか、取り付け方が悪いのかわからない。でも、前から緩んでいたのはわかっていたでしょ。もうちょっと、気をつけてやってよ。



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匿名希望

2009.05.19 (火)


ブログを始めて3ヶ月経った。まだわからない機能がいろいろある。基本的には、記事を書いてブログに載せ、コメントに返事を書く。それだけ。

私がブログをやっているのを知っているのは、夫と子どもたちだけである。

夫の継母に「今、何してるの?」と聞かれて、うっかり「ブログを更新してます。」と答えてしまったが、彼女は「ブログって、なあに?」 だから、数には入れないことにしよう。

夫はもちろん、子どもたちも私のブログが読めない。それこそ私には好都合である。ページごと翻訳するサイトがあるらしいが、みんな自分のことで忙しいのか、そもそも私の書くことに興味がないのか、読まない。夫は、私のブログのタイトルやURLすら知らない。

長男は、「ねえねえ、お母さんのブログ読んで。お母さん、なに書いてるの? 教えて~。」とたまに言うが、「読みたかったら、自分で辞書引いて読めば。」であきらめる。

*     *     *

私の実生活を知っている人が読むと思うと、自由に書けない。もともと私の狭い生活範囲での話なので、登場人物も話題も限られてくる。

たいした話を載せているわけではないし、別に誰に読まれてもいいと言えばいいけれど、私には匿名だから書けることがあるのだ。

だから、夫にも子どもにも、ブログについては堅く口止めしている。

にもにもアメリカ在住日本人の知り合いにも、全く知らせていない。もっとも、これだけたくさんあるブログの中から、どうやって私の小さいブログを探せるだろうか。アメリカ人と結婚して、20年間NYに住んで、子どもが2人で、主婦をしている人なんて、いくらでもいそうな気がする。

自分や家族の写真を載せたり、特定されそうな情報が書いてあったりするブログを見ると、私にはできないと思う。あるNY在住者がブログを元にした本を出版していたので、ブログを見に行ったら、家族全員の本名と写真が掲載されていてたまげた。本でもそうなんだから、いまさら隠すことはないのだろうが。

私は実生活で出不精だけでなく、ブログ上でもひっそりと自分のブログにこもっていたいのだ。

匿名で不特定多数に発信するのが私のスタイルだということが、だんだんわかってきた。そして、書きたいことを書きたいように書き、それを私のブログを開いた人が楽しく読んでくれたらそれでいい。

万が一、「komatta3ってあなたでしょ。」と知り合いにカマをかけられたら、「それ、誰?」と言おう。


<今日の英語>

Do you happen to have that $15 on you?
あなたに貸した例の15ドル、いま持ってる?


NYタイムズのマナー・コラムより。4ヶ月前、同僚に15ドル貸したのに、まだ返してもらえない男性。相手が知らん顔してて、ほんとにイラつく。ロッカーに手紙でも貼っておこうか、それともたかが15ドル、もう忘れようかという相談。

文面からして、あなたは忘れられそうにないね。ごくカジュアルに「15ドルいま持ってたら、返して。」と言えばいいじゃない。OK牧場の決闘にする必要はないよ。書いて知らせたいなら、ロッカーにメモしてもいいかな。赤いペンキを使わないほうがいいと思うけどね。

アメリカでも15ドル返しての一言が言えない人がいる。ケチだと思われたくないから? いずれにせよ、貸したほうは少額でも覚えているということですね。



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おかしな日本語訳

2009.05.20 (水)


FedExからダイレクトメール(DM)が郵便で届いた。左側に大きな招き猫の絵があり、右側に以下の宣伝文句が書いてあった。

お客様のニーズに応じて
FedExカスタマーサービスで
日本語フリーダイヤル開始。

最大16%の運送費ディスカウントを何時でも
ご利用いただけます。今すぐ、お申込みください。

言いたいことはわかる。わかるが、こなれていない日本語だなと思った。下にある英文を見ると、こうだった。

We understand. You want better service. Introducing
toll-free FedEx Customer service in Japanese.

Save up to 16% on your shipping costs anytime with FedEx.
Apply now!

「お客様のニーズに応じて」も変だが(お客様によりよいサービスをお届けするために、ではいけないのか)、「今すぐ、お申込みください。」に違和感がある。まるで、TVショッピングの早口セールスマンの押し付けがましさそのもの。

Apply now! はアメリカでよく見るストレートなセールス文句だ。おそらくこの直訳だと思われるが、今の日本ではこういう言い方が普通なのだろうか。「お申込みは今すぐ!」は前からあるが、そっちはなぜかはそんなに気にならない。

「お気軽にお申込みください。」のほうがしっくり来るけれど、日本でも強気の売込みが増えたのだろうか。私なら、「今すぐお申込みください。」なんて言われたら、意地でもやりたくなくなる。

DMを開くと、またおかしな文が載っていた。

FedExではお客様が信頼できるカスタマーサービスが重要な事だと良く理解しています。FedExが過去11年間にわたって業界「顧客満足度」番付で連続一位を確保してきた事で良くお分かりになれることと思います。

下の方にある英文はこれ。

At FedEx, we understand the importance of providing great customer service. That's why FedEx has been rated No. 1 in the industry for customer satisfaction for 11 consectutive years.

これでは、ほとんど機械翻訳ではないか。FedExのような大企業がなぜこんな質の悪い翻訳を採用したのか理解に苦しむ。DM全体がこういう日本語だった。

私は翻訳の仕事をしたことはない。それに、日本語の感覚が古いかもしれない。でも、日本人に対して送るDMとして、これはひどいと思った。

「良く理解しています。」「良くお分かりになれることと思います。」は日本語としてまちがってはいないけれど、言葉にもTPOがある。こんな言い回しをお客相手に使う神経がわからない。

FedEx本社の、異文化や言葉のセンスがない上役が「英文に一字一句忠実に訳せ。」と命じたとしても、日本人にこういう言い方はしませんよ、とどこかでチェックが入らなかったのだろうか。不思議でしょうがない。

私がこのDMの日本語担当なら、こう書く。

FedExでは、お客様にご満足いただけるサービスを提供しております。おかげさまで、業界の顧客満足度調査において、当社は過去11年間にわたり連続1位にランクされました。

プロの翻訳家はもっと上手なのだろうが、今日届いたDMのお粗末さに主婦が挑戦してみた。おかげさまで、なんて時代遅れだろうか。

DMにはこの10倍くらい文章が載っているのだが、タダ働きはここまで。

この翻訳のせいで、顧客が減ることもないだろうし、だいたいこんなことにこだわるほうが少数派だと思う(いや、誰もこだわらないか)。

FedExなんかめったに使わない私になぜこのDMが来たのだろうか。ずいぶん前に日本に荷物を送ったからか、ファーストネームから判断したのか。そっちも気になるところである。

DMを閉じると、また招き猫が目に入った。なんだかふてぶてしい顔をしているなあ。


<今日の英語>

Fair enough.
まあいいよ。


3学期の成績が下がった次男とイマイチな長男に、平日のゲームは1日1時間までと夫が決めた。約束の1時間が終わってもPCから離れない次男が「西部開拓についてウェブで調べないと、社会の宿題ができない。」と言う。それに対する夫の返事。わかった。おまえの言うとおりで文句はないよ。これで取引成立としよう。(直訳: 十分に公平である。)

宿題の合間に、ちょこっとゲームやったりしないでしょうね。



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全米ジュニア優等生協会へのノミネート

2009.05.21 (木)


次男が National Junior Honor Society (NJHS) にノミネートされたという手紙が現地校から届いた。

NJHS は1929年設立の全国組織で、National Honor Society (NHS. 1921年設立。ウィキペディアの「アメリカにおける入学試験」という項目では、全米優等生協会と訳されている)の中学生版。成績優秀者の中から、課外活動その他の基準を元に選抜された生徒たちの団体である。公式サイトはこちら

学校区によって判断基準が違うらしいが、手紙には6年生と7年生の全科目平均点が92点以上の生徒が対象だと書いてある。長男は勉強が得意ではないので、こんな通知はもらわなかった。うちでは初めてのことだ。

両面コピーの願書1枚と、推薦状用紙3枚が同封されている。

推薦状は現地校の先生に書いてもらうようにとのこと。推薦状といっても、リーダーシップや協調性、勤勉性などの項目で5段階に丸を付けるだけ。一番下にコメントを記入する小さい欄がある。

願書には、過去2年間の課外活動や学校内外でのボランティア、自分がリーダーとして活躍した活動などを記すようになっている。

提出期限は1週間後。推薦状は次男が自分でどの先生に頼むか決めて、自分で依頼しなくてはならない。どの先生ならいい評価をくれるか、それは次男に考えさせよう。

問題は、願書のほうだ。

次男はボーイスカウトも生徒会もやってない。ジャズバンドやラクロスなどのチームにも入っていない(だいたいうちのミドルスクールには、日本のような部活動がない)。教会にも属していない。書くことがぜんぜんないではないか。

次男の一番の仲良しジョーもノミネートされたが、彼も書くことがないと言っているそうだ。めんどくさいからやめようとしたらしいが、「ママがやれって言うから、ぼくやるよ。次男くんも出そうよ。」

そもそも、12歳の子どもがリーダーシップを発揮する場というのは、いったいどこにあるのだろうか。

やっと思いついた課外活動が、バンドの一員として年2回のコンサートに出たことと、補習校の図書室でたまに手伝ったこと。ほとんど白紙だが、しかたない。やってもいないことを書いてまで、メンバーにしてもらおうとは思わない。だめもとで出すことにした。

NJHS の規定により、教職員からなる審査委員会で過半数の票を得たら合格らしい。学校としても、一人でも多くの生徒を合格させたいはずだ。そういうことも学校の評価につながるから。

*     *     *

もしメンバーになったら、毎月、学校内でのボランティア活動やその他のイベントに参加しなくてはならないらしい。メンバーになるということは、名誉であると同時に責任でもあると手紙に書いてある。メンバーになる前も後も、勉強だけしていてはだめなのだ。NHSサービスすなわち奉仕をする団体なのだから。

なるほど、そうやってボランティアの機会を作ってくれるのか。

このまま好成績を維持すれば、ハイスクールになって今度はジュニアでなく、NHS にノミネートされたとき、ボランティアや課外活動の欄にたくさん書ける。

次男のように、勉強はまあまあだが課外活動に無関心な子に今からチャンスをくれるのだ。それが大学進学の下準備にもなっているように思う。

こうやって、将来へのレールが敷かれるわけだ。

長男にはそういうチャンスはなかった。レールには乗れなかった。もちろん、彼なりにクラブ活動やら資金集めのボランティアをやっているからいいけれど。NHS のメンバーだったら、もっと課外活動についてアピールできるだろう。でも、長男に平均点92点を要求するのは無理だ。

夫の通ったミドルスクールは NJHS に参加していなかったという。40年前は、今ほど大学入試の競争が激しくなかったからだろうか。ハイスクールに進学して生徒会長になった夫は、成績も優秀だったらしい。当然のように NHS のメンバーだった。そうでなくては、当時でもアイビーリーグには入れなかっただろう。

30年前の日本の大学しか知らない私が、子どもたちに言う。

「日本の大学なんてね、成績さえよければ入れるのよ。少なくとも、お母さんのときはそうだった。高校の成績と、受験日のたった1回のテストで決まったの。

それに比べて、アメリカはボランティアやって、クラブ活動やって、スポーツやって、楽器やって、賞を取って、自分をこれでもかって売り込まなくちゃいけないみたいねえ。

しかも、成績は全部数字に換算されて、いつもGPA (Grade Point Average 平均成績値)が出てるじゃない? そういう活動が期待されていて、なおかつ成績優秀なのが大前提なんだから、こりゃあ大変だわ。」

まだ大学が遠い将来の話だと思っているのか、「へー。」くらいしか反応がない。

いい大学に行くだけが人生じゃないけど、兄弟揃ってそんなにおっとりしていて、この競争社会でやっていけるのか、心配になる。


<今日の英語>

Here is the scoop.
耳寄りな情報があるぞ。


テイクアウトでチキンを買ってきた夫の一言。新製品があったらしい。子どもたちに、「よく聞け。どっちがおいしいか比べてみよう。」などと言っている。そんなのがスクープ(特ダネ)? まあ単なる言い回しですね。What's the scoop? (どうしたの?/何があったの?)という表現もよく聞きます。



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 |  子ども  |  コメント(2)

本当に届いた

2009.05.22 (金)


1ヶ月前、森林保護団体に10ドル寄付すると苗木10本をくれるという企画に申し込んだら(そのときの話はこちら)、きのう本当に苗木が届いた。

なかなか来なかったので、私はすっかり忘れていた。アメリカだから来ないかもしれないなあ、まあ来なくてもいいかと思っていた。約束通りだったことに驚くなんて、アメリカに長く住みすぎたものだ。

苗木は、他の手紙といっしょに郵便受けに入っていたのだが、私はてっきり芝生の管理会社のものかと勘違いした。彼らも、除草剤や肥料をまいたあとに、同じような白いビニール袋に作業報告を入れて置くから。

1日放っておいて、ふと見たら、Arbor Day の文字が目に入った。

「これ、10ドル寄付でくれるって言ってたやつじゃない?」

封を切ってみると、枯れ木のような細くて短い枝が透明のビニール袋に入っていた。根っこには、ゼリーを細かく切ったようなものが付いている。水分補給のためか。

説明書には、「受け取ったら、直ちに植えてください。すぐに植えられない場合は、こう処置してください。」とある。すでに丸1日過ぎている。

慌ててバケツに水を入れて、一まとめにしてある苗木をばらして浸す。メモによると、次の5種類だった。和名は私が調べたので、ちがっているかもしれない。

  • Sargent Crabapple (ハナリンゴ)
  • Eastern Redbud (アメリカ・ハナズオウ)
  • Washington Hawthorn (ワシントン・ホーソン)
  • Whilte Flowering Dogwood (ハナミズキ)
  • Goldenraintree (モクゲンジ)

それぞれ2本ずつ、計10本のはずが、なぜかハナリンゴだけ余分に2本入っていた。

枝にペンキが塗ってある。一覧表と照らし合わせると、どの苗木がどれなのかわかる仕組み。なかなか賢い。葉っぱの形の一覧表もある。これがないと少し大きくなったら見分けが付かないだろう。ペンキがはげたら困るので、自分で木の名札を作った。

説明書には、ステップ・バイ・ステップの写真付きで植え方が解説されている。でも、子どもたちは登校してしまったし、夫は最初から手伝う気がない。自分でやることにする。

*     *     *

私一人で、ガレージから一輪車を出し、シャベルにレーキ、ジョウロなど道具一式を運ぶ。庭が広すぎて、行ったり来たりするだけで時間がかかる。家の外にある蛇口からホースを3本つないでも届かない。あと5年もしたら、こんなことをする体力はないぞと思う。

レンギョウの後ろに、ちょうど何も植えていなくて木のチップを撒いたところがある。そこなら鹿も入らないだろうし、芝刈り機に倒される恐れもない。とりあえずそこに全部植えることにした。

ねぎくらい短いのに、12個の穴を掘るのは一苦労。ほとんど農作業である。決して、日本の雑誌に載っているガーデニングなどという優雅なものではない。

しかも、12本あったはずの苗木がいつのまにか10本に減っていた。私がどこかに落としたかもしれない。木のチップの上に落ちたら、見分けが付かない。あきらめて、10本だけ植える。もしかして、植えるときに2本くらい失くすだろうと見込んで、最初から12本入れてくれたのだろうか。

「水をたくさんあげてください。」と書いてあるので、その通りにする。Plenty of water とは何ガロンくらいだろうか。園芸のセンスがない人間には、たくさんの度合いがわからない。

乾季には毎週水をやれ、1年目は肥料をやるな、チップスは幹にさわってはいけない。1年か2年たったら、こうやって(写真入りの解説)掘り起こして、移植しろ。

さすがに1本1ドルだけのことはある。手間ひまかけないとダメなのだ。私など、木を植えたことを3ヶ月後に覚えているかどうかも怪しいというのに。

*     *     *

「この木は必ず育つことを保証します。もしうまく行かない場合は、今回受け取ったパッケージの名前と$3.95をお送りください。もう一度10本のセットを発送します。」

作業所要時間1時間30分。私の肩も腰もパンパンになった。10本のうち1本だけでも育てば、私にとっては大成功である。もう一度やり直すつもりはない。

ただし、今回もらった苗木はどれも早く育つ種類ではないらしく、medium rate 普通の早さで育ちますCrabapple だけは slowly)とある。普通とは、どれくらいの年月かな。

私たちがこの家を売ってしまう前に、木らしくなるかどうかわからない。次の住人の楽しみになればいいと思う。願わくば、園芸の好きな人が、こんなふうにしてくれないだろうか。

「なんでこんな狭いところに、5種類も木を植えたんだろうねえ。ちゃんとフダが付いてるよ。木が育つ前に、人間が引っ越したのかな。じゃあ、木ももっといい場所に移してあげないとね。」

そして、私が手がけた木が庭のあちこちで毎年花を咲かせて、夏は緑の葉で木陰を作り、秋には枯れ葉を落とし、冬は氷の木になって、また春が来る。何年か経って、この家をまた見に来ることができるだろうか。

やっぱり、もう一度水をあげてこよう。


<今日の英語>

Not right now.
今はダメ。あとにして。


ショッピングセンターで、4歳くらいの男の子がお母さんの関心を引こうとしきりに話しかけている。母親は、携帯電話に夢中。今がダメなら、いつならいいのかな。男の子は歌いながら、お母さんのそばを離れた。30秒もしないうちに、またお母さんのシャツを引っ張りそうな気配。今度は、「今はダメ」以外の返事がもらえるかもしれないと思って。



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肉を食べないヒト

2009.05.23 (土)


私は肉を食べない。鶏肉も豚肉も牛肉も、子羊や子牛、七面鳥も食べない。

夫と子どもは食べるので、味見できないのに肉料理を作って出すという無責任な料理人なのだが、子どもたちも夫も慣れていて、私が「今日の、どう?」と聞くと、料理評論家さながらにいろいろ解説してくれる。

なぜか、まず「おいしい。」と断りを入れてから、「ちょっと固いかな。もうちょっと生でもいいよ。」「塩を入れすぎじゃない?ソースが濃くない?」

ときどき面倒なのか、「お母さんもひとくち食べてみればわかるよ。」と言われるのだが、それはできないのだ。

アメリカ人に、「肉は食べません。」と言うと、菜食主義者と思われるが、そうではない。私は、魚も卵も牛乳もOKだし、ベーコンやハムも1枚くらいなら食べられる。

あるいは、動物愛護主義者と思われることもある。私は猫を飼ってるし、よその犬も好きだし(自分で世話ができないから飼わないだけ)、動物虐待の話なんか聞くと、犯人は極刑!と宣告したくなる。

でも、肉を食べないのは動物がかわいそうだからではない。だったら、魚はどうなる? 牛乳だって卵だって、人間の都合で拝借している。そのへんは、割り切っているというか、ぜんぜん気にならないのだ。

アレルギーがあるのでもないし、上等な肉なら食べるというわけでもない。どんなに高級な肉でも口に入らない。

つまり、単なる好き嫌い。主義主張があってのことではない。わがままと言われたら、そうかもしれない。

だから、(肉を我慢してるなんて)えらいわねえ、そのほうが身体にいいわよねえなんて肉好きのアメリカ人に誤解されると、困惑する。私は食べたくても食べられない。

*     *     *

私は2歳半から保育園に通ったのだが、その頃から偏食だったらしい。離乳食(昔はそんな立派なものでなく、大人の食事を適当にすりつぶしたのだろう)あたりから、きらいだったに違いない。幼稚園のミルク(脱脂粉乳だったか?)は飲めなかった。

それでも、肉以外のものはだんだん食べられるようになった。もともと、肉以外はそんなにきらいなものはなかった。

親戚中で、肉を食べられないのは私一人だったので、こんなにおいしいものがきらいなんて、もったいないやあ、いっつも何を食べとるだやあ、とよく叔父や叔母、いとこたちに言われた。

私がアメリカ人と結婚してアメリカに行くと知ったとき、肉を食べれん子がアメリカでやっていけるだか、だんなさんの食事はどうするだや、などとみんなで心配したらしい。

小学校の給食ではひどい目に合った。勉強は好きだったが、給食のせいで学校がきらいだった。昼休みどころか、5時間目6時間目まで、食べられない給食が私の机に置きっぱなしだったことが何度もあった。つまり、給食を全部食べないと勉強させてもらえない。

周りが掃除をしているのに、私の机だけ動かさないで、食べなさいと強要されたこともある。もっとも、私は頑として食べなかった。食べようとしても喉を通らなかったのだ。

学校で一番好きな時間はと聞かれて、給食!と答える子が信じられなかった。私にとっては、肉が入っている日(つまりほとんど毎日)は苦行そのものだったから。

*     *     *

子どもたちがもっと小さいとき、私が通った小学校に体験入学したことがある。

初日は市役所に寄ったり、校長室で話をしたりして、子どもが教室に落ち着くまでかなり時間がかかった。子どもも心配だし、家に戻るのも面倒だし、どこかで時間をつぶそうと思ったら、担任のベテランC先生が「お母さんも一緒に給食を食べていらしたらどうですか。」とおっしゃった。

「いえ、そんな。ご迷惑ですから。」と必死で断ったのだが、「あら、そんな遠慮しないで。久しぶりの給食はなつかしいでしょう。」と微笑むC先生。

給食係が、欠席した子の机に私のトレイを置いて待っている。逃げられない。そこにいた女の子に「あのね、今日のメニューは何か教えてくれない?」とこっそり聞くと、「今日はねえ、うどん。」

なんとかなるかもしれない。

給食は30ウン年ぶり。食器は昔より立派だし、あの先割れスプーンの代わりに、ちゃんとしたスプーンとフォーク、それにお箸が置いてある。うどんもおいしいし、副菜の味付けもいい。フルーツゼリーもある。アメリカの悲惨なランチメニューとは雲泥の差である。うどんが大好物の長男は黙々と食べている。

私のどんぶりの底には、食べられない鶏肉が3つ4つ残った。となりの女の子に相談してみた。「わたし、これ食べられないんだけど。どうしたらいいと思う?」

「残してもいいんだよ。なるべく全部食べましょう、って先生は言うけど、食べられなければそれでいいの。残したのを入れるところ、教えてあげる。」

なんという変わりよう。もう誰も私のような惨めは思いはしなくていいのだ。

あとでC先生に聞いたら、「昔は、残すな!と指導してきたんですけど、最近はがんばりましょう~ですね。アレルギーの子もいますし、無理強いはしてません。」

私を連日6時間目まで給食と格闘させた小3のときの女性教師など、今なら児童虐待で訴えられるかもしれない。教育大学を出たばかりで、「うちのクラスでは残飯はありません。」という理念に燃えていたのだと思う。

彼女は何も覚えていないだろうが、私は40年近く経っても忘れていない。しっかり心の傷として残っている。

そうして、あのときの頑固な生徒は、40年経ってもやっぱり肉は食べないのであった。


<今日の英語>

I can't think of a name.
名前を思い出せない。

スーパーのレジで、レジ打ちのおばさんと袋詰めのおばさんが話していた。しばらく前にスーパーで働いていた人の話が出たのだが、二人ともその人の名前が思い出せない。レジ打ちのおばさんが「顔ははっきり思い出せるんだけどねえ。あー、名前が出てこない。なんていう名前だったかしらねえ。」と一生懸命考えている。

私も人の名前が思い出せないのはしょっちゅうだから、その気持ちはよくわかりますが、できればレジ打ちに集中していただけませんか。



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4ヶ月ぶりの日本食買い出し

2009.05.24 (日)


1時間運転して、日本食料品店に行ってきた。行く前は、あれも買おう!これも食べたい!と思うのだが、いざお店に入ると、買うものは決まっている。

お米、みそ、ラーメン、焼きそば、イギリスパン、しょうゆ、すし酢、だしパック、カレールー、豆腐、せんべい、麦茶、とんかつソース、マヨネーズ…。

しょうゆやラーメン、マヨネーズ、豆腐などはアメリカのスーパーでも売っているが、おいしくないので、日本のメーカーが日本市場向けに作っているのを日本食品店で買う。

以前はレトルトやインスタントものもよく買ったが、なぜか最近は口に合わないので買わない。私の味覚がアメリカ風になってしまったのかもしれないし、最近の日本人の好みが変わって、私が期待する昔の味ではなくなったのかもしれない。あるいは、単に私が年を取ったせいか。

棚にはトムヤムクンだのベトナム風ナントカだのが並んでいる。それも日本のメーカー品。20年前の日本では、これほど東南アジアや韓国の食べ物が一般的ではなかったと思う。ビビンバくらいしか聞いたことがなかった。いつのまに、こんなにエスニック・フードが浸透したのだろう。

私は肉が食べられないだけでなく、エキゾチックな味付けも苦手である。

夫が半年間だけ韓国で仕事をしたのだが、家族も同行してよいという条件にもかかわらず、夫だけ単身赴任してもらった。子どもの学校があるからというのが建前だったが、それでも会社の人は、どうして奥さんは一緒に行かないのか、半年の間に一度も遊びに来ないのかね、と不思議だったらしい。

私は韓国料理が苦手で、キムチもだめだし、焼肉もだめ。それに韓国語もできない。あちらで苦労するのが目に見えている。私は駐在員の奥さんには到底なれない。

*     *     *

夫はほとんど何でも食べるが、私はそれほど日本食を作らない。肉じゃがなんか一度も作ったことがないし、作り方すら知らない。ああいう醤油味の煮物は、夫も好きではないらしい。お味噌汁以外は、魚のだし(カツオや煮干し)で作ったものもほんの付き合い程度にしか食べない。魚の匂いには敏感である。

これが夫婦とも日本人の家庭なら、ちがうんだろうなと思う。

ふだんは日本食品が手に入らないので、アメリカのスーパーで買えるものとなると、自然と洋風料理が多くなる。医者から塩分を減らすように言われたこともあって、醤油と味噌もだんだん使わなくなってきた。

だから、「お米がなくなったら、日本食買い出し」というくらいの頻度に落ち着いた。

日本食品店の品物は、ほとんど日本からの直輸入かカリフォルニアなどで特別に栽培しているのか、なんでも割高である。今日も、カートに半分しか買わなかったのに、100ドル近かった。

日本の食べ物は私の精神安定剤でもあるのだから、これは必要経費とする。幸い、私が大蔵大臣なので、会計上の問題はない。

いつもはお寿司のテイクアウトを買ってくるのだが、今日は買わなかった。すると、夫は「あれ、お寿司はないの? 日本食品店まで出かけて、お寿司を買ってこなかったなんて。」としばらくぼやいていた。

だって今日は他に食べるものがあるし、だいたいお寿司は8割がた夫のお腹に収まるではないか。しかも夫は、アメリカのスーパーで売っている sushi もおいしいと言って食べる(私は食べない)。そういう人に、日本食品店の高いお寿司を毎回買う必然性があるだろうか。

そう考えた私は、今後は買い出し2回につき1回のお寿司購入、と密かに決めたのだった。


<今日の英語>

Someone has left the light on.
誰か電気を付けっぱなしだよ。


部屋を移動するたびに電気を消し忘れる子どもたち。私も夫も、しょっちゅうこんなことを言っている。子どもたちは学校で環境問題を勉強してきて、温暖化がどうの熱帯雨林がどうのと私に薀蓄をたれるのだが、その前にまず電気の無駄をなくしたらどうかね。それに、新しいゲームをねだる前に、電気代を節約してみたらどう?



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久しぶりのTV

2009.05.25 (月)


全仏オープンテニスが始まった。

ふだんほとんどTVを見ない私が、グランドスラムの2週間だけはTVをつける。

うちにはテレビが3台あり、一番古いRCA社の1台が私のベッドルームに置いてある。テレビ・スタンドの下に猫ベッドがあるので、いつもはテレビの上のDVDプレーヤーから床まで青い布をダラリとたらしている。身を隠せるせいか、そのほうが猫が安心して眠れるらしい。

でも、テニスがあるときだけは、その布も外す。

ESPN というスポーツ・チャンネルで見るのだが、テニスの合い間のコマーシャルも目新しいものばかり。まともにTVを見るのは、1月の全豪オープン以来だからだ。子どもたちに「ねえ、こんなコマーシャル知ってる?」と聞いては、「お母さん、それもうずーっと前からやってるよ。」と同情される始末。

アメリカに来た当初はずっと家にいたので、よくTVを見た。英語の勉強のつもりで、ソープオペラと呼ばれる昼メロを毎日見た。夜のドラマと違って、俳優のセリフがわかりやすい。ストーリーも演技のレベルも低かったが、一人がしゃべり終わるまで他の人はしゃべらないという不自然な演出のおかげで(最近はどうなのか知らない)、英会話教材としてはピッタリだった。

子どもが生まれるまでは、TV好きの夫とよくドラマや映画を見た。Thritysomething という30代のカップルたちを描いたドラマがおもしろかったが、子育てや夫婦の葛藤、仕事上の悩みなど私には想像の域を出なかった。あと数年経てば、もっと切実な思いで見ただろうと思う。

Sitcom(Situation Comedy)という30分ものコメディ番組もいろいろ見た。Roseanne, Cheers、Seinfeld、…。もうあまり覚えていない。

子どもが生まれてからは、TVどころではなくなった。当時評判だったER も一度も見ないで終わった。TV中毒の夫がずっとTVを付けっぱなしにしているのにもイライラしてきた。音量を下げて!と何度頼んだかわからない。

そのうち、子どももTVを見るようになり、セサミ・ストリートに Blue's Clues に Disney。日本語を覚えさせようと思って、日本語のビデオも見せた。長男はウルトラマンが大好きになって、補習校に入って、「長男君は、ウルトラマンの歌を全部歌って聞かせくれましたよ。」と幼児部担任に言われたことがあった。

夫と子どもがTVやビデオにのめりこむのとは対照的に、私は新聞に没頭するようになった。

インターネットが発達するまでは、NYタイムズの分厚い土日曜版を1週間かけて隅から隅まで読んだりした。日本語の新聞は手に入らなかった。本は、夫のペーパーバックを借りたが、身も心も疲れていたときは、手元にある数少ない日本語の本を何度も繰り返し読んだ。

*     *     *

私は日本の中学でほんの少しだけ軟式テニスをやったので、前からテニスは好きで、グランドスラムの経緯を追っかけていた。大きな試合はニュースでもレポートされるし、毎年ちゃんと聞いていたはずが、なぜか19歳の Pete Sampras が Andre Agassi を破ってUSオープンで初優勝して以来の記憶がぽっかり空いているのだ。

Roger Federer が王者と呼ばれていたのは知っていたけれど、台頭してきた頃の試合を見た記憶がない。実際に見ていなかったと思う。いろいろあった時期で、それどころではなかったのかもしれない。

再びテニスを意識して見るようになったのは、ここ3年くらいのことだ。聞いたこともないような選手がたくさんいた。いつのまにか時間が経っていたんだなあ、と思った。

ESPN では、Tennisチャンネルと違って一部の試合しか見られないけれど、インターネットで試合経過がわかる。しばらくすると、試合の映像もネットに流れるようになる。アメリカでは、野球やフットボール、バスケ、ホッケーなどに比べると、テニスはマイナーなようだ。

ふだんTVを見ない私がテニスを見ていると、「お母さんの大事な時間だから、邪魔するなよ。」と夫が子どもたちに言う。次男はテニスを習っていたこともあって、私のベッドに来て、並んで見る。でも、コンピュータゲームがやりたくなって、しばらくすると立ち去る。

そうして、私は一人でTV中継を見る。


<今日の英語>

You made my day.
おかげでいい1日になったわ。


テニスのオンライン・フォーラムで、どうしても中継が見られない子が助けを求めていた。誰かが「ここからストリームで見られるよ。」とリンクを貼ってあげたら、感謝した子がサンキューに続けて書いた言葉。何かいい気分になることを相手がしたり、言ってくれたりしたときに使う。



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今度はお湯が出ない

2009.05.26 (火)


夫に命じられて地下室で箱を探してホコリだらけになった長男が、シャワーを浴びた。いや、浴びようとしたのだが、水がぜんぜん暖かくならないよと言って出てきた。

つい3週間前に、サーモスタットを新品に換えて、ついでに年1回のメンテナンスをしてもらったばかりなのに。洪水の時と違って、リセット・スイッチはオフになっていない。たぶん他の原因で止まったんだろう。

また洪水になるといやだけれど、とりあえずリセットしてみた。30分経っても、ボイラーの温度計は最低温度を示したまま。

もう怒る気にもならない。これくらいのトラブルには慣れっこになって、「あー、ハイハイ。」という感じ。お湯が出ないだけで、他に被害はないのだから。

またメンテナンスの会社に電話する。「3週間前に点検したばかりなのに、お湯が出ません。」

3時間半以内に人を送りますと言われたとおり、3時間後に修理のおじさんがやってきた。この会社はその点はいつも信用できる。

*     *     *

前回の人とちがって、ハーイとも言わない。だまって地下室に降りてきて、だまって私の説明を聞いていたおじさんは、小さい懐中電灯であちこちを照らすと、ちょっとトラックから持ってくるものがあると言って、外に出た。

戻ってきたおじさんは、ボイラーの上から出ていた煙突を覗いた。手元が暗いかなと思って、明かりを持ってきましょうかと聞いたが、No. とだけ言われた。2秒くらいして、No, thank you. と言い直した。

ずいぶん愛想のない人だわね、でも、サンキューを付け足すところなんか悪くない、と思って見ていると、煙突の下の方から横に出ていた細い管と四角い部品を引っこ抜いた。そして、煙突の横できた直径5センチくらいの穴を、グレーのダクト・テープでペタペタとふさいだ。

ダクト・テープ? それって安全? ボイラーの熱で溶けたり外れたりしない? 煙突と同じ色だけど、どうしてダクト・テープなの??

おじさんはだまって作業しているので、わたしも何も聞かずにだまって見ている。

おじさんは、地下室の壁に取り付けてあった金属の小さい箱を開け、何本も出ているワイヤーを恐いほど手早くプチプチ切って、配線をやり直した。職人肌なのか、思いっきりのいい仕事振り。自分が何をしているかがよくわかっているのが伺えた。そして、壁に掛けてあった作業記録の紙に書き込んだ。

*     *     *

すでに温度計は100゚Fまで上がっていた。「ありがとう。おかげでシャワーが浴びられます。取り外した部品は私が捨てましょうか。」

「いや、自分が持って帰ります。熱いし、危険です。あなたが踏むといけないと思って、隅っこに放ったんです。」

「そうだったんですか。じゃあ持って行ってくださると助かります。ところで、あの部品は何だったんですか。」

「あれは、古い型でもう製造されてません。いくつかある安全弁の一つだったのですが、最近は使ってません。このボイラーにはもともと必要ではなかったものです。今回、お湯が出なかったのは、その部品が壊れて誤作動したからです。あれがなくても、他に安全弁がありますから、心配無用です。」

この人が大丈夫だと言うと、なんだかほんとに大丈夫な気がした。

「時間外に来ていただいてすみません。まだ回るところがあるんですか。」

「いや、もうないと思います。オフィスから電話がないから。それに、明日は休みをもらってます。じゃあ、これで。」

アメリカ人には珍しく、あまり目を合わさない人だった。ペラペラおしゃべりして肝心の仕事は手抜きという人を何人も見てきたので、こういうタイプの修理人はうれしい。

それにしても、こんな不要な部品をどうして十年以上も付けていたのだろうか。毎年メンテナンスの人が来て、たまにはお湯が出ないこともあり、そのたびにあちこち直していたのに、誰もこの不要な部品を外そうとはしなかった。

そのうち、また別のところがダメになる可能性大だけれど、とりあえずお湯が出たので、よしとしよう。


<今日の英語>

If it's not broken, don't fix it.
下手にかき回すな。/触らぬ神にたたりなし。


壊れていないものを修理するな。問題になっていないのに解決しようとするな。Don't fix it if it ain't broke. とも言う。アメリカでメンテナンスを頼むと、それまでうまく動いていたものがかえっておかしくなったりすることがよくある。そういうときはこのことわざを思い出す。

壊れていないからいいじゃないかと、改善できるのにそのままにしておくのも問題だし、かと言って、先走ってあれこれいじられるのも不安と言ったところです。



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気まずい 「あの話」

2009.05.27 (水)


午後、部屋で本を読んでいたはずの夫が台所に降りてきた。お腹がすいたか、喉が渇いたのかなと思った。

夫「こねないパン、焼いてるの?」

わたし「あれは時間かかるから、今日はフードプロセッサーでこねたやつ。それに、おやつがないから、ブラウニーを焼くところ。」 

夫「そうか。聞こうと思ってたことがあるんだけど。聞くっていうのもおかしいか。きみはぼくとセックスすることを考えたりする?」

「…別に。」

夫「全然?」

「…ときどき。」

夫「そういうことか。それなら…。」

そのまま二階へ上っていった夫がそのあと何を言ったのか、聞き取れなかったが、聞き返さなかった。それならそこから始めるか、と言ったような気がして、ぞっとした。

*     *     *

タイ女との騒動以来、私は夫と寝ていない。私にはそんな気はさらさらなかった。50代半ばの夫にはまだそういう欲求があるのはなんとなくわかっていたが、夫も私もその話を持ち出さなかた。

今日の午後、何の前触れもなく夫が私に問いかけるまでは。

いつか聞かれるかもしれないと内心は予想していたのに、突然の質問に私はうろたえた。そして、とっさにうそをついた。ときどき、なんて考えてない。夫とはこれから一度もセックスしなくてもいい。したいと思わない。したくない。でも、それを言ってしまったら、夫を傷つける。

夫がそうしたければ、またタイ女でも誰でもそのための相手を作ってもいいと思っていた。そして、前々からそれを夫に言おうと思っていたが、言い出せないでいた。今日がチャンスだったかもしれないのに、やっぱり言えなかった。

「だったら、結婚している意味がない。」と、なしくずしに復活するのがいやなのか。「昔のことを持ち出すな。」と怒らせて、せっかく築いた平穏な日々を壊したくないのか。

心の中がザワザワするだけで、夫と顔を合わせたときに何と言ったらいいのかわからない。

一つだけわかっているのは、夫はこれ以上知らんぷりして過ごすつもりはないということである。

どうして白黒はっきりさせたいのかな。セックスレス夫婦なんてどこにでもいるだろうに。改まって話し合わないで、そのまま暮らしていけたらいいのに。

日本人同士なら、こんな話なんかしないでなあなあでやっていくような気がして、でも夫はアメリカ人で、なんでも言葉にしないと気持ちが悪いのかもしれないけど、私はそんなこと考えたくもないのだ。


<今日の英語>

I will be brief.
手短かにお話しします。


ドアベルが鳴ったので玄関のドアを開けると、中年の白人女性と小さい男の子が2人立っていた。見たとたんに、キリスト教の伝道だとわかった。女性は、「こんにちは。ご機嫌いかが。私はキャロル。これは私の息子たちです。今日はとってもポジティブなお話をするために参りました。」としゃべりはじめ、お忙しいでしょうから、とこう続けた。手短かでもなんでも、私は宗教は一切お断り。お引取りくださいとドアを閉めた。



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